読書の記録(2000年 9月)

「ダブルダウン」 岡嶋 二人  2000.09.01 (1987.07.20 小学館)

☆☆☆

 ボクシング4回戦の試合で選手二人が死亡した。ノックアウトされた小栗も,勝った須崎もリング上に倒れてしまった。解剖の結果,二人からは青酸反応が出た。観衆の見守る中,どの様にして二人の選手は殺されたのだろうか。事件に興味を持った記者の中江と麻沙美は,ボクシング評論家の八田とともに,事件の謎を追う。

 岡嶋さんの作品には,これ以外にも「タイトルマッチ」と言ったボクシングを題材にした作品があります。そちらは得意の誘拐物なのですが,こちらはちょっと違います。試合中に起こった殺人事件。誰がどの様な方法で,と言ったところで引っ張られます。でもいかに青酸カリの毒性が強いと言っても,こんな事で人が死ぬのだろうか。まあ他人の作品には青酸カリが塗られたタバコや口紅で死ぬ場面がありますが,本当なのかなあ。何かそっちの方が気になってしまいました。

 

「キャッツアイころがった」 黒川 博行  2000.09.04 (1986.08.15 文藝春秋社)

☆☆☆

 滋賀県の湖で男の死体が見つかった。被害者の身元を隠す為だろうか,指は全て切り取られ,顔はグチャグチャにつぶされていた。不思議な事に彼の胃の中から,大きなキャッツアイが見つかった。三日後,今度は京都府で学生が殺された。彼の口にはキャッツアイが入れられていた。そしてさらに大阪府でもキャッツアイを口に含んだ労務者が亡くなった。二人目の被害者である村山と同じ美術大学に通っていた啓子と弘美は,彼が殺される前に訪れたインドを興味から訪れる事にする。村山が残したスケッチが事件を解く鍵になりそうな予感がした。

 昔「キャッツアイ」と言う名の女盗賊姉妹がいましたが,これは何の関係もありません。捜査する各府県の警察と,二人の女子大生の視点で展開されていきます。警察の方はともかくとして,この啓子と弘美の二人の行動が違和感を感じさせます。探偵役って言うのは,事件に関る動機が必ずある訳で,単なる興味でって言うのはなあ。大麻の件があったにせよ,何でわざわざインドまで出掛けたり,危険な思いをしてまで犯人と渡り合わなくてはならないのか,と言うのが引っ掛かってしまいました。この二人の存在が作品のイメージを軽くしてしまっているのが,ちょっと残念です。ところで宝石に関しては全くの無知なのですが,生産や流通に関する話は興味深いですね。

 

「戦時下動物活用法」 清水 義範  2000.09.05 (1994.06.25 実業之日本社)

☆☆☆☆

@ 「空腹姫」 ... ダイエット中の彼女には何かと誘惑が多い。学校の帰りや彼氏とのデートではつい甘い物に目が行ってしまう。
A 「ダイヤの花見」 ... 大家さんから集められた電車達。大家に収めるアレの話だとばかり思っていたのだが,花見の話だった。
B 「平成X年竹林館占」 ... 竹林館先生が占う今年の運勢。だけど結局は本人の心掛け次第だそうで,先生は入院してしまった。
C 「栄養伝説」 ... 栄養に関しては誰しもがこだわりを持っている。それは肉だったり,青身魚だったり,野菜だったりする。
D 「服を買う」 ... デパートに服を買いに行ったお父さん。娘にバカにされない様なカジュアルな服が買えるでしょうか。
E 「トライアル.アンド.エラー」 ... パソコンが家に届いた。恐る恐る動かそうとする横では,妻が適当に操作してしまう。
F 「果てしなき覚醒」 ... 彼は突然眠る事ができなくなってしまった。医者にかかっても,医者は彼の症状を理解してくれない。
G 「こだわりの旅」 ... 普通の人は行かない様な場所にこだわる旅人。こう言うのを旅行の通と言うのだろうか。
H 「味覚戦争」 ... 結婚した当時は料理が上手だった妻。しかし子供ができたら,子供に合わせた味付けになってしまった。
I 「戦時下動物活用法」 ... 今は戦争中なので,愛玩動物も活用しなくてはならない。犬,猫,馬,牛,金魚,小鳥,そして山羊。

