読書の記録(2006年01月)

「暗い国境線」 逢坂 剛  2006.01.04 (2005.12.01 講談社)

☆☆☆

 連合国側から無条件降伏を迫られたドイツ。連合国が次に地中海沿岸に上陸するのは何処か。シシリー島か,サルディニア島か,それともギリシャか。ドイツはその情報がどうしても手にしたいはず。そこで考え出されたのが,偽の情報をドイツにつかませるために用意された英国将校の死体。英国からアフリカ北部に向かう途中の事故で水死したと見せかけた死体に,偽の情報を身に付けさせる。そんな中,北都昭平は,ゲシュタポの兄弟に目を付けられていた。

 第二次世界大戦の頃のスペインを舞台にしたこのシリーズも,4作目に入りました。北都とペネロペで始まったこのシリーズですが,すっかり北都とヴァジニアの関係が中心になってしまいました。第二次世界大戦も終盤を迎え,スペインに集う米英日独露等の関係も一層微妙になってきます。前作でも思ったのですが,これらの登場人物による物語と言うよりも,史実に基づいて登場人物が動かされている感じがします。その為にダラダラと話が続いている様に思えて,緊迫感や臨場感が感じられません。600ページにわたる長い話なのですが,ドイツを欺くための工作もなかなか進まないし,ヴァジニアやナオミとの関係もそれ程の変化は無いし。祖国を選ぶか,愛する人を選ぶかと言う葛藤も強く感じられません。ところで前作でも本作でも最後の方で登場してきた女性は,一体どうなっているのでしょうか。ムッソリーニも失脚してしまいましたから,次あたりが最終作なんでしょうか。

 

「債権奪還」 高任 和夫  2006.01.05 (2004.08.23 講談社)

☆☆☆

 妻を病気で失い,50歳代半ばで勤務先の銀行からの早期退職応じた藤倉。一人娘の結婚を期に一人暮らしを始めたものの,次の働き先を探すでもなく,酒浸りの毎日を送っていた。そんな時知り合った不動産屋が,銀行からの融資の返済に窮している事を知った。その銀行は,藤倉がかつて勤めていた銀行だった。何とか力になってあげたかったが,藤倉にはどうする事も出来なかった。そして藤倉は毎日の痛飲がたたって,病院に入院する事になってしまった。

 元商社マンの高任さんの作品は,やはり経済に関する作品が多い。そして,この作品のタイトルからしても,銀行マンの債権回収にまつわる話しかと思ったのですが,全然違いました。リストラ同然に銀行を辞め,無気力になってしまった男の話です。前半から中盤にかけては藤倉の情けなさのオンパレードです。でも最後には勤め先だった銀行に一矢を報います。それはスーパーマン的な活躍で,理不尽な銀行を徹底的にやり込める訳ではなく,痛快感が主体の結末ではありません。それよりも藤倉と言う一人の男の心情がひしひしと迫ってきて,考えさせられるものがあります。私もそうですが,彼と似たような世代だと,情けないの一言で済ませられない気がします。亡き妻や嫁いで行った娘を想う藤倉の気持ちや,入院中の描写なんか結構ぐっとくるものがありました。でもタイトルからはかなり離れた話ですね。

 

「緋(あか)い記憶」 高橋 克彦  2006.01.06 (1991.10.30 文藝春秋社)

☆☆☆☆

@ 「緋〈あか〉い記憶」 ... 高校時代を過ごした頃の古い住宅地図。そこには,あるはずの一軒の家が記入されていなかった。
A 「ねじれた記憶」 ... 子供の頃,母に連れられて行った旅館を偶然知った。その旅館で母は自殺をしたのだった。
B 「言えない記憶」 ... 子供の時に何度も遊んだはずの缶蹴り。だけどある一日の缶蹴りの日の事だけを鮮明に覚えている。
C 「遠い記憶」 ... 取材に訪れた 盛岡市 。小さい頃住んでいた街だったが,母はこの街の事を話したがらなかった。
D 「膚の記憶」 ... 最近頻繁に食中りを起こす。行きつけの飲み屋で水割りに使っている天然水が原因の様だった。
E 「霧の記憶」 ... 若い頃ロンドンに滞在していた事があった。その時一緒にいた男が作家となり,その時の話を発表した。
F 「冥〈くら〉い記憶」 ... 最終目的地が青森だとしか判っていないミステリーツアーに参加したのは,9人の男女だった。

