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■2002年12月1日〜12月15日


12月15日(日)
 最近、Next賞のネタばかりですが、最後に一応まとめっぽいことを書いておくと、メフィスト賞よりきちんと賞としての体裁を整えてしまっている分、逆に長続きしないかも、という危惧はあります。加えて、おそらくメフィスト賞の一番の重要なポイントである「受賞、出版に先立って選考過程を公開する」という部分(「メフィスト」誌上の座談会にあたるもの)がすっぽりと抜け落ちてしまっているので、選考する側にとっては負担が大きくなる一方で、読者にとっては結局のところ既存の賞と大して変わらない、という結果になってしまうのではないかと思われます(まあ、「メフィスト」誌上の座談会をチェックするようなある意味「濃い」読者を基準にする必要などないのかもしれませんが)。

 確かに、今回のラインナップを読み終えてみると、メフィスト賞を除く他のエンタテインメント系の賞では受け皿となるものがないのは確かで、内容的には唯一競合する可能性が高いであろうメフィスト賞受賞作とあまりかぶらないところをうまくおさえている、という印象ではあります。セックスと暴力が物語に占める割合が比較的高い作品が多いのは、たまたまなのかわざとなのかは今後を見てみないとわかりませんが、私の個人的な好みとしては、ジャンルとしてのミステリという意味ではなく、もうちょっとうまくミステリ的な語り口を活用した作品を読みたいな、とは思います。

 元祖であるメフィスト賞の売りが「なんでもあり」なので、それよりもさらに賞としての特色を出すというのは難しいとは思うんですが、なんとか独自の路線を見つけておもしろい作品をコンスタントに出してほしいと思います。まあ、無責任な読者なんで、いつまで受賞作を追い続けるかはわかりませんが。

12月14日(土)
 以下、Next賞を受賞した3作品の感想。★は数は3作品とも同じだけど、一番おもしろかったのは深見真『アフリカン・ゲーム・カートリッジズ』。感想の内容にかんしては、読了時にちょっとだけ書いたものと重複している部分があることをお断りしておく。


深見真アフリカン・ゲーム・カートリッジズ』★★★
 近未来。自分の意志で平行世界から好きな銃を呼び出すことができる「銃使い」と呼ばれる特殊能力者が存在する世界。国家特別銃取締局(通称GEA)は、「銃使い」を危険な存在として、発見し次第銃殺することが認められている。主人公はガンマニアの男子高校生。ある日、1人の「銃使い」がGEAに追われ、主人公の通う高校に逃げ込んできた事件をきっかけに、「銃使い」となってしまう。やがて、「銃使い」の組織である〈アフリカン・ゲーム・カートリッジズ〉の一員となった主人公は、仲間とともに、「銃使い」への弾圧に抵抗する戦いに足を踏み入れていく。
 物語は主に、主人公である男子高校生の視点と、GEAの捜査官の視点が交互に語られる構成になっている。視点の処理は的確で、サスペンスを生じさせるための手際も非常に手慣れた印象。物語が恣意的に遅延することなく、先の展開の曖昧な予告とか、登場人物の思わせぶりな言動といったものは無駄だといわんばかりに、めまぐるしく事態が先へ先へと進むのが気持ち良い。物語を構成する多くの細部が、迫力ある銃撃戦を成立させるために構成されているのも、いっそ潔いといえる。

 とはいえ、この作品が小説である必然性は薄い。あくまで、映像を想定したうえで、それを文字に置き換えているに過ぎないのが不満といえば不満。例えば、「銃使い」が銃を呼び出すときに、「
たくさんの数式が浮かんだ」りするんだけど、これはあきらかに映像先行の表現で、正直なところ、ちょっと萎える。
 だから、この作品は「ガン・
アクション小説」ではなくて、架空の「ガン・アクション映画」を小説化したもので、その意味では非常によくできた作品だと思うし、実際、とてもおもしろかった。もし、この作品の続編が書かれるのだとしたら、それも読みたいと思う。


川上亮ラヴ★アタック』★★★
 普通に考えるとそれほど地味な内容ではないんだけど、このラインナップの中では相対的に「地味」な作品に思えてしまうのは不運としかいいようがない。

