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■2002年10月1日〜10月15日


10月15日(火)
アラン・ロブ=グリエ(平岡篤頼・訳)『迷路のなかで』ーーーーー(評価不能)
 ぶっちゃけた話、わけがわからない。例えば、冒頭の文章。

 
いまは私は、ここに、ひとりで、まったく安全なところにいる。外では雨が降っている。外では雨のなかを、頭を前に傾け、片手を目の上にかざしながら、それでも自分の前を、自分の前数メートルのところ、濡れたアスファルトの数メートル先を見つめて歩いている。(中略)外では日が照っている。影をおとす木もなく、灌木もなく、太陽がまっこうから照りつけるなかを、目の上に片手をかざしながら、それでも自分の前を。自分の前わずか数メートルのところ、ほこりっぽいアスファルトの数メートル先を見つめて歩いていて、風がそのアスファルト上に、平行線や分岐線や螺旋を描いている。(P.9)

ここに、ひとりで、まったく安全なところにいる」のが「わたし」だとしたら、「外では雨のなかを、頭を前に傾け、片手を目の上にかざしながら、それでも自分の前を、自分の前数メートルのところ、濡れたアスファルトの数メートル先を見つめて歩いている」のはいったい誰なのか? しかも、「外では雨が降っている」といったそばから、「外では日が照っている」のだと語る。さらに1ページほど進むと、今度は「外では雪が降っている」などといい出す始末。
 そちらがその気なら、こちらにも考えがある。20ページほど読み進んだ時点で、私は訳者による巻末の解説を先に読むことにした。
 …………。
 なるほど。だいたいわかった(ような気がする)。
 大雑把にいって、この小説は2つの層から構成されている。ひとつは、「
名前を軍籍番号もわからない一兵卒が、戦友から託された靴箱のようなものを脇の下に抱え、雪の降りこめる町をさまよ」う物語ともいえない物語の層。そして、もうひとつは、「この兵士の無意味な彷徨の背後に、それを断片的ないくつかの材料をもとに復元しようとする話者」の存在する層。
 小説の大半は、兵士の彷徨によって占められているのだが、やっかいなことに、そこに何の前触れもなく話者のいる部屋の描写がまぎれこんだりする。一応、ストーリーらしきものがあるといえないこともない兵士の彷徨にしたところで、誰に届けるのか、目的地はどこなのかすら当の兵士自身にとっても曖昧で、場面ごとの時系列すら明瞭でなく、何度も似たような場面が繰り返され、ときには語られたことがすぐさま否定されたりもして、最終的に一応は全体の構図らしきものが語られはするのだが、読者にとって、それが本当に今まで自分が読んでいた小説と同じであるのかどうか容易に判断できない。
 つまり、結論としては、あまりに安直なので書くのもためらわれるのだけれど、恥をしのんで書いてしまえば、小説を読むことそのものが、タイトルに示された「迷路のなか」をさまようことにほかならない、という、小説を最後まで読まなくても誰でも考えつきそうなことを書くためだけに私はこの小説を最後まで読んだのだろうか? まあ、無理をするなという教訓ですな、これは。

10月13日(日)
 三浦俊彦論理パラドクス』を買ってきた。予想はしていたけど、小説の著者別の棚にはなくて、人文書の論理学の棚に1冊だけ並んでいた。私は論理的にものを考えるというのが苦手なので、正直なところ、きちんと理解して読めるかどうか不安なのだが、「もっともらしい問いをめぐらして感慨にふけるよりも、正々堂々と解ききることの快楽に目覚めていただこう──それが本書の狙いです」(著者まえがき)ということなので、ゆっくりと読んでみようと思う。

 ところで、9/10の日記で三浦俊彦のサイトにアップされていたこの本に掲載される問題文を引用した際に、「
この問題はパズルというよりはなぞなぞという感じだけど」と書いたのは、賭けは「あなた」(=読者)のほうが有利なのに、「勝った方が1万円支払う」という条件になっており、なおかつ設問が「あなたはこのゲームに乗るか?」というものだったから、「乗らない」が正解になるはずで、初歩的な引っかけの仕掛けられた「なぞなぞ」みたいだ、と思ったからなのだが、実際に本を読んでみたら、「負けた方が1万円支払う」(P.72)になっていた。サイト上の問題文も確認したら同様に「負けた方が1万円支払う」になっていて、もしかしたら、私が引用する際に間違ったのかもしれないと思ったのだが、確かコピー&ペーストしたはずで、まあ、単純に最初の「勝った方が1万円支払う」という条件が間違いで訂正されたのかもしれない。

