読書の記録(2004年 2月)

「走るジイサン」 池永 陽  2004.02.02 (1999.01.10 集英社)

☆☆☆

 妻に先立たれ,一人息子が結婚して,息子夫婦との3人の生活が始まった,69歳の勝目作次。ある時から頭の上に猿が座っているのが見える様になった。禿掛かった頭頂部に赤い尻をすりつける様に行儀良く座っている猿。当然の様に自分以外の他人には見えないし,幻覚なのか,精神病の類いなのか,それとも老人性の痴呆の一種なのか。息子の真次にも,真次の嫁の京子さんにも相談できず,近所の老人仲間に,それとなく話してみた。

 私も毎年出場している青梅マラソンに,10kmの部があって,年齢別に分けられています。昨年の70歳代の優勝者のタイムは42分31秒なんです。70歳以上の老人が10kmを42分で走っちゃうんですよ!。私だって10kmを50分切れないのに。とんでもないジイサンですよね。さてこの作品はそんな走るジイサンが出てくる訳ではありませんで,頭の上に猿が座っているジイサンです。とは言うものの,この猿が何なのかを考える事はあまり意味がありません。当たり前の事ですが,誰だって年を取ります。今まで普通に出来た事ができなくなってしまう,今までは主人公だった自分の家にも居場所が無くなってしまう。でもそんな色々な事に折り合いをつけて生きて行かなくてはなりません。怒りもあるし,プライドもあるし,性欲だってある。この頭の上に座った猿と言うのは,作次にとっての生への執着の象徴なんでしょう。ちょっとやるせない話ですね。

 

「しゃべくり探偵の四季」 黒崎 緑  2004.02.03 (1995.02.28 東京創元社)

☆☆☆

@ 「騒々しい幽霊」 ... 亡くなった祖母の家に住む事になった和戸君の妹夫妻。だがこの古い家には幽霊が出ると言う。
A 「奇妙なロック歌手」 ... 友人の家に泥棒が入り,高価なギターが盗まれたものの,ギターは近くに捨てられてあった。
B 「海の誘い」 ... 友達の代わりに沖縄にダイビングに行った男は,美人のインストラクターに一目惚れ。
C 「高原の輝き」 ... 友人の代わりに高原にテニス合宿に行った男は,犬を連れて散歩するお嬢様に一目惚れ。
D 「注文の多い理髪店」 ... 床屋に行くと言って出掛けたヤクザが死体に。近くの床屋に立ち寄った形跡は無かった。
E 「戸惑う婚約者」 ... 学園祭の占いにやってきた女性は,新興宗教に入った兄の結婚話に関して不審を訴えた。
F 「怪しいアルバイト」 ... トイレに入ったはずの女性が消えた。彼女を尾行していた男が居酒屋でその話をしていた。

 副題が「ボケ・ホームズとツッコミ・ワトソンの新冒険」となっています。これで判る様に,ツッコミとボケ,ホームズとワトソンと言う要素が一つになっているんですね。名前で判る通り,ボケのホームズ役は保住純一,ツッコミのワトソン役が和戸晋平と言う二人の学生が主人公です。和戸君や他の人物の話を聞いた保住君が推理をする,いわゆるアームチェアー.ディテクティブです。こんな事書くと笑われてしまいそうなんですが,前から疑問に思っていた事があります。アームチェアーって肘掛け椅子の事ですよね。でそれが何で安楽椅子探偵となってしまうんでしょうか。まあそれはさておき,関西弁による会話が多いのですが,漫才の様にやたらとダジャレなどのギャグに溢れています。黒川博行さんの作品での関西弁による会話は軽妙な感じがするのですが,ちょっとこちらはやり過ぎで鬱陶しい気がします。結末は保住君の推測で終わっていますが,本当にそれは真実だったのか判らないのがもどかしい。でも事件も舞台も多彩なので飽きさせません。ちなみに「新冒険」とある様に,前作があったんですね。

 

「屍蝋の街」 我孫子 武丸  2004.02.04 (1999.09.05 双葉社)

☆☆

 一緒に暮らすシンバと街を歩いていた刑事の溝口は,スタンガン等で武装した少年グループにいきなり襲われた。ネット上に展開された仮想都市「ピット」の中で,彼ら二人に賞金が掛けられたらしい。この罠を仕掛けたのは,かつて溝口が捕まえた男だった。彼ら二人に協力した者にも賞金が掛けられると言う。勤務先の赤羽署に戻ろうとしたが,そこも既に暴徒に包囲されており,溝口とシンバは逃亡を余儀無くされた。

