読書の記録(2003年10月)

「オロロ畑でつかまえて」 荻原 浩  2003.10.01 (1998.01.10 集英社)

☆☆☆

 牛穴村は奥羽山脈の一角,日本の最後の秘境といわれる大牛山の山麓にサルノコシカケのようにはりついた寒村である。人口わずか300人,主な産物はカンピョウ,人参,オロロ豆,ヘラチョンペ。わずか8人になってしまった牛穴村青年会の会長米田慎一は,村おこしに立ち上がった。東京に出てきて村おこしに使う広告会社を探すが,大手広告会社には相手にされず,仕方なく中小のユニバーサル広告社と手を組む事になった。しかしこの会社は倒産寸前だった。

 D.J.サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」は読んだ事ありませんが,全く関係の無い内容だそうです。さて過疎化に悩む村の青年会が村おこしに立ち上がった。それもパートナーは倒産寸前の弱小プロダクション。村の青年会のメンバーも,広告会社の面々も,かなりユニークに描かれています。でも決して田舎の村を揶揄している訳ではありません。章毎にクライアントだとかエージェントだとかの業界用語を面白おかしく解説していて,どちらかと言うと広告業界を茶化している感じです。さて彼らが打ち出した村おこし策は馬鹿馬鹿しい物なのですが,やっている当人達が真剣なだけに面白さが感じられます。でも最後の部分がちょっと納得いかないんです。少なくともキャスターの結婚話は余計な感じで,もう一つのオチに厚みを持たせた方が,余韻が広がって良かった様に思えました。しかし実際の話この村おこしって数年前に流行ったと思いますが,成功したところって一体どれだけあるんでしょうか。またオロロ豆と言うのは実在するんでしょうか。気になりました。

 

「被告A」 折原 一  2003.10.02 (2003.09.10 早川書房)

☆☆☆

 杉並区を中心に起こった連続殺人事件は,犯行現場にトランプが置かれていた事から,「ジョーカー殺人事件」と呼ばれていた。この事件の容疑者として田宮亮太と言う男性が警察に捕まった。しかし荻窪署の北沢刑事の取調べに対して,田宮は必死に無罪を主張した。一方,教育評論家の浅野初子の元にジョーカーと思われる男から,息子を誘拐したとの電話が入った。警察に届けられず,別れた夫も当てにならず,彼女は一人で犯人と取引しようとしていた。

 容疑者として捕まった田宮亮太に対する取調べから裁判,そして誘拐犯に翻弄される母親。二つの出来事が事件の当事者の視点で繰り広げられます。折原さんですから当然叙述トリックですよね。二つの出来事の時間的な関係,名前が明らかにされない初子の息子は誰なのか。読みながら色々考えてしまいます。と同時にいつもの事ですが,折原さんの作品に登場する人物の不自然さが鼻に付きます。亮太にしても初子にしても現実的にはこんな行動は考えられないし,大体あの裁判の描写なんてどう考えてもおかしいですよね。まあ社会派ミステリーじゃ無いんだからいいのかと思っていたんですが,こう言う事だったんですか。全く判りませんでした。でも折原さんにしてはスッキリしている方でしょうか。夢の中の出来事の様な描写が途中にはさまるんで,実は倒錯シリーズの様な“アレ”かとも思ったのですが,そちらは杞憂に終わりました。

 

「追憶の猫」 太田 忠司  2003.10.03 (2003.07.25 実業之日本社)

☆☆☆

@ 「高台の家」 ... 姉の結婚に反対する弟からの依頼。姉の婚約者に問題は無かったが,調査報告書が改ざんされていた。
A 「淡彩の庭」 ... 写真に写された一枚の絵。この絵を描いた作者に関する事の全てを知りたいと言う資産家からの依頼。
B 「追憶の猫」 ... 20年前に父と離婚した母を捜して欲しいとの依頼。彼女は母親と写っている一枚の写真を持っていた。
C 「天上の花」 ... 結婚を決意した涼子が調査の対象に。しかし彼女を追っていた調査員が殺された。

