読書の記録(2005年 9月)

「ニッポン泥棒」 大沢 在昌  2005.09.02 (2005.01.15 文藝春秋社)

☆☆☆

 元商社マンの尾津君男は,勤めていた商社が倒産し,妻からは熟年離婚され,ハローワーク通いの日々を送っていた。そんな彼の元に水川と言う一人の若い男性が訪ねてきて,唐突な話を始めた。ハッカー集団が世界のあらゆるサイトに侵入し作り上げたソフトウェアの「ヒミコ」。それを開く鍵として指名されたのは,日本人の男女。その一人が「アダム」である尾津で,もう一人は佐藤かおると言う名の30代の女性だと言う。そんな中,昔の友人やヘッドハンティングの会社が尾津に接近してきた。

 ハッカー集団が世界中のあらゆるサイトに侵入して作成した,未来予測ソフト「ヒミコ」。このソフトウェアを巡る攻防が描かれます。セキュリティのキーとしてパーソナリティと言う概念を設定した事や,それに指名された人を主人公に起用したのが面白い。ハッカーをはじめ,諜報機関や元過激派などの怪しげな人物が入り乱れ,誰が味方で誰が敵なのか判らない展開もスリリング。最初は冴えない60代の失業男だった尾津が,徐々に存在感を増していくのもいい。でもこの様な話なのに,パソコンを全く理解していない主人公と言うのが,ちょっと違和感あるのと,「ヒミコ」と言うソフト自体リアリティ無いのが気になる。世界中のあらゆる人物の情報を集めただけで,未来予測ができるソフトなんて,あまりにもうそ臭いですもん。しかし日本の高度成長期に海外で活躍していた元商社マンの尾津が語る,自分の仕事観や現代の風潮に対する批判などに重みを感じました。

 

「パンドラ’Sボックス」 北森 鴻  2005.09.05 (2000.06.25 光文社)

☆☆☆

@ 「仮面の遺書」 ... クリスマスイブの晩に河原で焼身自殺した一人の画家。彼の作品の中に,彼の死の真相が込められていた。
A 「踊る警官」 ... 大阪府警に届けられた一通の手紙。それには女子高生を殺して古墳に彼女の死体と捨てたと書かれていた。
B 「無残絵の男」 ... 彫り師の仕事場で見つかった首吊り死体。留守番をしていた弟子の自殺死体だと思われた。
C 「ちあき電脳探てい社」 ... 校舎の裏の開かずの倉庫で目撃された幽霊。さっそく子供達の推理合戦が始まった。
D 「鬼子母神の選択肢」 ... 観光客もほとんど訪れない京都のお寺が急に大盛況。新聞に載ったコラムが原因だった。
E 「ランチタイムの小悪魔」 ... 無くなったスポーツ新聞のオリジナル。そしてお弁当を食べたOLが突然倒れた。
F 「幇間二人羽織」 ... 上尾から江戸に商いにやってきた男。ちょっと吉原見物に出掛けようとしたのだが。

 短編集なのですが一風変わっているのは,作品の間にエッセイがはさまっている事。デビューしてからの幾つかの出来事が語られていきます。フィクションとノン・フィクションを織り交ぜた事による面白さは感じませんでしたが,作品の方はバラエティに富んでいます。時代物あり,子供向けあり,そして「支那そば館の謎」に登場してきた有馬次郎も登場します。作品の中では,手紙と会話文だけで語られる「踊る警官」が印象的か。また有馬次郎が出てくる「鬼子母神の選択肢」も,いかにも短編の名手と言った感じで良くまとまっています。2作に共通するのは,誰が手紙なり投書を書いたのかと言う事ですが,その謎だけに留まらない話の広がりがいい。でも時代物の2作はちょっと読み辛い感じがしました。それにしても作家のエッセイって,必ず締め切りに伴う悲哀が語られますね。

 

「担任」 新津 きよみ  2005.09.06 (2004.01.10 角川書店)

☆☆☆

 母親の介護のために客室乗務員を辞めて,臨時採用の教師となった34歳で独身の角松直子。埼玉県の小学校で4年生の担任になる事が決まったが,このクラスには1年前から行方不明になっている少女がいた。クラスの子供たちに溶け込んでいく直子だったが,空席になっている少女の机に,彼女の姿が見えるようになってきた。

