馬場秀和のRPGコラム 2004年10月号



『都ちゃんに萌え萌え(3)』



2004年10月3日
馬場秀和 (babahide*at*da2.so-net.ne.jp)
    スパム対策のために@を *at* と表記しています。メール送信時には、ここを半角 @ に直して宛先として下さい。



  

都萌シリーズ目次

   『まえがき』    (1)    (2)    ★(3)    (4)    『あとがき』    






 今回は、いよいよ都ちゃんのことを書くよ。

 先日、都ちゃんがユネスコ(国連教育科学文化機関)から「平和のためのアー
ティスト」に任命されました。凄いなあ。何だかよく分からないけど、きっと、
凄いことなんだろうなあ。緒方貞子さん万歳です。そういうわけで、このあいだ
『UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)難民教育基金支援公演 ジゼル』
(タイトル前ふり長すぎっ)を観に行った機会に、ユネスコに募金してきました。
夫婦合わせて10ユーロほどですが。大切なのは志だと思います。

 で、肝心の都ちゃんのジゼルですが、それはそれはもう想像を絶するほど萌え
萌えでしたよ。何だか最近の都ちゃんときたら、踊るたびに、どんどん萌え純度
上がってます。以前から素晴らしい萌えの表現者だったのですが、都ちゃんてば、
今やご本人が萌えそのものになってます。大変です。もう大変なことですよ。


**


 などと、ちょ〜頭悪そうな文章から書き始めてしまいましたが、これは仕方あ
りません。英国ロイヤルバレエ団の至宝、奇跡のバレリーナ、吉田都さんについ
て冷静で知的な文章を書くことは至難なのです。彼女の踊りを思い出そうとする
だけでメロメロになってしまうからです。これは私だけではありません。断じて
私だけではありません。それが証拠に、他の人が吉田都さんをどのように評して
いるか、ちょっと見てみましょう。

 
ニネッティ・ド・バロア女史(英国ロイヤルバレエ団創設者)

  「こんな詩情あふれる回転は見たことがないわ」*1
 
ピーター・ライト卿(芸術監督)

  「マジックです。魔法的な要素と言ってもいいでしょう。技術的には、都は
   マーゴよりはるかに優れています。しかし、人を感動させるのは技術では
   ない。魔法的な要素なのです。マーゴはそれを獲得した。そして、都も
   マーゴとは別のやり方で魔法を持ったと思います」*2

松原耕二さん(元TBSニュースキャスター)

  「いちぶの狂いもない正確な動きと気高い透明感は、観るものを幸せな気持
   ちにしてきた。いまの彼女はもっと強いものを発しているように思えた。
   それは、観客をわしづかみにして、すべて味方につけてしまうような存在
   感だった」*2
 
藤井修治さん(舞踏評論家)

  「なま身の人間の体力や技術は永遠のものではない。しかしこれを超越して
   人々を感動させ楽しませることができる人が数少ない本物の芸術家といえ
   る。稀有の才能と不断の努力の成果で、彼女はいまや本人にも気がつかな
   いほどの高みに達しているように思う」*3
 
島野律子さん(詩人)

  「吉田都は、バレエダンサーと言われて思い浮かべる容姿から、確かに程遠
   い外見をしています。かなり小柄で、脚も長くも細くもないですし、美貌
   と言うのも、ためらわれる。でも、彼女には、萌え、があるのです。
   そんじょそこらの、安っぽい萌えじゃございません。ほんものです」

  「といいながら肝心の都ちゃんの踊りは、あまりに凄すぎて、夢幻のように
   記憶から抜け落ちてしまっているのです。まさに神秘体験と呼ぶしかない
   です。都ちゃんの可愛さだけが、記憶の全てなのです。いやもう、ほんと
   に可愛かった。すまん、おっさん。あれを目の当たりにして溶けるなと
   いうのは、人に対する要求のレベルをはるかに越えてるよね」*4


 いかがでしょうか。バレエダンサーを冷静かつ客観的に評価するのがお仕事の
方々や、文章表現を専門とする人々の、このうろたえっぷりをご覧下さい。
「詩情」「魔法」「存在感」「超越」「芸術」「高み」「萌え」「神秘体験」。
 都ちゃんのバレエを表現する言葉はないものかと探し回った挙げ句に結局挫折
しました感あふるる陳腐な表現の数々を。


 むしろ、評論や文章表現から遠い芸術家肌の人々の方が、都ちゃんのバレエを
的確に表現できているようにさえ思えます。例えばこんな感じ。


イレク・ムハメドフさん(英国ロイヤルバレエ団ゲストプリンシパル)

  「ミヤコと踊ること、それは雲ひとつない青空の下で踊るのに似ています。
   一緒に踊る者をエネルギーに満ちあふれさせ、心地よさと自由を感じさせ
   ます。
   私は三幕を通してずっと彼女をリフトしたとしても疲れないでしょう」*1

 
 凄いです。おっさん、もう手放しで萌え萌えです。「雲ひとつない青空の下で」
「三幕を通してずっと彼女をリフト」 うわあ、この人、ものごっつ駄目です。
確信に満ちた静かな口調でとてつもなく恥ずかしいことを口走ってます。透徹と
いうか達観というか涅槃というか、何かこう、ダンサーというより、もはや人と
して大切な何かを見失っているかのようにさえ思えます。これが萌えです。萌え
てます。手の施しようもありません。*5