 先日読んだ「蒼い記憶」よりもかなり以前に書かれた作品なんですね。同じく記憶をテーマにしたホラー系の短編集で, 岩手県盛岡市 が話の中心になっているのも同じです。子供の頃の記憶って,かなり曖昧な部分が多いのですが,その曖昧さの裏に驚くべき真実があったなら,と思うと怖いですね。そんな怖さを十分味わえる作品です。その怖さを前面に押し出した作品もいいのですが,そこにオカルト的な驚きを加味した作品が印象的でした。表題作の「緋(あか)い記憶」,そして「ねじれた記憶」は途中で結末が判るだけに,おぞましさを含む怖さが味わえました。

 

「私の骨」 高橋 克彦  2006.01.10 (1996.01.25 角川書店)

☆☆☆

@ 「私の骨」 ... 実家の床下から壷に入れられた人骨が見つかった。その壷には自分の生年月日が記されていた。
A 「ゆきどまり」 ... 雪の夜道で起こった交通事故。奇跡的に助かった女性を連れて近くの温泉旅館に助けを求めた。
B 「醜骨宿」 ... 将門の隠し金山を探している男が山の中で大怪我をして見つかった。彼の娘が見舞いに病院を訪れた。
C 「髪の森」 ... ふしぎな隠し館を体験したと言う老人の話を信じたルポライター。彼は館を探しに八甲田に出掛けた様だった。
D 「ささやき」 ... 郷里に「ささやき」と言う不思議な木があることを聞いたが,彼はその木の事を良く知っていた。
E 「おそれ」 ... この様な話をするには暗い所がいい。闇鍋だって真っ暗な中で食べるから独特の雰囲気が出るものだ。
F 「奇縁」 ... その村では高級家具を作る会社が有名だったが,その会社の名を語る偽の家具が出回っていた。

 私が生まれた家もそうでしたが,昔の家って,たいがい縁の下がありました。蜘蛛の巣がはっていたりして,ちょっと不気味な場所でした。そんな所から見つかった壷に入れられた子供の骨。そして壷には自分の生年月日が記されていた。そして30数年前に壷を隠した関係者は誰もいなくなっている。うーん,この状況は怖いですね。自分に双子の兄弟がいて骨は兄か弟のものなのか,それとも自分は本当の自分ではないのか。いろいろな事が考えられます。この表題作以外の方が直接的な怖さはあるのですが,読んでいて一番不気味だったのは,この「私の骨」でした。でも時効が成立してしまうと,警察は全く捜査しないものなのでしょうか。

 

「ラスト・レース」 柴田 よしき  2006.01.11 (1998.11.25 実業之日本社)

☆☆☆☆

 社内恋愛に失敗し,会社で居場所がなくなってしまった27歳OLの海道秋穂。その日も会社では不運の連続だった。会社からの帰り道,ふと立ち寄った宝石店で,客が忘れていったガーネットの指輪を持ち帰ってしまった。その晩,秋穂の部屋に二人の強盗が侵入し,秋穂は酷い目に遭わされた。そして翌日に近所で起こった殺人事件を知り,自分は人違いをされた事に気が付いた。

 1986冬物語と言う副題が付けられていますが,舞台はバブル経済が始まった頃の東京です。バブル経済華やかな頃の記述が,そこここに描かれます。懐かしい気もしますが今から思うと,あの頃ってやはり異常な気がします。でも主人公はバブルに縁の無さそうな地味なOL。会社で辛い境遇にある彼女なのですが,一つの指輪をちょろまかした日から,とんだ災難に巻き込まれていきます。強盗による被害,近所の殺人事件,そして強盗犯だった男達との不思議な共同生活が始まります。ここら辺の展開はちょっと突飛な感じもしますが,謎もさらに広がっていきます。そんな中で地味で大人しかった秋穂が,どんどん逞しく変わっていきます。その分,西島とか川瀬と言った他の登場人物が薄っぺらな感じです。ちょっとタイトルが話の内容とずれている気もしますが,テンポ良くスラスラ読めるし,バブル当時の雰囲気も味わえるし,楽しめる1冊です。

