馬場秀和のRPGコラム 2004年7月号



『都ちゃんに萌え萌え(1)』



2004年7月11日
馬場秀和 (babahide*at*da2.so-net.ne.jp)
    スパム対策のために@を *at* と表記しています。メール送信時には、ここを半角 @ に直して宛先として下さい。



  

都萌シリーズ目次

   『まえがき』    ★(1)    (2)    (3)    (4)    『あとがき』    






 今、精神病院で治療を受けている。

 昨年の夏ごろからどうも調子がおかしかったのだが、色々と忙しかったことも
あり、特に何もしなかったのだ。それが秋口になって本格的に発症し、こりゃあ
ヤバい、というので病院に駆け込んだ。後に医者が言うには、かなり危なかった
です、対処があと1カ月遅れていれば、おそらく入院が必要でした、とのこと。

 ちょっとビビったものの、よく考えてみれば精神科の入院なんて滅多に出来る
体験ではないわけで、ついつい「今からでも入院できますか」などと尋ねてしま
いましたよ。

  「駄目です」
  「そこを何とか。措置入院ということで結構ですから」
  「駄目なものは駄目です。っていうか馬場さん、あなた何か勘違いしてます」

 ともあれ、何カ月も休職するはめになりました。ずっと自宅にひきこもって、
向精神薬を飲み続けるだけの毎日でした。憧れのヒッキー生活というやつですね。
幸い、今では回復しつつあり、会社もクビになることもなく、復職できました。
まだ完治までの道のりは遠いし、向精神薬も飲み続けていますが。

 とにかく精神障害というのは辛くて苦しいものです。こんなにひどいものだと
は、正直、想像してませんでした。

 まず、自分の思考や感情がコントロール出来なくなります。私は私、他人では
ない、とか、今考えていることは自分の考えであって他人の考えではない、とか、
そういう自明のことが、ずぶずぶと崩落してあやふやになってゆく感じ。24時間
自分との死闘というか、ノンストップガチンコ幻魔大戦というか。眠ることも、
出来ません。話すことも、出来ません。食事しても、味がありません。生きてる
実感もありません。心があるというそのことだけで、どうにもこうにも疲労困憊
です。つらいです。

 向精神薬を飲むとずいぶん楽になるのですが、自分の思考や感情、それどころ
か人格そのものが薬物によって劇的に変わってゆくのがはっきりと自覚されて、
これはこれでかなりイヤなものです。

 自我とか意識とかいうものは、脳内で起こっている化学反応に過ぎない。はい、
理屈は分かっています。しかし、それを *切実に* 実感させられるというのは、
これはひどく不快です。薬物によってその化学反応を変化させたということは、
つまり今の自分は以前の自分とは別人だということです。比喩や主観ではなく、
本質的、根源的な意味において、発症前の馬場秀和という人格は、もう存在しま
せん。不安です。

 今、この文章を書いているのは、向精神薬が創り出した新たな化学反応です。
 考え方も、感情も、性格も、何もかもが変わってしまったような気もします。
変わってないのは「何とかしてウケをとりたい」という下心だけです。これが、
魂というものなのでしょうか。それとも業なのでしょうか。グレッグ・イーガン
の緒作品でも読み直しつつ、じっくりと考えてゆきたいと思います。

  「先生、実は定期的に短いコラムを書いてネット上で投稿しているのですが」
  「そうですか」
  「続けてもかまいませんか」
  「読み手のことは気にせず、自分の書きたいことを書くようにして下さい」
  「分かりました」

 というわけで、もう読者への配慮なく、好き勝手なことを書くことにします。
そこ、「もともと最初からそうだったじゃん」などとつっこまないように。

 自分の書きたいこと、好き勝手なこと・・・。

 そりゃあ、都ちゃんでしょう。

 都ちゃんがいかに魅力的で可愛いくて崇高であるか。私がどれほど憧れ、崇拝
し、萌えているか。これしかありません。

 書きます。書いてやりますとも。

 これは主治医の命令なのです。治療行為なのです。


**


 とはいえ。

 いきなり「みやこたん、ハァハァ」とか書き始めると、感情が暴走して歯止め
が効かなくなりそうなので、とりあえず申し訳程度にTRPG話から書き始めよ
うと思う。ほら、管理人さんの面子を立てる必要もありますからね。これは、あ
くまで“RPGコラム”なのです。