 では、ここで再び、都ちゃんの師匠であるピーター・ライト卿のお言葉。

  「公演のたびに喝采を浴び、みごとな技術、芸術性、その解釈力、そして
   比稀なる音楽性を称えられるバレエダンサーは数えるほどしかいない。
   ミヤコは紛れもなく世界的なバレリーナの一人に数えることができる」*1

  「なぜ表現できないんだ、と彼女に強く言いました。できる。都ならできる。
   もっとできる。すると彼女は泣きながら舞台から走り出ていきました。
   ピーターは私を嫌っているのよ、と叫びながら。 嫌っているどころか、
   彼女に才能があると思ったから追い詰めたんです」*2


 あの〜、都ちゃんを育てたことが誇らしいのは分かりますが、その有頂天ぶり
はいかがなものでしょうか、ご老体。そんなに嬉しいですか。嬉しいですよね。
マクミランにいち早くかっさらわれてしまったダーシー・バッセル嬢の代わりに
拾ったダンサーが、それこそ、奇跡のような萌才の持ち主だったんですから。
それにしても、私だって、都ちゃんを追い詰めて泣かしてみたいものです。


 最後にもう一つ。初めてバレエを観たミュージシャンがこのように語ってます。
なまじっか知識や先入観がないだけに、かえって素直に都ちゃんを表現できてる
と思います。ってか、都ちゃんとバレエ抜きでお友達〜っ、う・ら・や・ま・し
すぎ!


根本要さん(ミュージシャン、STARDUST★REVUEのリーダー)

   「実はバレエを観に行ったんですよ。
    友だちが出るっていうから観にいったんですけどね。実はその友だち
    っていうのが英国ロイヤルバレエ団のプリマドンナでして、世界に4人
    しかいないってレベルの強力なヤツなんですよ(笑)。
    吉田都(よしだみやこ)ってコなんだけどね、実際に彼女のバレエを観
    たのは今回が初めてで。当然ながらバレエに対する知識もないし」

   「もうブッ飛んでしまったのよ、彼女のバレエを観て。すっごい!何だよ
    これって思った。もうね、宇宙人だよ、彼女は。もう興奮してさ、口開
    けたまんまでジーッと観てたもん。素人のオレが観ても違うんだよ、
    都チャンが出てくると。“何なんだよ、この空気感は”っていうくらい
    ね、ピーンと張りつめたものがあってさ。彼女のところだけ重力がない
    ように見えた。あれで身体なんかすっごく華奢なんだよ」
 
   「本当に“ああ、これを芸術と呼ぶんだ”って、本気でそう思わせるもの
    があったね。すっごいよ。さらにすごいのは、今までのつきあいの中で
    そんな素振りっていうか、いかにも英国ロイヤルバレエ団のプリンシパ
    ルでございますっていう感じを微塵も見せないこと。ただ純粋にバレエ
    が好きでそれを極めようとしてるだけなんだろうね。いや〜、まいった。
    そういえばオレってバレエやってる都ちゃんのこと何にも知らないんだ
    よね。もしこれ見てる人でなにか知ってることあったら教えてちょうだ
    いね」*6


 はいはい。ではここで都ちゃんの基礎情報。


吉田都(バレリーナ) 身長159センチ(小柄)、手足短し、足太し、萌えの化身

  1965年生まれ。

  1980年(15歳)、全国舞踏コンクール・ジュニア部門で優勝。

  1983年、ローザンヌ国際バレエコンクールでローザンヌ賞獲得。
      同年、英国ロイヤルバレエ団付属のバレエ学校に留学。

  1984年、サトラーズウェルズ(現バーミンガムロイヤル)バレエ団に入団。

  1988年(22歳)、最高位のプリンシパルに昇格。

  1995年、英国ロイヤルバレエ団にプリンシパルのまま移籍。

  2004年、ユネスコから「平和のためのアーティスト」に任命される。

  客観的に言って、世界最高レベルのバレリーナの一人。

  主観的に言って、世界最高のバレリーナ。
 
  語録(一部編集)*7

   「手足が短いことを嘆いてもしょうがないでしょう。他のやり方でみせる
    ことを考えたんです。小さな体を大きく見せる工夫は私の生命線です。
    英国人に比べて手足が短いので、踊りをすっきりと優雅に見せるしか
    ないんです」

   「華やかな世界に見られがちですが、基礎、基礎、基礎の地道な仕事でも
    あります。舞台での動きは、レッスンでミリ単位で補正し続けます」

   「技術や表現力を指導してくれる人たちはいますが、バレリーナとしての
    私が正しい方向に進んでいるのか、成長しているのかを見定め、課題を
    見つけて鍛練するのは自分しかいない。この自己管理が難しい。
    誰も助けてはくれないんです」


**


 我が家には、都ちゃんが来日したときの舞台は何としてでも観る、たとえ開演
時刻が遅くても、念のために仕事は休んで準備万端整える、という掟があります。
とにかく、都ちゃんがいつまで踊り続けてくれるかもう保証の限りではないので
(うわっ、そういや彼女、もうすぐ40歳ですよ)、ひと舞台たりとも見逃すわけ
にはいかないのです。借金してでも観に行きます。というか本当に借金しました。