 担任の教師にしか見えない一人の少女。ホラーとしての怖さは無いものの,なかなかのめり込めるストーリーです。彼女の表情を全く描かなかった事が,効果を上げている様に思えました。そして単なるホラーに留まらず,ミステリー的な解決に持っていったのもいい感じです。ただ彼女がかつて堕胎した子供の事とか,他の教師との対立とかの部分が中途半端になってしまった気がします。また,桐野夏生さんの「残虐記」でも感じた事ですが,実際に起こった悲惨な事件を想起させるのは,読んでいてあまり気持ちのいいものではありません。

 

「恋文」 連城 三紀彦  2005.09.08 (1987.08.25 新潮社)

☆☆☆

@ 「恋文」 ... 1歳年上のしっかり者の妻のもとを出て行った夫の行き先は,死を目前にしたかつての恋人のところだった。
A 「紅き唇」 ... 会社が倒産し妻は病死し自分も交通事故に遭った運の無い男。妻の母との生活が始まった。
B 「十三年目の子守唄」 ... 一人で料亭を切り盛りしていた母が,九州での団体旅行から,一人の男を連れて帰ってきた。
C 「ピエロ」 ... 「俺なら,いいよ」が口癖の夫。会社を辞めて妻の経営するヘアサロンの営業に励んでいた。
D 「私の叔父さん」 ... 郷里を離れ東京でカメラマンをしている男のもとに,交通事故で亡くなった従妹の娘がやってきた。

 第91回直木賞を受賞した表題作は,はっきり言って納得できませんでした。将一と郷子,そして江津子の3者の微妙な関係の描写は上手いと思いますが,自分の感覚からはずれている感じしかしません。と言うか将一は無責任とかだらしないと言った気持ちしか持てませんでした。まあ人と人との関係と言うのは,一概にどうのこうのと言えるものではありません。本人同士が良ければいいのかも知れませんが,そう言ってしまったら元も子もないですね。他の作品もそうですが,もし自分だったら相手に対してどの様な態度をとるだろうか,と思いながら読みました。それからすると,私が取るであろう行動とは全く違うのですが,彼らの気持ちも何となく判ります。それぞれの男女の人生の機微を感じさせる作品です。

 

「三匹の猿」 笠井 潔  2005.09.10 (1995.03.10 福武書店)

☆☆☆

 仕事も無く自分一人だけの探偵事務所で退屈な日々を送っていた,私立探偵の飛鳥井史郎。彼の元を訪ねてきた少女は,有美と言う名の17歳の少女だった。未婚の母に育てられた彼女は,母には内緒で自分の父親が誰なのかを調べて欲しいと言った。彼女の母の学生時代の友人を当たっていた飛鳥井は,有美が彼の元を訪れて以来,失踪してしまっている事を知った。

 私立探偵の飛鳥井史郎シリーズの第一作。笠井さんの作品はあまり読んでいないのですが,このシリーズは典型的なハードボイルドのシリーズです。少女の父親を捜す事から,少女そのものを捜す事に変わっていくのですが,ちょっとこのあたりはありきたりか。有美の母親の学生時代の仲間が全ての鍵になっているのですが,過去の学生運動に伴う彼らの行動が結末と並んで後味悪い。また冒頭で述べられる綾瀬での事件の事など,社会派っぽい主張は中途半端になっている気がする。飛鳥井の探偵としての変な拘りが無いのはいいと思うが,車は替えた方がいいんじゃないですか。

 

「ルパンの消息」 横山 秀夫  2005.09.12 (2005.05.25 光文社)

☆☆☆

 15年前に起こった女性教師の墜落死は自殺として処理されていた。しかし実は殺人事件であり,犯人は教え子の3人の生徒だと言うタレコミが警視庁になされた。時効まで24時間しか残っていない。捜査陣は,当時のツッパリ高校生から事情を急遽聞き始めた。それによると,女性教師が亡くなった晩に,期末試験の試験問題を盗む「ルパン作戦」が展開されていたと言う。