10月11日(木)
 遅ればせながら「KADOKAWAミステリ」10月号を購入。目的は、小川勝己の連作小説『オーヴァー・ザ・レインボウ』の第1話「ガール・イン・レッド」。『まどろむベイビーキッス』の登場人物の1人が主人公の話で、ミステリー板@2ちゃんねるの「鬼畜クライムの最終兵器・小川勝巳」スレッド(名前が間違っているのはご愛嬌)でその存在を知って、読まなくてはと思っていたのだ。

「ガール・イン・レッド」→『まどろむベイビーキッス』の順番で読むと、「貴様は本当に鬼畜野郎だ!」と思うらしいけど、『まどろむベイビーキッス』→「ガール・イン・レッド」の順番で読んでも、やっぱり「うわ〜、鬼畜だなあ」と思った。『まどろむベイビーキッス』が気に入った人は必読。

 10月22日発売予定の『撓田(しおなだ)村事件―iの遠近法的倒錯―』でも、また違った作風を見せてくれそうで非常に楽しみ。今度は直球の「本格」で勝負か?
 ……まあ、そんなわけないよな。

 あ、上記リンク先のすぐ下には佐藤多佳子の新刊情報も。

 追記:「鬼畜クライムの最終兵器・小川勝巳」スレッドをさかのぼって読んでいたら、『撓田(しおなだ)村事件―iの遠近法的倒錯―』はもともと第4回新潮ミステリ倶楽部賞候補作だったみたい(こちら)。

10月10日(木)
 先日の日記で書いた富士通製ハードディスクですが、無事、交換してもらい、IBM製のハードディスクになって帰ってきました。ちなみに、販売元はCenturyです。保証期間切れでもOKでした。
 サイトでは告知されておらず、どうやら、こちらから連絡した場合にのみ対応、という方針らしいので、Centuryが販売している該当ハードディスクを所有している方は、サポートに連絡してみることをおすすめします。ただし、往路の送料は自費負担になります。


 で、そのハードディスクはiMacに戻さず、PowerMac G4に増設してしまったのでした。
 先日、放映された『アルジャーノンに花束を』の第1話を試しに録画していたので、データを増設したハードディスクに移動して、CMカットのうえファイルを書き出し、という作業をやってみました。データ量が多い(取り込みビットレートは8Mbps、およそ1時間で3.12GB)ので、それなりに時間はかかるものの、これなら週1くらいでならやってもいいかな、という程度の時間でした(実をいえば、正確に時間を計っていなかったのです)。
 もっとも、もともと私にはテレビ番組を録画して見るという習慣がないので、あまり頻繁には使わないような気もするんですが。とりあえず、『アルジャーノンに花束を』は追ってみようかと思っています(まだきちんと見ていないので、感想はそのうちに)。
 しかし、こうなると、やっぱりDVD-Rドライブが欲しくなってくるのが困りものです。

10月8日(火)
 PSOプレイ日記を2日分更新。昨日の日記に書いた内容の詳細版もあります。
 画像少なめ、そのかわりにテキストが多めに入っている、という感じでちょっと方向転換をはかっています。


 ロブ=グリエ迷路のなかで』は予想どおり、寝ぼけた頭のまま、朝の通勤電車で読むにはつらすぎる小説だった。時間と空間が継ぎ目なしにめまぐるしく切り替わっていくので、すぐにわけがわからなくなってしまう。既読の小説でいうと、蓮實重彦『陥没地帯』がもっとも近いかもしれない(というか、順序が逆なんだろうけど)。

10月7日(月)
 PSOで遊びつつプレイ日記を書き、なおかつこちらの日記も更新するのはやっぱり無理だと悟った。とりあえずPSOプレイ日記は週1くらいで更新の方針でいこうと思う。


