読書の記録(2000年 5月)

「ストロボ」 真保 裕一  2000.05.01 (2000.04.20 新潮社)

☆☆☆

@ 「遺影」 ... カメラマンの喜多川の元に若い女性から電話があった。自分の母である豊島泰子の写真を撮って欲しいと言う依頼だった。
A 「暗室」 ... 知り合いの仁科から久し振りに電話があった。女性カメラマンの柊ハルミが,撮影で向かったヒマラヤで遭難したと。
B 「ストロボ」 ... 車に乗ろうとした瞬間,ストロボの光が自分を捉えた。かつての師だった黒部から,その時の写真が送られてきた。
C 「一瞬」 ... 母の見舞に行った病院で知り合った千鶴と言う二十歳の女性。不治の病に犯された彼女の写真を撮る喜多川。
D 「卒業写真」 ... 級友である葛原の母親から荷物が届けられた。一台のカメラだったが,それは葛原自慢のカメラだった。

 喜多川光司と言うプロカメラマンを主人公にした連作短編集です。第一話は彼が50歳の時で,徐々に時代を遡り最後の作品は22歳の大学生の時の話となっています。カメラマンとして成長していく姿ではなく,ベテランとなっていった過程を辿る形式と言えばいいのでしょうか。しかしここで言うベテランと言う言葉は,あまりいい意味合いには使われていません。写真に対する情熱が薄れてしまっても,写真で食っていけると言った意味でしょうか。でも様々な出来事の中で,かつての情熱を思い出して行きます。ですから青臭いまでに純粋な学生時代に辿り着いた時点で,何か清々しさを感じました。真保さんの作品には,様々な特殊な職業の人が出てきます。カメラマンが特殊かどうかは知りませんが,私の知り合いにはおりません。特殊な技術や感覚を持った人達には違いありませんが,そこらへんの専門知識がさりげなく描かれているのがいいですね。

 

「にっぽん見聞録」 清水 義範  2000.05.02 (1993.08.25 角川書店)

 小説家の泥江(ひじえ)龍彦は,K社に連載するエッセイの題材として日本各地の旅行記を選んだ。特に何を書くと言う考えがある訳ではなく,ただ単に出版社持ちで妻と旅行がしたかっただけなのだ。かくして鹿児島,秋田,青森,岡山,広島,富山,山梨と取材旅行は続く。

 この泥江と言う作家は「一を知って,十を決める。」と言う性格だそうで思い込みが激しいのですが,こう言う人って多いですよね。まあ清水さん自身の事を言っているのでしょうが,作品の中ではこの性格を逆手に取って,各都市の特徴をデフォルメして表現して行きます。判りやすくていいんですが,ちょっと中途半端なんですかねえ。前に読んだ「蕎麦ときしめん」における名古屋の方が,さすがに面白かったですよ(清水さんは名古屋出身)。いきなり歴史小説やトラベルミステリーが出て来たりするのですが,こちらもどっちつかずですね。

 

「アニーの冷たい朝」 黒川 博行  2000.05.05 (1990.10.30 講談社)

☆☆☆

 一人暮しをしていた看護婦の川瀬深雪が,自宅マンションで扼殺されて発見された。それも全身の毛を剃られ,化粧を施され,女子高生の衣装を着させられて,さらに死姦されていた。遺体はさながらマネキン人形の様だった。異様な殺人事件はその後続発する。女子高生の衣装はその後女子大生風,OL風となって行った。警察の谷井と矢代は被害者の女性が悪徳商法の被害者だと言う共通点に気付く。その頃高校教師の足立由美は大手ファッションメーカーのモニターを引き受ける。そしてその担当者の大迫靖樹と親しくなるのだが,彼女は大迫にデート商法の疑いを抱く。

 最近異常な犯罪が多いですから,この程度だとさほど異常とも思えないのが怖いですよね。例えが悪いかも知れませんが,蝶の収集が趣味の人っているじゃないですか。身近にいる蝶が対象だったら,それは立派な趣味だと思います。しかしそれらに飽き足らず,捕獲禁止の蝶や国際取引きが禁止されている蝶にまで手を伸ばせば犯罪です。まあ殺人と一緒にはできませんが,趣味が高じると何処かで一線を超えてしまうと言う心理は判る気がします。ここでは人形なんですが,後半の追跡劇の緊迫感や意外な犯人が中心になっているので,そこらへんの心理描写と言う部分は全くありません。ですが悪徳商法を絡めたストーリーはテンポも良く,緊張感を持って楽しめました。