 都ちゃんのバレエは技術がうんぬんというレベルをはるかに超えているので、
もう感電したように見入るしかありません。前述した引用中でも「観客をわしづ
かみにする」「神秘体験と呼ぶしかない」「何なんだよ、この空気感は」などと
口走ってる連中がいましたが、そういう言い方をするしかないものが、都ちゃん
からは溢れています。溢れるというより、吹き荒れてるというべきでしょうか。
 
 変性意識状態(アルタード・ステーツ、Altered States of Consciousness)と
呼ばれる未解明の精神状態があるそうです。この状態に入った者は、自己認識の
喪失、時間認識の歪み、抑圧の減少、不可思議な光の知覚、音の消失などの現象
と共に、超高速思考や、極限的な意識集中持続など、通常では不可能なレベルの
精神活動が可能になると言われています。*8
 
 変性意識状態に「入る」のは、生命の危険が迫った場合など極めて特別な状況
下においてだと考えられているそうですが、「都ちゃんのバレエを真剣に観る」
というのも、間違いなくそのような特別な状況だと思われます。*9
 
 都ちゃんが頭の上で両手をクルクルと回して(これはバレエで使われるマイム
の一つで“さあ、オペラグラスの準備はいいかしら?”という意味*10)、すっ、
と滑るように舞台の中央に出てくると、空気が変わるのがはっきり感じとれます。
それまでゆったりと心地よくほの暗かった観客席の空気に、びし、びし、と放電
を起こしかねないほどの勢いで何かが充満してゆきます。やべえ感が高まります。

 そして、こう、片足つま先で立って、もう片足を後ろにのばし、上体を前に傾け、
片手を前方から上方へ静かに優雅に動かすポーズ、「都ちゃんの萌え萌えポーズ」
が炸裂すると、客席の時間は静止します。というより消失します。

 「それって、ただのアラベスクじゃん」などと言わないで下さい。アラベスク
というのは、手足が細くてすっきりと長い、背の高いバレリーナが、その美しさ
を引き出すために存在するポーズです。都ちゃんは、何というか、チャレンジド
な自分の体型から、優雅さを最大限に引き出すために、全く新しいポーズを創り
出したのです。ミリ単位で補正しながら。

 「都ちゃんの萌え萌えポーズ」がアラベスクだと言うのなら、ギャラクティカ
マグナムは右ストレートです。

 そして、都ちゃんの萌え萌え回転。ロイヤルバレエ団創設者であるバロア女史
をして「詩情あふれる」と感嘆せしめた、かの旋回技が吹き抜けた後の舞台には、
都ちゃん以外には何も残っていません。舞台装置も、群舞も、相手役も、それど
ころか観客自身でさえも、とにかく都ちゃん以外の存在は意識にのぼらなくなり
ます。神秘体験、変性意識状態、もうブッ飛んでしまったのよ、などと呼ばれた
アレです。

 「それって、フェッテじゃん」などと言わないで下さい。「都ちゃんの萌え萌
え回転」がフェッテだと言うのなら、デビルイヤーは地獄耳です。

 他にも「都ちゃんの萌え萌えジャンプ」「都ちゃんの萌え萌えリフト」、「都
ちゃんの萌え萌えポアント」などについても説明したいのですが、さきほどから
あまりにも無意味な文章を書いていることに気づいたので、以下省略します。

 あ、でも、これだけは言わせて下さい。一部の口さがないバレエファンの方々、
都ちゃんが金髪碧眼美人じゃないからといって、「タヌキ顔」だの、「不細工」
だの、「ちんちくりん」だの、「エラが張ってる」だの、「鼻が低い」だの、
「体型に無理ありすぎ」だの、「おばさん」だの、「座敷わらし」だの、「タマ
ちゃん」だのと、踊りと関係ない下世話な悪口を言わないで頂きたい。そもそも
バレエダンサーの容貌について必要以上にとやかく言うのは、筋違いというもの
です。都ちゃんの顔、愛嬌があって、可愛いじゃないですか。女優でいうなら、
鈴木杏ちゃんに似てると思います。
都ちゃんがタヌキ顔だと言うのなら、杏ちゃんだってアライグマ顔です。


**


 さて。

 いつまでもこれを続けるわけにもいかないので、都ちゃんの話はそろそろ終わ
・・・次回以降にまわすとして、とりあえずTRPG(テーブルトークRPG)
の話題に戻すこととしよう。

 なにしろ、都萌シリーズも、予告編を含めて今回で4回目。そろそろまとめに
入るべき頃合いだ。

 都萌シリーズを通して、これまで我々は様々な「萌え」を見てきた。アイドル
や漫画のキャラ、シチュエーション、作家、バレリーナ、名前、空飛ぶ円盤など。
およそこの世に「萌え」の対象にならざるものなどあり得ないのではないか、と
思えるほどに、人は様々なものに「萌える」ことが確認された。

 また、「萌え」の対象物をいくら並べてみても何ら一貫性が見いだせないこと、
萌えについて分析するなら「萌え心」というか、「萌魂」の方であること(これ
が唯萌論の立場)についても、納得して頂けたことだろう。

