読書の記録(2005年 1月)

「蒼煌」 黒川 博行  2005.01.05 (2004.11.25 文藝春秋社)

☆☆☆

 日本芸術院での次期会員補充選挙で,日本画家の部に選ばれるのは2名。立候補を予定しているのは,東京と京都から2名ずつの4名だった。京都から立候補する日本画家の室生晃人と稲山健児は,年齢からして最後のチャンスとばかり,現会員らへの接待攻勢に打って出た。二人は京都の画壇や大手デパートの有力者を参謀にし,仲間の画家や家族を巻き込んで,名誉のために手段を選ばない派閥抗争を繰り広げた。

 たまに耳にする日本芸術院とは,「美術,文芸,音楽,演劇等芸術各分野の優れた芸術家を優遇顕彰するために設けられた国の栄誉機関」だそうです。詳しくは日本芸術院のホームページをご覧下さい。まあ人間が3人集まれば派閥ができるとは言いますが,この様な話はどこの世界でもあるんでしょう。芸術の世界でも,政治の世界でも,会社の中でも,友人の間でも。接待攻勢,数々の不正,乱れ飛ぶ怪文書,微妙な票読み,そして裏切りなど,ドロドロとした世界が描かれていきます。70歳を過ぎた画家が,現金や美術品のお土産を持って,80過ぎの画家の元へ挨拶まわりなんて滑稽ですね。そもそも国の機関のはずなのに,仲間内だけで会員を選ぶと言う体制に問題があるんでしょう。でも美術の世界に入った動機は純粋なのに,何時しか金や名誉や地位に縛られていかなくてはならなくなってしまう哀しさは伝わってきました。長編作品としては「国境」以来3年振りの新作ですが,黒川さんの作品にしてはストーリーがやや平板で,その為かいつものスピード感が感じられなかったのがちょっと残念でした。

 

「M8(エムエイト)」 高嶋 哲夫  2005.01.07 (2004.08.30 集英社)

☆☆☆☆

 11年前の高校3年の時に,阪神淡路大震災に遭遇した3人の男女。その後,瀬戸口は地震予知を目指す科学者,亜紀子は国会議員の秘書,そして松浦は防災を担当する自衛隊員となった。学会ではタブー視されている手法により,マグニチュード8の東京直下型大地震が間近に迫っている事を予知した瀬戸口だったが,大学では誰も相手にしてくれない。また無名の科学者にとって,この事を世間に発表する場も無かった。

 1995年に起こった阪神淡路大震災がM7.3,今年の新潟県中越地震がM6.8,そしてこの間のスマトラ沖地震がM9.0と言われています。まあ地震による被害は地震の規模よりも,起こった場所や時間と言った状況に大きく左右されるんでしょう。でももし東京でこんな大きな地震が起こったらと思うと,怖いですね。いつかは起こると言われているのに真剣に対応しているんだろうか,地震予知の現状はどうなっているんだろうか,起こった時に最善の行動が取れるんだろうか,そして予知できたとしても発表できるんだろうか。様々な問いかけがなされていて,思わず引き込まれてしまいます。地震が発生した時の様子や,その後の混乱がかなり迫力を持って描かれています。でもその反面,人間ドラマとしての面が薄い気がします。何かみんないい人ばかりで,本来は敵役となるべき植村でさえ,やたらと話の判る人だし,政治家の対応など現実的でない面も目立ちます。神戸の震災被害にあった3人を話の中心に持ってきたり,遠山や長谷川もいいのに,ちょっと活かしきれていない感じがしました。それにしても怖い話ですね。

 

「愚か者死すべし」 原 ォ  2005.01.12 (2004.11.20 早川書房)

☆☆☆☆

 渡辺探偵事務所の沢崎のもとに,伊吹啓子と名乗る女性が訪ねてきた。渡辺に会いたいと言うのだが,渡辺は7年前に亡くなっている。彼女が言うには,神奈川県内の銀行で起こった銃撃事件の犯人として,父の哲哉が新宿署に自首したらしい。だが父は犯人ではあり得ず,誰かの身代わりになっていると言う。彼女の父親は渡辺と古い知り合いで,何か困った事があったら渡辺に相談する様にと言っていたらしい。一緒に新宿署に向かった沢崎は,地下駐車場で移送途中の伊吹哲哉への襲撃事件に遭遇した。