 「アッ,こんな事ある,こんな人いる,こんな事した事ある...」。自分にも思い当たる事ありますんで,思わずニヤリとしてしまいます。題材はダイエットだったり,占いだったり,旅行だったりといろいろあります。皆,自分の信じる物があって,しかしそれは回りから見ると,何の意味も無い事や,とんだ勘違いだったりします。まあ本人からすれば,ほとんど信仰の対象になってしまっている事なので,他人からは滑稽に映ってしまうばかりです。かなりブラック.ユーモアと言うか皮肉が利いていますので,ムッとする人がいるかも知れません。まあそう言う人は,この作品の登場人物になる資格が充分なんだと思います。自分なりのこだわりを持つ事は大事かも知れませんが,あまり他人には押し付けない様にしましょう。それにしても「こだわりの旅」に出てくる様な人って,居ますよねえ。

 

「封印」 黒川 博行  2000.09.06 (1992.12.25 文藝春秋社)

☆☆☆☆

 酒井は津村に連れられて,あやしげな文化研究所を訪れた。津村が経営するパチンコ台販売会社の,顧客であるパチンコ屋に持ち込まれた苦情処理の為だ。一筋縄で行く相手ではなかった。さらに別のパチンコ屋には消防署や警察の査察が入る。どうやら何者かが酒井等を陥れ様としている風に思えた。そして酒井の前に現れた二人のヤクザ。以前酒井が偶然出会ったかつての友人から何かを預かったはずだと迫るのだが,酒井には思い当たる事は無かった。

 以前読んだ「疫病神」を彷彿させる作品です。そちらは産業廃棄物処理業界,こちらはパチンコ業界を舞台に,サスペンス溢れる展開の連続です。主人公はどちらも堅気の人間とは言え,かなりクセのある人物で,ヤクザ相手に大奮闘します。そして敵役であるヤクザとの奇妙な信頼感と言うか連帯感が,物語りに彩りを添えていきます。社会的な不正を扱っていますが,そちらが主題ではなく,元ボクサーの酒井の生き方が気持ち良く描かれていきます。タイトルになっている封印の意味がストレートに伝わっては来ませんでしたが,ボクサー時代の回想部分は印象的でした。

 

「犯人」 辻 真先  2000.09.07 (1989.06.30 東京創元社)

☆☆

 かつてから仲が悪い事で有名だったミステリー作家の若狭氏と佐々氏が決闘をするという情報が入った。雑誌の編集員達4人は,決闘の現場と思われる若狭氏の別荘に駆け付けた。無人島にあるその別荘には誰かがいるのだろうか,灯りが付けられていたが呼んでも誰も出てこない。突然部屋の電気が消えた。窓を破って中に入ってみると,若狭氏が刺殺されていた。しかし彼を殺して,部屋の電気を消した犯人はどこにも見当たらなかった。部屋には鍵がかけられており,完全な密室状態。犯人は佐々氏なのだろうか。

 構成が面白いですよね。作家同士の事件,それも密室殺人があり,その後二人の作家の作品が紹介されていきます。表参道のプレイボーイ殺人,休業中の旅館で見つかった死体,嵐の洋館で起こった惨劇。この作中作はちっとも面白くないんですが,一体どの様な意味があるのか考えさせられます。普通に考えれば,最初の事件を解く鍵がこの作品の中にあるんだと思いますよね。だけど結末は意外な方向へ向かいます。何か構成の面白さが活かされた結末とは思えませんでした。犯人自体の意外性は高いのですが,ちょっと納得できないですよね。それにしても副題として付けられている「存在の耐えられない滑稽さ」と言うのは何を指しているんでしょうか。

 

「午前三時のルースター」 垣根 涼介  2000.09.08 (2000.04.30 文藝春秋社) お勧め

☆☆☆☆☆

 旅行会社に勤務する長瀬は,得意客である宝石会社社長の中西から呼び出された。孫の慎一郎をベトナムのサイゴンに連れて行って欲しいと言う。中西にとっては娘婿にあたる,慎一郎の父親は,4年前にサイゴンに行ったっきり帰ってこなかった。現地で何等かの事件に巻き込まれた様で,現地警察の捜査も打ち切られた。慎一郎と会った長瀬は,彼から意外な物を見せられる。ベトナムを特集したテレビ番組のビデオだったが,そこには慎一郎の父親らしき人物が映っていた。慎一郎の母親には再婚話が進んでいる為,祖父には内緒で父親探しがしたいのだと言う。二人は長瀬の知人の源内とともに,サイゴンに向かった。

