読書の記録(2003年 9月)

「切断」 黒川 博行  2003.09.01 (1989.02.20 新潮社)

☆☆☆

 病院のベットの上で殺されたヤクザの水谷は,耳を切り取られ切断された指が差し込まれていた。指は別人の物だったが,殺された後に切断された事が判った。そして次に殺されたのは,ディスカウントストアのオーナーの篠原だった。舌が切り取られ,口の中には水谷の耳が突っ込まれていた。最初に見つかった指の持ち主は,贈答品販売業を営む沢木の物と判り,これで3人が連続して殺された事になった。

 最初に水谷を殺害する場面が,“彼”の視点で描かれます。この部分ちょっと気持ち悪いですね。この“彼”の他に,捜査に当たる曽根と久松,そして過去形での久松の視点等がクルクルと入れ替わります。どうみたって過去に起こった取り込み詐欺事件に関わる,久松の復讐劇と思われます。でも生活反応の無い久松の指が見つかっていますから,彼は死んでいるはずです。黒川さんの作品らしくテンポ良く進んでいくのですが,このテンポの良さをさらに強調しているのが関西弁での会話なんでしょうか。次第に判って来る被害者達と,久松と妹のはるみとの関係。最後は少々後味の悪い結末となってしまいますが,なかなか手に汗握る展開です。実はこのトリック,途中で気が付いてしまいましたが,実際にこんな事が可能なんでしょうか。

 

「四十回のまばたき」 重松 清  2003.09.02 (1993.11.30 角川書店)

 売れない翻訳家の圭司は,仕事を持つ妻の玲子と二人暮し。玲子には唯一の肉親である妹の耀子が居るのだが,彼女は冬になると冬眠の様に眠り続けてしまう。さらにそれ以外の時は,手当たり次第に男と関係を持ってしまう。冬の間は圭司の家で過ごす耀子だったが,ある日玲子が交通事故で亡くなった。それも上司との不倫の果てに。それでも冬が近づくと耀子は圭司の家に冬眠しにやってきた。それも父親の判らない子供を妊娠して。

 良く判らなかったんですよね,作者の言いたい事が。だいいち季節性感情障害なんて言う訳の判らない病気(?)を持った,耀子の存在自体が不自然。感情を表に出しにくい主人公の圭司,それとは逆に粗暴な小説家のセイウチ,そして手当たり次第に男と関係を持つ耀子。そりゃあ誰もが完璧な人間ではあり得ないし,どこかに問題は抱えているんでしょう。でも少なくとも大人だったら,その問題を直接解決するんではなく,お互いに折り合いを付けてしまうものですよね。「って感じ」くんとの付き合いの様に。少なくとも家族がどうのこうのと言った話じゃあないですよね。少なくても子供を妊娠した耀子と家族になる気はしないですね。

 

「クロへの長い道」 二階堂 黎人  2003.09.03 (1999.09.05 双葉社)

☆☆☆

@ 「縞模様の宅配便」 ... 公園近くの友人宅を訪れた宅配便の車。その友人の母親は何故かその車に乗って出掛けた。
A 「クロへの長い道」 ... 飼っていた犬を父親に捨てられたので,その犬を探して欲しいと言うクラスメイトからの依頼。
B 「カラスの鍵」 ... テレビのクイズ番組に出演したシンちゃん。そこで盗難事件と殺人事件が起こった。
C 「八百屋の死にざま」 ... 行方不明になったイグアナの捜索中に,体育館で殺されていた男の死体に遭遇。

 「ぼくちゃん探偵シリーズ」の第二弾。前作の「私が探した少年」の時は5歳で年少組でしたが,今回は6歳の年長組になっています。ペット探しから殺人事件まで出てきますが,地元の警察署刑事の父親,元アイドルタレントの母親とともに大活躍。トリック自体がどうこうよりも,幼稚園児のシンちゃんのハードボイルド振りが面白い。当然シンちゃんの会話は幼稚園児そのものなんですが,地の文とのギャップがいいですね。ちょっととぼけた父親とミステリー好きの母親に,さりげなく事件解決のヒントを与えたり,同じ幼稚園の友達からの依頼に応えていきます。気になるのは母親であるルル子が,ちょっと派手な活躍をし過ぎる部分です。やっぱりシンちゃんの推理だけで全てが片付いて欲しい気がします。またシンちゃんの探偵事務所(自宅)とキンポウゲ幼稚園は立川市にあるんですが,私の実家も立川市なんですよね。全然関係はありませんが。

 

「安政五年の大脱走」 五十嵐 貴久  2003.09.05 (2003.04.25 幻冬舎)

