馬場秀和のRPGコラム 2004年11月号



『都ちゃんに萌え萌え(4)』



2004年11月7日
馬場秀和 (babahide*at*da2.so-net.ne.jp)
    スパム対策のために@を *at* と表記しています。メール送信時には、ここを半角 @ に直して宛先として下さい。



  

都萌シリーズ目次

   『まえがき』    (1)    (2)    (3)    ★(4)    『あとがき』    






 「英国ロイヤルバレエ団の至宝」と呼ばれる奇跡のバレリーナ、吉田都さん。

 今回もまた、都ちゃんの話から始めます。吉田都って誰よ? という読者は、
まずは前回のコラムを読んで下さいね。

 で、あるとき、帰宅した配偶者が何やら興奮して騒ぎ立てていたのです。まあ
落ち着け、そう言ってからよく話を聞いてみると、何でも、職場でバレエの話を
していたとき、後輩がこう言い出したとのこと。
 
「そうそう、私が通ってた**高校の先輩が、熊哲*1と同じイギリスのバレエ団
で活躍しているんですよ。卒業生名簿の職業欄にも、バレエダンサーって書いて
あったし」

 慌ててその先輩の名前を聞くと、予想どおり“吉田さん”だと言います。ここ
まで聞いて私も大興奮。何しろ、その高校はうちのすぐ近所なのです。わあーっ、
これは大変、一大事っ。

 というわけで夫婦で急いで支度して、もう夜も遅いというのに、**高校まで
二人で走ってゆきました。息せき切って校門までたどり着いてみると、そこにあ
るのは、小汚い、ただの田舎の高校です。よくよく考えてみれば、別に都ちゃん
は学校でバレエを習っていたわけではないのです。というか、そもそも、夜中に
夫婦して走り出す前に、もう少し冷静になるべきでした。私らいったい何を期待
していたのでしょう。

 とりあえず「聖地巡礼ってこんな感じなんだろうね」と自分たちの行動を無理
やり正当化してから、帰宅しました。しかし後から考えてみると、少しも正当化
になっていませんでした。

 ただの阿呆です。


**


 しかし、この体験は、私の中に、もやもやとした疑問を残しました。

 それまで私にとって吉田都さんといえば雲の上の人で、何となく「幼い頃から
英国にてバレエの英才教育を受け、その天賦の才能を開花させていったエリート
プリマドンナ」といった感じのイメージがありました。それが、近所の学校に通
い、放課後にバレエ教室で練習してたごく普通の女の子、という身近な人物像に
変わったわけです。ちょっと嬉しい。

 で、疑問というのはこうです。何で、日本のバレエ教室に通っていた女の子が、
後に世界の頂点に立つ指導者、ピーター・ライト卿をして、
 
  「それらが日本での幼少期のレッスンの賜物であることは間違いないだろう。
   ロイヤルバレエ学校に入学したときにはすでに、彼女が十分に訓練されて
   いることがわかったからだ」*2

と言わしめるだけの高度な訓練を受けることが出来たのか、ということです。

 これがバレエに関して長い長い伝統を持つ国なら、それほど不思議ではないの
かも知れません。しかし、日本にバレエが本格的に紹介されたのは、戦後のこと
だといいます。わずか半世紀前に過ぎません。

 また、その半世紀だって、最初は焼け野原からの復興であり、生きてゆくだけ
で精一杯で、バレエどころではなかったはずです。おそらく、庶民が通えるよう
なバレエ教室が全国に作られたのは、高度経済成長期の頃でしょう。そうすると、
都ちゃんがバレエのお稽古を始めた時点で、日本におけるバレエ教育の歴史は、
わずか数十年しかなかったことになります。

 それなのに、都ちゃんは、なぜ英国ロイヤルバレエスクールで学んだ生徒たち
と同じレベルの訓練を受けることが出来たのでしょう。日本の地方都市にある、
ごく普通のバレエ教室で。

 これについて考えているうちに、他にも色々とバレエについての疑問が湧いて
きました。

 例えば、バレエの本場と言えばロシアなのに、どうしてバレエ用語のほとんど
がフランス語なのでしょうか。そもそもバレエという言葉がフランス語なのは、
どういうわけでしょうか。

 そして、「バレエは多くのモダンダンスの基礎になっている」と言われるのは、
なぜでしょう?


**


 最後の点について補足しておきます。

 今年(2004)、私たち夫婦が観た舞台のうち、最も良かったのは、もちろん言う
までもなく都ちゃんの『ライモンダ』『ジゼル』です。(他に『バレエの情景』
という小品を踊る都ちゃんも観ましたが、この舞台はいつもの精彩を欠いていた
ように思います。疲れていたのかも知れません)
 
 吉田都さんが出ていない舞台では、熊哲*1ひきいる“Kバレエカンパニー”の
『コッペリア』と『ドンキホーテ』が、その演出の巧みさで魅せてくれました。
現代の観客にとって退屈と思われるシーンをばしばし省略し、バレエに詳しくな
い観客に配慮して設定や登場人物の動機を補足説明するシーンを追加したりして、
後は徹底したダンスパフォーマンスで観せる。こういうクールな演出方針が見事
にキマってて、どちらもそれはそれは楽しい舞台でした。*3

 ここ数年、Kバレエカンパニーは、公演ごとにぐんぐんレベルが上がっている
ようで、今後がすごく楽しみです。いずれ劇団四季のように、ミュージカルだの
バレエだのといった枠を気にしない観客を集めることが出来る、日本を代表する
舞台芸術団体に育ってほしいものです。
 
あとは、何だかやたらと話題になった“ニューヨーク・シティ・バレエ”の来日
公演、めたらし団子*4づくし、なあんてプログラムも2回(別演目)観ましたが、
これは正直に言って、がっかりだーっ な出来でした。大丈夫ですか。

 しかし、今年はバレエよりも、むしろモダンダンスに圧倒されました。カナダ
のモダンダンスグループ“ラ・ラ・ラ・ヒューマン・ステップス”の『アメリア』
の舞台と、台湾の“雲門舞集”の初来日公演。これらはもう、生きてて良かった
級の感動でしたよ。

 特に雲門舞集。バレエの基本動作に、太極拳の呼気法を組み合わせた独創的な
ダンスで世界を席巻している武闘集団、じゃなくて舞踏集団ですが、これは凄い
の一言でした。前評判を聞いて、念のために公演2回分(別演目)のチケットを
購入していたのですが、しまったあ、こんなに凄いのなら全日分押さえておけば
良かったあぁ、と猛反省し、とりあえず夫婦で台湾に飛んで、雲門舞集のDVD
をかき集めて来たほどです。この話は、また別の機会に書くことにしましょう。

 で、今回の話にとって重要なポイントは、ラララにしても雲門にしても、革新
的かつ独創的なモダンダンスでありながら、その構成要素は、驚くほど基本的な
バレエのステップだということです。せっかく新しいダンスを創造するのだから、
基本ステップの一つ一つから新規に発明すればよいようなものなのに、どちらも
そうはしないで、バレエの基本動作を新鮮なやり方で組合せて、その上に独創性
を構築しているという感じなのです。

 「バレエは多くのモダンダンスの基礎になっている」という言葉はよく耳にす
るのですが、実際にその通りなんだなあ、と感心しました。

 しかし、なぜバレエなのでしょう。バレエが最も優れた舞踏なのでしょうか?


