読書の記録(2000年11月)

「アクアリウム」 篠田 節子  2000.11.05 (1993.03.08 スコラ)

☆☆☆

 ダイビング仲間の純一が奥多摩の水没鍾乳洞のダイビング中に事故死した。彼の恋人である澪に頼まれて遺体を捜しに行った正一は,そこで不思議な生物に出会った。その生物はずっとこの洞窟にたった一匹で住み続けていたのだろうか。すっかりその生物に魅入られてしまった正一は,イクティと言う名前を付けて何度も会いに出掛ける様になる。そんな中,奥多摩の林道工事に反対する団体と知り合った正一は,工事による環境破壊がその鍾乳洞にも及んでくる事を知った。そして彼だけのアクアリウムを守ろうとするのだが。

 奥多摩には結構鍾乳洞が多いんですよね。一番大きくて有名なのは日原鍾乳洞でしょうけど,養沢,大岳,三ッ岩等観光客に開放されている物以外にもあるようです。まあケイビングは趣味ではありませんので,行って見ようとは思いません。暗くて狭いところは怖いですもん。ところで自然保護の話が出てきますが難しい話ですよね。私は山登りが趣味ですので,深い山の中で林道が山肌を無残に切り裂いている光景には腹が立ちます。でもこうした道があるからこそ気軽に山に登る事ができるのも事実です。人間が存在する事こそが,自然破壊の第一歩だと言うのは判りますけど,どこでどう折り合いを付けるかと言う事でしょうね。ここには純粋にイクティを守ろうとする正一の他にも,自然保護の運動に参加する人達が出てきます。でも純粋な気持ちだけではなく,色々な思惑を持って行動している訳で,正一との対比がうまく描かれています。ただ後半に正一が取った行動はちょっと性急すぎて納得がいきませんでした。

 

「賞の柩」 帚木 蓬生  2000.11.07 (1990.12.10 新潮社)

☆☆☆☆

 イギリス人の科学者アーサー.ヒルがノーベル医学.生理学賞を受賞した。この結果を聞いた津田には特別な感慨があった。受賞理由である人間の筋肉運動の研究は,津田の恩師である清原博士も研究していたテーマだったからだ。研究半ばで亡くなった清原の他にもこの研究に携わっていた有名科学者は何人かいた。しかしいつのまにかこの分野はヒルの独壇場になっていた。不思議な気持ちに取りつかれた津田は,清原を始めとする他の研究者の消息を調べ始める。

 先日有名な考古学者の旧石器発見に際して,事実の捏造があった事が判り大変な問題になりました。学問の世界は普通の人には計り知れない世界に思える時があります。そんな学問の世界の中でも,最高の栄誉とされるノーベル賞をテーマにした作品です。この作者の名前って随分変っていますが,「ハハキギ,ホウセイ」と読むのだそうです。初めて読むのですが,とにかくうまいですねえ。ヒルのノーベル賞受賞の知らせに始まって,清原の随想に記された逸話,フランスに絵の修行に渡った日本人女性,そしてアルコール中毒にかかったスペイン人男性。バラバラな話がヒルのノーベル賞受賞の知らせでつながっていきます。そしてこの受賞にはとんでもない裏がある事を予感させます。少々平坦なストーリーですが,ハラハラする展開に思わず引き込まれてしまいました。ヒルが何をしてきたのか,津田らはその事実にいかにして辿り着くのか。後半舞台はハンガリー,フランス,スペイン,イギリスと移っていきますが,ちょっとした風景描写何かも凄く丁寧で,物語の真実味を高めている様に思えます。

 

「わが名はオズヌ」 今野 敏  2000.11.08 (2000.10.10 小学館)