 「鉄腕アトム」を見て育った私にとって,SFで描かれる未来と言うものは,明るく素晴らしいものでなくてはいけないんです。それに対して,この作品がSFか否かは別として,ここに描かれる2025年と言う近未来の街はいかにも暗い。貧富の差が広がり,下層の町は荒れ果て,そこに暮らす少年達も荒みきっている。さらに仮想都市「ピット」と言う,ネットジャンキーによる無法地帯がかぶってくる。この作品は,「腐食の街」の続編なのですが,殺人鬼の記憶を頭の中に抱えてしまった溝口と,元男娼の少年シンバの逃亡劇になっています。ネットを使って攻撃してくる相手に対して,同じくネットで対決するわけですが,このネットやバーチャル.リアリティ等に関する部分があまりにも幼稚。20年後のネットの世界とは思えません。溝口とシンバの関係や,同僚のフィリピーナもいいし,逃亡劇自体は迫力あるんで,その点が残念です。

 

「ひらひら」 池永 陽  2004.02.05 (2001.11.30 集英社)

 22歳の常巳は下っ端のヤクザ。喧嘩は弱いし,お人よしだし,要領は悪いし,全くヤクザに向いていないチンピラだった。回りの人達やさらに組長までからも,ヤクザをやめろと言われる始末。ヒラメに良く似た年上の順子と同棲していて,そろそろ自分の将来を真剣に考えないといけない時期。そんな中「腕切り万治」と呼ばれる,伝説の博徒が出所してくると聞いた。

 吉田拓郎の唄に「ひらひら」と言う曲があります。歌詞はほとんど覚えていませんが,「見出し人間」と言う言葉を使って,何の信念も無く,物事を表面づらだけでしか捉えられない大人達を皮肉った内容だったと思います。それと意味は違いますが,ここに出てくる常巳と言う主人公は,何となくヤクザになって,その世界でも大した志も無く生きている人物です。「コンビニ.ララバイ」を読んだ時は,ヤクザを美化して書くことに違和感を持ちました。でもここでは美化している訳でもなく,常巳と言う,流された様な人生を送る,軽薄な男を何となく描いているようで,ハッキリ言って何が書きたいのか判りません。ストーリーは抑揚が無いし,人物描写も薄っぺら。

 

「三たびの銃声」 有沢 創司  2004.02.07 (2001.06.30 新潮社)

 NGOの一員としてカンボジアに渡った和見浩次には,結婚の約束をした恋人の彩子がいた。アンコールワットの調査をしている彩子は,和見の24歳の誕生日にはカンボジアにやってくるはずだった。しかし彼女はやって来なかったばかりか,連絡すらつかなくなってしまった。そんな中,和見らが活動を続けていた村がポル.ポト派に支配され,和見らはボト派の兵士に捕まってしまった。

 今はイラクの話題ばかり取り上げられていますが,その前はアフガニスタンであり,このカンボジアだったんですよね。最近あまり話題に上らないからと言って,これらの国々の問題が解決した訳ではありません。いまだにクメール.ルージュの残党は存在するんでしょうし,地雷はそこらじゅうに埋まっているんでしょう。そんなカンボジアで活動を繰り広げるNGO職員を主人公にしたこの物語は,それなりにサスペンスある展開です。しかしここに登場してくる主人公達の,男女関係のリアリティの無さは一体何なんでしょうか。約束の地で彼女を待ち焦がれる和見の気持ちは判ります。しかしその後は...この作者,女性と付き合った事とか,彼女に振られた事無いんじゃないの,と思ってしまいました。

 

「白銀を踏み荒らせ」 雫井 脩介  2004.02.09 (2002.04.10 幻冬舎)

☆☆☆☆

 日本女子柔道チームのコーチを辞任した望月篠子は,ヨーロッパを旅行中に日本アルペンチームの五十嵐から声を掛けられた。日本アルペンスキー界の有望選手である石野マークの,メンタルコーチを頼まれた。同じく有望選手であった兄のケビンを,昨年レース中の転倒事故で失った事からスランプに陥っていると言う。受諾した篠子だったが,日本チームに同行していた科学者から謎の依頼を受けた事から,様々な騒動に巻き込まれて行く。

