2000年1月1日〜1月15日

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1月15日(土)

 戸籍抄本をとるために横浜に行く。駅構内に出張サービスコーナーがあって、土日でもOKなのは非常に助かる(地元の市役所なんて、半休とらなきゃ住民票もとりに行けないもんな。自宅の目の前にあるのに。ちなみに、そらけいは埼玉県在住)。しかし、戸籍謄本/抄本に限っては、土日に申し込んでも翌月曜日の11時以降でないと発行してもらえないらしく、また来週、とりに来なきゃいけないのか? と思ってショックを受けていると、窓口で対応してくれたおばちゃんが、近くにある郵便局で切手を買ってくれば、郵送で送ってくれるという。そういうサービスをやっているわけではなく、あくまで善意(だと思う)。いくら感謝しても足りないくらい。というわけで、無事任務終了。

 そごうの2階にあるアンリ・なんたらという洋菓子店でお茶。いささか空腹だったので、そらけいはコーヒーとクロック・ムッシュ。連れは、クレープをオレンジソースと洋酒で軽く煮たデザート(例によって名前を失念)。クレープのデザートは、客の目の前で調理するというのが売りで、テーブルの横でオレンジソースの入ったフライパンに洋酒を注ぎ、派手に炎をあげて見せ、そのまま皿に盛って供するという趣向。その後、シーバスでみなとみらいへ。
 クイーンズ・スクエアを中心にふらふらと散歩。みなとみらいのどこかに、appleのStore-in-Storeがあったことを思い出し、探したのだが結局見つからず(後で、もっと横浜駅寄りにあることが判明)。夕食は中華。しかし、移動が面倒だったので、中華街ではなくクイーンズ・スクエア内にある崎陽軒経営の「龍」という店。

 森博嗣月は幽咽のデバイス』、「MacPeople」2/1号、「MacFan」2/1号を購入。MacOS Xはなかなか良さそう。とりあえず、OS9に本格的に移行しておいたほうがいいかも。

1月14日(金)

 なかなか読み終わらなかった『歪曲王』をようやく読了。終盤近くは、おもしろかった。しかし、今までの作品と比べると、場面/視点の切り替えがうまく機能していない気がする。それぞれのエピソードがばらばらに動き過ぎていて、まとまりに欠けるというか、全体的に書き込み不足の割には余計な枝葉が多すぎるというか。いっそのこと、第一作目のスタイルで書いた方がおもしろくなったんじゃないかと思う。

 ところで、楽をする苦労を厭わない、というのは矛盾しているだろうか?
 というのも、そらけいは往復の通勤電車で必ず座るのだが、そのために朝は一時間近く早起きして一駅前の始発駅まで戻って並んでいるし、夜も高田馬場から始発/終点である西武新宿まで戻るか、タイミングが良ければ350円を払って特急の指定席で帰ってしまう。時間と金銭の無駄、という気が我ながらしなくもないのだが、その対価を支払うことで避けられる苦痛を思えば安いものだと思う。早起きした分は電車の中で寝ることで補えるし、特急であれば確実にある程度の自分のスペースを確保することができるので、周りに気を使いながら本を広げる必要もない。あたり前だが、とにかく快適なのだ。
 ……もう抜け出せないだろうな、きっと。

1月13日(木)

 なぜか今になって会社の新年会。お好み焼き屋兼飲み屋といった感じのお店。つきだしにいきなり納豆の入ったつまみ(卵か小麦粉を溶いたものに納豆を入れて焼いたらしい)が出てきて大ショック。気づかずにあやうく食べるところだった。
 酒のまわったKT氏の恋愛哲学トークが炸裂。ところどころで暴走を阻止しようと突っ込みを入れるも、聞く耳持たぬといった感じてあえなく玉砕。例えば、「異性に対する恋愛感情と同性に対する好意とには質的な差異はない」(要旨抜粋。パラフレーズ済み。以下同)とか、「結婚は単なる制度であり、恋愛とはまったく別である」とか、「相手の美醜と、性欲と、恋愛感情の相関関係」とか、まあ、確かに論旨としてうなずける部分が少なくないものの、一方的に喋っているだけなのでまったく会話にならない。店を出た後も「まだ話し足りない」などと言う始末。いや、おもしろかったからいいんだけど。

1月12日(水)

 痛恨の一撃。というのは大袈裟だけど、自分のサイトと比較的系統の近い、より質の高いサイトを発見してしまった。複雑な気分。もちろん、そのサイトを発見したこと自体は嬉しいのだが、自己愛の強いサイト制作者としては、少しばかり落ち込んでしまう。特に文章量の圧倒的な差はいかんともしがたい。……て、張り合ってどうする?