 出会い系サイトでメル友をつくって「ネットハンサム」(登場人物による造語)になるべく後輩の指導を受けた主人公は、2人のメル友とメール交換をするようになる。その、ネット/現実の2層の人間関係が、さまざまな「誤解」の積み重なりで入り乱れ混乱し、やがて「
阿鼻叫喚の地獄」(表2折り返しのあらすじより)を迎えるまでの顛末を描くコメディ小説。
 インターネットの出会い系サイトを媒介としながら、きわめて閉じた人間関係のなかで物語が構成されているのだが、その必然性についてはきちんと配慮されており、違和感はない。シチュエーションコメディとしてはわりとよくできていると思うんだけど、個人的にはもっと皮肉が強烈なほうが好みなので、ちょっと物足りなかった。終盤の展開は、それぞれの行動をうまく処理しきれなかったという印象で、登場人物の多さを持て余してしまっているように感じた。「混乱」を描くにしても、そこはきっちりと作者がそれぞれの登場人物の動きを冷静にコントロールできていないと、たんなるドタバタに終始してしまう。また、コメディとしては戯画的な単純化が有効な手法だというのをふまえたとしても、ネット/現実という2層の構造と対応した心/肉体という二元論的な価値観そのものを揺るがすどころか温存してしまう結末には不満が残った。


谷川哀リベンジ・ゲーム』★★★
 あまり小説としては読んだことのない種類の文章なので、最初はひどく戸惑ってしまった。

 かつて投手として甲子園優勝を目指し、現在は母校の野球部の監督として甲子園を目指す主人公。その過去(モノクロフィルム)と現在(カラーフィルム)の物語が、複数の登場人物の視点からカットバックで語られる。大森望氏が「過去パートは精液まみれの暗黒版『巨人の星』(甲子園編)の趣き」と書いていたけれど、まさにそんな感じ。主人公の父親は、登場するシーンの9割くらいは息子である主人公に自分のペニスをくわえさせている。主人公は義理の母親とも関係をもっている。野球部内では先輩による性的虐待。現在パートでも、息子が小学生のころから関係を持っている母親が登場する。そんな「不道徳」な物語が、体言止めを多用し、主語につく助詞を省略したりもする奇妙なリズムを持った文体で語られる。内容そのものは目くじらを立てるほどのものではないと思うんだけど、文章と細部がナチュラルに壊れている。「壊れている」というのは何となく安直な気がするのであまり使わないようにしているのだが、他にいいようがない。ほとんどの作家がまず用いないだろうと思われるような表現が頻出する。もっとも、この文体にもメリットがないわけではなくて、例えば主人公が集中のあまり自分がケガをしていることに気づかない、という展開があるんだけど、これを普通の文体で書いたら、そんなはずないだろ、と思われるのは確実だが、この作家の独特の文体で書かれると、なんとなく納得してしまう。
 でも、やっぱりひどい文章だと思う。もっとも、カットバックの使い方は悪くないし、登場人物のキャラクタはきちんと書き分けられているし、技術的なバランスの悪さが非常に気持ちが悪い。作者のプロフィールに「
趣味は読書」と書かれているんだけど、どんな作品を読んだらこういう作品を書いてしまうのか、非常に興味がある。

 魅力がある、というのとはあきらかに違うが、内容について誰かと語りたくなるという意味で、「ネタとしての読書」を否定しない方には強くおすすめする。
 いま、個人的に、他の人の感想がもっとも読んでみたい作品だったりする。

12月13日(金)
 谷川哀『リベンジ・ゲーム』をようやく読了。2段組374ページのなかで、登場人物が射精するシーンが50回くらいはあるんじゃないだろうか。いや、数えたわけじゃないから実際にはもっと多いかもしれない。少なくとも私がいままで読んだ小説のなかで、もっとも射精シーンの多い作品であることは間違いない。
 Next賞受賞作の3作品のなかで、よくも悪くも一番話題になる作品、という気がする。
 無理矢理メフィスト賞作家に例えると、清涼院流水にもっとも近い……かもしれない。なんというか、小説としてのズレ具合がよく似ているのだ。

 あまり意味がないのは承知で、他の2人もメフィスト賞作家にたとえてみると、『アフリカン・ゲーム・カートリッジズ』の深見真は森博嗣(自分の得意分野を扱った作品で、人生哲学入り、ちょっとライトノベル風味)、『ラヴ★アタック』の川上亮は古処誠二(ちょっと地味な佳品)、という感じだろうか。作風云々ではなくて、単なる印象なんだけど。