 藤森涼子シリーズの4作目なんですが,3作目の「遊戯(ゲーム)の終わり」を飛ばしてこちらを先に読んでしまいました。その間彼女が勤める一宮探偵事務所では,所長の一宮が病気で入院し所長を辞める決意をしています。そして高見が所長代理となっているのですが,涼子と高見はことごとく意見が対立します。涼子も探偵を続けるのか辞めるのか悩んでいるんですが,そんな中かつて知り合った刑事の土岐と親しくなっていきます。霞田志朗にしても狩野俊介君にしても,太田さんの描く探偵は皆悩んでいますね。関係の無い他人の真実を白日のもとにさらしてしまう悩み,そしてここでは37歳独身の涼子にとっての人生の岐路にぶつかっての悩みも加わっています。それぞれの事件と言うか調査のところよりも,彼女の生き方の部分が読みどころなんでしょう。早く続きを読みたくなるラストがいいですね。

 

「なかよし小鳩組」 荻原 浩  2003.10.06 (1998.10.30 集英社)

☆☆☆

 別れた妻との子の早苗が,杉山のアパートにやってきた。新しい父親に馴染めない様子で,夏休みだったし元妻の許可も取ったので,しばらく二人での生活を送る事に。そんな杉山の勤めるユニバーサル広告社は,社員数名の零細企業。最近全く仕事が無く,会社は倒産の危機に喘いでいた。そこに舞い込んだ小鳩組のCIの仕事。建設会社だと思い込んでいた小鳩組は,実はなんとヤクザだった。

 「オロロ畑でつかまえて」に登場したユニバーサル広告社が中心になる話で,いわば続編なのですが牛穴村は出てきません。さてヤクザ組織のCI(コーポレイト.アイデンティティ=企業イメージ戦略)と言うのが面白い。そして何と言っても登場人物の描写がいい。ユニバーサル広告社の石井社長,コピーライターの杉山,デザイナーの村崎,アルバイトの猪熊,そして小鳩組の河田ら,さらには杉山の娘の早苗。前作にもちょっと登場してきたこの早苗なんですが,「もっちロンドンパリ」何て言ったりして,少々作者の受け狙いのあざとさが見え隠れするのが気になります。でも可愛いからいいっか。まあ全体的にニヤっとさせられたり,ホロっとさせられたりする話で,読後感はいいですよ。このシリーズはこれで終わりなんでしょうか。だったらちょっと残念です。

 

「銀扇座事件」 太田 忠司  2003.10.08 (1999.05.31 徳間書店) お勧め

☆☆☆☆☆

 石神探偵事務所を訪れた男は,百嶋美也子の顧問弁護士の中垣と名乗った。百嶋美也子は20年前の28歳の時に,突然謎の引退をした大女優だった。このたび20年振りに舞台に復帰する事になったが,何者かから脅迫状が届けられた。復帰の舞台は引退前の最後の舞台となった,この町に古くからある銀扇座で,野上らに美也子の警護をして欲しいと言う依頼だった。

 狩野俊介のシリーズも本作で11作目となりましたが,今回はノベルズ版で上下2巻となっています。さてこの女優御一行が泊まる旅館が“幻竜苑”なのですが,シリーズ2作目の「幻竜苑事件」の舞台になった旅館ですよね。まあこの旅館自体はどうでもいいのですが,この作品に関しては上下巻と言うのがミソ。上巻を読み終わって唖然としました。事件はここで終わってしまうし,犯人は思っても見ない人物なんです。野上,俊介,アキの関係など,読んでいるうちから何か不自然さを感じてはいたのですが,これはどうしたっておかしい。下巻を読む前に上巻の冒頭部分,野上が石神法全に宛てた手紙を読み直してみたのですが,ここにかなり気になる表現が出てきます。もしかしたら,ひょっとしたら,これは一つのアレなんだろうか,と思いながら下巻に突入。うーん,本作はこのシリーズの中でかなり異色な作品ですね。シリーズ作と言うのを別にすれば,上巻だけの方が面白いかも知れません。一つ気に入らなかったのは最後の部分なんですが,あくまでも論理的に終わらせて欲しかったですね。“お勧め”にしてしまいましたが,前の10作を読んでから,この作品を手にとった方がいいでしょう。少なくても,シリーズの中で本作を最初に読むと,面白さが半減する様な気がします。

