読書の記録(2000年 6月)

「黄金を抱いて翔べ」 高村 薫  2000.06.02 (1990.12.10 新潮社)

☆☆

 幸田は知り合いの北川から,ある計画を持ち掛けられた。それは大坂にある住田銀行本店の,地下倉庫に置かれている金塊を盗み出す事だ。現金にして約10億円。陽動作戦として,近くの変電所を爆破して大規模な停電を起こす。そしてエレベーターを操作して地下の金庫室から金塊を奪取する。その為に選ばれたメンバーは,コンピュータ保守要員の野田,エレベーター関係の仕事をしていたジイチャン,爆破の専門化モモチャン,そして北川の弟である春樹の計6名。

 銀行強盗の話なのですが,計画を立てて準備をして,さあいよいよ決行と言う風に単純には行きません。メンバーが皆怪しげな人物達ばかりなので,色々な邪魔が入ってきます。公安警察,北や南のスパイ,暴走族,かつての左翼仲間。そんな中で彼ら一人一人の人物像が鮮やかに浮かび上がってきます。だけど皆暗いんですよね。真保裕一さんの「奪取」の様な軽さとは大違い。少々くどい感じがしないでもないですが,モモチャンはじめ応援したくなっちゃいますよね。犯罪者を主人公に据える場合,魅力的な犯罪者像は欠かせませんが,もうちょっと明るい人物の方が楽しく読めると思うのですが。また地理的な部分や電気,通信と言ったところをかなり細部にわたって描かれており,リアリティはあると思いますが,読んでいて辛い部分が多い様に思えました。

 

「カディスの赤い星」 逢坂 剛  2000.06.04 (1986.07.21 講談社) お勧め

☆☆☆☆☆

 日野楽器のPRを担当する漆田亮は,広報室長の新井から呼び出しを受けた。全日本消費者同盟の槙村真紀子書記長が,日野楽器製ギターの欠陥問題を持込んで来たらしい。日野楽器ではスペインの著名ギター製作者であるラモスを日本に招聘して,大規模なキャンペーンを繰り広げようとしている矢先だった。欠陥商品問題は同社にとって,致命的なイメージダウンになる。何とかこの問題を解決した漆田だったが,今度は来日したラモスからとんでもない依頼を受ける。20年前にラモスを訪ねて日本からスペインにやってきた,サントスと名乗る日本人ギタリストを探して欲しいと。

 この話って,漆田が10年前に起こったある事件を振り返ると言う形を取っているんですよね。この様な形にした理由は凄く納得できます。そうじゃないと,後味悪すぎますもん。それはそうとストーリーは,日本とスペインを舞台にしたダイナミックな展開です。日本におけるサントス探しの緊張感,スペインでの追跡劇のスリル,そして再度日本に戻ってきてのドンデン返しの意外性。見事です。まあ普通のサラリーマンである漆田が,テロリストやスペインの治安警察などを相手に大立ち回りを演じる必然性がイマイチと言う感じがしないでもないですが,登場人物の造詣が巧みで引き込まれてしまいました。最後にサントスの正体が明かされる場面は,「百舌の叫ぶ夜」を彷彿させるものがあります。でも何であんなラストにしてしまったんでしょう。それだけが引っ掛かってしまいました。まあ10年前の事だからいいのかあ。

 

「サテンのマーメイド」 島田 荘司  2000.06.05 (1990.02.25 集英社)

☆☆

 アメリカ西海岸では珍しく雨の降っている夜,一人の女性が探偵事務所を訪れた。彼女はサラ.マーメイドと名乗り,自分の乗ってきたフェラーリで,250マイル離れたサウスポイントまで2時間で運んで欲しいと言う。理由を言わない為渋っていると,偶然に訪れた探偵の友人が代わりに引き受けると言って,二人は出掛けて行った。そして数日後,この女性の父親から,行方不明の娘を探して欲しいと言う依頼が舞い込む。

 以前読んだ島田さんの「本格ミステリー宣言」の中で,ハードボイルド小説とはアメリカで生まれた私立探偵小説と言う風に述べられておりました。まさしくこれは,そのハードボイルド小説に取り組んだ作品なのでしょう。だけどアメリカ西海岸の雰囲気は伝わってきませんでした。会話もやたらとハードボイルドを意識しすぎている感じで,わざとらしく感じてしまいました。事件としては250マイル離れた2個所で同じ被害者が車に轢かれると言う奇妙な物なのですが,何やら怪しい演劇関係者や,首無し男の出現が薄っぺらい印象を与えてしまっているんではないでしょうか。