 TRPG論議で、ときどき「ストーリー重視」とか「ストーリー指向」と言う
人がいる。「良いストーリーを創ることをゲームの目的にしている」といった話
もよく耳にする。しかしながら、これは本当だろうか? 嘘、といって悪ければ、
自己欺瞞ではないのか。私はそう思う。

 試しに、そう言う人に「じゃ、良いストーリー、悪いストーリー、というもの
をきちんと定義してみて」とお願いしてみても、客観的な定義が出てきた試しが
ない。人により表現は異なるものの、いつも決まって「結局、自分が感動する話
が良いストーリー」という主旨の答えが返ってくる。では、あなたはどういう話
に感動するのですかと重ねて尋ねてみても、色々な実例を出すばかりで何の理論
も体系も示せない。つまるところ、自分は良いストーリーに対して感動するのだ、
というわけだ。なるほど、そうですか。

 どうしてこういうトートロジーに陥ってしまうのか?

 答えは簡単だ。その人を感動させているのは、ストーリーではないからだ。

 そもそもTRPGのストーリーに大したものはない。ハリウッド映画の超大作
と同じように、通俗的で、分かりやすく、安っぽいものばかりだ。違いますか?
ハリウッド超大作を観ても感動できるのは、実のところ登場人物に感情移入する
からに他ならない。キャラクターへの感情移入が、批判精神を一時停止させて、
あたかも自分あるいは自分の大切な人が、実際にそのような体験をしているかの
ように錯覚して、そのことに感動するのだ。観客はストーリーにではなく、疑似
体験に感動しているわけだ。

 TRPGの場合は、プレーヤーが自分でキャラクターの言動を決められるとい
う事実が、さらに感情移入を煽る。自分で勝手にキャラを動かすというのは、そ
れはそれはもう、格別の思い入れを生む。TRPGで良いストーリーを創るとか、
話に感動したとかいうのは、つまりこの「特別な思い入れ」に成功したというこ
とを意味する。ストーリーの出来の良し悪しとは、ほとんど何の関係もない。

 さて、この「特別な思い入れ」は、いわゆる「キャラ萌え」と同質のものだと、
私にはそう思えるのだ。キャラに萌えた人々が、深夜のファミレス萌血一本勝負
に己を賭けたり、萌えジンを発行したり、カップリングだドリームだパラレルだ
と波紋疾走したり、オンリーコンに飛び込んだり、違法サイトを立ち上げたり、
お絵チャバトルで腱鞘炎を患ったりするのと、マイキャラを自在に動かしたくて
テーブルトークRPGに参加するのは、実は同様の行為なのだと。

 一部に萌専語が混入してしまい、まことに申し訳ありません。

 ともあれ、人はどうしてテーブルトークRPGに惹かれるのか、という問題は、
意志決定を核とするゲーム論だけでは充分に解明できない。TRPGを普及させ
るにはどうすればよいのか、を問う旅は、キャラ萌えの沼地に足を踏み入れるこ
となしに終わることはないであろう。(エモン=サコミ族の古き言い伝え)

 というわけで、私は「TRPGに対して真摯に向き合う」という決意のもとに、
この都萌シリーズでは、唯萌論の立場から萌えについてまっすぐに考察してゆく
ことにする。

 さあ、麗しき萌えの泥沼、じゃなくて花園へようこそ。みなさん。


**


 萌え、とは何か。

 古代ギリシアの哲人も、中国の賢人も、実存主義者も共産主義者も、宗教家も
神秘主義者も、誰もがそう問いかけ、そしてついに万人を納得させる答えを得る
ことは叶わなかった。

 「本当に好きなもののことを考えて下さい」と言われ、生チチ、半チチ、爆乳、
巨乳、美乳、等が脳裏に飛び交うまま「と、溶けましたぁ〜〜〜っ」と法悦した
青木光恵さん(女性漫画家)は、「そう、それが萌えです」と諭されたという。
仏教説話に出てくる有名な話である。

 この説話は、萌えとは語るものではなく、ただ悟るのみである、という摂理を
説いている、と一般には解釈されている。だが、果たしてそれだけだろうか?

