日記

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■2003年3月16日〜3月31日


3月31日(月)
「新現実」VOL.2購入。さっそく佐藤友哉「世界の終わりの終わり 第2話『世界の終わり』」を読んだ。とりあえず佐藤友哉の文章に関して私見を述べれば、「『世界』の終わり」と「灰色のダイエットコカコーラ」の間に大きな飛躍があったと感じていて、少なくとも「灰色のダイエットコカコーラ」以降の作品には目を覆いたくなるような「痛い表現」というのはほとんどなくなっているように思う。いや、もちろん、ほとんど同じように見える表現がないわけではないんだけど、使いどころを心得てきたというか、前後の文脈の違いというか、少なくとも「痛い表現」であることを自覚して用いるようになってきたと感じられるのだ。実際、今回「『世界』の終わり」を再読しようとしたんだけど、自己紹介のくだりのあまりの痛々しさに続きを読むことができなかった。
 で、新作を読んだ率直な感想は、「自己完結してるなぁ」ということだった。どうも、読者につっこまれそうな部分を先回りして自己つっこみすることに躍起になっているように感じられるのだ。そこがおもしろい、といえなくもないんだけど、読者としては口を挟み込む余地がないような気がする。まあ、それが目的であるなら、成功した、ということになるんだろうけど。
 それでも、あえて作品の大半を占める「作家である主人公と少女の物語」に対する不満点を述べるとすれば、以下の2点において、まだ「主人公」に対して「甘い」と感じることだろう。
 1つは、たとえパロディ的な意図があるにしても、所詮は「押し掛け女房」のバリエーションというか、ゆるやかな巻き込まれ型の物語である、ということ。結局、この物語において「主人公」は始終受け身でしかない。主導権を握っているのは少女のほうで、「主人公」はそれに対して反応しているにすぎない。いや、もちろん、そういう物語そのものを否定するわけじゃないけど、少なくともこの作品の向いている方向はそれとは違うと思うので。
 もう1つは、「主人公」と少女が相互補完的な人間関係である、ということ。もっとも、これは続編において別の局面があるのかもしれないが、それでも、相互補完的な人間関係のあり方は「くっつく」か「離れる」しかない(「『世界』の終わり」の反復!)。それでは、あまりにつまらないと思うのだ。
 とりあえず、第3話を刮目して待ちたい。


【お願い】
 たいへん申し訳ないのですが、どなたか、「密室本」の読者プレゼントの応募先を教えていただけないでしょうか? うかつにも、応募先をひかえずに出社してしまったので……。
 メールか、あるいははてなダイアリーのコメント欄にお知らせいただけると助かります。
 よろしくお願いします。


 さとるさん、ありがとうございました。

3月30日(日)
 庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』『白鳥の歌なんか聞えない』を買ってきて、とりあえず『赤頭巾ちゃん気をつけて』を読みはじめる。延々と続く自分語り。でも、嫌いじゃない。


 あと、以前から読まなくてはと思っていた野坂昭如の作品の中から、とりあえずデビュー作である『エロ事師たち』を買ってきた。
 いきなり余談になるが、冒頭をちょっとだけ読んでみて、もしかして谷川哀『リベンジ・ゲーム』(第1回NEXT賞受賞作)って、この文体を意識していたんだろうか? とふと思った。


 ほかに、歌野晶午『葉桜の季節に君を想うということ』、谷川俊太郎/高橋源一郎/平田俊子『21世紀文学の創造・別巻 日本語を生きる』を購入。

3月29日(土)
 というわけで、30000ヒット記念イラストです。

 あ、ちなみに、リクエストは送られてこなかったので、事前に描いていたラフをもとに仕上げました。次も地味に募集するつもりなので、そのときはよろしくお願いします。


佐藤友哉「世界の終わりの終わり」を読むための予備知識(になるかもしれないもの)