☆☆☆☆

 彦根藩の井伊鉄之介は養子縁組の話のため江戸を訪れたおり,今までに見た事も無い様な美しい女性に一目惚れ。しかし相手は津和野藩主の側室の美蝶で,部屋住み同然の鉄之介にはどうする事もできなかった。時は流れ井伊直弼と名を改めた鉄之介は,今や彦根藩主であり江戸幕府大老の職にあった。ある日美蝶にそっくりな娘の美雪を見掛け,彼女を我が物にしたいと願う直弼は,家臣の長野主善と一計を目論んだ。そして美雪と津和野藩士50人を,脱出不可能な山に幽閉してしまった。

 大脱走とくればスティーブ・マックイーン主演の同名の映画が思い出されます。あの映画を見たのは中学生の時でした。第二次世界大戦中に,ドイツの捕虜となった連合国兵士の脱走を描いた映画で,文句無く面白い映画です。この映画にも出演していたチャールズ.ブロンソンさんは先日亡くなったんですよね。ウーン,マンダム。さて本作の舞台は江戸時代で,断崖絶壁に囲まれた山に閉じ込められた津和野藩士達の脱走劇です。この山が如何に脱出不可能かと言う描写が弱い気がしますが,表紙の絵がそれを補っている感じです。実際には日本にあんな山無いですけどね。デビュー作の「リカ(RIKA)」がホラーで,2作目の「交渉人」がトリッキーなミステリー,そして3作目の本作がサスペンスな時代劇と,なかなか多才な作家ですね。始まりが直弼の側からの話だったので,話の中心が津和野藩士側に移る部分で戸惑いがありましたが,身分も立場も違う50人が力を合わせて脱出に取り組んで行く様は読み応えがありました。犬塚外記の暖かさ,長野主善の嫌らしさに較べて,そもそもの井伊直弼がイマイチ不鮮明な感じがします。まあ設定にはかなり無理な部分もありますが,面白いからいいでしょう。でも歴史小説好きな人には,ちょっとどうでしょうか。

 

「風熱都市」 香納 諒一  2003.09.10 (1994.07.31 徳間書店)

☆☆☆

 ビル清掃会社に勤める喬は,路上サーキットで温子と知り合った。温子の父親は建設会社の役員をしており,贈収賄に絡む現金の受け渡しを知った温子は,その金の強奪を企てていた。温子と喬,そして喬の仕事仲間でパキスタン人のハッサンの3人は,見事に強奪に成功。と思われたが奪った鞄の中身は木彫りの彫刻。そしてヤクザを刺殺したタイ人娼婦のパティとともに,4人は様々な追手から逃げる身になった。

 文庫化に際して「風よ遥かに叫べ」と改題されたそうですが,そちらの方が香納さんらしくていいですね。香納さんの3大傑作は1995年の「梟の拳」,1998年の「幻の女」,そして2000年の「炎の影」だと思っているのですが,本作はそれ以前に書かれた初期の作品。だからなのかも知れませんが,書き方に滑らかさが無いと言うか,こなれていない感じがしてしまいます。これは同じく初期の作品である「時よ夜の海に瞑れ」「春になれば君は」でも感じました。特に前半が読み辛かったんです。何人もの登場人物,いくつもの出来事が複雑に交錯していく展開なのですが,物語が一本に収束していくまでの描写が,やたらとこま切れに紹介されるので,何が何だか判らないんですよね。香納さんの作品じゃなければ,途中で投げたかも知れません。また先ほど紹介した3作に比べて決定的に劣るのは,登場人物の魅力と事件に関わる動機の点でしょうか。とにかく喬の存在感が無さ過ぎだし,温子にしたって良く判りません。彼らよりも刑事の堂脇達の方が良く描けているんですよね。でも物語はとにかく面白いですよ。

 

「死ねば いなくなる」 東 直己  2003.09.16 (2002.01.08 角川春樹事務所)

☆☆

@ 「困っている女」 ... その喫茶店に良くやってくる女性客は,店の女性主人にストーカーに付狙われていると言った。
A 「梅雨時雨」 ... 中華料理屋で出前をしている二人の若者と一人の老人。若者の一人の行動がある日からおかしくなった。
B 「死ねば いなくなる」 ... バイクで事故を起こしそうになった後,周りの人達の言う事が自分の記憶と食い違っていた。
C 「路傍の石」 ... 急いで飛び乗った電車の中には,奇妙な乗客ばかりが乗っていた。そして電車は停まる事が無かった。
D 「ビデオ.ギャル」 ... 夫婦で見た裏ビデオに写っていた女性を偶然店の中で見掛けた。二人は彼女に興味を持った。
E 「逢いに来た男」 ... 売春婦を本気で好きになった若い学生。彼女の同僚にも同じ様な客がいたのだが。