 私には、これは唯萌論の根本思想を表しているように思えて仕方ないのである。

 では、唯萌論とは何ぞや。

 それについて語る前に、まず世間に流布している誤解を解くことから始めよう。

 本コラムがよって立つところの唯萌論とは「唯ちゃんに萌え〜っ」という意味
*ではない*。むろん、貴方が誰に萌えようがそれは個人の自由というものだが、
力説するのは控えたほうがよろしいかと存じます。

 また唯萌論とは「萌えキャラといえば、萌ちゃんである。それ以外のキャラを
萌えキャラと呼ぶことを俺は許さん。たとえ俺が許しても・・・・・・・いや、
やっぱり許さん! ただ、ただ、唯、萌ちゃんのみが萌えキャラなのだぁぁーっ、
ぐふうっ(吐血)」という意味*ではない*。ちゃんと拭いとくように。

 あるいは「もう世の中の何もかもが信用できない。セカイなんて存在しない。
ただ、僕のこの萌えだけが、ああ、この萌えだけが、在るのだ」といった心情の
吐露を指して唯萌論ということもあるようだが、これも本コラムでいうところの
唯萌論とは違う。っていうか、まずは友達を作るところから始めような。

 本コラムでいうところの唯萌論とは、萌えの対象物は単なる記号だと見なして、
萌え心だけが分析考察の対象として意味がある、と考える立場である。なぜ、乳
なのか、どうしてこうも、乳なのか、とは問わない。なぜ溶けるのか、溶けてど
うなるのか、どこへ流れるのか、そのことをこそ問う。これが、唯萌論である。

 よく分からない?

 猫耳、メイド服、妹、眼鏡っ娘、スクール水着、貝殻ブラ、昭和の夏に田舎の
あぜ道を意味もなく上半身裸で歩く娘さん。これらは萌えを喚起するトリガーの
ようなものだ。トリガーには様々な形がある。トリガーの形状に注目することも
無意味ではないだろうが、やはり銃にとって大切なのは弾薬であり、口径であり、
精度であり、射撃の結果として何が生じるか、ということであろう。同じように、
我々が考察すべきなのは、はみ乳のことではなく、萌え魂であり、萌え道であり、
萌え行為であり、結果としての萌え人生だと思うがどうか。

 いや、どうかと聞かれても困るだろうが、何だかもうどうでもいいような気が
してきたので、そのまま読み進めて下さい。


**


 では次に、人は萌えるとどうなるか、という実例をいくつか見てみよう。以下
に挙げるのは、全て私が実際に見聞きし、あるいは体験した実話である。唯萌論
は地に足ついた実学、実践哲学なのだ。・・・たぶん。


 ケーススタディその1。我が配偶者の知人であるAさん(女性)の症例。

 まず、読者は萌血格闘漫画『エアマスター』(柴田ヨクサル著)をご存じであ
ろうか。TVアニメ化された大人気作なので、多くの方はご存じのことと思う。
主人公である坂本ジュリエッタ(男、スーツ萌え)を中心に、おっさんとの飲酒、
三角関係、痴話喧嘩、などを描いた作品である。が、しかし。世間にはエアマス
を「金ちゃんと長戸の恋愛ドラマ」だと信じている読者がいるのである。いや、
むしろその方が多数派とさえ思える。(2004年5月現在。総務省統計より推測)

 金ちゃんとは、"黒正義誠意連合"の総番長、北枝金次郎(男、学ラン萌え)の
ことだ。彼は熱血硬派であるのみならず、特製プロテクターに身を包んだ正義の
ヒーローでもある。知らない人には何が何やらさっぱり分からないであろうが、
詳しく説明したとしても実のところ事態は一向に改善されないと予想されるので、
ここは一つそういうものだと思ってついてきて頂きたい。

 この金次郎を密かに激しく慕っているのが、黒正義誠意連合の幹部、長戸(男、
不精髭萌え)である。彼は、その身体こそマッチョで超兄貴で押忍ッッであるが、
心は恋する乙女。ノンケである金次郎に愛を告白する勇気もない(ベロチューは
するが)内気なヒロインなのである。例えるなら『耽美なわしら』(森奈津子著)
の矢野俊彦みたいな男。余計分からなくなったかも知れないが許せ。

 さて、あるときAさんが、エアマスが載っているコミック誌を立ち読みしたと
ころ、金次郎が「長戸っ!(俺の最後を)見届けろーっ」みたいな熱血セリフを
吐いていたため、感激のあまり本屋さんで号泣。ダッシュで帰宅して深夜(午前
3時過ぎ)にも関わらず、友人に緊急電話。「あうっあうっ良かったんだよォ〜
長戸が長戸が‥良かったネェェェ〜〜〜! 長戸良かったねぇぇ〜!!!」(原文
ママ)と繰り返すのみであったという。

