読書の記録(2000年12月)

「朱夏」 今野 敏  2000.12.01 (1998.04.15 幻冬舎)

☆☆☆

 警視庁刑事の樋口は,妻と高校生になる長女の三人暮らし。不規則な生活のせいか,最近家族とはうまくいっていない毎日だった。そんな中,娘が友人3人とでスキーに出掛けたいと言う。樋口は反対したが結局押し切られてしまう。そして娘がスキーに出掛けた日,妻が突然姿を消した。何等かの事件に巻き込まれた事を確信した樋口だったが,職業がら警察は積極的に捜査をしない事も判っていた。こうなったら,娘が帰ってくる三日後までに何とか妻の行方を捜そうと決意する。

 いるはずの妻が居なかった時の樋口の感情の変化,つまり怒り,次に不安,そして心配,まあ普通そうでしょうね。思い当たる事が無かった場合,する事と言えば,取り敢えずは連絡を待つ,実家や友人の家に電話する,それでも駄目なら警察に捜索願いを出す。まあ我々にとって出来る事はこんなもんでしょう。後はひたすら待つしか無いですよね。だけどこの主人公は我々とは違って刑事です。事件性の無い場合は動かないであろう警察の事情も良く判っているので,自ら妻の捜索を始めます。登場人物が少ないので,犯人の見当はすぐに着いてしまいますから,いかにして樋口等が犯人にたどり着くかに焦点が絞られます。まあそれはともかくとして,家族や“今時の若いモン”に対する樋口や氏家の考え方が面白かったですね。

 

「脳男」 首藤 瓜於  2000.12.03 (2000.09.11 講談社)

☆☆☆☆

 愛知県の愛宕市内で起こった連続爆破事件。捜査に当たった茶屋警部らは犯人のアジトを突き止めた。そこに乗り込んだ茶屋警部等が見た物は,犯人の緑川と格闘する男だった。緑川は取り逃がしたものの,もう一人の男を爆弾事件の共犯として逮捕した。しかしこの鈴木一郎と名乗る男は自分の過去を一切喋らず,精神鑑定が行われる事になった。彼を担当した愛宕医療センターの鷲谷真梨子は調べていくうちに,彼の奇妙な性質に気が付いた。

 本年度(第46回)江戸川乱歩賞の受賞作です。相変わらずこの賞の受賞作の巻頭を飾る,著者近影は恐いと言うか不気味ですねえ。それはいいとして,この鈴木一郎の特異さに引き付けられました。脳の謎を使った小説って多いですけど,この設定はいいですね。心とは何か,自我とは何か,意志とは何か,と言う問いを突き付けられます。そして学習による心ではなく,本当の心を持ち始めてしまった鈴木一郎はこれからどうなって行くんでしょうね。また全体の構成もいいですし,テンポのいい話の展開,そして後半の病院内における爆破シーンの緊迫感と,一気に読めてしまいます。しかし茶屋警部はやられっぱなしでしたね。

 

「閉鎖病棟」 帚木 蓬生  2000.12.04 (1994.04.20 新潮社)

☆☆

 子供を堕ろす為に産婦人科医を訪れた女子高校生。戦争から戻ってきたら人が変った様になってしまった父親。自分が住む家に火を点けて逃げ出した精神薄弱の男。そしてここはある精神病院。入院患者の一人であるチュウさんは,婦長に呼ばれた。院内の演芸会に出す劇の台本を書いて欲しいと言われた。何を書いていいか判らなかったけれど,やってみようと思う。

 三つのエピソードをプロローグに,精神病院での生活が淡々と綴られて行きます。毎朝早くから始まる患者による勤行。秀丸さんを乗せた車椅子を押しての天満宮への梅見。主治医による診察,自宅への外出,院内でのトラブル,患者の脱走等など。自分の知り合いに精神病患者はおりませんし,精神病院に入った経験もありません。ここに書かれている事が事実なのかどうかは判りませんが,精神病院と言う名前から受ける印象とは大きく違っています。ちょっと変なところもありますが皆純粋に助け合って,精一杯生きています。この病院の外ににいる人達と比べて,何が異常なのかが判らなくなります。後半ある事件が起こるんですが,それに対する患者達の対応や,新川医師の精神病患者に対する意見が印象的でした。

 

