読書の記録(2000年 3月)

「模造人格」 北川 歩実  2000.03.02 (1996.10.04 幻冬舎)

☆☆

 木野杏菜には子供の頃の記憶が無かった。事故により一旦全ての記憶や知識を失った杏菜は,母の茜によって再び赤ん坊の状態から育て直されたのだった。ある日母親は杏菜を旅行に連れ出すが,突然宿泊先のホテルから行方を消してしまう。残された母の手紙には,杏菜を迎えに来る人がいると言う。訪れたのは弁護士の森島と息子の政人,政人の友人の外川大樹の3人。しかし彼等は杏菜を迎えに来たのではないと言う。そして杏菜と言うのは大樹の妹であり,4年前に起こった猟奇殺人事件で殺されたと言う。杏菜だと思っていた彼女は誰なのか。4年前の事件の真相は何なのか。

 物語は自分が杏菜だと思っている女性と,政人の視点で展開されていきます。杏菜は4年前の事件で殺されたのか。だとしたら誰が何の為に,記憶喪失の女性を杏菜として育てたのか。もし殺されていなかったとしたら,事件の真相は何だったのか。杏菜の視点からは,自分の存在に対する疑問が,そして政人の視点では,政人や父親の森島や大樹の様々な推理が展開されます。実物の杏菜自体の複雑な子供時代,4年前の事件が起こった背景などが提示されればされるほど,こんがらかっていきます。真相への推理も示されては,次々と否定されていきます。ここらへん,前々作の「僕を殺した女」と同様ですね。記憶を扱っているのも同じです。記憶とは何か,記憶と人格は別物なのか。興味深い考えではあるのですが,読んでいて辛いですね。論理的な思考をする人にはいいのかもしれませんが,何か判りにくかったですね。登場人物の描き方も平板で,読みにくさを加速させている様に思えました。

 

「探偵宣言 森江春策の事件簿」 芦辺 拓  2000.03.06 (1998.03.05 講談社)

@ 「殺人喜劇の時計塔」 ... 交通機関のストで高校は臨時休校。演劇部の部員が学校に来ていたがヒロインの元彼氏が殺された。
A 「殺人喜劇の不思議町」 ... 旅行中に偶然立ち寄った町で起こった殺人事件。骨董品の銃によって旅館の経営者が殺された。
B 「殺人喜劇の鳥人伝説」 ... 山の上にあるホテルの送迎バスが突然の事故。居合せたハイカーが空を飛ぶ人を見たと言う。
C 「殺人喜劇の迷い家伝説」 ... 山の中腹にある洋館が消えた。その跡に残された物置には死体が入っていた。
D 「殺人喜劇のXY」 ... ある雑居ビルで起こった連続殺人事件。事件の前に不審な二人組の男が1階にある喫茶店で目撃されていた。
E 「殺人喜劇のニトロベンゼン」 ... 貰ったチョコレートを食べた夫婦の妻が亡くなった。誰が何の目的で誰を殺そうとしたのか。
F 「殺人喜劇の森江春策」 ... 高校時代の同級生が訊ねて来たのだが,背中にナイフを刺されて殺されてしまった。

 いきなり高校生の森江春策さんの登場です。と言っても判らない人も多いでしょうね。森江春策と言う人物は,芦辺拓氏の作品に登場してくる探偵役で,職業は弁護士です。連作短編の形をとっていますが,主人公の森江が高校生から大学生,そして新聞社の地方駐在の記者を経て弁護士になる間に出会った事件を解いていく形をとっています。血塗られた時計塔,離れられない町などのシチュエーションは面白く,トリックもなかなか凝っています。だけど読んでいて面白くないんですよね。面白くないと言うよりも,読み辛いと言った方が正確でしょうか。まどろっこしい表現が多いんですよね。一体何の為にこんな事言うのか判らんと言う部分が多々あって,読んでいて疲れました。最後の作品を読んでちょっと救われた気分ですが,これ最後だけ読んでも駄目ですよ。殺人喜劇と言うタイトルからも判る通り,本来ドロドロとした殺人事件を軽く扱っています。それは別に構わないのですが,森江氏や警察をはじめとする関係者が皆軽薄な感じがしてしまうのも,作品に入っていけない原因でしょうか。

