りこちゃんは、とめ子っていうの、ほんとはね。    *キッチンペール  *インプラント日記  *メ モ  *HOME

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2012-12-07(金)

松尾スズキ 一人芝居「生きちゃってどうすんだ」
チケットが取れなくてヤフオクで入手。
席に座って開演を待っていたら、私より後に来て隣りに座った方が、
「あの、ヤフオクの…?」って聞いてきました。
はい、そうですが…って訝しく思いながら答えたら、
「私、◯◯ですーー」って、出品者の方でした。
わぁ、そうなのか。そういうこともあるのか。
自分が行けなくなったから出品する、じゃなくて、余分なチケットを出す、というのもあるのか。
でもちょっとビックリしたよ(笑)
今回チケット取れなかったので、ありがとうございますー、とお礼を言う。
まぁ、定価以上払ってますけどね!
でも平日の夜の分だからか、そんなに高値にはならなくて、プレリザーブ料とかを考えたらまあまあ。
同じぐらいの年齢の方です。
お互いに、
「大人計画は結構観られてるんですか?」とか、
「7人は僕の恋人」からです。面白くて感動してそれ以来、とか、
それまでは主に「ナイロン」を観てたので…
「あ、さっき、そこのコンビニにみのすけさん居ましたよ(笑)」
「じゃあ大倉さんとか好きなんですか」
うーん、どうかな…。今はクドカンが好き…
私もー! NHKのドラマ、うまくいくか心配ですよね!!
などなど、始まるまでの間、話して過ごす。

で、お芝居。なんかあんまり印象に残ってないかもしれないなぁ。
(これ書いてるの2月)

老いを実感しながらも生きる人、
生の証明がなくとも生きる人、
新しい生の為に生きようとする人 (生を自ら終えようとする人/新しい生を捨てようとする人、※声のみの出演)
生のリミットが分かり、早死にする宿命を持つ人、
人の生を奪って生きる人、
そして死ねない生き続ける人、物語のキーマン「すずちゃん」
6人の物語。6人の松尾スズキ。

↑これ、他の方のブログからの引用なんです。
musa.J http://d.hatena.ne.jp/momJ/20121209

すごいなあ。こんな風に読み取ることができるなんて、素晴らしいよね。
私なんか、チーズ出てきたことも覚えてないもん。
はあーーーーーーっ。
もう私なんかが芝居観ても、元ネタが分からないことも多いし、
意味ないような気がしてきたよ…。
ネコに小判。馬の耳に念仏。犬に論語。兎に祭文だよ!!!
ほんと、もうそろそろ。

今日、芝居の前に寄ったのは、FREE FACTORY というカフェです。
寝そべるような格好で壁にもたれて足を伸ばして座る席とかあって、面白かった。
面白そうだから、あの席に座ってみたいけど、
他の席よりも高くなってて目立つし、1人のときはちょっと気恥ずかしい。
でも一緒に来る人がいないなあ。
一緒に来てくれる人が欲しいなあ。
今が学生だったらいーーのになー。
(学生だったら一緒に来る人がいるのか?)

2012-12-06(木)

槇村さとる「リアルクローズ」全13巻、面白かったー。
デパートのふとん売り場から一転、激務の花形部署・婦人3課に異動になり
そこで揉まれながらバイヤーとしてリーダーとして大きく成長していく女性の話。
デパートは女性が多い職場だけど、その中はやっぱり男社会。
日本の会社はみんな男社会。
その中で女性が仕事をするのは大変だけど、
絹恵の仕事に対するひたむきさがいいねえ。
仕事しているってかっこいい!! 羨ましい!!

私も仕事をしていたらどうだっただろうかーー。
一般事務じゃなく、男性と同じような仕事を割り振られていたら、
もっと違っていたような気がする。
今更ですが、まわりを見ていても、私は、人より特に劣っているわけじゃなさそう。
むしろ仕事に対しては優秀な方なんじゃないだろうか。
正社員で働いていた会社の仕事が、お茶くみと、コピー取りと、ワープロ清書って、
もったいなかったなあ。
一般事務職には、というか、女性には昇格もなかったし。
明らかに私よりも劣っている男性社員が、私の4倍、5倍の給料をもらっているんだもんなぁ。
男女平等の社会だったら、今、こんなアルバイトでさらに低い給料で働いてなんかいなくて、
少なくともあの程度にはなれたってことよ。

それとかインテリアコーディネーターのような、専門職を目指す、とかの道もあったかなぁ。
20代からそういう世界に身をおいていたら、ある程度はモノになったのかも。
つくづく、お茶碗洗って、ワープロで清書してただけの頃がもったいない。

まぁ、今さらマンガ読んでそんなことを思っても遅いけどねー。
女の子は「短大出て一般事務のOL」というのは、養父の希望でもあった。
養父の言うとおりにして、親孝行したんだから、いいんだよね…。