 

「うたう警官」 佐々木 譲  2006.01.12 (2004.12.18 角川春樹事務所)

☆☆☆

 札幌のマンションの一室で見つかった女性の絞殺死体。被害者はミス道警と呼ばれる婦人警官だった。身元が判ったとたんに,道警本部が捜査に割り込んできて,所轄署の刑事は排除されてしまった。そして容疑者として手配されたのは,被害者と付き合いのあった津久井巡査部長だった。さらに覚醒剤中毒で拳銃を持っていると言う事で,射殺命令までもが下された。しかし津久井巡査部長は,翌日に道警の裏金疑惑に関して議会で証言する予定になっていた。

 うたう警官と言っても,カラオケに興ずる警察官の話ではありません。冒頭,「私はうたっていない」とメモを残して自殺する警察官の描写がありますが,「うたう」と言うのは「証言する,密告する」と言った意味なんでしょう。北海道警に関わる不正問題に関する証言を予定している刑事に掛けられた殺人犯と言うヌレギヌ。そして彼を助けようとする仲間の刑事達。東直己さんも北海道警察の不正に関して,作品の中で散々取り上げていますが,そんなに評判が悪いんでしょうか,北海道警察って。さて不正に関して証言する予定の警察官が指名手配され,射殺命令までもが出されます。いくらなんでもこんな事をするでしょうか。それと佐伯達の動きも上手く行き過ぎていて,ちょっと現実感に欠ける感じ。決められた時間までに本当の犯人に辿り着けるか,密告者は誰なのか,佐伯と津久井がかつて関わった囮捜査など,物語を盛り上げる様々な要素はあるのですが,何かイマイチと言った感じでした。

 

「少女には向かない職業」 桜庭 一樹  2006.01.13 (2005.09.30 東京創元社)

☆☆☆

 中学2年生の大西葵は,山口県の島で,酒を飲んでばかりの義理の父親と,働きに出ている母親の3人で暮らしていた。夏休みに入り,葵は義理の父親を憎むようになった。クラスメートの宮乃下静香からは,誰にも知られる事無く殺す方法を教えられる。そして義父は亡くなった。静香は自分にも殺したい相手がいると言う。そして今度は葵の番だと。

 読む前にこのタイトルを見て,この職業と言うのは私立探偵だろうなあと思いました。でもここで言う少女に似合わない職業とは殺人者なんです。殺人者が職業になるかどうか判りませんが,確かに少女には似合わないですね。冒頭,夏休みと冬休みに二人の人間を殺したとの葵の独白があります。あくまでも比喩的な意味での殺人かと思ったのですが,そういう事ですか。中学生の日常が淡々と描かれるかと思うと,彼女等の悪意のこもった態度にドキッとさせられたりもする。まあ私には女子中学生の心情が理解できるはずもないですが,友達の事とか家族の事とか,彼女の気持ちがスッと入って来る気がします。それにしても一人目の殺人に関してはいいのですが,二人目に関してはちょっと唐突。静香の存在の謎に関しても何だったのか良く判らないし,終わり方に難があり過ぎな感じです。

 

「砂漠」 伊坂 幸太郎  2006.01.16 (2005.12.15 実業之日本社)

☆☆☆☆

 手県出身の 北村 は仙台の大学に入学した。新入学生のコンパで知り合ったのは,奇妙な髪型をした鳥井と,やたらと熱い演説をした西嶋。そして彼らに誘われて一緒に麻雀をした,超能力を持っている南とクールな美女の東堂の二人の女性と友人になる。そんな中,鳥井が企画した合コンに参加した 北村 達だったが,二次会で行ったボーリング場で騒ぎに巻き込まれる。