 

「遊戯(ゲーム)の終わり」 太田 忠司  2003.10.09 (2000.12.20 実業之日本社)

☆☆☆

@ 「翼なき者」 ... 母親から素行調査を依頼された大学生は,調査終了後に歩道橋から飛び降り自殺をしてしまった。
A 「犬の告発」 ... 自分の犬を盗られたと主張する男性からの依頼で,盗ったとされる男の犬を調査する。
B 「冷たい矢」 ... 素行調査をしていた男性が,アパートの自室で矢を背中に打ち込まれて殺されていた。
C 「孤愁の句」 ... 図書館の近くで携帯電話で話をしていた男。後で通りかかったら免許証が落ちていた。
D 「封印された夏」 ... この探偵事務所でかつて非常勤の職員をしていた男が亡くなった。そして彼からMOが送られてきた。
E 「遊戯の終わり」 ... 探偵事務所が強盗に襲われた。そして金庫の中に仕舞ってあったMOが盗まれた。

 名古屋にある一宮探偵事務所に勤める藤森涼子を主人公とする,シリーズ3作目。トリック云々よりは藤森涼子を言う女性が,探偵と言う仕事の中で出会った様々な人間との関わりの中で,彼らの行動や心理の謎を追及し,そして人間的にも探偵としても成長していく様子を中心に描いています。そんな彼女をサポートし的確なアドバイスをしていくのが所長の一宮和彦です。何でも自分の責任として抱え込んでしまう涼子と,それを諭す一宮と言うのが前面に押し出されているのがちょっと鼻に付くんですよね。せっかく探偵としていろんな事件に関わっているんですから,人の裏側に自然に入って行く展開の方がいい気がします。何か,「探偵ってこんなに悩みが多いんだぞー」と言うのばかりが目立ち過ぎ。

 

「翳りゆく夏」 赤井 三尋  2003.10.14 (2003.08.07 講談社)

☆☆☆☆

 大手新聞社の東西新聞社に新卒採用が決まった朝倉比呂子の父親は,20年前に起こった誘拐事件の犯人だと言う事が,週刊誌に報じられてしまった。その事により就職を諦めようとする比呂子を,東西新聞社では何とか入社させようと説得する。そして取材のミスによって閑職に追いやられていた梶に,20年前の事件の再調査を命じた。

 第49回江戸川乱歩賞の受賞作です。この賞の受賞作は本の先頭に著者近影が載るんですが,まずそれを見てビックリ。私と同い年の割には老けて見えるのはいいとして,自分の知り合いにソックリだったんですよね。実際には全くの別人だし,作品には全然関係の無い事です。さて,20年前の事件の詳細をはさみながら,現在の調査が進んでいく展開は,臨場感もあって引き込まれます。誘拐されたのが生まれたばかりの新生児で,身代金を要求されたのが誘拐の現場となった病院。そして犯人の二人組みは警察に追われる途中で交通事故死し,誘拐された子供は今もって行方不明のまま。20年後に犯人の娘が新聞社に採用された事から,過去の事件の真相が明かされていく。ストーリーは良く練られているし,登場人物の設定などもいい感じです。でもそれぞれの人の気持ちが伝わってこないんです。かつて記者として誘拐事件に関わった梶,何とか比呂子を入社させようとする社長や武藤達,行方の判らない子供の両親,そして当時事件に関わった様々な人達。色々なエピソードを持ち出して描こうとしているのは判るんですが,それが全く効果をあげていないし,わざとらしさを感じてしまいました。少なくとも,あの社主は不要。でもストーリーは本当にいいですよ。同時受賞した「マッチメイク」より,遥かに良かった。

 

「殺人の門」 東野 圭吾  2003.10.15 (1002.09.05 角川書店)

