読書の記録(1999年12月)

「どんどん橋,落ちた」 綾辻 行人  1999.12.03 (1999.10.09 講談社)

@ 「どんどん橋,落ちた」 ... 深い谷に掛けられたどんどん橋をユキトが渡った時に,橋が切れた。かろうじて崖の途中の出っ張りに止ったが,兄が助けを呼びにいっている間に,何者かに突き落とされてしまう。
A 「ぼうぼう森,燃えた」 ... ぼうぼう森に住む犬達にペンキ入りの爆弾を投げつけて苛めるユキト。その時山火事が発生した。逃げる途中で怪我をしたボス犬のロスを何者かが殺害した。
B 「フェラーリは見ていた」 ... 八ヶ岳にある知り合いの別荘に招かれた綾辻。隣の別荘で飼われていた猿が惨殺された事を知る。飼い主は真っ赤なブルゾンを着て,黒いフェラーリに乗るお洒落な老人だった。
C 「伊園家の崩壊」 ... 知り合いの作家の隣に住んでいる伊園さん一家で起こった悲劇。突然狂った様に刃物を振り回した祖母。頚動脈を切られた奥さん,毒殺されたその妹。そして何故か飼い犬までもが殺されてしまう。
D 「意外な犯人」 ... 以前,綾辻がテレビ用に作った物語。テレビ局の会議室に集まった出演者が,突然襲った停電の中で殺されていく。さて綾辻も出演していた,このドラマの中での意外な犯人とは。

 別に綾辻さんの作品が嫌いと言う訳ではないのですが,やはりこの手のパズルは駄目ですね。好きな人にはたまらないんでしょうが,私はパス。どうか好きな人達だけで遊んで下さい。この作品は読者に推理を問う連作短編集です。最初の2作は,ある人が綾辻さんのもとを訪れて,自作の推理小説を読ませます。そして綾辻さんがその謎を解く形を取っています。この訪れた人って,綾辻さんの若き頃なのでしょうか。それはともかく,冒頭に順番通りに読む様に,との作者注が書かれていますが,確かに順番通りに読まないといけないですね。読めばこの意味が判ると思います。印象はかなり違いますが,どことなく東野圭吾さんの「名探偵の掟」を思い出してしまいますね。

 

「殺人!ザ.東京ドーム」 岡嶋 二人  1999.12.03 (1988.09.30 光文社)

☆☆

 久松敏彦は伊豆の山中で,偶然に猛毒のクラーレを手に入れる。彼は少々知能が低く引っ込み思案の性格の為,周りの人々から馬鹿にされてきた。しかし猛毒を手にした事で,自分の力を意識し始めてしまう。最初に殺したのは犬だった。そしてその毒性の強さに驚くと共に,今まで自分を馬鹿にしてきた世間に対して復讐心を抱く。そして東京ドームの巨人阪神戦の観客に対する無差別殺人へと突き進んで行く。

 東京ドームの柿落としは1988年(昭和63年)3月18日の巨人−阪神のオープン戦ですから,これは東京ドームができた年に書かれた作品です。それまでにあった後楽園球場には良く見に行ったのですが,ドームができて以来,入場券が手に入り難くなってしまったので,あまりドームには行っていません。地下鉄サリン事件があった時,同じ事をドームでやったら凄いパニックになるだろうなと思った事はあるのですが,幸いその様な事にはなりませんでした。この小説は無差別殺人を扱っておりますが,パニックが起きると言う訳ではありません。一人の異常者が偶然に手に入れてしまった力によって,どんどん変わっていく姿を克明に描写していきます。そこに南米からクラーレを持ちこんだ人物や,その妻の不倫,事件に便乗する人達を交えて,サスペンスを盛り上げていきます。だけど,ほとんどが久松の視点で描かれていくので,これといったどんでん返しが有る訳でもなく,あっさりとした感じで終わってしまいます。この様な異常者による犯行を描く作品をサイコホラーというのでしょうが,怖さの部分が弱いような気がします。久松と言う人物に対しては,ほとんど感情移入できるわけでもないので,何か物足りなさを感じてしまいました。

 

「クロスファイア」 宮部 みゆき  1999.12.04 (1998.10.30 光文社)

☆☆☆☆

 青木淳子はパイロキネシスと言う念力放火能力の持ち主だった。或る晩近くの廃工場で淳子は,3人の不良に襲われた男性を助けようとする。しかし被害者の男性は死亡し,不良の主犯格である浅羽を取り逃がしてしまう。男性が死ぬ間際に残した言葉では,襲われたのは彼だけではなく,彼の恋人も拉致されているらしい。わずかな手がかりをもとに彼女の行方を追う中で,淳子は何人かの人間を焼き殺してしまう。そしてついに突き止めた浅羽たちのアジトで,淳子は彼女を助け出す事はできなかった。一方,謎の焼死体事件を追う石津ちか子ら警察は,1年前に起こった荒川河川敷における,殺人事件との絡みで捜査を行う。