**


 これらの疑問に対する答えは、ちょっとバレエの歴史を調べただけで、すぐに
解決しました。しかも、それは一言で表すことが出来る、明快な答えでした。

 それは、「理論」です。バレエに関する「基礎理論」「表現技法」「訓練方法
(メソッド)」を合わせて体系化したもの。それが、バレエ理論であり、それが
全ての疑問に対する究極的な解答でした。

 バレエの世界では、理論が非常に重要視されます。全てのバレエダンサーは、
基礎理論を学び、表現技法を学び、訓練方法(メソッド)を学びます。徹底的に
学ぶのです。そして、それを実践します。繰り返し、実践するのです。

 バレエ理論がここまで重視されるわけを理解するためには、どうしてもバレエ
の歴史を知る必要があります。興味ない読者にとっては少し退屈かも知れません
が、バレエの歴史、というかバレエ理論の歴史の話をさせて下さい。なるべく、
退屈させないよう工夫するつもりです。


**


 バレエが生まれたのはフランスだと思っている人が多いのですが、実はそうで
はありません。ルネッサンス期のイタリアが発祥の地なのですね。といっても、
当時のダンスは宮廷舞踏といって、現在のバレエとは異なるものでした。

 では、なぜイタリアがバレエ発祥の地とされるのでしょう。それは、きちんと
したバレエ理論が、この地で始めて書かれたからなのです。

 
 『鑑賞者のためのバレエ・ガイド』(音楽之友社)*5
  P15
  劇的要素のある一連の舞踏会を示す「バレット(BALLETTO)」こそ「バレエ
  (BALLET)」の語源だといわれている。この言葉は、グリエルモ・エブレオ
  『舞踏芸術論』の中ではじめて使われたもの。この書物のなかでエブリオ
  は「舞踏とは、ある歌あるいは楽器の規則正しいメロディに合わせた表現
  行為にほかならない」と述べ、舞踏を構成する6つの要素(拍子、注意力、
  場の分割、見得、物腰、身の動き)について説明を加えている。


 ここで注意して頂きたいのは、『舞踏芸術論』が、バレエという用語を定義し、
その構造を示した、ということです。定義、そして、構造。これらを明確にした
「基礎理論」が生まれたとき、バレエという芸術分野が誕生したのです。

 やがてバレエはフランスで花開きます。ときは18世紀、ロマンティック・バレ
エの時代がやってきます。バレエの理論も大きく飛躍します。


 『鑑賞者のためのバレエ・ガイド』(音楽之友社)*5
  P17
  ボーシャンはバレエの5つのポジションを定め、1700年『舞踏術、または
  記号、画、指示符号による舞踏記述方法』を著した。1713年には、現在の
  パリ・オペラ座バレエ学校の基盤となった舞踏学校が創設され、バレエは
  国家の庇護のもとその体系を整え、アカデミックな芸術へと展開していく。


 バレエの5つのポジション。これはアンドゥオールと呼ばれます。驚くなかれ、
300 年以上も前に定められたこの「表現技法」が、今日なお全てのバレエ技法の
基本とされているのです。バレエを扱った物語では、必ずといってよいほどこの
ことが強調されます。実際に、いくつかのコミックを見てみましょう。

 
 『アラベスク』(山岸涼子)*6
  「足をアン・ドール(外側)にして立つと、脚を横にあげた場合、90度
  から135 度まであげることができる。その理由は?」

 
 『舞姫(テレプシコーラ)』(山岸涼子)*7
  バレエといえば笑顔の女性がいとも軽やかに美しく舞う姿を思い浮かべます。
  しかしその美しさの実体がいかに厳しく過酷な訓練の賜物であるか・・・
  それは見る側の想像を遥かに越えるものなのです。この、ただ立つだけの
  5つの基本型ですら、股関節が180度開かなければ正しいポーズには決
  してならないのです。

 
 『Do Da Dancin'』(槇村さとる)*8
  初心者からプロまで全てのダンサーの基本レッスンは全て同じである。
  昨日より今日、今日より明日。より完璧なアンドゥオールを手に入れる
  ために。
  50人のダンサーが舞台上に乗るグラン・バレエも、小さなコンチェルト
  バレエも、モダンも、喜びも、悲しみも、アンドゥオールの上に生きて
  いる。成立している。

 
 『昴(スバル)』(曽田正人)*9
  足のポジションは基本中の基本。ここから踊りが始まる・・・。ポジションが
  完璧でないとどんなパも始められないから、基本が大事なのはわかってるけど、
  このひと“大事”だからやってるんじゃない。あの表情、ぜったいちがうよ!!


 舞台芸術としてのバレエが花開き、その表現技法のほとんどが生まれたのは、
18世紀のフランスでした。だからこそ、バレエ用語はフランス語なのです。
ルネッサンス期のイタリアが「基礎理論」を創設したとすれば、18世紀フランス
はバレエの「基礎理論」に「表現技法」を加えて磨きをかけた、と言ってよいで
しょう。

 この時代にはポワント(トゥ、つまり爪先で立って踊る技法。この技法のため
に作られた特製の靴がトゥシューズ)が発明されました。ポワントの導入により、
バレエの表現の幅は各段に広がりました。

 ポワント技法が当時の観客に強烈なインパクトを与えたことは、当時のスター
ダンサー、マリー・タリオーニの人気を見れば分かります。彼女のポワントは、
今や伝説となっており、TVアニメの登場人物が話題にするほどです。

 
 TVアニメーション『プリンセス・チュチュ』*10
  第9話「黒い靴」より
   「最初にポワントで踊ったバレリーナのトゥーシューズ、どうなったか
    知ってる?」
   「えっ、さあ?」
   「食べられちゃったの」
   「ええっ!?」
   「そのバレリーナを崇拝していた人にね」
   「・・・ふぅん、何か凄いね」


 私はこれを観たとき、ホンマかいな、と思ったのですが、調べてみると確かに
マリー・タリオーニにはそういう伝説がありました。彼女が「最初にポワントで
踊ったバレリーナ」というのは間違いですが、ポワント技法を始めて明確な目的、
すなわちシルフィード(風の精、もっと分かりやすく言うなら戦闘妖精雪風)の
動きを表現するために用いた最初のバレリーナだと言えるかも知れません。

 
 『バレエとモダン・ダンス−その歴史』(ジャック・アンダソン)*11
  P130-134
  ポアントで踊るバレリーナと言えば、この世のものとも思えぬ滑らかさで、
  舞台をそっと撫でて行くようにトーで踊り、観客に歓喜の声をあげさせる
  ことができたマリー・タリオーニの姿が浮かぶのである(中略)。
  タリオーニのファンたちは、あるディナー・パーティで、マリーのバレエ
  シューズを料理して食べてしまったこともあった。


 いずれにせよ、ロマンティック・バレエは、もはやお上品な宮廷舞踏ではなく、
熱狂的な観客を獲得する舞台芸術となっていったのです。それは「基礎理論」や、
身体の解剖学や生理学に基づいて様々な「表現技法」が試みられ、取捨選択され、
その成果をダンサーや振付家たちが真剣に学んだおかげなのです。


 『バレエとモダン・ダンス−その歴史』(ジャック・アンダソン)*11
  P127-128
  ロマンティシズムは、確かに直感的なものであり、理論的なものとは
  かけ離れているのだが、そのロマンティシズムを舞台で表現するため
  には、しっかりと構成され、理論づけられたトレーニングを修得する
  ことが大前提なのである。(中略)
  振付家たちは舞台公演で、思いきり大胆な冒険を試みはするが、
  バレエ教室では、いつもこの偉大な芸術の伝統を活かすための訓練が、
  怠らず、脈々と続いていっているのである。


