読書の記録(2004年 5月)

「人形はライブハウスで推理する」 我孫子 武丸  2004.05.02  (2001.08.05 講談社)

☆☆☆

@ 「人形はライブハウスで推理する」 ... 突然におむつのもとを訪れた弟の葉月。彼は殺人の容疑者となってしまった。
A 「ママは空に消える」 ... 最近お母さんが迎えにこなくなった園児の一言。「お空の上のおばちゃんのとこに行ったの」。
B 「ゲーム好きの死体」 ... 朝永さんのファンの女の子の兄が殺された。部屋にあるはずのゲームソフトが消えていた。
C 「人形は楽屋で推理する」 ... 園児を連れて人形劇を見に行ったおむつ。園児の一人が居なくなった事に気がついた。
D 「腹話術志願」 ... 朝永のもとにやってきた腹話術師志願の男は,コンビニ強盗の容疑者として捕まってしまった。
E 「夏の記憶」 ... おむつが語る中学生時代の思い出。転校していった友達はおむつに偽の住所を教えていた。

 さて人形シリーズの4作目なんですが,前作の「人形は眠れない」から10年も経っています。後書きによりますと,最初の3作を出版した時,あまり反響がよくなくてやめていたものの,メール等で励まされたので再開したそうです。さてこの10年の間に腹話術の世界であった事と言えば,「いっこく堂」さんの登場でしょう。腹話術ってその存在は知っていても,なかなか見る機会がなかったので,彼の登場は良かったですね。巻末に我孫子さんと「いっこく堂」さんの対談が掲載されています。相変わらずホンワカした感じで物語りは進みますが,読みどころは奥手の二人の恋の行方か。作品では最後の「夏の記憶」がずば抜けていい。短い作品ですが,子供の頃の勘違いを綺麗に描き出しています。

 

「鴇色の仮面−新宿少年探偵団」 太田 忠司  2004.05.06 (1998.05.05 講談社)

☆☆

@ 「霧の恐怖」 ... 深夜に帰宅したサラリーマンが自宅マンション前で,首の骨を折られて殺された。事件を目撃した近所の住人によれば,殺された男は白い霧に包まれたと言う。そして次の事件は,蘇芳に呼ばれた少年達の目の前で起こった。
A 「鴇色の仮面」 ... マンションから飛び降りて亡くなった女性は,全身の血液が抜き取られていた。数日前に彼女の部屋を訪れた友人によれば,部屋に飾ってあった白い仮面が何故かなくなっていると言う。そんな中,美香は不思議な仮面屋と出合った。

 「新宿少年探偵団」シリーズの第5作目。今回は中編2作となっておりますが,内容的にはちょっとオカルト.タッチ。話が短くなった分,怪人のスケールや使われる異様な科学のスケールが,ちょっと小さくなってしまった感じ。話の方は相変わらずなんですが,何か蘇芳ばっかり活躍してしまって,肝心の4人の存在感が薄れてしまっている。まあその代わり今回活躍するのは警視庁ゲテモノチーム(?)の阿部北斗警部補。彼にまつわる謎が明らかにされるとともに,探偵団の6人と急接近して新たな展開に入ります。シリーズ通しての謎が現れたり解かれたりしますが,今回新たに提示されるのは,何故新宿だけで一連の不可思議な事件が起こるのかと言う事。まあこれは次回作で明らかにされるんでしょうか。ちなみに「鴇色」と言うのは初めて聞きましたが,淡い紅色だそうです。

 

「8の殺人」 我孫子 武丸  2004.05.07 (1989.03.05 講談社)

☆☆

 上空から見ると数字の8の字の形に見える家を建てた,建設会社社長の八須賀氏。この家の中である晩,長男の副社長がボウガンによって殺害された。その瞬間を娘とその友人が目撃していたが,ボウガンを撃った部屋には,屋敷の使用人の長男しかおらず,当然の如く彼に疑いの目が向けられた。事件の捜査に当たった捜査一課の速水恭三警部補には,その容疑者が犯人だとは思えなかった。