 この作品は「鳩笛草」に収められた「藩祭」の続編となっております。主人公は同じで,過去の事件等,本作と密接な係わり合いがありますので,是非そちらから読んでください。前半は宮部みゆき版「必殺仕置人」と言った感じで,悪人をバタバタ殺していきます。そんなに簡単に殺してしまっていいのかなあ,と思う位ですが,悪人は徹底的に悪人として描かれていますので,一種痛快ですらあります。ただ,淳子の犯行を追う警察の動きの部分が,単に淳子の行動をなぞっているだけなので,ちょっとそこが退屈気味です。しかし後半になると,俄然緊迫感を増してきます。淳子を取り込もうとする謎の組織,娘と孫を殺された退職警官,淳子と同様な能力を持つ少女の家庭の悲劇,子供の頃に弟を亡くした警察官,そして「藩祭」で描かれた3年前の淳子と係わる男性。これらの話が絡み合い,意外な真相を交えてラストシーンへつながって行きます。読んでいて残りが少なくなってしまい,「どう決着付けるんだろう」と心配になってしまいましたが,ラストはあれしかないんですかねえ。最初に「必殺仕置人」と書いてしまったのですが,宮部さんの作品で言えば「スナーク狩り」ですね。現実における法律の限界と言うか矛盾に対する疑問,そして人が人を裁く事に対する二つの見方。被害者が全く報われない,と言うかさらに被害を蒙るような今の制度は,おかしいと思う時が多いですもん。

 

「カプグラの悪夢」 逢坂 剛  1999.12.06 (1998.05.25 講談社)

☆☆☆

@ 「カプグラの悪夢」 ... 失踪した娘婿を探して欲しいとの依頼。探し出した相手は人違いだと主張し,娘も夫では無いと言うのだが。
A 「暗い森の死」 ... 東京でエスニック料理店を経営する人達の集まりがあった。その席上,ロシア人とドイツ人の論争が盛り上がってしまう。
B 「転落のロンド」 ... 息子の同級生を殺した事で逮捕された男。彼は知り合いの女の子を驚かせようとしただけだと言うのだが。
C 「宝を探す女」 ... 中華料理屋を営む中年女性が店を閉めて,御茶ノ水界隈に隠されたと言う江戸幕府の財宝探しを始める。
D 「過ぎし日の恋」 ... 大女優から,自分の付き合っている男性を調べて欲しいとの依頼。講演旅行先の福岡での行動を追う。

 懐かしいですねえ,御茶ノ水。何故懐かしいかと言うと,僕が行っていた大学が御茶ノ水にあったんですよ。だから駿河台下だとか猿楽町だとかの地名が出てくるだけで,わくわくしてしまいます。もう20年以上前の話なんですけどね。実は逢坂さんも同じ大学なんですよ。御茶ノ水は私の行っていたC大の他にもN大やM大を始め多くの大学があるので,学生街のイメージが強いですよね。昔ガロが唄った「学生街の喫茶店」が思い出されます。しかしこの作品には,学生は全く出てきません。「ハポン追跡」に出てきた調査マンの岡坂と弁護士の桂本が出てきます。二人の関係も以前のままの奇妙な関係です。ここでは精神病の話やカチンの森やらと様々な話が出てくるんですが,表題作がお勧め。ちなみにカプグラとはカプグラ症候群と言う精神病の事で,身近な人物を他人の入れ替わりと考えてしまう事だそうです。そんな病気あるんでしょうか。少なくとも私の知り合いにはいません。

 

「凍える牙」 乃南 アサ  1999.12.09 (1996.04.20 新潮社)

☆☆☆☆

 深夜のファミリーレストランで,男性客が突然炎に包まれ,大規模なビル火災となってしまう。燃え上がった男性客は焼死。この不思議な事件は現場検証の結果,被害者のベルトに仕組まれた何らかの発火装置が原因と思われた。捜査に当たる主人公の女刑事の音道貴子。彼女は同じ警察官との結婚生活に破れ,1LDKのマンションに一人暮し。そして彼女とコンビを組む事になった中年刑事の滝沢。彼は女である音道とコンビを組む事に不満を持っていた。そして捜査が行き詰まる中,東京ベイエリアで,男性が犬に噛み殺されると言う事件が発生した。