 そして、19世紀の前半には、ロマンチック・バレエに関する「基礎理論」およ
び「表現技法」は、ほぼ完成の域に達します。これらは、今日なお全てのバレエ
関係者によって精力的に研究され、学ばれているのです。

 
 『バレエの歴史』(マリ・フランソワーズ・クリストゥ)*12
  P59-60
  ブラシスが完成し、彼の有名な二つの論文『舞踏芸術の理論と実際に
  関する概論』(1820年、ミラノ)、『舞踏総論』(1830年、パリ)の
  なかで述べている方法は、我々の時代でもまだ基礎として役立つもの
  である。(中略)
  ブラシスの教えは二十世紀バレエの基礎となっている。


**


 19世紀前半、バレエ理論は完成したように思えました。バレエの発展を阻害す
るものは何もないようにさえ見えました。ロマンティック・バレエの全盛期です。
しかし、その後の歴史を知っている我々が後知恵で考えるなら、「基礎理論」と
「表現技法」だけでは、バレエ理論として不十分だったことが分かります。

 確かに当時の欧州には、きら星のごとく優れた名ダンサー、有能な振付家達が
いました。彼らは新しい理論や技法を取り入れて己の技量に磨きをかけていまし
た。しかし、どんな優れたダンサーにも老いはやってきます。ダンサーの人生は
過酷です。頂点に登り詰めたときには、既に体力の衰えが始まっています。踊れ
なくなります。それも思ったより早く。

 ダンサー個人にとっては残酷なことですが、バレエ全体から見ると、ある意味
で、これはかえって良いことかも知れません。新陳代謝が激しくなるからです。
どんなスターダンサーも、いずれは引退します。だからこそ、野心に燃える若い
ダンサー達にチャンスが回ってくるのです。こうして、常に若々しい新鮮な才能
の持ち主が、バレエを引き継ぎ、発展させてゆくのです。

 逆に言うと、個人のダンサーとしての寿命が短いということは、バレエ全体が
が継続的に発展するためには、次々と優れた若手ダンサーが登場してくることが
必須ということを意味します。ですから、若いダンサーの卵を、きちんと正しく
育てるための体系的な訓練方法(メソッド)が必要となるのです。人間の身体の
解剖学や生理学の正しい知識に基づいており、才能ある若者なら、教室や教師の
質に関わらず、それに従って訓練すれば必ず上達できるような、確実かつ効果的
な訓練方法。

 当時、バレエ理論に欠けていたのは、これでした。

 皮肉なことに、バレエが興行的に成功したことによって、19世紀後半には若い
ダンサーたちの間に理論軽視の風潮が台頭してきます。楽しければいいじゃない、
バレエに難しい理屈はいらない。バレエってエンターティメントですよ。実践に
勝る理論なし。理論なんて振付家が知ってればよいのであって、ダンサーが勉強
する必要ナシ。大切なのは個々の作品に習熟することであってバレエ全体に共通
する汎用理論なんて無意味。美人が太股を見せることの何が悪いの、観客が喜ん
でいるんだからいいじゃない。理論とか振りかざすやつキモイ。そもそも、理論
だとか言うヤツに限って舞台に立ってないんだよねー。てな感じでしょうか。

 どんなに才能があっても、きちんと理論を学んだ上で、体系的な訓練を受けな
い限り、いくら踊っても上達などしないのです。むしろ勝手な癖がついて、どん
どん可能性を閉ざしてゆくことになってしまいます。

 こうして、次代を担うべき若いダンサー達の技量やレベルがどんどん下がって
いったのです。自然と、観客もバレエに芸術性を期待しなくなってゆきます。


 『バレエとモダン・ダンス−その歴史』(ジャック・アンダソン)*11
  P144-145
  十九世紀後半になると、バレエを単に軽いエンタティメント的なものと
  見なす風潮が現れ始めたのである。(中略)
  バレエというもの自体が、美しいコスティームを着けた美しい女性の陳列
  に過ぎないものとなってしまったのである。ドガのバレリーナたちの絵は
  この時期のもので、その頃、バレエは確かに美しいものなのであるが、
  それほど芸術的に意義深いものとはみなされていないのであった。
  パリ以外の都市においても、同様の衰退はみられた。早い時期では、1850
  年に、ベンジャミン・ラムリーは、観客たちが「美しい脚さえ観せて
  くれたらいい。むずかしいことなんかいらないのだから」と要求している
  ことに心を痛めていた。


 私には、ベンジャミン・ラムリーの嘆きがよく分かります。

 19世紀も終わりに近づくと、多くの評論家は、バレエの時代は終わったと宣言
しました。


**


 しかし、バレエは滅びませんでした。

 優れたダンサーがいなくなっても、バレエには真に大切なものが残されていた
からです。

 そう。引退した名ダンサー達の手には、バレエ理論が残されていました。彼ら
が若い頃からずっと学んできたバレエ理論です。彼らは、自ら踊ることは出来な
くなっても、正しい理論を教えることが出来たのです。そして、欧州のバレエ界
が理論軽視の風潮に流され凋落の一途をたどっていた頃、ロシアにはバレエ理論
を学ぼうという意欲に溢れた若者たちが待っていたのです。

 かつて欧州で踊っていた多くの名ダンサー達が、引退後にはバレエ教師として
ロシアに向かいました。欧州におけるバレエが急速に衰退した後、代わってロシ
アのバレエが台頭してきたのは当然のことでした。

 こうして19世紀までに確立したバレエ理論を吸収し、さらに発展させたロシア
バレエこそ、今も世界中で踊られているクラシック・バレエそのものなのですが、
まあ一つここは思い切って、プティパもディアギレフもニジンスキーもパブロワ
もめたらし団子*4も全て省略して、「バレエ理論の完成」という点だけを説明し
ましょう。すでに賢明な読者には、結論は見えているでしょうからね。

 
 『バレエ 誕生から現代までの歴史』(薄井憲二)*13
  P174
  革命後のソ連バレエの功績は、作品よりもその教育機関の充実にあった。
  革命前、ペテルブルグ、モスクワの2校しかなかった公立のバレエ学校は
  何と23校に増えた。(中略)
  20世紀前半、バレエといえばロシア・バレエのことだったが、後半も別の
  意味で、やはりバレエはロシアであった。先に述べた通り、教育機関の充実、
  潤沢な国費の成果で、ロシアでは、小さなバレエ団の無名の踊り手にも、
  西欧の著名な踊り手の顔色なからしむ力量が見受けられることもある。


 『バレエとモダン・ダンス−その歴史』(ジャック・アンダソン)*11
  P332
  現在、ロシアでは標準的な教授法が使用されているが、それは、二十世紀
  のもっとも偉大な教師の一人、アグリッピーナ・ヴアゴノヴァ(ワガノワ)
  の理論に基づくものである。


 「ワガノワ・メソッド」という言葉を聞いたことはありませんか。今日もなお
世界中のバレエ教室で使われている教則が、ワガノワ・メソッド、またはそれを
元に、国や地方によってバリェーションを加えたものなのです。つまり、20世紀
のロシアは、バレエの「基礎理論」と「表現技法」に、合理的で効果的で確実な
「訓練方法(メソッド)」を開発して組み合わせ、これらを体系化したのです。
すなわちバレエ理論を完成させたのです。

