読書の記録(2003年11月)

「燃える蜃気楼」 逢坂 剛  2003.11.02 (2003.10.15 講談社)

☆☆☆

 1941年12月,遂に日本が真珠湾を奇襲し,太平洋戦争が始まった。第二次大戦中のスペインは,連合国にも枢軸国にも属さず中立を保っていたが,両陣営の間を揺れ動いていた。スペインで諜報活動を続ける北都昭平にとって,イギリスMI6支局員であるヴァジニア.クレイトンとの関係は微妙になっていく。そんななか北都は,アメリカ市民権を持つ杉原ナオミと言う女性と知り合った。

 「イベリアの雷鳴」「遠ざかる祖国」の続編です。第二次世界大戦中のスペインを舞台に,ドイツ,イギリス,アメリカ,そして日本のスパイ達の暗闘を描いているんですが,スパイ映画に出てくるような派手なシーンは無く,何か皆アッケラカンとした感じです。実際はこんなものなのかも知れませんが,一人一人の活動や思惑とは関係無く,世界が動いていくさまを描いている様に思えます。だから淡々と進んで行くんですよね。北都とクレイトンの恋の行方よりも,スペインをはじめとした各国の動きが中心になっています。もう少し登場人物の想いを前面に出して欲しい気がします。何か盛り上がりに欠けるなあ,と思っていたんですが,最後にきて一気に熱くなります。ジブラルタルで出会った女性の正体は誰なのか。でも後は続きをお楽しみに,と言った感じで終わってしまいます。何なんだ!この終わりかたは。

 

「存在の果てしなき幻」 司城 志朗  2003.11.04 (2001.01.30 光文社)

☆☆☆☆

 人材派遣会社社長の麻宮達彦の携帯電話に,部下から連絡があった。麻宮の9歳になる娘が事故で,病院に運び込まれたと言う。急いで病院に駆けつけたが,娘も妻も病院には居なかった。家に戻ってみると,妻の書置きが残されており,妻が家を出た事を知った。更に会社に戻ってみると,麻宮の作った会社自体が無くなっていた。

 主人公を突然襲う不可思議な出来事。最初の部分を読んで,「ゲノム.ハザード」を思い出してしまいました。まあこの謎はすぐに解けるんですが,さらに次の新たな謎が主人公を襲うと言った感じで進みます。娘の死,妻の家出,破産宣告,そして妻の失踪と,様々な苦難を抱え込んだ麻宮ですが,何とかそれを乗り越えようとする姿が緊迫感をかきたてます。もしかしたら自分が妻を殺したんではないか,と言う気持ちを持ちながら,必死に自分のアイデンティティを取り戻そうとする麻宮。サイコ.サスペンスの要素も強いのですが,登場人物らによる犯人探しが中心です。偶然知り合った夜也,友人であり弁護士の津久井,妻の友人の令子達がやたらと協力的なのが気になったんですが,謎と謎解きがバランス良く配置され,スイスイと読み進んでいきます。そして冒頭に描かれた襲撃シーンの謎が解けるあたりから,一気に犯行の全容が明らかにされます。ここらへんのテンポが良く,最後までダレる事無く読めるのがいい。

 

「暗闇のセレナーデ」 黒川 博行  2003.11.05 (1985.08.31 徳間書店)

☆☆☆☆

 美大生の美和は友人の冴子とともに,著名な彫刻家である加川昌に嫁いだ姉の雅子の家を訪れた。チャイムを鳴らしても応答が無く,不思議に思った二人が家の中に入っていくと,ガスが充満したアトリエの中で倒れている雅子を発見した。救急車を呼んだが雅子は意識不明の重体。昌の愛人問題に悩んだ末の自殺未遂なのか,それとも夫による殺人未遂なのか。そして東京に出張しているはずの,夫の昌の行方は判らなくなっていた。

 警察の捜査とともに展開される二人の女子大生による捜査。二人の女子大生と言うと,「キャッツアイころがった」がそうでしたっけ。この警察と,美和と冴子のコンビの対比がいいですね。科学的な警察と,感覚的な美和と冴子。黒川さんの作品に登場する刑事って関西漫才風の会話が面白いんですが,ここでは刑事達よりも二人の女子大生コンビの方に惹かれます。京都市立芸術大学彫刻科を出て高校の美術教師の経験もある黒川さんですが,さすがに美術関係の知識をふんだんに盛り込み,またその業界にうごめく人達の描写も真に迫ります。まあ美術関係の知り合い何て居ないので,本当の所は判りませんが説得力あるんですよね。後付けの密室やら彫刻の技術を使ったトリックも良く,話は二転三転して行きます。事件の展開もテンポ良く,登場人物の会話も軽妙で,とにかく楽しく読める作品です。