 

「カウント.プラン」 黒川 博行  2000.03.07 (1996.11.20 文藝春秋社)

☆☆☆

@ 「カウント.プラン」 ... 何かの数を数えないといられない男。彼は一人黙々とメッキ工場で働いていたところ,近くのスーパーに脅迫状が届く。
A 「黒い白髪」 ... 寺の住職と葬儀屋の社長が喧嘩して,社長が大怪我。そばには大金,そして住職の車の中には,謎の髪の毛が。
B 「オーバー.ザ.レインボー」 ... ペットショップから熱帯魚を奪った男。ペットの小鳥には派手な彩色,そして少女を連れ去ってしまう。
C 「うろこ落とし」 ... 学生の頃から親しかった女性二人が出刃包丁で殺し合い。生き残った方は正当防衛だと思われたが。
D 「鑑」 ... アパートのごみ捨て場から,女性が捨てたゴミをあさる男。ラブホテルでの殺人の容疑が掛けられたが。

 何故か数を数えたくなってしょうがない時ってありませんか。僕はたまにあるんですよ。例えば駅の階段を登ったり降りたりする時に,何段あるのか数えてしまいます。たまたま目にした看板に書かれている文字の数を数えたりする事もあります。別に異常な行動だとは思いませんが,気になってしょうがない時がたまにあります。この作品にも数を数える事が脅迫観念となってしまっている人が出てきます。またそれ以外にも,鮮やかな色に異常な興味を示す男,ゴミの中から女性の下着などを漁る男なども出てきます。何か異常な主人公達ばかりですね。そんな主人公の視点と,事件を捜査する警察の視点が繰り返される書き方が面白いですよ。最初の「カウント.プラン」に数を数える男が出てきます。何か少し彼の気持ちが判りますねえ。私はあれほど異常ではありませんが。まあ,この作品は伏線が目立ってしまって,僕にだって結末判ってしまいましたね。その後の作品も同じ様な趣向かなと思っていたのですが,あっさり裏切られました。会話は相変わらず関西弁なのですが,雰囲気に合っていて,いいですね。

 

「透明な一日」 北川 歩実  2000.03.08 (1999.07.30 角川書店)

☆☆☆☆

 14年前に福岡で起こった連続放火事件で,伴に母親を失った能勢幸春と竹島千鶴。二人はその過去が縁となり,東京で再開後結婚する事になる。科学者である千鶴の父親に挨拶に行った能勢は,千鶴の父親の異変に気が付く。千鶴は黙っていたのだが,千鶴の父親は6年前の交通事故で,前向性健忘症になってしまっていた。この病気は,脳の障害によって新たな記憶をする事ができず,彼にとっては事故に遭った6年前の1月6日の毎日を繰り返していると言う事だった。だから彼から見れば千鶴は12歳のままでしかない。家族やかつての研究者仲間も,彼に会わせて演技をしている毎日だった。そんな折り,14年前の放火事件を知る,二人の知り合いが殺された。

 この病気の事,前にテレビで見た事があります。家族の話も出ていましたが,大変な事でしょうね。作品の中で書かれている事によりますと,脳の中で記憶は短期的な記憶と長期的な記憶に分かれているんだそうです。短期的記憶の領域が一杯になると,それは長期的な記憶領域に移されて,短期的な記憶領域はリセットされる。何でも酔っ払った次の日に,前夜の記憶を無くしている状態も,これと同じだそうです。おー,コワ。さて作品の方ですが,14年前に起きた連続放火と現在における連続殺人事件。この二つの事件の関連性と,その犯人に対する仮説がいくつか提示されては否定されていきます。ここら辺は今までの北川作品同様です。最後の最後まで真相は見えてきません。そして結末は...。ちょっと強引な気がしないでもないですが,読後感はいいですね。他の作品に比べて真相も判りやすかったですし。でも出てくる科学者が皆それっぽく見えなかったり,能勢と千鶴が若いカップルとは思えない(別にHシーンが無かったからではない。)のがどうでしょうか。でも北川作品では今のところ,これがベスト。