 そういえば一番鶏(ルースター)の鳴き声何て,最近聞いた事ないですよね。鶏の声で目覚める生活,それは我々が忘れ去った物の象徴なのでしょうか。貧しい生活から苦労を重ねて宝石会社社長になった中西,その義理の息子として迎えられた慎一郎の父親,そして父親の失踪と母親の再婚によって微妙な立場に立たされた慎一郎。この3人の立場の違いが明確になっているので,この後の彼等の行動が理解しやすいですよね。さて話の中心はベトナムのサイゴンなのですが,ベトナム戦争が終わって,ドイ.モイと呼ばれる経済政策のもと,発展を遂げるベトナムの様子が描き切れていないのが残念です。ですが父親を探す3人を襲う謎の組織,彼等に協力する二人のベトナム人,次第に明らかになる真相がテンポ良く描かれて引き込まれていきます。人が一人も殺されないと言うのが,特にいいですね。

 

「窓」 乃南 アサ  2000.09.11 (1996.12.10 講談社)

☆☆☆

 同窓会に差し入れとして届けられたジュースの中には農薬が仕組まれていた。幸いな事に死者はでなかった。疑われたのはジュースを受け取ったアルバイトの男性だったが,彼は耳に障害を抱えていた。この事を友人の記者から聞かされた,麻里子もまた耳が不自由だった。麻里子は同じ障害を抱えたその男性に会ってみたいと思い,記者とともに彼の元を訪れる。しかしその頃犯人である吉岡恩(めぐむ)は,偶然にも麻里子と彼女の兄の俊太郎をアスレチック.クラブで見掛けていた。そして彼は次なる犯行を決意していた。

「鍵」の続編で,秀子,俊太郎,麻里子の3兄弟,俊太郎の友人で新聞記者の有介,麻里子の同級生の雅美と,登場人物は同じです。最初の方で犯人が明示される場合は,いかにしてその犯人に辿り着くかと言うパターンが多いと思いますが,ここではあまりにも都合良く行きすぎです。その分,ちょっとした仕掛けがありますが,ちょっとありきたり。それよりも耳の障害を抱えた二人の内面描写がいいですね。様々な経験から健聴者を敵視する桑田直久,周囲との行き違いから苛立って行く麻里子。そして前作とは違って,麻里子に対する俊太郎がしっかりしています。肉親に障害を持つ人がいたら,私何かには知れない苦労があるんでしょう。ちょっと考えさせられました。

 

「あでやかな落日」 逢坂 剛  2000.09.13 (1997.07.30 毎日新聞社)

☆☆☆☆

 現代調査研究所の岡坂神作のところに,友人であるセントル広告の佐竹部長から相談が持ち込まれた。セントラル広告が担当しているアウロラ電気では,大型システムコンポの新製品発売が予定されており,そのイメージキャラクターを探していると言う。それにふさわしい人材を紹介して欲しいと言うものだ。その話を聞いて岡坂は真っ先に香華ハルナを思い浮かべた。彼女は無名のギタリストなのだが,岡坂が先日,彼女のコンサートを聴いて,その腕前に惚れ込んだギタリストだった。しかし何者かの邪魔が入る。

 かなり分厚い本なのですが一気に読めてしまいます。だけど全体的に冗長な感じがしてしまいました。CMを巡る舞台裏の話なのですが,なかなか派手な展開にはなりません。途中ある人物の告白があって,ここから一気に盛りあがってスペインにでも飛ぶのかな,と思ったのですが何となく尻すぼみ。スペインは出てきません。ですが相変わらず岡坂さんは存在感があっていいですね。逢坂さんの作品の登場人物では群を抜いています。今回は敵役の浜西が魅力有る人物だった事もあって,特に際立っています。でもCMってそんなに商品を買う動機につながるものなのでしょうか。特に家電製品何かだと,CMよりは機能自体や店で見た印象で買うと思うのですが。関係無いですけど,いくら池脇千鶴ちゃんが可愛いと言ったって,それだけでODNに切り替えようとは思わないですけどね。

 

「嫁洗い池」 芦原 すなお  2000.09.14 (1998.03.25 文藝春秋社)