でも、生まれ変わったら、今度は、給与に男女差のない公務員になって
結婚はしないで、一人暮らしをする。そうしてみたい。

2012-12-05(水)

私が更新業務をしている親会社のWEBサイトが、今度リニューアルされるそうです。
担当者が、WEBの業者さんと打ち合わせを重ねていたようなのですが、
突然、今日は私も同席するようメールが来ました。
打ち合わせの内容もよく分からない上、
後半からの出席で良いけど、前半から出ても良い、という書かれ方。
うーーむ…。
まったく親会社の人の言うことは自分本位で分からんよ。
今日は頭痛だったので、後半から出席することにしました。

私はシステムの人間として呼ばれたようでした。
後半はシステム系の話。
そして前半は、制作会社の方が新しいサイトデザインの案を2つ持ってきていて、
その決定の場だったようです。
えー、なんだ、前半の方が面白そうだったー。
私にも渡されたA案、B案、2つのデザイン。
2つを見比べると、明らかにA案のほうがいい。
サイトに訪れた、まだこの会社のことをあまり知らない人たちに、
クリックしてもらえそうなタイトル、ボタンの配置、デザイン。
ところが、すでにB案で決定して、それで話を進めている、とのこと。
えーーーっ…。
これ、どう見ても、デザイナーは、A案を推すつもりで作成していて、B案のほうは捨てデザイン。
ああ、 もし私が前半のデザイン決定の場にいたら、
なぜAのほうがいいか、言えること、納得させられるようなことはたくさんあった。
親会社の人は「身内の目」でしか見てないからなー。
でも、すでに決定済み。時既に遅し。
Bで話が進んでいるのに、
途中から来た私が余計なこと言って、話が元に戻っちゃったりしたら、
業者の方もゲンナリするでしょう。
前半1時間は何だったんだ、ってことになる。
しかも私は別会社(子会社)の人間。の、しかもアルバイト。
そして、今日はシステムの人間として呼ばれているよう。(ナゼか)
私にデザインについて発言する権利はないよね。
と、頭の中でモヤモヤモヤモヤ…。
しかし、これはどーみてもA。
大体、親会社で、WEBデザインについて分かる人が誰も出席していない。(というか居ない)
モヤモヤモヤモヤ…。
でも、冷静に考えてみれば、別に自分の会社のページじゃないし!
所詮、他社のページだし! どーでもいいじゃん!! と、無理やり自分を納得させました。
あ~、いっそのこと今日来なきゃよかった。
最初からBだけ見せられて、今度これになるのでー、と言われたら、
そーですかー、で済んだのに。

後半は、サーバーとシステムの話。
聞いていると、親会社の担当者の「素人」の意見をそのまま聞き入れる形で、
おかしな方向に話が進んでいく。
では、もう1つサーバーを立てて、逆方向のミラーリングで…などどいう話になってきたので、
それには思わず口を挟み阻止しました。
アップ前の確認目的でそれをしても、無意味ですよね? おかしいことになりますよね?
業者の人も少し考えて、「…おっしゃる通りです」
はー、実際に更新作業をするのは私なんだからー。
手続きが無意味に煩雑になるのは困る!!
これ、私がいなかったら、サーバー2つ立てて…っていうおかしなことが決定してたわけ?
はー、やっぱり来て良かったかも。
他にも変なことが決まったりしてないでしょうね…。
だいたい、親会社の方のメンバーでWEBに詳しい人が誰もいない。
私はなぜか今日だけ呼ばれたけど、あとはカヤの外。

さらに、リニューアル後は全体がCMSになるらしい。
えっ。ということは、担当者が直接更新? 現在の私がやっている更新作業は要らなくなる?
と思ったら、みんな忙しいので、そこは今までどおりお願いしたい、とのこと。
えっ????
だったら、何百万もかけてCMS導入する理由は何?
専任者を置かなくても、担当者が直接更新できる! ページ更新が早い! というのがCMSの利点。
(HTMLの分かる専任者というのが、現在の私)
今までのように、ページの変更内容をメールで送ってきて、私がそれを見て直して…、だったら
CMSにする意味がないじゃーーん!!
親会社の人は、そもそもこういう根本的なことから分かってない。
業者の会社をみると、CMSの代理店をしているような会社だったので、
恐らく、向こうに言われるがまま、導入することになっていったのでしょう。
CMSにする意味を考えることもなく!!
あーあ。
まぁ、他社の話、他社の話…(;^ω^)

しかし、じゃあ、CMSで更新するのは私?
全然やったことないし、今さら覚えたくないーー。面倒ーー。
HTML組むより自由度低そうーーー。
果たしてCMSにして誰かにとって何かいいことあるのか?