 

「勇気凛凛ルリの色2 四十肩と恋愛」 浅田 次郎  2000.03.10 (1997.01.20 講談社)

☆☆☆☆

 「週間現代」に連載されていた浅田さんのエッセイ集の第2弾です。オウム真理教が世間を騒がし,沖縄の基地問題が議論されていた頃に書かれた物ですので,それにまつわる話題が多いですね。冒頭にて,何がオウムの暴走を許したのかと言う話が出てきます。それに対して銭湯に来た二人の子供を例にして,社会的な背景と言うより,一人一人が第三者では無いんだと言う事を示します。うまいですねえ,引き込まれてしまいました。笑いあり,涙あり,そして考えさせられる物ありのバラエティに富んだエッセイ集です。ところでタイトルにある四十肩ですが,私もなった事あるんですよ。四十肩とか五十肩と言うのは俗称で,正式には肩関節周囲炎と言うのだそうです。要は老化現象で肩の油切れってとこでしょうか。私の場合も,ある日突然肩が痛くなって腕が頭より上に上がらない状態になりました。普通の生活の中では,あまり腕を上に上げると言う事が少ないですから,お風呂に入った時なんかに,両手を上げる運動を心がけています。

 

「オルファクトグラム」 井上 夢人  2000.03.12 (2000.01.30 毎日新聞社) お勧め

☆☆☆☆☆

 片桐稔には一卵性双生児の兄が居たのだが,稔と違って体の弱かった兄は子供の頃病気で亡くなった。兄は死ぬ前の病床で,不思議な言葉を残していた。「風がきれいだね」と。その後稔は大学を中退し,バンド仲間とアルバイト生活を送っていた。ある日自主製作したC/Dを嫁ぎ先の姉の所へ持って行った時,姉の家の異変に気が付く。姉はベッドに縛りつけられており,助けようとした稔は何者かに殴られ意識を失った。1ヶ月後,奇跡的に意識を回復した稔は姉が殺された事を知らされる。そして自分の体が以前とは違う事に気が付く。それは嗅覚が無くなっており,匂いを視覚として認識出来るようになっている事だった。それも普通の人では到底認識出来ないような匂いまでも判る様になっていた。彼は幼くして亡くなった兄も同様だったのだと知ると同時に,この能力を姉を殺した犯人の捜索に役立て様とする。

 犬以上の嗅覚を得る。それも嗅覚としてではなく視覚として匂いを認識する。荒唐無稽な設定なのだけれど,そんな事をまったく感じさせないのは,匂いの描写の素晴らしさなのだろうか。恋人であるバンド仲間のマミの匂いはルビー色。体の部分によっては色も形も違うし,その時の気持ちによっても変化する。匂いと言う主観的な感覚を視覚的に捉える事によって,読者はスムーズに理解できる様になる。これが焦げ臭い匂いやら,甘い匂い何て表現ばっかりだったら,読んでいて嫌になるでしょう。そして意識が戻った稔が,この状態を前向きに受け入れて行く過程なんかも,すごく納得が行く。だから読んでいて気持ちがいい。かなり長い話なのだが,一気に読めてしまう。それにマミとの軽妙な会話や,自分の能力を相手に伝える説明何かもうまいですよねえ。文章力の勝利です。ところで犬はどうやって匂いを処理してるんでしょうか。視覚的に捉えている訳ではないでしょうから,さぞかし鼻が曲がってしまう毎日を送っているのでしょうか。

 

「スペイン灼熱の午後」 逢坂 剛  2000.03.13 (1987.06.15 講談社)

☆☆☆☆

 フリーカメラマンの師岡弦が,長期海外出張から戻ってきたら,同居している父親が蒸発していた。今年出版社を定年退職した父親からの,「これから私の第二の人生だから,自分を探すな。」と言う書き置きが残されていた。父の友人にあたっても何の手掛かりも無かったが,精神病院に入院している祖母の部屋で見つけた,スペイン人からの一枚の絵葉書。その絵葉書は祖父の生存を知らせる内容だった。父の父,つまり弦にとっての祖父は,外交官だったのだが,父が子供の頃に赴任先のヨーロッパで行方不明になっている事は聞かされていた。スペイン語に堪能な恋人の漆山由芽子とともに,弦はスペインへと向かう。