 

「ボクの町」 乃南 アサ  2000.06.07 (1998.09.25 毎日新聞社)

☆☆☆

 警察学校を出た高木聖大は,警視庁城西署に配属された。同期の三浦は団地,そして木は駅前の交番の勤務だ。最初の日に警察手帳に彼女のプリクラを貼ってあったのを怒られたのをはじめとして,なかなか警察官らしくなれない木。三浦も同様で,最初の日から「もう辞めたい。」ともらす始末。だけど最初に手柄を上げたのは三浦だった。偶然に職務質問した男が,車上狙いの常習者だった。焦る高木。

 警察官が登場する小説って多いですけど,それは捜査一課とかで殺人事件等を扱う刑事がほとんどだと思います。ここでは凶悪事件などめったに起こらない町の交番に勤務する「おまわりさん」です。それもなりたてなもんで,なかなか学生気分が抜けない主人公です。職務質問で失敗したり,夜間勤務でお腹をこわしたり,喧嘩の仲裁では相手を殴ってしまったりします。だけど警察官も大変ですよね。普通そうだと思いますが,あまり警察官が好きって言う人は多く無いですよね。この中にも出てきますが,警官を話し相手にする老人や,110番マニアや,税金泥棒呼ばわりする人達。最近警察の不祥事が多いですけど,ほとんどの警察官は真面目に勤務しているんでしょうね。ご苦労様です。この本ではオマワリサンの日常が判って面白いですよ。

 

「天に昇った男」 島田 荘司  2000.06.08 (1994.10.20 光文社)

☆☆

 死刑が確定した受刑者は,自分に対して死刑が執行されるのを,その日がいつになるのか判らないまま待ち続けなくてはならない。法務大臣が死刑執行の書類にサインをして初めて死刑は執行される。朝10時10分前頃,死刑囚の前の廊下を歩く看守達の靴音が,自分の部屋の前で止まらない事を祈りながら待ち続ける。九州の拘置所で,門脇は最後の朝を迎えた。彼は旅館主人ら3人の殺害の罪で,死刑判決が確定していた。看守に促されての最後の一言は,自分の冤罪を主張するものだった。

 冒頭,死刑の日を待つ受刑者達の様子が描写されていきます。こう言うのを読むと死刑とは何て非人間的な行為だろうと思ってしまいます。ですけど私は死刑反対論者ではありません。死刑執行の書類にサインしない法務大臣何て,職務怠慢以外の何物でも無いと思っています。だいたい人一人殺した位じゃ死刑になりませんよね。死刑反対を唱える人達は,理不尽に殺されていった被害者側の心情をどう思っているんでしょう。冤罪の可能性云々何て言うのとは,全く次元の違う議論ではないでしょうか。ところでこの作品は,村の祭りにまつわる言い伝えや,知恵遅れの女性との会話,蛍の情景など印象的な部分は多いんですが,結末は意外でも何でも無かったですね。だってどう考えたって,アレはおかしいもん。

 

「燻り」 黒川 博行  2000.06.11  (1998.09.05 講談社)

☆☆

@ 「燻り」 ... 警察に引き渡す為の拳銃を,駅のコインロッカーに持って行く途中に車が故障。運悪く別の警察に捕まってしまった。
A 「腐れ縁」 ... 相棒の発案で,相棒が勤めるパチンコ屋に忍び込む。狙いは社長室に隠された裏帳簿のディスクだ。
B 「地を払う」 ... 社長礼嬢の淫らなビデオを作成した総会屋。それを知り合いの便利屋に渡して恐喝を企んだのだが。
C 「二兎を追う」 ... 金持ちの家に泥棒に入った男。部屋の中を物色中に,偶然宅配便の配達人が訪ねてきてしまった。
D 「夜飛ぶ」 ... 旧家の蔵から初出しされた鍋島の皿は,5年前に連続して起った蔵荒らしの際の盗品だった。
E 「迷い骨」 ... ハイカーが雑木林で見つけたのは,頭蓋骨だった。行方不明になっている住職の物だと思われた。
F 「タイト.フォーカス」 ... 日本画家の妻の元に,浮気の現場写真を撮ったと言う者から脅迫の手紙が届いた。
G 「忘れた鍵」 ... 遺産目当てに結婚した妻が,愛人と共謀して夫を自殺に見せかけて殺したのだが。
H 「錆」 ... 学校教師の元に府警の刑事が訪れた。美容院を経営していた女性が殺されたと告げた。