☆☆

 建設族議員の真鍋と大手ゼネコン社長の久保井が密会している現場に高校生が訪れた。彼は「オズヌ」と名乗り,南浜高校を廃校にしようとしているのはお前らかと詰め寄った。この高校生は何者か。真鍋の依頼で神奈川県警少年課の高尾と丸木が調べた結果,南浜高校で自殺未遂事件があり,奇跡的に助かった賀茂晶と言う高校生が,復学したとたんに「オズヌ」と言う名前を名乗る様になったと言う。オズヌとは歴史上の人物「役小角(エンノオズヌ)」の事で,修験道の祖とされ,不思議な力で鬼を自由に操ったとされている。南浜高校の教師達は皆,このオズヌを恐れている様に見えた。

 基本的には勧善懲悪のストーリーなのですが,こういう形で悪を倒しても何のカタルシスも無いんですよね。水戸黄門の印籠だって,ウルトラマンのスペシウム光線だって,それが出るまでにはもう少しハラハラさせてくれます。だいいち善側の理屈よりも,悪側の論理の方が筋が通ってますもん。まあそれはいいのですが,この作品で一番面白かったのは役小角に関する考察の部分でしょうか。本当の事かどうかは判りませんが,大和時代や飛鳥時代の話なのでしょう。日本と言う国がどの様にして形成されていったか何て言うのは,日本史の基礎中の基礎の話です。学校で習ったはずなんですが,全然覚えておりません。恥ずかしい話です。ここら辺の事に詳しければ,もう少し楽しめたんだと思います。日本民族のルーツはどの様なものなのか,文化や宗教がどの様に伝わり定着していったのか。ここら辺は知っていてしかるべきですよね。

 

「ドグラ.マグラ」 夢野 久作  2000.11.11 (1976.10.10 角川文庫)

 男が目覚めたのは監獄の様な狭く暗い部屋の中だった。自分は誰なのか,何故こんな所にいるのか全く記憶が無かった。隣の部屋からは自分に呼びかける様な女性の声が聞こえる。それによると,彼女は自分の従妹で許婚であり,結婚直前に自分によって殺されたのだと言う。朝になって一人の男が部屋に入ってきた。彼は九州帝国大学の若林教授と名乗り,自分はある犯罪に巻き込まれて記憶をなくしているのだと言う。

 この作品は非常に高い評価を得ている事は知っていました。でも図書館にも無く近所の本屋にも売っていなかったので,なかなか読む事はできませんでした。しょうがないので,八重洲ブックセンターで文庫本の上下2冊を買ってきました。1,080円でした。記憶喪失の男が自分の過去を見つける話かなと思いながら読み進めて行ったのですが,途中,作中作の論文(?)が出てくるあたりから,「こう言う理解でいいのかなあ。」と言う疑問がついてまわる様になってきました。そしてそれは最後まで続いてしまいました。ちょっとこの部分,読むのが辛かったですね。うーん,脳の働きとか記憶とかを使った作品は多いですけど,この作品が書かれたのが昭和10年と言うのは驚きです。だけど,それだけって感じがしてしまいました。

 

「レッド」 今野 敏  2000.11.13 (1998.08.10 文藝春秋社)

☆☆☆☆

 警視庁から環境庁の外郭団体であるCEC研に出向している相馬は,突然の出張命令を受けた。同じく自衛隊から出向してきた斎木と二人で,山形県の戸峰町と言うところにある沼を調べろとの事だった。現地に向かった二人は,この沼で過去何人かの人が事故死している事を聞きつける。そして町の人達は,この沼の祟りを恐れて近付かないらしい。二人に接近してきた設楽と言う新聞記者は,放射能汚染の疑いを持って,同僚の記者と調査をしていると告げた。調べて見ると確かに高濃度の放射線が検出された。

