日記

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■2002年5月1日〜5月15日


5月15日(水)
 naubooさんの「MC/CM」で舞城王太郎『世界は密室でできている。』の感想を取り上げていただきました。ありがとうございます。

 舞城王太郎が三島賞候補という話題ですが、候補作の「熊の場所」は未読。前回の審査員は筒井康隆、宮本輝、高樹のぶ子、福田和也、島田雅彦の5人で、任期は4年なので筒井康隆と宮本輝は今回は抜けているはずで、誰が新たに加わっているんでしょうか?
 もし受賞したら、発表済みの「熊の場所」+「バット男」+書き下ろし1編という感じで早々に四六判上製本の短編集が出そうな気もするので、そういう意味では受賞してほしいと思いますが、文壇政治の道具にはなってほしくないなぁ。

 有栖川有栖マレー鉄道の謎』読了。次は森博嗣朽ちる散る落ちる』の予定。

5月14日(火)
 古処誠二の「half wit life」。……なんか微妙に無理してません?

浦賀和宏浦賀和宏殺人事件』★★

 投げやりな小説なんで、感想も投げやりに。
 というか、面倒なので作中の「浦賀和宏」の言葉を引用して感想に変えさせていただきます。

本格ミステリが嫌いなんじゃない。本格ミステリが好きな皆々様が好きじゃないんだ」(P.17)

「(前略)
昔、一部の連中が『本格ミステリは人間が書けてないからくだらん』という趣旨の批判をすると、そんなことを言わないで温かい目で見守ってくれよって反論していたのに、今では本格以外の小説にはやたらと厳しいことを言う。評価の基準は一つじゃいけないって言ってたのに、自分達は『本格ミステリ』っていう滅茶苦茶狭い評価基準しか持っていない!」(P.17-18)

ついでにインターネットで書評だとかのたまわっているミステリマニアも好きじゃないね」(P.18)

「(前略)
絶版本ならともかく、俺の本は新刊でまだまだ買えるんだから、批判するんだったら、きちんと新刊書店で買ってください。どうです読者のみなさん?(後略)」(P.19)

第一、メフィスト賞なんて大した経歴じゃない。はっきり言うと、それだけでもう色物扱いだ」(P.20)

ふふふ、この小説を読んで、愚民どもは俺様の足下にひれ伏すがよい、俺が日本ミステリ界の皇帝となる日は、そう遠くないに違いない」(P.31)

「(前略)
アマチュア時代に俺の本をさんざん批判したくせに、メフィスト賞とってデビューした途端に他人の本を批判しなくなった大変賢明な方もいらっしゃる。(後略)」(P.69)

「(前略)
その日は、浦賀ファンの祝日と定め、一日中ダラダラしても許される日に制定しよう。」(P.98)

 いや、おもしろかったといえばおもしろかったんだけど。


西尾維新クビシメロマンチスト』★★★★
 恋愛を題材とした物語で、相手について知らないはずの情報を知っている(名前とか住所とか電話番号とか誕生日とか好物とか)、という展開は「片思い」を表現する技法として多用されるけれど、西尾維新はさらに、その情報の流れを明確にし、「知らないはず」だという根拠を提示してみせる。もちろん、それはわざわざ特筆すべきほどのことではなく、単なる細部の処理の問題に過ぎないのだが、上記で指摘した部分に限らず、この作者はいわゆる「本格ミステリ」的な話法を自然な形で身につけていると感じる。