 黒川さんの作品ですから舞台は大坂で,当然会話は全て大阪弁です。彼の作品は最初ちょっと違和感を持って読んでいたんですが,さすがに慣れてきました。今回登場するのは悪人ばかりとは言え,ちょっと憎めない様な人物ばかりです。何か関西の漫才師が軽いノリで犯罪してるって感じです。とは言ってもずるがしこい奴,トロイ奴,臆病な奴いろいろです。そして割を食うのは決まってトロイ奴ばかり。同情してしまいますね。殺人なんかと違って,ここに出てくる盗みや強請りだと,やられる方が悪いって感じがしてしまいます。まあ本来被害者であるべき人物達も,善人として描かれている訳ではないので,何となくゲーム感覚の犯罪と言った話しが多いですね。

 

「占星術殺人事件」 島田 荘司  2000.06.14 (1985.02.05 講談社)

☆☆☆☆

 昭和11年に起こった2.26事件の日,画家の梅沢平吉が,アトリエとして使っていた蔵の中で殺された。蔵は全くの密室状態だったが,それ以上に世間を驚かせたのは,蔵の中で発見された彼の手記だった。西洋占星術に凝っていた平吉は,彼の理想とした芸術作品であるアゾートを作成する計画を手記に残していた。それによると,彼の6人の娘を殺害し,彼女等の体の一部分を用いて一体の人形(アゾート)を作る事だった。しかしその前に平吉自身が殺されてしまったのだ。さらに驚く事に,その後彼の6人の娘は手記の通りに殺され,日本各地の鉱山でバラバラ死体となって発見された。犯人は一体誰なのか,そしてアゾートは作られたのだろうか。40年を経た現在,この謎に御手洗潔が挑む。

 本格ミステリーとして大変高い評価を得ている作品だと言う事は良く知っておりました。確かに面白いですね。いきなり最初に平吉の手記が出てきます。そして探偵役の御手洗に,友人が事件について説明していく形で,読者は事件の概要を知ります。事件自体は40年前に起こった事なので,事件の現場を見る事はできないし,証言者も限られてしまいます。ですが40年間に渡る,多くのミステリーマニアによるいくつもの推理の積み重ねがあります。その中から,今回の探偵役の推理を前面に押し出しているわけですね。この書き方が効果的なんだろうと思います。著者の「本格ミステリー宣言」が思い出されます。確かに冒頭にて提示される謎は魅力に溢れているのかも知れませんが,あまりにも複雑な人間(親子)関係や常軌を逸した犯行,探偵役である御手洗の人物像など不満が無い訳ではありません。まあ純粋に推理を中心に考えれば,そんな事言うべきじゃないですね。とにかく,このトリックは見事ですよ。

 

「殺人鬼U」 綾辻 行人  2000.06.16 (1993.10.30 双葉社)

 警視庁捜査一課の刑事である冴島は,久し振りの休暇を楽しむ為,妻の美砂子と娘の莉絵の3人でドライブに出掛けた。山道に差し掛かった時,冴島はこの近くにある双葉山には化け物が住んでいると言った。5年前に中学生4人が惨殺され,2年前にはキャンプに来ていた団体が,謎の男に襲われる殺人事件が起こっている。犯人はその時崖から転落したらしいが,死体は発見されていないと言う。車がカーブに差し掛かった時,冴島は道の真ん中を歩いている男を見つけたが,避けきれずに轢いてしまった。駆け寄ってきた冴島等に襲いかかる被害者の男。そしてこの一部始終を見ていた,もう一つの目。