 といいつつ、今日は出張版のPSO日記でお茶を濁してみる。

 今日は21時頃からはじめて、あとから乱入してきた初対面の2人と一緒にでプレイしていたんだけど、雑談中、1人が「バビル2世うんぬん」と発言し、もう1人もごく当然のように受け答えをしていたので、おそるおそる「みなさん何歳ですか?」と訪ねたら、「36」「33」「30」(←私)と全員30代だったのには笑った。みんないい年した大人なのに。オレモナー。

10月6日(日)
 なぜか今さら秋月涼介迷宮学事件』を読了。続いて、迷宮/迷路つながりということで、長らく積んだままになっていたロブ=グリエ迷路のなかで』を読みはじめる。しかし、これは通勤電車で読むにはちょっとつらいかもしれない。

 ちなみに、私はこの作家について、高橋源一郎『ジョン・レノン対火星人』の次の文章に出てきた以上のことをほとんど知らない。

 
どうしてそんな有名な作家を三年間も拘束できるでしょう。それに、もしそんなことができたとしても、ロブ=グリエのおはなしを三年間も毎日聞かされるくらいなら死んだ方がましだと王様は思いました。
 消しごむが主人公のおはなしなんか面白くない、一分間に一万語も話されたってわからない。王様は泣きたいような気持ちでした。それでも王様は祖国のために、三人の作家を説得するために自ら赴いたのです。
 フランスへ行った王様は、アラン・ロブ=グリエにあっさりふられてしまいました。
「わるいけど
(パルドン/ルビ)、ぼくはストーリイに興味がないんでね。フランソワーズ・サガンの処へでも行ったら?」(後略/P.102-103)


秋月涼介迷宮学事件』★★★
 密室本。シリーズものになるのかと思われた前作『月長石の魔犬』からはキャラクタが一新され、しかし、メインの登場人物が男性キャラ1人と女性キャラ数名という配置は前作と変わらず。前作では探偵役が男性キャラに割り振られていたが、今作ではワトソン役が割り振られているあたりが違いといえば違い。何となく、メインキャラクタの性別だけ変えた京極夏彦の〈妖怪シリーズ〉という印象だった(ただし、関口のみ男性のまま)。
 いかにもミステリ的なガジェットを満載し、探偵役による調査→解決という物語運びを踏襲した、ミステリに限りなく近い小説であることは確かなんだけど、やっぱり根本的な部分でミステリとは似て非なるものになってしまっているあたりも前作と同じ。これは、舞城王太郎や小川勝己のようにあえて形式としてのミステリを脱臼させてみせているわけではなく、作者が自分の適性を見誤っているのではないかと思う。まあ、前作よりはおもしろかったのは確かだけど、今後もこの方向性で進むのは難しい気がする。

10月3日(木)
 米光一成さんにリアクションをいただいてしまった。

 やはり私は「必然性はある」「ミステリとしておもしろい」という立場なんですが、そもそも、ネット上の掲示板を題材として扱っている時点で、
何か仕掛けがあるのだろうと冒頭から身構えつつ読んでいたのです。正直なところ、私は「ノワール」と呼ばれる小説にあまり明るくなくて、『まどろむベイビーキッス』も、前作『眩暈を愛して夢を見よ』が念頭にあって、いわゆる「新本格」的な作品として読んでいたので、トリックの存在に何の違和感も覚えなかった、というだけの話なのかもしれません。

 もちろん、米光さんがこの作品を評価されているということは理解しているつもりです。
 自分の文章を読み返してみたら、「擁護」という言い回しはちょっと大袈裟だし、引用の仕方も他意はなかったものの、フェアではなかったと思います。すみませんでした。

10月2日(水)
【特別企画】キーボードコントローラを作るをアップしました。


 米光一成さんによる小川勝己『まどろむベイビーキッス』評(9/30)の「ミステリィ的なトリックに必然性がないような気がするが、まーそこらへんはオマケと思えばよろしい」という文章を読んで、誰に頼まれたわけでもないのに擁護したい衝動に駆られ、感想に追記しました。ネタバレ全開なので、完全伏せ字となっております。

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