12月12日(木)
 あ、またやってしまった。

 昨日の日記で、

 
平野啓一郎の「高瀬川」をものはためしと読みはじめてみた。1組のカップルがラブホテルに入る場面からはじまるんだけど、(中略)2人がホテルの部屋にたどりつく前に挫折した。

 と書いたんだけど、改めてちゃんと読んでみたら、部屋に直接入って、自動精算機で支払いをするタイプのラブホテルだった。つまり、最初から部屋に入っていたのだ。
 冒頭に「
薄暗い廊下を抜け、ドアの上に赤いランプの点滅しているその部屋に入ると(後略)」(P.6)と書かれているのに、どこを読んでいるのだか。


 このままだと前日の記述について訂正するために日記を書くという不毛なループに陥りそうなので、今日はうかつなことを書かないようにしようと思った。

12月11日(水)
 昨日の日記にあった間違いの修正更新です。
 人の文章にツッコミを入れてる文章で間違えるなよ。>俺


 友哉タンが目的で買った「群像」1月号、松浦寿輝の「鰈」がおもしろかったとはいえ、それだけではもったいないので、読んだことのなかった平野啓一郎の「高瀬川」をものはためしと読みはじめてみた。1組のカップルがラブホテルに入る場面からはじまるんだけど、
肉体の、今、そこにあるという紛れもない重量感が、瞬時に彼に迫ってきた。その力強く、単純な蠱惑」(P.7)といった文章にうんざりして、2人がホテルの部屋にたどりつく前に挫折した。
 ところが、ここで紹介されているあらすじの「
高瀬川の橋の上から、二人のパンツが入れられたevianのペットボトルを落とす場面がとても印象的でした」という一文を読んで、不覚にも無性に読みたくなってしまった。いや、まだ読んでいないんだけど。


 谷川哀『リベンジ・ゲーム』はだんだん作風になれてきたこともあって、最後まで読んでみようかという気になってきた。

12月10日(火)
「2003本格ミステリ・ベスト10」購入。「このミス」よりはこちらのほうが個人的な趣味に近いので、そのぶん、読みどころが多くておもしろかった。

 ちなみに、10位以内の国内作品の既読数は、「このミス」が1作品(乙一『GOTH』)、「本ミス」が6作品(法月綸太郎『法月綸太郎の功績』、有栖川有栖『マレー鉄道の謎』、殊能将之『鏡の中は日曜日』、乙一『GOTH』、西澤保彦『聯愁殺』、島田荘司『魔神の遊戯』)という結果だった。
 海外はほとんど読んでいないにもかかわらず、なぜか「このミス」では2作品(ジェレミー・ドロンフィールド『飛蝗の農場』、ポール・アルテ『第四の扉』)と国内より多いのは謎。

 しかし、どちらのランキングでも、私の今年度No.1作品である小川勝己『まどろむベイビー・キッス』がほとんど評価されていないのが残念だった。一見するとイロモノ風で、軽くて読みやすいんだけど、構成は非常に緻密、という意外性が個人的にツボだったのだ。

 余談だけど、「KAPPA ONE」デビュー組4人の「本ミス」での順位は、私がおもしろいと感じた順番とはちょうど正反対で、なんとなく寂しい気分になった。


 Next賞の3冊目、谷川哀『リベンジ・ゲーム』を読んでいる。しかし、なかなか進まない。
 体言止めを多用し、ときどき主語につく助詞まで省略する脚本のト書きみたいな文章に閉口する。「
しかし、達也、春に馴染めなかった」(P.8)とか。
 おまけに、高校野球を題材にした小説とはいえ、男性器をバット、女性器(あるいは男性の肛門)をミット、さらには、父親の男性器を「息子」、その相手である息子の男性器を「孫」と言い換えるセンスには、ちょっとついていけない。
 この作者が1974年生まれというのは信じられないな……。

12月9日(月)
 これは昨日のこと。今さらなんだけど、Xboxを買った。とうとう買ってしまった。重かった。店頭で見ても大きいけど、家に持って帰るともっと大きく見えた。
 一緒に買ったソフトはとりあえず『ジェットセットラジオフューチャー』のみ。あとは12月19日に発売される『パンツァードラグーン オルタ』を購入予定。両方ともSmilebitの開発なんだよな。