 前作の「殺人鬼」は,山の中と言う閉ざされた世界の中で一人一人襲われて行く緊迫感があり,また全体に渡って仕掛けられたトリックもあって,それなりに面白かったと思うのですが,こちらはちょっと...。ただ単に残酷的な描写が続くだけで,はっきり言って嫌いです。そりゃあホラーが好きって言う人もいるんでしょうが,よほどその様なジャンルが好きな人以外には理解できないんではないでしょうか。どこが面白いんです,コレッ。そんなことより早く館シリーズの新作が読みたいですよね。

 

「禿鷹の夜」 逢坂 剛  2000.06.19 (2000.05.10 文藝春秋社)

☆☆☆

 渋谷を拠点とする暴力団の渋六会の会長である碓氷嘉久造がレストランで娘と食事中,店の裏口から突然飛び込んで来た一人の殺し屋。最近渋谷で勢力を拡大してきた南米系マフィアのマスダが送り込んで来た者だ。あわやと言う危機を救ったのは,レストランで一人食事を取っていた男。彼は姿を消したが,警察の捜査でも彼が何者だったか判らなかった。しかし後日その男が碓氷会長に接近してきた。そしてその男は,警視庁神宮署生活安全特捜隊の禿富鷹秋と名乗った。

 逢坂さんの作品には警察官を扱った作品が多くあります。代表的なのは百舌シリーズの公安警察だと思いますが,「しのびよる月」の様に生活安全課に勤務する警察官を描いた作品もあります。同じ生活安全課といっても,コミカルに描かれた警察官が出てくる同作品とは違って,こちらの主人公である禿富(とくとみ)は,かなりぶっ飛んだ人物です。ハゲタカと呼ばれ,ヤクザからは「警察官になったのが間違い。」だと言われる始末です。ここでは一応会社組織を取っている暴力団の渋六会の用心棒を務め,マスダの殺し屋ミラグロとやりあいます。なかなか緊迫した展開で,両者の駆け引きも面白いと思います。でも何か人物の描き方が不自然なんですよね。禿富もそうですが,渋六会の幹部達,そして会長の娘笙子。また禿富の青葉和香子に対する想い何て,絶対裏があるんだろうなと思っていたのですが。ちょっとした仕草や言葉から,個性的な人物を鮮やかに描ききる逢坂さんが,何故この様な書き方をしたのかが判りませんでした。

 

「結婚詐欺師」 乃南 アサ  2000.06.20 (1996.10.04 幻冬舎)

☆☆

 自称コンピュータゲーム製作会社の社長である橋口雄一郎。大学で臨時講師も努めていると言う。新たなターゲットはネクタイ売場に勤務する女性。言葉巧みに彼女に近付いて行く。結婚詐欺師である橋口の獲物は,現在その他にもスナックの女性経営者がいる。幅広い人脈をちらつかせ,携帯電話やポケベルを使って,忙しい実業家を演出する。しかしその頃,かつて橋口に騙されて金を奪われたスナックのホステスが警察に被害届を提出した。

 題名を見ての通り結婚詐欺師の話です。以前読んだ篠田節子さんの「ブルー.ハネムーン」も結婚詐欺師の話でしたが,そちらの方は男女ペアによる犯罪で,男性をターゲットにしているところが新鮮な感じがしました。それに比べてこちらの主人公は古典的と言うか,いかにも結婚詐欺師と言った感じです。実体は冴えない中年なのですが,かつらで変装したり様々な小道具や巧みな話術で女性を罠に掛けて行きます。それはそれでいいのですが,こちらが面白いのは,詐欺の進行の裏で,警察の捜査が並行して描かれる点ではないでしょうか。そして捜査する警察官と被害者の意外な関係。でも結婚詐欺の立証って難しいでしょうね。他の犯罪と較べて証拠になる様な物もないでしょうし,お互いの気持ち何て第三者には判らないし,男女の事ですから会話だって二人の間だけの事がほとんどでしょうし。恋愛と結婚詐欺なんて,ほんの紙一重の事なんでしょうね。皆さん気を付けて下さいね。まあ僕は今後とも,被害者にも加害者にもならんでしょうけど(ホントか?)。

 

「伝説『薔薇星雲伝説』」 辻 真先  2000.06.21 (1990.10.04 大陸書房)