 

「探偵は吹雪の果てに」 東 直己  2003.11.11 (2001.12.20 早川書房)

☆☆☆

 チンピラとの喧嘩で怪我をした“俺”は,知り合いの病院に入院した際,20歳を過ぎたばかりの頃に同棲していた女性と偶然に再会した。彼女は死んだとばかり思っていたので驚いた。そんな彼女から俺は頼み事をされる。斗己誕町と言う田舎町に住む奥寺と言う人物に手紙を届けて欲しい,と言うものだった。俺はその手紙を持って斗己誕町に向かったが,前町長をしていたと言う奥寺は不在だった。

 便利屋シリーズなんですが,何と“俺”はいきなり45歳になっているんですね。春子との間には中学2年生の息子がいて,それも春子とは離婚している事になっています。さて偶然に再会した若い頃に同棲していた女性。それも自分のせいで死んだとばかり思っていた女性の登場です。まあ若い頃の女性にまつわる思い出って,結構引きずっている部分ってありますから,過去の清算と言う感じでしょうか。でも当時15歳年上だった彼女ですので,今は60歳。うーん,なんかちょっとおかしくないか。このシリーズって札幌の街を舞台にしていたんですが,今回は斗己誕町と言う田舎町が舞台です。今までは札幌の街の描写がとても活き活きとして良かったんですが,この町の描写は田舎町をかなりデフォルメしている様な感じがして,ちょっと嫌な感じ。シリーズキャラの桐原,松尾,高田もほとんど出番が無いのも何か物足りない。でも前町長を頂点とする異様なムラ社会,そんな中にいきなり飛び込む羽目になった“俺”の活躍は,相変わらずで面白い。

 

「龍時02−03」 野沢 尚  2003.11.12 (2003.09.30 文藝春秋社)

☆☆

 サッカー選手として単身スペインに渡った高校生の志野リュウジは,アランフェスのアトランティコからセビリアにあるベティスに移籍する。でもスタメンはまだまだで,ベンチ入りが出来たり出来なかったりの日々だった。そんな中,日本と韓国で行われたワールドカップも終り,ライバルチームに入団してきた韓国の選手と知り合う。そしてフラメンゴの勉強をしているマリアと言うポルトガル女性と一緒に暮らすようになった。

 前作の「龍時01−02」ではバルサ相手に初得点を挙げるところで終わったのですが,今回はいきなりチームを移るところから始まります。前作では気にもしていなかったのですが,タイトルに付けられた数字って,年号を表しているんですね。今回は2002年から2003年ですから,昨年から今年にかけて。日韓ワールドカップが行われて,スペインは不可解な判定で韓国に負けて,日本の監督にジーコ氏が就任します。その間をスペインで過ごすリュウジの苦闘が描かれて行きます。実在の選手も登場し,実際にあった出来事も紹介されます。それにしては臨場感も無く,何か淡々としていてドラマ性が薄いんです。最後に日本に帰ってくるところなんかはいいと思うんですけどね。まあサポーターやらダービーやらのスペインのサッカー事情は伝わってきますので,そちらの方が興味深いです。私もたまにテレビでリーガのサッカー見ますが,面白いですもん。バルサ!がんばれ。

 

「天窓のある家」 篠田 節子  2003.11.15 (2003.09.25 実業之日本社)

☆☆

@ 「友と豆腐とベーゼンドルファー」 ... ショーウィンドウに飾られたピアノが欲しかったが,主婦には手が出なかった。
A 「パラサイト」 ... 1年の半分はOL生活をし,残りの半年は好きな小説を書いている未婚の女性。彼女は親の寄生虫か。
B 「手帳」 ... 1冊の手帳に記された毎日のスケジュール。彼女はそれを見ると一日の全てが思い浮かんだ。
C 「天窓のある家」 ... 離婚して引っ越してきたアパートの隣の天窓のある家は,同級生が嫁いできた家だった。
D 「世紀頭の病」 ... 30歳を間近に老衰で亡くなる女性が多発。これは女性だけに起こる病気だと思われていたが。
E 「誕生」 ... 仕事に疲れて休んでいたホテルのベッドで感じた強烈な痛み。あの時自分は子供を産んだのだろうか。
F 「果実」 ... 体の不調を感じる様になった事から,今まで40年連れ添った夫と別れる決意をした妻。
G 「野犬狩り」 ... 久し振りに会ったかつてライバルだったシナリオライター。彼女は別人の様に変って見えた。
H 「密会」 ... 毎週水曜日に,実家で一人で暮らす母のもとに通っていることを,彼は妻に言い出せなかった。