 この作品は115回直木賞に選ばれた作品ですが,その時の候補が浅田次郎,鈴木光司,篠田節子,宮部みゆきと言った錚々たる顔ぶれ。あの「蒼穹の昴」を抑えての受賞作です。まず最初に,人がいきなり燃え上がると言う場面が出てきます。少し前に宮部さんの「クロスファイア」を読んだので,こんな所にも青木淳子が出てきたかと思ってしまったではないですか。奇抜な展開によって,読者を作品に引き込む効果はあるんでしょうが,事件の中心はオオカミ犬の話に移ってしまうので,最初の事件が浮いてしまっている様な感じがしてしまいました。そもそも,音道と滝沢と言う二人の刑事の関係がメインストーリーなのだから,事件自体はもっとシンプルな展開の方が良かったんではないでしょうか。しかし二人の関係の方はとても面白く読めました。刑事の世界何て知る由もありませんが,男でも女でも自分の仕事にプライドを持っていたら,あんな感じになるんでしょうね。ちょっと気になったのは,あまりにも安易に不倫やら離婚と言う設定を持ち出す点ですかね。延々と続く警察の捜査や最後の追跡劇なんか,高村薫さんの「マークスの山」を思い出しました。桐野夏生さんを評して「判り易い高村薫」なんて話を聞いた事がありますが,この作者にも同じ事が言えますね。

 

「贋作師」 篠田 節子  1999.12.10 (1991.03.05 講談社)

☆☆☆

 美術大学の同級生,栗本成美と阿佐村慧には,ある共通点があった。それは画家としてのオリジナリティに欠けるが,模倣が上手いと言う事だった。卒業して成美は絵画の修復師へ,慧は日本洋画界の大御所である高岡荘三郎に弟子入りをする。そして20年近くが経ち,高岡が自殺した。しかもその2年前には弟子の慧も自殺している。そして彼の残した作品の修復の依頼が成美の元に寄せられる。晩年の高岡の作品に接した成美は,それらが慧によって代作されたものだと見破る。さらに何点かは,明らかに高岡のタッチとは異なる,オリジナリティ溢れる慧の作品を見つけた事に驚く。

 篠田さんの作品では,同じく絵画を扱った「神鳥−イビス」が有ります。当り前の事ですがちょっと雰囲気が似ていますね。途中で頭蓋骨が出てきたりして,同じ様に後半は一気にホラーに向かうのかなと思ったのですが,こちらは素直に進んでいきます。かなり凄惨な場面が出てきますが,それらは「神鳥」の様な必然性が感じられません。だから読んでいて少々辛い部分があります。しかしながら謎が少しずつ提示され解けていく展開は,作者のうまさを感じます。ただちょっと進行が見え過ぎる点が,薄っぺらな印象を与えてしまっている様にも思えるのが残念です。偏見かも知れませんが,芸術に関わる人って,一風変わった人が多いじゃないですか。慧や高岡の行動も,その様に見てしまうから納得できるんであって,普通に考えたらあんな事できませんよね。

 

「天切り松闇語り 第二巻 残侠」 浅田 次郎  1999.12.14 (1999.09.20 新潮社)

☆☆

@ 「残侠」 ...大正11年の正月。松蔵は寅兄いに連れられて浅草へ。そこで一人の老人と出会う。翌日その老人は寅兄いと長屋に帰ってくるのだが,清水の小政と名乗った。
A 「切れ緒の草鞋」 ...向島一家の貸元が鳥越長屋に借金の取りたてにやってきた。あいにく長屋には小政しかおらず,小政は一宿一飯の恩義を果たす。
B 「目細の安吉」 ... 目細の安吉は松蔵を連れて,白井という東京地検の検事の家へ。白井は警察と盗人の関係修復を迫るのだが。
C 「百面相の恋」 ... 常次郎が住んでいる下宿屋には静子と言う娘がいた。しかし家は事業の失敗による借金がかさみ,銀行から返済の催促を受けている。
D 「花と錨」 ... おこん姐御をつけまわす一人の男がいた。彼は海軍の中尉で,おこんにひとめぼれをしたのだと言う。
E 「黄不動見参」 ... 松蔵は栄治兄いのお伴で,お屋敷の下見に出掛けた。そしてその晩二人はそのお屋敷に忍び込むのだが。
F 「星の契り」 ... 松蔵は友人の康太郎の家に遊びに行った。康太郎の家は吉原の左文字楼。そこで初菊と言う娘にひとめぼれ。何とか水揚げをしたいと寅兄いに相談を持ち掛ける。
G 「春のかたみに」 ... 松蔵の父親が行き倒れて亡くなった。父親は最後まで母の骨箱を持っていたと言うが,父親を許す気にはなれなかった。