 佐藤友哉ファンサイト「フリッカー」で、気になる文章を見つけた。

 新しい世代のための庄司薫、
 あるいは「赤白黒青」四部作としての佐藤友哉の
「ぼく小説」第2弾。


 
イタリックになっているので、おそらく引用だと思われるのだが、出典は不明。しかし、「新現実」第2号に掲載される作品の惹句のようなものであることは間違いないだろう。3/30追記:「新現実」第2号からの引用だったようです

 丹生谷貴志は『家事と城砦』に収録されている「肉体の使用法」で、大塚英志の「庄司薫とサブ・カルチャー文学の起原」(「サブ・カルチャー文学論」第6回・「文学界」99年2月号掲載……まだ単行本にはなっていないようだ)に触れ、庄司薫の作品について分析している。

 私は庄司薫の作品を読んだことはないので、「肉体の使用法」からの引き写しになるが、「赤白黒青」四部作というのは、作家と同名の「庄司薫」を主人公とした『赤頭巾ちゃん気をつけて』『白鳥の歌なんか聞えない』『さよなら怪傑黒頭巾』『僕の大好きな青髭』からなる「薫くんシリーズ」のことで、作家「庄司薫」は『赤頭巾ちゃん気をつけて』とともに登場し、『僕の大好きな青髭』によるシリーズの完結とともに消滅した。
 しかし、それは正確ではない。この経緯がおもしろいので、ちょっと長くなるが引用する。

 
周知のように、三島由紀夫らが選者の新人賞を福田章二という本名(?)で得た庄司薫氏はデビュー当初から、作家であることを放棄する、或いは終わらせることを主要な身ぶりとした、日本では珍しいキャラクターの作家だった。処女短篇集『喪失』(中公文庫・現在絶版?)はすでに『封印は華やかに』という短篇を最後に「あとがき」で作家であることの封印宣言をする。実際、福田章二という名の作家は消え去り、しかし数年後に芥川賞受賞作『赤頭巾ちゃん気をつけて』で、今度は主人公と同じ「庄司薫」を名とする作家として復帰する。言わば簡単なドリアン・グレイ風トリックで、作品の主人公が現実の作家「福田章二」を「庄司薫」という別の、十三歳年下の青年に変身させるかたちで再生させる訳である。氏自身は別人として通すつもりだったようだが、庄司薫=福田章二ということは隠す訳にも行かず、このフェイクは、その作品が『ライ麦畑でつかまえて』に似ていたこともあって、当時すでに奇妙な隠遁生活に入っていたサリンジャー気取りのフェイクとして賛否両論の軽い議論にもなった。(以下略/丹生谷貴志『家事と城砦』収録、「肉体の使用法」P.31-32)

 またも、サリンジャー! それはともかく、「
作家であることを放棄する、或いは終わらせることを主要な身ぶりとした、日本では珍しいキャラクターの作家」「「あとがき」で作家であることの封印宣言をする」というのは、まるで佐藤友哉のことのようで、「新しい世代のための庄司薫」と言いたくなるのもよくわかる。

 というようなことを頭に入れてから読むと、また違う楽しみが見いだせるのではないだろうか。いや、私もまだ読んでいないので、根拠はないんだけど。

3月28日(金)
 はてなダイアリーはいきなり方針を変更してこのような形でいくことにしました。よく考えると、自分でもリンクと見出し紹介のみのサイトって基本的に見ないんだよな……と思ったので。


 で、そちらでも紹介した「イタチョコワールドエキスポ(仮)」。「
おいしいマズジューが飲めてヘナチョコなゲームができる店(ヤな店だな)」。30日に開店記念ライブをやるらしい。

 しかし、ここのマンガは、作者のサイトだというのになぜ雑誌からのスキャンなんだろう……?
 まあ、それはいいとして、主人公がなかなか登場しないマンガ「The story of PAW」はなかなかおもしろいですよ。特に各話の最後に載っている編集者との会話が(←そこはマンガではない)。

