読書の記録(2003年 8月)

「天霧家事件」 太田 忠司  2003.08.01 (1995.06.30 徳間書店)

☆☆☆

 夏休みに同級生たちと山に出掛ける俊介を,アキとともに見送った野上の元に女性の依頼人がやってきた。黒ずくめの服をまとったその女性は,一枚の古い写真を取り出した。そこに写っている二人の子供の一人は亡くなった主人だと言い,隣に並んでいるもう一人の子供を探して欲しいと言う。調べ始めると,依頼人が嘘をついている事が判り,それを問い質している最中に,依頼人は野上の目の前で毒死してしまった。

 このシリーズって中学生の狩野俊介君が主人公にしている割には,ドロドロとした人間関係が描かれる事が多いですね。この作品も,町の有力者である天霧家の内部で起こる,陰惨な争いがベースになっていて,ドロドロ感は特に強くなっています。そのせいなのか,今回は俊介君はほとんど登場しません。で,素朴な疑問なんですが,だったら何故このシリーズにしたんでしょう。霞田兄妹でも阿南でも良かったんじゃないでしょうか。まあ本来は助手である俊介君が居なくても,ちゃんと事件を解決できる野上英太郎を描きたかったんでしょうか。と言うことで今回の主役は野上探偵です。前作の「玄武塔事件」と同じ夏に起こった事件なんですが,出版は1年後なんですね。俊介君の中学生時代は長い様です。いつもは俊介君が中心にいるので,高森警部をはじめとする脇役達の軽さも気にならないんですが,悩める探偵との関係がちょっとバランスが悪い気もします。番外編っぽい色彩が強いんですが,トリックも上手く使われており,登場人物の嫌らしさもきちんと描かれていて,シリーズの他の作品より読み応えがありました。

 

「バーにかかってきた電話」 東 直己  2003.08.02 (1993.03.01 早川書房) お勧め

☆☆☆☆☆

 いつものようにケラーで酒を飲んでいると,コンドウキョウコと名乗る女性から電話が掛かってきた。お金は振り込んだから仕事を頼みたいと言う。サッポロ音興のミナミ社長に会って,「昨年の8月21日の晩にカリタはどこに居たのか」と聞いて,その時のミナミの反応を教えて欲しいと言う依頼だった。翌日,ミナミ社長に会った帰り道,何者かに地下鉄のホームから突き落とされてしまった。無性に腹の立った“俺”は,コンドウキョウコとは誰なのか,彼女の依頼の裏には何があるのか探り始めた。

 「探偵はバーにいる」に続く,札幌の便利屋シリーズの2作目。タイトル通りにバーに掛かってきた変な電話に始まって,様々な謎に包まれる主人公。地上げに絡んだ放火殺人事件,被害者の父親の殺害,放火の犯人と思われる少年の謎の死。そしてこの放火殺人事件の被害者が,近藤京子であった事。それらがテンポ良く描かれていきます。それとともに,高田,松尾,相田らいつものメンバーとのやり取りが活き活きとしています。本当に彼らの描写がいいですね。それに較べて女性の描き方がちょっと弱いのが難点かも。三つの事件の真相が徐々に浮かび上がっていくのですが,相変わらずコンドウキョウコからの謎の依頼は続きます。つまり彼女の本当の正体が最後の最後まで謎として残ります。ラストはかなり陰惨な結末となってしまいますが,コンドウキョウコの正体は意外でした。終わりの方でチンピラに絡まれる女性の国語教師が出てきますが,これがあの彼女なんですね。それにしてもコンドウキョウコも“俺”に助けられたと言っていましたが,前作にそんな場面があったのかは覚えていません。でもとにかく一気に読めるストレートな作品ですね。

 

「心の中の冷たい何か」 若竹 七海  2003.08.03 (1991.10.25 東京創元社)