 「『冗長』の逆の言葉って,何だったっけ。」,と読み終えた時に思いました。『簡潔』と言うのは,いい意味に使われますが,悪い意味での短さと言う言葉...。面白いんですよ,凄く。放射性物質の存在と言う最初に提示される謎も魅力あります。ちょっと類型的ではありますが,干されてくさっている刑事の相馬,使命感溢れる自衛官の斎木,青臭い新聞記者の設楽,と言う登場人物もいいですよね。そして何と言ってもテンポ良く進むストーリー。だけどズシっと心に残る部分が感じられなかったですね。決して軽いと言う訳ではないのですが,なんか物足りなさを感じてしまいました。物語の設定が大き過ぎるんでしょうか。大物政治家だけならまだしも,アメリカ大統領,CIA,グリーンベレーまで登場してきます。ここまで広げてしまうと,ちょっとあの量では無理があるんじゃないでしょうか。1作前に読んだ「ドグラ.マグラ」が,もしこの半分の量だったらもっと面白く読めたのになあ,と思ったのとは逆でした。それはそうと,放射能と言うと過剰に反応してしまう日本人ですが,斎木が語っている様に放射能に関してあまりにも無知だと言うのは事実でしょうね。ここらへんの,日本人および日本社会に対する今野さんの意見には,いつもながら共感を覚えてしまいます。

 

「6月19日の花嫁」 乃南 アサ  2000.11.14 (1991.02.25 新潮社)

☆☆☆☆

 見知らぬ部屋で目を覚ました時,それまでの記憶は無くなっていた。彼女を助けたのは前田一行と名乗る男性で,昨夜どしゃ降りの中,道路ぎわに倒れていたらしい。持ち物のバックの中身から池野千尋と言う名前だけは判ったが,後は何も思い出せない。唯一思い出したのは,一周間後の6月19日に結婚式を挙げる予定になっていると言う事だけだった。

 記憶を無くした主人公が自分の過去を探してまわる,と言うパターンは良くある話ですよね。だけどそれだけじゃつまらないから,何等かの事件とダブらせたりして味付けして行く訳です。ここでの味付けはちょっと変っています。彼女を助けた男性は,彼女の前では初対面を装っていますが,彼女の事を知っています。そして彼女の記憶喪失もこれが初めてで無い事が示されます。さらに最初の6月12日と言うのは一体いつの事なのか,6月19日の結婚式と言うのは誰との結婚なのか,と言った疑問が膨らんでいきます。ここら辺の展開と,彼女の心理描写が面白いですね。

 

「生と死の幻想」 鈴木 光司  2000.11.15 (1995.11.01 幻冬舎)

☆☆

@ 「紙おむつとレーサーレプリカ」 ... 家庭教師のアルバイト。なかなか成果の上がらなかった生徒は授業を受けなくなった。
A 「乱れる呼吸」 ... 30歳でクモ膜下出血で倒れた妻。看病する夫には,妻につけられた人口呼吸器の動きが気になった。
B 「キー.ウェスト」 ... フロリダ半島をドライブ中に見つけた小島。娘を車に残して一人で渡ってみたのだが。
C 「闇のむこう」 ... 幸せなはずの新居での新婚生活。そこに掛かってきたいたずら電話が妻を追い込んで行く。
D 「抱擁」 ... 生後間もない娘と二人で暮らす母親の元に尋ねてきた男性。わざわざ東京から静岡まで来たのだったが。
E 「無明」 ... 夏休みに子供を連れて山の中のキャンプ場へ。道を間違えて入り込んだ林道の奥で彼等が見たものは。

 男と女,大人と子供,幸福と不幸,善と悪,そして生と死。そんな隣り合わせにあるものにスポットをあてた短編集です。特に生と死については,180度違うものの概念が,ほんのちょっとの事で変ってしまうと言うあやふやさが怖いですね。まあ交通事故の場合なんかは,どんなに注意していたとしても事故に遭う危険性はある訳ですし,突然襲ってくる病気もありますから,死と言うものはそんなに無縁なものでは無いですよね。でも普通に生活していれば,自分の死についてそんなに真剣に考える事はありません。でも,「もしかしたらあの時,ああなっていれば。」何て思うと恐い部分ありますね。鈴木さんと言うと「リング」の作者としてのイメージが強いのですが,主夫と言う一面もあります。この作品の中にもそんな場面が出てきます。直接,死には関係が薄いのですが,「闇のむこう」がお勧め。