 では、「萌魂」とはどのような特徴を持った心の働きなのか。今までのコラム
を通して、少なくとも次の2つのことは明らかになったと思う。


 第1に、萌魂は、人を強く激しくつき動かす力を持っている。

 号泣のあげく徹夜で萌絵を描き続けた若い女性のエピソードを覚えておられる
だろうか。名前の漢字一文字のために会社を興した私の母親。萌えのために人生
狭めた従兄弟や私。いわゆるコミックの「二次創作」のモデルにするためだけに、
海外の(原作とは何の関係もない)アイドル雑誌を大量に購入して持ち帰る我が
配偶者。都萌シリーズに登場したこのような事例は、典型的な萌え行動である。

 萌魂は、単に「コミックやアニメのキャラクターに強く惹かれる心」といった
そんな甘いものではない。人は、萌魂により動かされるのだ。人は、萌魂のため
に行動を起こすのだ。強く、激しく、反省なく。


 第2に、萌魂は、人に非論理的な確信を与える。

 いま一度、都ちゃんについて語られた言葉を読み直してみてほしい。何とまあ
非論理的であることか。他人をロジックで説得しよう、という意図が微塵も感じ
られない。そこにあるのは、都ちゃんは凄い、とにかく凄い、という確信だけだ。
あまりに強い確信のため、もはや「なぜ凄いのか」「どう凄いのか」を論理的に
説明する必要すら感じてない。私自身もそうだから、これはよく分かる。

 非論理性、というより、むしろ、支離滅裂さ。

 読者もすでにお気づきのことだろうが、これは都萌シリーズ全体を通じた最も
顕著な特徴である。そこに共通しているのは、次々と跳びまくる話題、何の説明
もなしにいきなり断定される結論、ロジック抜きに「納得しなさい」と強要して
くる文章。これまでのような、緻密な論理に裏付けられた、知的で慎重なコラム
から大きく乖離した、飛躍それ自体を目的にしているかのような突飛な論旨展開。

 これは、決して著者が向精神薬を飲んでいるせいではない(たぶん)。
 萌魂が生み出す「確信の暴走」とでも呼ぶべき心の働きを、最も的確に表現す
るために選ばれた文章技法なのだ。

 これらの文章を読めば、人は、萌魂によって、論理など無視して、己の行動や
選択の正しさを「確信」する、ということが分かって頂けるものと、確信する。


**


 では、これらの特徴を持つ心の働き、すなわち「萌え」をTRPGに取り入れ
ることを、どのように考えるべきだろうか。さあ、いよいよ、この問いに答える
ところまでたどり着いた。


 まず、第1の特徴である「人を強く激しくつき動かす力」が、TRPGの販促
に大いに役立つのではないか、ということは誰もが思いつくことだろう。実際、
2004年現在、大半のTRPGに関する販売促進は、もっぱら萌えに頼っていると
言っても過言ではない。TRPGを売ること=客の萌心を刺激すること、という
商策が、当然のこととしてまかり通っている。

 これには賛否両論がある。「現実に売り上げ向上に貢献している」と肯定的に
評価する向きもあれば、「オタクっぽい客層にばかりアピールすることで結果と
してTRPGの市場を狭めている」と否定的にとらえる意見もある。

 私の見解やいかに、と問われたならば、こう答えることになるだろう。

「個人的な好き嫌いで言うなら、あまり好ましい傾向とは感じられない」

「しかし、客観的に評価するなら、少なくとも短期的には、悪いやり方ではない」
 
 最初の答えの真意はこうだ。TRPGは、老若男女あらゆる人々に広くプレイ
されるだけの包容力と文化的価値、そしてゲームとしての魅力を持っていると、
私は信じている。いつの日か、TRPGが、将棋や囲碁、麻雀のように広く人口
に膾炙し、コンビニには何種類か常備され、どこの田舎の駅前本屋さんに入って
も、『テーブルトークRPG入門』みたいな本が趣味実用書の棚に置いてあり、
どの「テーブルゲーム同好会」に入会しても、きちんと基礎練習から始めること
が出来る。そんなゲームになってほしいと思っている。そんな時代が来てほしい
と願っている。*11

 むろん、そんな時代になったとしても“本格的な”TRPGは、おそらくコア
なファンしか手にしないマニアックなゲームのままだろうが、それはそれで何ら
問題ない。というより、それはとても望ましいことだ。多様性こそ発展の源だ。

 だから、TRPGが、その全体が「特定の狭い客層」にしかアピールできない
オタクっぽい商品と見なされてる現状には大いに不満がある。そして私は、自分
が心底から大切に思っているものを取り巻く状況に不満があるなら、たとえ自分
が惨めなほど微力だと分かっていても、あえて言うなら全くの無力だと悟ったと
しても、それでも現状にわずかなりとも変化を与えることを目指して、自ら考え
行動することが大切だと、そう信じて生きてきた。齢40を越え、いまだその信念
に迷いはなく、省みて恥じるところもない。