 仕事や家庭に一生懸命に生きる女性の話なんですが,それが思いとは全く逆の方向へ行ってしまう話しが多い。自分の真っ直ぐな気持ちの裏にあるもう一つの思い。身勝手な夫に対するあてつけ,恵まれている友人に対する嫉妬,仕事に生きようとするあまりの焦りの気持ち,離婚後に知った夫の実像。そんな心の隅に追いやっていた感情に,真正面から向き合う主人公の心理が巧みに描かれているので,リアリティーを感じます。ですので,「世紀頭の病」「誕生」の様なホラーっぽい作品はちょっとどうでしょうか。ホロっとさせられる「果実」がお勧め。それにしても篠田さん,データ入力の仕事に偏見持ってますか。

 

「風紋」 乃南 アサ  2003.11.17 (1994.10.05 双葉社) お勧め

☆☆☆☆☆

 土曜日の午後,女子高校2年生の高浜真裕子が家に帰ったら誰も居なかった。父は昨日から明日までゴルフ,二浪中の姉の千種は外出,そして母の則子は真裕子の学校の父兄会に出掛けていた。外泊が多い姉はともかく,夕方には帰ってくるはずの母は,何故かその晩帰ってこなかった。そして月曜日になって,近くの工場の駐車場にカバーを掛けて停められていた車の中から,母の他殺体が発見された。警察の捜査によって,犯人はすぐに逮捕された。それは真裕子が通う学校の教師で,同じ学校に通っていた姉の元担任の松永だった。

 文庫版(上下)で1000ページもある長い作品で,普通の主婦が殺されて,犯人はすぐに捕まってしまうと言う,それ程ドラマティックな展開の話ではないんですが,凄く引き込まれます。被害者の娘の真裕子,犯人として逮捕された教師の妻,捜査に当たった警察官,新聞社の記者,裁判を担当する裁判官。いくつもの視点で描かれるのですが,被害者と加害者の家族の心情がリアルです。新聞には毎日の様に殺人事件の話が載っていますが,普通の人だったら誰だって自分や自分の家族が殺人の被害者になるなんて思ってもいないですよね。それと同時に自分の家族が殺人事件の容疑者として逮捕されるなんて考えている訳はありません。しかし突然訪れたマスコミ関係者や警察の人達によって,何も無かった日常は大きく変わってしまう。それとともに親戚の人達や近所の人達,そして学校の教師や生徒との関係も,今までのままではなくなって行ってしまう。こう言った部分の様子がとても見事に描かれています。後半は裁判を中心として話は進んでいくんですが,判決の行方が見えない事で緊迫感が加わってきます。東野圭吾さんの「手紙」は犯罪を犯した側の家族を描いて成功していますが,ここでは被害者と加害者両方の家族を描いているんで,ちょっとどっちつかずの感もあります。特に松永の妻の香織が嫌らしいんでイライラさせられます。それでも読み応えのある1作で,乃南さんの作品ではピカイチ。最近出た「晩鐘」がこの作品の続編だそうですので,そちらも読んでみたいですね。

 

「ドアの向こうに」 黒川 博行  2003.11.18 (1989.05.08 講談社)

☆☆☆☆

 工事現場に捨てられていた衣装ケースの中から,切断された人間の頭と足が発見された。頭は腐敗し,足はミイラ化していた事から,一旦は別々の場所に捨てられていたと思われた。この事件の捜査に当たった大阪府警捜査一課の総長とブンのもとに,今度は心中事件の知らせが入った。全く関係の無い事件だと思われたが,心中の現場となったマンションの部屋から,バラバラ殺人事件の新聞記事の切り抜きが見つかった事から,何らかの関係が考えられた。

 「海の稜線」に登場した総長とブンが再登場。前作では東京出身のエリート刑事が二人の間に入ってきましたが,今回は京都出身のエリート刑事の五十嵐が登場します。京都に対してあまりいい感情を持っていないブンは,何かと五十嵐と対立します。ここら辺の登場人物の描写は,前作同様に面白いですね。でもやはり物語自体がいい。二つの事件の繋がりや,何故この様な犯罪が起こったのかが中々判らない。それを茶筒の中の謎の金属や,首を吊ったロープ,送られてきた建築の専門誌など,様々な物証から推理していきます。そしてその推理も3人の刑事だけではなくて,総長の娘やブンの母親までもが絡んできます。さらに密室の謎まで飛び出してくるんですが,これも見事に解かれます。とにかく登場人物もいいし,物語のテンポもよく,楽しく読めるのがいいですね。でもこの作品が出てから14年も経っているのに続編が出ないと言う事は,もうこのシリーズは終りなんでしょうか。ブンにとって義理の父親となった総長とのコンビの活躍が見たかったので,それだけが残念です。