 今や人気絶頂の横山さんですが,本作はデビュー前に第9回サントリーミステリー大賞に応募し,佳作を受賞した作品だそうです。横山さんと言えば,警察内部の迫力ある描写が素晴らしいのですが,本作はちょっと軽過ぎる。話は15年前に起こった高校教師の自殺の真相を暴くものですが,当時高校生だった喜多らの述懐が中心となります。それも試験問題を盗み出す「ルパン作戦」と言う視点での回想なので,軽くなるのは当たり前か。時効まで24時間を切るという状況での,警察内部の緊張感も全く伝わってきません。と言うより警察の捜査がほとんど描かれる事無く,警察側は捜査に当たる溝呂木の推理が中心となります。まあ三億円事件を上手く取り入れたり,婦警の幸子の意外な正体が出たりと,ミステリーを主眼に置いた作品で,今の横山さんとはちょっと違う感じがします。

 

「いかさま師」 柳原 慧  2005.09.13 (2005.07.30 宝島社)

☆☆☆

 イラストレーターをしている高林紗貴は,入院している母の持ち物を整理している時に,一通の手紙を見つけた。それは30年前に謎の自殺を遂げた画家・鷲沢絖が,紗貴の母に宛てた遺言状だった。自分の描いた絵の全てを,紗貴の母であるナオと,自分の子供である紗貴に贈ると言う内容だった。紗貴の父親は鷲沢絖であるはずは無く,不審に思った紗貴は鷲沢邸に向かった。しかしそこにあるはずだった1枚の絵が無くなっている事に気が付いた。

 第2回「このミステリーがすごい」大賞の受賞作となった,デビュー作「パーフェクト・プラン」に続く第2作。前作は誘拐の話でしたが,今回は美術品を巡る遺産相続の話。全体的には読み易い文体でいいのだが,自殺した画家の鷲沢絖を中心とした姻戚関係が判り辛く感じた。ここのところをもう少しスムーズに描いて欲しい気がする。紗貴の母を狙う謎の男,紗貴自体に襲い掛かる人物,相続上ライバルにあたる青年,紗貴の恋人と行方の判らない父。こう言った登場人物による,騙し騙されの部分はなかなかスリリングでしたが,もう一つの謎である消えてしまった絵画の謎の方は,ちょっと霞んでしまった感じがしました。

 

「写楽・考」 北森 鴻  2005.09.14 (2005.08.20 新潮社)

☆☆☆☆

@ 「憑代忌」 ... 旧家に伝わる「御守り様」と呼ばれる人形の調査に向かった那智たち。翌日,人形は無くなってしまった。
A 「湖底祀」 ... 円湖の湖底に眠る江戸時代中期の神殿。地元の役場の研究者が独特な説を発表していた。
B 「棄神祭」 ... 那智が学生時代に行ったフィールドワーク。一人が殺された現場に,ミクニ等と再び訪れた。
C 「写楽・考」 ... 大胆な民俗学上の論文が発表された。それに伴って,一人の男が失踪し,那智等は事件に巻き込まれた。

 異端の民俗学者である蓮丈那智シリーズの3作目。現代に残っている事柄のみから,過去を推測していかなくてはいけない民俗学は,それだけでもミステリー。さらに現実に起こる事件がダブってくる訳ですから,なかなか複雑な話になってきます。いつもの那智とミクニのコンビに加えて,今回はもう一人の助手の佐江由美子や,大学の事務員である狐目の高杉さんまでもが大活躍。それにもうお約束なのかも知れませんが,冬孤堂さんも出てきます。大学内に伝わる都市伝説と憑代(よりしろ)の対比,神社の鳥居の持つ意味,破壊される神,等と言った民俗学の話も面白い。こう言った仮説や考え方って,何処までが学問上認められている事なんでしょう。北森さんの説って訳じゃないですよね。とにかく楽しめるシリーズなのですが,もう少し那智さんが柔らかい方がいい様な気がします。

 

「幻少女」 高橋 克彦  2005.09.15 (2002.01.25 角川書店)

☆☆☆☆

 「神社の教室」,「祈り作戦」,「電話」,「幽霊屋敷」,「恋の天使」,「明日の夢」,「機械室の夢」,「埋められた池」,「ありがとう」,「ミスター・ロンリネス」,「廃墟の天使」,「雪の故郷」,「正之助どの」,「ピーコの秘密」,「心霊写真」,「いたずら」,「百物語」,「不思議な卵」,「お化け屋敷」,「素敵な叔父さん」,「桜の挨拶」,「幻のトンネル」,「見るなの座敷」,「色々な世界」,「雪明かりの夜」,「大好きな姉」,「万華鏡」

