日記
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■2002年11月1日〜11月15日


11月15日(金)
 昨日の日記の文章を修正しました。


 恩田陸ロミオとロミオは永遠に』は、後半に入ってようやくおもしろくなってきた。
 大雑把に作品内容を紹介すると、浦沢直樹『20世紀少年』的な世界観で、高見広春『バトル・ロワイアル』(ミニゲーム多数)を繰り広げる、といった感じのストーリー。
 この作品を読んで改めて思ったのは、恩田陸は登場人物の造形があまりうまくなくて、無理してキャラクタを特徴づけようとした場合、わざとらしくて古くさい手法を用いるのが弱点だよなぁ、ということだった。恩田陸の登場人物にとって重要なのは、いわゆる「キャラ立ち」よりも、むしろ物語内における配置というか立場で、だから、登場人物の数が多くなるとそれぞれの役割が希薄化して、全体的に無理が生じてくる、というのが個人的な意見(その意味では、『光の帝国』は大好きな作品なんだけど、続編が長編として発表されたらつまらなくなりそうな気がする)。
 あと、これは好みの問題として、恩田陸の書く「喜劇的な状況」に、いまひとつ魅力を感じない、ということがある(『ドミノ』もあまりおもしろいとは思えなかった)。
 この2点が、この作品の前半部があまり楽しめなかった主な理由。
 読了後にもう少し詳細に書く予定。


 上山達郎さんによる小川勝己『撓田村事件―iの遠近法的倒錯―』評
 ミステリ系のサイトでもほとんど感想を見かけないことに落胆していたので、思わず小躍りするほど喜んでしまいました。

11月14日(木)
 現在、恩田陸ロミオとロミオは永遠に』を読書中。〈ハヤカワSFシリーズ Jコレクション〉の1冊。ここしばらく続いている恩田陸の怒濤の新刊ラッシュをこなしきれず、買ってはいるものの未読の作品がたまっていて、実際に作品を読むのはずいぶん久しぶりな気がするけど、思い返してみれば昨年読んだ『ドミノ』以来だから、初期に比べればそれほど久しぶりというわけでもないような。
 しかし、う〜ん、これは微妙な作品だなぁ……。


 上の画像、明るめに修正してみました。ちなみに修正前はこちら
 ところで、Photoshop Elementsってトーンカーブ使えないんですね……。

11月13日(水)
「週刊少年マガジン」で先週から連載がはじまった大暮維人『エア・ギア』が『ジェットセットラジオ』に似ている、というのはさんざんいわれていますが(萩原一至「WIZARD!」──最初の読み切りのほう──と『D&D』くらいには似ている)、大好きなゲームなので、個人的には大喜びしています。今週号で縄張り争いの小道具として「ステッカー」が登場するに至って、いよいよそのまんま、という気がしなくもないんですが、むしろ問題なのは、この調子で毎週読んでいると、最新作である『ジェットセットラジオフューチャー』をやるためにXboxを買ってしまいそうなことだったりします。
 もしかして、これはMicrosoftの陰謀なのだろうか?
 などと考えつつ、ドリームキャストを引っぱりだすのであった……。

11月12日(火)
 というわけで、20,000ヒット記念イラスト。
 重い! 邪魔だ! うざい! 等の苦情があったらすぐにでもはずします。
 苦情がなくても週末にはかたづけますのでご容赦を。

 液晶モニタになってからイラストを描くのは初めてなので、正直なところ、色に自信がありません。ただでさえMac使いでガンマ値1.8のうえに、液晶モニタで中間調が浅くなりがちなので、環境によってはかなり暗く見えるかもしれません。明日、別環境で確認のうえ修正するつもりです(修正してからアップしろよ、というツッコミは勘弁してください)。

 喜んではしゃいでいるのは自分だけ、というのは承知しているんですが、頻繁にあることではないんで、生暖かく見守っていただけると幸いです。

11月11日(月)
 安原顕、肺癌で余命1か月。普通に語ってますね。
何だか話が暗くてごめん!」て、むしろもうちょっと暗くてもいいんじゃないかという気がするけど……。