☆☆☆☆

 失業してブラリと箱根に一人で旅行に出掛けた若竹七海は,一之瀬妙子と言う女性と知り合った。自分とは全く違うタイプの妙子から,その後電話を貰った。クリスマス.イブの日に会う約束をしたが,彼女は自殺未遂で植物人間になってしまった事を知った。そして七海の元に妙子から送られてきた手記。電話で妙子が言っていた「観察者,支配者,実行者」と言う不可解な言葉が気になった。絶対に自殺をするようなタイプではない,妙子の周囲を七海は調べ始めた。

 若竹さんはデビュー作の「ぼくのミステリな日常」で,若竹七海と言う雑誌編集者を登場させましたが,今回出てくる若竹七海とは別の人物なんでしょうか。彼女の作品は変わった構成のものが多い様に思えますが,今回もかなり変わっています。一部と二部に分かれているんですが,何と言っても一部のラストにはぶったまげました。丁度半分くらいのところなのですが,それまで読んでいて頭の中に築きあげた物語の構図が一挙に吹き飛んでしまうような,最後の数ページ。「手記」が登場する作品だから絶対そこに何かあるはずと思って読んでいたのですが,そんな私の予想なんて軽くぶっ飛び。妙子から送られてきた手記の内容はかなり異様です。子供の頃の体験,毒殺を繰り返す男,そしてそれを止めようとする女性。若竹さんて悪意の描き方が上手いですよね。何書いてもネタバレになりそうなんで,これ以上は書けません。が,若竹探偵が活躍する二部の方は,一部の驚きが凄過ぎたせいか,ちょっと淡々と感じられてしまいました。

 

「父からの手紙」 小杉 健治  2003.08.04 (2003.07.25 日本放送出版協会)

☆☆

 10年前に突然家を出て行ってしまった父親からの手紙。それは麻美子と伸吾の姉弟の誕生日に毎年届けられていた。父がどこに住んでいるのか知らないが,父は時々姉弟の様子を見ている様子だった。両親の離婚の事もあって,結婚に全く夢を持てない麻美子だった。その頃,刑事を殺した事で服役していた圭一は,長年の刑期を終えて出所してきた。

 麻美子の姉弟と出所してきた圭一の話が交互に描かれます。前者では,行方不明になっている父からの手紙,父と一緒に上京してきた山部の苦悩,そして婚約者の殺害。後者では,殺人を犯すに至った義理の兄の自殺,兄の妻の謎,そして将来を誓い合った女性との別れ。何かいろんな事が同時に進行していて,ゴチャゴチャしてくるんですよね。それはいいとして,様々な登場人物の取る行動がイマイチ理解できないんです。それは家族を捨てた父,好きでもない相手と結婚しようとする麻美子,義理の兄の妻への圭一の気持ち,そして刑事を殺した本当の理由。当然最後には全てがつながり,疑問だったところは明らかにされます。何でこの真相が家族の絆になっちゃうんだ。登場人物の行動の不自然さばかりが目立ってしまいました。

 

「降魔弓事件」 太田 忠司  2003.08.05 (1996.04.30 徳間書店)

☆☆☆

 名門高校の理事長の母親からの依頼は変わったものだった。跡継ぎとなる孫に,先祖を敬う気持ちがあるかどうかを調べて欲しいと言う物だった。もし先祖をないがしろにするようだったら,学院から追い出して養子をとると言う。町の名家である森名家には先祖代々伝わる言い伝えがあった。遠い祖先が降魔弓と言う巨大な弓で,主君の危機を救ったと言うもので,その弓は近くの寺に保管されていた。さっそく野上と俊介とジャンヌは,森名家に向かった。

 何か名家が多いなあ,この町は。さて10キロ離れた寺に保管されている弓から放たれた矢が,部屋の中の人間を殺す。これに一体どんな解決が用意されているのか,他人事ながらちょっと心配になったのですが,なかなか綺麗な結末になっています。最初に出てくる森名家のスエが面白いキャラだったんですが,後半はおとなしくなりすぎましたね。あとがきにもありましたが,本作は刑事の池田や武井,紅梅の店長と言った脇役にスポットが当たりますが,もうちょっと登場機会が多くてもいい様な気がします。このシリーズは野上の視点で語られるので,主人公である俊介くんが単独で行動する場面は少ないんです。でもエピソードとして入れられた顔に痣を作って学校から帰ってきた事件は,この次の作品である「狩野俊介の肖像」「金糸雀は,もう鳴かない」で紹介されます。