 キャラクタの書き分けというのは極論をいえばゴレンジャーみたいなもので、容姿(色・髪型・服装・体格)や性格(口調・行動)を任意の軸を設定したチャート上で重ならないように配置すれば比較的容易に記号化は可能だと思うんだけど、一般的にそういった極端なキャラクタ設定を行った小説というのは「漫画的」という否定的な意味あいを含んだ評価がされがちで、まあ、そのへんは作品内容と合致していれば個人的には問題はないので無視するとして、実際のところそういった極端なキャラクタ設定ですらうまく機能させることができない作家は少なくない。設定だけであれば図式的にキャラクタの差異を明確にするのは容易だけれども、それを物語のなかで的確に提示し、その同一性を読者に印象づけるにはやはり技術が必要だということだろう。
 この作品の場合であれば、特にシリーズを通じて登場する重要なキャラクタは、「青」や「赤」といった色で文字どおり色分けされ、「青色サヴァン」や「人類最強の請負人」といった二つ名というかキャッチコピーがあたえられ、主語がなくとも誰が発しているのかすぐにわかる口調でしゃべる(これは作中でもかなり極端な例だけど)。繰り替えしになるが、問題はその記号内容ではなく、記号をキャラクタの属性としていかに提示するかという点と、その同一性を物語内においていかに維持するかという点で、この作者はその2点をきちんと実践している。

 ここまでは、既刊の2作品を読んだうえでの「作家」としての評価。
 で、ようやく本題の『クビシメロマンチスト』の感想。(以下、続く

5月12日(日)
 というわけで、こういうことはやらないつもりだったんですけど、せっかくなので10000ヒット記念イラスト(4月23日の日記に書いたルール破りというのはこれのことです)。1999年の10月31日からなんで、ここまで2年6カ月余りかかったわけですが、まあ、今後も地味に続けていきますんでよろしくお願いします。上のイラストは一週間くらいでトップページからははずします。

 ミステリ板@2ちゃんねるの西尾維新のスレッド「ガンバレ!戯言使いスレッド」で西尾作品が「似ている」と指摘されている奈須きのこ空の境界』。以前からいろいろなサイトでタイトルだけは目にしていたものの、特に興味はひかれなかったんですが、『クビシメロマンチスト』が非常におもしろかっただけに、その類似の度合いが気になります。ただ、指摘されている内容を見ると、私が「おもしろい」と思った部分とは無関係な気もするんですけど。
 ちなみに、同じく「似ている」と指摘されている上遠野浩平の〈ブギーポップ〉シリーズに関しては、全部を読んでいるわけではないんですが特に似ているとは感じませんでした。

5月11日(土)
 今日は一日中暇なので、ときどき無駄に更新するかも。(本日の更新は終了)

 加賀美雅之双月城の惨劇』読了。感想は『アイルランドの薔薇』とあわせて今晩にでもアップする予定。(アップしました)

 次はなぜか(←失礼)浦賀和宏浦賀和宏殺人事件』(薄いので)。密室本。冒頭に図書館で借りたり古本屋で購入する読者に対する批判が(登場人物「浦賀和宏」の台詞として)書かれているんだけど、この本は袋とじで新刊書店では立ち読みできないので、図書館で借りたり古本屋で購入しようとする読者限定で、立ち読みした際にあらかじめ釘をさすような形で機能するように意図されているのだろうか、と思ったりした。いや、それは考えすぎ(自己ツッコミ)。

 浦賀和宏浦賀和宏殺人事件』読了。これって記述が一部アンフェアなのでは。
 続いて西尾維新クビシメロマンチスト』を読みはじめる。「
ラジオ体操第二、ただし時間がないのでヒゲダンス」(P.46)ってフレーズいいなぁ。何か元ネタがあるんだろうか?

 西尾維新クビシメロマンチスト』読了。笑えて泣ける。前作も良かったけど、今作はさらにおもしろい。登場人物が死んで「痛ましい」と感じるのってずいぶん久しぶりな気がする。後半で若干失速するのが惜しい。
 ところで、作中では触れられていないけど、「
だったら四人くらいが丁度いいな。五人になったらそのバランスが崩れてよくない」(P.34-35)って言葉も動機のひとつなのかな。「人間が多過ぎるなって、思ったことはないかな?」(P.217)って台詞も、それが動機であるという前提で出てきたんだと思ったんだけど。