 「待ちに待った」と言う表現がピッタリの,原ォさん9年振りの新作です。ジャズばっかりでもう新刊は出ないのかと思っていましたが,ちゃんと沢崎は帰ってきました。その沢崎が巻き込まれた事件は,警察署の駐車場で起こった,容疑者への銃撃事件。その背景にあるのは神奈川の銀行で起こった銃撃事件と,老資産家の誘拐事件。二つの事件が微妙に交錯しているので,主要な登場人物も多いし,最初はちょっと読み辛い。そもそもこの二つの事件の接点が,偶然に頼り過ぎる部分が多く,こう言うのはハードボイルド作品としてはどうでしょうか。でも複雑に絡み合ったストーリー,様々な形で提示される伏線,硬質な文体と気の利いたセリフ,そして何と言っても沢崎の雰囲気は読み応えがあります。特に最後の真相解明の部分は,驚きの連続でした。錦織と橋爪はそのまま出して欲しかったですね。特に「図に乗るなよ,探偵」のセリフは本人の口から聞きたかった。後書きによると,次回作はもっと早く出そうなんで楽しみです。それはそうと,今回もタイトルは7文字でしたね。

 

「禁断」 明野 照葉  2005.01.13 (2004.12.20 小学館)

☆☆

 依田邦彦は,友人の江藤航が亡くなったと言う知らせを受けた。自宅近くで何者かに殴り殺されたらしい。彼の無残な姿を見た邦彦は,何とか彼の死の真相を知りたいと思った。航が生前に結婚を口にしていた事から,相手の女性に会いたいと思い,わずかな手掛かりから彼女を探し出した。しかし彼女はいくつもの偽名を使い,仕事も住所も転々と替えている謎の女だった。

 この女性と付き合う男は必ず悲惨な事になる,いわゆる魔性の女の話かと思いました。しかしそうではなくて,実は彼女自身あるものから逃げている事が判ります。もしこの話の中で一番怖く描くとしたら,邦彦が自分も友人と全く同じ道を辿っている事に気付く場面なんじゃないかと思います。でもその部分があっさりし過ぎていて,親子,夫婦,家族の中に潜む歪んだ関係に話が進んでしまい,怖さを減じてしまっている様に思えます。もっとも作者はその事こそ書きたかったのかも知れませんが,それだとあの二人の異常性があまり見えてきません。せっかく最初に高校生の遺体を発見した男を登場させているのですから,彼の視点からの夫婦を不気味に描いて欲しかった気がします。どうもこの作者の話は怖いと思えないのですが,相性なんでしょうか。

 

「ラストソング」 野沢 尚  2005.01.14 (1994.01.12 フジテレビ出版)

☆☆☆☆

 博多のライブハウス「飛ぶ鳥」といえば,日本のニューミュジック史における伝説的存在だった。この「飛ぶ鳥」最後のコンサートに,地元ラジオ局でDJをしている庄司倫子は,出演者のインタビューに訪れた。そこで彼女が知り合ったのは,シューレス.フォーと言うグループの修吉と,突然ライブハウスに現れた一矢と言う男だった。東京に出てロックスターとなる事を夢見る彼らとともに,倫子もマネージャーとしてついて行く事になる。

 野沢さんが脚本を書いた同名の映画の小説化。夢を追い求める3人の男女の苦悩,挫折,愛情,友情が見事に描かれています。そしていつも思うんですが野沢さんの作品はとても映像的で,読んでいてもその場面が目に浮かんでくるような感じがします。東京へ旅立つ前に浜辺ではしゃぎ回るシーンや,北陸本線の小さな駅で「浜辺の歌」を歌う場面なんかが印象的です。そして下積み生活で荒んでいく修吉,逆転していく一矢との関係,彼らを見守る倫子,この3人の微妙なバランスがいい。最後の別れと旅立ちの場面は感動的でした。それにしても「浜辺の歌」もそうですが,あのような動揺っていい曲が多いですね。ちなみに映画の方の主演者は,本木雅弘,安田成美,吉岡秀隆だったそうです。