 で、『ジェットセットラジオフューチャー』である。ドリームキャスト用のゲームのなかの個人的ランキング2位である『ジェットセットラジオ』の続編(ちなみに1位は『ファンタシースターオンライン』。3位は『クレイジータクシー』)で、発売当時からずっとやりたいとは思っていたんだけど、念願かなってようやく購入した次第。
 ハードの性能があがって表示可能なポリゴンが増え、ステージの空間が広くなって遠くまで見通しがよくなっているのが、まず見てすぐにわかる大きな違い。テクスチャもきれいになり、キャラクタや背景オブジェクトの造形もより細かくなっている。
 ゲームのシステムそのものにも若干の変更が加えられており、基本的に爽快感をそがない方向で調整されている。たとえば、前作ではレバーによるコマンドの入力が必要だったグラフィティは、右トリガーを引くだけになっている。気分良く滑走していても、サイズの大きなグラフィティを描くときは立ち止まらなくてはならず、プレイの流れを止めがちだったので、これは非常に良い。さらに、グラインドの判定が前作より緩くなっているようで、あ、失敗したかな? と思っても結構繋がって走り続けられる。シビアな操作性を求めるプレイヤーは不満かもしれないけど、ぬるいプレイヤーである私にはうれしい変更。減速の判定も前作ほど厳しくなく、あまり助走をしなくても上りのグラインドが可能になっているし、ターンもボタン1つで可能になったり、前作よりは簡単に気持ち良く滑れるようになっている。
 まだはじめたばかりなので、ゲームの感覚をとりもどしつつ、とりあえずステージをひと通りクリアすことを当面の目標とする。あ〜、気持ちいい。


「このミステリーがすごい! 2003年版」については特に書くことがない。

12月8日(日)
 
川上亮『ラヴ★アタック』読了。限られた登場人物の関係のなかでいくつもの「誤解」が積み重なっていく展開はなかなかおもしろかったんだけど、終盤はバタバタしすぎで、一部の登場人物の行動に無理が感じられるし、うまく処理しきれなかったという印象。わりと方向性が近いと思われる戸梶圭太の作品と比べると、過激さも馬鹿馬鹿しさも物足りない。


「群像」1月号に掲載されていた松浦寿輝「鰈」を読む。松浦寿輝の最近の作品は、芥川賞を受賞した「花腐し」も含めて、あまりおもしろくないと感じていたんだけど、これは非常に良かった。
 主人公である60歳近い男は、早朝、市場で買い求めた鰈を入れたアイスボックスを提げ、電車に乗っている。車掌に起こされ、あわてて電車を降り、地下鉄に乗り換える。鰈を買ったのは今朝のはずだが、アイスボックスからは腐ったような匂いがしている。思い返してみると、どうもそれは今朝ではなく、昨朝のことだったようだ。そもそも鰈を買いに行ったのは、二十年以上も前に住んでいたアパートの住人であった老人から電話があったからで、市場からそのままアパートに向かったものの、そこには誰もいなかったのだ。地下鉄の中の男の前に、記憶の断片とも妄想ともつかないものたちが次々とあらわれては消えていく。
 濃密な描写。基本的には主人公の視点により添いつつも、絶妙に距離がコントロールされている三人称叙述。主人公の駄目っぷりと、その駄目っぷりを容赦なく暴いていく幻たち。冒頭から結末まで、ざわざわとした暗い感覚が途切れることなく持続する。おもしろかった。

12月7日(土)
 当たり前のように書店で「群像」1月号を買ったんだけど、冷静なってみると、なにも買わなくてもよかった気がしなくもない。まあ、松浦寿輝の中編も載っているしな……。

 というわけで、作品以外のところで何かと話題をふりまいている佐藤友哉の最新作「薮れません」を読んだ。今月の「群像」は「新年短篇特集」ということなんだけど、佐藤友哉の作品が掲載されているのはその特集内ではなくて、「現代小説・演習」という企画ものの連載の一部。

 
この連載は、現在の小説表現のあり方を方法論と実作の両面から模索するのが目的です。毎回、第一部で方法論の提案、第二部ではその提案を承けて、小説の実作が示されます。評論家と小説家のコラボレーションです。ご期待いただければ幸いです。(P.364)

 という編集部の説明にもあるように、今回(連載第一回)は、石川忠司による評論「絶対的『肯定』の小説、絶対的『不信』の小説」で示された「提案」を受けて、佐藤友哉が短編小説「薮れません」を書いている。評論家と作家はおそらく毎回入れ替わるのだと思われる。