 読者には、何がどう良かったのか、分からないであろう。私にも分からない。
が、どうやら長金推奨派(そういう派閥があるのです)にとっては、長戸の一途
な愛が、ようやく報われたっ、という超弩級感動の展開らしいのだ。まあまあ、
ここは黙ってさらりと受け流したまえ。

 報告を終えたAさんは、興奮し過ぎて眠れなくなり、さらには椅子にも座って
られない状態
になり(本人談ママ)、夜明けまで延々と金ちゃんの絵を描き続け
たとのこと。数日後、やや冷静さを取り戻した彼女は、自身のウェブ日記にて、

 「でも金ちゃんイキオイ余って全身タイツ破りすぎです(萌)」

 「長戸今回ハートと涙まみれだったのは乙女っぽくて大変宜しいかと思います」

と意味不明瞭なことを書き散らし全世界に情報発信。今だに「あくまで金ちゃん
はダンナで長戸は奥さんなのです」などと口走る毎日とのこと。


**


 ケーススタディその2。我が配偶者の従兄弟であるOさん(男性)の症例。

 この場合、仮名にしては逆に失礼だな。いとこのヤッちゃんこと大野安之さん
は、売れない漫画家である。いきなり断定してはいかんかも知れないが、まあ、
とうてい売れっ子とは言えない。これが、親戚一同の心配の種となっている。
「ヤッちゃん、ちゃんと食べていけてるのかしら?」 大きなお世話である。

 数年前に、我が配偶者の妹が結婚した。当然、結婚式には私たち夫婦も新婦ご
親戚一同として呼ばれたわけだが、そのとき親戚の誰かが(断じて私達ではない)
ヤッちゃんの新作(当時)を持ち込んだのである。それはいわゆるエス耽美漫画
であった。エスというのは、ご存じとのこととは思うがシスター系のこと。つま
り格式高き女学校、古びた校舎を舞台に、可憐な下級生が美しい上級生のお姉様
に対していだく、ほのかで儚い恋心なんぞを描くタイプの作品である。分かり易
く言うなら「ギムナジウム系」の女性版。ちっとも分かり易くならなかったかも
知れぬが気にせずとも良い。

 あの結婚式場の職員がどれほどの年月に渡って何人の新婦を送り出してきたか
は知らない。だが、衣装を整えた新婦と共に、写真撮影のため親戚控室に入って
きたとき、親戚一同、みな無言で真剣にエス耽美漫画に読みふけっているという
光景を目撃したのは、おそらく空前の出来事だったと思われる。願わくば、絶後
となってほしいものだ。彼女の絶句した顔を、私は生涯忘れないであろう。

 これだけ人を魅了できる大野安之さんの漫画がなぜメジャーになれないのか。
決して絵が下手なわけではない。話がつまらないわけでもない。才能は有り余る
ほどであり、キャリアも長い。(たしか、高橋留美子さんと同じく、劇画村塾の
第一期卒業生だったはず)

 問題は、炸裂する萌えにあると思われる。ご本人も自覚の上のことではあろう
が、自分の萌えを、これでもか、これでもか、ええいっ、これでもかっ、と紙に
叩きつけるような作風が、読者を厳しく選別、いや峻別してしまうのである。

 特に、ショタ。

 そう、ショタ萌え、である。

 ここで一部の読者は問うことであろう。ショタとは何ぞや?

 これについては、軽々しくは答えられない。何しろ裁判の場で問われた(実話)
まことに由々しき問題なのだ。『わいせつコミック裁判』(長岡義幸著)には、

 (弁護側証人)「これはいわゆるショタというジャンルでありまして・・・」
 (裁判長)  「ショタというのはなんですか」

    傍聴席から思わず笑いが漏れた(中略)異世界に接した裁判官、検察官
    らは混乱を来したのだろう。30分以上の休憩ののち・・・

との記述がある。ショタをご存じない読者諸子は、それはわが国の司法を混乱に
陥れる危険な異世界だということだけ理解して頂き、それで良しとされたい。

 ところで、我が家にも正月には親戚中から年賀状が届く。「賀正」とか折り目
正しく厳粛に書かれた重々しい筆文字の下に、小さく「ヤッちゃんがペンクラに
イズミコの続きを描くので読者投票よろしく〜〜」などという手書きメッセージ
がついていたりするのが特徴である。