 

「哀愁的東京」 重松 清  2005.01.15 (2003.08.25 光文社) お勧め

☆☆☆☆☆

@ 「マジックミラーの国のアリス」 ... カリスマ的ベンチャー企業の社長は,学生時代に通った覗き部屋の娘に会いたいと言った。
A 「遊園地円舞曲」 ... 閉鎖が決まった遊園地でピエロをしているノッポ氏から手紙をもらった進藤は,久しぶりに遊園地に出掛けた。
B 「鋼のように,ガラスの如く」 ... 解散が決まった女性4人組のアイドルグループ。ベストアルバムの録音はなかなか進まなかった。
C 「メモリー.モーテル」 ... 編集部に送られてきた投稿写真。それを写した場所は,かつて流行ったラブホテルの一室だった。
D 「虹の見つけ方」 ... かつてヒット曲を量産していた作曲家。コーラスをずっと担当してきた女性グループの曲を作ると言う。
E 「魔法を信じるかい?」 ... シマちゃんに連れられてきた店では,女性のバーテンダーがマジックを披露してくれた。
E 「ボウ」 ... 大学時代の友人は,自分が自分であるために必要なレシピとして,自分について何か書いてくれと頼んできた。
F 「女王陛下の墓碑」 ... かつて取材したSMクラブの女王様。50歳を目前に引退を考えていると言った。
G 「哀愁的東京」 ... 別居中の妻と娘は去り,ビア樽氏は末期癌,そしてホームレスの夫婦は車の火事で亡くなった。

 フリーライターをしている進藤宏は,もともとは絵本作家だが,ある時から絵本が全く書けなくなってしまった。そんな彼が週刊誌などのライターとして出会う様々な人たち。それは事業に失敗した起業家,かつてのアイドル歌手,年老いたSM嬢,道を踏み外したエリート等など。時代から取り残され,表舞台から消え去っていく者たち。そんな彼らの悩みや美学,そして進藤自らの苦悩を描いていく。かつての輝きが明るかっただけに,その影はさらに暗い。でも彼らに悲壮感や絶望感が感じられないのは,彼らは自分の生き方に誇りを持っているからだろうか。哀愁と言うのは周りこそが感じる事であって,本人が感じるものではないんだろう。どの話にも共通して出てくる「パパといっしょに」と言う絵本は,絵本作家である進藤にとっての最高作。その後,絵本が書けなくなってしまった進藤に対する彼らのエールは,進藤を通して読者に向けられている様に感じられる。また対極に位置するようなシマちゃんの,前向きな明るさの空回りも,ちょっと鬱陶しいが面白い。とにかく重松さんの上手さが光る1作だ。

 

「ほうかご探偵隊」 倉知 淳  2005.01.17 (2004.11.22 講談社)

☆☆

 ある朝,5年生の藤原高時が3組の教室に着くと,高時の机の上にはバラバラにされたたて笛が置かれていて,真ん中の部分が無くなっていた。このところ5年3組では不思議な紛失事件が続いていた。1枚の絵,飼っていたニワトリ,ハリボテの招き猫,そして今日のたて笛。事件の真相を探るべく,高時と龍之介,女子の吉野明里,成見沢めぐみが立ち上がった。

 講談社のミステリーランドの第6回配本。やっぱりこのシリーズには少年探偵団が似合うかな。でも探偵役の龍之介くんは全く小学5年生には見えないんです。大人が読むにはこれでもいいのかも知れませんが,大人と並んでもう一人の読者であるべき子供達にとってはどうなんでしょう。違和感があるんじゃないでしょうか。作者の後書きに,子供向けの作品に無理矢理子供を出すのは如何なものか,と言う様な記述があるんですから,ちょっと矛盾している気がします。参謀役の安楽椅子探偵の大人を置いた方が,子供達の活躍を活かせた気がします。本家本元の少年探偵団の様に。この4つの事件の犯人に関しては,ちょっと反則気味か。でもタイトルの本当の意味に関しては,笑ってしまいました。

 