3月27日(木)
 昨晩は22時に就寝。起床は7時。なのにまだ眠い。


 カウンタの横に「
きりのいい数字でも何も出ませんよ」と書いてあるにもかかわらず、なぜか1万ヒットごとに描いているイラストですが、今回も描く予定です(ちなみに前回はこちら。その前のは個人的に闇に葬りたいと思っているのでリンクははりません)。
 もし、何かリクエストがあれば、メールにてお送りください。「眼鏡かけさせろ! 眼鏡!」とか「渋いオヤジ希望」とか、大雑把で構いません。匿名でもOKです。一応、しめきりは明日(28日)いっぱい。もし、リクエストが複数あった場合は、こちらの描きやすいものを選ばせていただきます。


 はてなダイアリーはじめました。トップページ、タイトル下の「memo」からもリンクしています。
 こちらとの差別化をはかるため、「リンク紹介のみで、私見は書かない」というスタンスでやっていきたいと思っています。


 高橋源一郎による大塚英志『キャラクター小説の作り方』書評
 むしろ読みたいのは、高橋源一郎の「キャラクター小説」にかんする見解なんだよなぁ。


 浅暮三文『ダブ(エ)ストン街道』読了。終盤は内容、文体のリズムともによかった。しかし、どうせなら物語はタニヤが行方不明になった直後からはじめて、ダブ(エ)ストンを探す過程も語って欲しかった。あと、赤い影の正体にかんする伏線があれば、もっとよかったのに。


「迷い方」には2種類ある。1つは当人が迷っていることを自覚している場合。もう1つは、当人が迷っていることに気づいていない場合。『ダブ(エ)ストン街道』に登場するのはすべて前者だ。どちらがすぐれている、という話ではないのだが、例えば高橋源一郎の作品であれば、駅伝の選手たちは目的地を「ドサイの街」とは言わず、自分たちがダブ(エ)ストンに迷い込んでいることすら気づかずに「箱根」とか「大手町」とか言うんだろうな、と思った。

3月25日(火)
 浅暮三文『ダブ(エ)ストン街道』を読みはじめる。MYSCON4で、高橋源一郎が好き、というお話をうかがったせいもあるんだろうけど、そこかしこに高橋源一郎の作品を連想させるところがある。特に『ゴーストバスターズ』と『虹の彼方に』(ちなみに、個人的な高橋源一郎作品の好みでいえば、『ゴーストバスターズ』は「中の上」、『虹の彼方に』は「下」、だったりする)。
 第4章まで読み進んだ現時点では、ちょっと微妙な感じだなぁ。


 以下の感想をアップ。いつになったら追いつけるのか……。


小川勝己葬列』★★★★
 第20回横溝正史賞受賞作。中年女性(を含む)グループによる「犯罪」を描いた作品ということで、桐野夏生『OUT』に似ている、という意見もあったようだけど、個人的にはそれほど似ているとは思わなかった。
 確かに、ツッコミどころの多い作品ではある。3人の女と1人の男が組んで、
銃器を手にヤクザの別荘に乗り込み、金を奪うという犯罪自体の荒唐無稽ぶりは、あきらかに無理があるのだが、物語の中心的人物ともいえる渚の存在によって、「現実」から「荒唐無稽な犯罪」への移行が、それなりにうまくいっていると感じた。とはいえ、物語のスピード感でごまかしているところは多分にあるのだけれど。
 何より、結末近くの救いのない展開はいかにもこの作家らしくて非常によかった。一見すると蛇足にも思えるが、その展開によって、物語の意味そのものが破壊されてしまうのだ。暴力の過剰さよりも、このように物語を終わらせてしまう点が、この作家の「鬼畜っぷり」の本領だろう。心底ひどいと思った(←褒め言葉)。
 また、横溝正史賞の選評で北村薫が書いているように、「
最後の1行にしびれた」。いや、これは本当にかっこいい。