 私もスキーをするのですが,スキーの滑降競技(ダウンヒル)なんて絶対に出られないでしょう。そりゃあスピードを抑えれば滑れるでしょうが,あのスピードでかっとんで行くのは想像できません。こんなのに出るくらいなら,まだバンジー.ジャンプの方を選びます。もっとも,ノルディックのジャンプなんて,もっと嫌ですけどね。さて「栄光一途」の望月篠子さんが登場するシリーズ第二弾で,今回も深紅先生が大活躍。前回は本職の柔道でしたが,今回はスキーのアルペン競技。メンタル.コーチってどんな競技でも共通なのでしょうか。前回の柔道は,柔道自体に詳しく無い事もあって,いまいちピンとこない部分もあったのですが,今回はスキーだったので細かな描写も上手く描かれているのが判ります。この作品では何と言っても,篠子と深紅そしてマークのキャラがいいのですが,相手となる「パル」と言う組織があまりにも巨大過ぎて,ちょっとアンバランスな感じを受けます。次は何の競技を描くのか,楽しみな作品です。

 

「陽気なギャングが地球を回す」 伊坂 幸太郎  2004.02.11 (2003.02.20 祥伝社) お勧め

☆☆☆☆☆

 人間嘘発見器の成瀬,演説好きな響野,天才スリの久遠,精密な体内時計を持つ雪子,の4人は銀行強盗グループ。綿密な計画と下調べによって,銀行から4千万の奪取に成功した。しかし車での逃走中に,別の車に追突されてしまう。しかもその車に乗っていたのは,現金輸送車を襲った別のグループで,成瀬らは彼らに銀行から奪ったばかりの金を奪われてしまった。

 悪党を主人公にした作品で大切な事は,彼らが行おうとする行為に賛同できるかと言う点です。そりゃあ銀行強盗は悪い事に決まっています。でもこれはあくまでも小説の上の事ですから,それを前提に彼らを応援できるかどうかだと思います。彼らの悪事に至るバックボーンや,彼ら自身のキャラクターに納得できるかどうかなんでしょうね。その点で最も上手くできているのは,真保裕一さんの「奪取」でしょうか。さてこの作品では主人公4人の設定が面白いし,彼らの会話がとにかく楽しい。銀行強盗そのものではなくて,せっかく奪った金を奪って行った相手とのやりとりを,話の中心にしているのもいい。巧みなプロットに裏打ちされた軽妙なコン.ゲームで,一気に読めてしまいます。巧妙に仕組まれた伏線,次第に浮かび上がる意外な真実,そして二転三転する見事なエンディング。文章は洒落ているし,テンポもいいし,文句無しのお勧め作品です。「ラッシュライフ」でも感じましたが,前半に提示される様々な事が,最後にドンドンまとまって行くさまは見事です。各章の冒頭に記された言葉の説明もセンスに溢れていて楽しめました。

 

「らんぼう」 大沢 在昌  2004.02.12 (1998.09.20 新潮社)

☆☆☆☆

@ 「ちきこん」 ... 同じ犯人に何度も強盗に入られたコンビニ。店の駐車場には暴走族が集まっていた。
A 「ぴーひゃらら」 ... イケの知り合いの駐在さんが亡くなった為,二人でイケの生まれ故郷に向かった。
B 「がんがらがん」 ... こそ泥を捕まえに行ったアパートで,毒ガスを作っている若者と,一人の男の死体を見つけた。
C 「ほろほろり」 ... 町に似合わないシティーホテルでのお見合い。そこには多くのヤクザが集まってきていた。
D 「ころころり」 ... 近隣の警察署からの依頼で内偵に入ったカジノバー。ウラはそこで昔の友人と再会した。
E 「おっとっと」 ... イケが交通事故で骨折し入院。同じ病室に轢き逃げに遭った少年が入院していた。
F 「しとしとり」 ... ヤクザの経営するローン会社に入った一人の強盗。外人が犯人と思われていたのだが。
G 「てんてんてん」 ... どう見てもヤクザからヤキを入れられたとしか思えない怪我をした男が病院にやってきた。
H 「あちこちら」 ... 寸借詐欺を繰り返す老婆が拾った免許証。彼女はこれを使って金を借りようと試みた。
I 「ばらばらり」 ... 近所にできた小料理屋。店内には目つきの悪い一人の男。外には何故かヤクザがたむろ。