 

「コンビニ.ララバイ」 池永 陽  2003.08.06 (2002.06.30 集英社)

☆☆☆☆

@ 「カンを蹴る」 ... 駐車場にポツンと置かれたコーラの空き缶。息子の喧太としたカン蹴りが思い出された。
A 「向こう側」 ... ヤクザをやめて治子と付き合おうとする八坂だったが,なかなか思うようには行かなかった。
B 「パントマイム」 ... 店の前のベンチに座る二人の老婆。交通事故で亡くなった老人の本妻と愛人だと言う。
C 「パンの記憶」 ... 近くに住んでいる役者の卵は無口だった。期待していたのに,今回もいい役は貰えなかった。
D 「あわせ鏡」 ... 借金苦から逃げていた女性が久し振りに帰ってきた。コンビニにお金を返そうと思っていたのだが。
E 「オヤジ狩りの夜」 ... コンビニで万引きを繰り返す少女。いつもは見て見ぬ振りをしていた店長だったが。
F 「ベンチに降りた奇跡」 ... 店の前のベンチに座って話をする老いた男女。二人は夫婦には見えなかった。

 私が子供の頃にはコンビニは勿論の事,スーパーなんてものもありませんでした。肉屋,魚屋,八百屋,米屋,薬屋,雑貨屋,いろんな店を回らないといけないので,毎日の買い物とかは大変だったでしょうね。コンビニって本当に便利だと思います。現代の生活環境を考えた場合,コンビニの無い社会は想像できません。しかし味気無い存在なのも事実です。利便性を追求すればするほど,無味乾燥なものになるのはしょうがないでしょうね。でもここに登場するのは大手チェーン店のコンビニではなく,堀幹郎が経営するミユキマートと言う個人経営のコンビニです。ですから少しは無味乾燥な雰囲気を和らげ,店員や客との間にドラマが生まれる下地を自然に作っているんでしょう。妻と子供を失ってやる気の出ない店長。店員の治子や,店を訪れる様々な客が繰り広げる人情ドラマ。どれもいい話だなあと思う反面,作者の意図が透けて見えてしまう感じがちょっと気になります。少なくともヤクザを美化した描写は,こういった話の中では不自然だと思います。でもこう言う話は好きだなあ。

 

「雨の匂い」 樋口 有介  2003.08.09 (2003.07.15 中央公論社)

 癌で余命いくばくも無い父親を病院に見舞った柊一は,父と離婚した母と久し振りに会った。再婚した母は経済的に困っているようだった。家に帰ると寝たきりの祖父の世話をしなくてはいけない。そんな時,近所のおばさんが,黒板塀の塗装の話を持ち込んできた。塗装工をしていた祖父の手伝いをした事はあるが,この仕事はちょっと手に負えない様な気がした。

 樋口さんの新作で期待していたんですが,作者がこの作品で何を言おうとしているのか全く理解できませんでした。最初の方こそ,健気に祖父や父の面倒を見て,祖父の協力で塗装に取り組む柊一に共感を持ったのですが,何で後半になってあの様な方向に行ってしまうんでしょうか。ちょっとぶっ飛んだ寛治や,いかにも可愛い高校生らしい彩夏はいいと思うんですが,李沙や志万など何を考えているのか判りませんでした。また樋口さんの作品には植物の話が良く出てくるんですが,そちらの知識が無いせいか,やたらとくどく感じられました。

 

「誘拐ラプソディ」 荻原 浩  2003.08.11 (2001.10.25 双葉社)