 ペンクラというのは、“ペンギンクラブ”という成年コミック誌のことである。
もちろん18禁。私は『きっず・とれいん』(飼葉駿著)という名作を立ち読み
するだけだったが、イズミコが載るとなれば買わねばなるまい。発売日には本屋
さんに走りましたよ。

 イズミコというのは大野安之さんの『That's! イズミコ』のこと。ヤッちゃん
の出世作である。というか、SFマガジンに載ったデビュー作も、あれイズミコ
ものだよな。(ちょ〜の〜りき、どぜうすくい! ・・・というアレです)

 私は『That's! イズミコ』に登場する北上ゆーこという美少女キャラが大好き
だったのだ。またゆーこちゃんに会えるよ嬉しいな、と思ってペンクラを開きま
したよ。確かに『That's! イズミコ おかわり』は載ってました。だが、ゆーこ
ちゃんは出てきません。初手からショタです。ショタ全開フルスロットルです。
連載が進むにつれて、ショタ萌えも重度になってゆきます。ああ、なぜに・・・。

 そもそも『That's! イズミコ』も、後半の展開でショタ萌えに走って収拾つか
なくなったんでしょう。最初からショタでこれからどうするのよ、と突っ込んで
も無駄なこと。画面からは、微塵のためらいもないショタ萌えが溢れています。
俺はショタ描きたくて連載しているのだ、という強い決意が感じられます。そう
か、そこまで言うのなら父さんもう何も言うまい。やりたいようにやってみろ。
だが、やるなら日本一、いや世界一を目指せ。おまえはショタの星となるのだ。
イヤな星だな。

 これこそ業、というか性(さが)というものでしょう。

 大野安之さんは、美少女が描けるんですよ。戦闘メカだって得意なんですよ。
アクションシーンにも定評あるんです。メジャー受けする漫画なんて、その気に
なりさえすれば簡単に描けるはず。それなのに、ああそれなのに。なぜに萌え道
一直線で売れない漫画家を続け、親戚一同をやきもきさせるのか、この人は。

   答え:それが萌え道というものだから

 というわけで、18歳以上の読者の皆さん。ペンクラを購入して(あ、イズミコ
は隔号連載なので気をつけて)読者アンケートはがきで大野安之先生をぜひ応援
してあげて下さい。それと大野先生への要望として「ゆーこちゃん出して下さい。
あと精霊伝説ヒューディーとのクロスオーバーまたやって下さい」などと書いて
おくと吉でしょう。参考までに、大野安之先生のウェブページは次の通りです。

 『命令電波 別館』
  http://www.ne.jp/asahi/yasumaro/oono/

(追記:その後、イズミコの連載は打ち切られちゃいました。事情はこちら
というわけで、今から応援しようとしても手遅れです。くそ、このコラムの公開が
もう少し早ければっ・・・ って何の関係もありませんかそうですか)


**


 ケーススタディその3。我が配偶者の夫、Bさん(男性)の症例。

 って、自分のことを仮名にしてどうする。やはりここまで知人や身内をコケに
したからには、自分のことも書くのが仁義というものだろう。私の、空飛ぶ円盤
萌えについて。

 あ、いきなり引かないで。順番に説明するから。


 私が子供の頃、大陸書房とかのオカルト本にハマっていたことは以前にも書い
た通りである。当然のことながら、高校生の頃、私の憧れの人といえば、それは
もう何と言っても清家新一先生であった。

 え? 清家先生を知らない? そうか。若い人は知らないのか。

 えー、では、説明しよう。ごほんっ。清家新一先生こそは、わが国が誇る異端
電磁気学の先駆者である。東京大学で電磁気学を学び、卒業後に重力エネルギー
研究所を創立。これは後に宇宙研究所として発展する。先生の著作の一部を以下
に示す。

  『超相対性理論』

  『宇宙の四次元世界』

  『空飛ぶ円盤製作法』

  『空飛ぶ円盤完成近し』

  『空飛ぶ円盤浮上せり』


 あ、待って、待って下さい。まだ続きがあるんです。


 清家新一先生の異端電磁気学は、80年代に一世を風靡したトーマス・ベアデン
のスカラー電磁場理論を先取りしていたのである、と断言してしまう。

 ここでいきなり余談だが、数年前にパナウェーブ研究所(白装束集団と呼ばれ
た)報道が加熱した際、一部の雑誌記事に「スカラー波、惑星ニビル、など集団
独特の意味不明な造語を頻繁に使用し」うんぬんと書いてあったのには、マジで
立腹した。無知にもほどがある。スカラー波といえば異端電磁気学、ニビルとい
えば異端考古学(シュメール文明妄想系)、それぞれ定番中の定番ネタである。
このポストオウム時代。無知ゆえのトラブル、ハマりを防止するという大義名分
のもと、子供には各学問分野における異端理論の基礎くらい学校でちゃんと教え
るべきだと思う(かなり本気モード)。教科書は学研で決まりだ!