11月10日(日)
 今さらなんですが、羽海野チカハチミツとクローバー』を読んで大ハマリ。キャラ立ちまくりで、笑いあり涙ありのラブコメディ。おもしろすぎです。
 集英社版の1巻がほしい〜。増刷してくれ〜。

 で、このマンガにジャンボ・プードルという犬が出てくるんですが、これって本当にいるんですね(名称はジャンボ・プードルではなく、スタンダード・プードルというらしい)。こちらの画像を見ると、その大きさがわかると思います。そもそも、プードルに種類があるなんて知らなかったので、びっくりしました。これはちょっと怖いな……。


 文学フリマとか奥泉光講演会とか西尾維新『サイコロジカル』とか、来訪される方が急増してカウンタの回転が予想以上にはやいので、あわてて準備にとりかかる。
 ↓今回はこんな感じです。



11月9日(土)
西尾維新サイコロジカル★★★
『サイコロジカル(上) 兎吊木垓輔の戯言殺し』と『サイコロジカル(下) 曳かれ者の小唄』の2巻構成。物語の構成要素としては森博嗣『
すべてがFになる』と重なる部分が多くて、影響を受けた、というか、自分だったらこうやる、というアレンジを試みた作品のような印象を受けた。いや、もちろん、どこをとっても西尾維新らしい作品ではあるんだけど。

 たしかに独立した作品ではあるものの、これまでと比べて、シリーズものとしての側面が強くなっていて、作品世界にかかわる設定にかんする言及が非常に多い。その点に魅力を感じる人もいるんだろうけど、個人的にはいささか煩わしくて、伏線を丁寧にはっている、という点をふまえたとしても、特に上巻は冗長だと感じた。あんまり思わせぶりだと、私みたいな読者はかえってしらけてしまう。
 作中で充分に消化されない要素が多すぎて、何となく不満の残る読後感だった。

 同じように「天才」ばかりが登場する『クビキリサイクル』では、少なくとも語り手である「ぼく」が天才と対比されるべき「凡人」として機能していたからあまり気にならなかったが、今作の「ぼく」からはすでにその機能は失われており、かといって代替となる登場人物もいないため、「天才」のインフレーションが際限なく進行しているわりには読者にわかる明確な基準がなく、加えて、その才能を示す具体的なエピソードが決定的に欠けているため、単なる奇人変人という以上のイメージを抱くことができない(もっとも、「キャラ立ち」という点では充分すぎるほどではある)。

 それなりにおもしろく読んだことは確かだけど、個人的な好みをいえば、もうちょっとシリーズものであることに禁欲的になってほしいなぁ、と思う(まあ、「請負人」の扱いなどを見ると、意識はしているようだと思われる)。あと、「天才」+「クローズド・サークル」の組み合わせは勘弁してほしい。

11月7日(木)
作家 自作を語る」→小川勝己『撓田村事件―iの遠近法的倒錯―』
(ネタ元:2ちゃんねるミステリ板鬼畜クライムの最終兵器・小川勝巳」)
 要RealPlayer。

 宮部みゆき『蒲生邸事件』を読んでいるときに思いついた話だと語っています(私は未読)。
 もともと、これは主人公の少年がひどいめにあって成長する、というのが主眼で、事件はその「試練」のひとつに過ぎなかったのに、どういうわけか結果的にこういう小説になってしまったらしい。


「群像」12月号、買った! 「鼻クソご飯」読んだ!
 ……男性諸氏は覚悟して読みましょう。

 ところで、その「群像」12月号には、神山修一による舞城王太郎『熊の場所』の書評が掲載されている。これがなかなか良かった。「鼻クソご飯」を目的に「群像」を手に取った方は、ぜひ一読をおすすめする。……というだけではどうかと思うので、ちょっとだけ引用。

 
ところで、智与子は「必ず二十四時間以内に自分の個人的な問題の処理を終える」というルールを自らに課している。「熊の場所」のルールもまた迅速な行動を求めていた。
 なぜ、急がなければならないのか?
 それは、処理を先延ばしにすると余計な「内面」が生まれ、それが行動を抑制するドグマを次々と繰り出すようになるからだ。「バット男」の博之はその罠に嵌った。彼は沢チンや智与子よりずっと饒舌で、気の滅入る世界観を延々と語る。すでにそういう「内面」が出来ている。
(後略/P.359)