☆☆

 国営放送CHKのディレクター井波高哉のもとに,「奇想天外」と言う雑誌の新人記者である根谷が訪ねてきた。井波が若かった頃担当した「薔薇星雲伝説」と言うテレビ映画について調べていると言う。そのテレビ映画が国営放送にしては珍しいSF映画だった事,そして何故か最終回が放映されなかった事に興味があると言う。井波は根谷にそのテレビ映画製作にまつわる裏話を話し始める。

 薔薇星雲と言うのはオリオン座のペテルギウスと,こぐま座のプロキオンの間あたりにある星雲で,いっかくじゅう座にあります。写真で見ると,真っ暗な宇宙空間に真っ赤に咲いた薔薇の花の様で,見事としか言い様がありません。ですが,この様な星雲と言うのは天体望遠鏡を使っても肉眼で見る事は出来ないんです。そもそも星雲と言うのは,天の川やアンドロメダ銀河の様に多くの星の集まりではなく,宇宙空間に漂う水素などのガスやチリが近くの星の光を反射しているものです。瞬間を切り取る人間の目では見えませんが,長時間の露出を与えた写真では見事なその姿を現します。ちなみにウルトラマンがやって来たと言われるM78星雲も似た様なものですが,こちらはオリオン座にあります。先程も言いましたが星雲はガスやチリですので,いくらウルトラマンでもM78での生活は難しいと思うのですが。さて伝次郎先生の天文講座はこの辺にしておいて,この作品はちょっとSFチックな話です。テレビ映画製作に伴い,スタッフや出演者が謎の事故や失踪に見舞われます。そしてその裏には謎のエイリアンが出てきて,と言う話なのですが,エイリアンの行動が的を外しまくっているのが面白いですね。根谷が全ての結論を知る最後の場面は「オオッ!」とうなりました。

 

「初ものがたり」 宮部 みゆき  2000.06.22 (1995.07.20 PHP研究所)

☆☆☆

@ 「お勢殺し」 ... 薮入りの日に,大川で裸の女性の死体が見つかった。大柄な彼女は近所で醤油売りで生計をたてていた。
A 「白魚の目」 ... 最近道端で暮らす,身寄りの無い子供達が増えた。何とかしようとしていた所,そんな子供達が毒で殺された。
B 「鰹千両」 ... 知り合いの魚屋が茂七を訪ねてきた。大きな呉服屋の番頭が,鰹1匹を千両で買いたいと言ってきていると言う。
C 「太郎柿次郎柿」 ... 田舎から出てきた兄が,江戸で奉公している弟を殺した。そこに現れた最近噂の,霊験あらたかな坊や。
D 「凍る月」 ... 酒問屋の河内屋から一人の奉公人が姿を消した。河内屋の当主は奉公人あがりだが,その娘を探して欲しいと。
E 「遺恨の桜」 ... 霊能者の子供が人に襲われ大怪我をしたと言う。何者かがその子供の存在を邪魔に思っているらしい。

 本所深川一帯を預かる,「回向院の旦那」と呼ばれている岡っ引きの茂七が主人公。この人って,「本所深川ふしぎ草紙」に出てきた人だっけ。ある年の正月,茂七は近所に変わった屋台が出ている事を聞き込む。何でもその屋台は夜中までやっていて,そこの主人にはヤクザの親分もが一目を置いているとの事。行ってみると稲荷寿司が美味しい屋台で,茂七はすっかり気に入ってしまった。そしてこの屋台の主人に興味を持つ。そんな中でいかにも江戸時代の下町らしい事件が起こります。そしてその事件の解決には必ずこの屋台が何らかの形で絡んできます。この屋台の主人は一体何者なのか,と言う謎が一貫して流れていきます。事件自体は何か有りがちな話ばかりなのですが,ちょっと暗く哀しい話が多いですね。宮部さんの時代物に良く出てくる「霊験お初」は出てきませんが,別の霊能者は出てきます。

 

「スシとニンジャ」 清水 義範  2000.06.23 (1991.10.07 講談社)

☆☆☆

 サウスダコタからやってきたアメリカ人のジムが成田空港に降り立った。アメリカで見た日本映画に憧れて日本にやってきたのだが,着物を着た女性もいないし忍者もいない。ジムの親戚のケントが日本で貿易商をしており,滞日中の住居を提供してくれる事になっている。ケントに連れられて幡ヶ谷にある彼のマンションに着いたジムに,ケントは日本におけるいくつかの注意を与えた。物価は高い,外国人は受け入れられない,寿司は高いから食うな等など。ケントは明日から九州に出張に行く予定なので,ジムは一人で日本を歩きまわる事になる。さてどうなる事やら。