@ 「嫁たち」 ... 友人の同僚の娘が成人の日を前に家出してしまったと言う。彼女はスキー場のアルバイトをしたがっていたと言う。
A 「まだらの猫」 ... 資産家の老人が昼寝中に吹き矢で殺された。その部屋は完全な密室になっていたと言う。
B 「九寸五分」 ... ヤクザの子分が親分を刺し殺した。犯人は簡単に捕まったが,河田には妙に引っ掛かる事があった。
C 「ホームカミング」 ... 妻が学生時代の同窓会で京都に行っている間,心臓発作で死んだ男の死因に疑惑が発覚。
D 「シンデレラの花」 ... 葬儀の夜,会社を継いだ息子が失踪した。河田は失踪では無く,殺されたのではないかと疑う。
E 「嫁洗い池」 ... 自殺未遂の男が自首してきた。精神病の末に弟を殺したと言うのだが。

 芦原さんの作品を読むのは初めてなのですが,何等かのシリーズものなのでしょうか。主人公は売れない作家で妻と二人暮らし。作家の友人には河田と言う人物がいて,彼は現職の刑事なんですよね。その刑事が色々な問題を持ち込んできます。と言っても作家が推理する訳ではなく,刑事が頼りにしているのは,彼の奥さん。彼女が探偵として,推理を働かせるんです。典型的な安楽椅子探偵(と言っても実際椅子に座っている訳ではありません)で,刑事の喋る内容からのみの推理になります。つまり彼の言葉の中に全ての手掛かりがある訳です。推理しながら読む人にはいいのでしょうが,私にはちょっと辛いモノがありました。

 

「薔薇盗人」 浅田 次郎  2000.09.18 (2000.08.25 新潮社)

☆☆☆

@ 「あじさい心中」 ... リストラで会社をクビになったカメラマンが訪れた温泉宿。知り合ったストリッパーから心中を持ち掛けられる。
A 「死に賃」 ... 友人の葬儀の帰り,死ぬ前の一言が思い出される。「やすらかに死ぬ為に,君だったらいくら払う。」かと。
B 「奈落」 ... 庶務課長代理が事故で死亡した。彼の死について,課のOL,同僚,上司,そして役員達には思い当たる事があった。
C 「佳人」 ... 見合いの世話好きな母がまた写真を持ってやってきた。お目当ては,部長をしている自分の部下の様だった。
D 「ひなまつり」 ... 雛人形は2月のうちに飾らないとお嫁に行けないと聞いた。あと2時間で2月は終わってしまうのに。
E 「薔薇盗人」 ... 船乗りの父親は豪華客船のキャプテンで,現在100日間の世界一周の航海中だった。

 浅田次郎さん久し振りの短編集です。表題作である「薔薇盗人」では航海中の父親に宛てた息子の手紙と言う体裁を取っています。小学生にしては文章がうますぎるのが気になってしまいましたが,息子が書いた手紙を通じて,父親の考え方,息子の尊敬の気持ちが伝わってきます。だけど,父親からの返信が無いのは何故でしょう。父親が帰ってきてからの方が話が面白くなる様な気がしてしまうのですが。前半の3作は死について扱っています。死は必ずどの人にもやってきます。善人にも悪人にも,金持ちにも貧乏人にも全て平等に訪れます。人は必ず死ぬと言う事実に,どうやって折り合いを付けるかと言う事なのでしょうか。「死に賃」が印象的でした。「あじさい心中」「ひなまつり」もいいですね。やっぱり短編もうまいですね。

 

「蝕みの果実」 船戸 与一  2000.09.20 (1996.10.11 講談社)

☆☆☆☆

@ 「セレクション.ブルウ」 ... メジャーリーガーを賭けたオープン戦。今日の試合では4打数3安打と絶好調。残りはあと1試合だ。
A 「からっ風の街」 ... 相撲界を追放されてアメリカに渡ったレスラー見習い。日本人悪役レスラーの後継者を目指そうとしたのだが。
B 「黄金の眼」 ... 二人の男が規則を破ってロッキーの山中に入り込んだ。一人の山岳レインジャーが一匹の犬と共に救助に向かう。
C 「コリア.タウン」 ... 職を探して韓国系の大物の元を訪れた在日韓国人。彼からはバーテンダー+αの仕事を提示された。
D 「梟の流れ」 ... 引越の挨拶に訪れた隣人を射殺して逃げた男のニュースを見た。彼が逃げ込む先には宛てがあった。
E 「斑の蝶」 ... 明日行われるボクシングの試合の選手が行方不明になった。何とか明日朝までに彼を探し出さなくてはならない。
F 「ミセス.ジョーンズの死」 ... 陸上部コーチのジョーンズ氏の夫人が殺された。有望な部員達には思い当たる事があった。