 我孫子さんの長編デビュー作ですが,同じ速水三兄弟が登場する二作目の「0の殺人」を先に読んでしまいました。でもかなり前に読んだので,内容等はほとんど忘れていました。主人公で刑事をしているのが長男の恭三で,次男の慎二が喫茶店のマスター,そして長女の一郎(いちお)が女子大生と言う兄弟なんですが,恭三が持ってくる情報を元に二人の兄妹が推理をするかたちになっています。この3人の会話が楽しいですね。長男は刑事とは思えないし,弟は冷静に推理していくし,妹は好奇心のかたまりだし。物語の方はユーモアを交えて進みますが,新たな事件も起こり謎も一杯です。なんとなくスイスイ読めてしまいますが,軽さの中にも見事なトリックで楽しめる1作です。でも密室講義はちょと鬱陶しかった。

 

「眠りの家」 大沢 在昌  2004.05.10 (1989.02.10 勁文社)

☆☆

@ 「一瞬の街」 ... 兄の死でブラジルから帰国した弟は,兄が埋葬されている六本木の小さなお寺を訪れた。
A 「ゆきどまりの女」 ... 拳銃は使わない事,そして殺す前にその女を抱く事,の二つが依頼人からの指図だった。
B 「人喰い」 ... 街中で知り合った女性から突然グアムに連れてこられた男は,ある男の殺害を依頼された。
C 「六本木怪談」 ... 六本木のディスコに幽霊が出ると言う噂。かつてその店で働いていた男と一緒に出掛けた。
D 「夜を突っ走れ」 ... 真夜中のドライブで知り合った女性。彼女は突然自分の彼女の声で喋り始めた。
E 「眠りの家」 ... 磯の先端に建てられた不思議な建物。磯釣りを装ってその建物を調べようとした二人の男。

 大沢さんの短編集ってそれ程読んだ事はないのですが,ちょっと大沢さんらしくない作品に思えます。ハードボイルドの雰囲気を持ちつつ,ホラー色を出していると言えばいいのでしょうか。ホラーの部分があまり怖さを感じないのと,結末が唐突な感じがしてしまうのが難。特に表題作の「眠りの家」や「一瞬の街」は,「えっ,これで終わりなの?」と思ってしまいました。でも逆に全くホラーの入っていない「ゆきどまりの女」「人喰い」は面白い。前者はシンプルなストーリーの中に緊張感が漂っており,後者は皮肉なラストがいい。

 

「新宿鮫〈8〉風化水脈」 大沢 在昌  2004.05.13 (2002.03.30 光文社) お勧め

☆☆☆☆☆

 新宿署生活安全課の鮫島刑事は,かつて殺人事件で鮫島のもとに自首してきた藤野組の真壁と出合った。出所してきた真壁は,彼を待っていた雪絵と暮らしていたが,彼が刑務所にいる間に藤野組の事情は大きく変わっていた。一方,高級車窃盗グループを追う鮫島は,張り込み先で大江と言う一人の老人と知り合う。新宿の街で孤独に生きる老人に複雑な気持ちを持つ鮫島だったが,大江の勤務先の駐車場近くの古井戸から,屍蝋化した遺体を見つけるに至って,鮫島は大江に疑惑の目を向ける。

 シリーズ1作目の「新宿鮫」が発刊されたのが1990年ですから,この12年間に出た8作を3ヶ月で読んでしまいました。やっと最新作まで辿り着いたのですが,改めてこのシリーズの充実度を実感させられます。今回鮫島が追うのは高級車窃盗団なのですが,この事件を中心に様々な事柄が描かれていきます。戦後の混乱期における新宿,巨大な歓楽街となった現在の新宿,そしてそこにうごめくヤクザや外国人マフィア達。40年前に起こった不幸な殺人事件を一つの軸にして,大江と雪絵の母の真摯な生き方がいい。さらに真壁と雪絵,真壁と王,そして真壁と鮫島と言った様に,いくつもの人間関係が一つのドラマを織り成していく。かなり長い作品だけど,だれるところが全く無いし,警察内部や鮫島の捜査に関する細かい部分もリアリテフィに溢れ,全編を通して緊張感が持続します。最後がややあっさりとしていますが,読後感は素晴らしい。本作はシリーズ初期に較べてサスペンス性が減っている分,ドラマの厚みが増している感じです。真壁もそうですが,鮫島が追い続ける仙田も登場し,出番こそ少ないものの重要な役割を果たします。晶との関係も含めて,シリーズ集大成と言った雰囲気がありますが,これで終わりって事ではないですよね。2年以上最新作が出ていないのが気になります。このシリーズ作に付けられるタイトルはどれも良く出来ているなと思っていたのですが,今回の「風化水脈」と言うのは特にしっくりきました。