 もっとも、上記の感想は、公平に見ればファンのひいき目ということになるのかもしれない。とはいえ、小川勝己の作風が好きであれば、充分、楽しめるはず。『彼岸の奴隷』ほどは人物造形もあざとくないし、個人的にはこちらのほうが好みだった。

 まったくの余談だけど、この作品と『彼岸の奴隷』と『まどろむベイビーキッス』は世界がそのまま繋がっているらしい(情報元:2ちゃんねるミステリー板「鬼畜クライムの最終兵器・小川勝巳」スレッド→155-156191)。特に後者は読み比べて笑った。

3月24日(月)
 昨日アップした東野圭吾『ゲームの名は誘拐』の感想に追記しました。


 舞城王太郎の新刊のタイトルは『九十九十九』って、やっぱりJDCなのか……。
 せめてタイトルだけでも『91919』になりませんか? なりませんか。
 どんな馬鹿トリックでもOKだけど、アナグラムだけは勘弁ね。


 我孫子武丸「e-NOVELSへの道」より井上夢人のe-NOVELS脱退について(情報元:Locked Room)。

 
一見、仲のよい友達同士であっても、何か共同作業をやろうとすると衝突する――これは大昔から繰り返されてきたことなのだろう。まあ、結局はそういうことです。

 確かに「
もう言い訳は効かない。分かってますよね?」という言葉からは、立場のかわった『おかしな二人』の反復という印象を受けるなぁ。


 以下、読了からひと月遅れの感想をアップ。
 伊坂幸太郎は、すでに読了している第3作『陽気なギャングが地球を回す』もおもしろかったし、4月には第4作『重力ピエロ』も発売予定で、そちらも非常に楽しみ。


伊坂幸太郎ラッシュライフ』★★★
 5つのピースによって構成された、物語のパズル。それぞれ独立したエピソードとして語られる5つの物語が、最終的に1つの絵として提示されるという構造の作品なのだが、その趣向そのものは、サプライズの演出を重視したものではなく、ばらばらの断片があるべき場所におさまっていく快感、とでもいうべきもので、歩き出す死体といったいかにもそれらしい「謎」があるにはあるものの、その「謎」にまつわる興味のみで物語を牽引しているわけでもなく、力点の置き方がちょっと独特でおもしろかった。力点の置き方が独特、とはいえ、読み終えた感触はたしかにミステリに違いなく、好きか嫌いかでいえば、こういう作風は大好きだったりする。
 善良な人物の造形は比較的安定しており、登場人物として過不足ない程度には魅力的なのだが、「悪役」的な登場人物の造形が(嫌な人物としてのマイナスの)「魅力」に欠けており、物語の都合によって造型された人物であるという印象が拭えなかった。もともと作為的な構成を、それと感じさせないまでにごく自然に描くには至っていないところが惜しい。

3月23日(日)
 なんか、もう、激しく今さらなんですが、ひと月以上放置していた以下の感想をアップ。追って(今日ではな
)、他の作品の感想もアップしていきます。


東野圭吾ゲームの名は誘拐』★★★
『レイクサイド』あたりにみられるいい意味での抑制のきいた筆致でコンパクトにまとめられた作品。しかし、雑誌連載時の『青春のデスマスク』というタイトルだったら、おそらく手にとらなかっただろうな、とは思う。
「被害者」を共犯とした狂言誘拐を犯人側からの視点のみで描いた作品で、タイトルに示されているとおり、「犯人」対「被害者の父親」との知的ゲームとしての側面が強調されており(両者はもともと仕事のうえで対立している)、弁解めいた倫理的な問題にかんする言及を一貫して退けているのは好感が持てる。しかし、犯人側からの視点のみで事件が描かれているため、その対戦相手として位置づけられる「被害者の父親」が、どんなに実務的でストイックな人間であると描かれていても、本当に「ゲーム」(犯人との対決)であると認識しているのかどうか確信を持てないまま読者は物語を読み進めなくてはならず、対戦相手が「たんなる被害者の父親」でしかない可能性をいつまでも否定できないあたりが「ゲーム」としての興味をいささか弱くしていると思う。犯人側からの視点のみで犯罪ゲームとしての側面を強調するのであれば、相手は警察にするべきだったと思うし、「犯人」対「被害者の父親」という構図を重視するのであれば、ほんの一部ではあっても後者の視点が必要だったのではないかと思う。
 