 

「旅路 村でいちばんの首吊りの木」 辻 真先  2000.05.08 (1986.04.20 中央公論社)

☆☆

@ 「村でいちばんの首吊りの木」 ... 長男の付合っていた女性が殺されて長男は行方不明。当然長男に容疑が掛けられるのだが。
A 「街でいちばんの幸福な家族」 ... 夫婦と二人の子供の4人家族。今日は夫婦の結婚記念日で一家揃って食事に出掛けた。
B 「島でいちばんの鳴き砂の浜」 ... 鳴砂で有名な島に巨大ホテルが建設された。鳴砂の浜を守ろうとする地元の民宿と対立が起こる。

 ストーリーとしてはそれほど複雑な話でもないのですが,結末はひねりが利いており,思わず「ウン!」とうなってしまいました。しかしそんな事よりも,これは語り口が面白いですね。首吊りでは母親と次男の手紙のやりとり,幸福な家族では母親と娘の日記や独白だけで構成されています。そして鳴き砂にいたっては,波や星,テント,窓ガラスなどが事件の目撃者として,物語を語ります。宮部みゆきさんの作品では,犬のマサや財布の視点で語られると言う作品がありますが,本作はさらに意表を突いています。またそれらがうまく合っているんですよね。朝になってしまったので事件の結末を見る事が出来なくなり,ぼやく星の姿なんて思わず笑ってしまいます。

 

「殺人鬼」 綾辻 行人  2000.05.09 (1990.01.25 双葉社)

☆☆

 かつて4人の中学生惨殺事件のあった双葉山にやってきた男女8名のグループ。最初の晩彼等は百物語で盛上がる。メンバーの一人がここで起こった事件の話を始める。4人のうち3人はバラバラにされた死体となり,もう一人は行方不明。おそらく熊にでも食べられてしまったと思われている。そして犯人はいまだに見つかっていない。異常者の犯行か,それともこの山には魔物が住んでいるのだろうか。キャンプファイアーも終わりに近づき,最後まで起きていた3人は散歩に出掛ける。そして何も知らない彼等に殺人鬼が襲い掛かる。

 いわゆるスプラッターですよね。首は切断され,手足はバラバラにされ,目玉をえぐられ。ひとことで言って,こう言うの嫌いです。別に殺害シーンが残酷すぎるだとか,こう言う作品が実際の犯罪を誘発するだとか,そんな事を言うつもりはありませんし,思いもしません。読んでいて面白くないんですよ。ストーリーだって至極単純だし,犯人に対する興味もわきませんし,怖いかと言うとそうでもありません。怖さだけだったら映像の方が絶対上ですもん。「13日の金曜日」見ている方が,怖いだけいいですよ。小説で表現するとすれば,余程襲われる側の恐怖や襲う側の心理を突き詰めていかないと,ただ残酷なシーンがエスカレートしていくだけだと思います。もっとも綾辻さんの作品ですから,冒頭で述べられている通り思いがけない仕掛けが施されています。それ自体は面白いんですが,それを味わう為に延々と残虐シーンを読むのは辛いものがありました。まあその分,岡嶋二人の「クリスマス.イブ」よりは良かったですかね。ところで双葉山での話って「暗闇の囁き」の冒頭に出てくる話ですよね。

 

「ナイト・ダンサ−」 鳴海 章  2000.05.10 (1991.09.10 講談社)

☆☆☆

 M航61便成田発ニューヨーク行きボーイング747型機に異変が起こったのは,離陸した後アンカレッジに向かう時だった。貨物室ドアの故障,エンジントラブル,そして貨物室に積み込まれた「NC90Y菌」と呼ばれる,アルミ合金を腐食させる菌の存在。何とか成田か千歳に引き返そうとする機長。しかし様々な事態が61便を襲う。菌の存在を隠匿しようとする米軍,61便をサポートする航空自衛隊のイーグル機,副操縦士の兄であるアパッチのパイロット,糖尿病による機長の失明。そして更に「ナイト・ダンサー」と呼ばれる謎の諜報員が登場する。