 前書きにもある通り,アメリカを舞台に様々なスポーツを題材にした短編です。野球,プロレス,クライミング,テコンドー,射撃,ボクシング,陸上と多岐に渡っています。ただ純粋にスポーツをテーマにしている訳ではなく,その裏側を描いているのが特徴でしょうか。スポーツ自体や選手をやたらと美化する傾向のある日本とは違って,やはりアメリカはプロスポーツの本場。ショービジネスとの係わりが根強くあります。そこには結果こそ全てと言う一面もあり,その為にはフェアプレイだけでは済まない部分もあるのでしょう。麻薬の使用,経済摩擦との係わり,移民同士の勢力争い,選手の引き抜き等が描かれて行きます。ですから必ずしも読後感のいい作品ばかりではありませんが,どれもかなりの迫力で圧倒されます。特にお勧めは「黄金の眼」。ミステリアスな展開の裏で描かれる,主人公の過去への悔恨と現実の悩み,そして飼い犬との心の通い合い。ちょっとこの作品だけ異質な感じがしますが,それは登山と言う他のスポーツとの違いからのものでしょうか。

 

「熱波」 今野 敏  2000.09.21 (1998.10.25 角川書店)

☆☆☆

 自治省から内閣情報調査室に出向している磯貝は,沖縄への出張を命ぜられた。沖縄県庁にある国際都市形成構想推進室の現状調査が目的だ。磯貝にとって沖縄訪問は初めての事だが,県庁の雰囲気が思っていた物と大きく違うのが意外だった。特に彼の案内役となった比嘉は,県知事のブレーンにも関わらず,スナック経営者であり,またジャズの腕前は彼を驚かせた。二日目の晩,磯貝は何者かに拉致されかかり,彼を助けたのは米軍海兵隊のブルーフィールド少佐だった。そして東京に戻った磯貝は,1年間の沖縄県庁出向を命ぜられる。

 全体的には突飛な話だと思いますが,読んでいる間はそれをほとんど感じさせられませんでした。テンポのいい展開のせいもありますが,磯貝の官僚的な思考からの脱却が中心に描かれているからでしょう。そして何と言っても比嘉の沖縄に対する気持が,ストレートに伝わってくるのがいいですね。私は日頃沖縄の事を特別に意識する事は無いですし,あくまでも日本の一つの県と言う認識しかありません。そりゃあ過去の歴史や,基地問題等から本土の人間に対して特別な感情がある事くらいは知っています。だからこそ比嘉の様な考え方に,驚きと新鮮さが感じられるのでしょうか。沖縄独立と言うセンセーショナルな話題,官僚機構の行き詰まり,海外マフィアの暗躍。そういった味付けの部分が深く描かれているのもいいですが,比嘉と磯貝と言う二人の生き方こそが,この作品をより面白くしていると思います。また最後のブルーフィールドとの会話が,物語を締めくくるにふさわしいですね。

 

「雨の中の犬」 香納 諒一  2000.09.22 (1997.04.20 講談社)

☆☆

@ 「雨の中の犬」 ... 女性パチンコ経営者からの依頼で,新装の店に1週間泊まり込む事に。彼女の夫は元ボクサーだった。
A 「新緑」 ... 行方を追っていた女性を見つけた時,彼女は別の男達にも追われていた。逃げる途中の事故で亡くなってしまった。
B 「黄昏に還る」 ... 知り合いの刑務所教官が訪ねてきた。数日後に出所を控えた男が社会見学の最中に居なくなったと言う。
C 「待つ」 ... 1年前に東北旅行に出掛けたまま帰って来ない夫。釣りの事故だと思われていたが,妻はずっと帰りを待っていた。
D 「蕗子への伝言」 ... ヤクザの妻に手を出した男性4人。夫に痛めつけられた腹いせに,誰かが彼女に硫酸をかけた。
E 「遥か彼方」 ... ヤクザを脅して金を出させる刑事が,詐欺師にある依頼事をした。何故そんな事を頼んだのかを調べる。

