読書の記録(2006年02月)

「草原からの使者」 浅田 次郎  2006.02.01 (2005.02.28 徳間書店)

☆☆

@ 「宰相の器」 ... 政治家の秘書が語る,ある総裁候補者の話。総裁選出馬にあたって,二人の占いを聞く事になった。
A 「終身名誉会員」 ... 財閥の後を継いだ男。父の死後,一時期滞在していたロンドンで,祖父の知り合いと出会った。
B 「草原からの使者」 ... ハイセイコーが出場した日本ダービー。モンゴルからやってきた老人は他の馬の勝ちを予想した。
C 「星条旗よ永遠なれ」 ... 戦争が終わり日本人の女性を妻にしたアメリカ兵。同じ退役軍人達との日々が流れる。

 「沙高樓綺譚」の続編で,功成り名を遂げた人達が集まる秘密のサロンで繰り広げられるとっておきの話。天切り松とは違った,場の雰囲気が前作にはあったのですが,今回は語り部がほぼ一方的に喋っている感じ。そう言う意味では天切り松に近付いた気がしますが,話の内容が不満です。人生の中における大きな転機を描いているのでしょうが,話自体の嘘臭さが目に付いてしまいます。いくら誰にも話せなかった秘密の話とは言っても,あまりにも現実感に欠けています。特に最後の「星条旗よ永遠なれ」は,何が言いたかったのでしょうか。前作の話の内容を,今回の形で喋らせればいいのかなあ,と思ってしまいました。

 

「ベルカ,吠えないのか?」 古川 日出男  2006.02.02 (2005.04.25 文藝春秋社)

☆☆

 第二次世界大戦で,アリューシャン列島のアメリカ領キスカ島を占拠した日本軍。アメリカ軍の攻勢により日本軍は島を放棄して脱出したが,4匹の軍用犬が残された。彼らは島を奪還したアメリカ兵に拾われるが,北,正勇,勝,エクスプロージョンの4匹と彼らの子孫は,その後様々な運命とめぐり合う。東西冷戦,ベトナムやアフガンでの戦争,ソビエト連邦崩壊,宇宙開発など,人類の歴史に立ち会っていく。

 読んで一番の感想は,“独創的な作品だなあ”というものでした。犬の目から見た人間の歴史でもないし,犬自体の物語でもないし,人間と犬との繋がりでもない。第三者の視点で淡々と語られる犬達と人間達。犬達は人間を人間の気持ちを,そして人間の歴史を,どの様な目で見ていたのでしょう。犬と言うのは猫と並んで,人間にとって一番身近な動物です。とは言っても,犬と猫って大分違いがあります。決定的なのは,両方とも愛玩用でありますが,犬はそれ以外にも様々な役割を担う事が出来る点でしょうか。番犬,盲導犬,麻薬犬,警察犬,そしてここに出てくる軍用犬。とにかく独創的と言うか風変わりな作品です。でも後半はちょっと飽きてきてしまいました。

 

「最後の願い」 光原 百合  2006.02.04 (2005.02.25 光文社)

☆☆☆

@ 「花をちぎれないほど...」 ... あるパーティーの席上,飾られていた薔薇の花がちぎられ踏みにじられていた。
A 「彼女の求めるものは...」 ... 携帯に掛かってきた間違い電話。彼女はこの携帯の持ち主は自分の恋人だと言う。
B 「最後の言葉は...」 ... 死を前にした画家の元を訪れた高校時代の同級生。彼ら二人は仲が悪い事で有名だった。
C 「風船が割れたとき...」 ... その女優の初舞台は小学校時代のミュージカル。その時使った風船が割られてしまった。
D 「写真に写ったものは...」 ... 今は誰も住んでいない洋館。持ち主が言うには,ここに住みたくない出来事があった。
E 「彼が求めたものは...」 ... 子供の頃の火事の記憶。自分を助けるために近所に住んでいた一人の女性が亡くなった。
F 「...そして,開幕」 ... 劇団φ(ファイ)の最初の公演が行われる劇場は,不思議な事が起こると言う噂があった。