3/24追記。以下、ネタバレを含むので文字色を変えます。
 
相手を警察にしてしまうと完全に別の作品になっていまうから問題外として、「被害者の父親」の視点を入れた場合、叙述トリック的な手法に頼らざるをえないという問題点があって、例えば「父さんが必ずおまえを助けてやる」というようなモノローグは真相をふまえても「あり」だとは思うけど、人物造形の一貫性という意味では違和感を覚えるし、どうしても細部を曖昧にぼかして書く必要があるからこの作品のシンプルな構成にはそぐわないし、そう考えると、やはり現状の構成がベターなのかもしれない、と思い直した。
 ただ、この作品の方向性そのものは大いに支持したい。いくらか不満はあるけれど、おもしろかったことは確かだし。

3月22日(土)
 右上の親知らずを抜いた。左上のときと同じで、拍子抜けするくらいあっさりと終わった。麻酔がきれても、痛みはそれほどない。以前と比べて、口の中が広くなった感じがする。1年ちょっと前と比べると3本も歯が少ないのだから、当然といえば当然なんだけど。
 最後のひとつである右下の親知らずは、手前の歯に引っかかるようにはえているので、割ってから抜くことになるはず。すでに虫歯になっているから、少しでも早く抜くべきなのだが、気が重い。

3月21日(金)
 夢人.com(情報元:Locked Room)。
 いろいろ勝手に妄想して心配していたんですが、こういうことだったんですね。とりあえずひと安心。

 しかし、うちの環境で「立ち読み」しようとすると、体裁がぐちゃぐちゃで、ちょっときびしいなぁ。


 伊坂幸太郎『陽気なギャングが地球を回す』読了。前作『ラッシュライフ』もそうだったけど、物語によってつくられたパズルのような趣の作品で、たいへんおもしろかった。主人公が銀行強盗をはじめるきっかけとなるエピソードは、そのまま「小説」に対するスタンスとしても読むことができて(妄想?)、興味深い。

3月19日(水)
 若竹七海『遺品』読了。非常におもしろかった。「厭な感じの場面」と「ほっとする場面」の緩急のつけ方が巧み。物語的に重要な細部なのだから当然といえば当然なんだけど、主人公が行う作業の内容が具体的に記されているのが良かった(こういう細部を適当にごまかしてしまう作品も多い気がするので)。ホラー作品ではあるものの、ミステリとしても楽しめるあたりはさすが。


 昨日の日記で「MACPOWER」4月号に掲載されていた京極夏彦インタビューにかんして書き漏らしたことなんですが、京極夏彦はこんな発言をしていました。

 
ええ。InDesignは確か、1万ページまで対応するんでしたよね。私の作品なんてまだまだ……。でも1万ページが本当に可能なのか、挑戦してみようかと(笑)。

 仮に講談社ノベルスだとすると、どれくらいの厚さになるんだろう? そもそも、ファイルを開くだけで恐ろしく時間がかかりそう。ぜひとも実際に挑戦していただきたい。

3月18日(火)
作家の仕事術 第38回 小川勝己」と「近況」(情報元:2ちゃんねるミステリ板「鬼畜クライムの最終兵器・小川勝巳」スレッド)。

 
某社で小川勝己版「おもいでの夏」というか「青い体験」というか「女教師はニ度犯される」というか「ハレンチ学園」というか「まいっちんぐマチコ先生」というか、そういうやつを書くことになり、その手のビデオをずっと見てます。本人は仕事感覚ですが(信じてくれ)端から見れば無気味でしょうね。