 東さんと言えば札幌を舞台にしたハードボイルド作品が中心だと思っていたのですが,この短編集はかなりテイストの違う作品となっています。書き下ろしの「困った女」以外は,1987年から91年にかけて書かれた作品だそうです。東さんが「探偵はバーにいる」でデビューしたのが1992年ですから,これらの作品はデビュー前に書かれた作品なんですね。舞台こそ札幌ですが,どの作品も現実と非現実が奇妙に交錯して,不思議な感触を味わえます。でも何か中途半端と言うか,読み終わった時に,どう理解していいか判らなくて居心地が悪い感じがしてしまいました。自分や他人の存在のあやふやさを前面に出しているのでしょうが,どうも上手く表現できているとは思えません。

 

「フリージア」 東 直己  2003.09.17 (1995.08.10 廣済堂出版)

☆☆☆

 北海道の山の中で木彫りの人形を作っていた健三の元に,二人の男が訪ねてきた。札幌に進出しようとしている関西資本に対抗するため,組に戻って欲しいと言う依頼だった。そして多恵子一家を写した写真を取り出し,彼女は夫の転勤で今札幌に来ていると告げた。健三は二人を即座に殺し,久し振りに札幌の街に向かった。

 このシリーズの2作目である「残光」を先に読んでいたのですが,その時は榊原健三と札幌の組織や多恵子らの関係が判り難く思いました。1作目の本作がその間の事情だと思っていたのですが,ここでも直接書かれる事はありません。でも過去を隠してカタギのサラリーマンの妻となっている,多恵子の幸せを願う健三と言う物語の土台は十分に伝わります。しかしその為だけにあんなに人を殺すかなあ。いくらヤクザ同士の勢力争いだと言っても,あんなに死人が出たら警察だって徹底的に真相究明するだろうし。その点がどうも気になってしょうがないんです。また多恵子の気持ちも良く判りません。榊原健三と言う主人公の行動が納得いかないので,ちょっとペケ。便利屋のシリーズの主要キャラクターである桐原も登場してくるんですが,榊原に迫る刑事の丹沢は良かったですね。

 

「噂」 荻原 浩  2003.09.19 (2001.02.20 講談社)

☆☆☆☆

 「ニューヨークに,女の子を殺して足首を切り落とすレインマンと言う殺人鬼がいて,今日本に来ているらしい。でもレインマンはミリエルの香水を付けている子は狙わない。だからニューヨークの女の子は皆ミリエルの香水を付けている。」。企画会社コムサイトの女性社長,杖村がミリエル社の香水を日本で発売するに当たって,キャンペーンとして使ったのはWOM(Word Of Mouth),いわゆる口コミだった。これは単に創られた噂に過ぎなかったが,現実にこの通りの殺人事件が起こってしまった。

 いわゆる都市伝説って奴ですよね。口裂け女とかナンチャッテおじさんとか。ああ言うのも誰かの一言が発生源になっているんでしょうか。荻原さんの作品を読むのは3作目で,今までの2作はコミカルなタッチでしたが,本作はかなりシリアス。口コミを利用した新商品のキャンペーンと言うのも意外だったし,若い人にしか判らないこう言った情報と警察捜査のギャップも面白い。そして捜査に当たる所轄署刑事の小暮と本庁刑事の名島のコンビがいい。妻に先立たれ,高校生の娘と二人暮らしの中年刑事の小暮。そして小暮より階級が上だけれど,年は若い女性の名島。警察内部の人間関係や,渋谷で遊ぶ少女達とのやり取りなど丹念に描かれていて,読み応えがあります。特に小暮と娘の会話の部分なんか,いい味でています。ストーリー自体はミステリーとしてありきたりかなと思ったんですが,最後の3ページは意表を突かれました。それにしてもディランUの「プカプカ」懐かしいですね。

 

「疾走」 重松 清  2003.09.24 (2003.08.01 角川書店)

 干拓地の町で育ったシュウジには,優秀な兄のシュウイチが居た。しかし高校に入学した後シュウイチは,成績も上がらず精神に異常をきたして行った。そしてシュウイチが放火の犯人として捕まった事から,シュウジの一家はバラバラになっていく。職を失って家出してしまった父,ギャンブルにのめり込んでしまった母。おりしも干拓の町は,新たな土地開発に浮かれていた。