☆☆☆☆

 多額の借金を抱え,働いている工務店の社長と喧嘩して飛び出してきてしまった伊達秀吉は,自殺をしようと丘の上にやってきた。そんな時に秀吉の車に乗り込んできた篠宮伝助を見て,誘拐を思いついた。少年の家は金持ちらしいし,伝助は家に帰りたく無いと言うし,全てが好都合に思われた。しかし,身代金要求の電話を掛けた伝助の家は,埼玉県南部で大きな勢力を持つ,ヤクザの八岐組組長の家だった。

 思いつきで誘拐した子供の父親がヤクザの組長で,子供の同級生の父親が埼玉県警の刑事で,さらに伝助の誘拐を計画していた香港マフィアが絡んでくるドタバタ誘拐劇。誘拐をコメディタッチに描いた作品では天童真さんの「大誘拐」が秀逸でしたが,意表を突いた誘拐と言う点ではこちらもナカナカのモンでした。ちなみに誘拐をテーマにした作品では,黒川博行さんの「大博打」が好きです。この作品は伝助がちょっとパープリンで,秀吉を追いかけるヤクザ達もどこか間が抜けていて,緊迫感にはやや欠けるものの,息をつかせぬテンポのいい展開です。そして秀吉と伝助の交流が暖かくって,最後にはホロリとさせられます。だから,ヤクザや警察やマフィアがそんなに甘い訳無いだろうなどと言わずに,単純に物語を楽しみましょう。充分に楽しめる作品です。

 

「成田空港空白の殺人ダイヤ」 本岡 類  2003.08.12 (1990.07.31 立風書房)

☆☆☆

 成田空港の近くで農業を営む宍倉長太郎が何者かに撲殺された。家族は妻と長男だったが,長太郎はろくに仕事もせず,先祖代々の土地を切り売りして,その金で遊んで暮らしていた。千葉県警の桜田と西丸は,相続する財産の目減りを恐れた長男の高文の犯行を疑ったが,彼には事件当時のアリバイが証明された。そんな中地元の新聞社に,関西に住む長太郎の弟の広人を現場付近で見かけた,と言うタレコミの電話が入った。

 時刻表を使ったアリバイ.トリックが成立するのは,当然の事ですが時刻表自体の信頼性が高い事が前提になります。鉄道にしろ何にしろ,日本の交通機関はかなり正確だと聞いていますが,本当なんでしょうか。いつも使うJR中央線は事故だの故障だので良く遅れるし,この前乗った飛行機は3時間以上も遅れたし。でも定刻通りに交通機関が運行されない様な国では,時刻表を使ったトリックなんて想像もできないでしょうね。ここでは千葉県の成田で起こった殺人事件の日,帰国して関西空港に居た事でアリバイの証明をした男が出てきますが,この方法はかなり意外でした。

 

「見張り塔からずっと」 重松 清  2003.08.14 (1995.01.25 角川書店)

☆☆☆☆

@ 「カラス」 ... 手に入れた新築マンションがバブルがはじけて大暴落。その後自分たちが買った値段よりずっと安く買った家族に,以前からの住人は複雑な気持ちだった。そしてそれは執拗な嫌がらせにエスカレートしていった。
A 「扉を開けて」 ... 1歳になる一人息子を突然の病気で失った夫婦。5年が経ち,マンションの隣に引っ越してきた子供は,死んだ息子と同じ名前で,同い年だった。その子を見るにつけ,夫婦の気持ちは揺れ動いた。
B 「陽だまりの猫」 ... 高校を卒業した直後に子供ができた事から結婚したみどりさん。マザコンの夫は買った家に母親を招待したのだが,当然の如くみどりさんとは上手くいかない。

 重苦しい話ですよね,特に「カラス」。私もマンションを買って5年近く経つんですが,幸いな事にバブル以降でしたので,大暴落と言った事は無いようです。それでも同じマンションの部屋が売りにだされていたりすると,気になってしまいます。ここでは自分達より安く買った住人に対する,陰湿なイジメが描かれていきます。気持ちは良く判りますし,理由はともかくとしてイジメと言うものは何処にでも存在するんでしょう。イジメと言うと学校の中の事だけしか報道されませんけれどね。そして一番やりきれないのは,次の標的が創られるであろう事を示唆している点でしょう。そしてイジメが良いか悪いかを考えるよりも,誰もが次の標的にならない事を考えてしまう事でしょうか。重松さんの作品にはイジメが良く登場してきます。ちょっと気になったのは,重松さんのイジメに対する考えが見えない点でしょうか。他の2作も同じ様に重い話です。