 TRPGに関して私が10年近く続けてきた活動(講座やコラムの執筆、投稿
サイト運営への協力、海外作品紹介など)の原点は、まさにここにあるのだ。


**


 と言いつつ、二番目の答えもまた、私の正直な意見である。

 TRPGが、コンピュータRPGやネットワークRPG(MMORPG)に道
を譲って滅びてしまうという事態を、私は望んでいない。とにかくTRPGには
ちゃっかり生き残ってほしいと思う。そのために「特定の狭い客層」(すなわち
オタクっぽい消費者)が投資してくれるというのなら、とにかく当面は、彼らに
アピールすることを考えるべきだろう。そのために「萌え」が効果的であるなら、
じゃんじゃん萌えさせればよい。確かに、そういう気もするのだ。

 それにしても、「特定の狭い客層」というのは、実際のところ、どのくらいの
市場規模なのだろうか。そこには「生き残り」のための余地があるのだろうか。
 
 これに関しては、最近、野村総研が出したこんな内容のレポートが参考になる。

 ・日本のマニア消費者層(いわゆる「オタク層」)が、主要5分野(アニメ、
  コミック、ゲーム、アイドル、組立PC)に占める消費規模は約2,900億円に
  なり、コンテンツ産業全体に対して金額ベースで11%に達する。オタク層の
  市場に対する影響力と消費規模は、もはや「ニッチ」とは言えない。*12

 そこらで「オタク市場2,900億円!」と騒いでいる人は、まずはレポートをよく
読む必要がある。それと、野村総研の市場レポートは市場規模を過大に見積もる
(というか市場の定義を広くとりたがる)傾向が強いので、それを念頭に置いて
冷静に見なければいけない。

 では、このレポートのデータと見積もりをベースに、TRPGベンダにとって
現実に手が届く範囲のオタク市場規模がどれくらいになるか、見積もってみよう。

 ゲームオタク市場のうち「アーケードなど」と分類されている市場セグメント
に注目して頂きたい。ここには

  「(注1)アーケードゲームとは、ゲームセンターで提供されるゲーム
       のこと。ここではボードゲーム、カードゲームも含む*12

との注釈(下線は著者による)が付いており、要するに、家庭用/PC/ネット
ワークを除くその他全てのゲーム(テーブルゲーム含む)をこの項目にまとめた
ということを意味する。

 というわけで、購入対象としてTRPGを含むのは、疑いようもなくこの市場
セグメントである。市場規模は年間130億円。この130億円を、アーケード
ゲーム、ボードゲーム、カードゲーム、TRPG、その他のテーブルゲーム達が
奪い合っているというわけだ。さて、TRPGの取り分はどのくらいだろうか。

 この市場の半分をアーケードゲームが占め、残り半分をテーブルゲームが占め
ている、と想定してみよう。まずまず妥当な線だと思う。次に、テーブルゲーム
のうち、おそらく最も売上高が大きいのはカードゲーム(対戦型カードゲーム、
あるいはトレーディングカードゲームと呼ばれているもの)で、これがテーブル
ゲーム全体の半分を占めていると見てよい。そして、残りをボードゲームおよび
TRPGが半々くらいで分け合っている、というくらいが自然な見積もりだろう。

 すると、TRPGの市場は、130億円の1/8、約16億円である。
 これが、オタク客層向け萌えTRPG市場のおおよその規模だと考えてよい。

 次に、この市場で商売している典型的なゲーム会社をモデル化してみよう。
 このゲーム会社の市場シェアを10%とすると、年間売上高は、1.6億円である。
そうすると、このゲーム会社の具体的なビジネスは、「1部平均 4,000円の萌え
TRPGを、毎年コンスタントに4万部売りさばいて、年間売上1.6億円を稼ぐ」
といった商売になる。
 
 さあ、これでお分かりだろう。順調に行ったとしても(毎年コンスタントに、
4万部のTRPGを売り続ける!)年間売上わずか2億円にも満たない、たぶん
社長兼ゲームデザイナーとバイト数名、それ以上の規模にはなり得ない極小会社。
それが「萌え」を武器にオタク客層にアピールすることで生き残ろうとしている
TRPGベンダの現実的な姿なのである。*13
 
 確かにこれでも「生き残り」は可能だ。だから「萌え」によってオタク客層に
アピールするという商策も、「少なくとも短期的には、悪いやり方ではない」と
評価したのである。ただし、これはとりあえず絶滅しないというだけで、将来の
展望もなく、また長期の生き残りを保証してくれるものでもない。*14


 だから、長期的な成功、少なくとも長期的な生き残りを本気で考えるならば、
TRPGは「特定の狭い客層」だけを狙うのではなく、前述したように、もっと
広い客層をターゲットに出来るゲームへと脱皮すること以外に、目指すべき道は
ないのである。これは、TRPGファンの好みがどうあろうと変わらない、冷徹
な経済的現実である。我々は、そこから目を背けてはならない。

 「TRPGがオタク向けで何が悪い」とか「TRPGはサブカルチャーだから」
とか「TRPG業界の都合より、TRPGファンである自分達の好みの方が大切」
とか平気で口にする人は、TRPGベンダがこれからもずっと自転車操業の極小
ゲーム会社であり続けること、TRPG業界が、そこで食ってゆくのが困難で、
将来展望もなく、したがって有能な人材を引きつけることが出来ず、ゆえに製品
の質も向上しない、そんな最底辺としか言いようのない業界であり続けることを、
TRPGから未来が失われたままであることを、暗黙の前提としているのだ。
そのことを、よく自覚してほしい。