 表紙に描かれた絵が全てを表している様な重苦しい作品で,途中何度か読むのを止めようかとも思いました。主人公であるシュウジを「おまえ」と言う二人称で描く書き方は,シュウジをとことん突き放し,読者に対しても感情移入を拒否している様な感じを受けます。優秀なはずだった兄の犯罪,シュウジに対するイジメ,そして両親の失踪。シュウジ一家の不幸だけではなく,両親を失い走る事も叶わなくなった少女,一家4人殺害の罪で死刑判決を受けた弟を持つ神父,そして沖と浜の対立のある地域社会。確かにそれらは現実の一断面でしょうし,実際に起こっている少年犯罪などは,家庭環境や社会環境が大きく影響している事は間違いないでしょう。弱い父親,愚かな母親,無力な教師,そして優しくて一見子供に理解があるように見える大人たち。15歳と言うのはまだほんの子供ですよね。安易に人との繋がりを求めるシュウジを非難するべきでもないでしょう。人間は不平等で,それはまた公平だと言うことは判りますが,ここまでの苦難を彼に与えるのはどうなんでしょう。重松さんの作品にはイジメやリストラと言った暗い話が多いんですけど,今まではそれでもどこかに前向きな明るさがありました。本作のように救いが全く感じられない作品には,かなり違和感を感じてしまいました。読者が読書に何を期待しているかで大きく評価は分かれると思いますが,私はダメでした。

 

「斜影はるかな国」 逢坂 剛  2003.09.26 (1991.07.01 朝日新聞社) お勧め

☆☆☆☆☆

 スペインに留学中の花形理恵は,知り合いの殺人事件からバスク解放運動の過激派組織ETAと,対抗する非合法暗殺組織GALとの暗闘に巻き込まれてしまった。一方,東和通信社記者の龍門二郎は,かつての恋人の冠木千夏子との偶然の再会から,内戦時代のスペインに滞在していた外交官と知り合う。そして彼から当時反乱軍にギジェルモの名前で参加していた,日本人義勇軍兵士の存在を知る。記者として興味を持った龍門は,ギジェルモの足取りを求めてスペインに向かった。

 スペインにおける理恵と日本における龍門の二つの話から始まり,それはスペインでギジェルモを探す一つの話になります。そして今度は半世紀前のスペイン内戦時の金塊隠しの話が絡み,龍門と暗殺者の視点で物語りは進みます。そしてギジェルモや金塊と言ったいくつもの謎が提示されていきます。時間と場所を超えた複数の視点で展開させていく,そして内戦当時のエピソードや現代スペインにおけるテロリスト同士の戦いを絡めていくのは,逢坂さんのスペインものの共通点ですよね。それが凄く緊張感を高め,物語に深みを与えていきます。またそれぞれの登場人物の描写も見事ですし,千夏子と龍門の関係,そして二転三転する物語。とにかく面白くて話の中にのめり込んでしまいます。逢坂さんのスペイン物の長編では,「燃える地の果てに」「カディスの赤い星」と並んでベスト3ですね。ところで花形理恵って何かに出て来た感じがしていたのですが,日本にいる岡坂神策に電話する場面を読んで,「十字路に立つ女」に出て来た事を思い出しました。

 

「死水」 三浦 明博  2003.09.27 (2003.07.31 講談社)

☆☆

 仙台郊外に広大な山林を所有する大道寺は,私的な釣りクラブを設立し,理想的な釣り場作りを目指していた。その為に彼が所有する土地にある川を守るリバー.キーパーとして,早瀬は玄沼畔の丸太小屋で生活していた。ある日調査の為に早瀬が魚を釣っていたら,針に掛かってきたのは,この川に居るはずの無いブラックバスだった。誰かが密放流したと思われたが,事件はこれだけでは終わらなかった。

 「滅びのモノクローム」江戸川乱歩賞を受賞した作者の長編2作目。一作目同様フライフィッシングの話が出てきますが,釣りが好きなんでしょうね。日本には本来棲息しないブラックバスの問題は,以前から耳にしてきました。この作品の中でもそれらに関する議論が行われております。まあ私は釣りをしないので良く判りませんが,密放流はともかくとして,外国産の植生物が日本に入ってきて広がってしまうのは,ある程度仕方の無い事なのかも知れません。さて作品の方は何かメリハリの無さすぎる展開です。何がメインの謎なのか明確ではないし,そのカラクリも全てが終わった後で説明を聞いている様な感じがして,物語の中に入って行き難いんです。そして主人公である早瀬が持っている不幸な過去に関しても,勿体つけるだけで何も説明がされないのも消化不良を感じさせます。それにしてもこの作者,女性の描写が下手ですね。川をはじめとする自然の描写はとてもいいんですけどね。

 

「きよしこ」 重松 清  2003.09.28 (2002.11.15 新潮社)