 俯瞰的な視点からしか物を見られないと言う 北村 を中心に,5人の大学生達の1年の春,2年の夏,3年の秋,4年の冬が描かれる。私は大学を卒業してから30年近くが経つのだけど,とても懐かしさを感じた。当時も今もそれ程変わっていないと言う事なんだろうか。新しい環境の中で友人が出来て,恋が生まれて,バイトをしたり,様々な出来事があって,そして社会に出て行くまでのつかの間の4年間。そりゃあ将来に向けて勉強一途の学生もいるだろう,スポーツなどのクラブ活動しか眼中にない学生もいるだろう。そんな中で彼等5人は,普通のありふれた大学生。ありふれていると言っても手を失くしたり,超能力を持っているのは少ないか。タイトルにある「砂漠」と言うのは,彼らがこれから出て行く社会。モラトリアムの時代における,彼らの心の動きがとても良く表現されていると思う。それとともに学生時代に出来た友人関係の素晴らしさもいいですね。でも伊坂さんの作品にしては,何のヒネリも無いのが気になる。

 

「モザイク」 田口 ランディ  2006.01.17 (2001.04.30 幻冬舎)

☆☆

 精神に異常をきたした人間を,家族からの依頼で本人を説得し,病院まで運ぶ「移送屋」をしている佐藤ミミ。ある日,正也と言う14歳の少年を移送中,「渋谷の底が抜ける」と言う不思議な言葉を残して,彼は逃げ出してしまった。渋谷の街にいるはずだと確信するミミは,彼を探している途中,「救世主救済委員会」の存在をつかんだ。そして正也がこの謎の団体と接触している事を知った。

 「コンセント」「アンテナ」に続く三部作だそうですが,前2作よりは読み易いと言うか判り易いと言うか,まだ理解できると言うか...。渋谷の街を歩く人達が一斉に携帯のメールを受信するシーンが印象的でした。通信の発達は情報量の爆発的な増加をもたらしますが,情報を受けて処理する人間の方には限界があります。そして携帯こそが自分と自分以外をつなぐ唯一の窓口になってしまったら,情報なんて自分でコントロールすべきものなのですが,情報の持つパワーにつぶされてしまうんでしょう。また電磁波の怖さって今ひとつ理解できないのですが,電子レンジの話で説明されると怖いですね。あれは本当の事なんでしょうか。街の中に電磁波の集まる特殊な場所があっても不思議ではないですね。誰もが漠然と感じている現代社会の持つ歪みが上手く描かれた作品だと思います。

 

「痙攣的」 鳥飼 否宇  2006.01.19 (2005.04.25 光文社)

@ 「廃墟と青空」 ... ロックバンドのライブで,バンドのメンバーが忽然と姿を消し,ステージ上にはプロデューサーの死体が。
A 「闇の舞踏会」 ... 4人の前衛芸術家によるイベントの前夜祭にて,一人が「○×」のダイイングメッセージを残して殺された。
B 「神の鞭」 ... 人気アートパフォーマーの新作パフォーマンスの発表が,日本海に浮かぶ島で行われた。
C 「電子美学」 ... 家の事情で医者への道を諦めた彼女が勤めたのは,イカを専門に研究する研究所だった。
D 「人間解体」 ... マントを羽織った外国人の死体。そのそばの水槽にはたくさんのイカが泳ぎまわっていた。

 この人の作品を読むのは初めてなのですが,かなり変わった作者なんでしょうか。1作目の「廃墟と青空」はなかなか面白いです。ステージ上から消えたバンドのメンバー,そしてその代りにプロデューサーの死体。この事件をリアルに追うのではなく,数年後に関係者のインタビューを交えて推理していきます。事件当時の人物が意外な形で現れたりして,結末も納得がいきます。でも次の2作はちょっとどうでしょうか。確かに謎のダイイングメッセージについての様々な考察や,雷を使ったパフォーマンスなどは目を引きますが,どうも結末が変。しかし最後の2作を読んだ後では,これらもまともに思えます。何なんですか,最後の2作って。全然訳が判りませんでした。

 

「単騎,千里を走る」 白川 道  2006.01.19 (2005.12.15 幻冬舎)