 27編からなるホラー短編集です。「幽霊屋敷」は何かのアンソロジーで読みました。交通事故で亡くなった娘と思われる幽霊の噂を聞きつけた父親が,娘の幽霊に会いに出掛ける話ですが,意外な結末と相まってイチオシ。亡くなった母親の幽霊に助けられる「ありがとう」や,何故か納戸に出てくる母の幽霊の「見るなの座敷」など,親子を扱った作品が印象的です。ホラーと言っても,単に怖い,気味悪い,恐ろしいと言った話ではなく,意外な結末に驚かされたり,切なくなってしまったり,ホロリとさせられたりする作品が多い。一番短い話で3ページ程度なのですが,総じて短い話の方がインパクトがある様な気がしました。

 

「震度0」 横山 秀夫  2005.09.16 (2005.07.30 朝日新聞社)

☆☆☆☆

 阪神大震災が発生した1995年1月17日,神戸から700km離れたN県警本部では,春の定期異動案がまとまりかけていた。そんな中,県警本部警務課長の不破義人が行方不明になった。そして以前彼が警察署長をしていた東部署管内で発見された。県警内部の事情に精通し,人望も厚い不破が何故姿を消したのか。単なる蒸発なのか,それとも事件・事故なのか,マスコミに感づかれない様,慎重な調査が進められた。

 警察内部のドロドロとした人間関係がリアルに描かれていく。キャリア組の椎野本部長,冬木警務部長,準キャリアの堀川警備部長,ノンキャリアの藤巻刑事部長,倉本生活安全部長,間宮交通部長が,それぞれの思惑を賭けてぶつかり合う。警察内部での立場,出世争い,互いの意地とプライド,そこにホステス殺人事件,交通違反のもみ消し,選挙違反事件などがかぶさってきて,複雑な様相を呈する。登場人物一人一人のキャラクターもハッキリしているし,彼らの心情も明白で面白いのですが,如何せん複雑過ぎる気がする。警察内部の事情に疎い事もあるのだろうが,彼らの取る行動の意味が判らない部分も多い。しかし6人の中に明確な悪役は存在せず,皆自分の為にではあるが一生懸命なのが伝わってくるのがいい。でも,同時に起こっている阪神淡路大震災との関係などを考えると,同じ長編で同じく日航機墜落と言う大事故を扱った「クライマーズ・ハイ」と較べ,どうしても見劣りがしてしまうのはしょうがないか。それにしても,警察の上層部って本当にこんなのでしょうか。これじゃ本来の仕事ができないと思うのですが。

 

「梟の巨なる黄昏」 笠井 潔  2005.09.20 (1996.02.10 廣済堂出版)

☆☆☆

 40歳を過ぎても芽が出ない作家志望の布施朋之は,友人の作家である宇野明彦からの紹介で始めたアルバイトを首になってしまった。やけ酒の二日酔いで目覚めたホテルの一室で,1冊の本があるのに気が付いた。「梟の巨なる黄昏」と題されたこの本を,朋之はどの様にして手に入れたのか,全く覚えていなかった。それは異端の作家・神代豊比古が書いたとされる,手にした者を破滅させる呪われた書だった。

 第一章では朋之の視点で本を手に入れるまでが描かれ,第二章では朋之を見詰める妻の和子,第三章は朋之の友人で和子とも関係のある宇野明彦,そして第四章は大手出版社次期社長の阿久津理恵の視点となります。4人が関わる一連の出来事を,過去の描写を含めて,4人の視点で描いているのが面白い。そこにはそれぞれの事情や思惑,過去のいきさつが隠されており,意外な形で話は進行していきます。単に呪われた書物による悲劇の話なんだろうと思っていたのですが,なかなか凝った描き方になっていると思います。でもこの様な作品だからしょうがないのかも知れませんが,4人の登場人物は皆,嫌な奴ばかりですね。

 

「もうひとつの恋文」 連城 三紀彦  2005.09.21 (1986.07.15 新潮社)