 身長185cmで柔道部出身の「ウラ」こと大浦,小柄ながら空手の有段者の「イケ」こと赤池。二人は一緒にコンビを組む刑事。とにかく気が短く喧嘩っ早い二人は,検挙率はダントツなものの,容疑者の受傷率もダントツで,最も凶暴なコンビと呼ばれている。とんでもない刑事を描いた作品はいくつもありますが,この二人はとにかく痛快。メチャクチャ喧嘩は強いし,とにかく暴れまくり暴走しまくります。実際にこんな刑事がいるとは思えないのですが,非現実感を感じさせず爽快さまで感じさせるのは,彼らの行動の中に垣間見える,優しさや正義感のせいなんでしょう。そしてそれらを決して前面に出さないのがいいですね。でも,どの話もヤクザ絡みでワンパターンな気がします。大沢さんの作品を読むのは初めてでした。バイオレンス色ばかりが強いイメージがあったのですが,他の作品も読んでみたくなりました。

 

「死人にグチなし」 黒崎 緑  2004.02.13 (1992.05.25 東京創元社)

☆☆

@ 「怒髪,天を突けず」 ... 偽物の養毛剤を売っていた社長が殺された。何故か死体の髪の毛は短く刈られていた。
A 「覆水,瓶に返らず」 ... 取材に行った神戸の料理屋。何者かに店内がメチャクチャに荒らされる被害が起こっていた。
B 「溺れるものは久しからず」 ... スポーツジムのプールに飛び込んだ女性。彼女はプールから浮かんでこなかった。
C 「天は毒物を与えず」 ... デパートの実演販売で飲んだジュースに毒が混入されていて,飲んだ主婦が亡くなった。

 雑誌の編集ライターをしている熊谷万里子と,駆け出しコピーライターの清水ミヤは,二人で「オフィスM&M」と言う事務所を開いている。東京出身の万里子と大阪出身のミヤは性格も体格も全く違う二人。ちょっと小太りでのんびりした性格のミヤがホームズ役なんですが,どうも彼女のペースにはイライラしてしまいます。「しゃべくり探偵の四季」の,二人の関係の方はいい感じだったんですけど,こちらはどうもなあ。東京と大阪の違いを出そうとしたのでしょうか。それはそうと,4作のうち3作が殺人事件なのですが,二人の感じからして,殺人事件は合わない気がしました。「覆水,瓶に返らず」の様な題材の方がしっくりくる感じがしました。

 

「怪人大鴉博士−新宿少年探偵団」 太田 忠司  2004.02.16 (1995.12.05 講談社)

☆☆

 大学生の息子を誘拐した犯人から,会社社長の父親への要求は宝石だった。警護の警察官に見守られて,宝石を持って新宿に現れた父親は,多数のカラスに襲われ宝石を奪われてしまった。そして大鴉博士と名乗る犯人から,次の犯行予告が出された。一方,壮助,謙太郎,響子,美香の4人は,新たな怪人の出現を知った蘇芳から呼び出しを受けた。

 新宿少年探偵団シリーズの2作目です。前回は機械獣を操る髑髏王で,今回はカラスを操る大鴉博士。独自の科学力を持つマッド.サイエンティストとの闘いを描いている訳ですが,何か単なる殺人者でしかなかった髑髏王に較べると,今回の大鴉博士は「怪人」らしくっていい。最後の場面なんて,少年達も言っている様に,「これぞ怪人!」ですよね。乱歩の少年探偵団と比較する事は私にはできませんが,今回新たな一面が出されてきます。明智小五郎や小林少年は絶対的な正義で,怪人二十面相は悪でした。でもこの少年達は何が正義で何が悪なのかに疑問をいだき始めています。蘇芳も芦屋能満も,敵対関係にあるだけで,どちらが正義とか悪とか言えないのではないかと。この先の作品でどの様な展開になるのか判りませんが,こう言ったテーマを深めていくのだとしたら,このシリーズに明知小五郎に対応する人物を置かなかった事が納得できます。

 

「眠れない花嫁」 新津 きよみ  2004.02.17 (1993.12.25 学習研究社)

☆☆

@ 「浅い夢の記憶」 ... 人を殺してしまいそうで怖い,と訴える女性が訪れた。隣には行方不明の友人を探して欲しいと言う依頼。
A 「眠れない花嫁」 ... 毎晩の様に悪夢にうなされて,眠るのが怖いと訴える,結婚を目前に控えた女性が訪れた。