☆☆☆☆

 東京のメーカーを退職し男鹿半島で漁師をしている高田剛一は,一人息子の健一との間に深いわだかまりを抱えていた。その健一が癌に侵される事を知った。民俗学者である健一は,中国の仮面劇に興味を持っており,ある役者が演じる「単騎,千里を走る」と言う仮面劇を観に行きたがっていた。健一の妻からそれを知らされた剛一は,健一の代わりにその劇をビデオに収めるため,中国の奥地に飛んだ。

 この「千里走単騎」と言うのは「三国志」に由来する話で,高倉健さん主演の映画を小説化したものだそうです。息子の代わりに中国を訪れる剛一の話が中心となりますが,その裏で剛一と妻と息子の今までの経緯が語られます。父を憎む息子,何とか関係を修復させたいと願う息子の嫁,そして息子に対する贖罪の気持ちから,中国へ向かう剛一の気持ちがヒシヒシと伝わってきます。さらに剛一が中国で出会う多くの人達のやさしさも心地よい。でも健一の態度がちょっと頑な過ぎるでしょうか。彼が父親に対してこの様な気持ちを持つに至った部分があまり描かれていないので,そう思うのかもしれません。父親と息子の関係って,いろいろと複雑な部分ってありますよね。これが母親と息子だと全く違うんでしょうが。でも最後に家族揃っての食事をさせて上げたかったですね。

 

「ライト・グッドバイ」 東 直己  2006.01.20 (2005.12.15 早川書房)

☆☆☆

 馴染みの退職刑事・種谷から,“俺”に送られてきた突然のメール。現在未解決となっている女子高生行方不明事件の証拠をつかむ為,その容疑者と友達になれと言う。容疑者は被害者がアルバイトをしていた花屋の主人だったが,偶然にも“俺”の馴染みのバーの客だった。壁に掛けられた1枚の写真を取っ掛かりに,偶然の出会いを装い男に近付いた。

 ススキノの便利屋“俺”シリーズの新作で8作目になります。いつも変な頼み事からとんでもない事件に巻き込まれる“俺”ですが,もう47歳なんですね。今回は退職した刑事からの依頼で,一人の男と友人になる事。行方不明になっている女子高生は,この男に殺され遺体は自宅にあると元刑事は睨んでいます。友人になって容疑者の家に上がれれば,何等かの証拠が握れるのではないかと言うものです。でもこの容疑者の男がかなり変な人物で,“俺”と同様に読者もかなりイライラさせられるのではないでしょうか。それ程ストーリーに変化がある訳ではなく,最後の仕掛けもありきたり。最近出版のペースが早くなってきていて,このシリーズ作も前作から2年も経たずに出ました。それはそれで嬉しいのですが,本作はちょっとどうでしょうか。

 

「その日のまえに」 重松 清  2006.01.21 (2005.08.10 文藝春秋社) お勧め

☆☆☆☆☆

@ 「ひこうき雲」 ... クラスで嫌われていた女の子が病気で入院した。お見舞いに行った時,初めて飛行機雲を見た。
A 「朝日のあたる家」 ... かつての教え子が偶然同じアパートに住んでいる事を知った。彼女は万引きをしていると言う。
B 「潮騒」 ... 癌で余命3ヶ月の宣告を受けた日,かつてクラスメートを海の事故で亡くした街にやってきた。
C 「ヒア・カムズ・ザ・サン」 ... 駅前でギターを弾いて唄っている一人の男の子が気に入ったと母は言った。
D 「その日のまえに」 ... 最後の外出の日,結婚した当初住んでいた街にやってきた。街も駅も大きく変わっていた。
E 「その日」 ... 最後の日の朝,シャワーを浴びてシャンプーをして,二人の子供を連れて妻の病室に向かった。
F 「その日のあとで」 ... 妻は亡くなったのだが,未だに妻宛てのダイレクトメールが送られてくる。名簿の中で妻は生きていた。