 スペインを舞台に,祖父を探す父と,その父を探す息子の話です。スペイン内戦なんて遠い過去の話の様に思えますが,起こったのは1936年で,日本では2.26事件の起こった年です。私が子供の頃は,手や足を失った軍服姿の人を町角で見掛ける事がありましたので,子供心にも戦争があった事を実感させられました。宮部みゆきさんの「蒲生邸事件」でも感じましたが,過去は単に過去ではなくて,現在まで続いているのだと言う,ごく当たり前の事実を思い知らされます。ここでは時代の繋がりに,血の繋がりを結び付けているので,さらにその感が強く感じられます。まあ世界各地で起こっている民族紛争なんて,とてつもない過去や民族や宗教や血の繋がりを引きずっている訳ですけどね。さて物語は面白いですよ。突然行方が判らなくなった父親。知らされていないと言うより興味すら持っていなかった祖父の存在。そしてスペインに渡ってからの父親探し,謎の殺し屋の存在。いくつもの謎が現れ,過去の話をはさんで,ハラハラドキドキの展開。そして結末もいいですねえ。だけど普通,自分の身近にスペイン語が出来る奴なんて居ないよナア。

 

「黄金時代」 椎名 誠  2000.03.15 (1998.05.30 文藝春秋社)

☆☆☆

 中学2年の時,いきなり不良グループから呼び出しを受けた。リンチである。初めて人を殴った。そして殴られた。オレは喧嘩が強くなりたいと思った。それから友人二人とともに,喧嘩の授業が始まった。夏になると海の家になる,海辺の建物に住みついている,ゆうさんと言う男が先生だ。夏の訪れとともに,ゆうさんは居なくなってしまった。そして復讐の日は突然やってきた。

 椎名さんの高校時代を中心とした自叙伝だそうです。何か喧嘩の話ばかりの印象を受けますが,椎名さん自体は喧嘩好きと言う訳ではなく,「降り掛かる火の粉ははらわにゃいかん」,と言うところでしょうか。最近の子供は殴り合いの喧嘩はしないんでしょうか。良く子供が起こした事件なんかで,死んじゃったりすると,「最近の子供は喧嘩の経験が無いから,加減が判らない」等と言う意見を聞きますから,多分しないんでしょう。私の息子もしているような様子は見られません。第一,「不良グループ」何て言葉自体最近は聞かないですよね。だからと言って最近の子供が模範的な存在かと言うと,全く逆の感じがしてしまいます。別にいじめっ子,ガキ大将,番長と言った者達を頂点とするヒエラルキーの中で,子供達は秩序を学んでいたとは言いたくないですけど,大人も子供もそれぞれに無関心になってるんでしょうか。だけど生き生きとした文章ですね。そしてあの頃を「黄金時代」と言えるっていいですねえ。

 

「遭難者」 折原 一  2000.03.16 (1997.05.30 実業之日本社)

☆☆☆

 東京で暮らす母親の元に,息子の遭難の知らせが舞い込んだ。会社の山岳部で行った,残雪期の北アルプス後立山を縦走中に,転落したらしい。懸命の捜索が行われたが,偶然他の遭難遺体を発見しただけで,雪彦の遺体は発見できなかった。そしてその年の夏,釣り人によって偶然に雪彦の腐乱死体が発見された。雪彦の遺品を整理していた母は,雪彦の部屋で隠された手紙を見つける。その中に出てくるNとSは誰なのか。そして雪彦の死は本当に事故だったのだろうか。