 新しく劇団を作ろうとしている度会恭平らが,自分達が納得できるメンバーを集めるために,様々な場所に出て行く。そんな中で出会った謎を,二人が解いていくと言うスタイルです。連作短編の形を取っていますが,一つの長編作品として捉えた方がいいのかも知れません。つまり彼らが謎を解く事によってメンバーも集まり,最初の公演に結び付いて行く訳です。渡会と風間は劇団員なので,劇団員ならではの視点で謎を解いていきます。そして謎の奥にある悲しみや切なさを明らかにしていきます。ここら辺はなかなか見事だと思いますが,最後の一編はどうでしょうか。それだけで読めばどうと言う事ないのでしょうが,何か今までの流れを断ち切ってしまっている様に感じられるのが残念でした。

 

「讃歌」 篠田 節子  2006.02.06 (2006.01.30 朝日新聞社)

☆☆☆

 テレビ製作会社勤務の小野は,知り合いからの勧めであるコンサートに出掛けた。小野はそこで聴いたヴィオラ奏者・柳原園子の演奏に心を奪われてしまった。園子はかつて天才少女バイオリニストと呼ばれたが,アメリカ留学で挫折し,最近ヴィオラ奏者として演奏活動を再開していた。小野は彼女の栄光と挫折,そして復帰をドキュメンタリー番組として発表した。放送は好評を博し,園子も一躍有名人となった。

 篠田さんの作品では音楽を扱った作品がいくつかあります。「カノン」ではバイオリン,「ハルモニア」ではチェロで,今回がヴィオラなら,次はコントラバスでしょうか。前の2作はホラー仕立ての作品でしたが,本作は社会派小説。一人のヴィオラ奏者を追ったドキュメンタリー番組がもたらす一連の騒動や,人の心を打つ音楽とは何か,と言った事が中心となっています。普段何気なく見ているテレビ番組にも,製作者や出演者,その他関係者の様々な思惑があるんでしょう。小野が製作したドキュメンタリー番組は,多くの問題を提起していきます。経歴詐称等の番組自体の問題,園子の演奏技術に関する評価,レコード会社社長との癒着や愛人問題,そして園子の留学先からの訴え。テレビ番組の製作現場の情景が迫力を持って描かれます。それと同時に,何故園子の演奏が人の心を打つのか,と言う話が合わせて語られます。私も単に聴く人が満足できればどうでもいい事だと思います。まあ聴く側の技量を問うのも結構だと思うのですが,それで無くとも敷居の高いクラシックが...と言う気がします。ちなみにシューベルトのアルペジオーネ・ソナタはレコードでは持っていますが,今はレコードプレーヤー何て持っていないんですよね。

 

「十八の夏」 光原 百合  2006.02.07 (2002.08.30 双葉社)

☆☆☆☆

@ 「十八の夏」 ... 大学浪人の18歳が知り合った年上の女性。彼女は自宅近くのみすぼらしいアパートに住んでいた。
A 「ささやかな奇跡」 ... 亡くなった妻の実家がある大阪に,息子と二人で移り住んだ男。近所の本屋の女性が気になった。
B 「兄貴の純情」 ... 定職を持たず劇団員をしている兄。ジョギング中に知り合った女性は,自分も知っている人だった。
C 「イノセント・デイズ」 ... 塾の教師をしている自分を訪ねてきたのはかつての教え子。彼女は家族を失っていた。

 第55回日本推理作家協会賞を受賞し,2003年版このミステリーがすごい!第6位にもランクインしたそうですが,これってミステリー?。確かにミステリー的な要素はあります。年上の女性にほのかな恋心を抱く主人公や,家族を次々と失った不幸な少女を登場させ,見事などんでん返しを見せてくれます。でもそんな事よりも,話の綺麗さが目に付きます。特に「ささやかな奇蹟」がいいのですが,失った妻の両親の近くで暮らす親子と言う設定がいいんでしょう。それと,朝顔,金木犀,ヘリオトロープ,夾竹桃と言った,花をモチーフにした作品作りも上手い。ちょっと最後の「イノセント・デイズ」だけ,毛色が変わっていて浮いた感じもしますが,主人公の塾講師の気持ちがヒシヒシと伝わってきます。4つの作品それぞれに描かれる恋心が,読む者に清々しさを与えてくれます。

 