 良く外国の教科書で日本を紹介する写真に,ちょん髷を結ったり,刀を差したりしている写真が使われている,何て話があるじゃないですか。あれって本当なんですかねえ。日本の教科書では間違って外国を紹介する事は無いんでしょうが,日本人は結構外国からの評判を気にしますからそうなのであって,外国の方は結構大雑把なんですかね。ってこれは偏見か。だけど大相撲の海外巡業何て,逆効果じゃないんでしょうか。ところでここに登場するジム君は,大の日本びいき。それはいいのですが,黒澤明監督の日本映画などからの知識で日本を理解しているものですから,かなりのピント外れ。どの様に現在の日本の現状を見て失望していくのかと思っていたら,偶然浅草で知り合った呉服屋の娘やら,チャンバラ好きの父親が出てきたりで変な展開になっていきます。ちょっと型どおりと言った感じはしますが,面白いですよ。できたら舞台は名古屋の方が良かったんじゃないですか。名古屋出身の清水さん。

 

「覆面作家は二人いる」 北村 薫  2000.06.26 (1991.11.30 角川書店)

☆☆☆☆

@ 「覆面作家のクリスマス」 ... 岡部良介が勤める出版社「世界社」に,新妻千秋と名乗る人物から原稿が送られて来た。なかなか出来が良かったが,何とも不思議な作品だった。左近先輩からの命令で明日本人に会いに行く事になったが,その晩,良介の家の隣にある女子高で殺人事件が起こった。
A 「眠る覆面作家」 ... デビュー作の原稿料を千秋に届けに行った先は水族館。ちょうどその時そこは,誘拐事件の身代金受け渡しの場所となっていた。良介の双子の兄の優介は刑事なのだが,そこで張り込んでいたところ,千秋から良介と間違えられてしまう。
B 「覆面作家は二人いる」 ... 内と外のあまりの落差に,新妻千秋は実は二人で一役をしているんではないだろうか,との疑問が。そんな時,左近先輩の姉がガードマンをしているデパートでは,万引の被害が相次いでいた。そして姉の息子に疑惑の目が向けられた。

 まず登場人物の設定がいいですね。主人公の覆面作家は,世田谷の豪邸に住むお嬢様で,執事何ていうのも出てきます。このお嬢様ですが家の中では大人しいのですが,一旦外に出るとさあ大変。内弁慶の逆なんですね。そして彼女の担当者になってしまった良介には,刑事をしている双子の兄の優介がいます。そして都合良く事件が起こって,覆面作家のお嬢様が驚異的な頭の回転で事件を解決してしまいます。北村さんの独特な語り口が,こう言った作品に合うのかも知れませんが,スラスラ読めてしまいます。他の作品だと,どうも「何言ってんだあ。」と引っ掛かるところがあるのですが,ここでは逆にいいですね。北村さん自身も以前は覆面作家だったそうですが,ミステリー作家の場合は特に,作者自体が謎になっているのはいいんでしょうか。まあ作品自体のイメージと作者の顔が一致しないで驚く事はありますけど(別に浅田次郎さんの事を言ってるのではありません),あまり関係無い様な気がします。ところで大学では今でも「優,良,可,不可」の4段階評価なんですかね。いつだったか長女Mの通知表を見て驚いた事があります。別に成績が悪くて驚いたのでは無く(,と言っても成績が良かったと言う訳でも無い),私が小学生の頃の通知表と全然違っていたからです。少なくとも私の小学校時代は5段階評価でした。

 

「覆面作家の愛の歌」 北村 薫  2000.06.27 (1995.09.30 角川書店)