 第一部を読んで、要は『毒入りチョコレート事件』みたいな作品を書けばいいのでは、と思った。

 それはさておき、佐藤友哉の「薮れません」。最近お得意の愚痴まじりのメタなパートと、とってつけたような結末部を除けば悪くない。構成は厳密に「提案」に沿っているとは言い難いけど、冒頭の台詞と物語内容がちょうど
正反対になるという趣向はなかなかおもしろかった。クロウリーのかわりに森下裕美を崇拝する「元人類」には笑った。
 しかし、「灰色のダイエットコカコーラ」で安易にメタな趣向を導入しなかったことが個人的にもっとも大きな評価のポイントだったので、今回の作品は非常に残念。黙って踊れ。


 深見真『アフリカン・ゲーム・カートリッジズ』読了。作者が兵器とレズビアンが大好きだというのが厭というほど伝わってくる。小説としては、あくまで映像を想定して文章に置き換えているだけなのが不満だが、恣意的に物語を遅延させ引き延ばそうという姿勢を排除したストイックな話法には好感が持てる。詳細な感想は他のNext賞受賞作を読了後にまとめてアップする予定。
 次に、川上亮『ラヴ★アタック』を読みはじめる。

12月6日(金)
 角川Next賞受賞作が発売されていたので買ってきた。谷川哀『リベンジ・ゲーム』、川上亮『ラヴ★アタック』、深見真『アフリカン・ゲーム・カートリッジズ』の3作。装丁は同じく角川書店から出ているBOOK PLUSとよく似た感じのソフトカバーで、カバーの紙の表面はマットPPで加工され、本文の紙の断裁面にはそれぞれ黒、黄、紫の色がついている。ちょっと驚いたのは、表紙が本の背を上にした横置きの状態でデザインされているということ(上記のリンク先を参照)。
 受賞作、装丁、賞のシステムといった各要素がメフィスト賞より洗練されているという印象だけど、それが吉と出るか凶と出るか。とりあえず、個人的に一番興味のひかれた『アフリカン・ゲーム・カートリッジズ』から順に読んでいくつもり。
 追記:『ラヴ★アタック』の川上亮って、『ショットガン刑事』の秋口ぎぐるなのか……(いや、『ショットガン刑事』は読みたいと思いつつ、読んでいないんだけど)。


 法月綸太郎『ノーカット版密閉教室』読了。ノベルス、文庫でそれぞれ1回ずつ読んでいるからこれで3回目になるんだけど、初読よりも再読のほうが、再読よりも今回のほうがより楽しめた(正直なところ、初読時はあまりおもしろいとは思わなかった)。今回、2回読んでもなお理解できなかった「コーダ」の意味がようやくわかった。自分の読解力がないのかと思っていたんだけど、こんなのわかるか!



 いつも線画をスキャンして色を塗っているので、ためしに塗りだけで絵を描いてみた。怖いよ!
 ちなみに、フィルタでノイズを入れてます。
 これを見て、あ〜、そういう描き方もありか、と思ってやってみました。やっぱり、ちゃんと紙に描いたものスキャンして色を塗ることにします。


 国内SFファン度調査。300作品中41作品読了という結果。
・『妻の帝国』(02) 佐藤哲也
・『ロミオとロミオは永遠に』(02) 恩田陸
・『アラビアの夜の種族』(01) 古川日出夫
・『ペニス』(01) 津原泰水
・『黒い仏』(01) 殊能将之
・『ぬかるんでから』(01) 佐藤哲也
・『AΩ』(01) 小林泰三
・『ルー=ガルー 忌避すべき狼』(01) 京極夏彦
・『鳥類学者のファンタジア』(01) 奥泉光
・『月の裏側』(00) 恩田陸
・『オルファクトグラム』(00) 井上夢人
・『蘆屋家の崩壊』(99) 津原泰水
・『バトル・ロワイアル』(99) 高見広春
・『クロスファイア』(98) 宮部みゆき
・『幻惑密室』(98) 西澤保彦
・『天使の囀り』(98) 貴志祐介
・『ブギーポップは笑わない』(98) 上遠野浩平
・『屍鬼』(98) 小野不由美
・『グランド・ミステリー』(98) 奥泉光
・『光の帝国 常野物語』(97) 恩田陸
・『人格転移の殺人』(96) 西澤保彦
・『玩具修理者』(96) 小林泰三
・『パワー・オフ』(96) 井上夢人
・『七回死んだ男』(95) 西澤保彦
・『スキップ』(95) 北村薫
・『聖域』(94) 篠田節子
・『姑獲鳥の夏』(94) 京極夏彦
・『東亰異聞』(94) 小野不由美
・『ガダラの豚』(93) 中島らも
・『戦争の法』(92) 佐藤亜紀
・『十二国記』(92) 小野不由美
・『竜は眠る』(91) 宮部みゆき
・『リング』(91) 鈴木光司
・『時の果てのフェブラリー』(90) 山本弘
・『七都市物語』(90) 田中芳樹
・『惑星P-13の秘密』 (90) 高橋源一郎
・『アクアリウムの夜』(90) 稲生平太郎
・『クラインの壺』(89) 岡嶋二人
・『夏の魔術』(88) 田中芳樹
・『ノーライフキング』(88) いとうせいこう
・『トリガーマン!』(87) 火浦功