「予告探偵」 太田 忠司  2006.02.08 (2005.12.15 中央公論社)

☆☆

 太平洋戦争の傷跡もまだ残る1950年12月。300年以上続く由緒ある旧家・西郷家に一通の手紙が届いた。それには,「すべての事件の謎は我が解く」と書かれていた。そしてその手紙を書いた摩神尊と名乗る探偵が,文筆家の友人を連れて西郷家にやってきた。おりしもそこでは,西郷家の長女の結婚相手が決まる日だった。

 犯人が犯行を予告すると言うのは珍しい事ではありません。でもここでは探偵役の人物が,何らかの犯行とその解決を予告します。最初一体どう言う事だと思うのですが,その後はいかにも本格ミステリーと言った雰囲気で話が進みます。由緒ある旧家,過去に起こった悲惨な出来事,複雑な家族関係。そして登場してきた探偵は一癖も二癖もある人物で,気が弱いと言うかいかにも正直者のワトソン役を従える。そして事故によって孤立する館。うーん,最初に感じた予告に関する不自然さを忘れて読んでいたのですが,こんな結末はありでしょうか。何の伏線も無かった気がしますが,私の読み落としでしょうか。「壁本」と言う言葉を思い出しましたが,読み終わったのは電車の中だったので,大人しく本は鞄の中へ。

 

「時計を忘れて森へいこう」 光原 百合  2006.02.09 (1998.04.30 東京創元社)

☆☆☆☆

 父親の仕事の都合で清海にやってきた16歳の若杉翠。新しい高校生活にも慣れた頃,高校の郊外学習で訪れたシークの森で,母親から貰った腕時計を落としてしまった。一人で時計を探す翠だったが,森の中で一人の男性・深森護と知り合った。彼はシーク協会という環境教育グループで自然解説指導員(レンジャー)をしていた。翠は護に引かれ,シーク協会をたびたび訪れるようになった。

 この清海って清里の事ですよね。ここから見る八ヶ岳って綺麗で,特に雪を被った冬の季節の風景が好きです。後書きにもありましたが,このシーク協会のモデルは「キープ協会」なんですね。さて本作は3編からなる連作短編です。「私が殺した」と告げた女子高校生を殴った教師,婚約者を旅行先の交通事故で亡くした男性,母親が亡くなった事から食べ物を受け付けなくなった女性。その謎をレンジャーの護さんが解いていきます。謎自体が人の心の問題なので,論理的なミステリーと言う訳にはいきません。でもその分,清海の自然の描写の素晴らしさや,護と翠の素敵な関係を味わうのが正解なのでしょう。シーク協会が主催するプログラムに参加したくなってしまいます。ところで本の表紙に描かれている少女ですが,ちょっと翠さんのイメージに合わない気がします。

 

「犬はどこだ」 米澤 穂信  2006.02.10 (2005.07.25 東京創元社)

☆☆☆☆

 東京で銀行員をしていた紺屋長一郎は,体を壊して故郷に帰ってきた。自営業を始めようとして思いついたのは,犬探し専門の私立探偵。「紺屋S&R」の事務所を開いた日に,紺屋の友人の紹介だと言う二人の客がやってきた。でも依頼された内容は犬探しではなかった。一人は東京で失踪した女性の行方探しで,もう一人は村に伝わる古文書の調査だった。さらに探偵志望の学生時代の後輩が,押し掛けてきた。

 失踪人を探す紺屋と古文書を調べるハンペー,両方とも一人称で章毎に交互に語られます。そして全く別物と思われた二つの案件はクロスしていきますが,それが読者には判るのですが,当の二人は気付きません。病み上がりで,ちょっとやる気の感じられなかった紺屋が,捜査にのめり込んでいく過程。そして探偵らしからぬ仕事とは言え,真剣に取り組むハンペーの姿。こう言った読みどころを味わいながら,徐々に事件の構図を知る事になります。ここで重要な役割をしているのがある人物なのですが,この様な登場の仕方って今後も増えてくるんでしょうか。そして先ほど一旦は見えてきた構図が一気に反転するラストが見事です。それにしてもこう言った事件って,あるかもしれないと思うと怖くなってきます。二人のキャラクターも面白く,是非シリーズ化して欲しい作品です。でも犬探しの仕事にはならないんでしょう。