 サイコセラピストをしている三上量子が,新宿に自分の事務所を開業する事になった。その隣に開業した私立探偵事務所の所長は,元刑事で元夫の四方晴彦だった。と言うところから始まるこの2作は,量子を主人公とするシリーズものだったんですね。まあ別れた夫婦が同じビルで開業すると言う偶然は,二人の共通の知人の紹介だったので判ります。でもそれ以外の部分は偶然が多過ぎ。それに人の見た夢を自分の夢として体験できると言う能力に関しては,その使われ方が中途半端。せっかく,この特殊な能力を持った量子を主人公にしているのですから,そちらを中心にした方がいい様な気がします。意外過ぎる謎を追うのも,別れた夫との奇妙な関係を描くのもいいのですが,どれか一つに絞れなかったんでしょうか。

 

「指を切る女」 池永 陽  2004.02.18 (2003.12.10 講談社)

☆☆

@ 「骨のにおい」 ... 親の代からのお好み焼き屋を守る節子。夫は油臭い女は嫌だと言って家を出て行った。
A 「真夜中の紙芝居」 ... 劇団の練習の帰り道。近所の公園で直子は隣に住む中学生の女の子に話し掛けられた。
B 「悲しい食卓」 ... お見合いで銀行員と結婚した美佳。夫は子供の頃に食べた,母親が作ったお好み焼きが食べたいと言う。
C 「指を切る女」 ... 唯子の店に集まった3人の同級生。店の前にある駅舎が,新しく立て替えられる事になったらしい。

 ここには4人の女性が出てきますが,彼女らの誰一人にも納得ができませんでした。様々な事情があるにせよ,ただ流されていく彼女らの何が描きたかったんでしょう。流されると言う事が強いとか弱いとかではなく,自分も自分の周りも不幸にしていくだけ。「情念」なんて言葉で片付ける話ではない。そりゃあ確かに文章の上だけでは彼女らの行動は理解できます。逆に言うとこう言った話をスンナリ読ませる文章力が凄いのかも知れません。唯一の中編で表題作の「指を切る女」は物語としても面白いし,桜の花を上手く使って映像的な美しさを出していますが,何と言っても気持ち悪く,ひたすら暗い。あまりこう言った作品は読まないので,見当違いの感想になってしまったかも知れません。

 

「新宿鮫」 大沢 在昌  2004.02.21 (1990.09.25 光文社)

☆☆☆☆

 新宿署防犯課の鮫島刑事は,過去に公安内部の暗闘に巻き込まれた事から,警察にとって厄介な存在となってしまった。彼が現在追っているのは,拳銃密造犯の木津と言う男。木津は一旦は鮫島により捕まえられたものの,服役を終え今も拳銃の密造を続けていた。そんな中,新宿署の管内では,警察官に対する連続殺害事件が起こっていた。

 大沢さんのこの有名なシリーズ作は知ってはいたものの,読むのは今回が初めてです。かつては警察のエリートだった鮫島は,今では「新宿鮫」とあだ名が付けられた「はぐれ刑事」。この様な規格外の刑事を主人公にした作品は多いのですが,その存在にリアリティを持たせるのはなかなか難しいようです。ここでは公安内部の対立から自殺した同僚の手紙,それは警察組織を根底から覆しかねない内容らしいのですが,その手紙を鮫島が持っている事によって,この主人公の存在を作っています。シリーズ1作目なのでこういった事情が淡々と描かれますが,もう少し詳しくてもいい様な気がします。さて物語の方は署内における鮫島の微妙な立場を背景に,木津との対決,警察官殺し事件の成り行きと,スピード感溢れる展開で,グングン引っ張って行きます。鮫島の恋人でありロックシンガーの晶との軽妙な会話も,いいアクセントになっています。でも途中にはさまる刑事オタクの男の述懐は何だったんでしょう。事件の結末を大きく左右する存在でも無いし,あまり意味の無い様な感じがしました。でも2作目以降を読むのが楽しみな1冊です。

 

「さらわれたい女」 歌野 晶午  2004.02.22 (1992.01.25 角川書店)

☆☆☆☆

 借金苦に喘ぐ便利屋の“俺”のもとを訪れた女は,「私を誘拐してください。」と言った。会社社長をしている夫の,自分への愛情を確かめたいと言う。小宮山佐緒里と名乗る女のペースに巻き込まれた俺は,彼女の夫の隆幸に脅迫電話を掛けた。身代金として要求した3千万円はもちろん奪う気は無かったが,俺はこの狂言誘拐に乗じて一計を案じた。そして全てがうまく終わったと思った時,身を隠していた佐緒里は絞殺死体となっていた。