「イコン」 今野 敏  2000.12.06 (1995.10.10 講談社)

☆☆☆

 警視庁生活安全部少年課に勤務する宇津木は,少年達の行動調査の為,あるアイドルのコンサート会場に来ていた。客のほとんどは10代の少年達だ。コンサートの最中に突如起こった乱闘騒ぎ。宇津木は彼等を制止したが,一人の少年が腹をナイフで刺されて亡くなった。会場に居た全員を調べたが,誰も刺した現場を目撃していないと言う。殺人か,それとも傷害致死か。たまたま捜査にやってきた神南署の安積警部は宇津木の同期だった。

 イコンと言う言葉は,もともとロシア正教会の聖画の事ですが,英語読みするとアイコンです。そう,あのアイコンの事です。バーチャル空間への窓,入り口と言う意味でつけられたタイトルなのでしょうか。それはそうとアイドルです。さて自分にとって「アイドルって誰?」と言っても浮かんできません。山口百恵でもないし,キャンディーズでもないし。そりゃあ,アグネス.ラムはじめ,いろいろとお世話にはなりましたが,そう言うのってアイドルとは言わないでしょう。まああんまりテレビに出てくる女性には興味なかったですね。作品の方は,コンサート会場での少年の死の真相は何なのか,そして有森恵美と言うアイドルは何者なのか。これに対して安積を始めとする刑事達が少しづつ真相に近付いて行きます。その中で,パソコン通信やらアイドルファンの生態などが刑事を通して説明されていきます。ここ等辺が自然なので,パソコン通信はともかくアイドルファンなど全く知らない私でも,すんなりと入っていけます。そしてもう一つのストーリーである,宇津木自身と彼の家庭の問題がかぶさってきます。事件の方だけだとちょっと淡々とした感じになってしまうのを,うまく防いでいると思います。ところで本筋の方は,あまりにも被害者の中学時代をクローズアップし過ぎているので,ちょっと事件の方向性を狭めている様に思えました。また主人公でありシリーズキャラクターである安積の描き方がちょっと不満です。

 

「刹那の街角」 香納 諒一  2000.12.07 (1999.05.25 角川書店)

☆☆☆☆

@ 「エールを贈れ」 ... 殺人事件の容疑者は大学時代の同級生だった。アリバイを証明できる友人は,その時間彼と会った事を否定した。
A 「知らすべからず」 ... 轢き逃げ事件の被害者は,多額の現金と脅迫状を持っていた。誘拐の身代金を渡しに行く途中だと思われた。
B 「刹那の街角」 ... 偽装結婚の相手の中国人女性が突如居なくなったと言う。彼女のアパートからは多数のキャッシュカードが見つかった。
C 「捜査圏外」 ... 元刑事のガードマンが強盗に射殺された。襲われた宝石店の情報を彼はつかんでいた様だった。
D 「女事件記者」 ... 強盗に襲われて逃げ出した庭先で亡くなった場面が,庭に設置されたビデオに映されていた。
E 「十字路」 ... かつて逮捕した男を偶然見掛けた。挙動不審だったので後を追うと,彼は十字路の向かいの信用金庫を見つめていた。
F 「証拠」 ... 2億円を奪って捕まった男は,癌の為そう長くはない命だった。しかし金の隠し場所は依然判らなかった。

 警視庁捜査一課の中本班のメンバーを主人公にした連作短編集です。1作毎に班のメンバーの一人一人に焦点が当てられます。そこらへん,何か「太陽に吠えろ」みたいな構成ですけど,誰も殉職はしません。中本係長の扇子はともかくとして,新人の堀江刑事を始めとする中本班の刑事達のプロとしての誇り,また他の班との縄張り意識などが活き活きと描かれています。そして何等かのかたちで犯罪に係わってしまった人達の心情が印象的ですね。視点となっている警察側以外の人物に関しても,かなり細かく描写しているせいでしょう。表題作の「刹那の街角」を始めとして,ちょっとやるせない話が多いんですが,お勧めは「知らすべからず」。最後のドンデン返しが見事でした。でもそれよりも,この中本班を中心とした長編を読んでみたいですね。勿論,堀江の友人や,タレコミ屋,女記者ら総出演で。

 

「雨に殺せば」 黒川 博行  2000.12.08 (1985.06.15 文藝春秋社)