 

「シャイロックの子供たち」 池井戸 潤  2006.02.13 (2006.01.30 文藝春秋社)

☆☆☆

 東京第一銀行長原支店の友野副支店長は,高卒組として大卒組には意地でも負けたくないと頑張ってきた男だった。自分のために家族のために,長原支店の成績を上げなくてはならなかった。そんな中,成績の上がらない一人の行員が気になった。友野は彼に注意するのだが,反省するどころか,彼は居直ってきた。友野の常識からかけ離れた態度に,思わず手を上げてしまった。

 業績を上げる事に夢中になる副支店長,出世に見放されかけている融資課員,支店内で起こった現金の紛失事件。大手銀行の支店で起こる様々な出来事を綴った短編集で,池井戸さんのお手の物だなあと思ったのですが,どうも様子が変。第4話あたりから一つ一つの作品の終わり方がはっきりしないし,先程の現金紛失事件の影がそこここに描かれていく。結局,銀行内で起こった大きな事件を,この様な形で描いている訳ですが,それにしては中途半端な感じがします。出世や家族との関係での銀行員の苦悩や,貸し手と借り手の関係だとかと言った,銀行内の描写はさすがに上手いし引き込まれます。でも事件とは直接関係の無い事柄を描き過ぎて,遠回りが過ぎたのでしょうか。そして事件の暴かれ方とか,決着の付け方にも明確さが足りない感じがしました。

 

「死してなお君を」 赤井 三尋  2006.02.15 (2005.12.20 講談社)

☆☆☆

 東京地検をドロップアウトした元特捜検事の敷島航一は,かつて造船疑獄で取り調べを行った北江に大阪に呼ばれた。造船会社の社長をしている華僑の北江は,自分の娘が3ヶ月前から誘拐されている事を告げた。警察に頼みたくない事情があるので,娘を捜して欲しいと言う。手掛かりは犯人らしい相手から送られてきた1枚の写真だった。写真を頼りに訪れた一軒のおでん屋で,敷島は夕子と言う名の娼婦と知り合った。

 「翳りゆく夏」で第49回江戸川乱歩賞を受賞した作者ですが,受賞後第一作の本作は大変な問題作。内容がと言うより,著作権上の問題が発生し,発売後に講談社が自主的に回収をしてしまったそうです。巻末に参考文献として挙げられている,故本田靖晴氏の「不当逮捕」が著作権継承者の了解を得ていなかったのだそうです。読めないのかなとも思ったのですが,幸いな事に図書館には入っておりました。さて舞台は昭和30年代前半の東京。売春防止法が施行されたのは昭和32年なんですね。私が生まれたのが昭和30年なので,実際には知らないはずなのに,なんだか懐かしさが感じられる時代です。誘拐された娘の捜索から始まる敷島の物語かと思いきや,政界を巻き込んだ売春汚職事件,新聞記者の不当逮捕問題,検察庁内部の派閥抗争等が描かれ,一体何が本作の主題なのか判りませんでした。敷島の物語が一番面白く読めるのですが,それも前半部分のみ。前作でもエピソードの持ち出し過ぎを感じましたけどね。それにしても本作はこの後どうなってしまうのでしょうか。著作権上の問題がスッキリと解決すればいいのですが。

 

「扉は閉ざされたまま」 石持 浅海  2006.02.16 (2005.05.30 祥伝社)

☆☆☆☆

 成城の高級ペンションに集まった,7人の大学時代の友人達。今日は久し振りに開かれた同窓会だった。夕食の前,一旦彼らはそれぞれ部屋で休みを取った。そして夕飯の時間になったが,新山は姿を現さなかった。部屋で寝込んでしまったのだろうかと思い,部屋を見たが鍵が掛けられていた。ドアを叩いて呼びかけても,部屋の電話を鳴らしても,新山は起きてこなかった。