 

「ゆきの山荘の惨劇−猫探偵正太郎登場」 柴田 よしき  2004.05.14 (2000.10.25 角川書店)

☆☆☆

 オレは正太郎と言う名前の猫で,飼主であり同居人は作家の桜川ひとみ。ひとみは友人の作家である鳥越裕奈と白石淳弥の結婚式に招待された。結婚式が行われるのは,山奥にある「柚木野山荘」と言う別荘で,参加者はごく少数の作家や編集者だった。結婚披露パーティーの前夜,ひろみは裕奈から相談を受ける。裕奈がかつて新人賞に応募した作品が,別の女性作家に盗作されたと言う。その犯人と思われる編集者を今回ここに呼んでいるので,それが誰なのか明らかにしたいと言う。

 犬が探偵役と言うのは宮部みゆきさんのマサですが,ここに登場するのは猫の探偵。とは言っても正太郎と言う猫には,人間に推理を伝えるすべがありませんので,彼が事件を鮮やかに解決するわけではありません。でも猫ならではの視点で事件を捉え,彼なりの推理が展開されます。設定としては,登場する猫や犬には人間の言葉が判り,人間の字も少し読めて,猫や犬同士では意思の疎通が出来る事になっています。ここら辺がごく自然に描かれていて,すんなりと読む事が出来ます。うーん,猫の目から見た人間の事件って,結構面白いですね。真剣に推理をする猫と,猫が推理をしているなんて露ほどにも思っていないひとみの関係がいいのですが,ちょっとひとみはぶっ飛び過ぎか。

 

「転校生」 森 真沙子  2004.05.17 (1993.07.24 角川書店)

☆☆☆☆

@ 「理化室」 ... 化学部の幽霊部員になった咲子には友達もできず,伝言ダイヤルの転校生サークルにはまり一人の男性と知り合う。
A 「美術室」 ... 転校してきた室生環は咲子と同じ美術部に入った。そこで学校の伝説となっている屏風の再現をする事になった。
B 「音楽室」 ... 音楽室で偶然見つけた古い楽譜。咲子はこの曲に歌詞をつけて学校の音楽祭に出る事になった。
C 「図書室」 ... 本好きの咲子が図書館で借りる本には,その本の図書カードに必ず見つける名前があった。
D 「寄宿舎」 ... 寄宿舎のある高校に転校した咲子は,一人の美しい上級生と出会い,彼女に憧れた。

 私には転校したと言う体験が無いのですが,何か全てをチャラにできる転校と言う物に憧れていた記憶があります。小学校の頃,近くに大きな団地ができた関係で,私の学校にも多くの転校生がやってきました。別に彼らとの間に何等かの問題が生じたと言う訳ではありませんでしたが,それまでは近所の子供達だけだったので,ちょっと違和感を感じました。この作品は,父親の仕事の関係で何度も転校を続ける有本咲子(えみこ)と言う高校生を主人公とする,学園ホラーの短編集です。両国,鎌倉,高松,松江,奈良と転々とします。学校には普通の教室以外にも,理科室,音楽室など様々な部屋があって,そのどれもが異質な雰囲気を持っています。それらの部屋に染み付いた独特の匂いや,転校生の持っている神秘性が上手く表現されています。そしてどの話もオチが秀逸です。「理化室」「図書室」が特に良かったです。ちなみに「理化室」と言うのは誤植ではありません。

 

「メビウスの殺人」 我孫子 武丸  2004.05.18 (1990.02.05 講談社)

☆☆☆

 マンションの一室で金槌でめったうちにされた遺体が見つかった。被害者の服の中からは「2−2」と記されたメモ書きが見つかったが,不思議な事に被害者の指紋は付いていなかった。次の被害者は絞殺された老人で,こちらからは「1−3」と書かれたメモ。二人の被害者の間には何のつながりも見出されず,数字の意味も判らなかった。そんな事件に速水恭三警部補の3兄弟が挑む。