 

「駐在巡査」 佐竹 一彦  2003.11.19 (2003.09.30 角川書店)

☆☆☆

@ 「春の事件」 ... 河原に張られたテントの中から二人の死体が見つかった。男性は刺殺,女性は服毒死で,心中と思われた。
A 「夏の事件」 ... 神社の境内に男の首吊り死体。彼は長い間フランスに絵画の勉強に行っている,旧家の息子だと判った。
B 「秋の事件」 ... 村のキャンプ場にやってきた団体客。一棟のバンガローに泊まった3人の客が行方不明になった。
C 「冬の事件」 ... 20年振りに村に帰ってきた男が亡くなった。しかしその後に東京で起こった事件で彼の指紋が発見された。

 この作品が出版されたのが今年の9月末だったのですが,何と作者の佐竹一彦さんはこの1ヶ月後の10月27日に,54歳で急性心筋梗塞のためお亡くなりになったそうです。明治大学卒業後,警視庁の警部補を経て作家になられた異色の作家でしたが,警察官時代の経験を活かした作品を書いていた作家だったので残念です。お悔やみ申し上げます。さて遺作となってしまった本作は,妻がシックハウス症候群に悩んでいた為,環境のいい場所での勤務を望んでいた警察官の猪熊喜三郎を描いた作品です。人口600人あまりの,山に囲まれた山谷村の駐在巡査として赴任してきた猪熊は,そこで起こった事件に妻と一緒に取り組みます。田舎特有の濃密な人間関係や,街の刑事とのやりとりなどを,うまく取り込んだ作品となっています。でもちょっと妻の靖子が活躍し過ぎかな。のどかな村の駐在所の雰囲気に,ちょっと殺人事件は合わない気がします。

 

「石(チップ)の狩人」 香納 諒一  2003.11.21 (1993.07.20 祥伝社)

☆☆☆

 殺し屋の安本兄弟がターゲットの女性の部屋を訪れた時,彼女は既に殺されていた。さらに安本らに仕事を仲介した男も,同じ様に殺されてしまった。殺し屋としてのプライドを賭けて,事件の真相を暴こうとする安本兄弟。そんな頃,マタギをしている祖父が亡くなった事を,東京に暮らす妹に知らせようとした渡瀬由紀子。しかし妹の亜希子とは連絡が取れず,妹を探しに東京へやってきた。そしてひょんな事から安本兄弟と出会った。

 「時よ夜の海に瞑れ」に脇役として登場した,殺し屋の安本兄弟が今度は主役として登場します。謎の殺し屋の存在に迫る安本兄弟,妹の行方を捜すマタギの孫をはじめ,産業スパイ,身元を隠した女,公安の刑事,暴力団の組長,会社社長,そしてアイスピックを使った殺し屋と,いくつものストーリーが序盤で展開します。香納さんの初期の作品に良くあるパターンなんですが,この部分が読み辛い。何か次々と新しい人物が現れて,またそれがやたらと細切れに紹介されていくんで,頭が混乱してくるんですよね。でもそれが徐々に収束していって,コンピュータのチップを巡る陰謀と言う構図が浮かんできます。この様な話だと,利害関係,打算,裏切りなどによって,どうしても登場人物相互の関係が複雑になりがちなのは仕方がありません。しかし中心となる由紀子と安本兄弟の立場が一定しているんで安心して読めます。ちょっと視点が変わりすぎるのが気になるところ。香納さんの作品では「深夜にいる」の中の「道連れ」でもマタギの話が出てきましたが,後半の雪山での描写がリアルで印象的でした。

 

「虹果て村の秘密」 有栖川 有栖  2003.11.23 (2003.10.29 講談社)

☆☆

 刑事の父親を持つ上月秀介の将来の夢は,推理小説作家になる事。推理小説作家の母親を持つ二宮優希の将来の夢は,女刑事になる事。そんな二人の小学生が,優希の母親の別荘で夏休みを過ごすため,電車に揺られて虹果て村にやってきた。虹果て村は,虹にまつわる様々な言い伝えのある,のどかな村だったが,最近,高速道路建設で揺れていた。