 冒頭,リーダー格の伏見によって新山が殺害される場面が描かれます。そして伏見の視点で物語りは語られます。何とか死体発見を遅らせたい伏見は,巧みに他のメンバーをコントロールしていきます。でも最年少の優佳は,部屋から出てこない新山に疑問を持ちます。この様な倒叙形式ですので,優佳がいかにして伏見の犯行を暴くのか,伏見は何故新山を殺したのか,と言うのがポイントなんでしょう。探偵役の優佳と犯人である伏見の闘い,と言う意味では凄く面白いですね。と言うよりも,その部分の面白さのみを追求した作品と捉えるべきなのでしょう。犯人の視点で描かれているのが効果的で,二人の行き詰るやり取りが迫力あります。まあ動機に関しては納得できない読者も多いでしょうが,人物を描くだとかと同様に,この作品ではこれはどうでもいい事なのかも知れません。鮮やかな推理の後で,ドロドロした人間関係を読ませられるのは嫌ですもんね。でももう少し登場人物にリアリティが欲しいですね。

 

「ブラックスワン」 山田 正紀  2006.02.17 (1989.01.31 講談社)

☆☆☆☆

 世田谷の閑静な住宅街にあるテニス・クラブで,女性の焼死事件が発生した。たまたまクラブでテニスをしていた稲垣刑事は事件を目撃する。自殺も考えられなくは無かったが,他殺の線が濃厚だった。驚いた事に被害者は,18年前に行方不明になっていた女性だった。当時20歳の女子大生だった橋淵亜矢子は,新潟から大阪へ向かう途中で消息を絶ち,今回焼死するまで,全く行方がつかめていなかった。

 何やら時刻表を使ったアリバイ・トリックを示唆する記述に始まって,女性の焼死事件が描かれます。そして17年前に行方不明になった女子大生の思い出を綴る文集の為の手記が続きます。「白鳥の湖」を通じて知合った男女7名がスキーに行ったついでに立ち寄った瓢湖での出来事。この後に亜矢子は行方不明になるのですが,構成の面白さに感心します。瓢湖に行ったメンバーによる手記が中心となって当時の出来事が語られます。でも手記を読んでも何が謎なのかも判りません。そして後半,手記を書かなかったメンバーが出会う事によって一気に真相が判ります。このトリックに関しては見事の一言だと思います。そしてそれと並んでこの作品を印象付けているのは,18年前と言う若き日々へのノスタルジーでしょう。最後の手記は印象的でした。

 

「月への梯子」 樋口 有介  2006.02.21 (2005.12.08 文藝春秋社)

☆☆☆

 40歳のボクさんは子供の頃の病気が原因で,小学生程度の知能しか無い知的障害者。親が残したアパート「幸福荘」の管理人として,母親の言いつけを忠実に守って暮らしていた。ある日屋根のペンキの塗り替えを終えて梯子を降りる途中,アパートの一室で住人の刺殺死体を見つけてしまう。ボクさんは梯子から落ち病院へ。目が覚めると,アパートの住人全員が失踪していた。

 梯子から落ちて頭を打った事から,頭が良くなってしまったボクさん。アパートの店子は皆いい人達で,自分は幸せだと思っていたボクさん。でも店子は皆後ろ暗い面を持っていて,全員アパートから失踪してしまった。近所に住んでいる憧れの同級生・京子さんは,だんだんと色褪せて見えてくる。まあ賢くなってしまったボクさんを探偵役にしたミステリーと言う側面はあります。でもミステリーとして読むと期待外れでしょう。それよりも真実が見えてしまった事による哀しさが胸に迫ってきます。真実を知る事が決して幸福に繋がる訳ではないが,それでもなお真実に向き合おうとするボクさんの姿がいい。だから犯人が判った時点で終わった方が良かった気がする。彼を取り巻く登場人物の造形も良かったので,最後の10数ページは余計な気がしてしまった。樋口さんの他の作品もそうですが,花に関する描写が多い。自分は花に関する知識が無いので駄目ですが,花に詳しい人にはもう少し違う景色が味わえるんでしょう。

 

「やっとかめ探偵団」 清水 義範  2006.02.21 (1988.05.20 光文社)

☆☆

 名古屋で駄菓子屋「ことぶき屋」を営む74歳のお婆ちゃん波川まつ尾。店は近くに住む子供達や若者の客で繁盛しており,近所のお年寄りの溜まり場にもなっていた。ある日,近所で寝たきりになっていた爺さんが何者かに殺された。離れで寝ている所を包丁でめった刺しにされ,胸の上には珊瑚のブローチが置かれていたと言う。家族の犯行が疑われる中,息子の妻が行方不明になった。