☆☆☆

 田島和幸が小学5年生の時,寝たきりだった祖母が老衰で亡くなった。それから暫く経って,祖母は息子の嫁に殺された,と言う噂が流れた。父が歯科医をしていた事もあって,裕福な生活をしていた和幸一家だったが,そこから歯車が狂っていった。母は離婚して家を出て行き,父は女に騙されて家を失った。小学生時代,友人がほとんど居なかった和幸だったが,一人だけ気の会う友達が居た。それが倉持修だった。

 『彼はいつも,私が安住の地――たとえ一時であっても心身を休められる場所を確保した時に現れる。そしてそこから私を引っ張り出し,奈落の底に突き落とすのだ』。目一杯暗い話です。騙されて小遣いを失い,好きになった女性は奪われ,悪徳商法の片棒を担がされ,といつも和幸は倉持によって不幸にさせられます。嫌な話だなあと思いつつ,優柔不断で間抜けな主人公の,どうしようもないグチを聴かされている感じもします。ここまで悪意に満ちた相手でなくても,誰にだって相性の悪いと言うか,嫌な思いをさせられる相手っていますよね。私にだっています。殺してやりたいと思う事もあります。でも普通の人は殺人を犯したり,具体的な計画したりする事は少ないですよね。確かに殺人事件は良く起こっています。でもそれは,カッとなって思わず殺してしまったりとか,利害関係のもつれとかが圧倒的に多いですよね。恨みから殺意を抱いて,その気持ちを持続させ,そして殺人に至る門は,とてつもなく高い気がします。ここでの和幸でさえ,何度か殺意を抱くのですが,丸め込まれたり事情が変わったりで中々実行には至りません。その最後の一線を越える物と言うのが,この作品のテーマなんでしょうが,読んでいて和幸って馬鹿だなあと思ってしまいます。関わらなければいいだけじゃない。ちょっと嫌な思いをするだけですもん。読後感はとにかく悪いです。でも唯一救いなのは,和幸と言う主人公を,感情移入しにくく描いている点でしょうか。それにしても悪意の描き方が上手いですね。関口美晴なんて,ほれぼれとしてしまいました。

 

「向う端にすわった男」 東 直己  2003.10.16 (1996.09.10 早川書房)

☆☆

@ 「向う端にすわった男」 ... 「ケラー.オオハタ」で一人で飲んでいたら,先代のマスターを知っていると言う男がやってきた。
A 「調子のいい奴」 ... 札幌のメディアに革命を起こすと言う元商社勤務の会社社長。彼を調査するためにこの会社に入社。
B 「秋の終り」 ... 知り合いの客引きから,ある女を助けたいとの依頼。彼女は小学生時代の同級生だと言う。
C 「自慢の息子」 ... 妻と息子を捨てた男が札幌の街に戻ってきた。息子が大学に合格したのを知ったと言う。
D 「消える男」 ... 詐欺を繰り返す男から嫌がらせを受けた男は,何故か警察に相談しに行こうとはしなかった。

 札幌の街を舞台に探偵と言うか便利屋を営む“俺”のシリーズですが,シリーズ4作目にして初めての短編集。と言っても「調子のいい奴」は中篇です。このシリーズって“俺”をはじめ彼を取り巻くいつものメンバーがいいんですよね。勿論,桐原をはじめ,高田も松尾も登場はしてくるんですが,絡みが少ないのがちょっと残念。同シリーズの長編に比べて,やや軽く感じられてしまうのですが,同じ軽くするんだったら,表題作の「向う端にすわった男」の様なオチがいい様な気がします。結構ずっこけて面白かったんですけどね。中篇の「調子のいい奴」は,シリーズの長編作に近い感じでいいですね。結論としては,やっぱりこの作者,長編の方が面白い。

 

「久遠堂事件」 太田 忠司  2003.10.17 (2000.12.31 徳間書店)

☆☆

 アキが学生時代に通っていた塾教師の中井田からの依頼は,失踪している父親を探して欲しいと言う内容だった。彼の父親は一代で大会社を作り,経営を親族に譲った後は西巻村で隠遁生活を続けていた。その間,莫大な資金を投じて巨大な釈迦涅槃像を作った後に謎の失踪を遂げていた。そして中井田の兄が涅槃像の中にお堂と宿坊を作り,その披露が行われる事になり,俊介と野上は現地に向かった。