 「8の殺人」「0の殺人」に続く速水兄弟シリーズの3作目です。まずこの連続殺人事件の犯人は椎名俊夫です。これはネタバレでもなんでもなくって,最初に記された登場人物紹介にも堂々と犯人として名前が挙げられています。実際,椎名が犯行に向かう場面も最初に描写され,まあそれが一つの仕掛けにはなっております。我孫子さんの作品は最近,人形シリーズを読んだばかりなので,ホンワカとした雰囲気の中にも鋭い推理が冴える,と言ったイメージを持っていました。この作品も軽妙なタッチで描かれているのですが,我孫子さんはあの「殺戮にいたる病」の作者だった事を思い出しました。ここでもかなり特異な犯罪を描いているのですが,無きにしも非ずと言うのが怖いですね。本作ではパソコン通信が大きなウェイトをしめていますが,インターネットで知り合った者同士が一緒に自殺するのも現実ですからね。

 

「標的走路」 大沢 在昌  2004.05.20 (2002.12.10 文藝春秋社)

☆☆☆

 公園での早朝ジョッギングを終えて戻ってきたら,愛車に爆弾が仕掛けられているのを発見した佐久間公。警察に通報したが,命を狙われる覚えは無かった。その日,早川法律事務所に出所した公は,失踪した恋人の調査を請け負った。さらにその晩,友人の沢辺を通じて,突然行方をくらましたバーのウェイターの捜索を頼まれた。そんな中,沢辺の駐車場に停めて置いた公の車は,何者かに爆破されてしまった。

 佐久間公のシリーズは「感傷の街角」が第一作だと思っていたのですが,こちらが最初だったんですね。1980年12月に双葉社から出版されたものの絶版になり,2002年に文春ネスコで復刊されたそうです。私は加筆修正された復刊版で読みました。ここでは公はまだ駆け出しの探偵ですが,恋人の悠紀も悪友の沢辺も出てきます。さていきなり命を狙われた公は,自らの危険を感じながら二つの人捜しに取り組みます。そしてその二つは微妙につながって行き,石油を巡る商社や情報機関の暗闘に巻き込まれます。その中で出会った刑事の岩崎や内閣調査室の梶本は,この後のシリーズ作にも登場する主要人物。人捜しの話って好きなのですが,このシリーズに関しては短編の方が,人捜しの面白さがより出ている様に思えます。「追跡者の血統」もそうでしたが,長編だとどうしても他の要素が入り過ぎてしまって,少々リアリティを損ねてしまっている感じです。でもちょっと青臭い公はいい雰囲気。

 

「桜さがし」 柴田 よしき  2004.05.21 (2000.05.30 集英社)

☆☆☆☆

@ 「一夜だけ」 ... 田舎で暮らす恩師を訪ねた4人の男女は,途中で車が脱輪して困っている美しい女性を助けた。
A 「桜さがし」 ... まり恵と綾は桜見物に行った円山公園で,一人の女性から京都の桜の開花時期を尋ねられた。
B 「夏の鬼」 ... 大学の後輩と吉田神社の節分祭に出掛けた綾は,彼と意気投合したものの言い寄られて動揺した。
C 「片想いの猫」 ... 上司の妻でありかつての恋人の女性と京都の街を歩く陽介は,東寺の骨董市で陶器製の猫を見つけた。
D 「梅香の記憶」 ... 梅の林で見掛けた有名なモデル。浅間寺との噂を気にしたまり恵は彼女の後を追いかけて行った。
E 「翔べない鳥」 ... ペンギンが空をとぶだろうか,と電話をしてきた歌義は、その直後暴漢に襲われた。
F 「思い出の時効」 ... 草鞋の形をしたお守りを探していた一人の女性。彼女がとった意外な行動に驚いた。
G 「金色の花びら」 ... 浅間寺のログハウスにやってきた歌義は,食べられる金色の花びらの謎を解こうとしていた。