(追記:上記を書いた後に、学研が、本当に教科書を出していることを知った。
タイトルは『世界不思議大全』。これはもう推薦図書です。中学生から高校生の
皆さんは必読ですよ)

 余談ついでに、異端電磁気学の基礎について簡単に紹介しておこう。世の中に
は様々な異端電磁気学があるが、古いもの(メスメリズム=動物磁気説とか)を
別にすると、近代的な異端理論はたいてい次のような思考実験を元にしている。


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 電磁波を放射している放射源Pを考えてみよう。Pはアンテナとかコイルとか
その類だと思えばよい。Pから放射される電磁波をWp とする。また、電磁波は
エネルギーを運んでいるので、Pから放射される単位時間あたりのエネルギーを
Eとしよう。

 別の放射源Qを考える。Qは電磁波Wqを放射しているとする。WpとWqは位相
が180度ずれているだけで、全く同じ周期波形になるよう調整されている。むろん
単位時間にQから放射されているエネルギーもEに等しい。

 さて、ここでPとQを重ね合わせる。この新しい放射源をSとしよう。すると、
WpとWqも重ね合わされるが、両者は位相が180度ずれた同じ周期波形であるから
ちょうど互いを打ち消し合うことになり、結果として電磁波は消えてしまう。
(これはヘッドフォンの騒音防止などに使われているノイズキャンセラーの原理
と同じだ。位相をずらした"逆向き"の波をぶつけて、波を消してしまうわけだ)

 さて、このように放射源Sが放射している電磁波は検知できなくなる。しかし、
エネルギー保存則からして、Sは依然としてPとQが放射していたエネルギーの
総和、すなわち2Eのエネルギーを放射しているはずだ。この2Eのエネルギー
は、どのような形で放射されているのであろうか?

 明らかに、Sからは、単位時間に2Eのエネルギーを運ぶ検知不能な電磁波が
放射されているのである。通常の電磁波と違って縦波、疎密波として伝わる異端
の電磁波。これがっ、これがっっ、これがスカラー波だ。そいつに触れることは、
「と」を意味する!!
------------------------------------------------------------------------


 この説明を読んで「なるほど。検知不能なスカラー波は存在するんだなあ」と
納得した人は、もう少しちゃんと勉強する必要があります。この説明を読んで、
「ああ、クラークの"白鹿亭"にそんな話があったような気がするなあ」という人
は、SFファンだと思います。


 さて、スカラー波は何の役に立つのだろうか?

 スカラー波は検知不能であるがゆえに、通常の電磁遮蔽は無効である。
 指向性を強めたスカラー波を、人間の脳に向けて照射すれば、犠牲者に幻聴を
聞かせたり、さらには精神錯乱に追い込むことも可能だ。多数のスカラー波放射
装置を並べ、遠隔地にいる犠牲者に高出力スカラー波ビームを集中させてやれば、
犠牲者は高熱で発火して燃え尽き、灰と化すであろう。足だけ残して。
 さらに出力を高めたスカラー波ビームを地中深くの岩盤間のひずみ部分に集中
させて急速加熱してやれば、地震を引き起こすことも出来る。これが、某教団が
阪神大震災を引き起こすのに使ったとされる地震兵器だ。

 というのは全てヨタなので、良い子の皆さんは信じないように。


 さて、これら素晴らしき異端電磁気学の数々。その流れは、かの異能の天才、
ニコラ・テスラ氏にその起源を求めることが出来る。テスラ氏は、交流モーター
の発明者として、ノーベル物理学賞を辞退した変人科学者として、またエジソン
の天敵として有名であるが、何と言っても私たち(って誰?)にとってはフリー
エネルギー、粒子破壊兵器、殺人光線、地球共振破壊装置、世界システムなど、
アレゲなもの数々の発明者としてよく知られている。彼こそ、異端電磁気学の父
という称号にふさわしい。