☆☆☆☆

 大阪湾に掛かる阪神高速道路湾岸線の港大橋の上で,三協銀行の現金輸送車が襲われた。運んでいた銀行員二人は射殺され,1億円の現金は無くなっていた。内部に協力者がいるとにらんだ大阪府警の捜査員が,銀行関係者の事情聴取を行ったところ,その内の一人の川添が自宅マンションから飛び降りて自殺してしまった。府警捜査一課の黒井と亀田のコンビらが捜査に当たる。

 現金輸送車襲撃とくれば,真っ先に思い浮かぶのは3億円強奪事件ですね。私が中学生の頃でしたから,もう30年くらい前の話です。今でこそ3億円なんて聞きなれた数字ですが,当時の感覚からすると常識を遥かに超えた金額でした。そして犯行現場となった府中刑務所は良く知っている場所だったので,かなりの驚きでした。白バイ警官の扮装,発煙筒を使った偽装,モンタージュ写真。とにかく印象的な事件でした。私の中での国内3大事件と言えば,これとグリコ森永事件と宮崎勤の連続幼女殺人事件ですね(次点はオウムのサリン事件か?)。さて本作も冒頭に現金輸送車襲撃事件が起こります。犯人はどうやって輸送車を停めさせたのか,単独犯か複数犯か,内部の協力者はいたのか。一気に謎が提示され,警察の捜査によって一つ一つ解明されていきます。それとともに悪徳画商が登場し,金融機関の不正融資の話が出て来たりして,話が広がって行きます。そして犯人と思われる人物が判ったと思ったら否定されて,と言う風に教科書通りに進んで行きます。それはそうと,ここに登場するクロマメ.コンビのユニークさが,いかにも黒川さん作品の登場人物らしくて,いいですね。

 

「果つる底なき」 池井戸 潤  2000.12.11 (1998.09.10 講談社)

☆☆☆☆

 大手の都市銀行であるニ都銀行渋谷支店に勤務する伊木は,同僚の坂本の死を知らされた。集金中の車の中で,蜂に刺された事が原因だった。彼が蜂アレルギーを持っていた事は,始めて知った。彼とは今朝,銀行の駐車場で言葉を交わしたのが最後になってしまった。その時坂本が言った言葉,「これは貸しだからな。」とは何を指していたのだろうか。そして突如持ち上がった坂本の不正送金疑惑。伊木は坂本の疑惑を晴らす為,かつて担当していた会社を調べ始める。

 第44回江戸川乱歩賞の受賞作です。銀行を舞台にした金融にまつわる犯罪を取り上げているのですが,作者は元銀行員だけあって,やたらと銀行内部の事が詳しく書かれております。膨大な過去の伝票類の保管,行内至るところに設置された防犯ビデオ,行内における派閥争い,倒産会社への取り立てなど等,やたらとリアルですね。銀行員じゃなくて良かったな,と思ってしまいます。バブル崩壊以降何かと批判の多い銀行ですが,ドロドロした会社組織の中で孤軍奮闘する伊木の姿が鮮やかに描かれていて気持ちがいいですね。この作品はテレビでドラマ化(2000年2月放送)されたそうですが,柳葉菜緒の役は菅野美穂さんがやったそうです。(だから何だと言われても困りますが)。

 

「流砂の塔」 船戸 与一  2000.12.14 (1998.05.01 朝日新聞社)

☆☆☆☆

 梅津昭彦は義兄の張宣波からの連絡で,宣波の愛人の住むアパートに出掛けた。そこには彼の愛人であるロシア人女性の死体が置かれていた。宣波が訪れた時,彼女は既にナイフによって刺殺されていたとの事だった。警察に知られたくない宣波の依頼で,この死体の始末を頼まれた梅津は,子供の頃宣波の父親であり在日華僑の有力者である,龍全に拾われ育てられた身だった。この事を知った龍全は梅津に,同じ様な事が中国に住む友人にも起こった事を告げ,事の真相を明らかにする様指示した。