 当作品は第37回江戸川乱歩賞受賞作で,真保裕一さんの「連鎖」と同時に受賞した作品です。この賞はミステリーをかなり広く捉えているので,この様な作品も対象になるのでしょうか。ミステリー色は薄いですね。冒頭にて作者が語るには,御巣鷹山に墜落した日航機の機長を例に取り,パイロットの職務にかける気概を書きたいとの事でしたが,かなり逸脱してしまったのではないでしょうか。飛行機事故におけるパニックよりも自衛隊や米軍の行動がメインになっています。航空機に関する詳しい記述にちょっとうんざりさせられたのと,場面がクルクル代わって読み辛い所が気になりました。またタイトルになっているナイト・ダンサーの影が薄いですよね。とは言えかなり迫力のある作品です。

 

「謎物語」 北村 薫  2000.05.11 (1996.04.25 中央公論社)

 ミッキーマウスに出てくる犬のプルートが何かへまをしたとします。プルートは当然の様にミッキーに怒られます。こんな風な場面を見ても,別段何ら不思議には思いません。ですが,「犬であるプルートはネズミに飼われていて,さらには怒られて悔しくないのだろうか。」,それが謎です,と言った具合にこのエッセイは始まります。どこにでもころがっている謎。それを古今東西のミステリーにとどまらず,映画,落語,はては子供の作文まで引用して,謎やトリックについて語ります。

 北村さんには「円紫師匠とわたし」シリーズと言う作品があります。全部読んではいませんが,一人の女性と落語家が様々な謎に挑む話です。ミステリーにはつきものの,殺人事件はここには出てきません(たぶん)。日常生活の中に潜む謎が中心となっています。この「謎物語」を読むと,北村さんの謎の見つけ方の多彩さが良く判ります。だから人を殺さなくてもミステリーが書けるんだなと納得します。特に叙述トリックの傑作としてあげた「ヨッコラショ,ドッコイショ」が印象的でした。

 

「死神」 清水 義範  2000.05.12 (1998.03.10 ベネッセ.コーポレーション)

☆☆

 斎藤昌平と妻の兼子は芸能人夫婦だが,お世辞にも売れているとは言えない。今日も数少ない連続ドラマの役を下ろされたばかりでくさっていた。暇になったので気に掛かっていた津村健三の見舞に,夫婦揃って出掛ける事にした。津村は彼等とは格の違う有名俳優なのだが,かつてチョイ役で共演した事がある程度の仲だ。単なるポリープ手術で元気だと思って出掛けたところ,思いもかけず津村の臨終の場に立ち会ってしまう。いきなり脚光を浴びてしまった斎藤夫妻。昌平は運命的な物を感じながらも,このチャンスを何とか物にしようとする。

 冒頭で昌平が夢を見る場面が出てきます。田舎にある父方の祖父の古い家の中で,死神に出会う夢です。これ怖いですね。私も子供の頃,秋田にある母方の実家に毎年夏休みに出掛けるのが楽しみだったのですが,当時そこも古い家で,夜なんか結構怖い思いをした事を思い出しました。この作品は芸能界を舞台にしてはおりますが,主人公が地味ですので派手な展開にはなりません。ですが出てくる人が実際の芸能人とオーバーラップしてくる部分もあります。特に津村は勝新太郎を意識しているのでしょうか,過去の犯罪(ここでは銃の不法所持ですが)が問題にされます。天才だったら何をしても許されるのかと言う問い掛けが成されます。また有名人が亡くなったら何故マスコミは,故人の業績を過大に評価するのかと言った問いがあります。その答えが面白いですね。

 

「壬生義士伝」 浅田 次郎  2000.05.18 (2000.04.30 文藝春秋社) お勧め

☆☆☆☆☆

 慶応四年の正月,大阪にある南部藩蔵屋敷に一人の傷ついた侍が訪れた。彼は自分を新撰組の吉村貫一朗と名乗った。鳥羽伏見の戦に敗れ,何とか大阪まで辿り着いたのだったが,蔵屋敷の差配役である大野次郎右ヱ門は,この懐かしい来訪者に対して,「壬生浪」と罵り切腹を命ずる。吉村は南部藩を脱藩した後上京し,募集に応じて新撰組に入った男で,南部藩時代には,大野の幼馴染であり部下であった。