 「やっとかめ」と言うのは,名古屋の方言で「久し振り」と言う意味だそうです。それも若い人が使う言葉ではなく,お年寄りが使う言葉だそうです。主人公のまつ尾婆さんも久し振りに店を訪れた客に,「やっとかめだなも」何て声を掛けています。さてそんな名古屋のお婆ちゃんが安楽椅子探偵となるシリーズ作なのですが,全編これ名古屋弁のオンパレードなので,名古屋の言葉に慣れていない者からするとちょっと読み辛い。また名古屋弁だけの会話を聞いていると,やたらと元気のいい婆さんに見えますが,そうでもない感じです。さてこの店に集まる噂好きの年寄り連中とか,名古屋弁が話せない東京出身の刑事とかとの会話から,事件を推理していきます。推理の面白さと言うよりも,まつ尾婆さんを中心とするネットワークの面白さが味わえます。

 

「夢のカルテ」 高野 和明/阪上 仁志  2006.02.22 (2005.11.30 角川書店)

☆☆☆

 心理カウンセラーの来生夢衣の元を訪れた男性は,麻生と言う刑事だった。2ヶ月前に起こった強盗事件の捜査中,彼は何者かに銃撃を受けたと言う。1発目は脇腹を貫通し,致命傷は避けられた。しかし2発目は近くにいた主婦に命中し,彼女は即死してしまった。それ以来,麻生は夜毎の悪夢に苦しめられ,不眠に悩んでいると言う。

 阪上仁志さんと言うのは,映像ソフト事業を手掛ける方だそうで,高野和明さんと二人でストーリーを構築し,高野さんが文章化した作品だそうです。心理カウンセラーの夢衣は,人の夢の中に入れると言う特技を持っていて,その能力を活かしてカウンセリングを行います。刑事,婚約者,殺人鬼,少女4人の夢が出てきますが,夢の中の描写がやや平板な感じがします。宮部みゆきさんの「ドリームバスター」の方が夢の中っぽい。超能力の力を利用して事件を解決するパターンって結構多い気がしますが,カウンセリングを利用しているのが新鮮でしょうか。最初に夢衣と麻生の出会いが描かれ,その後二人は協力して事件を解決していきます。適度にミステリーやサスペンスがあって,恋愛小説でもあるのですが,夢衣と麻生の関係がイマイチ。と言うよりも恋愛自体を,やたらと心理学的な視点で見ようとする夢衣にイライラしてしまいました。

 

「暁の密使」 北森 鴻  2006.02.24 (2006.01.01 小学館)

☆☆

 明治30年,日本における仏教の低迷を救うため,仏教者の能美寛はチベットの拉薩を目指した。鎖国下のチベットに何とか入国し,ダライ・ラマとの謁見を果たし,仏教の原典を学ぶのが目的だった。しかし清はヨーロッパ列強の複雑な思惑が渦巻いており,能美の行動は様々な制約を受ける事になる。そして大陸の過酷な自然が彼に襲い掛かる。

 歴史小説なのですが,この能美寛と言う人物は実在の人物なのでしょう。この辺の歴史には全く疎いので判りません。前半,中国大陸に渡り大陸の奥を目指す僧侶の能美が描かれます。あまり歴史小説は読まないし苦手なのですが,前半部分は判り易いし読み易い。でも中盤からは欧州各国の思惑,日本政府の意図,そして能美以外に拉薩を目指す人物らが入り組んで判り辛くなってきます。私にとって歴史小説のとっつき難さは,政治経済などの歴史的背景が判らないからなのか,それらを説明する文章にウンザリしてしまうからなのか。史実と言う壁はあるんでしょうが,もう少し単純に冒険小説として描けなかったのでしょうか。ストーリー自体は面白いと思うので残念でした。ところで現在の状況から考えると,チベットと言う国が国際政治的にそんなに重要な位置を占めるとは思えないのですが,当時は違ったのでしょうか。

 

「ビビンパ」 清水 義範  2006.02.24 (1990.04.25 講談社)