 「その日」と言うのは妻の最後の日,妻が亡くなる日,最愛の人との別れの日。愛する妻に宣告されたのは,癌で余命幾ばくもないと言う残酷な事実だった。最後の3編は,「その日」の前と後を含む連作ですが,他の作品とも微妙に繋がりがあります。誰にだって「その日」は訪れるんでしょうが,この夫婦の様に「その日」を意識しながら過ごす時間がある時もあれば,突然訪れる場合もあります。どちらがいいのか,どちらが残酷なのかは判りません。この夫婦の場合,二人で「その日」を語る事ができる時間を共有できたのは,幸せだったのでしょう。でもそれだけに切ない話です。4本の歯ブラシを買い置きしておいた妻,喪服に添えた手紙,最後の朝にシャンプーとリンスをする夫,亡くなった後に届いた手紙。いくつものエピソードが悲しみを誘うのですが,残された者が前向きに生きる様を合わせて描いているのがいいですね。私にとってめったに無い事なんですが,読んでいて涙が流れてしまいました。

 

「富士山」 田口 ランディ  2006.01.23 (2004.03.30 文藝春秋社)

☆☆☆

@ 「青い峰」 ... コンビニでアルバイトを続ける30代の男。彼は宗教団体に所属していた頃,富士山の近くで修行をしていた。
A 「樹海」 ... 高校を卒業するとバラバラになってしまう3人は,卒業記念の旅行に富士山の樹海を見にやってきた。
B 「ジャミラ」 ... 市役所の環境課に配属された彼の仕事は,家にゴミを溜め込んでいる老婆への対応だった。
C 「ひかりの子」 ... 産婦人科で看護士をしている彼女は,一緒に富士山に登ろうと見ず知らずの夫人から誘われた。

 日本人にとって富士山と言うのは特別な物なのでしょうか。私の場合,生まれ育った家から富士山は望まれましたし,ずっと東京で暮らしているので,気が付けば富士山が見えました。でも実際に富士山の実物を見た事無い人だって多いでしょう。そんな日本人にとっても富士山は特別な存在なのでしょうか。私は登山が好きですが,富士山には登った事がないですし,登ろうと思った事すらありません。私にとっては,ちょっと不思議な山です。この4編には何等かの形で富士山が登場しますが,それ程存在感を持って描かれている訳ではなく,何となくそこにあると言った感じがします。様々な悩みを抱えて生きている人からは超然とした存在として描いているのでしょう。富士山が世界遺産に登録されない訳だとか,富士登山の様子とか読んでしまうと,富士山に登ろうと言う気にはなれないですね。

 

「愛妻日記」 重松 清  2006.01.24 (2003.12.18 講談社)

☆☆☆

@ 「ホワイトルーム」 ... 自分が買ったマンションが,かつてアダルトビデオの撮影に使われていた部屋だと知った夫婦。
A 「童心」 ... 息子が塾の合宿の為に,初めて夫婦二人で北陸にある両方の実家に帰省する事になった夫婦。
B 「愛妻日記」 ... 忘年会のゲームで当たったオモチャの手錠。休日だった次の日,試しに妻に手錠を掛けてみた。
C 「煙が目にしみる」 ... いつもと違うタバコを買って家に帰った日。そのタバコを見つけた妻は意外な反応を示した。
D 「饗宴」 ... 高校時代の倫理の教師宛てに手紙を書く男。腰を痛めた教師の為に引越しの手伝いに行った時の話。
E 「ソースの小壜」 ... 子供の頃母親から真っ白な服を良く着せられていた。服を汚すと母から怒られた。

 「匿名で官能小説を」と言う編集部からの依頼で表題作を書き,その後も志願して書き続けたそうです。さて官能小説の感想を書くと言うのは,ちょっと恥ずかしい気もしますが,書いてしまいましょう。セックスに対してやや消極的な妻が,何等かの出来事で微妙に変化していく様子が描かれます。読む人によって何にエロスを感じるかはそれぞれでしょうが,私はこの手の話にエロスを感じませんでした。多分,夫婦だからと言うのもあるんでしょう。性に対して何処までが正常で何処からが異常かなんて誰にも判りません。夫婦にしても恋人同士にしても,お互いが互いの事を思いやって,それぞれが了解してれば,何やってもいいじゃん。どうぞ,お互いに楽しんでください。ちなみに「かっぽん屋」の方がエッチ度が高い気がしました。