 大学3年の時,蓮華温泉から白馬岳に登り,不帰を越えて唐松岳まで縦走しました。不帰キレットを越えたあたりから強い雨が降り出し,結構怖かった記憶があります。ガスの合間から覗くU峰の黒々とした岩壁,信州側,黒部側とも鋭く切り立った狭い尾根。一緒に行ったのはMさんとCさんと言う女性二人だったんですが(エヘヘ),ちょっと背中を押してあげれば,完全犯罪の成立です。やらなかったけど。それはいいとして,この作品は作りが凝っています。「不帰に消える」「不帰ノ嶮,再び」の2冊がセットになっているのですが,追悼集と別冊と言う構成です。追悼集の方には山行記録を初め,地図や写真,死亡届やら何やら一杯詰まっていて,一人の青年の遭難事故を追ったドキュメンタリーの様な感じです。製本もそれらしく,本当の追悼集を読んでいる感じです。折原さんの作品だから,どうしたって叙述トリックの冴えに期待をしてしまうんでしょう。でもここまで凝った作りにした事が,どうも活かされているとは思えませんでした。だけど新しい試みには拍手したいと思います。しかし山登りを趣味とする者から言わせていただければ,山の場面での真実味の無さは頂けませんね。まあ山を知らない人には気にならないだろうとは思います。ところでこの本を読んだだけで,不帰に行ってみようなんて思わないでくださいね。(ちなみに不帰は「かえらず」と読みます)

 

「耳すます部屋」 折原 一  2000.03.17 (2000.02.15 講談社)

☆☆☆☆

@ 「耳すます部屋」 ... 同じ団地に住む子供を預かった主婦。子供の母親から,子供が帰って来ないとの電話がしつこく掛かる。
A 「五重像」 ... 誘拐殺人の現場を目撃してしまい,犯人に殴られた少女。彼女は怪我の影響で5重に物が見えてしまった。
B 「のぞいた顔」 ... 昨夜忘れ物を取りに行った学校で,幽霊に襲われたと生徒が訴えてきた。その晩遅くまで残っていた先生。
C 「真夏の誘拐者」 ... 子供を車に残してパチンコをする主婦。車はキーを付けっぱなしにしていたが,謎の男に乗り逃げされた。
D 「胆だめし」 ... 昨年行われた胆だめしでは大恥じをかいてしまった。今年は呼ばれなかったので,何とか仕返しをしてやろう。
E 「眠れない夜のために」 ... 引っ越してきたマンションの隣の音がうるさい。週刊誌の相談コーナーに取り上げてもらった。
F 「Mの犯罪」 ... 連続幼女殺人事件の被害者に,あやうくなりかけた少女。年は過ぎ,かつての事件は時効を迎えた。
G 「誤解」 ... 中学生がいじめを苦に,学校の校庭で焼身自殺をした。そして同級生が猟銃の誤射事故で亡くなった。
H 「鬼」 ... 夕方の学校で行なわれたかくれんぼ。鬼をのこして皆帰ってしまった。大人になってその学校で百物語。
I 「目撃者」 ... 夜中の公園で起こった殺人事件。それを目撃してしまった男と,目撃されてしまった女。

 折原一さんの作品ですから,叙述トリックですと断わってしまって構わないと思いますのであしからず。こう言うトリックの場合,それが使われている事自体が判ってしまってはいけないので,全てにおいて叙述トリックを疑われる折原さんは大変でしょうね。ですから折原さんの作品は,そんな読者のさらに裏をかくために,やたらと複雑な構成になってしまいます。登場人物や,時間の経過,場所などをくるくる入れ替え,手紙や日記や作中作などを駆使して読者を煙に巻きます。好きな人にとってはいいのでしょうが,私からすると着いて行けない部分が多いんです。ですから本作の様に短編で読むと,すっきりしていいですね。もっとも結末が見えてしまうと言う事もあります。しかしここでの作品は結構ひねりもきいていて,キレが感じられました。また「異人たちの館」「暗闇の教室」など,過去の作品を彷彿させる部分もあって,楽しめました。

 

「てとろどときしん」 黒川 博行  2000.03.22 (1991.09.26 講談社)