☆☆

@ 「手枕さげて」 ... 酒場で2,3回話をしただけの女性が,枕を持っていきなり男の部屋に転がり込んで来た。
A 「俺ンちの兎クン」 ... 仕事や浮気に忙しく朝帰りが続いていたある日,息子が警察に補導された事を知らされた父親。
B 「紙の灰皿」 ... かつて有名だったと言う作詞家と暮らす事になった若い女性。何とか彼の再起を願った。
C 「もうひとつの恋文」 ... 酒場のカウンターで,7歳年下の男から見せられた,自分の妻に宛てたラブレター。
D 「タンデム・シート」 ... 6年前に借金を残して突然出て行った男が戻ってきた。そして3人の奇妙な暮らしが始まった。

 直木賞を受賞した「恋文」の姉妹編と言ったところでしょうか。そちらの話も理解し難かったのですが,こちらの方も私には判りませんでした。どう考えたって力雄の行動は図々しいし,そんな彼を受け入れる君夫夫婦の対応にもイライラしてしまいます。ひたむきとか純情とかとは,かけ離れている様にしか思えません。他の作品もそうですが,どうも登場人物の気持ちが判らない気がします。自分だったら絶対こんな事しないよなあ,と思ってしまいます。また5作うち3作が,主人公が誰かに語って聞かせる形をとっています。これもたまにはいいアクセントになると思うのですが,5作中3作は多過ぎ。

 

「幻日」 高橋 克彦  2005.09.22 (2003.10.20 小学館)

☆☆☆☆

@ 「鬼女の夢」 ... 子供の頃から自分に優しくしてくれた,亡くなった叔母の夢を見た。彼女はまるで鬼女の様な形相だった。
A 「ざくろ事件」 ... 入院患者の付き添いでやってきた男。子供の頃に入院した時,一緒に入院していた男だった。
B 「あいつ」 ... 病院長をしていた父親の関係で転校を繰り返していた少年時代。一人の女の子がやたらと突っかかってきた。
C 「夢見るビートルズ」 ... 高校を休学して従兄達と出掛けたヨーロッパ旅行。目的はビートルズに会う事だった。
D 「白い炎」 ... 大学受験の為に上京した弟は痩せ衰えていた。彼の友人の死が関係している様に思えてならなかった。
E 「幻日」 ... 浮世絵に関する本を出版する事になったが,その裏には父親の強力なバックアップがあった事を知る。
F 「ぬるま湯」 ... 江戸川乱歩賞受賞を目指し久し振りの執筆活動の裏には,妻の献身的な協力があった。

 作者の自叙伝的な作品なのでしょう。病院の経営者の父の家庭に生まれ,東北の町で過ごした少年時代から,作家デビューまでが描かれます。特に子供の頃を回想する作品が印象的でした。子供の頃,不思議に思っていた事って,それだけでミステリーであったりホラーであったりファンタジーであったりします。「鬼女の夢」での叔母や,「あいつ」での少女の当時の気持ちを,大人になってから何等かのキッカケで思い知るのは嫌なものでしょう。私もそうだと思いますが,子供なんて他人の気持ちを考える事なんてあまりないですもんね。「白い炎」はちょっと怖いですね。どこまでが事実なのか判りませんが,子を思う父親や夫に対する妻の愛情がストレートに伝わってくるのがいい。それにしてもビートルズに会ったって本当なのでしょうか。

 

「ニッポン硬貨の謎」  北村 薫  2005.09.24 (2005.06.30 東京創元社)

☆☆

 1977年,ミステリ作家でもある名探偵エラリー・クイーンが,出版社の招きで来日した。東京では幼児連続殺害事件が発生しており,彼はこの事件に興味を持った。その頃,大学のミステリ研究会に所属する小町奈々子は,アルバイトをしている書店で,50円玉20枚を千円札に両替していく男に遭遇していた。そんな彼女が「エラリー・クイーン氏を囲む会」に出席し大活躍し,氏の都内観光のガイドをする事になった。