☆☆☆☆

@ 「覆面作家のお茶の会」 ... 千秋の部屋で紅茶を飲んでいた良介。そこに訪れた一人の女性は,ライバルである洋々出版の「小説わるつ」の編集者,静美奈子だった。彼女が持ってきたケーキがもとになり,そのケーキ屋の前の主人が,茨城の寺に篭っている事を知る。
A 「覆面作家と溶ける男」 ... 兄の優介とバッタリ出会った美奈子。彼女は良介と間違えて写真に収まったのだが,彼女が連れていた子供の顔を見て,優介にはピンとくるものがあった。最近発生した誘拐殺人事件の被害者に顔が似ていたのだ。
B 「覆面作家の愛の歌」 ... 美奈子と千秋で劇を観に行った良介は,主演女優の演技の素晴らしさに驚く。覆面作家に会いたいと言う劇団関係者の依頼で,彼女の恋人に会うのだが,その後彼女は自宅で遺体となって発見された。容疑者の劇団関係者には確かなアリバイがある。

 さて季節は変わり登場人物にも若干の変化が起こります。良介が尊敬する左近先輩はアメリカ勤務となり,良介の職場には青い炎の新人がやってきます。そして何と言っても,美奈子さんと言うライバルが登場してきます。まあライバルとは言っても,結構お互い協力して事に当たっていきます。ここら辺,新人作家と編集者達の関係って,どんな感じなんでしょう。担当としてはその作家が売れる事はうれしいでしょうけど,ライバル出版社からの作品だったら悔しいでしょうし,複雑でしょうね。でもここでは当人達はあっさりしています。そしてまた都合良く事件が起こって,と言う展開なんですが,良介の兄で刑事の優介がいろいろと絡んできます。事件は3話とも人が死にますが,この様な雰囲気の作品だったら,殺人の様な陰惨な事件じゃ無い方がいいんじゃないでしょうか。それと,最後の話の謎が判り難かったゾ。だけどこの覆面作家の千秋さん,とても魅力的ですね。今回は千秋さん一家の過去が少し判ります。

 

「覆面作家の夢の家」 北村 薫  2000.06.28 (1997.01.30 角川書店) お勧め

☆☆☆☆☆

@ 「覆面作家と謎の写真」 ... 良介の兄の優介が結婚した。相手は良介のライバルでもある静美奈子さんだ。その後,結婚式に来ていた美奈子さんの友人が不思議な写真を持っている事を聞く。ディズニーランドに行った時の写真だが,アメリカにいるはずの友人が写っていた。
A 「覆面作家,目白を呼ぶ」 ... 良介の勤める出版社の新人賞の受賞作。作者はマルハナバチのファンの金山と言う女性だった。彼女に会いに福島まで行った良介は,帰り道で彼女の上司が車で崖から転落する事故を目の前で目撃する。
B 「覆面作家の夢の家」 ... 良介が担当している女流推理作家の元に,彼女の友人からあるメッセージが届いた。部屋の模型,その中で矢で射られて倒れている男,そして「恨」と言うダイイングメッセージ。良介は千秋とともに,このメッセージの解読に挑む事になる。

 3日連続して覆面作家シリーズを読んでいるので,何か目の前に千秋さんや良介君が出てきちゃいそうです。それはそうと,本作はいきなり優介と美奈子さんの結婚式の場面から始まります。物語の裏ではいろいろと物事が進んでいるんですねえ。前作ではこうなりそうな雰囲気はありましたもんね。しかしこうなると,良介と千秋さんがどうなるのかと言うのが興味の的です。まあそれは読んで見てのお楽しみ,と言う事にしておきましょう。話の方は相変わらずのパターンなのですが,決してマンネリを感じさせる事無く,かえって安心して読めます。ペンギンやらハチやら和歌と言った話しがアクセントとして効果的なのでしょうか。最後のシーンは,まるで目に浮かぶ様で,とても良かったですよ。ところでこのシリーズの本の表紙には可愛らしいイラストが描かれております。良介君と千秋さんなのでしょうが,ちょっとイメージ違わないか。

 

「極道放浪記」 浅田 次郎  2000.06.28 (1994.09.04 幻冬舎)

☆☆

 裕福な家庭に育った浅田次郎さんは,その後高校中退,自衛隊への入隊等を経て数々の職業を転々としたのは有名な話です。そしてその間一貫して,自分は作家になるんだと信じ続けてきたそうです。この作品は自衛隊退官後の,かなり危ない職業に従事していた頃の話が中心のエッセイです。