 

「ビフォア.ラン」 重松 清  2003.08.15 (1991.08.05 KKベストセラーズ)

☆☆☆

 高校3年生の優,洋介,誠一の3人は,平凡な高校生活の解消を目指して,トラウマ作りを思い立った。1年の時にノイローゼで退学した久保田まゆみが死んだ事にして,彼女のお墓を造った。しかし入院していたまゆみが帰ってきた。それも優の恋人だったと言う,間違った記憶を持って。クラブ活動も終わり,受験勉強に身をいれなくてはいけない時期。優の幼馴染の紀子を含めて,様々な出来事が起こっていく。

 私が通っていた高校は男子校だったんですが,絶対共学の方が良かったなあと今更ながら思います。別に女の子との付き合いが全く無かった訳ではないのですが,こう言う本を読むとやっぱり共学の方がいいなあと思ってしまいます。私の高校生の頃って,何か全てに焦っていた様な気がします。熱中できるものもなく,淡々と過ぎていく毎日に苛立ち,何かしなくてはいけないと言う焦りの気持ち。優たちがトラウマ作りを思い立った気持ちって,良く判ります。青春なんて本当に格好が悪く,いまから思うと恥ずかしい事ばかりですよね。私が高校生だった時の10年後くらいの広島が舞台になっているので,自分の高校時代と較べて違和感を感じる部分もあるんですが,当時の記憶がちょっと甦ってきました。

 

「ゼロの誘拐」 深谷 忠記  2003.08.19 (1990.11.15 徳間書店)

☆☆☆

 塾帰りに行方不明になっていた女子生徒が,死体で発見された。そしてその塾の経営者である木暮彰の自宅には,塾の経営体質を批判し,木暮の娘の誘拐をほのめかす電話が掛かってきた。そして数日後,木暮の娘の由香は何者かに連れ去られてしまった。木暮は警察への連絡をためらっていたが,事件をキャッチした警察は捜査を開始した。

 もし自分の子供が誘拐されたらどうします。「警察に知らせたら殺す。」と言うのは誘拐犯の常套句でしょうが,まず警察には知らせるでしょうね。だって自分じゃ何もできないでしょうし。でもこの事件の被害者である木暮は変わった動きをします。警察に知らせたくない様子だったし,さらに独自に犯人を捜すべく家を出て行ってしまいます。余程警察に知られたくない事情があるんでしょう。そしてさらに犯人らしいグループの行動が描かれ,その知り合いであり,木暮にも近しい遼一が,彼らの後を追っていきます。ここらへん登場人物達の行動の意味が判り辛いんです。でも最後まで読むと当然彼らの行動の意味が判ります。そういう事だったんですが,納得しました。でも遼一の行動はちょっとどうでしょうか。あと,冒頭で述べられる「ある実験」と言うのはあまり意味が無い様な気がします。

 

「水中眼鏡(ゴーグル)の女」 逢坂 剛  2003.08.19 (1987.02.25 文藝春秋社)

☆☆☆☆

@ 「水中眼鏡の女」 ... 精神科医を訪れた女性は,真っ黒な水中眼鏡をかけていた。ある朝起きたら目が明けられなくなったと言う。
A 「ペンテジレアの叫び」 ... 稼ぎの少ない夫を持った妻は,病気で寝たきりとなった大学教授の妻の世話をする事になった。
B 「悪魔の耳」 ... 殺人を犯しながら精神障害で無罪となり入院していた男が退院した。彼は刑事に復讐すると言っていた。