 シリーズ12作目で,現時点では最新作です。1作目の「月光亭事件」が出たのが1991年ですから,10年も続いているシリーズなんですね。さてこのシリーズは不思議な建物が謎の中心になる物が多いのですが,「銀扇座事件」など最近ちょっと違う方向に進んだりしていました。今回は山の中腹に作られた巨大な涅槃像,そしてその中にさらにお堂と宿坊が作られた場所が舞台となっており,さてここにどんな仕掛けがあるんでしょうか,と言った感じです。でもはっきり言ってこれだけの舞台が全く活かされていないですよね。犯人にしたって,いきなり唐突にある人物が出てきたりして。そりゃあ確かに伏線はありましたが,何か納得できませんでした。

 

「コールドゲーム」 荻原 浩  2003.10.20 (2002.09.15 講談社)

☆☆☆☆

 高校野球地区予選の2回戦でコールド負けをして野球部を引退した渡辺光也は,中学時代の同級生の亮太から呼び出された。当時のクラスメートの弘樹が何者かに襲われたと言う。その直前,弘樹のもとに犯行を予告するメールが届けられていた。その文面から犯人は,当時「トロ吉」と呼ばれ,クラスで虐めの標的となっていた廣吉剛史と思われた。そしてその後,彼を虐めたクラスメート達が次々と襲われ,そして遂には死者まで出てしまった。

 ミステリーとしては謎が無いし,ホラーにしては怖さを感じないし,サスペンスとしては迫力不足だし,青春小説にしては恋愛の話も絡んでこないし。何か中途半端な感じで前半を読んでいたのですが,それにしては話に引き込まれるんですよね。それは,「こう言う事ってあるかも知れない。」と思うからなんでしょうか。中学高校の頃の4年間何て,一人の人間を大きく変えるには充分過ぎる時間です。虐めていた頃のイメージしか持てない光也達と,化け物の様に変身して復讐を続けるトロ吉。私は虐めの被害者にも加害者にもなった事はありませんが,虐められた者の気持ちがひしひしと伝わってきます。そして遂に死者が出てからは,前半の中途半端さは消え一気に物語は盛り上がり,衝撃的なラストに向かいます。「コールドゲーム」ってプロ野球では雨によるものくらいしかありませんが,高校野球の予選なんかでは結構多いですよね。詳しいルールは知りませんがイニング数と点差によって途中で試合を打ち切るわけです。何か「もうこれ以上試合を続けても時間の無駄。」と言っているようで,やっている選手にとっては残酷な気がします。そして結末を読んで,この「コールドゲーム」と言うタイトルには考えさせられます。虐めと言う,している方からすると大した事の無い行為が持つ,本当の残忍さを痛感します。

 

「母恋旅烏」 荻原 浩  2003.10.22 (2002.04.01 小学館)

☆☆☆

 元大衆演劇役者の花菱清太郎の一家6人は,キャンピングカーに乗って一人の老人宅に出掛けた。その老婆の前で偽りの家族を演じる為に。しかし母や子供達の評判はいいものの,清太郎にはクレームばかり。派遣先の評価も低く,遂には清太郎自らレンタル家族派遣業を始める事に。今までも何度か会社を興しては潰してきた清太郎だったが,今度の事業も苦難の連続だった。

 『ぼくは思った。うちの家族がいつも営業中だったらいいのにって』。調子のいい清太郎,優しい母,引っ込み思案の長男,気の強い長女とその娘,そして語り手である次男の寛二。寛二のこの言葉の様に,仕事の上では仲のいい家族を演じている花菱一家なんですが,実際には家族はバラバラ。でも家族なんてのは永遠の物ではなく,いつかは離れていってまた別の家族が出来て行くものです。ここでは家族の崩壊ではなく,個人の成長と家族の再生の物語として描かれているのがいい。レンタル家族と言う偽りの関係は,彼らや我々が持っている理想の家族の姿なのでしょうか。語り手は基本的には寛二なのですが,寛二と言うある意味で特殊な人間を語り手にしているところが効果を挙げています。「ひゃくごうえ」のところは,電車の中で読んでいて吹きだしてしまいました。また部分的にそれぞれの視点で語られて行くのも上手さを感じます。そこで語られるいくつものエピソードや,それによって浮かび上がってくる一人一人の姿が印象的です。