11月6日(水)
 今さらですが、以下の感想をアップ。小川勝己の作品はいつも感想をうまくまとめることができなくて非常に困るんだけど、今回も同様。例によって思いつきのメモの域を出ていないので、まっとうな「書評」を求めている方は千街晶之氏による「横溝正史への恩返し」をどうぞ。

小川勝己撓田村事件―iの遠近法的倒錯―』★★★★
 自分のなかでここのところ小川勝己作品が異常に盛り上がっていて、その期待に充分応えてくれたのでこの星の数。おもしろかった。

 小川勝己の作品には、虚構的なセルフイメージを抱える人物が頻繁に登場するが、この作品も例外ではない。例えば捜査員の1人は次のような人物。

 
藤枝は、警察官とは一種の芸人であると考えている。(中略)警察官としての職務を遂行する際に、自分がかくありたいと望む警察官像に自分を近づけ、それを演じて職務を全うする。それが藤枝のやりかただ。(P.109)

 そして、そのセルフイメージと実像とのギャップや、距離感覚の歪みのおもしろさが読みどころのひとつでもある。

 この作品では、虚像/実像のギャップを抱えているのが、登場人物だけではなく、作品そのものであるところがミソ。先日引用した大森望氏の評や、上記リンク先の千街晶之氏の評、あるいは帯の惹句にも記されているように、この作品は横溝正史へのオマージュを意図して書かれている。しかし、作中に導入されている小川勝己的ガジェット(?)が、望む望まないにかかわらず、この作品がフェイクであることを読者に告げる。そのいかがわしさが、非常におもしろい。
 詳細は書かないが、そういった虚像/実像の図式は、この作品のいたるところにあふれている。それを、表面上はごくまっとうな三人称の話法で語っているところが、個人的には好印象だった。

 最後に、この作品は舞城王太郎『熊の場所』と併読すると、また違った意味で楽しめるかもしれない。保証はしないけど。

11月5日(火)
浦賀和宏地球平面委員会』★★
 なんか、もう、『浦賀和宏殺人事件』よりもさらに後退してる。冒頭のエピグラフで清涼院流水の『コズミック』が引用されているんで、あからさまに厭な雰囲気が漂ってはいたんだけど、予想を上回る駄目っぷり。
 正直、友哉タンより、こっちの方が心配だよ……。

 大学生になったばかりの主人公は、構内でビラを撒いていた女の子に興味をひかれて「地球平面委員会」という奇妙なサークルを友人とともに訪れる。そこは、名前のとおり、「地球が平面であると信じる」ものたちの集まりだった。結局、入会することなくサークルを後にした主人公だったが、ビラ撒きをしていた委員会のリーダーである宮里真希は、執拗に主人公を勧誘する。
 やがて、周囲で不穏な事件が起こりはじめる。廃工場の放火。金庫破り。そして、殺人。それは、「地球平面委員会」の仕業なのか?

 真相、というか、ネタそのものは、むちゃくちゃ馬鹿馬鹿しいんだけど悪くない。むしろ、好みだといってもいい。しかし、その処理の仕方があまりに杜撰すぎる。こういう馬鹿馬鹿しいネタこそ、もっと仕込みをきっちりとやるべきなのに。そもそも、扱っている内容が薄すぎて、漠然としたイメージのレベルでとどまっているのが最大の不満。

11月4日(月)
 奥泉光『浪漫的な行軍の記録』全編が掲載されている「群像」8月号を持っていることに今日、気づいた。購入したそのときに興味のある対象しか目をとおさないので、完全に見落としていた。いや、表紙にも背表紙にもしっかり書いてあるんだけどね……。
 ちなみに、原稿用紙348枚の作品なので、そんなに長くない。
 どちらにしろ、すぐには読めないし、加筆されている可能性もあるので、単行本が発売されるのを待ってから読むつもり。