 

「鎖」 乃南 アサ  2000.11.17 (2000.10.25 新潮社) お勧め

☆☆☆☆☆

 東京の武蔵村山市で起きた殺人事件。現場に駆けつけた機動捜査隊の音道貴子は,ガムテープに巻かれて喉を切り裂かれた4人の遺体を見せられた。被害者はこの家に住む御子貝と言う占い師夫婦とその客夫婦だった。捜査本部が開設され,本部に入った音道の相棒は星野と言う年下の警部捕だった。物取りの犯行にしては部屋の中が荒された様子は無く,怨恨にしては殺害方法が冷静に思われた。なかなか捜査が進展しないなか,音道と星野の関係がおかしくなって行く。そして音道は犯人に捕らえられてしまう。

 音道刑事の登場です。彼女は「凍える牙」「花散る頃の殺人」に出てくる女刑事です。そして元相棒だった滝沢刑事も出てきます。ストーリー的なつながりはないのですが,この作品を読むのには「凍える牙」を先に読む事を絶対お勧めします。音道と滝沢の関係に係わる部分の印象が全然違ってくると思います。さてこの作品,長いんですけど面白いですよ。最初の方は星野のいい加減さにうんざりさせられますが,警察内部の捜査が丹念に描かれていきます。そしてたまに挿入される滝沢刑事の話が,この先どこでどうつながっていくのかに興味が引かれます。そして中盤からは犯人に捕まってしまった音道と,彼女の行方を追う滝沢の視点で交互に描かれていきます。音道と犯人とのやりとり,徐々に犯人に迫って行く滝沢らの執念が,とてもリアルです。バツイチばかり出てくるのが気になりますが,読後感のいい作品です。前に書いた感想で,「乃南さんは長編より短編の方がいい。」って書いちゃったんですけど,長編もいいですねえ。乃南さんて写真でしか知りませんが,音道さんのイメージと正反対なのが笑えます。

 

「もう一人の私」 北川 歩実  2000.11.20 (2000.09.30 集英社)

☆☆☆☆

@ 「分身」 ... 20年振りに会った従兄弟は交通事故で意識不明のままだった。彼とそっくりな自分に,叔母はある提案をしてきた。
A 「渡された殺意」 ... 自分は生まれた産院で,他の子供と取り違えられて育てられていた。本当の親の家には行きたくなかった。
B 「婚約者」 ... マンションの自室の前で待っていた見知らぬ女。自分の名前を語って結婚詐欺を働いた者がいるらしい。
C 「月の輝く夜」 ... 他人の名を語ってパソコン通信で恋愛してしまった中学生。彼女の方から会いたいと言ってきた。
D 「冷たい夜明け」 ... 目覚めた時,目の前には良く知った体があった。死んだ後,体を冷凍保存する事には反対したのだが。
E 「閃光」 ... コンビニに勤めるアルバイトの女性の事を考えると,何も手につかなくなった。読まなければいけない論文があるのだが。
F 「ささやかな嘘」 ... 高校の同級生であるアイドルタレントとの関係は隠さなければならなかった。だが彼女は亡くなってしまった。
G 「鎖」 ... 教材販売の会社を辞めようと思った事は何度もあった。だけど彼には会社を辞める事ができない訳があった。
H 「替玉」 ... かつて大学入試で替玉受験を頼まれた男。彼はその時の相手に,アリバイ証明の為の替玉を頼んだ。