「クレイジーヘヴン」 垣根 涼介  2005.01.18 (2004.12.15 実業之日本社)

☆☆

 27歳の坂脇恭一は,人口25万人の北関東の県庁所在地にある旅行会社に勤務する営業マン。スーパーに駐車した車を車上荒らしにやられ,執念深く犯人を見つけ出し復讐したりする。23歳の圭子は元デパートガールだったが,今はケチなヤクザの情婦で美人局の片棒を担ぐ毎日。恭一の同僚がこのヤクザに捕まった事から二人は出会う。そして恭一がヤクザを殺してしまい,二人は一緒に暮らすようになった。

 自分の心の中にある枠(フレーム)を乗り越えると言うのは,自己の開放の事なんでしょう。しかしそれが的確に描かれているかと言うと,はなはだ疑問に思える。自己の開放ではなくて,単に自己の破壊としか感じられない。主人公である恭一の心の中が見えてこないし,行動に関しては短絡的であり唐突。漁師の息子として生まれ親の失敗によって味わった苦汁が根底にあるのに,最後は安易に漁師になるとは,単なる皮肉を描きたかっただけか。ストーリーは薄っぺらいし,恭一にも圭子にも何の魅力も感じられない。あの傑作「ワイルドソウル」とは較べるべくもない。どぎつい性描写ばかりが目立つのも,読んでいて不快な感じがした。

 

「I’m sorry mama.」 桐野 夏生  2005.01.20 (2004.11.30 集英社)

 娼婦の置屋で生まれ育ったアイ子には,父も母も居なかった。母親の形見だと言って渡された古びた靴だけが彼女の荷物だった。誰からも愛されず置屋の姐さん達から虐められて育ったアイ子。そんな生活から歪んだ性格に育ったアイ子は,その後の養護施設や養育家庭でも,周りから疎まれ嫌われた。

 はっきり言って作者がこの作品で何を語りたかったのか判りませんでした。ここに登場するアイ子と言う女性には,とにかく嫌悪感を抱かされます。当たり前の様に人を騙し,平気で人を裏切り,そして平然と人を殺してしまいます。そんな彼女を,作者は淡々と描写していきます。まるで自分が作り上げた登場人物に対して,何の感情も持っていないかのような描き方が印象的です。最初はアイ子に関わる様々な人物との話が連作短編風に展開しますが,中盤からは一つのストーリーが現れてきます。でも,これもどっちつかずの感じがしました。最後にもう一つ言わせていただくとすれば,「アイコ」と言う名前は如何なものでしょうか。

 

「RED RAIN」 柴田 よしき  2005.01.21 (1998.06.08 角川春樹事務所)

☆☆

 地球に接近した小惑星によって,地上にもたらされたD物質。これに感染すると超人的なパワーで人を襲うようになり,「Dタイプ」と呼ばれ全世界で増え続けていた。シキは感染者を見つけて保護する,女性の特別警察官。ある日一人の「Dタイプ」の女性を保護しようとし,逆に襲われたため彼女を射殺した。彼女には子供がいたはずなのだが,子供の姿は見当たらなかった。

 西暦2041年の日本を舞台にしたSF作品。宇宙からの未知の物体による人類の危機,と言うのはありがちな話なんですが,本作で中心になるのは人類あげての戦いではありません。感染者を保護し隔離しようとする政府と,それに反対する組織の闘いです。ストーリーの方は何となく盛り上がりに欠けた感じで進むんですが,40年後の世界の描写は面白い。酸性雨や環境汚染等は現在そのものの延長線でしかないのですが,タイトルにもなっている赤い雨や,名前のカタカナ表記何かは新鮮な感じがします。でもSFに徹し切れていないと感じられるのは,しょうがないでしょうか。

 

「ソナタの夜」 永井 するみ  2005.01.24 (2004.12.20 講談社)