 

「PINK」 柴田 よしき  2006.01.25 (2000.10.05 双葉社)

☆☆☆

 東京に住む父親の見舞いに行って神戸の自宅に帰ってきたメイは,夫の達也の様子がおかしい事に気が付いた。肉やムール貝の食べ方が違う。夫の浮気を疑うメイだったが,翌日刑事の訪問を受け,驚くべき事を知らされた。メイのかつての同僚が殺され,達也は彼女と親しい交際があったと言う。そんな中,メイ宛てに“2thinks”と名乗る人物から不思議なメールを受け取った。そこには,「そろそろ時間切れです。心の準備をして下さい。」と書かれていた。

 阪神大震災で婚約者を失ったメイ。その後東京で結婚したものの,夫の転勤で再び神戸で生活する事になった。幸せな結婚生活だったが,突然不思議な出来事が彼女を襲う。送られてきたメールの意味は何なのか,夫の食事の仕方が突然変わってしまったのは何故なのか,そもそも今の夫は本当に自分の夫なんだろうか。いくつもの疑問が巻き起こる中,さらに夫には殺人の容疑が掛かります。それもその被害者は夫が知るはずもない,かつての同僚。ここら辺の謎がどんどん広がっていく場面は,ワクワクして読めますし,いろいろな事に翻弄されるメイの心理描写も巧みです。でも後半の尻すぼみ感は否めませんでした。謎の魅力に対して,真相のインパクトが弱すぎる感じです。本当にこんな事が可能なのかと言う疑問が,どうしたって残ってしまうからでしょうか。

 

「裂けた瞳」 高田 侑  2006.01.26 (2004.01.15 幻冬舎)

☆☆☆

 神野亮司は子供の頃から,幻聴や幻視が突発的に起こる発作に悩まされていた。ある日,取引先を訪れる途中で,強烈な発作に襲われた。その時見たものは,プレス機に挟まれて死ぬ男が最後に見た光景だった。そしてその亡くなった男は,亮司が向かっていた取引先の社長だった。そんな中,亮司は長谷川瞳と言う社内の女性と不倫の関係に陥っていた。そして彼女と別れた頃から,彼の周りで不思議な出来事が起こり始めた。

 第4回ホラーサスペンス大賞の受賞作だそうです。まあホラーでもあり,SFでもあり,サスペンスでもあり,そしてミステリーでもあるんでしょう。何かいろいろなものが混ざり合ってしまって,全てが中途半端になってしまった感じがしました。動物を殺し,会社社長までを殺した人物は誰なのかと言う犯人捜し。亮司の一家に襲い掛かる何者かの強烈な悪意。亮司と瞳と言う特殊な能力の持ち主と,その二人の家族。不倫の関係になった亮司と,別れた夫との繋がりが断ち切れなかった妻。さらには動物虐待だとか少年犯罪の話だとかも出てきて,ちょっとお腹一杯。でも登場人物が置かれている状況とか,その時感じている心の中だとかの描写は的確で読む者に迫ってきます。この点ってホラーとかサスペンスにとって生命線ですよね。ですのでもう少しスッキリしたストーリーだったら良かったと思います。個人的には,最後の“石”を上手く活かした話にして欲しかったと思いました。

 

「最後の言葉」 重松 清(渡辺 考) 2006.01.27 (2004.07.16 講談社)

☆☆☆☆

 何も言い残すことはない。君と結婚して十七年がたった。幸せな思い出に満ちた十七年だった。来世への思い出でこれ以上のものはないだろう。君に何とか恩返しをしたかった。感謝の気持ちでいっぱいだ。私のぶんも子どもたちを可愛がってほしい。今後,日本は本当に困難な時期を迎えるだろう。日本は,あらゆる勇気を奮い起こして困難を乗り越えねばならない。父親を亡くした息子たちのよい相談相手になってやり,彼らを強く,廉直な日本人に育ててくれ。健,正,康へ。強い正直な日本人になってくれ。将来の日本を担ってほしい。兄弟どうし,互いに協力しあい,全力を尽くしてお母さんを助けてあげてくれ。これまで過ごした年月に対し,君になんと礼を言えばいいのかわからない。体を大切にして,末永く充実した人生を送ってほしい。