 北川歩美さんの作品は,記憶などを題材にかなり凝った物が多いんですが,論理的ではあるけれで,その展開の複雑さに辟易とさせられるんですよね。初めて短編を読んだのですが,さすがにすっきりとしていて,長編に較べて読み易くてうれしいですね。内容はタイトル通りで,「もう一人の私」をテーマに,様々なもう一人の自分を描いています。もう一人の私って言うと,自分にうりふたつの他人とか,親に隠し子が居てなんて言うパターンしか思い付きませんが,良くこれだけ色んなパターンで書けてしまうと言う事に驚かされます。そしてどの作品も,どんでん返しが決まっています。特に「婚約者」「鎖」が印象的。

 

「川の深さは」 福井 晴敏  2000.11.21 (2000.08.31 講談社)

☆☆☆☆

 元マル暴刑事の桃山は警察を辞めた後,亀戸にある雑居ビルの警備員をしていた。刑事時代と違って職務に何らの緊張感の無い日々。そんなある晩,ヤクザに追われた二人の若者が桃山の前に現れた。彼らは保と葵と名乗る男女で,事情は話さなかったが,かなりの傷を負っていた。勤務しているビルの地下室に,二人を匿い傷の手当をした桃山は,翌日近所のヤクザ所有のビルが爆破された事を知った。そして数日後,二人は地下室から消えていた。

 この作品は江戸川乱歩賞を受賞した「Twelve Y.O.」の前に書かれたものだそうです。地下室に匿われている最中に,葵が手にした女性誌に載っていた性格判断。「川の深さは,足首まで?膝まで?腰まで?それとも肩まで?」,と言う問い掛けが印象的です。人生における希望を失った桃山と,闘う為の訓練を受けたと思われる若い男。ここいらへんの導入部はいいですねえ。全てにおいて「Twelve Y.O.」を彷彿させる内容なのですが,後半のサスペンス場面では,ハラハラさせられる以前に,オタクっぽさ,幼稚さが鼻についてしまいました。桃山と保以外の人物造形が甘い事もあるのでしょうが,盛り上げようとする意識が強過ぎて,ちょっと興を削いでいる感じがします。それでも,かつての情熱を取り戻して行く桃山,人間らしい感性を身につけていく保の描写は活き活きとしています。今野敏さんの作品なんかもそうですが,「国家意識の希薄さに対する警鐘」と言うテーマは好きではありますが,ちょっとくどいと,説教臭くなってしまうのが難ですね。カルト教団に対する意見など,尤もだとは思いますが,あまりストレート過ぎるのはどうでしょうか。ちなみに性格判断の私の答えは「腰まで」でした。

 

「倒錯の帰結」 折原 一  2000.11.23 (2000.10.18 講談社)

☆☆☆

@ 「首吊り島」 ... 目が醒めたら小さな船の中だった。記憶が曖昧だったが,同行している女性によると,自分は作家で精神的に疲れており,同じアパートに住む彼女の田舎の島で静養するために向かっていると言う。島に着いたら新見家と言う網元の家に招待された。そこでは最近相次いで息子と主人が亡くなったと言う。
A 「監禁者」 ... 気が付いたら手錠と鎖に繋がれ暗い部屋に監禁されていた。自分のアパートと同じ間取りなので,アパートの他の部屋なのだろう。自分を監禁したのは大柄な女性で,作家である自分のファンだと言う。そして叙述トリックではない密室トリックの傑作を書けと迫ってきた。

 この作品は「倒錯のロンド」「倒錯の死角(アングル)」に続く倒錯シリーズ3部作の最後の作品です。パラパラとめくると前作に出てきた名前が載っていたりして,前作とのつながりが感じられます。それよりも構成が変わっています。この本には表と裏が無いんですよね。二つの作品が本の両側から始まっていて,その間には袋綴じがついています。週刊誌じゃないんですから,この袋綴じを破ってもヌード写真何かは出てきません。「どちらを先に読んでもいいが,「首吊り島」を先に読んだ方がいい。」との作者の言葉通りに読みましょう。この手の作品はネタバレなしに感想書くのって難しいんですよね。ですので,ちょっと肩透かしを食うかも知れませんが,面白い作品だとだけ言っておきましょう。だけど折原さんの作品を全く読んだ事の無い人が,いきなりこの作品を読むのはどうでしょうか。何がトリックだったのかすら判らないかもしれません。3部作ですので順番通りに読む事をお勧めします。