 碇田と言う私立探偵を主人公にした連作短編集です。私立探偵と言えばハードボイルド。原りょうさんの沢崎さんや逢坂剛さんの岡坂さんが思い浮かびますが,この碇田と言う探偵さんはちょっと雰囲気違いますね。と言うより,こちらの方がずっと普通の人として描かれています。あまりハードボイルド的では無いと言えばいいのでしょうか。作品の方は家族や夫婦の愛をベースにしている物が多く,それも一風変った純愛と言えばいいのでしょうか,ちょっとやるせなさが残ります。

 

「配達される女」 逢坂 剛  2000.09.23 (2000.08.30 集英社)

☆☆☆

@ 「悩み多き人生」 ... 近所で行われている古書展に入り浸る斉木。お目当てはアルバイトの松本ユリと言う女性だった。
A 「縄張り荒し」 ... 街中で外国人女性に声を掛けられた梢田。日本語が判らない彼女をあるビルまで送っていったのだが。
B 「配達される女」 ... バイクにぶつかった梢田。荷台から落ちた物はビデオテープだった。そしてそこに映っていた女性は。
C 「苦いお別れ」 ... 五本松警部がお見合い。相手は梢田のかつての同僚だった。両者から相談を持ち掛けられる梢田。
D 「秘めたる情事」 ... 満員電車の中で痴漢騒ぎに巻き込まれた梢田。痴漢と思われた男性の財布が女性のポケットから出てきた。
E 「犬の好きな女」 ... 署長の知り合いの女性からの依頼で,行方不明になった犬を探す事になった。犬は見つかったのだが。

 「しのびよる月」「情状鑑定人」に登場する,御茶ノ水署生活安全課に勤務する二人の刑事,斉木斉(ひとし)と梢田威(たけし)のシリーズです。この二人は小学生からの同級生で,秀才の斉木といじめっ子の梢田と言う関係だったのが,いまや上司と部下の関係になっています。逢坂さんの作品にしてはコミカルなシリーズなのですが,今回は新たに五本松小百合と言う女性刑事が登場します。この五本松刑事は非番の時,アルバイトで親戚の古本屋の手伝いをしています。この時は入念に化粧をして,名前も松本ユリと名乗っています。この松本ユリの方に斉木が一目ボレしてしまったので,さあ大変と言った具合に話が進んでいきます。御茶ノ水は私が学生時代を過ごした街なのですが,知った名前の店が出て来たりして,思わずうれしくなってしまいました。

 

「御手洗潔のメロディ」 島田 荘司  2000.09.27 (1998.09.28 講談社)

☆☆

@ 「IgE」 ... 高名な声楽家の元に訪れた女性が行方不明に。またファミレスの便器が壊されると言う出来事が起こる。
A 「SIVAD SELIM」 ... 外国人障害者相手にボランティア活動をしている高校生から,御手洗にギターの演奏依頼があった。
B 「ボストン幽霊絵画事件」 ... ボストンに留学中の御手洗。近くの工場の看板に撃ち込まれた銃弾の謎に挑む。
C 「さらば遠い輝き」 ... かつて知り合った駈け出しの女優は,今やスーパースター。彼女から突然電話を貰ったライター。

 ビートルズの「ストロベリー.フィールズ.フォーエヴァー」の話が出てくるんですが,私この曲大好きなんです。ビートルズの曲で何が一番好きかと問われれば,まずこの曲を挙げるでしょう。それはいいのですが,作品の方では相変わらず御手洗潔さんが大活躍します。ある声楽家が訪ねてきて,一人の女性の行方を探して欲しいと言う依頼がきます。何でも彼女は1週間前に弟子入りしたそうなのですが,突然行方が判らなくなってしまったとの事。また近くにあるファミレスの店員から,店にあるトイレの便器が最近相次いで壊されると言う話を聞きます。普通この二つの事から一つの事件を想像できますか。できっこ無いですよ,絶対に。それをさも当り前の様にやってしまう。だから読んでいて白けてしまいます。このシリーズ読むのは,これで3作目ですが,毎回々々同じ感想しか持てません。もう読むの止めよう。

 

「二重螺旋のミレニアム」 清水 義範  2000.09.28 (2000.01.20 マガジンハウス)