でもまあ、今後は、会社を休んでいても、自宅で更新できるようになったりするわけですね。
外出中でも、ネカフェや漫喫があれば、そこからでも!!
今まで、何か更新のある日は休みを取りにくかったので、
いざとなれば、ネカフェからでも更新できます、というのはいいかな…。
芝居観た後に、ちょっとネカフェに寄って、更新?
しかし…、各担当者がとっとと更新作業を覚えた方がいいと思うけどなぁ。
でも、そうなるとうちの会社の仕事が1つ減ることになるので、
まぁ、いいのかなぁ。

という、いろいろモヤモヤモヤモヤしたお話でした。

で、それから2ヶ月ぐらい時間が経ってみたら、(これ書いてるの2月w)
サイトデザインのことなんか、すっかり、本当に、どーーーでも良くなっていました。
AでもBでもどっちでもいいわ。結局、私は当事者じゃないもん。
あー良かった、あのとき子会社のバイトの分際で余計なこと言わなくて!

あ、そして、サイトデザインどーのとか言ってて、ここのサイトはアレなんですけど、
ここは誰かに見せるというより、私の単なる忘備録なので、いんです!!
(´ ◉ω◉ `)

2012-12-03(月)

「日本人の死に時 ~そんなに長生きしたいですか」
久坂部 羊(くさかべ よう)・著

このところ、長生きはしたくない、と切に願っているので、
この手の本ばかり読みたくなる…。

著者は現役の医師であり小説家です。
このところ特に終末期医療に携わっているようです。
さまざまな現場で思う「死に時」の話。

私は元から、長生きして家族に迷惑をかけたくない、延命治療はしたくない、
と思っていたので、この本を読み、その考えをますます確固たるものにしたわけですが、
さらに力づけられたのが、本来「死は苦しいものではない」ということでした。
それは動物の死を見ても明らかであり、
生物は、寿命が来れば自然と食べ物を摂らなくなり、水も飲まなくなり、
最後は枯れるように死ぬ。
人間の場合、臓器はすでに消化吸収できなくない状態なのに、
胃瘻や点滴で無理に栄養を送りこむことで体に負担がかかり、非常に苦しむのだそうです。
寿命が来たら死ぬというのは自然の摂理なのに、それに反したことを施しているわけです。
それにより再び健康な生活が送れるわけではなく、死ぬまでの時間が少し伸びるだけ。
しかも非常に苦しい。
やっぱり延命治療は患者にとって無意味なんじゃないだろうか。

著者が医師として終末期医療に関わった数々のエピソードの中で印象的だったのが、
肺がん末期の亮一さん(仮名)の最期。
徐々に食欲をなくし、水も飲まなくなり、それでも本人はチューブ栄養や点滴を一切拒否。
住み慣れた家で家族に囲まれ布団の上で静かに最期を迎えました。
著者は枕元に正座して脈を取りながら、自分をまるで江戸時代の医師のようだと思ったそうです。
点滴も心電図も酸素吸入もない。部屋にはただ静かな空気が流れているだけ。
そしてこんなに穏やかに亮一さんを看取ってあげた家族に、深い敬意を抱いたそうです。
いつまでも死を避けようとして治療にすがるのではなく、すべてを亮一さん本位に考える。
もし亮一さんの食欲がなくなったとき、家族が無理に入院させ濃厚な治療を求めたら
亮一んさんにとっては死ぬより嫌がってたオムツや導尿カテーテルなど、
人生の最期にそんな嫌な思いをさせていたかもしれないのです。

逆の話。
前立腺がんが転移し末期の良成さん。(仮名)
本人は延命治療を嫌がり、自宅で過ごしていたのですが、
容態が急変したときに、かけつけた息子さんが救急車を呼び、病院に入院させたのです。
著者は、救急車を呼ぶ前に診察した際に、今晩か翌日が峠だろうと思っていたら、
亡くなったのはなんと入院2週間後。
病院に着くなり検査に回され、ステロイド剤や抗生物質を投与され、強心剤の点滴もされ
死ぬに死ねない状態で、2週間苦しみ抜いて亡くなったそうです。
途中、意識が戻ると、酸素マスクを外して「家に帰る」と叫んで暴れ、
早く帰りたい、楽にしてくれ、と訴え続けて亡くなったそうです…。