 副題に「エラリー・クイーン最後の事件」とありますが,エラリー・クイーン未発表の遺作であり,日本を舞台にした国名シリーズを, 北村 薫が翻訳したと言う設定となっています。まあパスティーシュと言う事なんでしょうが,そもそも私は海外のミステリーを全く読んでいないので,面白さが判りませんでした。でもエラリー・クイーンのファンだったら,とてつもなく面白い作品なのかもしれません。私にとっては事件自体も平凡で緊張感も無く,訳者の注釈がやたらと鬱陶しい感じがしてしまいました。もう一つの50円玉20枚の方は,若竹七海さんの「競作五十円玉二十枚の謎」に対する一つの解答なのでしょうか。競作の方と同様,イマイチ納得性に欠ける感じでした。

 

「樹の海」 結城 五郎  2005.09.27 (2004.12.08 角川春樹事務所) お勧め

☆☆☆☆☆

 学生の頃に最愛の恋人を失った経験を持つ長谷純は,医者になった今も新しい恋人を作る事は無かった。父親が借金を残して亡くなり,母も寝たきりになってしまった事もあって,勤めている湘南慈愛病院での仕事に没頭していた。そんな時,矢田と言う末期癌患者が転院してきて,長谷は彼の主治医となった。猛烈な痛みに苦しみ,告知を迫る矢田。痛み止めの為の麻薬の使用を始め,治療方針に関して病院や家族との板ばさみに陥っていく。

 サントリーミステリー大賞を受賞した「心室細動」でデビューした結城さんですが,本作はミステリーの要素は全くありません。患者と医師,患者の家族と医師,病院経営者と医師とのやり取りが,迫力を持って描かれていきます。最後まで懸命な治療を望む息子と,病の苦しみからの解放を第一に考える娘との対立。保身を考える病院の経営者や,長谷に逆恨みする看護主任,そして矢田の娘・由里子に惹かれて行く長谷。そんな中で真摯な態度で患者や家族や病院に向き合う長谷がいい。その背後には恋人の突然の死,多額の借金を残して亡くなった父,寝たきりになった母を看病する兄夫妻があるが,この部分は少しアッサリ描かれる。これが効果的で,長谷の気持ちを読者に考えさせていると思う。後半になって安楽死を巡る騒動に巻き込まれ,ハラハラさせられる展開も,物語を多いに盛り上げてくれる。自分が患者だったら,自分が家族だったら,そして自分が医師だったら,といろいろ考えさせられました。

 

「星の証言」 夏樹 静子  2005.09.29 (1984.09.25 角川書店)

☆☆☆

@ 「暗闇のバルコニー」 ... 夜中に娘の部屋に忍び込もうとしていた婚約者を,泥棒と間違えて殺してしまった父親。
A 「親告罪の謎」 ... 夜中の公園で襲われた女性。同じ会社の社員だという相手の男は,理矢子の事務所を訪れた。
B 「黒白の暗示」 ... 理矢子が国選弁護人を引き受けたのは,彼女と同じ歳の女性が引き起こした殺人事件だった。
C 「沈黙は罪」 ... 池で溺死した主婦は,サキが住む団地の住人だった。帰り道に池の方から来た女性を目撃していた。
D 「相続欠格の秘密」 ... 亡くなった夫の父親の面倒を見続けた女性。義父は事故で亡くなったが,相続権は無かった。
E 「証言拒否」 ... 兄が殺害された現場から逃げ去った人影。証人として裁判に出廷した弟は,証言拒否を宣言した。
F 「被疑者へのバラ」 ... 強盗殺人の容疑で捕まった父親の弁護を頼みに来た息子。圧倒的に不利な状況だった。

 弁護士になったばかりの朝吹理矢子が入った事務所は,頼りになる所長の藪原,弁護士を目指す志郎,事務員のサキの小さな事務所。ここに様々な事件が持ち込まれ,藪原の助けを得ながら活躍する新人弁護士の理矢子の物語。弁護士の話らしく,正当防衛,親告罪,不能犯,不作為犯,相続欠格,証言拒否,弁護士のあり方と言った法律関連の話が,それぞれに判り易く描かれているのがいいですね。どの話もどんでん返しが決まっていて,最後の最後まで気が抜けない。本作はシリーズ作となっておりますが,同作者には女性検事・霞夕子のシリーズもあります。検事と弁護士と立場は全く違いますが,どちらも主人公に好感が持てるのもいい。