 ロシアバレエのレベルの高さに衝撃を受けた欧州は、積極的にダンサーや教師
をロシアから受け入れて、その最新のバレエ理論を学びました。結果は、まさに
目を見張るほど劇的なものでした。

 凋落していたフランスのバレエ界は、見事な復活を遂げました。今日、パリ・
オペラ座は、世界でも最高のバレエ団と言われています。(言ってるのは、主に
フランス人ですが)

 それまで「バレエは外国人のもの」と見なしていた英国にも、ロシアから迎え
入れた教師たちがバレエ理論を教える学校が創設されました。たちまちバレエは
英国の芸術として認められ、英国王室の全面的な支援を得ることになります。
これが、後に英国ロイヤルバレエとなり、都ちゃんを世界に送り出すのです。


 米国にも波は押し寄せました。


 『バレエ 誕生から現代までの歴史』(薄井憲二)*13
  P155
  何をおいてもまず学校の設立ということで、マサチューセッツ州ハート
  フォードがその地に選ばれたが、障害が起こり、ニューヨークに移った。
  (中略)
  開校は1934年1月、男性3名を含む約30名の生徒が集まった。(中略)
  あまりバレエの盛んとはいえぬアメリカで、これだけの生徒が集まれば
  成功ではなかろうか。アメリカ・バレエ界のだれもが正規のバレエ教育
  を待望していたのだろう。


 今日、米国といえば世界でも1位、2位を争うバレエ大国になっていますが、
その出発点は「何をおいてもまず学校の設立」だったのです。いかにバレエ理論
を教えることが大切か、よく分かります。ちなみに、この学校が後に米国最高の
バレエ団と讃えられるニューヨーク・シティ・バレエに発展してゆくのです。


 日本はこれらの国々に比べると非常に遅れましたが、戦後になってロシアから
積極的に教師を招きました。彼らにバレエ理論を学んだ生徒たちが、今度は日本
の各地に散って、それぞれの土地でバレエ教室を開き、そこで同じ教則を用いて、
生徒達にバレエを教えたのです。このように世代を経ても、最初の教えが劣化す
ることなく、いやむしろ日本人の身体特性に合わせて最適化されていったのは、
それが他の国々と同じく、正しい基礎理論と表現技法と訓練方法(メソッド)、
つまり世界共通のバレエ理論に基づいていたからです。真に優れた教師も、
凡庸な教師も、同じ教則を用いて、同じバレエ理論を用いて教育を行うことで、
世界中のどの国にも負けない優れた訓練を施すことが出来たのです。


 もちろん国や地域による教育レベルの差は厳然として存在しましたし、今でも
存在します。しかし、バレエ理論が確立しているおかげで、それらは最小限にと
どまっています。むしろ、国や地域による差は、多様性という形でバレエを活性
化させる方向に作用していると言ってもよいでしょう。


 今日では、世界中どこでも、ダンサーを目指す若者は、まずバレエを学ぼうと
します。バレエが最高のダンスだと信じているからではありません。最も理論が
明確で、訓練方法(メソッド)が確立しており、住んでいる場所から近い教室で
も(他のダンスに比べれば)世界レベルの訓練を受けることが出来るからです。
そして、バレエさえ学んでおけば、世界のどこにいっても、とりあえず踊ること
が出来るのです。これも全て、バレエ理論、そこから導き出される教則が世界中
で同じであるためです。バレエ理論が、この奇跡をなし遂げたのです。


 『バレエの歴史』(マリ・フランソワーズ・クリストゥ)*12
  P132
  毎朝、世界じゅうで、若者たちはバー、ついで中央でのエグゼルシスを
  行いながら、根気よく、重力からの解放、バランスの獲得、努力を目だ
  たせない方法を探索している。無慈悲な鏡の前で肉体を作り直しながら、
  彼らは動きの知識、優美の誕生を見いだすことを学んでいる。(中略)
  エグゼルシスとは、およそ一時間から一時間半にわたるバレエの基本
  練習のことであるが、その前半はバーにつかまってやり、後半はバー
  から離れてやる。バレエのエグゼルシスは何百年もの経験によって築き
  あげられたもので、いわば各国共通のバレエの文法であり、世界じゅう
  の舞踏家が毎朝欠かさず繰り返し練習しているのである。


**


 これで、最初に提示した疑問には、全て答えることが出来たと思います。

 バレエ用語がフランス語なのは、その「基礎理論」と「表現技法」を確立させ
たのがフランスだったからです。今日、バレエの本場がロシアなのは、これらに
「訓練方法(メソッド)」を加えて体系化し、完成させたのがロシアだったから
です。

 日本の地方都市のバレエ教室で練習していた都ちゃんが、英国ロイヤルバレエ
の学校で学んだ生徒と同じくらい高いレベルの訓練を受けることが出来たのは、
ロシアから流出した教師が世界中に広がり、英国も日本も同じ理論、教則、訓練
方法(メソッド)に基づいた教育が行われているおかげです。

 吉田都さんは、次のように語っています。


 吉田都写真集 『MIYAKO』*2
 P15
  ある時期から石沢先生の教育方針が変わりました。それまでの“楽しい
  お稽古”が、どんどん厳しいものに変わっていったのです。お稽古の
  時間も延び、何をやるかというとバレエの基礎の繰り返し。(中略)
  石沢先生の教育方針の変化の理由は「いずれここを出てどこかのバレエ
  団で踊っていくのだから、そこで何色にでも染まるように白いままにして、
  基礎だけは鍛える」ということでした。


 正しい理論に基づいた教育を受けたバレエダンサーは、世界中どこに行っても
通用する。そういう確信に満ちた指導が行われていることが分かります。そして、
吉田都さんは、それがまさに正しかったことを証明したのです。

 最後に、バレエが多くのモダンダンスの基礎になっているのはなぜでしょう?

 それは、多くのダンサーが幼少期からバレエを学んでいるためです。そして、
彼らの「表現技法」が、出身国を問わず、基本的に同じであるためです。新しい
ダンスを作り出そうとするモダンダンスの振付家にとっては、ダンサー達のこれ
までの訓練を全て無視してゼロから新しい動きを習得させるというのは、あまり
にも非現実的、少なくとも非効率的なのです。それよりも、すでに高度なレベル
で習得しているバレエのステップをうまく「素材」として用い、その上に独創性
を積み上げる方が、はるかに現実的で、うまくゆく方法なのです。

 そしてまた、上に述べたような事情から、とにかくバレエの基礎さえしっかり
習得しておけば、どこのモダンダンスグループに入っても通用する、ということ
が広く知られているために、いっそう「ダンサーを目指すなら、まずはバレエを
学ぼう」という動機を強めることになり、どんどんバレエがモダンダンスの基礎
として普及していったわけです。典型的な好循環です。

 バレエを創るのは振付家や演出家であり、バレエを踊るのはバレエダンサーで
あり、バレエダンサーを育てるのは教師です。しかし、バレエを芸術にまで高め、
衰退や凋落から不死鳥のごとく蘇らせ、ついには「世界の共通言語」と呼ばれる
までに普及させ、多くのモダンダンスを生み出すための強固な基盤となしえたの
は、基礎理論、表現技法、訓練方法(メソッド)を含む、バレエ理論なのです。