 偽装誘拐とそれを利用した身代金の奪取は,本当にこんなに上手くいくのかな,と思える展開なのですが,一転して脅迫者が脅迫される立場に。黒田と言うこの便利屋がちょっとチャランポランな人物で,イマイチ感情移入できないのが難点です。でも彼が感じている恐怖感や焦燥感はよく伝わってくるので,その点が残念です。電話の様々な機能が使われているのですが,この作品が書かれた10年前と今では通信に関わる事情が変わってしまっているので,違和感を感じる部分もあります。まあそれはしょうがない事なんでしょう。それにしてもこの作者の作品は奇抜な物が多いですね。それだけに最後の結末がちょと安易な感じがしました。ちなみにこの作品は「カオス」と言う名で映画化されたそうです。

 

「走らなあかん,夜明けまで」 大沢 在昌  2004.02.23 (1993.12.03 講談社) お勧め

☆☆☆☆☆

 スナック菓子メーカーに勤める坂田勇吉は,出張のために新大阪の駅に降り立った。今まで箱根より西に行った事が無かった坂田にとって,大阪の街は初めてだった。ホテルへ向かう道すがら,明日の会議に使う会社の新製品の入ったアタッシェケースを奪われてしまった。右も左も判らない大阪の街で,途中で知り合った橋崎真弓とともに,アタッシェケースを取り戻すべく一夜の大追跡が始まった。

 まさしくジェット.コースターに乗っている様な気分の中,アッと言う間に大阪の一夜が過ぎて行き,一気に読み終えてしまいました。面白い,面白い。何が面白いかって,坂田の生真面目さですよねえ。命を懸けて追いかけるアタッシェケースの中身が,単なるスナック菓子の新製品だったとしても。ヤクザの抗争に巻き込まれ,必死になって相手の行方を調べ,殴られても蹴られても諦めないで,大阪の夜の街をひたすら駆けずり回る。アタッシェケースの奪還と言う目的は,人質となってしまった真弓の救出に変わっていきますが,こう言った流れも自然で,まさにノンストップ。このスピード感は爽快です。これは坂田のひたむきさに共感が持てるからなんでしょうが,考えてみればこの作品に登場する人物は,皆一生懸命なんですよね。その中身が違うと言うだけで。真弓,ケン,サンジと言った脇役の存在感も見事です。

 

「3LDK要塞 山崎家」 太田 忠司  2004.02.24 (1997.04.21 幻冬舎)

☆☆

 小学5年生の山崎滋の父親は,ごく普通のお父さん。休みの日は家でゴロゴロしていて,スーパーでの買い物中に家族の幸せを実感したり,休みの日は子供とキャッチボールをしたり,映画のビデオを見て泣いていたり。ある日,滋の住む町に突然戦車が現れた。そしてクミコ.エリス.ハスターと名乗る美女が率いる戦車隊は,滋の家に襲いかかってきた。

 学校帰りに話し掛けてきた女性が,世界征服を企む悪の秘密結社の総統で,平凡なはずの父親が,かつて彼らと戦っていた正義のヒーロー。まあ,馬鹿馬鹿しいとか,あり得ないとか思って読んでもしょうがないですね。子供の頃に見た子供向けテレビ番組って面白かったじゃないですか。心ときめかせて見たじゃないですか。鉄腕アトムだって,鉄人28号だって,ウルトラマンだって,サンダーバードだって。思えば正義と悪がいつも真剣に戦っていて,いつだって僕らも真剣に正義を応援していました。でも太田さんの人気シリーズ「新宿少年探偵団」もそうなんですが,本当はどちらが正義でどちらが悪って,一概に言えないところが微妙なところです。ここに出てくるAPEとCRABだって,それは猿蟹合戦をはじめとする様々な童話と同じく,どちらも正義であり悪なんでしょうね。例えは違うかもしれませんが,冷戦時代のアメリカとソ連,55年体制の自民党と社会党。アッ,そんな事を考えながら読んじゃいけませんね。敵陣の中にある案内図を見ながら進む父と,それに異議を唱える息子。これでいいんですね。

 