☆☆

@ 「ビビンパ」 ... 焼肉屋にやってきたお父さん,お母さん,息子,娘の4人家族。注文はカルビに野菜にビールに...。
A 「御両家」 ... 結婚式におけるスピーチ,そして20年後に交通事故で亡くなったお葬式での親族たちの会話。
B 「謹賀新年」 ... 赴任先の北海道から東京へ戻った上司との間でやりとりされる,20年間に渡る年賀状。
C 「シンさん」 ... 初めて海外旅行に行った先はインド。旅行会社の現地人添乗員シンさんと私たち夫婦のふれあい。
D 「猿取佐助」 ... 虎は死して皮を遺し,人は死して名を遺す。ソクラテス,デカルト,パスカル,カント,ヘエゲル...。
E 「リモコン・ドラマ」 ... リモコン操作によって,シリアス度,お笑い度,お色気度などが自由に設定できる未来のドラマ。
F 「波瀾の人生」 ... 自分の人生は波乱万丈だと言って,作家のもとを訪れて自分の人生を小説にして欲しいと言う人。
G 「平成元年の十大ニュース」 ... 独自の視点で平成元年の十大ニュースを考えるマスコミ。そして家族ともう一人。
H 「三劫無勝負」 ... 織田信長が明智光秀の謀反により倒れた本能寺の変の時,繰り広げられた碁の勝負。
I 「瞼のチャット」 ... パソコン通信のチャットで出会ったのは,36年も別れ別れになっていた兄と妹だった。

 表題作の「ビビンパ」は,“いかにも”と言う感じで面白いですね。何か微笑ましくなってしまいますが,こう言う話を書くと,清水さんて本当に上手い。その他の作品に関しては,かなり新たな試みをしている様に思えますが,それがストレートに面白さに繋がっていない様に思えます。「猿取佐助」はひたすら読むのが辛かったし,「瞼のチャット」も途中で鬱陶しくなってしまいました。でもそんな中で「謹賀新年」は考えさせられてしまいました。かつて親しくしていた人でも,年賀状だけの付き合いになってしまっている人って多いですよね。その年賀状の中での会話が淡々と20年も続くのですが,切なさを感じさせます。まあ普通に会いに行ったり電話をしたりすればいいのですが,それがなかなかできないんですね。

 

「花の証言−弁護士 朝吹里矢子」 夏樹 静子  2006.02.27 (1996.05.15 徳間書店)

☆☆☆

@ 「犯す時知らざる者」 ... 兄が自宅で死亡し兄の嫁が過失致死容疑で逮捕された。本棚の上のブロンズ像が落ちたらしい。
A 「片隅の青い絵」 ... 自宅で殺害された金融業者。その容疑者として姉が警察の取調べを受けていると言う。
B 「二つの真実」 ... 愛人の妻を殺害したとして逮捕された女性。一貫して罪を認めていたが裁判の最後でいきなり否認した。
C 「パパをかえして」 ... 夫の浮気相手を二人の息子とともに殺害した妻。執行猶予となったが6年後に同じ状況を向えた。
D 「地検でお茶を」 ... 少女が暴行された上ナイフで刺された事件で,ベテラン刑事が逮捕した男は犯行を否認した。
E 「穴のあいた密室」 ... 旅館の離れで殺された女性。鍵が中から掛かっていたが,窓には大きな穴があけられていた。
F 「瀬戸際の期待」 ... 父親を馬鹿にされた事から相手を殺したと言う男。犯行の動機は本当にそれだけだったのか。

 藪原法律事務所の居候弁護士になって3年目の朝吹里矢子は,念願の独立を果たした。とは言っても藪原の事務所の中での事です。前に読んだ「贈る証言」では完全に独立していましたから,本作はその前の作品なんでしょう。さて弁護士が主人公なので当り前なのかも知れませんが,法律の話が大きなウェイトを占めています。特に「二つの真実」では法の裏を突いた犯人の行動が見事です。検事を主人公にしたシリーズ作もありますが,作者は法律にも詳しいのでしょう。またこのシリ−ズ作を読むのは3作目なのですが,弁護士里矢子の成長を意識して書いているのもいい感じがします。