 それでも、「TRPGの未来なんて知ったことか。俺にとっては、自分と自分
のゲーム仲間が、これからもTRPGを好み続けることの方が大切だぜ」という
態度をとるなら、それはそれで仕方ない。私はそういう人を心から軽蔑するし、
もう、そういう人と対話する気はない。

 ただ、これだけは一方的に言っておく。そのような態度は、唾棄すべき幼稚な
自己中心主義に過ぎない。誰が何と言おうと、それは人として恥ずべきものだ。
TRPGファン全員に対する社会的な評価を著しくひき下げることになるので、
せめて仲間うち以外ではTRPGについて語らないようにして頂きたい。


**


 次に、「論理など無視して、己の行動や選択の正しさを確信する」という萌え
の第2の特徴について考えてみよう。

 これは、萌えをTRPGに取り込むときに問題を引き起こす。なぜなら、この
特徴は、ゲームを台無しにしてしまう恐れがあるからだ。
 
 これは重要な論点なので、順番に説明してゆこう。まずは前提から確認する。

 あらゆるゲームの本質は、その見かけがどんなに千差万別であっても、結局は
「プレーヤーに意志決定を行わせること」に他ならない。実際のゲームを構成す
る様々な要素も、意志決定を行わせるためのゲーム要素(目標、制限、管理資源
など)として一般化できる、というのが『コスティキャンのゲーム論』の重要な
結論だった。*15
 
 TRPGもゲームであるから、当然この結論が当てはまる。すなわちTRPG
は、ゲーム要素の特殊な提供方法(例えば背景世界という形)と、一部の参加者
にゲームデザインを補完させる(例えばゲームマスターにシナリオを作らせる)
という、他のゲームにはない斬新な技法を採用することで、プレーヤーに対して
これまでになかった多様性と複雑さのある意志決定を行わせる、そういうゲーム
なのである。しかし、そのデザイン技法がいかに独特であれ、その本質が、意志
決定を行わせることにあるという点では、他のゲームと何ら変わりない。*16

 ここまでが前提である。

 余談だが、これらを前提とすることに反対する人がいることは知っている。
  
 しかしながら、ゲームの本質は何かという命題に対し、コスティキャン氏より
も優れた提案がいまだに存在しないこと、これらの前提を置くことで現実に有益
な成果が得られていること*17、さらにコスティキャンのゲーム論が複数の人の
考察によって理論的発展を遂げている*18のに対し、その反対者たちはただ批判
するばかりで何ら説得力ある代替理論基盤すら構築できずにいること、等を公平
に考慮するなら、少なくとも現時点でコスティキャン論とそのTRPGへの適用
を前提にして論を進めることは、正当と見なされるべきであるばかりか、むしろ
これを前提としないでゲームやRPGについて一般論を論じる方が、不誠実かつ
無責任な姿勢だという批判を逃れ得ないであろう。

 さて、『コスティキャンのゲーム論』には、次のように書かれている。

    ゲームには必ず意志決定が関わるが、このとき与えられる選択肢は、
    どれも本当にもっともらしく思えるものでなければならない。でなけ
    れば、すなわち「正解」が1つしかなく、それを選ぶ以外に道がない
    ことが明らかなら、それは本当の意味での意志決定とは呼べない。
    プレーヤーがゲームのある局面で特定の選択肢Aを選び、次にその
    ゲームをプレイしたときに選択肢Bを選んだとして、どちらも全く
    合理的な判断に基づいている、というのがゲームらしさなのだ。

 これは、要するに、真の葛藤がなければ「意志決定」は成立しない、というこ
とを言っている。つまり、プレーヤーが選択肢Aを選ぶときに、その選択に確信
を持っていてはいけない、「次にプレイするときに、同じ局面で自分は選択肢B
を選ぶかも知れない」と心から思えなければならない、そうでないなら、それは
本当の意味での意志決定ではない。

 逆に言えば、「自分の選択に確信を持たせるようなもの」は、それが何であれ
意志決定を阻害し、結果としてゲームを台無しにしてしまう恐れがあるわけだ。
 
 そのようなものの例としては、「パズル」がある。すなわち、とり得る選択肢
に「正解」あるいは「最適解」が含まれており、現実に可能な時間でそれを見つ
けることが出来る、という状況である。このような状況に置かれたプレーヤーは
もはやゲームをプレイしているのではなく、パズルの解決(正解探し)を目指し
ていることになる。ある選択肢Aを「正解」あるいは「最適解」だという理由で
選択したのなら、プレーヤーは自分の選択の正しさを確信しているし、次にプレ
イするときにも、同じ局面なら同じ選択肢Aを選ぶだろうと、これまた確信して
いるから、ここには真の葛藤がない。よって意志決定は成立せず、ゲームをプレ
イしていることにはならない。*19

 そして、そう、「論理など無視して、己の行動や選択の正しさを確信する」と
いう、「萌え」が持つ第2の特徴が、ここにきて問題になるわけだ。萌えこそ、
まさに「自分の選択に確信を持たせるようなもの」である。