 中学生の時に同じ新聞部に所属していた,陽介と綾,歌義とまり恵の4人の男女。東京の商社に勤める陽介,学部を変わり今も大学生の綾,司法試験を目指している歌義,同僚との婚約を破棄して会社を辞めたまり恵。京都の街を舞台に彼らが織り成す,甘酸っぱくもほろ苦い青春の物語。さらにそれだけではなくて,どの話もミステリー仕立てになっています。でも彼等4人の物語がとてもよく出来ているので,このミステリーの部分って,いらないんじゃないかと思います。この4人の内の一人一人が探偵役として謎を解くのですが,こういった物語の中で謎を解く必然性が感じられないんですよ。それだけ4人の恋の行方の方が印象深いからかも知れません。『俺達,どんどんあの頃が遠くなるもんな。あの頃の思い出の中でひとつくらい,ハッピーエンドを見たい気がするよ』。陽介が歌義に語る言葉なんですが,何か判る気がします。それにしても子供の頃の同級生の女の子って,男の子からすれば特別な存在感ありますね。ところで彼らの恩師の浅間寺って,「ゆきの山荘の惨劇」に登場した作家なんでしょうか。

 

「雪蛍」 大沢 在昌  2004.05.22 (1996.03.25 講談社)

☆☆☆☆

 探偵を辞め,今は静岡県にある「セイル.オフ」と言う名の,薬物中毒者の更正施設で働く佐久間公。理事長である沢辺からの依頼で,今でもたまに失踪人の調査の仕事も行っていた。最近この施設に入所した「ホタル」と名乗る一人の若者に,佐久間は手を焼いていた。全てに無関心で仲間達と馴染もうとせず,所内で放火事件を起していた。そんな中,沢辺から失踪した一人の雪華と言う少女の捜索を請け負った。

 今までの佐久間公のシリーズでは,彼は「早川法律事務所」で失踪人の調査を専門に扱う探偵でした。当時の年齢は20代だったのですが,いきなり40代となって再登場してきます。そして最初の方で驚きの過去が明かされます。昔付き合っていた恋人の悠紀は海外留学から帰らず,沢辺の妹でシンガー.ソングライターの洋子と結婚したものの,彼女は事故で亡くなってしまいます。そして公は法律事務所を辞めて,悪友の沢辺が造った施設で働いています。この間10年以上の時が経っているのですが,かなり雰囲気が違っています。さて話はホタルの話と,財閥ファミリーの娘の捜索の二本立てですが,メインは後者の方。かつて自分の命を救ってくれた同業者の岡江も出てきますが,かなり過去を振り返る部分と年齢の違いを意識する部分が目立ちます。第一人称が「僕」から「私」に変わりましたが,若さに任せて失踪人調査をしてきた時との違いを出そうとしているんでしょう。全く関係の無い二つの話を並行に進める事によって,公の探偵に対する想いが描き出されます。「探偵は職業ではなく,生き方だ。」と言える彼は,物事の裏のカラクリとも,そしてその中の人の心の奥底とも,正面から向き合っていくんでしょう。前作までの青臭さが感じられる公が良かったんで,普通のハードボイルドになったのがちょっと残念な気もします。

 

「魔」 笠井 潔  2004.05.23 (2003.09.30 文藝春秋社)

☆☆

@ 「追跡の魔」 ... 5年前にストーカーの被害にあった槇野百合佳と言う女性が,最近再びストーキングに遭っているという。
A 「痩身の魔」 ... かつて拒食症のセラピーを施した間宮梨沙と言う女性が,突然謎の失踪をしたという。

 「道−ジェルソミーナ」に登場した私立探偵の飛鳥井が登場。彼の元を訪れた大学助教授で女性セラピストの鷺沼晶子が持ち込む,二つの事件を描いた2作の中編。飛鳥井は長年にわたるアメリカ生活を経て日本に戻り,巽探偵事務所で探偵をしています。もっとも事務所の巽さんは単に道楽でやっていたので,今は飛鳥井が一人で切り盛りしている状態。前作ではハードボイルドには欠かせない西海岸の雰囲気をやたらと強調していた感がありましたが,今回は社会性と本格推理に拘っています。まあストーキングや過激なダイエットといった社会性はともかくとして,やたらと凝った推理は基本的にハードボイルド作品である本作にとって,その魅力を減じてしまっている様に思えます。2作の後に後書きやインタビューが掲載されており,その中で著者も社会派や本格推理への志向が述べられておりますが,本作を読んだ後ではちょっと疑問が残りました。

 

「残虐記」 桐野 夏生  2004.05.24 (2004.02.25 新潮社)

☆☆

 妻であり作家である小海鳴海が失踪した。部屋には「残虐記」と題された原稿と,編集者あてに送って欲しいとのメモが残されていた。彼女には25年前の10歳の時,男に誘拐され彼の部屋に1年以上監禁されていた,と言う過去があった。残された原稿には,誘拐監禁された様子,そして犯人が捕まり解放された後の事柄が小説の形で書かれていた。