☆☆☆

@ 「てとろどときしん」 ... かつて良く通ったふぐ料理の店はもう無かった。何でも中毒で客が死亡する事故が原因で廃業したらしい。
A 「指輪が言った」 ... 林の中で財布を拾った日雇い労働者。財布の持ち主が殺された宝石業者だと知って,ある計画を立てる。
B 「飛び降りた男」 ... 夜中に自分の部屋の中で,頭から血を流して倒れていた予備校生。連続する強盗犯の仕業だった。
C 「帰り道は遠かった」 ... タクシーの運転手が行方不明になった。残された車には大量の出血の跡が残されていた。
D 「爪の垢,赤い」 ... 電車の網棚に残された包みの中に入っていたものは,死体から切断された人間の指だった。
E 「ドリーム.ボート」 ... 同棲していた男性の元に訪れた刑事。先日起こった誘拐殺人事件の容疑がかけられている様だった。

 大阪で起こった事件を追う大阪の警察。だから犯人も警察も会話は全て大阪弁。シリアスであるべき事件捜査が何となくコミカルに思えてしまうのは,大阪弁=漫才と言う感覚があるからだろうか。まあ,それを差し引いても,結構軽い会話が多いですね。青森で起こった殺人事件だったら,警察の捜査会議は東北弁で行なわれるんだろうし,福岡の誘拐事件では,当然九州弁で身代金受け渡しの指示がされるんでしょう。考えなくても当たり前の事ですが,標準語(と言うのがあるのか否かは知らないが)で書かれた作品ばかり読んでいるので,新鮮な感じがしてしまいます。表題作になっているテトロドトキシンは河豚が持っている毒の事ですが,最近起こる毒殺事件って青酸カリや砒素が多いですよね。河豚とかトリカブトの様に自然界に存在している毒よりも,そう言った毒薬の方が入手が楽だと言う事なんでしょう。怖い話ですよね。

 

「黒い家」 貴志 祐介  2000.03.23 (1997.06.30 角川書店) お勧め

☆☆☆☆☆

 保険会社の京都にある営業所に勤める若槻慎二は,保全と言われる保険金支払い業務を担当していた。ある日若槻を名指しで指名したクレームの電話が入った。若槻はその顧客に覚えがなかったが,取り敢えずその顧客,菰田重徳の家を訪れる。古くて黒い家,若槻が異臭の中に見たものは,菰田の長男である和也の自殺死体だった。天井からぶら下がった首吊り死体を見て驚く若槻。しかし彼を驚かせたものは和也の死体だけではなく,若槻の反応を伺うように覗き見る菰田の視線だった。他殺の線も考えられた為に,支払いの遅れる保険金。執拗に支払いを迫る菰田の態度に,次第に追い詰められて行く若槻。

 ロス疑惑,トリカブト殺人,和歌山カレー。保険金にまつわる犯罪って,それら有名になったもの以外にも結構あるんでしょうね。殺人事件にまで発展してしまうと,バレる確率も高くなってしまうんでしょうが,保険金の不正な受給なんて多いんでしょうか。作品の冒頭で,こう言った不正に関する生々しいやりとりが展開されます。ここらへんでグッと引き込まれてしまいます。さらに若槻の兄にまつわる過去の話,昆虫の薄気味悪い描写,サイコパス等に関する薀蓄。こう言った部分がメインストーリーに重みを与えていきます。バランスがいいんでしょうね。犯罪心理なんかに係わる説明が多すぎると,結構しらける場合が多いのですが,菰田の不気味さや若槻の心理状態がストレートに伝わってきます。この作品は第4回日本ホラー小説大賞受賞作なので,ホラーと言う事になるのでしょう。でも死んだ人間が生き返ったり,謎の化け物が出てきたりはしません。そんなもん出てくるより,ずっと恐い話です。

 

「クリムゾンの迷宮」 貴志 祐介  2000.03.24 (1999.04.10 角川書店) お勧め

☆☆☆☆☆

 藤木芳彦が目を覚ました場所は,全く見慣れない場所だった。ここは日本なのか,そもそも地球なのかも判らない世界だ。確か今は冬だったはずだが,まるで真夏の様な気候。何でこんな所に居るのか,全く記憶が無い。手元にあったゲーム機にメッセージが映しだされる。「火星の迷宮へようこそ,ゲームは開始された」と。その夜偶然に知り合った女性漫画家の大友藍と,ゲーム機の指示によって第一チェックポイントへ向かう藤木。そこで全員が一同に会する。このゲームの参加者は9人だった。何でゲームの世界に入り込んでしまったのか,ゲームの目的は何なのか,他の参加者と協力すべきなのか。この世界から現実の世界に戻れるのか。藤木は藍と二人でゲームの世界を進む。