 精神障害にまつわる三つの話なんですが,どれもかなりトリッキーな話となっており,最後のどんでん返しに驚かされます。筆頭は表題作の「水中眼鏡の女」でしょうか。ある朝起きたら突然目を明ける事ができなくなり,ちょっとの光にも異常に反応してしまうと言う女性。精神科医を訪れたその女性と,彼女が夫の浮気を疑う,二つの場面が交互に描かれて行きます。彼女の障害の原因となったであろう夫の焼死事件,それが意外なかたちで鮮やかに明かされます。他の二つの作品も,精神障害を患った人物を中心に,複数の視点で展開していきます。かなり凝った結末ですよね。でも「悪魔の耳」はちょっと伏線無さ過ぎで,唖然としてしまいました。逢坂さんは最近この手の話を書いておりませんが,是非もっと書いて欲しいですね。

 

「クレイジー.クレーマー」 黒田 研二  2003.08.20 (2003.04.25 実業之日本社)

☆☆

 大型スーパーマーケットで電気製品売り場のマネージャーをしている袖山剛史は,二つの事に悩んでいた。一つはマンビーと言うあだ名の万引き犯。彼は店員の隙を付いて,いくつもの商品を万引きし,犯行声明を残していく。商品は徐々に大型化していき,ついにはデスクトップ.パソコンまで万引きされてしまった。もう一つは岬圭祐と言う名のクレーマー。この店で買った愛玩用のロボットが風邪を引いただの,電子レンジで暖めたら死んでしまっただのとクレームをつけてくる。そして彼のクレームはどんどんエスカレートしていった。

 クレームの質は最近大きく変わってきているそうです。以前だったら商品自体の操作や品質に関してのものだったんですが,企業が顧客満足度を重視する様になって,顧客の全人格を認める事が必要になってきているそうです。つまり顧客の求める満足の内容が,自分を正当に扱って欲しいとか,自分を認めて欲しいと言った欲求に変わってきているんだそうです。そしてそれが受け入れられないと,会社に対してと言うより,クレームを受けた個人への罵倒になってしまうと言う。これじゃあ企業のクレーム担当者はたまったもんじゃないですよね。ここではスーパーマーケットのマネージャーがこのクレーマーだけではなく,万引き犯にも悩まされます。精神的に追い詰められていくスーパーの店員の心理面を描いた作品だと思ったのですが,物語は途中から大きく動きます。そして驚きの結末。うーん,この結末は好き嫌いが分かれるところだと思いますが,はっきり言って私は嫌いです。読者を騙せばいいって言うもんじゃないと思うのですが。

 

「神様からひと言」 荻原 浩  2003.08.21 (2002.10.25 光文社)

☆☆☆

 勤務していた大手広告代理店で問題を起こして,中小食品会社に転職してきた佐倉涼平。初めて任されたカップラーメンの新商品のネーミングで,またも問題を起こし「お客様相談室」に左遷させられた。やる気の無い本間室長のもと,お客様から毎日々々クレーム電話を受ける毎日だった。ラッキョウのビンのふたが開かない,虫の死骸が入っていた,カップラーメンの味がおかしい。退社しようと思った涼平だったが,マンションの家賃が払えず,取り敢えず仕事に励まざるを得なかった。

 「クレイジー.クレーマー」のところでも書きましたが,こう言った苦情処理って言うのは大変でしょうね。「お客様の声は,神様のひと言」と言うのがこの会社の社訓なのですが,その割には冷遇されている部署で,リストラ要員の吹き溜まりとなっています。でも涼平は同僚の篠崎らとともに,タフに仕事に取り組みます。そして最後に会社に対して反撃するのですが,ちょっとその部分が性急過ぎて,痛快さが減じられている感じがしました。もっとじっくり描いた方が良かった様な気がします。でも溝口常務,本間室長,末松課長の様なキャラって,サラリーマンやってたら,思い浮かぶ人間いますよね。そして『サラリーマンは会社に人質をとられているようなものだ。』と言う言葉に代表されるように,ユーモアの中にサラリーマンの悲哀が込められています。またリンコとのサブストーリーは良かったですね。