 幕末です。新撰組です。この頃の歴史には暗いんだよねえ。と言っても「じゃ,どの時代だったら明るいんだ。」と聞かれても答えられないのですが。まあ日本における歴史の大きな転換点は,この明治維新と第二次世界大戦でしょう。もう少し知っておきたいものです。ところで新撰組と言っても,主人公は近藤勇でも土方歳三でも沖田総司でもありません。現在の岩手県である南部藩を脱藩し新撰組に加入した,吉村貫一朗と言う一人の足軽です。ですが彼には確かな剣の腕と学問があります。尊皇攘夷の思想や官軍賊軍とかとは関係無く,妻と子を養う為に藩を捨て家族の元を去ります。金に汚い守銭奴と蔑まれても,人斬りの鬼と恐れられても,一人の侍としてではなく,あくまでも一人の人間として生きる姿が感動を呼びます。彼自身の述懐をはさみながら,様々な人が彼の思い出を語る形で進んで行きます。彼を語る人達の彼に対する気持ち,そして通じ合う親子の気持ちの温かさが伝わってきます。義とは人の生きる道。その通りに生きた吉村貫一朗,そして理不尽な世の中で不本意な生き方をした多くの人達の上に,新しい時代が築かれて行く。そんな当たり前の事にさえ,新鮮な驚きを感じさせてくれます。

 

「ゼロと呼ばれた男」 鳴海 章  2000.05.19 (1993.04.25 集英社)

☆☆☆

 航空自衛隊でF4Eファントムのパイロットである那須野一等空尉は,アメリカ軍のバーンズ空軍大佐から「ソ連機を撃墜できるか。」と問われた。アメリカ軍が沖縄上空で予定しているステルス戦闘機のテストに,情報を入手したソ連が干渉してくる可能性が強いとの事だ。中東でアメリカ軍と合同で行った調査で知り合ったラインダース,そしてその時空中戦にまで発展してしまったソ連のスメルジャコフ。テストの日,那須野はファントムに乗り,スクランブルに飛び立った。

 大韓航空機がサハリン沖で撃墜された時,「何て事するんだ。」と憤ると同時に,軍事情勢の厳しさを痛感しました。一国にとってある意味では最大関心事である国防は,日本においては幸か不幸かあまり実感する事はありません。だけど毎日々々スクランブルに備えている人もいるんですよね。だけどここに書かれている様な事は有り得るんでしょうか。日本の自衛隊員が海外で戦闘行動に巻き込まれてしまったり,日本の上空でソ連機と空中戦が起こってしまったり。前回読んだ「ナイト.ダンサー」の時もそうでしたが,全ては国民の知らない所で闇に葬られると言うのはどうでしょうね。ご都合主義ですがまあそんな事が主眼ではないので,迫力ある空中戦での描写を楽しみましょう。ですが時間や場所がクルクル入れ替わりすぎて,ちょっと読み辛いところがありました。

 

「殺意」 乃南 アサ  2000.05.22 (1996.06.15 双葉社)

☆☆

 真垣は友人である的場を殺した罪によって逮捕された。殺害自体は認めるものの,その動機に関しては一切しゃべらない。取り調べにあたった検察官も,そして友人の弁護士も精神鑑定を勧める。真垣にとって的場は,中学生時代の家庭教師として知り合い,その後兄弟の様に付き合ってきた仲だ。しかし3年前の的場からの電話で,突然に殺人を決意した。「殺さなければ,殺される」。その的場からの一本の電話が,殺人と言うスイッチを押してしまったのだろうか。

 先月読んだ「鬼哭」では,真垣によって殺された的場の最後の場面が延々と描かれていました。今度はその続きにあたる,的場を殺した真垣の心情が延々と続きます。前作が出版されたのが1996年の10月で,本作が同じ年の6月って事は,こちらの方が先なんでしょうか。何かややっこしいですね。実は「鬼哭」を読んだ時もうんざりしてしまったのですが,今回も似た様なものです。ストーリーの展開はほとんど無く,心理描写のみで綴ると言うのは,読み方を替えれば面白いのかも知れませんが,退屈してしまいました。そりゃあ子供の頃の力関係が,大人になって立場が違ってしまっているのにも係わらず,子供の時のままと言うのはありがちですけど,単なる被害妄想じゃん。