☆☆☆

@ 「いかにして人類は絶滅すればよいのか」 ... 核戦争,宇宙人の襲来,巨大隕石の衝突,新たな病原菌,それとも...。
A 「ブレインエイク」 ... 頭を破壊するような形で自殺する若者が相次いだ。何等かの麻薬の影響が疑われた。
B 「ビリー.ミリガン.ゲーム」 ... 人の精神を壊すゲーム。2年前に大流行を起こしたゲーム製作者が新たなゲームを開発。
C 「やすらぎのホーム」 ... 老人ホームへの入居が決まった老人。環境がいい所なのだが,何故か長寿率が低い事が判る。
D 「ゲノムのすりきれ」 ... 結婚せずに子供を作る事にしたカップル。遺伝子研究をしている彼氏は我が子にある実験を試みる。
E 「ヴィレッジ」 ... このヴィレッジの外には何があるんだろうか。外に出ようと試みた若者は雷に打たれて亡くなってしまった。
F 「フェードラ」 ... 資産家の老女の家で起こった殺人事件。容疑者の老女は行方不明だったが,代わりに若い女性が居た。
G 「こんなんじゃない別の人生」 ... アナザリンと言う薬を日本に持ち込んだ者がいた。この薬は記憶力を異常に高める効果があるのだが。
H 「ステロイド.ウォーズ」 ... ある資産家が運営している研究所の所員が殺された。彼は一匹の魚を持っていたのだが。
I 「誕生」 ... 環境省のコンピュータに異常が発生。佐東所長の友人の城ヶ崎刑事がこのコンピュータプログラムに語りかける。

 人類の歴史が何万年あるのか知りませんが,産業革命からまだ300年も経っていないんです。人類の歴史を横軸に,文明の進化を縦軸にとったグラフを作ったとすると,物凄い右上がりのグラフになるでしょう。原始時代の千年や一万年なんて,現代に置換えれば一日にも満たないでしょう。加速度的に進化する科学技術を考えると,今から100年後の世界なんて想像つきませんよね。この作品はちょっと未来を舞台にした話です。人物の照合が即座に行われたり,バーチャルなペットが出て来たり,若返りの秘薬や遺伝子操作が行われたりします。だけどそんな事は来年にでも出来てしまう事なのかも知れません。そうしたらここに書かれている事なんて,いかにもありがちな話なんでしょうね。ちょっと恐いですね。

 

「名前がいっぱい」 清水 義範  2000.09.29 (1996.02.20 新潮社)

☆☆☆

@ 「匿名希望」 ... 匿名希望とは単なる流行なのか,それとも民主主義を否定するものなのだろうか,それとも。
A 「学名と和名」 ... 動物の研究者。動物の事しか話題の無い彼が,女性と食事をする事になったのだが,さて話題は。
B 「“さき”と“ゆうき”」 ... 生まれた子供は二卵性の双子で男の子と女の子だった。さて名前をどう付けようかと悩んでしまった。
C 「人は死して...」 ... 妻の祖母が亡くなった。この家では昔から戒名を自分で付ける習慣があり,夫が付ける事になった。
D 「あだな物語」 ... 息子が突然学校に行きたくないと言い出した。父親が聞いてみると,友達からあだなで呼ばれるのが嫌だと言う。
E 「誰でもない人」 ... 小説家は登場人物の名前をどうやって決めるべきか。電話帳か卒業名簿か,最近会った人か。
F 「名前がいっぱい」 ... 人は本名の他にも,役職や住んでいる場所や,愛称やらいろいろな名前で呼ばれる事がある。
G 「名の言葉辞典」 ... 名うて,名折れ,名がすたる,名が通る,名高い,名立たる,名取り,名にし負う,いろいろあります。
H 「無名人物列伝」 ... もし人に名前が無かったら。警察の取り調べでは大変な事になっちゃいます。
I 「名前がほしい」 ... 名前の無いものは存在できず,名前をつける事で概念は姿を持つ事になる。

 名前に関する短編集です。名前と言っても本名の他にも,ペンネーム,ハンドルネーム,戒名,ニックネーム等いろいろあります。ここでは様々な名前に関して清水さんらしいウィットに飛んだ話が出てきます。この中に自分の子供の名前で悩む場面が出てきますが,子供の名前をどうするかと言う事で悩む人は多いんでしょうか。私の場合は全然悩まなかったですけどね。男の子だったら妻が,女の子だったら私が付けると決めていたのです。漫画の主人公の名をパクッたりして,二人とも結構いい加減に付けていました。子供から自分の名前の由来を尋ねられたら,何と答えたらいいんだろう。ところで私は「伝次郎(でん.じろう)」と言う名前でこのホームページを運営しておりますが,これは本名ではありません。