 

「私が捜した少年」 二階堂 黎人  2003.08.22 (1996.04.25 双葉社)

☆☆

@ 「私が捜した少年」 ... 公園から突然消えてしまった弟を捜してと言う依頼。その公園の近くでは人間消失の謎が起こっていた。
A 「アリバイのア」 ... 殺人事件が起こった時,その容疑者にはアリバイがあった。1枚のレコードが鍵を握っていた。
B 「キリタンポ村から消えた男」 ... 追っている殺人犯が秋田県のある村に潜入しているはずだったが,誰も見ていないという。
C 「センチメンタル.ハートブレイク」 ... 信介がテレビ出演する事に。そのテレビ局のOLが殺されるという事件が発生。
D 「渋柿とマックスの山」 ... スキーに出掛けた信介たち。そのゲレンデで一人の女性が殺されていた。

 渋柿信介と言う私立探偵が,事務所兼自宅のベットで目を覚ます場面から物語は始まるんですが,目一杯ハードボイルド.タッチの描写にちょっと身構えてしまいました。でも2〜3ページ読んでいくと何か変。それもそのはず,この探偵はキンポウゲ幼稚園の年少組に通う5歳の男の子。おまけに父親のケン一は三多摩署の刑事で,母親のルル子は元アイドルタレントと言う家族。まるでクレヨンしんちゃんの様な信介が語る渋い言葉の数々と,ケン一とルル子のハチャメチャ夫婦の組み合わせが面白い。家で事件の詳細を話す父,推理小説マニアの母,そんな両親に対して,さりげなく事件解決のヒントを与える子供。ちょっと嫌味っぽく思えなくもないですが,3人の関係がなんだかいいですね。でも後半ちょっと飽きてしまいました。

 

「重力ピエロ」 伊坂 幸太郎  2003.08.26 (2003.04.20 新潮社)

☆☆☆

 遺伝子関連を扱う会社に勤務する兄の泉水,街中に描かれたグラフィティアートと言う名の落書きを消す仕事をしている弟の春。ある事情で二人の兄弟の父親は違っていたが,仲のいい兄弟だった。そんな二人が暮らす町で起こった連続放火事件。春は描かれた落書きの場所の法則性から,次の放火場所を予測する。そして癌で余命少ない父親を含めた3人で犯人の推理を始めた。

 『あんなに楽しそうなんだから落ちるわけないわ。ふわりふわりと飛ぶピエロに重力なんて関係ないんだから。』と二人の息子に語りかける母親。この母親が何で亡くなったのかは判らないのですが,二人の兄弟と父親と言う3人家族の物語。自分の生い立ちによって確固たる信念を持つ弟の春,そんな弟をずっと見続けてきた兄の泉水,そして死を目前にしながらも暖かい目で兄弟を見守る父親。この3人と母親の関係がいいですね。放火犯を追うミステリーの部分は,何となく犯人が判ってしまいます。それはいいのですが遺伝子に関する話がやたらと多過ぎで,それもあまり必然性も感じられません。そしてガンジーやバタイユの引用や,映画,音楽,スポーツや,さらにクロマニヨン人の芸術論など,理屈っぽさが鼻についてしまう感じがします。兄弟や親子の間の会話にしてはリアリティが無く,ちょっとどうでしょうか。もっとストレートに男3人の家族を描いた方が,スッキリ読めると思いました。

 

「マッチメイク」 不知火 京介  2003.08.27 (2003.08.07 講談社)

☆☆☆

 山田聡はプロレスラーを目指して新大阪プロレスに入ったが,今はまだ同期の本庄優士とデビューを待つ身。今日のメインイベントは会長であり看板レスラーでもあるダリウス佐々木と,タイガー.ガンジーの試合だった。試合の途中に佐々木はリング上で倒れ,担架で病院に運ばれ,そのまま亡くなってしまった。原因は傷口から入った蛇の毒。佐々木は金銭問題を抱えていた事から自殺も考えられたが,不自然な死に方を考えると他殺の疑いも消えなかった。

