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 集団の統一行動と集団外のそれとを区別する要素が集団の本質ということになるが、両
者の違いは結局、規範の有無で識別されるであろう。観劇や流行や国際分業は原則として
任意に行なわれるのにたいして、軍隊の行進や野球のチームプレイは、規則や命令に従っ
て、いわば義務的になされる。規則や命令に違反すれば、何らかの形で制裁を受ける。そ
の制裁を前提として、規範に拘束力が与えられる。集団の統一行動は、そのような規範へ
の服従としてなされる点に、基本的な特色がある。
 人間は他の動物と違って理性が優れていて、行動の大多数が理性に照らしてなされるの
が特色である。より具体的にいえば、人間は環境を知り、自己を知り、そして両者を適合
させる行動を選択して行動する。その際、行動以前に自分のなすべき行動が想定されるの
であるが、集団的行動をするときには、同様の過程において集団全体の行動が想定され、
自分の行動はその一部分として位置づけられる。
 そこで何らかの方法を用いて、その想定を各成員が共通にし、各成員の行動をそれに従
わしめるならば、そこに統一行動の可能性が生まれてくる。規範は、各成員が共通の集団
的表象(想定)を作り、また各成員の行動をそれに従わしめるための手段として、集団の
統一に寄与する。
 社会学の方法論的個人主義の立場から考えると、社会に実在するのは諸個人だけで、個
人は生来自己本位であるから、人間の作る集団は本来は不統一のものと見なければならな
い。そして、不統一や矛盾の中から打開策として新しい理念が生み出されたり、対立する
両派の競争によって集団全体の業績が高められたりする実例を見ると、集団にとって完全
な統一が理想であるともいえない。
 このようなわけで、集団の統一について考える場合には、同時に不統一についても考え
ておく必要がある。不統一の主要な類型は、次のとおりである。
 1)解体的不統一・・・これは、成員の行動が異質化して、しかもそれに相互補足的調
和が欠如している状態、すなわち各成員の行動がバラバラになされている状態である。こ
のような状態がさらに進むと、集団は解体し、たんなる多数人に還元される。アノミーと
いう言葉は、今日では別の意味に使われることが多いが、デュルケームが定義した本来の
意味は、分業に必要な有機的連帯が伴わず、分化し特殊化した活動が無統制になされてい
る状態のことである(3A,p.1-3,p.355)。したがって集団がアノミー状態にあるとき、
それを解体的不統一と定義することもできる。



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