 上に記したのは,サイパン島で玉砕した日本軍将校カズミが妻シズエに宛てた手紙です。副題に「戦場に遺された二十四万字の届かなかった手紙」とある様に,アメリカが保管していた,戦死した日本兵が残した手紙,手記等。本作は60年の時を経て,それらを遺族の元に届けると言うNHKドキュメンタリーを書籍化した作品です。私には戦争の体験などありませんから,それらがどの様な状況の下で書かれたのか想像もできません。私には及びもつかない様な現実への絶望感,家族に対する深い愛情と想い,戦争の理不尽さ,無念の気持ち。ですから本作を読んで,感動したとか心を打たれたとか,書く気にはなれません。ただただ頭の下がる思いがするだけです。冒頭に「戦争を知らない子供達」の話が出てきますが,私は学生の頃にこの唄を聴きました。ちょっと歌詞に違和感を感じた事を覚えています。当時はたくさん居たであろう戦争体験者は,どの様な思いでこの曲を聴いたのでしょうか。それを考えると安易な感想は書けなくなってしまいます。

 

「隠蔽捜査」 今野 敏  2006.01.30 (2005.09.20 新潮社)

☆☆☆☆

 警察庁長官官房総務課長の竜崎伸也は,ある殺人事件の連絡を受けた。被害者はかつて世間を騒がせた事件の加害者だった。そして同じ事件の加害者が続けて殺された。どちらも同じ銃による射殺だった。これらの事件の指揮を取る警視庁刑事部長の伊丹は,竜崎の同期でしかも小学生時代の同級生だった。そんな中,竜崎は息子の犯罪行為を知り愕然とする。

 逢坂剛さんの作品にも元同級生だった二人の刑事・斉木と梢田が出てきますが,そちらのコミカルなコンビとは違って,こちらはれっきとしたエリート官僚。キャリアの意地をかけて警察組織の中で孤軍奮闘する竜崎は,息子の違法行為から窮地に立たされます。一方,竜崎とは立場も性格も全く違う伊丹ですが,連続殺人事件の捜査の行方から微妙な立場に立たされます。とにかくこの二人のキャラクターがいいですよ。事件自体はどうと言う事無いのですが,その処理を巡って警察内部が大きく揺れます。事件の隠蔽を図るグループに対して,この二人が取る行動が見ものです。でもちょっとかっこ良過ぎですね。それにしても国松長官の事件の真相って何だったんでしょうか。

 

「血の季節」 小泉 喜美子  2006.01.31 (1982.02.20 早川書房)

☆☆☆

 幼女殺害の罪で逮捕された男は,何故自分がこの様な犯罪を犯したのか明らかにしてから刑に服したいと希望した。弁護士は彼を精神科医の元に連れて行き,男は医師に40年前の自分を話し始めた。父親の事業の失敗によって,引っ越してきた街で見つけた“お城”。ヨーロッパのある国の公使館だったが,そこに暮らすフレデリッヒとルルベルの兄妹と知り合いになった事を。

 冒頭,弁護士が犯人を精神科医に引き渡す場面が描かれ,その後は幼女殺害事件の捜査と,犯人が子供の頃を述懐するシーンが交互に描かれます。後者は昭和10年代となっており,外国公使館を舞台に幻想的に描かれます。子供の目から見た子供同士の世界と,大人の世界の表現の仕方が上手いですね。この公使館にはどんな秘密があるんだろう,そしてそれが幼女殺害の原因にどうつながるんだろう。強く興味を引かれるのですが,警察による捜査の部分はあっさり過ぎ。最後は精神科医と弁護士との会話に戻りますが,幻想と現実のどちらに落ち着くのか,なかなか判りません。最後の2行が印象的ですが,このラストには納得いかない人もいるでしょう。