**





 さて。

 そろそろ、TRPG(テーブルトークRPG)について語ろう。

 テーマは単純明解である。今日、TRPGプレーヤーの間で「理論軽視」いや
「理論蔑視」とすら呼べるような風潮が広まっていることについて、苦言を呈す
ることである。

 以下のような主張を見かけたことはないだろうか。

  ・理論にこだわって、TRPGを楽しめなくなったら本末転倒。

  ・楽しむことが一番大切。TRPGに理屈なんていらない。

  ・TRPGってエンターティメントですよ。理論なんていりませんよね。

  ・理論より実践の方が大事。実践にまさる理論なし。

  ・理論なんてゲームデザイナーが知ってればよいのであって、プレーヤーが
   考える必要ナシ。

  ・大切なのは個々のシステムに習熟することであって、TRPG全体に共通
   する汎用理論なんて無意味。

  ・萌えキャラ出して場を盛り上げたりすることの、どこが悪いんですか。

  ・理論とか振りかざすやつキモイ。

  ・そもそも、理論とか言うヤツに限って実際にプレイしてないんだよねー。


 私は、ベンジャミン・ラムリーと同じように嘆いている。こういう風潮が、プ
レーヤーやゲームマスターのレベルを下げ、世間の評価をどんどん下げてきたか
らだ。ちょうど、19世紀後半の欧州におけるバレエ界のように。

 私としては、上のような言説については、否定的な立場をとらざるを得ない。

 なぜならば、それは、1.端的に言って間違いであり、2.要するに欺瞞であり、
3.深刻な害毒だから、である。

 一つ一つ説明しよう。


**


 まず、1.端的に言って間違いである、という点について。

 少なくともバレエにおいて、いかに理論が重要であったかは、既にご理解頂け
たことだろう。バレエが発展するとき、その前に必ず理論的発展があった。個々
の作品論ではない。キトリをどう踊るか、オディールをどう表現するか、という
特定作品のための技術論や解釈論ではない。バレエ全体をとり扱う汎用理論だ。
それは、「バレエとはそもそも何であり(定義論)、どのような要素から構成さ
れており(構造論)、それらをどう組み合わせてどう踊るべきなのか(表現技法)、
そのためにどのような練習と教育が必要なのか(訓練方法)」といったことを、
明確にする。

 これこそが、バレエを発展させ、凋落から救い、世界中に普及させ、才能ある
多くの若者を引きつけ、他の多くのモダンダンスを主導している原動力なのだ。

 理論を軽んずるバレエ関係者はいない。全てのバレエダンサーは、熱心に理論
を学んでいる。彼らは、踊るというより「理論を実践する」のだ。理論は解剖学
や生理学から始まる膨大な知識体系なのだが、それを学ぶことを面倒くさがる者
はいない。(いたとしても、彼または彼女は、決してバレエダンサーになれない)
「理論より踊る方が大切」だの「個々の作品に習熟することが大切なのであって、
汎用理論なんて無意味」などと世迷い事をほざく者もいない。

 これはバレエだけの現象だろうか?

 そうではない。

 演劇には演劇理論があり、訓練のためのメソッドがある。どの理論やメソッド
を重視するかはともかく、理論やメソッドそれ自体を軽んずる役者はいない。

 スポーツにはスポーツ理論があり、生理学を基礎におく科学的なトレーニング
技法、つまりメソッドがある。「理屈よりまず身体を動かせ、1000本ノック!!」
などと言うコーチがいれば、クビになるだろう。スポーツ科学は、近年になって
驚異的な発展を遂げつつあり、誰もがそれを必死に学ぼうとしている。

 音楽には音楽理論、絵画には絵画理論、建築には建築理論がある。映画には、
映画理論とシナリオ作成メソッドがある。そうそう、もちろんゲームにはゲーム
理論があり、そして習熟するためのメソッドがある。

 もちろん、どんな分野においても、口先ばかりの生意気な生徒を戒める意図で
「理屈こねてる暇があったら手を動かせ」とか「理論より実践」と叱る教師はい
るだろう。「理論だけでは不十分。理論は実践されて始めて価値を持つ」という
意味で「理論より実践」と戒める批評家はいるだろう。しかし、文字通りの意味
で「理論より実践の方が大切」「汎用理論は無意味」などと口にする者はいない。

 なにがしかの文化的価値を持つあらゆる分野において、だ。


 では、TRPGには、文化的価値がないのだろうか?

  断じて、否である。

 TRPGだけが、理論を必要としてない、ということがあるだろうか?

  否である。

 TRPGだけが、理論なしに発展し普及する、と信じる理由があるだろうか?

  否である。

 TRPGだけが、理論を軽視してよい、という主張に根拠があるだろうか?

  否である。

 では、TRPGにおける理論軽視の主張は、正当化できるものなのだろうか?

  言うまでもなく、否である。

  明らかに、そんな主張は、端的に言って間違い、なのである。


**


 次に、2.要するに欺瞞である、という点について。

 よく考えてみてほしい。「理論より実践」というときの“実践”とは、はたし
て何を実践することなのか。

 ルールと市販シナリオだけで、TRPGをプレイすることは出来ない。ゲーム
マスターも、プレーヤーも、途中で必ず何らかの“判断”をしなければならない。
それは多分に恣意的な判断かも知れないが、それでも全くのランダムな判断とい
うことはあり得ない。必ず何らかの目標、例えば「ストーリーを中断しないよう
に」とか、「他の参加者を楽しませるように」とか、「なるべくドラマチックな
展開になるように」とか、「自分が目立てるように」とか、「我が萌魂が命ずる
ままに」とか、何でもいいが、とにかく目標に合わせて判断することになる。

 これはつまり、暗黙のうちに「理論」を実践していることになる。すなわち、

  「TRPGは、ドラマチックなストーリーを創り出すゲームである」とか、

  「TRPGにおいては、他の参加者を楽しませることが大切である」とか、

  「TRPGでは、目立ったもの勝ちだ」とか、

  「TRPGでは、萌えたもの勝ちだ」とか、

とにかく何らかの「理論」が脳裏にあって、それを“実践”しているのである。

 ここでは、これらの「理論」の是非が問題なのではない。問題なのは、暗黙に
自分の「理論」を実践しながら、他の人が理論を説こうとすると「理論より実践」
式の、何となく職人気質っぽく響く、反論しにくい言い方で、議論そのものを
拒絶し圧殺しようとする、その姿勢を問題にしているのだ。

 これは、要するに「他人理論には語る価値なし。俺理論には実践する価値あり」
という露骨なダブルスタンダードであり、独善であり、低劣な自己満足であり、
要するに欺瞞である


**


 最後に、3.深刻な害毒である、という点について。

 現在、TRPG業界が置かれている状況は、決して明るいとは言えない。
はっきり言えば、危機的状況、存亡の瀬戸際にある。これは誰にも否定できない
だろう。

 ゲームシステムの質が下がっているわけではない。むしろ昔よりも優れた作品
が多い、と言ってよい。別にゲームマスターやプレーヤーの質が下がっていると
いうわけでもない(議論の余地はあるが)。

 本質的な問題は、TRPGのプレイ人口が減少しており、市場が縮小しており、
その結果として、新しい才能が流入してこない、改革の意欲溢れる有能な若者が
が入ってこない、という点なのである。むろん皆無とは言わない。しかし、業界
を発展させるどころか、維持するのも困難な程度に過ぎない。才能ある若者は、
将来性のないTRPG業界ではなく、コンシューマゲームやネットワークRPG
(MMORPG)業界に入ることを選ぶ。当然のことだ。
 
 2004年9月30日、Scoops RPGのコラムニストでもある回転翼さんのBlogに、興味
深い調査結果が載った。それによると、現在活躍しているTRPGのゲームデザ
イナーの年齢は30歳代後半以上、大半のデザイナーは40歳代だという。*14

 若いゲームデザイナーだって出てきている、と反論するむきもあるだろうが、
一つ落ち着いて考えて頂きたい。そもそも発展を遂げている娯楽分野、伝統より
新鮮さや革新性の方が重視される文化分野においては、若い才能がどんどん頭角
を現してきて、人数でも人気でも頭の古い年寄り連中を圧倒しているというのが
本来の状態のはずだ。20歳代よりも40歳代のゲームデザイナーの方が人数が多く、
しかもいまだ彼らが中心になって活躍しているというこの状況は、TRPG業界
世代交替が進んでないことをはっきりと示している。

 このまま10年、20年と時が経過したらどうなるだろうか。現在、この業界
をリードしているゲームデザイナーの多くは引退するだろう。TRPG全盛期を
経験しているベテランゲームマスターやプレーヤーも、その大半がTRPGから
足を洗って去ってゆくことだろう。そして?