 テスラに匹敵する電磁気学の大物といえば、天才物理学者、リチャード・ファ
インマン先生をおいて他にないだろう。(エジソンのように、99パーセントもの
汗を流さないと発明一つできないような小物など、はなっから相手にならない)
まこと、テスラを異端派のカリスマとするなら、ファインマン先生こそ正統派の
カリスマである。数年前、パナウェーブ騒動のおり、私の周囲では、次のような
ジョークが飛び交ったものだ。

  『空想特撮シリーズ ファインマン
   第15話 "恐怖のスカラー波"   電磁怪獣テスラ登場』

 謎の白装束集団が操る怪獣テスラが、愛媛県宇和島をスカラー波で攻撃。宇宙
研究所を守るため、来〜たぞぼくら〜のファインマン。放てっ、必殺の先行波!
初回特典、主題歌『ご冗談でしょう、ファインマンさん』復刻ソノシート付き。

 あ、すいません、すいません。すぐ本題に戻ります。見捨てないで。


 というわけで、清家新一先生である。

 清家先生の理論は、様々な異端電磁気学の中でも、先駆的なものの一つである
(たぶん)。さきほどの説明に登場した放射源Sのことを、清家先生はメビウス
コイルと呼んでおられる。ベアデンの「カドケウスコイル」などという、いかに
もハッタリめいた名称に比べ、非常に素朴で好感が持てると思うのだがいかがか。
なお、普通(って何?)は無誘導コイルと呼ばれているようだ。それはともかく、
清家理論によると、メビウスコイルが作り出す特殊電磁場を使えば、重力を打ち
消すことが出来るのである。何と、手巻きコイルで重力制御が可能だというのだ!

 清家先生の凄いところは、ただ異端理論を唱えるだけでなく、それを応用して
空飛ぶ円盤を製作したことである。何と言っても「空飛ぶ円盤」を実際に作った
というのだ。UFOを目撃したとか、宇宙人と遭遇しただとか、そんなチャチで
うさん臭い話題など一蹴してしまうだけのインパクトがある。しかも、だ。円盤
を製作する目的が美しい。火星で彼を待っている恋人に会うため、なのである。

 いやあ、参りましたね。純真な高校生だったわたくし、心のツボを思いっきり
突かれましたよ。清家先生、一生ついてゆきます。どうかどうか私めを弟子に。

 そこ、笑わないように。私は本気だったのである。清家先生の弟子になって、
宇宙研究所に入ろうと真剣に思ったのである。そして、先生がいずれ火星へと旅
立ってしまわれた暁には、先生の後継者として空飛ぶ円盤2号(ドリル付き)の
建造に取りかかるのだ。

 先生の弟子になるためには、ともあれ、東大を卒業して後輩になる必要がある。
(なぜかと問われると困るが、高校生はそういう風に短絡的に考えるものなのだ)

 ええ、猛勉強しましたよ。必死でしたよ。東大受験に受かれば、ここから出て
行ける。当時、私は自分の家庭も、生まれ育った大阪という土地も、何もかもが
嫌だった。東京へ、そして火星へ。今、この場所から逃げ出せる確実なキップ。
それが東大受験合格だった。いや、まあ、高校生の考えることですから、大目に
見て下さいな。

 とにかく、合格しました。東京大学の理科I類に。しかし、ここで油断しては
いけない。電子工学科に進まなければ清家先生は弟子とは認めてくれないだろう。
今はどうか知らないが、当時の東大では、電子工学科は工学部のなかでも最難関
として知られていた。教養過程での成績が良くないと、とても進学できないのだ。

 というわけで、入学してからも猛勉強。そりゃもう脇目もふらず勉強しました。
おかげ様で無事に電子工学科へ進学。清家先生、火星行き、もう少しだけ待って
下さい。電子工学科を卒業したら、すぐそちらに参りますから。

 いや、だから純真な若者の志を笑いもんにしちゃ駄目ですってば。

 むろん、電磁気学もきっちり学んだ。そして、知ったのだ。すでに19世紀まで
に電磁気学は完成しており、ニュートン力学とも見事に統合され、いわゆる古典
物理学として体系化されているということを。正統電磁気学は、論理的説得力、
数式の美しさ、基本概念の簡潔さ、観測事実との整合性、予想外かつ検証可能な
帰結(例えば、光は電磁波の一種である、など)といった、優れた理論が備えて
いるべき特性を全て持ち合わせていた。圧倒的だった。疑う余地などなかった。

 「え?」と私は思った。では、清家先生の理論は間違っているのか?