ここで、やっぱり延命治療は本人が可哀想だ、と思うのが普通かもしれませんが、
私は、いや待てよ? と思っちゃった。
良成さんは最期がどんなに苦しかったとしても2週間。その後は死んじゃって何も分からなくなる。
かたや息子さんは、あのとき救急車を呼ばずに、自宅で鎮静剤だけにしていたら、
「自分が救急車を呼ばなかったから死んだ…」と、自責の念にかられるかもしれない。この先何十年も。
あるいは親戚に非難されちゃったりすることもある。
死ぬ人間vsこれからも生きていく人間。
生きている人間を優先させるとしたら、良成さんが2週間苦しんだとしても、
仕方ないのかなー、と。すべては生きている息子のため。
息子さんは父親の命を2週間延ばせて満足でしょうし、親戚にも顔が立つ。
でも長年生きてきて、最後の最後に、こんなに苦しむなんてやっぱり可哀想だけどね。
無理に命を延ばすのは家族のエゴ。患者さん本位で考えてあげないと可哀想。
欧米では、無理な延命治療は虐待だ、という考えもあります。
いや、待てよ。
あるいは、この息子さんは、父親のことが大嫌いで、
実は延命治療で苦しむことが分かっていながら、救急車を呼んだのでは。
積年の恨みをこの2週間に凝縮させて晴らしたのではないだろうか。
今の日本ではまだ、この状況で入院させて延命することは、なんら非難されることではない。
合法的に、死ぬ間際の2週間、苦しみを味わわせることができたというわけ。
まあ、それは穿ち過ぎかな。
でも、ほんと、無理な延命治療は、家族は満足かもしれないけど、本人への虐待だと思う。
日本では、死=悪という図式があって、(誰でも絶対死ぬのにね)
死を避けるためなら、ほんの少しでも先送りできるなら、
本人がどんな苦しくても仕方ない、延命してあげてー、という考えがあるように思う。

既得の知らせを聞いて、慌ててやってきた遠くの親戚に限って、
死にゆく人間に向かって、「しっかりしーやー!! 頑張りやーー!!」などと、無責任に応援するのだそうです。
身近でずっと看護してきた連れ合いは、「もうええな。楽になりや…」という気持ちでいるのだそうです。

著者は、本の初めのほうでが、現代は長生きしてもあんまりいいことがないよ、
ということも言っています。
私も目はだいぶ衰えていますが、今後、排泄機能も衰えてくるそうで、(もちろん個人差はある)
それは嫌だったなぁ。
さらに、昔の老人は、毅然とした態度や思慮深さなどを持ち、それなりの威厳があったものだが、
現代のように「若さ、強さ、美しさ」に価値を求める世の中では、老いるほどに価値は失われる。
この価値観の中では、どうしても若者が優位に立ち、老人は若者を追いかける形で、
みっともないアンチエイジングに走る。
仕事にしても、昔は年寄りなりの経験が生かされたものが、
ITが入り込んだおかげで、仕事でも若者の方が優位になってしまった。
現代に老人を尊敬する余地はない。
さらに介護などで、いずれ自分たちの時間とお金を奪老人は、
若者にとって厄介な存在なのです。
…だって。はぁ…。

「留魂録」 吉田松陰

何となれば人寿は定まりなし、禾稼の必ず四時を経る如きに非ず。
十歳にして死する者は十歳中自ずから四時あり。
(略)
義卿三十 四時已備 亦秀亦実

何故なら人の寿命には定まりがなく、穀物のように決まった四季を経ていくようなものではないからです。
十歳にして死ぬ者は、その十歳の中に自らの四季があります。
(略)
私は三十歳で死ぬが、四季は己に備わり、また穂を出し、実りを迎えました

「徒然草」 吉田兼好

あかず惜しと思はば、千年を過ぐすとも一夜の夢の心地こそせめ。
住み果てぬ世に、みにくき姿を持ちえて何かはせむ。
命長ければ辱多し。
長くとも四十に足らぬほどにて死なむこそ、めやすかるべけれ。

人生に満足せずに、いつまでも生きていたいと思うなら、たとえ千年生きても、一夜の夢のように短いと思うだろう。
永遠に生きられない定めの世界で、醜い老人になるまで長く生きて、一体何をしようというのか。
漢籍の『荘子』では『命長ければ辱多し』とも言っている。
長くても、せいぜい四十前に死ぬのが見苦しくなくて良いのである。

災害に遭った良寛が山田杜皐へ宛てた手紙

災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。
死ぬる時節には死ぬがよく候。
これはこれ災難をのがるる妙法にて候。

人智を超えた約何は、逃れようと思えばそれだけ苦しみが増え、
避けようと作為を施すほど災いが大きくなる。
死ぬ時が来たら、死ぬのが一番楽。

死に時を考えるというのは、死を含む全てに自然の時節をわきまえる、ということ。
若いうちは良く学び、一人前になったらしっかり働き、
中年になれば人生の収穫を楽しみ、 老いれば達観する。
それぞれに相応しい時宜がある。

皆さん、人生は60歳と考えて、やりたいことはそれまでに!!
キヨちゃんが就職するまで生きていれば充分だから、私はそのぐらいがちょうど。
ただ、おうちの人は、もっと長生きしなくちゃあきまへんなぁ。