 RPG(ロール.プレーイング.ゲーム)ってした事ありますか。した事無い人にはいまいちピンとこないかも知れません。ドラゴン.クエストやファイナル.ファンタジーが有名ですね。たいがい主人公に何らかの目的が与えられ,様々な防具や武器を揃えて,敵を倒して成長していく。私は大好きなんですよ。早くドラクエの新作が出ないかなあ。まあそれはともかく,いきなりゲームの主人公にさせられてしまった藤木。唐突なスタートです。しかしこの作者,本当にうまいですよねえ。ぐんぐん物語の中に引き込まれていきます。まるで自分がゲームをしているみたいです。RPGの場合も,いかにその主人公に感情移入できるかが,ゲームの成否の鍵になりますが,藤木になりきって読んでしまいました。有り得ない設定だとは思うんですが,そんな事考えるよりも先の展開が気になってしまいます。彼の考えている事,サバイバル生活の知識なんかが,すんなりと入ってくるので,読みやすいんですよね。それにこの世界の中で行われる行為の異常さ,描写の生々しさが凄いですね。同じくゲームを扱った岡嶋二人の「クラインの壷」も衝撃的な作品でしたが,全く違う意味で衝撃を受けました。結末に関してはかなり意見が分れるのではないかと思うのですが,私は単純に納得してしまいました。とくろでクリムゾンと言うのは深紅色の事で,ゲームの行われた世界の色,そしてそこに住んでいる鳥の色を表わしています。全然関係無い事なんですが,高校生の頃「キング.クリムゾン」と言うイギリスのロックグループに夢中になっていました。彼らのデビュー.アルバムである「クリムゾン.キングの宮殿」は傑作です。今でもたまに聴いています。

 

「眠れぬ夜の殺人」 岡嶋 二人  2000.03.27 (1988.06.10 双葉社)

☆☆

 会社からの帰り道,酔っ払いから因縁をつけられてもみ合っているうちに,酔っ払いは車にはねられ死亡してしまった。因縁をつけられた男性は逮捕され,事件は終わった。しかし捜査一課長から事件の報告を聞いた刑事部長には,気になる事があった。同じ様な事件が違う場所でも起こっている。犯人が捕まっていない事件もあるが,酔っ払いの喧嘩による死亡事件。調べてみると,被害者には前日からの行方が不明だと言う共通点が見つかった。刑事部長は秘密の組織である捜査0課の菱刈長三に,事件の関連性の調査を依頼する。そしてサミーとソーレンが登場。

 シリーズ第2話の「眠れぬ夜の報復」を先に読んでしまっていたりします。同じ様な感想です。つまり何で捜査0課なの。警察における秘密組織の存在なんて嘘くさいし,そうした組織が係わる必然性も感じられません。探偵役の二人が軽すぎるのも,話の真実味を奪っている様に思えます。まあ,山本山コンビよりはいいか。ところで事件自体は結構凝っていますよねえ。恐喝事件なんですが,犯人グループと被害者の間の複雑なやりとり。そして犯人の黒幕の存在。書き方によってはサスペンス溢れた作品になるような気がするのですが,あえてこう言う書き方にした意味が良く判りませんでした。ところで酔っ払いにからまれて喧嘩何て,結構有り得ますよねえ。絡む方にまわるかも知れませんが。だけど死んでしまったら怖いですね。どっちが被害者だか判らなくなってしまいますよね。気をつけよ。

 

「白き嶺の男」 谷 甲州  2000.03.28 (1995.04.30 集英社)