 この作品は以前,徳間書店より出されていたものの続編。第一巻は徳間書店版と同じだと思います。稀代の盗人である松が,現代の留置場で語る講談話です。松が修行する目細の安吉一家の活躍(?)に,留置場の中の人間を始め,監守や刑事,そして警察署長までもが聞き耳を立てます。前回は松が一家に売られる場面から,下働きとして見た大泥棒達の粋な姿だったので,今回は松の活躍が中心となるのかと思っていたのですが。基本的には前作と同じ設定です。ストーカーや金融犯罪など,現在では当り前の様な犯罪の話を絡めている所に,ちょっと無理が有るような気もします。前回に比べると,話が小ぶりになっているのと,説教臭くなってしまっている様に思えました。最後に自らの話を持ってきて泣かすと言うのも前作同様。まだまだ続くんでしょうね。偉大なるワンパターンを目指すのでしょうか。だけど,今度こそ松蔵の天切りの技を見せてもらいたいものです。

 

「白いメリーさん」 中島 らも  1999.12.15 (1994.08.25 講談社)

☆☆☆

@ 「日の出通り商店街 いきいきデー」 ... その商店街では,ある日に限って殺人を犯してもいい事になっている。ただし,自分の職業に関係のある武器を使用しなくてはならない。主人公は中華料理屋なので,中華鍋を持って町に出る。
A 「クロウリング.キング.スネイク」 ... 家にかかる呪いによってお姉さんが蛇女になってしまった。しかし彼女はめげる事無く,その特性を活かして生きていこうとする。そして何とスーパースターになるのだが,次は妹の番。
B 「白髪急行」 ... 深夜の最終電車。終着駅から車庫に向かう電車には誰も乗っていないはずなのに。
C 「夜走る人」 ... 真夜中に走る事が日課になっている男が,ある晩若者達に襲われている浮浪者を見つける。
D 「脳の王国」 ... 人の心を読む事のできる店の主人に,ある依頼が持ち込まれた。事故で五感を失った少年の心の中は。
E 「掌」 ... 日頃は大人しいが,1ヶ月に一度大暴れする同棲相手。その時に限って,襖に掌の形の黴が生える。
F 「微笑と唇のように結ばれて」 ... 画廊の経営者が知り合った女性は,何も食べなかった。その代わりに人の血が好きだった。
G 「白いメリーさん」 ... 色々な噂を調べるジャーナリスト。自分の娘の周りで,真っ白な格好をしたメリーさんの噂が広がった。
H 「ラブ.イン.エレベーター」 ... どこまでも昇り続けるエレベーターに閉じ込められてしまった二人の男女。

 私が小学生の頃の話なのですが,ある用事で自分の通っている学校ではない別の学校に行った時の事です。用事が済んで帰ろうとしたんですが,他所の学校をちょっと覗いて見たくなったんです。もう夕方だから生徒は誰もおらず,シーンと静まりかえっていました。ふと入ってみた教室には漫画の本が一杯置いてありました。その中の一冊を手に取ったのですが,それは初めて読む楳図かずおさんの「ヘビ女」だったんです。思わず読んでしまったのですが,その怖い事ったらなかったですね。少なくとも,誰も居なくなった夕方の教室で読む本じゃないですよね。この作品の中に出てくるヘビ女は明るくて良かったです。それはともかく,これは不条理な世界を描いた短編集なのですが,どの話もちょっとした怖さが潜んでいて,引き込まれていきますね。最初の作品なんか,ツツイさんの短編集を読んでいるのかと思ってしまいました。なかなかバラエティに富んでおります。

 

「ハルモニア」 篠田 節子  1999.12.16 (1998.01.01 マガジンハウス)

☆☆☆☆

 東野秀行は,精神障害者の社会復帰を目指す施設で,音楽療法の為チェロを弾いていた。ある日,施設の職員の深谷から一人の女性を紹介される。彼女は浅羽由希と言い,脳の障害の為,話す事はおろか一切の感情表現が出来ないのだと言う。その代り,音楽に関しては並外れた能力を持っていると言う事だった。東野は由希にチェロを教える事になり,すぐに由希の素質の素晴らしさを知る。しかし由希の演奏は,聴いた曲をそのまま再現すると言うものだった。ある日,無造作に置かれたアメリカの天才チェリストであるルー.メイ.ネルソンのCDを聴いた事から,由希の演奏はネルソンの弾き方を模倣し出す様になる。そしてチェロが上達するに従って,由希のもう一つの能力が現れてくる。