1月11日(火)

 講談社ノベルズの新刊が出ているはずなのだが書店に寄れなかった。現在は『ブギーポップ・オーバードライブ 歪曲王』を読んでいる。が、いまいちのれない。

 昨晩、2ちゃんねる掲示板少女マンガ西村しのぶスレッドを発見。先月発売の「YOUNG YOU」に写真が載っていたらしく、その素顔に衝撃を受けた人々の膨大な書き込みがある。自分を美化しすぎ、との意見が大勢を占めている。残念なことに、すでに新しい号が出ており、該当の号は店頭から消えてしまっているらしい。気づくのが遅かった。う〜ん、見てみたい。

 個人的には以前にも書いたよう西村しのぶのことを天才だと思っているので、スレッド中の西村作品に対する否定的な意見は非常に新鮮でおもしろかった。面倒なので引用は割愛するが。

 ご本人のサイトである下山手ドレス別館については、オープン直後に喜んで見に行ったところ、あまりにのつまらなさに落胆して、しばらく見にいってなかったんだけど……。なるほど、「こぐま掲示板」に書き込んでいる人々のことをこぐまりあんというのか。知らなかった。
 それにしても、2ちゃんねる掲示板は熱狂的なファンに対して手厳しい人が多いなぁ。セガBBSに対しても然りだし。

 何はともあれ、早いところ『下山手ドレス』を出してほしいものである。あと、西村しのぶの写真がアップされているところをご存じの方はご一報を。いや、単なる興味本位なんですけどね。

1月10日(月)

 一日中だらだらと寝て過ごす。あとは、サイトのチェックを少し。どうやら「ReadMe!」のサーバが落ちているらしい。昨晩、更新報告をして、他の登録者のサイトを適当に見て回った後、戻ろうとしたのだが繋がらなかった。それ以降、何度試しても駄目。ホームページに貼りつけてあるアイコンが読み込まれない以上、アクセス数のカウントもされていないのだろう。う〜む。今日は「日記猿人」と「日記圏」の更新報告だけか。
 それにしても、こういう状況になると、繋がらないのって、もしかして俺だけ? などと考えてしまう。もちろん、そんなことはないんだろうけど。他の人の日記(「日記猿人」と「ReadMe!」の両方に登録している)をいくつか見て回ったのだが、誰もそんなことには触れていないし……。まあ、明日になればわかるか。

 他人様の日記を読むのは楽しい。「日記読み日記」を読むのも楽しいし、「日記読み日記」批判を読むのも楽しい。単なる覗き見趣味? 野次馬根性?
 基本的に、ブックマークはしない(おっと。IEだから「お気に入りに追加」か)。だから、サイトの制作者のキャラクタと日記はほとんど頭の中で一致していない。だらだらと、適当に、目についた日記を数日分読む。「日記猿人」の投票ボタンも、一度も押したことはない。ご覧のとおり、自分のページにもつけていない。

 どんなことを書き、どんなことを言ったとしても、それは結局「自分は正しい」ということの変奏にしかならないことにうんざりする。自己否定すらも、「自分の否を認めている自分は正しい」ということに他ならない。それを避けるとすれば、選択肢は二つしかない。徹底して沈黙するか、矛盾を含む膨大な量の言葉を吐き出すことで言葉自体の意味を無効化するか。
 日記にはさまざまな人の吐き出すさまざま言葉がある。互いに反発したり、共鳴したり、まったく接点を持つことがなかったりする。それらは独創的だったり、普遍的だったり、何かの反復だったり、革新的だったり、反動的だったり、難解だったり、平易だったり、乱暴だったり、丁寧だったり、陳腐だったり、明快だったり、曖昧だったりする。それぞれの言葉に意味はあるが、総体として見ればそれは混沌としかいいようがなく、それぞれに意味があろうがなかろうが、たぶん、どうでもいいのだろう。ここは、そういう場所なのだと思う。それは「私」をひどく安心させる。

 という意味不明の文章はさておき、結局何が言いたいかというと、この日記のスタイルが変わるかもしれない、ということ。いや、もしかしたら今まで通りかもしれないけど。

1月9日(日)