12月5日(木)
「コンコルド錯誤」という言葉がある……らしい。

 検索サイトから「コンコルド錯誤」で検索してこのサイトを訪れる方がときどきいるのだけれど、そもそも私の日記で「コンコルド錯誤」という言葉が出てくるのは2001年9月7日の日記で、SEGA(AM2研)の『シェンムー』というゲームを紹介するにあたって引用した、『超クソゲー』の著者の1人である阿部弘樹氏のレビューの文中で使われている言葉なのだ。以下に、再び同じ箇所を引用してみる(ちなみに元の文章があったサーバはすでに存在しない模様)。

 
そんなこんなで、社内の全員がいま止めれば赤字の拡大を防げることが分かっていながら、プロジェクトの失敗を認めたり責任を取ったりしたくないがために誰にも止められなくなって、そのまま暴走プロジェクトは行き着くところまでゴー ストレイト トゥ ザ ヘルしてしまうということをコンコルド錯誤と呼ぶようになったそうでス。

 Googleで「コンコルド錯誤」を検索すると、私の過去の日記を含めた9件の検索結果が出てくる。よく見ると、どれもゲームとかアニメの話題で使われており、その言葉の意味の説明を読むと、あきらかに上記の阿部弘樹氏の文章をネタ元としているように思えるものばかりなのだ。
 こうなると、「コンコルド錯誤」という言葉の存在自体が怪しくなってくる。もし、本当に「コンコルド錯誤」という言葉が慣用句のようなかたちで使われるのだとしたら、検索結果に、もっと他のジャンルのサイトが出てきてもいいのではないかと思う。

 他の文脈で「コンコルド錯誤」という言葉を見た/聞いたことがあるという方は、
メールbbsにご一報いただければ幸いです。

12月4日(水)
 いかにも便乗本という雰囲気がただよっていて、書店で見かけても手にとることすらしなかったぶんか社の「絶対ミステリーが好き!2」に西尾維新のインタビューが載っていると知って、値段を見ずに他の本と一緒にレジに持っていったら1,300円(本体)もするので驚いた。「特集」として掲げられている記事が「本格ミステリーは『密室』で読め!」というもので、密室を扱った国内ミステリ42作品(9割以上が「綾辻以後」)について、それぞれ見開き2ページで、事件現場の見取り図つきで解説しているのでそれなりに金銭はかかっていそうなんだけど、力の使いどころを根本的に間違っているような気がしなくもない。

 インタビュー記事は西尾維新のほかに京極夏彦、若竹七海、高里椎奈。
 具体的にどこが、というわけではないんだけれども、どうもインタビュアーの発言とか、記事のまとめ方が全体的にこなれておらず、どの作家のインタビューもあまりおもしろくない。

 まあ、そもそもの目的だった西尾維新の話の内容自体には興味深い点もあって、例えば執筆中は特定のものしか食べないことにしているらしく、『クビキリサイクル』のときはナタデココ、『クビシメロマンチスト』のときはキムチ、『クビツリハイスクール』のときはカロリーメイトのみですごしたとか、森博嗣のマネをしてテレビを見なかった時期があるくらい傾倒していたとか。インタビュー中で名前の出た作家をピックアップしてみると、清涼院流水、綾辻行人、島田荘司、京極夏彦、森博嗣、夏目漱石、太宰治、芥川龍之介、上遠野浩平(文中登場順)であまり意外性はない。インプットされたものを効率よく再構成してアウトプットする才能に恵まれているのかな、と思った。
 ちなみに、主語は「私」。インタビューを通して受ける印象は、わりと普通の若者だなぁ、という感じだった。