 

「嗅覚異常」 北川 歩実  2000.11.24 (2000.11.10 祥伝社)

 神経心理学者の植田理歩は,共同研究の申し入れを受けた事から,宮坂の研究室を訪れた。宮坂は嗅覚に関する研究を行っており,理歩の協力が欲しいとの事だった。宮坂が嗅覚の研究を始めたのは,恋人である夏海の嗅覚異常が発端で,かつて理歩は夏海の診察をした事があった。その日,実験中のウサギが何者かによって殺されると言う事件が起こった。

 匂いは鼻で嗅ぐものですが,匂いを認識するのは脳です。ここでは鼻の機能自体は問題ないのですが,それを認識できないと言う女性が登場してきます。同じく嗅覚の異常を扱った井上夢人さんの「オルファクトグラム」何かに比べると,やたらと薄っぺらな感じがしてしまいました。まあ較べる方がおかしいか。北川さんの作品とは思えない読み易さ,と言えば聞こえはいいですけど,これならどんでん返しの連続に辟易させられた方がいいですね。

 

「黄色館の秘密」 折原 一  2000.11.27 (1998.03.20 光文社)

☆☆

 伊豆の温泉でのんびりしていた黒星警部の携帯電話に,葉山虹子からの電話が掛かってきた。密室の中で何者かに襲われたと言うのだ。あわてて駆け付けると,そこはある不動産業者が買収した洋館の一室。密室ウンヌンと言うのは寝ぼけた虹子の勘違い。だが高価な戸を壊してしまった事から,黒星はその館の警備をさせられる羽目になってしまう。洋館に隣接した秘宝館に展示してある,黄金の仮面を盗み出すと言う予告が届けられていたのだった。

 黒星警部の登場です。そして「鬼面村の殺人」に出てきた虹子さんも出てきます。黒星警部と言うのは埼玉県警白岡署に勤務する刑事で,大の密室好き。虹子は旅行関係のライターさんです。相変わらず黒星シリーズはコミカルなタッチで書かれておりますが,何か違和感があるんですよね。ストーリー自体は面白いのですが,折原さんてこの様な書き方が合っていないんじゃないでしょうか。ユーモラスに書こうという気持ちが浮いている様に思えます。それに虹子をはじめ登場人物がみんなエッチーのも気になります。でも温泉街の秘宝館と言う怪しげな場所を舞台に,密室殺人やら空飛ぶ仮面が出て来たりで,楽しめますよ。ところで秘宝館って...私大好きです。

 

「空飛ぶ馬」 北村 薫  2000.11.28 (1989.03.15 東京創元社)

☆☆

@ 「織部の霊」 ... 叔父さんの家に行くたびに見る恐い夢。その正体は叔父さんの蔵にしまい込まれていた掛け軸の絵だった。
A 「砂糖合戦」 ... 喫茶店で紅茶に砂糖を何杯も入れる3人の女性。後をつけたら一人が着替えをして店に戻ってきた。
B 「胡桃の中の鳥」 ... 仲良し3人での東北旅行。蔵王の駐車場に置いておいた車のシートカバーが突然無くなってしまった。
C 「赤頭巾」 ... 歯医者の待合室で聞いた話。近所の公園では,日曜日の夜に赤頭巾の様な子供が現れると言う。
D 「空飛ぶ馬」 ... 近くの幼稚園でのクリスマス.パーティー。そこで木馬がプレゼントされたのだが,一晩だけ無くなったと言う。