 このサイトのコンテンツのひとつである「BOOK」の「偏愛する本」にアップする文章を書くためにジョン・ファウルズの『魔術師』をぱらぱらと拾い読み。

 で、そちらには書かなかった余談をひとつ。奥泉光の『プラトン学園』って、『坊っちゃん』はもちろんそうなんだけど、この『魔術師』を意識していると思われるのだが、それにも関わらず、ラストで安易なメタフィクション的な技法を弄しているあたりがむちゃくちゃ不満(メタフィクション云々と『魔術師』の関係については上のリンクをクリック)。『グランド・ミステリー』にしても、あえてメタフィクション的な手法を使う必要性が感じられない(すみません。奥泉作品はここに挙げた2作しか読んでいません)。一度、徹底して反動的な徹底してモダンな手法の小説を読んでみたいんだけど……それじゃあ、奥泉作品じゃなくなっちゃうか。以上、余談終わり。

 一応、上記で使用している「メタフィクション的な手法」という言葉の個人的な定義を示しておくと、作品世界の複数のレベルにまたがる叙述、のこと。て、わかりづらいか。例えば、岡嶋二人の『クラインの壺』は、2つの作品世界のどちらが上位レベルなのかは不明だが、その2つが混じり合うことはないので、ここでいう「メタフィクション的な手法」にはあたらない。

1月8日(土)

 久しぶりのカイロプラティック。本当は今日で終わる予定だったのだが、またもや姿勢の歪みが出はじめているので再調整。次は2月。結構、出費が痛い。1回5000円ナリ。

 その後、連れと宮沢湖までドライブ(もちろん助手席)。湖っていうか、貯水池。土曜日だというのに、閑散としていて釣り人以外にはほとんど人気がない。まあ、着いたのが4時過ぎだから、こんなもんか。ぐるりと湖の周囲を散歩。湖面を泳ぐ鴨の姿を見て、安直にも矢ガモが話題に。そういえばいたよな、そんなの。矢ガモはとっくに死んでるとして、今頃、鴨をクロスボウで撃った人は何をしてるんでしょうか? 鴨南蛮を食べるたびにその時のことを思い出して感傷的な気分になったり湖で鴨の姿を見るたびに罪の意識に苛まれたり、あるいはそんなことはすっかり忘れていたり、まあ、そんなことはどうでもよろしい。その後、首長族の人は首の輪っかをはずすと頭を支えきれずに死んでしまうという話に。本当だろうか? その話題に至る会話の流れは都合により省略。湖の周囲をぐるりと一周する遊歩道の入り口から最も遠い場所に「なかよし動物園」というのがあって、わざわざ300円の入場料を払って入ろうと思ったのだが、閉園が4時半なのであきらめる。園内から聞こえるギョエー!! という鳴き声をどの動物が発しているか見たかったのだが。残念。

1月7日(金)

 1月3日の日記に書いた『白夜行』と『盤上の敵』にかんする批判だけど、読み返してみたらあまりに手順を無視していて杜撰なことこのうえないので、いったん評価保留という形にしたい。あの文章の一番の弱点というのは、自分で「このサイトでは、現実社会レベルの事象についてはできるだけ批判的言説を弄さない、創作物に関してのみ少し突っ込んだ批判を行うというスタイルを採っている」といっているにも関わらず、創作物である『白夜行』と『盤上の敵』に対して、「現実社会レベルの事象」にかんする言及にほかならない松浦理英子の「嘲笑せよ、強姦者は女を侮辱できない」と田村光啓の「レイプ神話と』」を無条件に援用してしまっていることだと思うのだが、それ以外にも、両作品を大した検討もせずに一括りにしてしまっている点とか、具体的な内容に対する批判に欠けている点など、いくら日記とはいえ、あまりにひどい内容である。ただ、基本的な論点の方向性を変更するつもりはないので、「削除」や「撤回」ではなく、いったん「保留」ということにさせていただく。

 はじめは、上記のような内容を、自分ではない他の人の書いた日記に対する批判のように読める形で書こうかと思った。「ReadMe!」とか「日記猿人」の紹介文に、「怒りの某日記批判」みたいなことを書いて、この日記では文章を引用しつつ批判を加え、最後の最後で「日記の原文はここ」と自分の日記にかんする言及であったことをばらす、みたいな。ちょっとはアクセス数稼げそうだし。でも、やめた。おもしろくないから。

1月6日(木)

 会社に泊まったので更新はなし。

1月5日(水)