 「かつて子どもだったあなたと少年少女のために」,と銘打たれた「講談社ミステリーランド」の一冊。高速道路建設の賛成派と反対派に揺れる村で起こった殺人事件を題材にしているんですが,探偵役が小学生なんで,全体的にホンワカした感じ。でも村に通じる道路が崖崩れでクローズドサークルになってしまうし,殺人事件も密室殺人。子供向けと言う一面もある作品なので,高速道路建設に伴う両者の意見など,かなり詳しく解説されています。でもちょっとここの部分,引っ張り過ぎかなあ。せっかくだったら主人公は,秀介(上月)君ではなくって,二郎(江上)君か英生(火村)君にした方が良かったかも。

 

「火の粉」 雫井 脩介  2003.11.26 (2003.02.10 幻冬舎) お勧め

☆☆☆☆☆

 一家3人殺人事件の被告の武内真伍に対し,裁判官の梶間勲は明確な証拠が無いとして無罪を言い渡した。警察の取調べでは自供したものの,裁判では犯行を否認していた武内の冤罪判決だった。その後退官して大学に勤め始めた梶間は郊外に家を買った。寝たきりの母親,司法試験を目指す息子夫婦との同居生活だった。そんな時,梶間家の隣に一人の男が引越してきた。その男は武内真伍だった。

 読んでいる最中,とにかく惹きつけられる話です。でも読んでいて決して楽しい話ではありません。裁判官として死刑判決に悩む梶間に始まって,新居に引越した梶間の家族の視点で物語りは進みます。寝たきりの義母の介護や小姑との確執に苦労する尋恵。そして3歳の娘の育児に手を焼く雪見。まずこう言った部分の細かい描写が,生々しくてとても素晴らしい。何か自分も梶間家の一員になってしまった感じがしてきます。そして隣に引越してきた武内が徐々に梶間家に入り込んできて,家庭の中で様々な異変が起こる部分は,ほとんど雪見の視点で語られます。彼女が感じている疑問や疎外感が上手く表現されていて,さらに物語りにのめり込んでしまいます。でもちょっと不満なのは,一家の長である勲と,息子の俊郎の存在感が全く感じられない事なのですが,家の中での男なんてこんなものかも知れません。やはり家と言うのは主婦の物なんだなあと思います。タイトルにある様に,日常を徐々に侵食していく火の粉の部分に関しては申し分ない。でもこの作品の持つもう一つの側面,つまり裁判官として人が人を裁く事の難しさ,こちらの方はやや中途半端な感じです。ですから最後の場面を裁判のシーンにした事が違和感を感じてしまいました。それにしても一気に読めてしまう話です。

 

「クライマーズ.ハイ」 横山 秀夫  2003.11.28 (2003.08.25 文藝春秋社) お勧め

☆☆☆☆☆

 群馬県にある地方新聞社の北関東新聞で記者をしている悠木和雄は,同僚の安西と谷川岳の衝立岩を登る計画を立てていた。会社を出て山に向かおうとしていた時,とんでもないニュースが飛び込んできた。羽田空港から大阪に向かった日航ジャンボ機が行方不明となった。それも飛行コースを大きく外れて,墜落現場は長野県と群馬県の県境らしい。地元の新聞社にとって大事件であり,悠木は全権デスクとして,この事件に取り組む事になった。一方,一人で谷川岳に向かったはずの安西は,何故か歓楽街で倒れ意識不明となって病院に運ばれた。

 1985年8月12日に起こった日航ジャンボ機の墜落事故は衝撃的でした。深い山肌をえぐった様な墜落現場,バラバラになった航空機の残骸,そしてヘリコプターに救助される生存者の姿。この作品は,そんな史上最悪の航空機事故を通して,自らの仕事に正面から向き合う事になった男の物語です。トクダネを追う記者,過去の栄光を引きずる上司,販売店や政治家への配慮。様々な社内の軋轢との戦いが,元上毛新聞社の記者であった横山さんによって,圧倒的な迫力を持って綴られていきます。横山さんの作品のイメージは,“動”か“静”でいえば後者だと感じていたんですが,ここではまったく違います。大事件の目撃者としての記者達の興奮がヒシヒシと伝わってきて,“クライマーズ.ハイ”ならず,さながら“読書.ハイ”の状態にさせられます。そして17年後の衝立岩登攀のシーンでは,もう一つ向き合わざるを得なかった家族の情景が描かれます。こちらは少々臭さを感じる場面も少なからずありますが,私も何度も目にした,土合駅下りホームの階段や,谷川岳の光景が目に浮かんできました。事件当時ではなくて,17年後を描いたところが効果的です。さらに忘れてはいけないのは,事故死したかつての部下の従姉妹の言葉に代表される,報道の本質を問う部分でしょう。とにかく,熱く,重く,深い1作で,今年読んだ作品の中ではベストかも。