 チェロの音っていいですよねえ。作品の中にも出てきますが,バッハの無伴奏チェロ組曲はたまに聴きます。全曲集ではヨー.ヨー.マの物を持っています。何年か前にロストロヴォービッチのコンサートに行った時には5番を聴きました。何となく聞き流してしまう事がほとんどなのですが,作曲する方や演奏する方の苦労から較べれば,聴く方の何たる気楽さ。同じく音楽を扱った「カノン」の時は,登場人物に音楽関係者が多く,音楽に対する深い会話について行けなかったのですが,今回その部分が判りやすくて良かったですね。何かその分,ストーリーは深いですよねえ。結局,東野は由希を女性としてではなく,自分の楽器として愛したのでしょうか。自分には成し得ない音楽的表現,それをいとも簡単に実現する由希に対する複雑な想い。そして由希の障害の謎,そして彼女の隠されたもう一つの能力。地味なストーリーの中に色々な要素がぎっしり詰まっていて,一気に読んでしまいました。由希にとっての幸福とは何だったのかは誰にも判りませんが,全てを捨ててしまった東野が,最後のコンサートで味わった至福感にはうなずけます。悲しい結末ではあるのですが。ところでこの作品はテレビでドラマ化されたそうです。私は見ていませんが。由希の役は中谷美紀だったそうです。納得しました。

 

「来なけりゃいいのに」 乃南 アサ  1999.12.19 (1997.09.05 祥伝社)

☆☆☆

@ 「熱帯魚」 ... 単純な事務作業に嫌気が差した響子は,キャンディー.マーケットと言う人気のアパレル業界の会社に転職する。しかし思っていた様な仕事ができない響子は,うらやましがる友人のみどり達に思わず嘘をついてしまう。
A 「最後のしずく」 ... ひまわり幼稚園の保母をしている幸絵には恋人ができなかった。彼女の為に知り合いの男性を紹介してくれる香奈子たち。そんなある日,幸絵の幼稚園に一人の帰国子女が入園してきた。
B 「夢」 ... 柊美容室に勤める美和は店のチーフを任されていた。ある日後輩の美容師である文也と食事の最中,彼が田舎に帰っていつかは美容室を開きたいとの夢を聞かされる。それは美和にとっても同じだった。
C 「ばら色マニュアル」 ... 吉永里佳は総合コミュニケート企業である虹彩堂に勤めていた。外回りの仕事から総務に移り,現在はマニュアル管理の仕事をしている。彼女は会社で仕事をするのが楽しくてしょうがなかった。そんなある日,不思議なマニュアルを見つける。
D 「降りそうで降らなかった水曜日のこと」 ... まゆが学校に行くと,体育館の横に花束が置かれていた。誰かが死んだのではないのかと,噂をする生徒達。クラスメイトの一人が学校に来ていない。だけど亡くなったのは先生だった。
E 「来なけりゃいいのに」 ... 経理の山崎順子の様子がおかしい。いつもは大人しいのに,突然大声で独り言を言い出したりする。二重人格ではないのか,精神分裂ではないのかと噂をし合う同僚達。
F 「春愁」 ... 造花の製造販売を行う陽光堂に勤める徳田多恵子は,来年で勤続20年を迎える。不甲斐ないOLの教育に自分の活路を見出していたのだが,三崎愛と言うとても良く出来た女性の新人が入社してきた。

 一作を除いて働く女性を主人公にした短編集です。見栄をはったり,恋人の事で悩んだり,仕事に夢を持ったり,自信を持ったり無くしたりと,色々な女性が出てきます。彼女らは皆一生懸命に仕事に取り組んでいるのですが,ちょっとした事で歯車が狂っていきます。それは転職先の思ってもみなかった内情であったり,自分に敵意を持つ相手の存在であったり,同僚とのちょっとした行き違いであったりします。OLの話と言うと篠田節子さんの「女たちのジハード」が有名ですが,あれほど一人一人を類型的に描いていません。それが,どこにでも居そうなOL(と言っても平凡と言う意味ではなく)の雰囲気を出しているのがいいですね。一風変わった表題作が意表を突いていてお勧めです。

 

「悪魔の羽根」 乃南 アサ  1999.12.20 (1997.02.07 幻冬舎)