@ 「ミルクティ」 ... 事故のためにピアニストの夢を諦め外資系コンピュータ会社の秘書となった。そして有能な上司に惹かれた。
A 「秋雨」 ... 父の看病疲れで入院してしまった母を見舞った帰りの電車で,傘を置き忘れた事から一人の男性と知り合った。
B 「緑深き淵」 ... 美術大学時代に付き合いのあった画家の展覧会に訪れた際,弟だと言う男から彼が亡くなった事を知らされた。
C 「彼女の手」 ... ネイルアーティストをしている妻は夫が浮気をしている事を知っていた。相手の女性は自分より年上だった。
D 「隣の公園」 ... ノンフィクションライターをしている女性が,大学時代の教授からの紹介で取材相手の男性と知り合った。
E 「唐草といふもの」 ... 陶芸作家を諦めて美学の道に進んだが,大学時代の恩師と美術商の二人との関係を続けた。
F 「ソナタの夜」 ... ベストセラーの翻訳を夢見つつも,自分の音楽経験を活かして音楽関係の翻訳で生計をたてていた。

 「唇のあとに続くすべてのこと」もそうだったのですが,ここでも不倫のオンパレード。別に不倫がいけないとか駄目だとか言うつもりは無いのですが,読んでいてうんざりとしてしまいました。もっぱら女性の側から自分の不倫を語るかたちになっていて,あまりジメジメした感じになっていないのはいいのですが,彼女たちの心情がちょっと理解できませんでした。どの女性も自分の仕事を持っていて,それも社会的にはある程度のレベルにある女性です。ですのでもう少し自分なりの不倫に対する考え方や,自分に係わる人達への気持ちを出した方が良かったかも知れません。でもこれだけはハッキリ言いますが,自分は不倫に関する話は好きではありません。自分が不倫をしていないからなのかも知れませんが(本当です),こればかりはどうしようもないですね。

 

「告発封印」 高任 和夫  2005.01.25 (2004.01.25 光文社)

☆☆☆

@ 「魔の十一月」 ... プレス工場の経営者のもとを訪れた銀行員は,自分の勤める銀行の経営が危ないと告げた。
A 「漁色」 ... 地下鉄のホームから転落死した会社員。会社の社員が殺された事を知った人事部の人間は,彼に妙味を抱いた。
B 「ピッキング異聞」 ... 高卒で就職し営業部長まで上り詰めたが,自分を引き立ててくれた専務が急に亡くなってしまった。
C 「辞める理由」 ... 予想以上に多かった早期退職希望者。希望者の中には辞めてもらっては困る有能な社員がいた。
D 「専務の恋」 ... 銀行の出世争いに敗れ関連のリース会社に移った専務。何とかいい成績を収めようとしたが。
E 「告発封印」 ... 詐欺の被害に遭って自殺した専務。既に銀行を退いた男に,事の真相を究明するよう依頼があった。

 企業や経済に関する話を多く書いている高任さんですが,ここでも銀行を中心とした企業での悲哀が描かれます。途中で気が付いたんですが,これって連作短編になっているんですね。まあこれと言った主人公こそ存在しないのですが,登場人物や舞台となる企業が微妙に重なっていて面白い。この手の話だとどうしてもリストラとか社内の対立とか暗い話になりがちなんですが,企業における様々な人間模様が上手く描かれています。ただちょっと人情話を意識し過ぎるせいか,わざとらしく感じる部分もありました。高任さんの短編を読むのは初めてだったのですが,長編よりも印象的な感じがしました。

 

「女神(Venus)」 明野 照葉  2005.01.26 (2002.06.25 光文社)

☆☆

 経営コンサルティング会社で営業をしている君島沙和子は,容姿,営業成績ともに抜群だった。彼女の同僚で事務をしている佐竹真澄は,沙和子に憧れつつも,彼女の完璧さが気になっていた。たまに見せる翳りの表情,他人に頼らない頑なな態度。真澄は同じアパートに住む由貴と相談して,沙和子の本当の姿を探り始めた。

 自分の身分を隠して他人に成りすます,と言うのは小説の世界では良くある話(現実もか?)。何らかの事情によって本当の自分を捨て去った者,そしてそれを暴こうと追いかける者。一番いい例が宮部みゆきさんの「火車」でしょう。少しずつ見えてくる相手の素顔とその事情。この作品も同じような話なんですが,サスペンス性が無くって,話自体も薄っぺらく感じてしまいました。それは登場人物の動機に説得力が無いせいでしょうか。何故沙和子は自分を変えなくてはいけなかったのか,何故真澄達は沙和子の真実に迫らなくてはいけなかったのか。それが判らないので感情移入できないし,話に入っていきにくいんです。一番その必然性があったのは,失踪した息子を探す父親だったはずですよね。彼の視点だけで描いた方が迫力のある話になった様に思えました。