 4時間という睡眠時間は夜更かしが過ぎる最近では比較的多いといえるし、正月休みの間に睡眠不足を解消していたということもあるのだろうし、あるいは起き抜けに煙草を二本立て続けに吸ったのが良くなかったのかもしれないが、とにかく、朝の電車で席に座ってもなかなか眠れず、それでもしばらくすればいつものように眠れるだろうと思って、駅の売店で買ったマンガ週刊誌も読まずに目を閉じたまま、駅ごとに電車が止まって駅員のアナウンスとともにドアが開き客が乗り込んでくるのを耳で感じ、まだ眠れない、まだ眠れない、もう半分も来てしまったと内心であせり、それが余計に眠りを妨げるのか一向に眠れず、まだ高校生の授業がはじまっていないからだろうか、自分のすぐ前にいる人が膝にぶつかるほど近くに立つこともなく、どうやら車内はすいているようだと考えていると、マフラーに顎をうずめるようにしてうつむいていたせいで次第に首が痛みはじめ、少しだけ浅く腰掛け直して頭を起こし、後頭部を窓にあずけたのだが、やや顔を上に向けた姿勢で目を閉じていると、自意識過剰にも前に立っている人に自分の無防備な顔をさらしているようで耐えられず、首に痛みを感じながらまたうつむき、そうこうしているうちに乗っている準急が目的の駅までの間で停車する最後の駅を過ぎてしまったので、あきらめて目を開けマンガ週刊誌を読むことにした。

 ……だめだな、こりゃ。ただいま芸風模索中。

1月4日(火)

 昨日の日記みたいのを「ひとの褌で相撲をとる」っていうんだろうな、きっと。

 それはさておき。
 すげー恥ずかしいことに気づいてしまった。
 この日記のファイル名が、ずっと「diary」じゃなくて「dialy」になってた!
 うわ〜、人に指摘される前に気づいて良かった。
 いや、でも、トップページのGIFのアイコンはちゃんと「DIARY」になっているので、どうしてそんな間違いをしたのかは自分でもわからん。
 よく、「LINK」を「RINK」と書いてる人がいるって話は聞くけど、「DIARY」を「DIALY」と書くってのは、あんまり聞かないよなぁ。「DAILY」と間違えたのか?
 しかし、実は一部に外部リンク対応としてそのままの名前で残してあるファイルがあったりする(探さないように!)。
 それにしても、いちいち各リンクファイルの修正をやらなくて済むのは「GoLive」様々ですな。

ブギーポップ・イン・ザ・ミラー パンドラ』読了。やっぱり、おもしろい。6人の主要登場人物もきちんとキャラが立ってるし、ブギーポップの登場の仕方なんかもお約束っていえばお約束なんだけど、非常にツボを押さえた作りで安心して読める。全体的に描写が淡泊なのが物足りない気もするが、出版されているレーベルを考えれば充分とも仕方ないともいえるし、この淡泊さにともなう軽さというかスピード感が魅力の一部であることは確かなので、一概に弱点とはいえないのが難しいところ。
 そういう意味で、一般向け(?)のレーベルである講談社ノベルズから発売される『殺竜事件』がどういった小説になるのか、非常に楽しみではある。

1月3日(月)

 今日の日記には東野圭吾白夜行』と北村薫盤上の敵』にかんするネタバレの言及があります。ご注意ください。

 ここに書いた通り、一度アップしながらも削除した『白夜行』と『盤上の敵』に対する批判だが、その拠り所となった松浦理英子の文章について言及している論文を見つけたのでリンクを貼っておく。

 どうして1カ月も前の話をいきなり蒸し返したのかといえば、あるサイトでレイプに関する文章を読んだからである。リンクはここ(肝心のテキストに直にリンクを貼る方法がわからないので、トップページに貼ってある。「life」→「2000/01」とたどってもらえれば、目的のテキストにたどり着くはず)。

 このサイトでは、現実社会レベルの事象についてはできるだけ批判的言説を弄さない、創作物に関してのみ少し突っ込んだ批判を行うというスタイルを採っているので(明言したことはなかったけど)、上記リンク先の事件についてはコメントを避ける。

 ともかく、松浦理英子の論をそらけいは全面的に支持する。それを踏まえたうえで『白夜行』と『盤上の敵』を見ると、「レイプの被害にあった女性が人生を狂わされてしまう」といったプロットを無条件に採用していることが問題点なのは明白であると思う。もっとも、東野圭吾にかんしてはこの点について多少なりとも自覚的であることがうかがえる(物語の終盤近くに、犯人がそれを被害者を支配するための効果的方法であると信じていた、という脇役の台詞がある)し、一方の北村薫にしても、必ずしもレイプのみがヒロインの人格に影響を与えたという構成になっているわけではない。しかし、例えば桐野夏生の『OUT』の終盤近くの展開と比較してみれば、その認識の違いに深い隔たりがあることがわかる。これは、作者の性別以前の問題だろう。
 この批判は、まったく筋違いだろうか?