「烏女」 海月 ルイ  2004.02.26 (2003.12.20 双葉社)

☆☆

 開店前の祇園の高級クラブで,ホステス相手に洋服を販売している倉木珠緒。ある日知り合いの美希から,夫が家に帰ってこないので探して欲しいと頼まれる。スーパーを経営している彼女の夫は,祇園の街を飲み歩く事が多く,祇園に顔の広い珠緒を見込んでの事だった。珠緒は知り合いを訪ねて聞き回るうちに,祇園に流れる不気味な都市伝説を知った。真っ黒な服をまとった烏女が出ると,必ず人が死ぬと言う。

 「烏女がでるとな,必ず人がしぬねんえ」。本作では京都弁が多様されていますが,同じ言葉でも方言で書かれると雰囲気が違ってきますね。祇園の高級クラブなんて私には全く縁の無い世界ですが,そこに暮らすホステスや客達の雰囲気は良く伝わってきます。それはいいのですが,この作品はミステリーとしてどんなモンでしょうか。確かに連続殺人事件が起こって,過去にあったある犯罪と繋がりがあって,意外な結末が明かされます。でも探偵役であるはずの珠緒が,その役どころに関してほとんど存在感が無いんです。離婚した元夫の亮から様々な情報が電話でもたらされ,いきなり現れた人物が事の顛末を語ってしまう。意外な犯人に関して伏線も無いし,最後の場面も緊張感に欠けているし,烏女を前面に出した意味も判りませんでした。事件全体の構図は面白いのに,もう少し描き方を工夫できないんでしょうか。

 

「摩天楼の悪夢−新宿少年探偵団」 太田 忠司  2004.02.26 (1996.09.05 講談社)

☆☆

 4人が大鴉博士と闘ったハイテク高層ビルが完成した。この新宿マイルストーンビルには謎が一杯。所有者が誰だか判らないし,ビルに入居するテナントもほとんど無い。そしてビルの最上階は個人の住宅になっていると言う。大鴉博士がアジトにしていた事からも,何らかの秘密がありそうだった。蘇芳に呼び出された4人は,このビルに隠された秘密を探るために,ビルの中に潜り込んだ。

 シリーズ3作目なんですが,今回はちょっと趣が違います。少年探偵団と怪人との対決と言う単純な図式ではなく,ある復讐劇がベースになり,それに探偵団が巻き込まれる形になっています。ストーリーとしては少しは深みがあるものの,後味は良くないですね。だいたいこのシリーズに凝ったストーリーや,犯人側への感情移入は不要なんじゃないでしょうか。やっぱ,とんでもない怪人が出現して,探偵団との息詰まる闘いに敗れて,「諸君,サラバじゃ!」と言って去って行って欲しいもんです。それはそうと謎がどんどん広がっていきます。壮介の祖父と彼の元に訪れた謎の男,美香と言うか麻里の真の能力,前作で誘拐された大学生,そして新宿署の刑事も少年探偵団の存在を知ります。話が広がりすぎて,この先の展開が破綻しないか,ちょっと不安です。

 

「涙はふくな,凍るまで」 大沢 在昌  2004.02.27 (1997.05.01 朝日新聞社)

☆☆☆☆

 新人研修の付き添いで北海道に出張した,食品会社の宣伝課に勤務する坂田勇吉。観光のために立ち寄った小樽で,5人の男に追われる女性を助けようとして,逆にロシア人と思われる5人組に捕まってしまう。ロシア船の船倉に拉致された坂田は,クラープと名乗る謎の男に助けられる。そして命の恩人のクラープから,ある頼みごとをされる。それは稚内に行ってコーシカと言う人物に携帯電話を渡して欲しいと言うものだった。

 「走らなあかん,夜明けまで」の続編です。前回は大阪のヤクザの抗争に巻き込まれた坂田でしたが,今度の相手はロシアのマフィア。ロシアってやたらと遠い国と言う感じがするのですが,北海道ではそうではないんでしょうか。前半そのロシアと現地の密接な繋がりを紹介しつつ,物語は進んでいきます。ヒョンな事から稚内に行く事になった坂田。トラブルに巻き込まれ,普通だったら警察に駆け込むだろうに,様々な事情によって何とか自分の力で解決しようとします。それなりにスリリングな展開なんですが,前作と較べてやや一本調子に進むのが難か。また坂田が何となくトラブル慣れした感じなのも,緊迫感を下げてしまっている感じがしました。