 メインとなる梅津のストーリーとは別に展開する3つのストーリー。婚約者のパムラを人質にとられ,工作員としての訓練を積む林正春。東トルキスタン.イスラム党に入党したオスマン.アイパトラ。そして梅津を始めとして彼らの動向を探る,国家安全部の蒋国妹。この4つのストーリーが絡まりあって,一つにつながっていくのですが,その過程で主人公が知る以前に読者が真相を知ってしまうんですよね。まあこれはこれで面白いと思いますが,悲劇的な幕切れを予感させられます。漢民族による支配体制,辺境に住む少数民族の悲哀,多くの民族や宗教が入り組み,さらに過去の怨念や様々な裏切り。そして秘密結社同士の勢力争いと,公安機関の思惑。全く目が離せません。上下2冊にわたる長い作品なんですが,引き込まれる様に一気に読んでしまいました。

 

「蛮族ども」 船戸 与一  2000.12.15 (1995.03.25 角川書店)

☆☆☆

 1980年4月18日,ジンバブエの首都ソールズベリは,独立の興奮に沸き立っていた。そのテレビ画像を苦々しい想いで見つめていた,大富豪のクリストファー.オズボーンは,国外への脱出を決意する。しかし財産を国外へ持ち出す事は禁じられている。そこで全財産を金塊に替え,列車にて南アフリカのメシナへ向かおうとする。そして国境を強行突破する為に,オスカー.パットンを指揮官とする9人の傭兵を雇った。

 サッカーのワールドカップは有名ですが,ラグビーにもワールドカップがあります。現在4大会を行っているのですが,サッカーとは違って日本は全大会に出場しております。しかし戦績は1勝11敗と言う惨憺たるものです。その中で唯一の勝利が第2回大会におけるジンバブエ戦なんですよね。かつてはイギリス領でローデシアと呼ばれていましたが,黒人国家として生まれ変わった国です。さて,そこからの脱出です。9人の傭兵は皆輝かしい過去の戦歴を持っています。しかし1枚岩と言う訳ではなくて,ローデンなどはパットンから指揮権を奪おうと虎視眈々です。さらに白人に対しての強硬派や,白人の過激派組織,政府軍が絡んできます。そしてここに登場してくる二人の日本人,また列車内にて起こった殺人事件。何かとてもワクワクしてくる展開です。でも最後がなあ。前回読んだ「流砂の塔」でも思ったのですが,今まで読んできた事は一体何だったんだ,と言いたくなってしまいます。やっぱり冒険小説って,主人公が様々な危機を乗り越え,最後には生還すると言うのがいいと思うけどナア。

 

「転生」 貫井 徳郎  2000.12.18 (1999.07.10 幻冬舎)

☆☆☆☆

 心臓の移植手術を終えた「オレ」は,不思議な事に気が付いた。恵梨子と言う見知らぬ女性や,何者かに襲われる夢を繰り返し見る様になった事。かつての嗜好とは違って甘い物や肉が食べたくなった事。今までは興味が無かった美術や音楽に,強く引かれて行く様になった事。自分に心臓を提供したドナーは恵梨子と言う女性だったのではないのか。そして彼女の記憶や趣味が,自分に転移したのではなかろうか。ドナーが誰なのかは教えてもらえないが,「オレ」はドナーを探そうと思った。

 この様な人探しの話って大好きです。その筆頭は何と言っても宮部みゆきさんの「火車」でしょうか。徐々に膨らんでいく謎と,次第に明らかになっていく真相,そして主人公の調査に協力する人達。ここいら辺のバランスが巧みで,作者のうまさを感じます。でも,心臓移植による記憶の転移って言う設定が,ちょっと不自然な気がしてなりません。まあこんな事言うべきでは無いのかも知れませんが,東野圭吾さんの「変身」何かに較べると,違和感を感じてしまいます。まあ北川歩実さんあたりが書いたら,こういった状況に対してでも可能性がバンバン提示されるんでしょう。もう少し理論的に納得できる部分があった方がいいんじゃないんでしょうか。それと後半になって,他人の記憶の転移と言う謎の他に,心臓移植自体の謎が出てくる訳ですが,ちょっとどっちつかずになってしまった印象がありました。でもフリーライターの紙谷,美大に通う同級生の如月,耳の不自由な雅明のキャラクターもいいし,真相解明のスムーズさもあって面白いですよ。

 

「デイブレイク」 香納 諒一  2000.12.20 (1999.09.30 幻冬舎)