☆☆☆

@ 「きよしこ」 ... 「きよし,この夜」を「きよしこ,の夜」と間違えていた。星の光る夜,きよしこが訪ねてくると少年は思っていた。
A 「乗り換え案内」 ... 小学3年生の夏休み,「吃音矯正プログラム」で知り合った男の子は,彼に意地悪ばかりをした。
B 「どんぐりのココロ」 ... 小学校5年で5校目の今度の学校では,クラスに馴染むのにしくじってしまった。
C 「北風ぴゅう太」 ... 卒業式でクラスで演じるお芝居の台本を作る事になった。クラスの37人全員の台詞が必要だった。
D 「ゲルマ」 ... 中学2年生のクラスメイトに,ちょっと迷惑な友達が居た。ゲルマと言うあだ名の彼はクラスで一人浮いていた。
E 「交差点」 ... 中学3年生になってやってきた一人の転校生。彼は野球部のレギュラーにいきなりなってしまった。
F 「東京」 ... 少年は高校生になり大学受験を控えていた。地元の大学ではなく志望校は東京の大学だった。

 吃音(きつおん=どもり)の子供を持った母親からの手紙を貰った,同じ吃音に悩んだ作家が「個人的な話」として書いた形をとっています。その主人公きよしは,つまりはその作家で,そしてそれは重松さんなんでしょうか。この話の主人公のきよしは,うまく言葉がしゃべれません。特にカ行やタ行,そして濁音から始まる言葉はどもってしまいます。そしてきよしの父親は転勤が多く,転校した学校での自己紹介で自分の名前がうまく言えません。だからクラスメイトからからかわれたり,いじめられたりもします。そして伝えたい事を,思った事を何でも話せる友達が欲しいのですが,なかなかうまくは行きません。でも考えて見れば吃音でも何でも無いのに,うまく他人に自分の思いを伝えられない人は一杯いますよね。この作品の中にだってそういう人は何人も出てきます。そんな彼らときよしの関わりがおもしろく思えました。そして夢の中にしか存在しない“きよしこ”の言葉が印象的でした。『それがほんとうに伝えたい事だったら...伝わるよ,きっと』。でも唄の歌詞ってとんでもなく間違って覚えちゃう事って,多いかも知れません。

 

「ワイルド.ソウル」 垣根 涼介  2003.09.30 (2003.08.25 幻冬舎) お勧め

☆☆☆☆☆

 1961年11月,1万トンの新造移民船「サンパウロ丸」が,神戸港からブラジルに向けて出港した。日本政府の移民政策に応募した家族と彼らの夢を乗せて。しかしブラジルの入植地に入って,彼らの夢は砕かれた。そこは想像を絶する地獄のような土地だった。結婚したばかりの妻と弟の3人で移住してきた衛藤一家らは,逃げ場の無いジャングルの中で,獣に等しい生活を強いられた。ある者は病に倒れ,ある者は逃げ出して行った。妻と弟を失った衛藤は,数家族を残して入植地を捨てた。そして40数年後,日本政府への復讐を胸に,3人の男が東京に集まった。

 1961年と言うと東京オリンピックの頃ですよね。当時こんなデタラメな移民政策なんて本当にあったんでしょうか。ちなみに私が小学1年生の頃です。某国を「この世の楽園」などと戯言を言う新聞社どころの話じゃないですよね。なにしろ国家による国民に対する詐欺ですもん。でもまあ,この作品ではその事をどうこう言っている訳ではなく,移住者とその二世達の,日本政府及び外務省に対する復讐劇です。苦難の末に仲買商として成功を収めた衛藤を黒幕として,衛藤と砂金取りをしていた山本,そして衛藤と一緒に入植した家族の子供の松尾とケイ。彼らは外務省の建物への襲撃,そして当時の責任者の誘拐へ,新聞記者の貴子を巻き込んで,圧倒的な迫力で進んで行きます。とにかくテンポはいいし,細かい描写も丁寧だし,登場人物も多彩だし,話の進め方も上手いです。かなり長い作品なんですが,一気に読めてしまいました。まあ読んだのが病院のベッドの上で,暇を持て余していた事もありますが。デビュー作の「午前三時のルースター」では,経済成長に向かうベトナムが活き活きと描かれていました。本作ではブラジルでの描写がいいですね。前半の移住者達の苦難をこれ以上書いてしまうと少々くどくなるんでしょうが,二世の松尾とケイが復讐に向かう心情をもう少し書いて欲しい気がしました。とにかく3作連続で☆五つにしたのは,貴志佑介さん以来二人目です。次の作品が楽しみな作家ですね。