 他には、清涼院流水の「特別書き下ろし流水大説」(未読)とか、週刊少年マガジンで『空の昴』を連載している本島幸久のマンガ(つまらない)とか、なんかちょっと違うんじゃない? という感覚が拭えないつくりの本だった。

12月2日(月)
 昨日の日記に書いた記述を一部削除しました。
 特に苦情等があったわけではないんですが、やはり問題のあるリンクのはり方だったと思い、削除することにしました。なかったことにするつもりはありませんので、批判、苦情等ありましたら
メールbbsにお願いします。


 今となっては完全に蛇足ですが、文章を削除した理由について追記します。
 私は昨日の日記で、あるサイトにリンクするにあたって、以下の点を認識したうえで行いました。

●リンク先サイトでは、その画像をアップすることにリスクがあると判断している。
●私がリンクすることにより、そのリスクが多少なりとも増大する。
●その結果、リンク先サイトに苦情等の実害が生じたとしても、現実的な問題として、私自身が責任を負うことはできない。

「軽率な行為」であると自覚したうえでリンクしました。リンク先では画像内容について具体的に記していないにもかかわらず、はっきりと書いたのも意図的なものです。削除した理由は、そこにはありません。
 しかし、以下の点にかんしては、事前に思い至りませんでいた。

◆私がリンクしたことにより、せっかくアップされた画像が早々にはずされてしまう可能性がある。

 これは、ニュース系のサイトでとりあげられている現時点(12/2 23:00)ではほとんどありえないことだと思われますが、少なくとも私が日記をアップした時点(12/2 2:00ごろ)では考えられなくもない可能性でした。自分のサイトを過大に評価しすぎ、という見方もあるかもしれませんが、可能性としては0でない以上、自重すべきでした。私個人としては、今回の画像をアップすることにともなうリスクというのは、私が文学フリマの「Dear Editor」を無断で全文転載したときよりやや高いくらいと判断しましたが、先方のリスクの判断が私と同じだという根拠もなく、リスクの増加にともなって画像をはずしてしまうという可能性は考慮してしかるべきでした。

 というようなことを、今日、出勤してから考えるに至り、帰宅したらまっさきに削除しようと考えていたのです(あきらかに手遅れですが)。帰宅後の私の行動は、帰宅→昨日の日記の一部を削除→アップロード→今日の日記として削除した旨を書く→アップロード→リンク先サイトで画像が削除されていないことを確認→ニュース系サイトで取り上げられていることを知る→会社で下書きをした2段落目以降の文章を追加→アップロード、という流れだったので、更新のあいまに訪問された方もいらっしゃったかもしれません。

 今となっては、昨日の日記を部分的に削除したことじたいが無意味といえる状況ですし、この文章もほとんど笑い話にしか見えないかもしれませんが、私が問題だと感じていた部分を明確にしたかったので、蛇足ながら追記しました。

12月1日(日)
 乙一『石ノ目』の挿絵を描いている「幡地英明」で検索したら、こんなページを発見。1977年から1988年までの「週刊少年ジャンプ」の表紙と連載タイトルが網羅されています。すげえ。むちゃくちゃなつかしいです。

 幡地英明というと、やまさき十三原作の『あした天兵』という作品があって、たしか野球マンガだったと思うんだけど、飲食店を経営している母親が主人公である息子にホットカルピスを出すというシーンで、「一度うまいって言ったら、そればっかりなんだよなぁ」(記憶が曖昧なので正確ではない)という主人公の台詞にたいへん共感を覚えた記憶がある。母親ってそういうもんだよな〜。


 ところで、当時、新書判のいわゆる「ジャンプ・コミックス」には、普通のジャンプ・コミックス(JC)と、関連会社である創美社から発売されるジャンプ・スーパー・コミックス(JSC)という2種類があった。なんとなく後者には早々に連載打ち切りになったマイナーな作品を出すレーベルというイメージがあったんだけど、例えば荒木飛呂彦の本誌連載デビュー作である『魔少年ビーティー』は10週打ち切りだったので、絶対にJSCだと思っていたら、JCだったので驚いた記憶がある。どういう使い分けをしていたんだろう? と今さらだが疑問に思った。

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