 主人公である「わたし」は国文専攻の女子大生。ある日,教授の紹介で一人の落語家と会う事になった。彼の名は「春桜亭円紫」で,彼女の通う大学の卒業生だ。と言う事で,「円紫師匠と私」シリーズの第一作です。「わたし」が日常の中で出会う様々な謎を,円紫師匠が解決していくと言うパターンです。女子大生の日常ですから,人が殺されたり,誘拐や強盗が有ったりと言う事はありません。それでも充分ミステリアスな展開です。探偵役である円紫師匠が,あまりにもあっさりと推理して解決してしまうのがちょっと不満です。いかにも「いい話ですよー。」と言った「空飛ぶ馬」よりも,かなり悪意の感じられる「赤頭巾」が良かったですね。そもそも童話って,子供に夢を与えると言うよりも,子供に戒めを与えると言う要素の方が強いんじゃないですか。

 

「夜の蝉」 北村 薫  2000.11.29 (1990.01.20 東京創元社)

☆☆

@ 「朧夜の底」 ... 友人の正ちゃんが本屋でアルバイト。その店の一角の本が逆さに置かれている等のいたずらがされていた。
A 「六月の花嫁」 ... 友人に誘われて出掛けた軽井沢の別荘での出来事。チェスの駒,卵,鏡が無くなってしまった。
B 「夜の蝉」 ... わたしのお姉さんが会社から個人宛てに出した手紙が,別の名前で別の人に届いてしまった。

 「円紫師匠と私」シリーズの2作目です。相変わらず私のまわりで起こったちょっと不思議な出来事を,円紫師匠がキチンと解決していきます。ここでは私は20歳になっています。だけど20歳の女性って,こんな感じなんでしょうか。何かいかにもオジサンが描いた女子大生って感じがしてしまうのですが,まあ私もオジサンなんであまり違和感は無いですよ。前回出てきた友人の正ちゃんや江美ちゃんの他にも,美人のお姉さんも登場してきます。中心となる謎解きもさることながら,彼女らとの様々なエピソードが面白いですね。「朧夜の底」(これ,『おぼろよ』って読みます。知らなかった。)のトリックがいいですね。普通ミステリーに出てくるトリックなんて,現実の中では何の参考にもならないじゃないですか。と言っても別に殺人や誘拐を計画している訳ではありません。だけどこれは使えますね。やろうとは思わないけど。

 

「ダックスフントのワープ」 藤原 伊織  2000.11.30 (1987.02.25 集英社)

☆☆☆☆

@ 「ダックスフントのワープ」 ... 大学生の家庭教師が,教え子の10歳の女の娘に聞かせる話。年老いたダックスフントが初めて乗ったスケートボード。止め方が判らないままスピードがついて女の娘にぶつかりそうになってしまう。自分を信頼してくれている女の娘にぶつかる訳にはいかないと思った瞬間,ダックスフントは別の世界にワープしていた。
A 「ねずみ焼きの贈りもの」 ... 本屋で万引きして捕まった少女は,かつての同級生の妹だった。思わずガードマンを突き飛ばし,彼女を助け出してしまった。8年前とは変ってしまった彼女が語るには,兄は1年前に死んだと言う。

 藤原伊織さんと言えば,「テロリストのパラソル」等のハードボイルドな作品の作者のイメージが強いと思います。この作品はその8年前に書かれたものです。ユニークなタイトル,可愛らしいイラストから,どんな作品なんだろうと思って読んだのですが,ちょっと変った作品でした。理屈っぽい少女,彼女の母や学校の教師と言った現実世界の出来事。ワープしてしまったダックスフント,砂漠のアンゴラうさぎと言った虚構世界の出来事。それらが妙にシンクロして不思議な気分にさせられます。何が現実なのか,正しい事は何なのか,人と向き合う事はどう言う事なのか。そして,「エッ!。」と思う様な結末。ちょっと釈然としない感じがしないでもありませんが,少女の笑顔が目に浮かびました。「ねずみ焼きの贈りもの」は,何となく表題作の後日談と言った感じですね。