☆☆

@ 「白き嶺の男」 ... 山岳会の新人トレーニングの為に,田嶋は加藤を連れて冬の八ヶ岳に向かった。加藤は一風変わった新人だった。
A 「沢の音」 ... 南アルプス南西域の沢を集中的に登っていた久住は,加藤と名乗る一人の登山者と無名の沢で出会う。 
B 「ラッセル」 ... 加藤と同じ山岳会に入った久住は,冬の北アルプス滝谷の完全登攀を試みる。滝谷下部の雪は深く,ラッセルに苦労する。
C 「アタック」 ... ヒマラヤの7000メートル峰への遠征は苦戦を強いられていた。そして加藤と久住が最後のアタックに向かう。
D 「頂稜(スカイライン)」 ... 小人数でのヒマラヤ遠征。ベースキャンプに一人のポーランド人が訪れた。彼の目的は何なのか。
E 「七ツ針」 ... 厳冬期の七ツ針で遭難。雪洞の中で遭難に至るまでの記録を書こうとするのだが,遭難の実体は何だったんだろう。

 加藤と久住と言う登山家を中心にした連作短編集です。作者は登山家でもあるので,山の中での描写はやたらとリアルなんですが,物語としてはどうなんでしょうね。本の冒頭には山岳用語の解説が載っており,あまり山を知らない読者の事を考えての事なのでしょう。だけど山を知らないにはお勧めできない一冊だと思います。この作品は加藤文太郎を意識して書いているんでしょう。加藤文太郎と言う人は,日本山岳界の黎明期に活躍した登山家で,主に単独行での山登りが中心でした。北アルプスの北鎌尾根で遭難死したのですが,彼の山行記録をまとめた「単独行」や,新田次郎氏が書いた「孤高の人」のモデルで有名です。単独行と言う登山形式が主題になっているんですが,パーティー登山か単独行かに揺れる,主人公達の心情何かはあまりストレートに伝わってきません。渓流釣りに対する気持ちは妙に納得してしまいましたが。山登りに関してはパーティー登山の方が活動範囲も広がりますし,事故に対する安全性も高いのは事実です。でも一人で登る充実感は捨てがたい物があります。ですが,余程気心が知れた仲間とだったらまだしも,日頃の人間関係を山にまで持ちこみたく無いと言う気持ちは判りますね。もっとも自分はそんな先鋭的な登山をする訳では無いのであまり関係ないのですが。あーあ,読んでいたら山に登りたくなってしまいました。

 

「天使の囀り」 貴志 祐介  2000.03.31 (1998.06.30 角川書店)

☆☆☆☆

 エイズに掛かった患者の終末医療を行う病院に勤めている早苗の元に,アマゾン奥地の学術調査に同行した恋人の高梨からメールが届く。内容は調査をしているオマキサルと言う猿の話,メンバー達の紹介,現地での様々なエピソード等など。彼とは作家とそのファンと言う関係だったが,知人の紹介で知り合った。その高梨が突然に帰国した。現地住民との間に何かのトラブルがあった様だ。久し振りに会った高梨は,アマゾンに出掛ける前とは別人の様だった。作家としての死生観の転換,異常な食欲と性欲,そして高梨が言うには天使が飛び交い囀る声が聞こえると言う幻聴。ある日高梨は早苗の勤める病院から盗み出した薬で自殺してしまう。さらに他のメンバーも不審な死を遂げている事が判る。アマゾンの奥地で何があったのか。

 最近続けざまに読んでいる貴志祐介です。やっぱり不気味です,そして怖いです。「黒い家」の様に,人間の内面が持つ狂気による怖さではなく,目に見えない物の怖さ。エボラ出血熱なんかもそうなんでしょうが,世界各地には様々な風土病があります。現地の人達だけが経験上知っていて,一般には知られていない様な病気もあるんでしょうね。冒頭にて紹介された,アマゾンの言い伝えが怖いです。高梨からのメールの内容とあわせて,これから起こるであろう悲劇を予感させます。人間の体や各種の生態系のメカニズムは,大変良く出来ています。AIDSをはじめとする伝染病でさえ,人間の数を適正に保つ為に組み込まれたプログラムの一部の様にも思えます。プログラムにはバグがつき物ですが,もしこの精巧なプログラムが突如壊れたら。自然のメカニズムを設計するにあたっての前提条件を,人類の進歩が超えてしまったら。そんな怖さがありました。ところで途中に,ある人物がある物(サルじゃなくて)を食べるシーンがあります。とても気持ち悪い部分なんですが,そう言うところに限って食事中に読んでしまうんですよね。