 かなり危ないと言うよりも,ほとんど犯罪じゃないですか,これっ。冒頭で実話だと言っておりますが,ある程度は脚色しているんでしょうか。でも実は全て本当だったりして。実際に経験してなきゃ書けない事ばかりの様な気もします。どっちにしても,浅田さんのピカレスク以外の作品からは想像できない様な話ばかりですね。ですがこう言った経験が,その後の作家としての作品に大きく影響しているのも事実でしょう。阿波丸の話なんて,「シェエラザード」そのものじゃないですか。浅田さんのエッセイでは「勇気凛々ルリの色」のシリーズが有名ですし,私も大好きなのですが,そちらに較べるとちょっと肩肘張り過ぎの印象を受けました。だけど,あの顔で,こんな仕事をしていて,お酒が飲めないなんて,信じられないですよね。そしてどんな仕事をしていても,作家になると言う意思を貫くって,なかなかできないでしょうね。

 

「今夜もベルが鳴る」 乃南 アサ  2000.06.29 (1990.09.01 祥伝社)

☆☆

 ゆかりはデザイン会社で照明デザインを担当するデザイナー。この職場にアメリカでの研修を終えた松本が帰ってきた。彼とは以前付き合っていたが,ゆかりの気持ちを踏みにじって行った男だ。複雑な気持ちを吹っ切ろうと,学生時代からの友人である吉岡を電話で呼び出すゆかり。しかしその場に吉岡の友人である岩谷が同席した。実は吉岡を通じて知り合った岩谷に,興味を持っていたゆかりなのだが,電話だけでなかなかゆかりと会おうとしてくれなかった相手だ。岩谷に惹かれる反面,彼の気持ちが判らないゆかり。

 電話のベルの音って表情があると思える時があります。いつもと同じ電話の呼出し音なのに,なにか不吉な響きを感じてしまう時があります。そう言う時って,必ず悪い電話なんですよね。会社の帰りがけに鳴る電話なんて,悪魔が掛けてきている様に思える時があります。ここでは男が女に電話を掛けようとしている場面から始まります。オン.ザ.ロックの氷が徐々に解けて,あたかも二人が電話で話しをする機が熟すのを待つ様に。そして,ゆかりの周りでは男女間の様々な出来事が起こります。プレイボーイの松本の帰国,学生時代の友人の不思議な恋人,先輩OLの自殺未遂や突然の結婚宣言。そしてゆかりが惹かれる岩谷の不可解な言動。そしてその合間に,冒頭の男の様子が描かれていきます。この電話を掛けようとしているのは岩谷なのか,彼は何を考えているのか。ゆかりが追い詰められて行く様子がちょっと唐突な感じがしてしまったのですが,後半は結構盛上がりました。ですけどこの本,あとがきを先に読まない方がいいですよ。

 

「白い手」 椎名 誠  2000.06.30 (1989.04.25 集英社)

☆☆☆

 東京から引越してきた松井が授業中にうんこをもらしたのは,これが3度目だった。何でも括約筋の病気だそうだ。そんな事もあって松井は,「けつめど」とあだ名されていた。松井の家はぼくの家の近くだったので,松井のお母さんから,よろしく頼むと言われている。だけどあまり仲良くしていると,自分までが「けつめど2号」と呼ばれそうで嫌だった。学校に行く途中に「おっこし坂」と言う坂があった。坂の上には一軒の家があり,その二階の窓からは,時々白い手が出ていた。病気の女の娘が寝ているそうだ。松井は得意のハーモニカをその白い手に聞かせる。いつしかハーモニカの音に合わせて,白い手が動くようになった。

 昔どこにでもいた悪ガキを描かせるとうまいですよねえ。子供の頃に見た風景,嗅いだ匂い,友達との何気ない会話,覗き見た大人達の表情等などが甦ってくるようです。あんな事をした,こんな事もした,と言うだけじゃなくて,その時に味わったうれしさや,楽しさ,哀しさ,恐さが見事に描かれています。さすがに僕の子供の頃にはテレビがありましたけど,ポンプ倉庫のエピソードなど似た様な経験は誰にでもあるんじゃないでしょうか。最近の子供はこんな遊びしないですよね。プロレスに熱くなったり,恐い思いをして木登りしたり,トロッコで足の骨折ったり,いいかどうかは別にして,ちょっと寂しい気がします。だけど何か清々しい一冊です。