☆☆

 自衛隊を退官した佐木義男は,かつての上官を札幌に訪ねた。その帰り道で男に追われる一人の女性と出会った。彼女は木内美奈子と言い,友人の消息を追ううちに,ある犯罪を目撃してしまった事から追われていたのだった。相手は地元の名士でもある,水産会社社長の権藤と言う男。ロシアとのパイプを武器に,かなりあくどい商売をしているらしかった。佐木は行き掛かり上,美奈子のボディガードとして権藤の家に乗り込む。

 福井晴敏さんの「Twelve Y.O.」「川の深さは」を読んだ時に感じた違和感は,最後の方の戦闘シーンの派手さでした。でも自衛隊や警察と言った,ある意味で特殊な組織から抜けた後の孤独感や疎外感は納得できますし,それゆえ再び戦いの場に身を投じて行く主人公には共感を覚えました。だから違和感があるものの,読んで楽しめたと思います。ここでもある事から自衛官を辞める事になった二人の男が登場してきます。派手な武器こそ登場しませんが,自分達の拠り所を求めるかの様に,組織としてではなく個人の戦闘にのめり込んで行く彼ら。だけどどうしても主人公達に共感を覚えないんですよね。登場人物の行動に対する動機が納得できないんです。ここいら辺,カルト教団を信奉する女性の自殺や,フィリピン女性の子供,殺された母親や自らが殺した上官等を登場させて,動機付けを行っているのですが,何かいかにも説明されている様に思えてしまいました。それに視点がクルクル変わるのも読みづらくさせている様に思います。香納諒一さんの作品は今まで短編しか読んだ事は無かったのですが,短編で味わえるキレの良さが,ここでは感じられませんでした。

 

「リミット」 野沢 尚  2000.12.22 (1998.06.30 講談社)

☆☆☆☆

 クラスで一番チビのいじめられっ子,母に連れられてパチンコ屋に来ていた女の子,家族揃って遊園地に来ていた男の子。連続して起こった3件の誘拐事件は身代金の要求は無かった。だが次に起こった誘拐では1億円の身代金要求が来た。警視庁と神奈川県警の捜査体制を嘲笑う様な犯人からの指示。警視庁捜査一課の刑事,有働公子が被害者の母親の代わりを務めていたが,犯人から公子の携帯に突然電話が入った。何と公子の一人息子を誘拐したのだと言う。犯人は身代金の運搬役に公子を指定してきた。

 作者の野沢さんはテレビの脚本家から作家になった人です。そしてこの作品もテレビでドラマ化されました。私は見ておりませんが,一応キャストとかは知っていました。そんな事が頭に入っていたせいか,読んでいてやたらと場面のイメージが湧いてきてしまうんですよね。一児の母親である公子と,犯人側の心理的な面が柱となっている作品ではありますが,そんな読む前の先入観を差し引いても映像的な作品だと思います。凄く面白いですよ。ストーリーに緊迫感もあるし,最後のどんでん返しも意外だったし。でも何か後味が悪いんですよね。子供の臓器売買を扱っているから仕方が無いのかも知れませんが,犯人側の犯行に対する軽薄さが許せない気がしてしょうがありません。少なくとも「俺たちに明日はない」のボニーとクライドの様な美学は,微塵の欠片もありませんよね。もっとも臓器を受け取る側の切羽詰まった心情何かを前面に押し出されたら,雰囲気全然変わってしまうでしょうし,難しいですね。ちなみに犯人の一人である泉水の役は,ドラマの方では新山千春さんだったそうですが,ちょっとイメージが...。たあーいむ.ショック。

 

「牙をむく都会」 逢坂 剛  2000.12.26 (2000.11.25 中央公論社)

☆☆☆

 現代調査研究所所長の岡坂神策が、神田神保町のビデオショップで見つけた一本のビデオ。そのビデオがきっかけで,大手広告会社「萬通」の仕事を引き受ける事になる。萬通の名誉相談役である白柳良明の発案で始められた,昔のアメリカ映画を対象にした映画祭の企画の仕事だった。その頃,昔からの知り合いであった「東都ヘラルド新聞社」の北沢昌介から,スペイン内戦終戦60周年を記念したシンポジウムの仕事が持ち込まれた。