 犯罪において全てが明らかになる事って,それ程多くは無いのかも知れません。裁判で事実関係が明かされ,何等かの判決が確定したとしても,それが全てなのでしょうか。他人には決して窺い知れない犯人の動機,被害を受けた人の心情,また事件に関わった人達の気持ち,と言った内面に関しては,表に出てこない部分が多い様に思えます。ここでは誘拐監禁された少女が,後に作家となって自らの視点でその当時を振り返える物語が,作中作の形で描かれます。そしてそれは監禁されていた間の事より,解放された後の事柄の方に重きが置かれています。自分を見つめる世間の好奇の眼,壊れていく家族,警察や検察による事情聴取,そして犯行に至る犯人の背景。この作品の中では,何故ケンジがこの様な犯行に及んだのか,「みっちゃん」とは誰だったのか,共犯者は存在したのか,そして被害者の本当の気持ち等は必ずしも明らかにされません。いくつかの推測を提示し,失踪の謎を残したまま,唐突に終わりを迎えます。でもリアリティ溢れる記述によって,読者の想像を大いに膨らませてくれます。その点では良く出来ている作品だとは思うのですが,気になるのは実際に起こった事件を想起させてしまうことでしょうか。別に野次馬根性で書いたり読んだりしている訳ではないのでしょうが,やはり嫌な感じがしてしまいました。

 

「恩はあだで返せ」 逢坂 剛  2004.05.25 (2004.05.10 集英社)

☆☆☆

@ 「木魚のつぶやき」 ... 通行人に迷惑を掛けている男がいるとの通報で出掛けて見ると,判子を売りつけられそうになった。
A 「欠けた古茶碗」 ... 公園で開かれたガラクタ市で見つけた古い茶碗。TVで有名な鑑定士と争って二人が買った。
B 「気のイイ女」 ... マンションのポストの投げ込まれたチラシ。管理組合の婦人から何とかしてくれと頼まれた。
C 「恩はあだで返せ」 ... 斉木の昔の上司からの頼み。かつて行った違法な逮捕の証拠となる手帳を奪い返す事。
D 「五本松の当惑」 ... 五本松が注文した古本が手に入ったと,警察まで高価な古本を持って来た古本屋の老婆。

 「配達される女」に続く,御茶ノ水署生活安全課の斉木と梢田の同級生コンビ。小学生の頃の力関係が逆転した,上司と部下のコンビの活躍がコミカルに展開します。要領の悪い梢田と狡賢い斉木の二人って,何か身近に居る様な感じがしていいですね。今回は特に二人の個性が強く現れているように思えます。特に斉木は狡賢いと言う面より,キレの良さが強調されていて,事件は意外な形で片付いていきます。前回から登場した五本松と,今回新たに登場したバー「木魚のつぶやき」のママの桐生夏野がイマイチ目立たなかったのが残念。それにしてもこのママの名前って,桐野夏生さんを意識しているんでしょうか。表題作よりも最後の「五本松の当惑」が,クラシカルな詐欺の手口を盛り込んでいて面白かった。それにしても幾つものシリーズ作を抱えている逢坂さんですが,一番お気に入りの岡坂神策のシリーズは,もう書かないのでしょうか。

 

「消える密室の殺人−猫探偵正太郎上京」 柴田 よしき  2004.05.26 (2001.02.25 角川書店)

☆☆☆

 いきなり同居人にバスケットに入れられたオレは,新幹線に乗って東京に連れてこられた。出版社に用があったらしいが,同居人は一流ホテルに宿泊。オレは出版社の社屋に作られたプレハブで一晩を過ごす事に。そこには撮影用に何匹もの猫が集められていた。その晩カメラマンが,密室であるトイレの中で死体で発見され,そして友達になったばかりのデビットも一緒に殺されていた。