 

「ワーキングガール・ウォーズ」 柴田 よしき  2005.01.27 (2004.10.20 新潮社)

☆☆☆☆

@ 「ピンクネイル・ジャーニー」 ... 去年入社した麻美がしているのと同じ色のマニキュアが,更衣室にこぼされていた。
A 「ペリカンズ・バトル」 ... 翔子と同じように一人でケアンズを訪れた女性に,愛美はある種の不安を感じた。
B 「リバーサイド・ムーン」 ... 部内で人気があると思っていた麻美は,最近部内で虐められていると翔子に相談してきた。
C 「ホリデー・イン・ディセンバー」 ... 休暇をとって京都を訪れた愛美は,ある日本女性を探すフランス人と知り合った。
D 「ブラディマリーズ・ナイト」 ... 社内で起こった不思議な出来事。女子トイレに置かれたある物が無くなった。
E 「バイバイ,ロストキャメル」 ... エアーズロックで嶺奈と再会した愛美。そこにお騒がせな新婚の二人が現れた。
F 「ワーキングガール・ウォーズ」 ... 契約社員の女性からの相談は,隣の課の課長からのセクハラに関するものだった。

 「37歳女性,入社15年目,独身バツなし。ついでに恋人.人望ともにナシ…。ですが,それが何か?」と言う帯に書かれた言葉。この「それが何か?」と言う言葉こそがこの作品を良く表しています。主人公の墨田翔子は大手総合音楽企業の企画部係長。仕事はできるが上司や部下からも煙たがられている存在。そして彼女がケアンズ旅行で知り合った嵯峨野愛美は,現地の旅行会社に契約社員として勤務する30歳の独身女性。そんな二人の視点で描かれるのは,彼女たちの周囲で起こるちょっとした騒動や,「今のままでいいのかなあ」と言った彼女たちの心の内。とにかく二人のキャラクターがいいし,適度に日常の謎があるストーリーは面白い。また,それぞれが独立した話ではなく,繋がっているストーリーと言うのもいい。それにしても,篠田節子さんの「女たちのジハード」なんかもそうですが,女性作家が活き活きとした女性を描くと,なんで男はあんなにも情けなくなってしまうんでしょうか。ちなみにケアンズには昨年行きましたが,朝の6時頃空港に着いてしまうので,愛美さんのような旅行会社の人って大変でしょうね。

 

「火の壁」 伊野上 裕伸  2005.01.31 (1996.04.10 文藝春秋社)

☆☆☆

 保険調査員の相沢志郎の調査の対象は,樋川と言う寿司屋だった。この樋川は過去に4回火災に遭っており,今回が5回目。保険金によってその度に店は大きくなっていった。保険金狙いの放火の疑いは強かったが,警察も消防もそれを証明する事はできなかった。しかも相沢の先輩であり,4回目の火災の調査を担当した中井は,調査の途中で行方不明となったままだった。

 第13回サントリーミステリー大賞読者賞の受賞作で,作者の伊野上裕伸さんは,本物の保険調査員だそうです。さすがに専門の人が書いているので,保険調査にまつわる部分は面白いし迫力があります。そして構成に関しては,樋川と言ういわば明確な犯人を提示しておいて,そこに相沢がどの様に迫っていくのか,と言う形を取っているのが効果的。第四の火災のアリバイトリックをいかに崩すか,何故彼はこれだけ放火を繰り返すのか,そして如何にして手強い樋川を屈服させるのか。この様にストーリーがはっきりとしているのがいいし,相沢と中井の過去を上手く取り入れていると思いました。でも最後の部分がちょっと空回りしてしまった感じがしないでもありません。それと何か文章が読みにくいんです。すんなりとその時の状況だとか,人間関係が頭に入ってこない感じがして,読むのにやたらと時間が掛かってしまいました。