 表紙の雰囲気から「禿鷹の夜」の続編かなと思ったのですが,全然違って岡坂さんの登場ではないですか。感じとしては「あでやかな落日」に近いですね。そちらはギター音楽,こちらはアメリカ映画と言う違いはありますが,広告業界を舞台にしているところは同じです。さて私はほとんど映画を見ないので,途中延々と述べられるアメリカ映画に関する薀蓄の部分はちょっときつかったですね。物語の方は,アメリカ映画とスペイン内戦に関する二つの企画に岡坂が関与したところから,太平洋戦争終結に伴うシベリアでの抑留問題に進んで行きます。この時抑留生活を送った三人の老人の思惑が,複雑に交錯して物語を盛り上げます。とは言っても内一人は全く登場してきません。この書き方がいいですねえ。ですが全体的に冗長な感じがしてしまいました。

 

「検察捜査」 中嶋 博行  2000.12.27 (1994.09.14 講談社)

☆☆☆☆

 司法試験合格者の中で,検察に進む人材の少なさに悩む検察庁。そんな折,弁護士の団体である日弁連の大物の西垣文雄が殺された。あまりにも残酷な殺され方からして,怨恨によるものと思われた。捜査に当たる神奈川県警に協力する為,検察庁が送り込んだのは横浜地検の美人検事,岩崎紀美子だった。彼女は相棒の伊藤事務官とともに,西垣が過去に手掛けた裁判の記録を調べるうちに,一つの事件を見つけ出した。それは担当した不動産取引きに関して,依頼者自身から西垣が訴えられると言う事件だった。

 警察が登場する話は多いですが,検察庁って読むのは初めてでした。警察,検事,弁護士,裁判署,法務省など司法に従事する人達の関係が良く判りますね。それにしても司法試験に合格して検察庁に進む人って,そんなに少ないものなのでしょうか。そして作品の中で述べられる「国家試験を合格した,およそ『士』とつく有資格者の懲戒権はすべて監督官庁が握っている。弁護士だけが唯一の例外だった。」と言う言葉が印象的です。「被害者の人権」ばかりを声高に叫ぶ弁護士や,首を傾げたくなるような判決を出す裁判官には,不信感を持たざるを得ない部分があります。それに較べて検察庁の方がいいイメージを持たれていると思うのですが,実際就職するとなると別なんでしょうね。作品の方は,最初から怪しげなグループの存在が明らかにされ,結末が見えてしまいます。でも日弁連のギルド何かを含めてそれぞれの利害関係が良く判って興味深く読めました。ちなみにこの作品は第40回江戸川乱歩賞受賞作で,作者は何と弁護士です。

 

「秋の花」 北村 薫  2000.12.29 (1991.02.10 東京創元社)

☆☆☆☆

 「わたし」は大学三年生になった。高校時代は生徒会の役員をしていた事もあって,卒業後も母校を訪れる事があったが,今年の学園祭には出掛ける事が出来なかった。と言うより学園祭そのものが中止になってしまったからだ。それは学園祭の準備の時,一人の生徒が校舎の屋上から落ちて亡くなると言う事故があった為だ。亡くなったのは津田真理子と言う近所に住む女子生徒で,「わたし」にとっては小学校時代からの後輩だった。真理子には和泉利恵と言う仲の良い友人がおり,利恵もまた良く知った女の娘だった。ある日「わたし」の家のポストに,真理子のものと思える教科書のコピーが入れられていた事から,この事故に興味を抱く。

 「円紫師匠とわたし」シリーズの3作目は,初の長編で,何と遂に人が死んでしまいました。このシリーズは日常の謎を扱っているので,人の死とは無縁だと思っていたのですが。でも人の死だって日常の出来事ではありますよね。私も何回か経験しております。でもその死の裏にあった出来事何てものは,幸い調べなくても済む事ばかりでした。ところでこのシリーズって,あんまり好きではなかったのですが,これは面白かった。雰囲気はいつもと同じなのですが,内容的な重さが感じられます。生きていると言う事,今と言う時間,人の強さと脆さ,そして許す事と救う事。安楽椅子探偵である円紫師匠が,簡単に解決してしまうのはしょうがないのですが,解決した後の余韻がいいですね。いつもは読み流してしまう「わたし」の語る文学論や,円紫師匠の落語の話も,この作品に関してはちゃんと読まないと損しそうです。ところで全然関係無いとは思うのですが,読み終わった後に1ページ目を何となく見てしまったんですよね。そうしたらそこには「○○○」と言う文字が。これって伏線だったんでしょうか。