☆☆☆

@ 「はなの便り」 ... 岳彦は年上の恋人である優香子から,突然デートの中止を告げられる。そしてそれ以来,彼女と連絡が取れなくなってしまう。彼女のアパートには,彼女の従妹を名乗る謎の女性がいたが,詳しい話は聞けなかった。
A 「はびこる思い出」 ... 妻の引越し荷物から出てきた古いアルバムはカビだらけになっていた。その中の一枚の写真には妻に良く似た女性が写っていた。その女性は彼女のただ一人の身内である従姉だと言う。
B 「ハイビスカスの森」 ... 自分との仲を積極的に進めない萌木の態度に苛立った恵一は,強引に二人で沖縄旅行に出掛ける。しかし突然襲った台風の為に,東京に帰れなくなる。そして萌木の意外な一面を知ることになる。
C 「水虎(すいこ)」 ... 水泳のインストラクターをしている靖孝の元に,圭介から突然の電話が掛かってきた。役者志望の彼は,次の役の為にダイビングを教えて欲しいというのだが,真剣に努力をしようとしない圭介の態度に腹を立てる。
D 「秋ひでり」 ... 結婚して3年で未亡人になってしまった寛子は,再婚相手に恵まれず,妻子ある男性との不倫生活を送っていた。彼女は昔暮らした事のある地に建てられたペンションで夏休みを取っていたが,そこで中学時代の同級生と出会う。
E 「悪魔の羽根」 ... フィリピンから日本にやってきたマイラは銀行員の卓也と結婚し,譲とマリアの二人の子供と宮崎県で暮らしていた。しかし夫の転勤に伴ない新潟県に引っ越す事になるのだが,そこで始めて雪国の生活を味わう。
F 「指定席」 ... 津村弘の最大の個性は,特徴が無いと言う事だった。彼には会社の帰りにいつも決まった店の,決まった席でコーヒーを飲みながらの読書が唯一の楽しみだった。そこには自分と同類のウェイトレスがいたのだが。

 雪を見た事の無い人が,初めて雪景色を見た時の驚きは想像もできませんが,どんな感じなんでしょう。観光地での体験だったら,その驚きは素晴らしい体験になるのでしょうが,実際そこで生活するとなると戸惑うでしょうね。毎日毎日降る雪,朝早くの雪掻き,太陽も地面も奪い去ってしまう雪。主人公の様に,雪が悪魔の羽根に見えてしまうのは想像に難くないですね。私だって東京生まれなので,雪国での苦労は判っていないでしょうから,ましてや南国生まれの人の苦労は大変なものでしょう。この短編集は皆二人の人間が出てきます。一方が思っている事,感じている事,秘密にしている事,等をもう一方の人間が認識できない事から来る行き違いが描かれていきます。時にはユーモアを持って,時には悪意を持って。「はなの便り」がほのぼのとしていてお勧めです。

 

「13番目の陪審員」 芦辺 拓  1999.12.21 (1998.08.30 角川書店)

☆☆☆☆

 作家志望の鷹見瞭一は,先輩でもあり出版関係に勤める船井信から,ある提案を持ち掛けられる。自ら冤罪の当事者になり,その経験をもとにルポルタージュを作成しないかと言うものだった。将来に対する不安と,生活に困っている事もあって,鷹見は即座にその計画にのってしまう。架空の殺人事件を作り上げ,わざと警察に逮捕され,その後に無実を証明してみせる。警察を欺く手段として考えられた手は,DNAを偽造すると言うものであった。さらにその無実を証明する為の目撃者として選ばれたのは,弁護士である森江春策が手がける事件の被害者達だった。

 裁判でまず問題になるのは,時間が掛かり過ぎると言う事でしょう。何故時間が掛かるかと言えば,法曹人口が少ないからですね。誰でもが簡単に,弁護士や検事や裁判官になれる訳ではないからです。法曹関係者の既得権益を別とすれば,人材の質の問題が大きいのでしょう。しかし難しすぎる試験は,一般市民の常識と乖離した人材を,裁判所に送り込んでしまう様に思えます。言うまでもなく司法は立法,行政と並んで国民主権のもとにある制度です。一部の人間の都合や制度上の問題で,一般国民が不利益を被る事があっていいはずはないですよね。もっとも一般の人にとって裁判と言うものは,敷居の高いものです。もっと身近な存在であるべきだし,興味を持つべき事柄なのでしょう。欧米では,裁判は市民の良識に従って行われるべきとの考えに基づいて,陪審制度が一般化しています。本書でも述べられていますが,日本でも一時期「陪審法」のもとに陪審裁判が行われていた事があるそうです。ところで本作は,その設定がいいですよね。一つは人工冤罪を作り出すと言うもので,もう一つはこの陪審制度が現在の日本で行われると言うものです。前回読んだ「時の誘拐」では二つの事件が出てきました。過去における冤罪事件と,現在の身代金誘拐事件です。そして更に官僚支配による弊害を重ねる事によって,何となくどっちつかずの印象を持ってしまい,不満が残りました。今回も基本的には同様で,奇抜な事件と陪審制度を重ねているのですが,これは面白かったです。後半における,陪審裁判での検事と森江とのやり取りも迫力ありました。日本における裁判制度の問題点に対するつっこみも,またそれを守ろうとする側の論理も納得いきます。しかし冒頭における原子力発電所の事故の描写が,最後になってあのようなつながりを持つとは思ってもいませんでした。