 このような状態は、既におなじみのはずだ。
 そう、19世紀後半の欧州におけるバレエ界にそっくりなのだ。

 なに、TRPGは熱心なファンがいるから滅びない?
 今後も長くプレイされるであろう傑作や名作があるから大丈夫?
 萌えがTRPGを救う?

 19世紀後半の欧州のバレエファン達も同じことを言ったに違いない。彼らには、
『ジゼル』や『コッペリア』や『ラ・シルフィード』といった、不朽の名作群が
あった。実際、これらの演目は現在でも世界中で公演されている。名ダンサーや
優れた振付家も、現役で頑張っていた。実際、彼らは良い仕事をしていた。観客
だって、高い芸術性は期待しないまでも、エンターティメントとしてのバレエを
応援していた。美しいバレリーナの足(萌え!)を観るため、毎夜のように観客
は劇場に(そして出演者控室に)通っていた。バレエは、熱心なファンに支えら
れていた。名作にも話題作にも事欠かなかった。萌えがバレエを盛り上げていた。
その将来に何の不安があるだろう?

 残念ながら、彼らが持っていたバレエ理論は、実は不完全だった。そこには、
ダンサーの卵を正しく育てるためのメソッドや教則が欠けていた。それさえあれ
ば、たとえ教師の質が下がったとしても、才能ある若いダンサーに不足すること
はなかっただろう。しかし、そうはならなかった。教師の質が下がると、すぐに
優れた若いダンサーが不足してきた。バレエ全体の技術レベルが下がり、バレエ
を目指す若者が減ってきた。一握りの意欲ある若者も、優れた教師がいないため
に、優れたダンサーになることが出来なくなった。もちろん彼らは、優れた教師
になることは出来なかった。典型的な悪循環である。

 世代交替が進まなくなったために、徐々に、だが確実に、欧州バレエ界は衰退
していったのである。

 TRPGの将来に不安などない、だって?

 確かに、不安などない。あるのは確信だけだ。世代交替が進まない分野は衰退
する。徐々に、だが確実に

 バレエは衰退したが、滅びなかった。当時の欧州には、後から思えば不完全で
あったとはいえ、完成度の高い「基礎理論」と「表現技法」を含むバレエ理論が
あったからだ。ロシア人がそれを学び、磨きをかけ、欠けているピースを開発し
て付け加え、完成させた。それが欧州、いや世界中のバレエを復興させたのだ。
絶え間ない世代交代を繰り返し、他のモダンダンスに刺激を与え続ける、優れた
舞台芸術として。

 では、TRPGは?

 我々には、TRPGを滅亡から救ってくれるであろう「理論」があるだろうか。
訓練方法まではともかくとして、基礎理論(TRPGの定義と構造)、表現技法
(心理学や社会学やゲーム理論の正しい知識に基づいた、ゲームデザイン技法、
マスターリング技法、プレイング技法)、が明確になっているだろうか。

 残念ながら、否、と言わざるを得ない。

 では、TRPGを復興させるチャンスはないのだろうか。

 否、と答えたい。チャンスはまだある、と。

 「理論」だ。

 今、TRPG業界が最も切実に必要としているもの。それは「理論」なのだ。
特定システムにしか通用しない“ガイドライン”とか“コツ”とか“ノウハウ”
といったものではなく、ありとあらゆるTRPGに通用する汎用理論。D&Dを
どのようにプレイするか、GURPSをどうやって使うか、という特定システム
のための技術論やテクニック論ではない。TRPG全体を取り扱う汎用理論だ。

 たとえ、優れた後継者を一人も残すことなくTRPG関係者が全て引退したと
しても、あらゆるTRPGが市場から駆逐されてしまったとしても、正しい訓練
方法を含むしっかりした汎用理論さえ残しておけば、いつか、どこかで、誰かが、
後継者(TRPGゲームデザイナー、TRPGゲームマスター、TRPGプレー
ヤー)を育てることが出来る。その時代、その土地に、優れた教師がいなくても、
テーブルゲームの経験者が一人もいなくても、RPGが根付いたことのない国や
地域であっても、D&DやGURPSの名がとうに忘れ去られた後世であっても、
正しい「理論」さえ伝わっていれば、再びTRPGなる魅力的な文化が復興する
チャンスが残るのだ。ロシアがバレエに対してなし得たように。

 だから、我々はTRPGの汎用理論構築を急ぐ必要がある。まだ、ある程度の
TRPG人口が残っている今のうちに。TRPGを実体験し、歓喜し、苦悩し、
興奮し、身を削るように血を吐くようにプレイした者たちが残っているうちに。
一つの価値ある文化が滅びてしまう、その前に。

 このような現状認識と危機感を持つなら、理論軽視の風潮はとてつもなく危険
なものであり、まさにTRPGを滅ぼすものだということがご理解頂けるはずで
ある。

 誤った理論、馬鹿げた理論、偏った理論、独断的な理論、特定システムにしか
通用しない理論、視野の狭い理論、偏見をまき散らす理論。だが、これらは危険
ではない。真に危険なのは、理論そのものを敵視する態度、理論を語ること自体
を蔑視する姿勢、理論についての真剣な議論を貶め、圧殺しようとする動きだ。

 お分かりだろう。これはTRPGにとって、深刻な害毒である、ということが。


**


 TRPGの将来にとって、“理論の欠如”がいかに危うい状態であるかを理解
した読者は、では自分に何が出来るかを問うだろう。TRPGの将来のために、
私にやれることは何か、と。

 答えよう。まずは、「小さな論考」から始めたまえ。

 「小さな論考」というのは、特定の前提、特定の条件、特定のトピックに限定
して考えた結果を書いた論文である。ただし、それは掲示板に書き散らした意見
ではない。Blogに載せて流れ去ってゆく雑記でもない。短くてもいい、きちんと
した構成を持ち、論旨と根拠と文責を明確にし、読者の知的反応(肯定的であれ
否定的であれ)を引き出す力を持った論文。ずっと後の時代の読者にも有益な、
積み重なってゆくことを指向した論考。ささやかとはいえ、志としては、人類の
知の集積に寄与することを目指した、そういう「論文」だ。

 そもそも「理論」というものはいきなり登場するものではなく、「小さな論考」
が積み重なって、やがてそれらが取捨選択され、良いものだけが統合された結果
として、完成するものだ。