 実家に帰省した際、押し入れから清家先生の著書を取り出して読み直してみた。
すでに魔法は解けてしまっていた。そこに書かれていたのは、無意味な数式の山
と支離滅裂なヨタ話。そう、清家先生のご本は、今でいうところの“トンデモ本”
だったのである。実際、後に『トンデモ本の世界』(と学会編)で取り上げられ
ることになったし。

 ああああ、何ということだろう。私は、いきなり人生の目標を見失ったのだ。
この挫折。蹉跌。悲嘆。茫然。自失。「あたし ここに何しに来たんだ?」from
『Go! ヒロミ Go!』(麻生みこと著、東大漫画の傑作)状態っすよ。

 もしもこのときオウム真理教団から勧誘を受けたなら、救いを求めて入信し、
教団幹部の地位を目指して、スカラー波兵器の研究に勤しんでたかも知れない。
幸か不幸か(いや幸に決まってるんだけどさ・・・・・)そういうこともなく、
私はSF研に入りびたるようになり、やがて電子工学科を卒業して大手電機会社
に就職した。絵に描いたようなつまらん半生である。僕が何を目指して頑張って
きたのか、大人は誰も分かってくれないんだっ。


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 「信じればきっと夢は叶う」といった歌を耳にすると、ムカムカする。信じた
くらいで叶うよーな、みみっちい夢みてんじゃねーよ。俺はなぁ、空飛ぶ円盤の
ために青春を捧げたんだぞ。(40歳を過ぎれば、こういう陶酔表現も許される)

 しかし、私は今でも「空飛ぶ円盤」に憧れている。うっとりしてしまう。

 空想の中で、私は空飛ぶ円盤、プラズマでも精神投影でも神話象徴でもなく、
ちゃんとボルトとナットで出来た、熟練工の手になる巨大なマシンに乗っている。
UFOなんてチャラチャラした浮わついたもんじゃない。*空飛ぶ円盤* だ。

 重々しく始動レバーを引くと、巨大な唸り音と共に、円盤下部の三基の超大型
無誘導テスラコイルが白く輝いて、特殊な力場を発生させる。おお、見よ。輝き
が機体を取り巻き、空飛ぶ円盤は、今やその名の通り大空に舞い上がりつつある。
もちろん、底面には、でかでかと「王」と書いてあるのだ。

 正確に言うなら(何が正確なのか?)、円盤自体は静止しているのだが、それ
を包み込んでいる輝く力場、フォースフィールドこそが移動しているのである。
この特殊力場はスカラー電磁場ではない。清家理論を発展させて私が作り出した
ものだ。私はこれを、ホースフィールドと名付けよう。直訳すれば馬場である。
円盤の窓からは、ぐんぐん小さくなってゆく地球の姿が見える。宇宙には巻紙が
浮いている。清家先生、待っていて下さい。20年ほど遅れましたが、必ずや、
必ずや火星まで馳せ参じます!!   (四国にいますが、何か?)

 私は自分の妄想、じゃなかった空想の中で、光り輝く「空飛ぶ円盤」に萌えて
いる。恍惚となることもある。主治医には絶対に内緒である。ヤバイよ、この話。

 私は、なぜ、とゆーか何にそんなに萌えているのだろうか。自分でももうわけ
が分からない。ただ言えることは、この萌えのせいで私の人生の少なくとも半分
が決まってしまったということだ。(残りを決めたのは配偶者。その話は次回)


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 このように、萌えには、若い女性を徹夜させたり、漫画家を売れなくしたり、
高校生の青春を台無しにしたりするパワーがある。すごくイヤなパワーのような
気もするが、とにかく人をして行動を起こさせる強烈なエンジン。それが萌えだ。
違法な萌えジンを出すのも、萌えグッズを箱買いするのも、『選ばれた受験生の
ための ハイブリッド英単語集』の例文を暗記するのも、テーブルトークRPG
をプレイするのも(さり気ない言及。大人の配慮)、萌えが原動力なのである。

 萌えこそが、天を動かし、地を揺るがし、人を充血させるのだ。

 となれば、我々は、より深く、萌え道を探求せねばなるまい。

 だから、それゆえに、唯萌論なのである。



馬場秀和
since 1962


馬場秀和が管理するRPG専門ウェブページ『馬場秀和ライブラリ』


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