 

「ブルー.ハネムーン」 篠田 節子  1999.12.24 (1991.12.25 光文社)

☆☆

 姉小路久美子の職業は結婚詐欺師。相棒の葛西修が探してきた男をターゲットに,その美貌を武器に迫る。つい最近までは弁護士に成りすまし,証券会社のエリートサラリーマンから金を巻き上げたかりだ。今度のターゲットはコンピュータ会社のSE(システム.エンジニア)の原田俊雄。だが,ぶ男で年増趣味の相手に久美子は不満を持っていた。そこに現れたのが原田の同僚である関畑祐介。原田と大違いの美貌の青年だ。しかも家は福井の名家。久美子はターゲットの変更を葛西に申し出るのだが,データ不足を理由に渋る葛西。

 篠田さんの作品にしては,やたらと軽いですね。久美子と葛西のコンビは軽妙でいいのですが,途中で話の筋が読めてしまう展開。後半のサイパンにおけるドタバタ劇が,そういう印象を与えているのだと思います。結婚詐欺と言う罪名は無いと書かれておりましたが,確かに微妙な部分はありますよね。騙す側の方が,そう言う意図を持っているか否かに掛かっているし,それを証明する事は不可能に近い訳ですから。「結婚詐欺と普通の結婚の違いは,一瞬にして詐欺に気付くか,20年30年かけてゆっくりと気付くかの違い。」みたいな事を言っておりましたが,いい得て妙ですね。しかし私もコンピュータ会社で働いておりますが,20代30代のSEがそんなに金を持っているとは思えないんですが。残業の多さは認めますけど。

 

「ゴサインタン ―神の座―」 篠田 節子  1999.12.26 (1996.09.25 双葉社)

☆☆☆☆

 東京近郊の地主の息子,結木輝和は40才にして独身。家は代々続く農家であり,父は地元の名士ではあったが,輝和のもとに嫁に来る女性は居なかった。同じ様な悩みを持つ仲間達と共同で,仲介業者を介しての外国人女性との見合いを行う事になる。日本の部品工場に働きにきていたネパール人女性との見合いで,輝和が選んだ相手はカルバナ.タミと言う20才近く年下の女性だった。初恋の女性の名である淑子と言う名で彼女を呼ぶ輝和。外国人女性との結婚に反対する父。結木家の嫁として恥ずかしくない女性にしようとする母。そんな中で父母は亡くなり,不思議な事が輝和と淑子の周りで起こり始める。

 もしこの物語に生き神様が出てこなければ,すんなりと楽しめた作品だったろうなあと思いました。ラストシーンが凄くいいんですよね。「弥勒」の最後で,紙で作られたみすぼらしいチョルテンに出会う以上にいいと思います。単純に恋愛なり,主人公の精神的な成長の物語では何故いけなかったのでしょうか。嫁不足に悩む農村における外国人妻の問題,それは一人の女性への愛情よりも,家の嫁の確保を最優先にしてしまう事から来るんでしょう。ここでも相手の育った文化や環境に興味を示さず,ただひたすら日本人の妻になる事しか考えず,相手の本名すら勝手に変えてしまう輝和達。ここらへんまではまだ理解できるのですが,家をとり潰されていく様を何もしないで見守るだけの輝和,しだいに神となっていく淑子の場面は,現実離れしている様に思ってしまいます。第一ひたすら情けないだけの輝和の,チベットに渡ってからの行動力は何なんだって思ってしまいますもん。それが生まれ変わると言う事だったんでしょうか。最後の場面までもが,全て淑子の予定通りだったと言う様に理解すべきなのでしょうか。うーん,だけどやっぱり判らないなあ。

 

「再生の朝」 乃南 アサ  1999.12.27 (1994.03.10 勁文社)

☆☆

 深夜の高速バスは東京を出発し,萩を目指していた。乗っているのは二人の運転手と10名の乗客。東京に嫁いだ娘の家から孫に見送られて萩に帰るおばあちゃん。夫と離婚した為子供を実家の萩に預けに行く女性。初めての一人旅に向かう若い女性。明日朝の会議に出席するサラリーマン。会社が傾き何とか金策の為萩に向かう会社経営者。中国地方を襲った台風の中,バスは順調に大阪を過ぎたのだが,突然一人の乗客が運転手にナイフを突き付けた。