浦賀和宏殺人事件』と『クビシメロマンチスト』の詳細な感想はまた後日。次は有栖川有栖マレー鉄道の謎』。

 以下は過日の読了本の感想。

石持浅海アイルランドの薔薇』★★★

 物語の骨格はいわゆる「本格ミステリ」のパターンを踏襲しながらも、クローズド・サークルを成立させる要素としてアイルランド情勢を持ち込んでみたり、トリックスターとして正体不明の「殺し屋」を配置したりといった独自の工夫のあとがうかがえる。もちろん、それらの要素はそれなりに物語として有効に機能してはいるんだけど、あくまで装飾の範囲にとどまっていて、物語の構造を揺るがすまでには至っていないのが残念。
 他に気になったところは、視点の処理のせいで冒頭から「殺し屋」の正体が限定されてしまうという点。終幕近くの「殺し屋」が視点人物の場面も含めて、ジェリーとトム以外が視点人物の場面は必要ないのでは?
 それから、探偵役であるフジにああいった悪趣味なこと(
ジェリーにアリスが犯人だと告げる)をさせるのだったら、あらかじめ普段からくだらないイタズラが趣味だというような前ふりが必要だと思う。

加賀美雅之双月城の惨劇』★★★
 古城。密室。伝説の見立て。名探偵。といった「本格のコード」が満載の正調「探偵小説」。伏線のはり方が露骨で、真相がわかる/わからないは別として、真相解明の場面でこの場面/台詞を引っ張ってくるんだろうなぁ、とあらかた見当がついてしまう。大がかりな物理トリックそのものはなかなか良いんだけど、そのトリックによって見せられる事件そのものの演出は表現の大仰さと比較して軒並みおとなしい。ここは荒唐無稽でも、鎧の騎士に登場人物が襲われるシーンくらいは入れてほしかった。

5月8日(水)
 ちょっとだけトップページを模様替え。

 講談社ノベルスの新刊は有栖川有栖マレー鉄道の謎』、浦賀和宏浦賀和宏殺人事件』、西尾維新クビシメロマンチスト』、森博嗣朽ちる散る落ちる』の4冊を購入。いろいろな意味でものすごいラインナップだ。『双月城の惨劇』が読み終わったら、順次読んでいく予定。……まだ半分も読み進んでいないんだけど。

5月7日(火)
 古谷実ヒミズ』3巻と島本和彦吼えろペン』4巻と梶原にき・作画/小野不由美・原作『東亰異聞』1巻購入。『ヒミズ』は相変わらず救済も破滅もひたすら迂回し続ける息苦しさを覚えるほどの閉塞感がすごい。次巻完結……て、どうやって結末つけるんだろう。『吼えろペン』は「プロレス」→「ラジオ」→「テレビのクイズ番組」→「素人漫画家のプロデュース」と各話バラエティーに富んだ展開ながら安定しておもしろい。「『実は有名作品のパクリだけど、下手だから別の作品にしか見えない』というジャンルだ!!」って、ジャンルだったんですか!? 『東亰異聞』は梶原にき(今回、初めて読んだ)の絵が原作のイメージとあっていて非常に良い。余談だけど、原作を読んだとき、シリーズものの舞台作りのためのプロローグ的作品という印象を受けたので、ひそかにシリーズ化されるのを待っていたのに、そんな気配すらないのでやはり勘違いだったのだろうか。