 本棚を漁っていて出てきた「ユリイカ」1999年12月号の「ミステリ・ルネッサンス」特集に法月綸太郎×奥泉光の対談「トリックという〈外部〉」が掲載されていたので久しぶりに読み直してみたら、奥泉光自身が講演で語っていた内容と重なるところも多く、作家としての「小説」に対する姿勢が一貫していることを確認できた。
 講演内容と関連はあるものの、完全に被ってはいない部分で、個人的に重要なのではないかと感じたところを引用してみる。

奥泉 僕は現実が小説を捉えていくという発想ではないんですね。やや格好をつけて言えば、小説は現実を産み出していくものだと思うんですよ。写すとか捉えるという発想では、結局すぐに古びていってしまう。そもそも物事というものは追いかけると遅れるわけだから(笑)。追いかけるという姿勢そのものが遅れているということなのであって、つまり遅れないためには追いかけないことが極めて肝要です。
 僕が小栗虫太郎を発見したのは、これは何かが屹立していると思ったんですよ。もちろん小栗虫太郎だって、戦前の社会や文学の文脈で捉えることは可能ですが、だから面白いんだとはいえないと思うんですよ。それとは無縁な屹立があの言葉にはあって、それが面白いんじゃないかと。そういう意味では、ミステリがいまの現実を捉えるのに有利だ不利だという議論にはあまり生産性はないんじゃないかという気はするんです。
(後略/P.105)


Dear Editor
「文学フリマ」で「タンデムローターの方法論」と一緒に売られていた「Dear Editor」(30円)というA4のコピー用紙3枚のアンケートにかんして、午後から参加した方のレポートではまったく触れられていないので、こちらは増刷されなかったのでしょうか?
 アンケートに対する回答は必ずしも原本ではなくても構わないと思われるので、以下に全文をアップします。なお、文章、質問項目はすべて、実際にはセンターあわせになっています。

(1枚目)
Dear Editor

作家に手紙を書いたことのあるひとは多いと思いますが、
編集者に手紙を書いたことのあるひとは稀だと思います。
「文学フリマ」を機会に、編集者に手紙を書いてみませんか?
返事をかえすことはできないと思いますが、編集者・太田克史があなたの手紙に必ず目を通します。
以下の項目にそって手紙をお書きください。
あてさきは112-8001 文京区音羽2-12-21
講談社文芸図書第三出版部 太田克史まで。
それではあなたのお手紙を待っています。

以下の項目にも(よろしければ)ご記入ください。

氏名
性別
年齢
住所
E-Mailのアドレス

(2枚目)
Dear Editor
わたしは編集者を……!

わたしにとって講談社ノベルスは……!

わたしにとっての「ミステリー」は……!

わたしは太田克史のことを……!

わたしは佐藤友哉のことを……!

わたしは西尾維新のことを……!

わたしは舞城王太郎のことを……!

わたしが編集者ならこんな企画を……!

(3枚目)
以下はどうかご自由に。

11月3日(日)
文学フリマ」&「奥泉光講演会」より帰宅。


 結局、これは事実だったわけだが……。

 販売されていた「タンデムローターの方法論」(1,500円)は、
 ・佐藤友哉「灰色のダイエットコカコーラ」(短縮版)/短編小説
 ・西尾維新「明けない夜とさめない夢」/短編小説
 ・太田克史(=編集者J)「リタラチャーNo.3」/エッセイ
 ・舞城王太郎 落書き(嫌がらせ)と英題
 ・笹井一個 装画
 +奥付に佐藤友哉、西尾維新、太田克史の直筆サイン
 というもので、「メフィスト賞」ウォッチャーにはたまらない内容。

 意外、といっては失礼だろうけど、佐藤友哉「灰色のダイエットコカコーラ」が良かった。西尾維新のパロディっぽい文章があったり(
『十九歳にして百億円ゲット! ただし人生ゲーム』)、全体的に舞城王太郎を思わせる改行なしで勢いまかせでなおかつ方言まじりの文体は、なんというか、ふっきれたような軽さがある。主人公の祖父の昔話も、主人公の友人のミナミ君の独白も、語り口と内容がしっかりとかみあっていて、判官びいきとか今までと比べて相対的に、というレベルではなく、非常に良いと思う。ミステリ的なガジェットはこの作家にとって、本当に足かせでしかなかったのかもしれない。
 なお、巻末に付された文章を引用すると、「
完全版『灰色のダイエットコカコーラ』と、その前日談にあたる『サグラダ・ファミリア』、それから鏡サーガ四作目の掲載・発売予定は今のところありません。ではさようなら」ということらしい。
 あ、私もフォークナーの『アブサロム、アブサロム!』読まなきゃな。