 東京から萩まで高速バスで,14時間かかるんだそうです。以前より乗り心地は良くなっているそうですが,バスをそんなに長く乗るのは辛いでしょうねえ。高速バスって乗った事はないですけど,昔スキーに行くのに苗場まで行くのだって辛かったですもん。ところでこの作品の乗客は,皆それぞれの事情があって萩行きのバスに乗り込みます。そして二つの事件に巻き込まれます。良くバスの運転手が運転中に倒れ,乗客の機転で助かった何て話を聞きますが,高速道路だったら大変な事になるでしょうね。だけどあまり緊迫感が伝わってきませんでした。そして全てが片付いて朝を迎えるのですが,一体何が再生なんでしょうか。

 

「変身」 篠田 節子  1999.12.29 (1992.09.10 角川書店)

☆☆☆

 バイオリニストの神野瑞恵は一流半と言う評価が付きまとっていたが,その美貌と宝石屋のパトロンが付いている事もあって,人気は高かった。だが瑞恵は自分の演奏の欠点を知っており,何とかそれを打破するきっかけになればとの思いで,演奏活動の傍ら国立大学の講師を勤める事になる。そこで知り合った生徒からの希望で,バイオリンの斡旋をする事になり,知り合いの楽器販売会社の営業マンである柄沢を通じてバイオリンを紹介したのだが,それはいわく付きのバイオリンだった。

 小沢征爾氏がウィーン国立歌劇場の音楽監督になったり,若手の奏者が世界各地のコンテストで入賞したりと,日本人音楽家の活躍は目覚しい限りです。それはそれでうれしい事なのですが,音楽の世界ってドロドロしたものありますよね。絶対的な価値基準が必ずしも明確でなく,全てが主観で判断される芸術の世界だからしょうがないものなのでしょう。多くの子供たちが小さな頃からピアノやらバイオリンのお稽古に励んでいますが,一流の演奏者になれるのは極一握りの人達です。実は私も幼稚園から中学までピアノを習っておりました。ですが今ではせいぜい「エリーゼの為に」くらいですもん。この作品からは音楽の厳しさが十分に伝わってきます。しかしその分,演奏者である瑞恵,楽器製作者である保坂,楽器販売の柄沢らの人間性やドラマが霞んでしまっている様に思えてしょうがないのですが。保坂を主人公に据えた方が面白かったんじゃないでしょうか。

 

「黒猫館の殺人」 綾辻 行人  1999.12.30 (1992.04.10 講談社)

☆☆☆

 鹿谷と江南は,事故で記憶を失った鮎田冬馬と言う老人から相談を持ちかけられる。自分が持っていた手記に書かれた内容が本当の事なのか,また自分は何者なのだろうか。その老人が書いたとされる手記には,次の様に書かれていた。鮎田は中村青司が設計した黒猫館の管理人をしていた。そこに所有者の息子と3人の友人が泊まりに来た時に,彼らがナンパした女性が館の中で遺体となって見つかった。麻薬と酒で記憶のはっきりしない4人。そして鮎田を含めた5人は彼女の遺体を始末する事にしたのだが,館の中の隠し通路が見つかり,そこで少女と猫の白骨死体を見つけてしまう。

 十角館では島と本土,水車館では過去と現在,迷路館では本文と作中作,人形館では(ネタバレになってしまうので言えませんが,しいて言えば)表と裏,時計館では建物の中と外。館シリーズではこの様に二つの面を持った構成になっております。この作品でも,過去に書かれた手記とそれを読む探偵,と言った構成です。記憶喪失の老人が持っていた手記なんて,叙述トリックの匂いがプンプンしてきますね。今までの館シリーズだと,館の中でメインストーリーが繰り広げられますが,この作品では少々違います。もちろん手記の中では館が中心となっておりますが,館が何処にあるのかと言う部分が一つの謎になっています。そしてやっと探し当てた館は,手記に書かれている描写と微妙に違っているのです。手記に書かれた内容は事実なのか,それとも創作だったのか。ここいらへんの展開がいいですね。しかし前にも書いたかも知れませんが,やはり鹿谷の描き方は不満です。探偵役として非常に切れる人物だと言うのは判りますが,「これが伏線だったんですよ。」と言う作者の説明を聞かされている様な気がしてしまいます。とはいえ,色々と趣向が凝らされていて楽しめる作品には違いありません。「館シリーズ」は本作が6作目で,次が「暗黒館の殺人」だそうです。楽しみですね。