 

「海の稜線」 黒川 博行  2003.10.23 (1987.04.20 講談社)

☆☆☆☆

 高速道路を走行中の車が突然爆発炎上し,車の中からは男女二人の焼死体が発見された。車の持ち主から亡くなった二人の身元は判ったが,彼らの戸籍等は全てデタラメで,本当の身分は判らなかった。そんな中,容疑者として浮かんだ男も,住んでいたアパートで焼死体で見つかった。捜査に当たった大阪府警の刑事,文田と総田,そして東京出身でキャリアの萩原らは,お互いに反発し合いながらも,謎の海難事故に行き着いた。

 主人公は若手刑事の“ブン”こと文田とベテラン刑事の“総長”こと総田,そして彼らの上司にあたる東京出身でキャリアの萩原警部補。ベテランと若手,キャリアとノンキャリア,そして大阪出身と東京出身。この3人のギクシャクした関係が面白い。黒川さんの作品ではクロマメ.コンビが有名ですが,ブンと総長の二人も,クロマメに負けず劣らず活き活きとしています。そこにエリート警部補が絡んでくるんで更に面白さが加わってきます。この3人の関係は魅力的なんですが,まずこの作品のいいところは,偽装された海難事故に関する謎の部分ではないでしょうか。新造船の権利だとか海難事故に関する保険金だとか,あまり一般的ではない話も興味深い。そして船にまつわる話の中から3人が事件の真相に迫っていく過程も自然で,二転三転する事件の展開は読み応えがありました。でも3人の個性が強過ぎるのが,逆に謎解きの部分をかすませてしまっている気がします。事件の凄惨さと登場人物の軽さのバランスの問題なんでしょうか。それと東西文化の比較は,別の場所でやって欲しかったですね。

 

「競作 五十円玉二十枚の謎」 若竹 七海  2003.10.24 (1993.01.29 東京創元社)

☆☆

 若竹七海さんがかつて本屋でレジのアルバイトをしていた時の話。ある土曜日にやってきた男の客が,50円玉20枚を千円札に両替して欲しいと言ってきた。そしてその客は次の土曜日も同じ様に両替に訪れ,それは毎週土曜日続いて行った。どうやって1週間に50円玉を20枚貯めるのだろうか,何故本屋で両替をしていくんだろうか。

 若竹さんがかつて経験した謎の答えを,プロの推理作家とアマチュアの方13人が推理をすると言う企画。プロ側は法月綸太郎氏,有栖川有栖川氏,黒崎緑氏等など。アマ側の一人が後の倉知淳氏で,これがデビュー作(?)で,猫丸先輩が出てきたりします。さて皆さんどの様な解答を出してくれるのか期待して読んだんですが,はっきり言って期待はずれ。「お見事!」と快哉を叫ぶ様な解答が無かった気がします。ちょっと問題が難し過ぎたんでしょうか。そんな中で最後に登場した漫画家のいしいひさいち氏の作品が秀逸。当然漫画でこの謎を解いているんですが,たった1ページの中で見事な解答を出してくれています。この1ページの漫画を小説として表現すると,一体どのくらいのページ数になるんでしょうか。漫画と言う表現方法の素晴らしさを再認識させられます。それにしてもこの謎は実際に若竹さんが体験した事だそうですが,一体何故その時その客に疑問をぶつけて見なかったんでしょうか。若竹さんの顔を写真で見る限り,気が弱くて聞けなかった,って事は無い様に思えるんですが。

 

「船上にて」 若竹 七海  2003.10.24 (1997.03.05 立風書房)