 「ゆきの山荘の惨劇」に続く猫探偵シリーズの2作目。ミステリー作家の桜川ひとみに飼われている正太郎と言う名の猫が,記述者であり探偵役と言う変わった作品です。猫同士の会話や,正太郎の人間達に対する気持ちの描写が面白い。さてこの殺人事件の現場に居合わせた正太郎は,犯行の現場を目撃した訳ではないのですが,警察を始めとする人間達より多くの情報を持っています。それをもとに推理する訳ですが,判った事を人間に伝える術がありません。そこでいろいろと彼は工夫を凝らすのですが,この場面が特にいい!。刑事の堤には正太郎の意思が伝わったみたいですが,今後の続編にも登場するのでしょうか。糸山や山県など,桜川ひとみを取り巻く人物達も面白いのですが,彼も是非加わって正太郎の良き理解者になって欲しいですね。でも京都と東京じゃ無理か。

 

「真夜中の時間割−転校生〈2〉」 森 真沙子  2004.05.27 (1995.08.10 角川書店)

☆☆☆

@ 「桜の樹の下」 ... 校舎の裏の弓道場は使用禁止になっていた。ここで一人の男子生徒が弓道の練習をしていた。
A 「午後3時30分」 ... 過度のダイエットか,それとも妊娠かと噂された少女は,教室で一人パソコンに向かっていた。
B 「記念写真」 ... 美術室に集まっていた30人くらいの女子生徒達。美術の先生は教室に向かう時,急病で倒れていた。
C 「閉じこめられて」 ... うっかり校内で寝てしまったら夜になってしまった。うっかり外に出ると警備会社に連絡が行ってしまう。
D 「家路」 ... 他の高校を交えて行われる器楽祭の練習中,指揮をとる事になっている音楽教師が倒れた。
E 「百鬼の夜」 ... 修学旅行の最後の晩,生徒達は先生を交えての怪談話に盛り上がっていたのだが。
F 「最後の授業」 ... 家の近所で発生した火事は放火の様だった。その現場で萩尾は最近転校してきた少女を目撃した。

 題名を見ても判る通り,「転校生」の続編です。しかし前作では転校を繰り返す高校生の有本咲子が主人公でしたが,今度は教師の萩尾圭子が主人公。それも同じ高校を舞台にしているので,何で続編なのかと思ったのですが,最後まで読むとその意味が判る様になっています。話の方は学校と言う独特な空間を上手く利用した怪談話となっています。前作がそれぞれの教室をモチーフにしていたのですが,それに較べるとちょっと散漫な感じもします。それにしても学校と言うのは怪談が良く合いますね。長年に渡って多くの生徒達の様々な思いが,そこここに漂っているからなのでしょうか。しかしこの萩尾センセイ,これだけ色んな事が起こったら,学校を辞めてしまうような気がするのですが。

 

「殺意が見える女」 新津 きよみ  2004.05.31 (1998.10.15 徳間書店)

☆☆☆

@ 「夫が邪魔」 ... 女性作家の元に届いたファンレターには,自分がその作家の家で働きたいと言う内容が書かれていた。
A 「マタニティ.メニュー」 ... 不妊のため訪れた産婦人科で偶然出会った女性は,かつて自分を捨てた男の妻だった。
B 「25時の箱」 ... 不倫相手に宛てた手紙をコインロッカー経由で渡そうとしたが,間違えて違うロッカーに入れてしまった。
C 「左手の記憶」 ... 右腕を骨折してしまい文章が書けなくなってしまった作家が雇った,女性のアシスタント。
D 「捕らえられた声」 ... 声優のもとに毎日の様に掛かってくる悪戯電話。2年前に振った男からのものだと思われた。
E 「永遠に恋敵」 ... 自分から恋人を奪って行った友人との再会。彼女とは子供の頃から何かと因縁があったのだが。
F 「殺意が見える女」 ... 夫の転勤でやってきた札幌。喫茶店で離婚届けを書いている女性が気になった。

 出てくる女が揃いも揃って嫌な女ばっかり。まあ男もろくなのが居ないけど。思い込みが激しかったり,必要以上に被害者意識を持っていたり,そんな主人公達の心理面を前面に押し出して話は展開します。願望,復讐,脅迫,疑念と言ったものに衝き動かされる女達。どうしても登場人物に嫌な思いを抱きながら読まざるを得ないで,すっきりしないんです。そんな中で唯一男性からの視点で展開する「左手の記憶」と,ちょっと主人公に同情してしまう「捕らわれた声」のどんでん返しがいい。あと日本推理作家協会賞短編賞の候補になった,表題作の「殺意が見える女」は上手いですね。