 例えば、ボーシャンは、突然の天啓にうたれて、バレエの5つのポジションを
思いついたわけではない。バレエが誕生した14世紀からの500年、提出され続けた
膨大な「小さな論考」が積み重なっていったはずである。ボーシャンは、それら
を取捨選択して、役に立つものだけを取り出し、彼の著名な書物にまとめたので
ある。それからさらに130 年もの歳月をかけてまた「小さな論考」が積み重なり、
やがてブラシスが『舞踏総論』という形でそれらを集大成したのだ。

 ボーシャンやブラシスやワガノワは、確かに傑出した理論家だった。しかし、
それは先行する「小さな論考」の積み重ねあってのことである。あなたがゲーム
史に名を残す偉大な理論家を目指しているのならともかく、そうでないならば、
自分なりの「小さな論考」をきちんと論文(レビューでもコラムでも講座でも、
好きなように呼べばよいが)の形にまとめて提出し、積み重なってゆく知の集積
に寄与するべきなのだ。

 もう一つ、あなたに出来ることがある。理論を守ることだ。

 誤解しないでほしいが、誰かの理論を守るとか攻撃するとか、そういう話では
ない。理論を語ること、理論を論ずること、その営み自体を守るということだ。
「私はあなたの理論に反対だ。しかし、あなたが自分の理論を提示する権利を、
私は命をかけてでも守る」ということだ。いや,別に命をかける必要はないが、
少なくとも妨害をしてはいけない。論説を妨害する行為、論考や議論を貶めるよ
うな発言、論考を発表するのをためらわせるような動きには、決して加担しない
でほしい。

 繰り返しになるが、「理論」や「論考」や「議論」、それら自体の価値を否定
するものを除けば、真に有害な理論などないのだ。どんな極論も、偏見を広める
理論も、事実に立脚してない空論も、排斥してはならない。誤った理論も、それ
を否定しようとする人々が優れた競合理論を生み出したり、乗り越えようとする
過程でそれまで見逃されていた重要な論点に光が当たったり、批判的に発展され
たりすることで、「理論」全体の発展に寄与することは、よくあることだ。


**


 最後に。蛇足を承知で付け加えておくことにしよう。
 
 私自身も、これまで様々な「小さな論考」を提出してきた。*15

 それら全てが誤っているとは思わないが、かと言って全てが正しいということ
もあり得ない。いくつかの主張は正しく、いくつかの主張は偏っているか偏狭に
すぎ、いくつかの主張はまるっきり誤っていることだろう。いくつかの主張は、
自分が若い頃に経験したTRPG作品のデザイン思想にとらわれすぎており、今
では時代遅れになっているに違いない。どれがどれであるか、現時点で自分には
分からないのが残念である。

 ただし、私は自分の論考に多くの誤りや偏見が含まれてあろうことを、喜んで
認めるし、そのことを何ら恥じるものではない。論文の著者は、それが真摯かつ
責任ある考察の産物であり、積み重なってゆくもので、他の人の知的反応を引き
出すに足りるものであったなら、たとえ結果的にその主張自体は誤っていたとし
ても、理論全体の発展に寄与したことを誇りに思うべきだと、私はそう確信する。

 だから、私を批判する人々に対しては、「では、より優れた論文をぜひご提示
いただきたい。どうか、私の理論を乗り越えたまえ。それにより貴方がTRPG
理論を発展させるのであれば、私はそれを称賛し、貴方が優れた業績を残すのに
貢献できたことを誇りに思うだろう」と告げるものである。

 そしてまた、このことを強調しておきたい。私の「小さな論考」は、仮にその
全てが正鵠を射ていたとしても、なお恐ろしいほどに不完全であり、我々が必要
としている完成した「TRPG理論」からは、ほど遠いのである。
 
 私の「小さな論考」には、その是非はともかくとして、基礎理論と表現技法の
一部が含まれている(特に、定義、構造、マスターリング技法)。しかしながら、
ゲームデザイン技法についてはほとんど語ってないし、ゲームプレイング技法
についても沈黙している。訓練方法(メソッド)については、何度かその必要性
を指摘している*16だけで、具体的なことは何も提示してない。教則もしかり。

 基礎理論に限っても、TRPGのゲーム的側面に集中するあまり、演劇的側面
芸術的側面祝祭空間的な側面、などを軽視しすぎているという批判があるし、
それはそうかも知れない。(正直いって、自分ではそうは思ってないが)

 私が、いずれこのようなテーマについても論考を発表するだろうと思っている
人がいるとしたら、まことにお気の毒さまである。私がTRPGについて重要な
何かを書いてないとすれば、それは自分には書けないからである。いつの日か、
上で強調表示した重要なテーマについて、優れた論考を書く人が現れるだろう。
だが、それは私ではない。

 今後、私がTRPGに貢献できそうなことといえば、TRPGを知らない読者
が読んでも面白いTRPGコラムを書くこと、これまで提示してきた自分の論考
について責任を持って補足や詳細化を続けること、優れたTRPG論考を誰もが
発表できる場を守ること、あとは「最近の若者の風潮ときたら」といった説教を
くどくど述べることくらいだ。

 だから、私がこれまでに書いてきた論考を吟味し、取捨選択し、役に立つもの
があれば拾い上げ、新しい「小さな論考」を書きつないでゆく仕事は、意欲ある
読者諸子に任せることとしよう。

 いつの日か、どこかで、誰かが、そうやって積み重なっていった「小さな論考」
をまとめ上げ、TRPG理論を完成させるときがくるだろう。私はそう信じる。

 
 では、アデュー、友よ! いざ栄光に向かって旅立たん!*17



馬場秀和
since 1962



[出典、注釈、および参考文献]

    *1などの番号をクリックすると、本文中でその注釈等が最初につけられた箇所にジャンプします。
    注釈等へジャンプする直前に読んでいた箇所に戻るには、ブランザの『戻る』機能をご使用下さい。


 
  *1 :熊哲
      日本を代表する男性バレエダンサー、熊川哲也さんのこと。もと英国ロイヤルバ
      レエ団プリンシパル。現在は日本でKバレエカンパニーを主催している。最近は
      ダンサーとして円熟してきたのみならず、舞台演出家としても注目されている。
      かように立派な方であるにも関わらず、桑田乃梨子さんの漫画に、“放浪の天才
      ダンシングベア、クマ川”として登場し、そのだめっこぶりが印象的だったこと
      から、我が家においては「だめっこどうぶつ」と呼ばれ、珍獣扱いされている。

      参考 『だめっこどうぶつ』(桑田乃梨子)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4812458196/qid=1099621370/sr=1-3/ref=sr_1_10_3/250-2383232-5009847

 
  *2 :『MIYAKO』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4163577203/qid%3D1095662321/250-5569174-1629822


 
  *3 :楽しい舞台でした
      実はこの原稿、Kバレエカンパニーの『ドンキホーテ』初日公演からの帰宅翌日に
      書いているため少々興奮している。舞台は最高に良かったものの、三幕のパ・ド・
      ドゥ(主役二人の踊り)の導入部で熊哲がリフトに失敗。その後のバリエーション
      (男性のソロ)がだめだめだったのが残念。というより、ひょっとして腰を痛めた
      のか、と心配。全然関係ないけど、今日、42歳になりました。ハッピーバースデー
      デビルマン!