 

「殺人の多い料理店」 辻 真先  2000.05.25 (1996.04.25 実業之日本社)

☆☆☆

 新聞社に勤務する可能は,新しい雑誌の企画で宮沢賢治を取り上げる事になった為,岩手県の知り合いを訪ねた。そこで行われた宮沢賢治作品の朗読会で,台本が入換えられると言うハプニングが起こる。そんな事も忘れた頃,その時知り合った倉村と言う男が,山梨県で死体となって発見された。泥酔したあげくの溺死とされたが,可能は宮沢賢治の作品との妙な一致点に気が付く。クラムボンと呼ばれていた倉村は,「やまなし」と言う作品の中に書かれていた様に,殺されたのではなかろうか。

 宮沢賢治の作品って,小学生の頃結構読んだのは覚えているのですが,内容は全く覚えてません。ますむらひろしさんのアニメーションで見た「銀河鉄道の夜」は大変印象的だったのですが。童話って結構残酷な世界をさりげなく描いている物が多いですよね。さてここでは宮沢賢治の研究グループを舞台に事件が起こります。たまたまそのグループと接点を持ってしまった可能が探偵役になるのですが,自分でも自覚している通り,本来ワトソン役の人物です。ですからすったもんだの末に事件は進行していきます。これだと可能が怪しいとにらんだ相手は犯人では無い,と思えてしまうのが難点でしょうか。

 

「ひとつぶの砂で砂漠を語れ」 司城 志朗  2000.05.26 (1994.06.09 TBSブリタニカ)

☆☆☆

 家電メーカーの広報部に努める立原は,渋谷で浮浪者となって発見された。見つけたのは部下の田口だったが,彼が言うには失踪してから2週間が経っているとの事だった。立原にはこの2週間の記憶が全く無かった。翌日久し振りに会社に出社した立原は,田口に礼を言うと彼は何も知らないと言う。唖然とする立原。上司に勧められて行った精神病院でも異常は見られない。そして家では立原にキッチンテーブルが不意に話しかけてきた。

 「もしかしたら自分は狂ってしまったのではないか。」こんな風に思える状況になったら怖いでしょうね。冒頭立原を見舞う不可思議な出来事の数々。そこらへんの立原の心情が真に迫ってきて,「もし自分だったら,どうするだろう。」と思ってしまいます。「ゲノム.ハザード」もそうですが,不可思議な状況に追いこまれた主人公の描写がうまいですね。今までの人生の中には幾つもの分岐点があって,もしあの時ああしていれば,もしあの時あんな事をしなければ。その都度パラレルワールドの様に無数の人生が存在したならば。今の自分は本当の自分なんだろうか。あの時自分とは違う選択をした,もう一人の自分こそが本当の自分なのではなかろうか。当然そんな事ある訳はないだろうし,考えてみても仕方の無い事ですよね。だけどそんな事を考えずにはいられない,不思議な話でした。

 

「本格ミステリー宣言」 島田 荘司  2000.05.26 (1989.12.11 講談社)

☆☆☆

 本格ミステリーとは何か。それは「幻想的で,魅力ある謎を冒頭付近に有し,さらにこれの解明のための,高度な論理性を有す(形式の)小説」だそうです。日本におけるミステリー,推理小説,探偵小説,ハードボイルド,社会派ミステリー等などの歴史に触れながら,本格ミステリーについて語る。

 いわゆるミステリーと呼ばれる作品を読む事が多いので,自分はミステリーが好きなんだと思う。だけどそれが本格か否か等と言う事はどうでもいい事の様に思えるのですが,こだわりを持つ人は多いんでしょうね。確かにルールは必要でしょう。物理的に絶対不可能なトリックを使ったり,何の伏線も無く最後の方で初登場の真犯人が登場したりしたら,ミステリーとは言えないでしょう。まあ読者に対してフェアであればいいと思いますけどね。とは言うものの,私は読みながら推理をする事はほとんどありません。「コイツがあやしいな」くらいは思う事がありますが,論理的に推理をしながら読むのは苦手ですね。複雑すぎる仕掛けも疲れてしまいます。だから単純に驚かされる様な結末が好みです。ですからベストはと問われれば,この本の中でも大々的に取り上げられている,綾辻行人さんの「十角館の殺人」でしょうか。まあ自分にとって本格かどうかは問題ではありません。そんなレッテルはどうでもいい事で,要は面白い小説か,面白くない小説か,だと思うんですが。