 第49回江戸川乱歩賞の受賞作は,ミステリーには珍しいプロレスの世界を舞台にした作品です。ボクシングの試合中に選手が毒殺されたと言うのは,岡嶋二人さんの「ダブルダウン」でしたっけ。ここではプロレスの試合中に,レスラーが毒殺されると言うものです。またこのレスラーがこの団体の会長であり,国会議員であり,さらに裏金に係わる疑惑を持たれていた事もあって,謎は複雑に広がります。それを新入りレスラーの目で追いかけて行きます。それとともにプロレスの世界に生きる男達の様々な姿が描かれます。私はプロレス全く見ないのですが,ケーフェイ,ジュースと言った隠語を始めとする,プロレス界の裏の話も紹介されます。まあプロレスが純粋なスポーツとは思いませんが,トレーニングの場面の描写なんかは迫力があります。格闘技のファンと言うと,ちょっとオタクっぽいイメージがあるのですが,彼らからみたらどんな感じなんでしょうか。私からは,同じくプロレスを題材にした桐野夏生さんの「ファイアボール.ブルース」何かよりはリアルに感じられました。

「龍時01−02」 野沢 尚  2003.08.29 (2002.04.15 文藝春秋社)

☆☆☆☆

 釜本が引退した日に生まれたと言う志野リュウジは,子供の頃からサッカー好きの父親にサッカーを教わっていた。中学,高校とサッカーを続けたリュウジはメキメキと上達し,国立競技場でのスペインU−17との試合に選出された。試合はリュウジの活躍もあって一旦は同点に追い付くものの,後半ロスタイムに失点して負け。リュウジはスペイン選手の凄さを実感するとともに,このまま日本に居ては駄目だと思いはじめた。

 スポーツ誌「Number」の増刊号に連載されていた作品だそうです。サッカーの話なので,サッカー知らない人が読んだらつまらないかも知れません。でも凄く良く知っている人が読んだら,もっとつまらないかも知れません。海外に単身留学した,サッカー少年のサクセス.ストーリーなのですが,展開はちょっとありきたり。だからこそ安心して読めるのかもしれません。日本に残してきた家族や恋人とのドラマの部分がもう少しあつい方が,小説としては充実するのでしょう。でもスポーツ誌に連載した為か,敢えてサッカーの部分が中心となって進みます。当然試合の描写も多くなるんですが,サッカーの試合って言葉で伝えるのは難しい気がします。野球だったらラジオの中継を聞いていてもそれなりに臨場感はありますが,サッカー中継をラジオで聞いても多分何がどうなっているのか判らないでしょう。でもそれにしては良く描けていると思いました。それにしてもスペインではサッカーに対する取り組み方が,日本なんかとは比べ物にならないくらい凄いんでしょうね。

「子どもの王様」 殊能 将之  2003.08.29 (2003.07.31 講談社)

☆☆☆

 カエデが丘団地に住むショウタは,同じ団地に住むクラスメイトのトモヤからいろんな話を聞かされる。団地の外は何も無い世界だとか,団地に住んでいる東と西の魔女の話だとか。そんな中でも「子どもの王様」の話は怖かった。子どもを無理やり連れて行って召使いにしてしまう王様。ある日ショウタは団地の中で不審な人物を目撃する。その人物はトモヤが話す「子どもの王様」そのままの風貌だった。

 挿絵がいっぱい入った,絵本風の子ども向けミステリーと言った感じです。字も大きく,しつこいくらいにルビがふられ,ちょっと読み難い。大人の目からみれば,物語の構図はすぐに判ってしまうと思うのですが,子どもの目を通して書かれているので,幻想的な雰囲気が漂ってきます。それにしても子どもって想像力が逞しいですよね。自分にもそんな頃があったんだなあ,とちょっと感慨にふけったりしてしまいました。でも一つ判らない部分があったのですが,ショウタが「子どもの王様」の本当の正体に気付く場面です。何であそこで判ったんでしょうか。