      参考   http://www.aa.cyberhome.ne.jp/~babahide/damekkodoubutu5.html


 
  *4 :めたらし団子
      ジョージ・バランシン(本名、ゲオルギィ・バランチヴァーゼ)のこと。
      彼はニューヨーク・シティ・バレエ団の創設者にして、20世紀の最も偉大な振付家
      の一人。かように立派な方であるにも関わらず、我が家においてはこう呼ばれ、
      珍味扱いされている。
      なお、その強烈な個性により、バレエを扱った物語には、バランシンをモデルに
      したとおぼしきキャラクターがしばしば登場する。

      参考 『黒鳥−ブラック・スワン』(山岸凉子)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4592883292/qid=1099550763/sr=1-1/ref=sr_1_10_1/250-2383232-5009847


 
  *5 :『鑑賞者のためのバレエ・ガイド』(音楽之友社)
      タイトルの通り、これからバレエを観てみようかという人のための入門書。
      都萌シリーズを読んでバレエに興味を持った読者(いるのか?)にお勧め。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4276961378/qid=1099551061/sr=1-2/ref=sr_1_2_2/250-2383232-5009847


 
  *6 :『アラベスク』(山岸凉子)
      バレエ少女漫画の古典にして、決定版。これを読んでバレリーナを志した少女は
      数知れず。彼女らが現在の日本のバレエ界を率いている。
      引用は、ヒロインがバレエ学校で教師から質問され答えられず、恥をかくシーンより。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4592881117/qid=1099551590/sr=1-2/ref=sr_1_10_2/250-2383232-5009847


 
  *7 :『舞姫(テレプシコーラ)』(山岸凉子)
      あの山岸凉子が新作バレエ漫画を描くらしい、というニュースが流れたときには、
      コミック界もバレエ界も騒然となった。なにしろ彼女は『アラベスク』の作者で
      ある。例えてみれば、手塚治虫が『ブラックジャックによろしく』を描くと言い
      出したようなもの・・・違うか。
      その『テレプシコーラ』、現時点でまだ連載中なので迂闊なことは断言できない
      のだが、“児童虐待”や“2ちゃんねる”、果ては“クロ號”まで様々な記号を
      散りばめ、これが(『アラベスク』と違って)現代の日本の物語、私たちの物語
      であることを強調し、今の日本のバレエ界の問題を浮き彫りにしつつある。
      ヒロインは、バレエダンサーではなく、おそらく今の日本のバレエ界が最も必要
      としている、“世界レベルの振付家”への道を歩んでゆくのだろう。必読。
      引用は、ヒロインの言葉を借りて読者をバレエの世界にいざなう導入シーンより。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/488991787X/qid=1099552339/sr=1-4/ref=sr_1_2_4/250-2383232-5009847


 
  *8 :『Do Da Dancin'』(槇村さとる)
      いつもの通り、槇村さとるのドラマ。この人は、何を描いても同じような漫画に
      なる。これはけなしているのではなく、必ず面白い、ハズレのない、安心して楽
      しめる作品を読ませてくれる安定した実力をほめているのである。こういう熟練
      職人のような漫画家が、日本のコミック界を支えているのだと思う。
      引用は、ヒロインが「ゆがんだアンドゥオールの上に何を創り上げても無駄です」
      と厳しく叱られる前の伏線となるシーンより。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4088645340/qid=1099552726/sr=1-6/ref=sr_1_2_6/250-2383232-5009847


 
  *9 :『昴(スバル)』(曽田正人)
      いつもの通り、曽田正人の天才炸裂漫画。単純に面白さでいうなら、今回紹介し
      たコミックの中でも最高であろう。いつの日か、欧州編が描かれるとよいなあ。
      引用は、NYCBのプリンシパル(作者いわく「デビュー以来作ったキャラクターの
      中でも最も気に入ってる一人」)の練習光景を、ヒロインが盗み見るシーンより。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/409186001X/qid=1099632066/sr=1-1/ref=sr_1_2_1/250-2383232-5009847

 
  *10『プリンセス・チュチュ』(TVアニメーション)
      バレエ、そしてメタフィクション。誰もが考えるが、実際にアニメでやればどち
      ちも必ず失敗するという鬼門のようなテーマに挑戦し、非常に高いレベルで見事
      成功させた大傑作。「子供から大人まで楽しめる」という決まり文句が、嘘いつ
      わりなく当てはまる希有な作品。観てない人は、DVD6枚セットを購入して!
      引用は、作品上のヒロインと、物語上のヒロインが、会話を交わすシーンより
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00007B8XV/qid=1099553911/sr=1-9/ref=sr_1_10_9/250-2383232-5009847


 
  *11『バレエとモダン・ダンス−その歴史』(ジャック・アンダソン)
      エピソード中心にまとめた、読み物としてのバレエ歴史読本。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4276250501/qid%3D1099554329/250-2383232-5009847


 
  *12『バレエの歴史』(マリ・フランソワーズ・クリストゥ)
      とにかく古いし面白くないし著者はフランス人だし、お勧めできません。
      ただし、巻末の年表が便利なので手元に置いてあります。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4560054819/qid%3D1099554504/250-2383232-5009847

 
  *13『バレエ 誕生から現代までの歴史』(薄井憲二)
      バレエの歴史を学ぶための基本資料。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4276250137/qid=1099554690/sr=1-7/ref=sr_1_8_7/250-2383232-5009847

 
  *14 :RPGコラム『うがつもの』(回転翼) 2004年9月30日
     「RPGデザイナーの年齢」 http://blog.melma.com/00123631/20040930140336


 
  *15私自身も、これまで様々な「小さな論考」を提出してきた
      これらは主に以下の資料にまとめられている。

      『馬場秀和のマスターリング講座』(1996-1997)
        http://www004.upp.so-net.ne.jp/babahide/master.html

      『馬場秀和のRPGコラム#1』(1998-2002)
        http://www004.upp.so-net.ne.jp/babahide/bbcolum1.html

      『初心者のためのRPG入門』(2002)
        http://www004.upp.so-net.ne.jp/babahide/whatsrpg.html


 
  *16訓練方法(メソッド)については、何度かその必要性を指摘している
      TRPGに関する、教育体制、教則、練習用システム、等の話題を
      扱っている主な資料を以下に示す。

      『パワープレイ −あるいはシークレットドアを探して−』(1998)
        http://www004.upp.so-net.ne.jp/babahide/scoopsrpg/contents/baba/baba_19981109.html

      『ロールプレイもろくに出来ねぇのにキャラプレなんざ10年早いっ!』(2002)
        http://www004.upp.so-net.ne.jp/babahide/scoopsrpg/contents/baba/baba_20020114.html

      『マンション理事会RPG』(2003)
        http://www004.upp.so-net.ne.jp/babahide/scoopsrpg/contents/baba/baba_20030513.html


 
  *17「アデュー、友よ! いざ栄光に向かって旅立たん!」
      モダンダンスの先駆者である、イサドラ・ダンカンのあまりにも有名な言葉。
      20世紀初頭、定型化されたクラシック・バレエに対する反発から、独自のダンス
      スタイルを生み出し、欧州を中心に一世を風靡したイサドラは、言わば、同時代
      のバレエ界におけるニジンスキーの対極に位置する天才的ダンサーである。
      「バレエは多くのモダンダンスの基礎になっている」と本文中に書いたが、彼女
      のモダンダンスは、基本ステップからしてバレエとは異なるものになっている。
      100年に一度の天才級になると、一般則ではくくれない、という好例だろう。
      なお、彼女のとてつもなく劇的な生涯は、小説や映画で何度も描かれてきた。
      1927年9月14日、彼女は首に巻いたスカーフを翻しながらオープンカーに乗り込み
      上記の言葉を叫びながら、さっそうと車をスタートさせた。そのときスカーフが
      車輪のスポークにからまり、彼女は首を絞められて死んだ。



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