 

「燃える地の果てに」 逢坂 剛  2000.05.28 (1998.08.10 文藝春秋社) お勧め

☆☆☆☆☆

 1966年,フランコ政権下のスペインのパロマレスと言う片田舎に,ホセリートと呼ばれる日本人ギタリストが訪れた。この町に住むディエゴ.エル.ビエントと言う幻のギター製作者に会う為だ。依頼したギターがいつ仕上がるか判らないので,ホセリートは地元のトマト生産者トマス.ロドリゲスの家に住み込む事になった。そんなある日パロマレスの上空でアメリカ軍機が空中給油の失敗によって墜落すると言う事故が起こる。この飛行機には核ミサイルが積み込まれていた。幸いな事に爆発は免れたが,4基のミサイルの内1基が行方不明となってしまった。ミサイルの紛失を隠そうとする米軍とフランコ政権,事故による被害の補償を求める地元住民,そして暗躍するソ連のスパイ。一方30年後の1996年,ホセリートの知り合いである織部まさるはイギリス人ギタリストのファラオナと,このパロマレスを訪れる。

 分厚い本です。何と724ページもあります。最初のページにはスペイン南東部の地図が載っております。当然知っている地名などありません。次のページには登場人物の一覧が載っています。登場人物の多い話は苦手です。だって誰が誰だか判らなくなるんだモン。かなり読むのが大変そうに思えたのですが,そんな心配は全く不要でした。とにかく面白いんですよ。もう一気に読んでしまいました。イヤー,満足,満足。物語は1966年のホセリートの視点とアメリカ軍の視点で綴られます。日本人など見た事無い人達が彼を受け入れる場面に始まって,村人と協力してアメリカ軍との交渉にあたって行く様子。そして米軍の方は何とかミサイル紛失の事実を隠そうとはするが,謎のスパイ<ミラマル>によって混乱させられて行く。ミサイルは見つかるのか,放射能汚染の心配はどうなのか,ギターは完成するのか,そしてスパイは誰なのか。いくつもの謎が物語を盛り上げる。そしてその幕間に描かれる30年後の話。ホセリートの知り合いでありビエントのギターを持つ織部が,同じくビエントのギターを持つファラオナとパロマレスに向かいます。織部はホセリートと再会できるのか,ファラオナは自分のギターの謎が解けるのか。ラストには唖然とさせられました。スパイの正体もさる事ながら,登場人物達の関係の意外さ。30年と言う時の流れを経て出会った彼らの友情や愛情に,熱い気持ちが込み上げてきます。イヤー,本当に面白かった。

 

「冬のオペラ」 北村 薫  2000.05.31 (1993.09.10 中央公論社)

☆☆

@ 「三角の水」 ... 大学の研究室の情報が企業に漏れているらしい。その疑いが一人の女性にかけられてしまった。
A 「蘭と韋駄天」 ... 春蘭を巡る二人の女性の争い。一人は他方が盗んだと言うのだが,絶対的なアリバイがあると言う。
B 「冬のオペラ」 ... 2月の京都旅行で偶然にも殺人事件に遭遇。殺されたのは大学教授で,彼の部屋の窓からは一本のザイルが。

 地方の高校を卒業して東京の叔父さんが経営する姫宮不動産に就職した姫宮あゆみ。この不動産屋のビルの2階に「名探偵事務所」が出来た。その探偵である巫(かんなぎ)弓彦と姫宮あゆみが難事件に取り組むと言うストーリー。「わたしと円紫師匠」シリーズの1作かと思っていたのですが,違うんですね。だけど雰囲気は似通っています。殺人はおろか,犯罪と呼べるかどうかすら判らない事件をミステリーとして扱っているんだなと思ったら,いきなり殺人事件が発生。この名探偵さん−巫さんと言う変わった名前の独身男性ですが−と,あゆさんのコンビが不自然なんですが,まあいいっか。