1月2日(日)

 外出。昔と違って、どこの店もたいてい開いているので、あんまり正月らしくないよなぁ、と、これはここ数年毎年思うことなのだが。

 夕食はHALF DIMEという金鉱風レストランと銘打たれたローストビーフの店に行く。金鉱風? と思いながら重い金属の扉を開けて店内に入ると、なるほど、確かに金鉱風である。壁は岩を模したハリボテで覆われており、丸太の柱が縦横に組まれている。さらに、店員は白雪姫やピーターパンなどのコスプレをしているのだ(まあ、これは金鉱とはまったく関係がないけど)。ディズニーランドの縮小版といった感じ。で、テーブルにつくと野球のユニフォームを着た女性がやって来て、水とメニューを差し出しながら「大リーガーの○○と申します」と自己紹介。大リーガーに給仕をしてもらうのは初めてのことなので、動揺のあまりメニューを見るふりをして目を伏せてしまう。白雪姫やピーターパンは理解できるが、なぜ大リーガー
 バットマンが料理を運んでくるわ、食事している横を白雪姫が通り過ぎるわ、なかなか馬鹿馬鹿しくも愉快な状況ではあった。と思う。たぶん。

 で、ちょっと思ったのだが、テーマパークのスタッフにしろ、今回のレストランの店員にしろ、単なる制服ではない衣装を身につけて接客をしている人というのは、接客の質が比較的(あくまで比較的にね)高いレベルで維持されているように思えるのは気のせいだろうか。
一種の開き直りによってテンションが高まる。モチベーションがより明確になる。過剰な演出の導入でマニュアル通りの接客という印象が薄くなる。などの理由があるように思えるのだが、どうなんでしょうか。あくまで素人考えですが。

 ところで、このサイトのメインページであるはずの書評ページについて、現在、自分で認識している問題点を書いておこうと思う(人に指摘される前に自分で言ってしまう、というのがそらけいの自己防衛のスタイルなのだ)。
 まず、あらすじの紹介がない。これは意見が分かれるところだと思うが、あらすじの紹介の仕方でも書評する側の力量が問われる(と書いていたのは確か高橋源一郎だったと思うが)という側面も確かにあるので、今後は書くようにする。短編集については、必ずしもこの限りではない。
 次に、批判の内容が技術的なことに偏っている。これについては、そういう読み方しかできなんだから仕方がない。いや、開き直るのもどうかと思うが、少なくとも個人的にはストーリーの内容についてはあまり書くことがないのだ。書いたとしても、結局は技術的な問題に回収してしまいそう な気がする。まあ、これについては、必要に応じて対処しようと思っている。
 さらに、書評の文章量が少ない。あらすじの紹介である程度改善できると思うが、肝心の感想部分についても、もう少し詳細に書こうと思っている。
 最後に、更新が遅い。がんばります。

1月1日(土)

 一日中、家でだらだらと過ごす。

Dの食卓2』をクリア。謎の説明がほとんどないことに驚く。冒頭から終わりまで、言いたいことを一方的にまくし立てられた印象。その後、久々に『スペースチャンネル5』。何とか3面まで進む。難しい。

ブギーポップ・リターンズ VSイマジネーター』Part2を読了。おもしろかったけど、終盤は書き込み不足かな。なお、このシリーズについての感想は、現時点で出版されているものをすべて読了した後にまとめて「BOOK」にアップする予定。

 ところで、『ブギーポップ・リターンズ〜』には、人の胸元に「花」のヴィジョンを見ることのできる人物が出てくる。これはその持ち主の人格の象徴で、花びら、茎、葉、根などのパーツの欠落によってその人に何が欠けているのかがわかるのだ。この文脈でいうと、そらけいは「葉」がないということになりそう。以下、断片的な引用。

 ……その分、方法論にひどく敏感である。やたらいろんなもののやり方とか、裏技に詳しかったりする。それで他者とのコミュニケーションの欠落を補っているつもりなのである。
 ……そういうヤツには、とにかく優しさとか慰めは意味がない。ひたすら実務的なことの一点張りですむ。
 ……しかし、その方法論の充実は、結局のところ彼の孤立を深めるだけだ。他の者はそんなものがなくても平気で生きていて、彼の努力は他の者には理解されないからだ。そして同じタイプの者も、違う方法論で動く同類にはひどく冷たい。

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