 今度は学園もの? 楽しみです。


「MACPOWER」4月号に京極夏彦のインタビューが掲載されていて、まあ、内容としてはほとんどアップルのサイトで紹介されていたものと同じなんだけど、ちょっと驚いたのが、「Adobe InDesign」を使ってそのまま執筆しているということ。いや、「Adobe InDesign」でPDFを書き出して完全データとして入稿しているというのは知っていたんだけど、執筆そのものは「EGWORD」あたりを使って、タグ付きテキストファイルを書き出してから、「Adobe InDesign」に読み込ませて体裁を整えているのかと思っていた。京極夏彦にとって、「文章を書くこと」と「デザイン」が不可分であることがよくわかった。ちなみに、使用機種はPower Mac G4(Quick Silver)1GHz Dualらしい。


MYSCONレポート最終回。


 ゲリラ企画「MYSCON裁判」。フクさんがローマ風呂で死体で発見される。現場には「ローマ風呂でmatsu。」のメモが残されていた。容疑者はmatsuoさん。検察側は松本楽志さん。弁護側はINOさん。証人は蔓葉信博さん。そして颯爽とあらわれるバラをくわえた探偵がおがわさん。小ネタ・大ネタの乱れうちで、むちゃくちゃ笑いました。
 ただ、matsuoさんが事前に自分が容疑者であると知らなかったこと、おがわさんの登場をスタッフのほとんどが知らなかったことは、あとから知ってみればなるほど、とは思うんですが、観客側からすると、ちょっとわかりづらいネタでした。

 上方講談師・旭堂南湖さんによる「探偵講談」。さすがはプロのしゃべり。思わず引き込まれる。
 しかし、途中で尿意を催し、とうとう我慢できずに部屋を抜け出す。出口に近いところでよかった。戻ったら、3分とせずに第1部は終わってしまう。もうちょっと我慢すればよかった。しかし、ビールを飲むとトイレが近くなるのはいつものことで、第2部以降も、また途中で席を立つことになりかねないと思い、ストーブから1メートルのところに座っていてひどく暑かったということもあって、大広間に移動。

 それ以降は、大広間と喫煙室を行ったりきたり。明け方近く、喫煙室で繰り広げられていた浅暮三文さんとDR.メフィストさんの師弟漫談(?)を観客モードで堪能させていただく。密室千羽鶴用にと持参した密室本の袋綴じの紙も、無事、DR.メフィストさんに渡せてひと安心。

 そして、閉会。初参加でしたが、たいへん楽しかったです。
 スタッフの皆様、おつかれさまでした。
 私自身は、さまざまなイベントや、いろいろな方のお話を聞くことができて楽しんだのですが、私のほうからは他の参加者の方や、MYSCONというイベントに何も提供できなかった、という思いがあって、このへんは来年以降の課題としたいと思います。

3月17日(月)
 黒書刊行会様
 今回の件は、指摘していただいて、たいへんありがたかったです。本来なら指摘される前に改めるべきところなんですが、なかなか自分では気づかなかったり、気づいても放置していたりといったことも多いので、今後もお気軽につっこんでいただければ幸いです。


MYSCONレポートの続き。


 全体企画「ダイイング・メッセージング」。松本家の三つ子が殺され、現場にはダイイング・メッセージが残されていた。その意味は? そして、犯人は? という問題に対する回答を、ミステリに強い出版社の名前が冠せられたグループごとに発表するという企画。問題では2つのダイイング・メッセージが提示され、3つ目は自由に考えることができる。ぶっつけ本番で、ほとんどアドリブのはずなのに、どうしてみんなあんなに発表時のしゃべりがうまいのか? すごい! と思った。私は近田鳶迩さん率いる「光文社」グループで、発表順が上方講談師である旭堂南湖さんを擁する「春陽堂書店」グループの直後という非常に運の悪い条件に加え、テーブルの両端でそれぞれ別のネタを考えていて、まとめる時間もないまま、強引に2つのネタを続けて発表してしまおうという混乱した状況のなか、近田鳶迩さんが発表者としてがんばってくださいました。まかせきりでごめんなさい。