 ゲーム中に、ある行動を「萌魂」が命ずるところに従って選んだなら、あなた
は論理を超えた確信に満ちているはずである。言うまでもなく、これは意志決定
ではない。つまりゲームをプレイしたことにはならない。

 お分かりの通り、ゲームと「萌え」は、本質的なレベルで両立し得ないのだ。


**


 「萌え」をTRPGに取り入れることについて考察した結果をまとめてみよう。

結論1

  オタク客層にアピールするために、「萌え」を販促策として用いることは、
  短期的には悪いやり方ではない。あくまで短期的な生き残り策としては。
  だから表紙やイラストなどを萌え満載にするのも、一つの手である。オタク
  客層が集まる場所でTRPGを売るというのも、販売戦略として成立する。
  ただし、長期的な成功を目指すためには、もっぱらオタク客層を相手にする
  やり方から脱却して、より幅広い人口への普及を目指さなければならない。

結論2

  「萌え」は意志決定を阻害することでゲームを台無しにする恐れがある。
  ゲームと「萌え」は、本質的なレベルで両立し得ないためである。
  従って、ゲームシステム(ルールメカニズム、背景世界設定、NPCなど)
  に「萌え」を取り入れるべきではない。もし取り入れるとしても、どこまで
  ならゲームが損なわれないか慎重に検討した上で、その許容範囲をはっきり
  と示す必要がある。


 ゲームデザイナー、ゲーム会社のプロデューサーは、これらの結論について、
真剣に考察して頂きたい。その上で「いや、ゲームと萌えは無条件に両立する」
「たとえゲームとして台無しになったとしても、TRPGにとって何ら問題ない」
「TRPG業界は長期的成功を目指す必要などない」といった結論に達し、その
結論に信念と責任を持って、プロフェッショナルな仕事に取り組むのであれば、
それは大いに結構だ。私は、自分と異なる意見を持っていようと、誇り高い真の
プロを心から尊敬するし、そういうプロに対して、一介のアマチュアがこれ以上
口をはさむ理由はないだろう。

 しかしながら、深く考えもせずに「TRPGを普及させるには萌えが有効」と
いった浅はかな結論に飛びついて、萌え萌えルールや、萌え萌え背景世界を提供
しているのであれば、
  「ひょっとして自分はTRPG撲滅に手を貸しているのではないか」
と自省してみることを、強くお勧めしておきたい。
 
 そして最後にゲームマスター諸氏。マスターリングの本質とは、つまるところ
ゲームデザインの補完だということは、既にご存じの通りである。*20
ゆえに、今回の結論については、ゲームデザイナーと同様に、真剣に受け取って
頂きたい。もちろんゲームデザイナーの意図を尊重することが最優先だろうが、
一般的にどこまで「萌え」をシナリオやセッションに取り入れるべきか、という
重要な論点について、きちんと人に説明できるだけの方針(ポリシー)を持って
おかなければならない。それは、ゲームマスターとしての説明責任の一つである。

 言うまでもないことだが、ゲームデザイナーの意図を逸脱して、自分の好みで、
あるいはプレーヤー達を“接待”する目的で、萌え萌え設定や、萌え萌えNPC
を投入するなどいった、無分別なことは慎むべきだ。それは、ゲームを台無しに
するだけではない。たとえ、当のプレーヤー達が、喜び、はしゃぎ、心の底から
楽しんでくれたとしても、それはゲームをプレイするためにTRPGに参加した
プレーヤー達を侮辱する行為だということに、何ら変わりはないのである。


馬場秀和
since 1962



[出典、注釈、および参考文献]

    *1などの番号をクリックすると、本文中でその注釈等が最初につけられた箇所にジャンプします。
    注釈等へジャンプする直前に読んでいた箇所に戻るには、ブランザの『戻る』機能をご使用下さい。


 
  *1 : 『MIYAKO』 吉田都写真集
        http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4163577203/qid%3D1095662321/250-5569174-1629822

 
  *2 : 『ぼくは見ておこう』 松原耕二のライフ・ライブラリー
        http://www.1101.com/watch/2001-03-20.html

 
  *3 : 『吉田都賛』 UNHCR難民教育基金支援公演「ジゼル」パンフレット

 
  *4 : 『雲ひとつない青空の下で』 ムハメドフ氏の萌えっぷりレポート
        http://www.aa.cyberhome.ne.jp/~babahide/zatubunsonota2.html

 
  *5 : 『くるみ割り人形』DVD  ムハメドフ氏の萌えっぷり検証
      (1994/12、バーミンガム・ヒポドローム劇場、吉田都/ムハメドフ)
        http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000068W8T/ref=pd_ecs_d_b_a/250-5569174-1629822

 
  *6 : 『ディナーショーを終えて』 インタビュー 1999.12.21
        http://www.e-fukuoka.co.jp/going/going9912/9912.html

 
  *7 : 日経新聞のインタビュー記事『ステップの魔法』(2003年11月11日〜14日)

 
  *8 : 『世界の謎と不思議百科』(ジョン&アン・スペンサー著)など
        http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4594023452/qid%3D1095662589/250-5569174-1629822

 
  *9 : バレエ鑑賞における変性意識状態を扱ったコミックとしては、
      『昴(スバル)』(曽田正人)がある。後半、シルビィ・ギエム
      そっくりのキャラが、登場するやいなや主役を置き去りにして
      全力暴走しまくるのも、バレエファンにとって見どころの一つ。