5月6日(月)
西澤保彦聯愁殺』★★★★
 推理の空白を埋める想像であるという前提で、探偵役が「犯人」および関係者の心理や感情をきわめて図式的に示してみせるのはまだいいとして、その仮想上の人格がいつのまにか物語のなかで自明なものになってしまう、というのが西澤保彦のいわゆる「推理合戦もの」に感じる気持ちの悪さの原因で、この作品もやはり「推理合戦」のなかで構築された犯人の人格は最後まで否定されることなく終わってしまう。
 例えば『夏の夜会』と比較すると、『聯愁殺』の探偵役はあくまで無責任な第三者であるという点で相対的に前述の「気持ちの悪さ」は薄れてはいるものの、個人的にはやはり過剰に「犯人」の心理に踏み込み過ぎているという印象は拭えない。では、なぜ「これなら文句はない」と書いたかといえば、この作品においては
「推理合戦」で交わされる言葉がすべて括弧で括られるような構造になっているからだ。一般的に「推理合戦」で語られる言葉は、あらかじめ「間違い」が大半をしめており、最終的に排除されることが前提となっているという意味で空虚だ。しかし、この作品の結末は、それとは別の意味で、作中で語られていた言葉がすべて骨抜きにされるよう仕組まれている。

5月4日(土)
 カッパ・ノベルス版メフィスト賞(?)「KAPPA-ONE 登龍門」。まずは西澤保彦推薦の石持浅海アイルランドの薔薇』を読了。メフィスト賞作家でいうと古処誠二みたいな位置づけだろうか。そういう意味では、今後に期待が持てる(かも)。読む順番は完全なランダムで(わざわざ同居人にシャッフルさせて、それを見ないで「上から○番目」という形で選択)、次は、再度同じ方法で選んだ加賀美雅之双月城の惨劇』を読む予定。

5月3日(金)
 ピーター・ジャクソン監督『ロード・オブ・ザ・リング』(字幕版)を今さらだけど観る。原作は高校時代に手に取ったものの『旅の仲間』の上巻で挫折した(ほとんど読んでいないともいう)ので、ストーリーとか固有名詞とか世界観を断片的に知っている程度。
 映像にかんしてはとりあえず文句なし。特に冒頭の「ホビット庄」が良い。旅の準備をしているフロドが、ガンダルフとまじめに指輪について話をしながら、リンゴやパンを袋につめているシーンがおかしかった。ストーリーにかんしては、後半部、把握しづらい部分があったけど、「魅惑のFotR日本語字幕の頁」を読んだら疑問点はおおむね解消。『二つの塔』もたぶん観に行くと思う。

 ところで、「
ひとつの指輪はすべてを統べ、ひとつの指輪はすべてを見つけ、ひとつの指輪はすべてを捕らえ、暗闇の中につなぎとめる」という有名な一文を、それぞれ異なる3つの指輪にかんすることだと思っていたのは秘密だ。

 帰宅してから、ドイツのヘヴィメタルバンド「BLIND GUARDIAN」の「Lord Of The Rings」(ライブアルバム『Tokyo Tales』収録。3バージョンあるけど、これが一番好き)とか『Nightfall In Middle-Earth』(『指輪物語』を題材にしたコンセプト・アルバム)をBGMに、あちこちのサイトの映画評を漁る。あ、なんか原作を読みたくなってきたな……。

5月2日(木)
 西澤保彦聯愁殺』をようやく読了。これは良い。個人的に近年の西澤作品に感じていた不満点はまったく改善されていないんだけど、これなら文句はない。詳細な感想は近日中に。

 加藤元浩Q.E.D.』12巻、『ロケットマン』1巻を購入。

Q.E.D.』は、「銀河の片隅にて」と「虹の鏡」の2編を収録。「銀河の片隅にて」は、いまひとつ。パズル的なハウダニットがメインにもかかわらず、物語はフーダニット的に展開するので、ちぐはぐな印象。「虹の鏡」は、10巻に収録されていた「魔女の手の中に」の続編。謎解きよりはサスペンス重視の構成で、記憶力に自信のない人はあらかじめ「魔女の手の中に」を再読しておいたほうがいいかも。

ロケットマン』は、何となく昔懐かしい雰囲気の漫画でけっこうおもしろかった。しかし、こういう物語の主人公に特殊な過去を設定してしまうのはマイナスだと思う。まあ、どういうふうに展開するのかわからないうちに文句をいうのも早計なんだろうけど。

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