 読書会。課題本は法月綸太郎『法月綸太郎の功績』。意外と参加者が少なかった。今回の課題本は「本格とは何か?」という議論を避けるために選ばれたらしいけど、どちらかというとみんな「本格とは何か?」について語りたかったのだろうか? 参加者があげた好きな作品は「=Yの悲劇」「都市伝説パズル」「縊心伝心」の3作のみで、一番人気は「都市伝説パズル」だった。私もこの作品をあげた。
 良くも悪くも「教科書的」というところで意見の一致をみた「都市伝説パズル」だけど、個人的にどこが好きかというと、ほとんど理想的ともいえる冒頭の書き出し(魅力的な謎の提示)と、6人という決して少なくない容疑者を提示したあとの、容疑者の切り分けの手際のよさ。これは非常にうまいと思う。……というようなことは、読書会の場で発言しようよ>俺。というわけで、読書会では、ほとんど発言せずに他の方の話を聞いているだけでした。反省。


 続きはまた明日

3月16日(日)
MYSCONから帰宅。とりあえず寝て、起きてから簡単なレポートを書くつもり。


 起きた。

 浅暮三文さんとお話できた。噂に違わぬハイテンション(酔っ払い)ぶりに驚いたが、それでも例年よりはひかえめだったらしい。
 そもそも『ダブ(エ)ストン街道』は高橋源一郎に読んでほしくて「ファンタジーノベル大賞」に応募したのだが、運悪く審査員が変わってしまった。メフィスト賞からデビューが決まったとき、帯の推薦文は誰がいいかと編集者にきかれたので、せっかくだからと高橋源一郎の名前をあげた。高橋源一郎は推薦文の執筆を承諾したが、この作品にはひとつだけ構造的な欠点があると言った。それは何か、という編集者の問いに、高橋源一郎は「秘密です」と答えた。
 ちなみに、浅暮三文さんが好きな高橋源一郎作品は、『ゴーストバスターズ』と『ペンギン村に陽は落ちて』(ベストは前者)とのこと。「物語性」と「メタ・フィクション的な手法」のバランスがポイントらしい。

『ダブ(エ)ストン街道』は長らく読みそびれていたので、近日中に(今度こそ)読もうと思った。未読の本にサインをもらうのもどうかと思ったので『ダブ(エ)ストン街道』は持っていかず、『殺しも鯖もMで始まる』にサインをいただいた。


 また、夜に書きます。


 若竹七海インタビュー。進行そのものはちょっとぎこちなかったけど、インタビュアの作者に対する思い入れが感じられるインタビューで、その進行のぎこちなさも含めて楽しめた。
「私にノワールの悪口を語らせると長いよ」ということで、若竹七海はノワールが大嫌いらしい。ちょっと意外な感じ。あとは『心のなかの冷たい何か』『水上音楽堂の冒険』が文庫化されない理由とか。これはデビュー直後の作品のため、いま読み直すと不満点が多く、ただ、直すとなると新作を書き下ろすのと同じくらいの労力がかかるため、そのままになっているとのこと。「文庫で出すとしたら、そのまま(直さずに)出すようかな、と思いはじめている」らしいので、意外とあっさり出たりするのかも。最近は文章の読みやすさを非常に重視しているのだが、その点があまり表立って評価されないことに不満を感じているらしい。文章が読みやすいということは、読者が文章を透明なものとして意識しない、ということとほぼ同義だから、これは仕方ないのかな、という気もする。作者が、作中で試練を与えることに喜びを見いだしているという探偵・葉村晶のシリーズは1冊も読んでいないので、読んでおこうと思った。

 続きはまた明日

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