☆☆☆

@ 「時間」 ... 学生時代に好きだった女性が亡くなった事を聞いて,7年振りに大学にやってきて再会した彼女の友人。
A 「タッチアウト」 ... 1ヶ月後に結婚を控えた女性の部屋に突然入ってきた男は,彼女の妹の同級生だった。
B 「優しい水」 ... 目を覚ましたらビルとビルの間の狭い路上に横たわっていた。何があったのか必死に思い出そうとした。
C 「手紙嫌い」 ... 病的に手紙嫌いの女性がどうしても手紙を書く必要に迫られた。彼女は手紙の文例集を読み始めた。
D 「黒い水滴」 ... 別れた元夫の死の知らせを聞いてイギリスから戻ってきた女性。義理の娘に父殺しの容疑が掛かっていた。
E 「てるてる坊主」 ... 友人が自殺した旅館の部屋を訪れた女性。夜中に彼女が見た窓の向うに見た物は。
F 「かさねことのは」 ... 知り合いのカウンセラーから見せられた手紙。そこに出てくる5人のうち,一人が事故死,一人が殺されたと言う。
G 「船上にて」 ... フランスに向かう豪華客船の中で知り合った男性は,宝物のナポレオンの頭蓋骨が盗まれたと言った。

 若竹さんの短編って何作か読みましたが,皆連作のかたちになっているんです。本当の意味での短編集って初めて読みました。どの話も若竹さんらしく毒があると言うか,暗い結末を持った話です。表題作の「船上にて」だけちょっと雰囲気の違う話なんですが,「名探偵は密航中」「海神(ネプチューン)の晩餐」を彷彿させる作品で一番のお気に入り。「手紙嫌い」は話そのものよりも,手紙の文例が面白かった。「かさねことのは」は実は良く判らなかったのですが,じっくりと読んだ方がいいと思います。

 

「ハードボイルド.エッグ」 荻原 浩  2003.10.28 (1999.10.20 双葉社)

☆☆☆

 フィリップ.マーロウに憧れて,英会話の教材セールスの仕事を辞めて,私立探偵となった最上俊平。でもたまに舞い込んで来る仕事は,迷子になったペット探しばかり。猫や犬やイグアナの捜索を続ける毎日だったが,ある日思い立って秘書を募集する事に。当然ダイナマイト.ボディの若い女性を期待していた。そして募集のチラシを見て電話を掛けてきたのは,片桐綾と言う一人の女性だった。

 ハードボイルドの作品では,レイモンド.チャンドラーやロス.マクドナルドが引き合いに出される事って多いですね。海外の作品って全く読まないので,彼らの作品も当然読んだ事は無いのですが,あまりにも良く出てくるんで,読んだ気になってしまいます。さてここでもチャンドラーの作品に出てくるフィリップ.マーロウに憧れて私立探偵になった男の話です。しかし理想とする小説の世界とは全く違い,ペットの捜索ばかりなのが現実。樋口有介さんの「木野塚探偵事務所だ」を思い浮かべてしまいます。ちょっとありがちな設定なのですが,この作品の大きなポイントは秘書の片桐綾でしょうか。彼女がどういう女性かは読んでからのお楽しみ。犬猫探しの面白おかしい路線かと思いきや,途中からシリアスな路線に転換します。でもちょっと犯人の設定がいただけないのと,ホロリとさせるはずの最後もイマイチ。同じく理想と現実のギャップを味わっているマスターの“J”や,ホームレスのゲンさん等のキャラクターはいいんですけどね。

 

「たまご猫」 皆川 博子  2003.10.28 (1991.05.07 中央公論社)