 逆に、西尾維新「明けない夜とさめない夢」は、ミステリ的なガジェットを完全に排したのがマイナスになっているように感じた。つーか、「いーちゃん」の語りって、造形じゃなくて、素の文体だったんですか? と驚いた。


奥泉光講演会レポート
 奥泉光の講演は非常に刺激的でした。特に、「小説」という手法に対する確信が、言葉の端々から感じられて非常に頼もしく感じました。これはつまり、講演でも言っていたとおり、「小説で書く」ことと「小説を書く」ことの違いなのでしょう。当然、奥泉光は後者で、極端にパラフレーズすれば、「文学」は死んでも「小説」は残る、という自信なのではないでしょうか。

 私自身は、奥泉光のよい読者とはいえず、小説では『プラトン学園』『グランド・ミステリー』『鳥類学者のファンタジア』と、エッセイ集である『虚構まみれ』、あとは対談をいくつか読んだことがあるだけなのですが、少なくとも『浪漫的な行軍の記録』と『石の来歴』は読まなくては、と思いました。

 以下、印象的だった話題を箇条書きで(話題の順序は実際とは異なります)。

 一番好きなミステリはバークリーの『毒入りチョコレート事件』。いくつもの「推理」が小説世界に「多層の現実」をつくりだす構造がおもしろい。

 ミステリで不満なのは、その「多層の現実」が「真相」という形でひとつに収束してしまうところ。

「物語」は個人でつくりだすものではなく、流通するものである。

 近頃、読んでおもしろかったのはグレッグ・イーガンの『宇宙消失』。ナノマシンで洗脳された人間が、自分が洗脳されていることを自覚しつつ逆らえない、という状況がおもしろい。

 小説にとってたいせつなのは「アイロニー」。「アイロニー」とは、例えるなら、自分が墜落すると確信している飛行機に乗っているような状態(=多層な現実)。

 戦後の作家で好きなのは、半村良、山田風太郎、大西巨人、大江健三郎、古井由吉。

『石の来歴』は、初稿の段階では、主人公の名に「氏」がついており、会話の部分は間接話法を用いた非人称の語り手が現前する手法で書かれていたが、編集者の助言で三人称に書き改められた。

 作者の設定した絶対的なパースペクティブに作品世界がおさめられてしまう三人称の語りには違和感を覚える。

『石の来歴』に感じている不満や違和感を超えるべく書いたのが『浪漫的な行軍の記録』。

 小説とは多声的(という用語はつかっていなかったけど)なもの。

 ……などなど。しかし、その語り口は決して堅苦しいものではなく、ときおり冗談をまじえつつ、非常に楽しくも刺激的な2時間でした。とりあえず、以前から読もうと思っていたバフチンは、やはり読んでおかなくては、と強く思いました。
 あと、きわめて個人的な話なんですが、奥泉光とペアルック(えんじのタートルネック)のような服装だったのは奇遇というか何というか。

11月1日(金)
 蓮實重彦「知」的放蕩論序説』読了。
 ごめん。やっぱりむちゃくちゃおもしろいです。
 て、誰にあやまっているんだか。
 なんというか、ほかの批評家とは役者が違う、といった感じで、最初から最後までその巧みな語り口に幻惑されっぱなし。まあ、私はしょせん田舎者ですからね。

 絶対に読まないとは思うんだけど、森博嗣がこの本の読んだら何と言うかちょっと興味がある(特に第I部)。

 ところで、インタビュアーであるスガ秀実が、「匿名批評」の話題に関連して、「
2チャンネル」(原文ママ)にふれているのだが、ここは、ぜひ責任をもって文学板の「蓮實・金井系映画至上主義vs鎌田andうろちょろスガ」スレッドまで本人を案内して、書き込みをうながしていただきたい。

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