 
  *10 : 嘘

 
  *11 : これについては、以下の三部作でより詳しく論じられている。

       『コンビニRPGを求めて』
         http://www004.upp.so-net.ne.jp/babahide/scoopsrpg/contents/baba/baba_20001116.html

       『まずRPGファンに背を向けるところから始めよう』
         http://www004.upp.so-net.ne.jp/babahide/scoopsrpg/contents/baba/baba_20010308.html

       『ロールプレイもろくに出来ねぇのにキャラプレなんざ10年早いっ!』
         http://www004.upp.so-net.ne.jp/babahide/scoopsrpg/contents/baba/baba_20020114.html

 
  *12 : 野村総合研究所のニュースリリース(2004年8月24日)より

       『「オタク層」の市場規模推計と実態に関する調査』
         http://www.nri.co.jp/news/2004/040824.html

 
  *13 : 少ないとはいえ利益が出るのであれば、大企業(例えば大手出版社)の
       小さな一部門がこういうビジネスをやることも可能ではないかと思う
       読者もいるかも知れないが、実際には機会損失(収益効率の悪い事業
       への投資によるロス)が厳しく査定されるので、経営者を納得させる
       のは極めて困難なのである。少なくとも株主や投資アナリストを説得
       するのは無理であろう。唯一、説得の可能性があるとすれば、それは
       TRPGの出版を“文化事業”と位置づけ、企業の社会的貢献の一環
       だと主張する手だが、ここでは「オタク向け、萌えTRPG」を前提
       に議論していることを、都合よく忘れてはいけない。

 
  *14 : オタク市場がどんどん成長すればTRPGの取り分も増えるではないか、
       という反論が出るかも知れない。しかし急速な少子化と人口減少傾向
       を考えると、オタク人口がこれから大きく増加するとは考えられない。
       また、オタク文化は今後もどんどん広がってゆくという話もよく出る
       が、それはアニメやコミックやアイドルなどオタク界のメジャー分野
       が、そのすそ野を一般人にまで広げてゆくという意味であって、今の
       TRPGのように、オタク界においてさえマイナーな分野に、人と金
       が今よりもずっと集まるようになる、と予想するに足る合理的な根拠
       は存在しないのである。

 
  *15 : 『** 言葉ではなく、デザインのみが、ゲームを語ってくれる **
       −コスティキャンのゲーム論−』
         http://www004.upp.so-net.ne.jp/babahide/library/design_j.html

 
  *16 : RPGもゲームの一種であり、プレーヤーに意志決定を行わせるもの
       であるという点については、以下の文書に分かりやすく解説してある。
       なお、この文書は初心者向けということで一般的な用語だけで書かれて
       おり、あえて「意志決定」という用語を使っていない。

       『初心者のためのRPG入門』
         http://www004.upp.so-net.ne.jp/babahide/whatsrpg.html

 
  *17 : コスティキャンのゲーム論を前提に置くことで現実に得られた成果の
       一例については、以下の文書で紹介されている。

       『“RPGこそ「ディプロマシー」の子孫”(そうだろうか?)』
         http://www004.upp.so-net.ne.jp/babahide/scoopsrpg/contents/baba/baba_20030228.html

 
  *18 : コスティキャンのゲーム論を理論的に発展させた仕事の例を示す。

       『意志決定について』
         http://www.trpg-labo.com/rpg/decision.pdf

       『外へ向かう言葉(後編)』
         http://www004.upp.so-net.ne.jp/babahide/scoopsrpg/contents/baba/baba_20000417.html

       『ロールプレイについての考察』
         http://www.river.sannet.ne.jp/rojin/kousatu_roleplay.html

 
  *19 : パズルが「最適解(正解)の存在を確信させることで、意志決定を阻害
       する恐れがある」という論点については、以下の文書で論じられている。

       『“ハイパーロボット”とパズルゲームの楽しみ』
         http://www004.upp.so-net.ne.jp/babahide/scoopsrpg/contents/baba/baba_20020724.html

 
  *20 : マスターリングの本質とは、ゲームデザインを補完することである。すなわち、
       シナリオ作成とは「あえて不完全なままに残されている、TRPGのゲーム
       デザインを補完して、実際にプレイするゲームを作り上げること」であるし、
       セッションハンドリングとは「TRPGのプレイ中に、オンデマンドで(必要
       に応じてその都度)ゲームデザインの細部を詰めてゆくこと」に他ならない。
       これらの論点については、以下の文書で論じられている。

       『“ライヤーズダイス”とゲームデザイナーの介入』
         http://www004.upp.so-net.ne.jp/babahide/scoopsrpg/contents/baba/baba_20020528.html

       『馬場秀和のマスターリング講座』より、『第2章 シナリオ作成』
        http://www004.upp.so-net.ne.jp/babahide/library/chapter2.html




馬場秀和が管理するRPG専門ウェブページ『馬場秀和ライブラリ』


 この記事はScoops RPGを支える有志の手によって書かれたもので、あらゆる著作権は著者に属します。転載などの連絡は著者宛てにしてください。

タイトルページへ戻る