@ 「たまご猫」 ... 夫とほぼ別居状態だった姉が自殺した。妹がちらかった彼女の部屋から不思議なガラス細工を見つけた。
A 「をぐり」 ... 旅行中に見掛けた川の上で生活する人達。その川の岸辺の石段に座っていた一人の男性が気に掛かった。
B 「厨子王」 ... ベッドに寝ている女性に,警察官と思われるその男は彼女の弟の事についていろいろと訪ねてきた。
C 「春の滅び」 ... 叔母はこの7年間に7人を殺したと言った。そして今年も3月4日に8人目を殺しに旅に出掛けて行った。
D 「朱の檻」 ... 旅のエッセイを書くために泊まった旅館には座敷牢があり,彼女は一晩その中に泊まってみた。
E 「おもいで.ララバイ」 ... 新婚旅行で訪れた山間のペンション。妻はかつてそこにきた事がある事に気が付いた。
F 「アズ.タイム.ゴーズ.バイ」 ... 学生時代のジャズバンドのメンバーが集った同窓会。かつてのメンバーの息子がやってきた。
G 「雪物語」 ... 客が一人しかいないバーに常連客の女性がやってきた。彼女は手編みのセーターを着込んでいた。
H 「水の館」 ... アイドルグループのメンバーの一人が突然に失踪。彼は故郷の水族館に出掛けると言っていた。
I 「骨董屋」 ... たまたま入った骨董屋。その主人は彼女を知っている様子だったが,彼女には人違いとしか思えなかった。

 初めて皆川さんの作品を読んだのですが,どれも不思議な気分を味あわさせる作品です。ホラーと言うのではなく,日常生活の中にさり気なく存在する異世界と言ったらいいんでしょうか,ふと夢か現実か判らない世界に溶け込んでしまった様な感覚なんでしょう。でも何か読み難かったんですよね,ちょっと文学的過ぎて(?)。私みたいにパッパパッパと読んでしまう読者には合わないのかも知れません。じっくり読むとまた違った印象を受けるんではないでしょうか。この10作の中では最後の「骨董屋」が一番怖くてショッキング。昔の自分を知っている様子の相手との,噛み合わない会話。そして骨董屋の女主人が言った最後の一言。じわっと来る怖さを味わえます。

 

「1985年の奇跡」 五十嵐 貴久  2003.10.29 (2003.07.25 双葉社) お勧め

☆☆☆☆☆

 都立小金井高校野球部は,未だ1勝もしていない弱小チームだった。部員は9人しかおらず,狭い校庭も週3日しか使えず,部員は「夕焼けニャンニャン」見たさに早々に帰宅してしまう。夏の甲子園大会予選を控えたある日,沢渡と言う一人の転校生がやってきた。彼は野球の名門校のエースだったが,肘の故障もあって転校してきたと言う。しかしある出来事をきっかけに彼が投げられる事が判り,沢渡の活躍で小金井公園高校は予選を勝ち続けて行った。しかしあと一歩で決勝と言うところで,ある事件が起こった。

 ホラー,ミステリ,時代小説に続いて,今度は青春小説ですか。本当に色々なジャンルの作品を書くんですね。1985年と言うと,グリコ.森永事件のキツネ目の男の似顔絵が公開され(1/10),つくばで科学万博が始まり(3/16),NTTとJTができ(4/1),豊田商事の永野会長が刺殺され(6/18),神田正輝と松田聖子が結婚し(6/24),日航ジャンボ機は御巣鷹山に墜落し(8/12),ロス疑惑の三浦和義が逮捕され(9/11),夏目雅子さんが27歳で亡くなり(9/11),そして21年振りに阪神が優勝(10/16)した年で,こうやって見るとあわただしい1年だったんですね。さてそんな中で青春している高校生達を描いた本作ですが,別にスポ根小説ではありません。超管理主義の学校に反旗を翻す訳でも盲従する訳でも無く,勉強も野球も適当にやって,おニャンコの誰がいいかで取っ組み合いの喧嘩をしたりする,普通の高校生達の物語です。そんな彼らが起こす奇跡は,ありがちな展開ながらも,野球部員,クラスメイト,そして女子高の生徒達が活き活きとしていて気持ちがいい。敵役の中川校長のキャラが効いているのも大きいですね。特に1985年と言う年に特別な意味は感じられませんが,何か当時の様子を表現しようとする部分が目立ち過ぎるのが少々難。あと,あのエピローグは要らないんじゃないでしょうか。でもグイグイ読ませる力はさすがです。