読書の記録(2006年08月)

「劫尽童女」 恩田 陸  2006.08.01 (2002.04.20 光文社)

☆☆

 天才科学者である父親の伊勢崎博士から,特殊な能力を与えられた少女・遥。父と娘二人は秘密組織ZOOから逃れて日本の別荘地に潜んでいた。しかし組織の追手との激しい戦闘の後,父親を失った遥は,同じく特殊な能力を持つ犬のアレキサンダーとともに,孤児院に身を潜める。しかしここも彼女にとって安住の地ではなかった。

 誰でも自分に特殊な能力があったらいいなと思う時があるでしょう。そりゃあ大人になったら現実的な技能を望むんでしょうが,時には子供の頃に願った様な超能力に憧れる事もあるでしょう。ですから超能力者って羨ましい存在のはずなんですが,小説の中で描かれる超能力者って大概不幸な存在に描かれますね。本作の主人公である遥も,父親を失い逃亡生活を続けています。でも何でこうなるのかが判らないので,どうも物語を楽しむ事が出来ませんでした。伊勢崎博士は何で自分の娘に特殊な能力を与えたのか,ZOOって言う秘密組織は何なの,そもそも遥は自分の能力をどう思っているの。そういった背景が不明な中で,戦闘シーンだけが派手に繰り広げられて行く。何か消化不良気味でした。ちなみに「劫尽(こうじん)」と言うのは,仏教用語の「劫尽火」から来ており,それは世界を焼き尽くす炎の事だそうです。うーん,これも良く判りません。

 

「蜻蛉始末」 北森 鴻  2006.08.03 (2001.06.25 文藝春秋社)

☆☆☆☆

 明治12年,今をときめく大阪の政商・藤田傳三郎は,警視庁に逮捕された。容疑は贋札造りだったが,藤田には全く身に覚えの無い出来事だった。厳しい取調べが続く中,街中で噂されていると言う贋札の特徴を聞かされた。それは紙幣に印刷されている蜻蛉の足が,6本あるはずなのに5本しかないと言う事だった。それを聞いた藤田は,ある一人の人物の事を思い出した。

 この藤田傳三郎と言う人物は実在の人物で,この贋札事件も実際の話だそうです。私は全く知りませんでしたが,知らなくても全く問題ありません。江戸時代から明治時代へと,日本の歴史が大きく動く時代の話です。さて傳三郎が贋札の疑いで逮捕される場面から始まりますが,すぐに話はその17年前に戻ります。高杉晋作の元に集まる志士達の中にいた傳三郎。そして幼馴染で傳三郎に寄り添う「とんぼの阿呆」と呼ばれる宇三郎。光と影の様なこの二人の数奇な運命を中心に,物語は進んでいきます。幾度かの別れと再会を繰り返しながら,それぞれの立場は変わっていきます。それとともに二人の相手に対する気持ちも微妙に変化して行きます。でも互いに互いを欲する気持ちは最後まで変わらなかったんでしょう。最初は疎ましく感じられた宇三郎でしたが,最後の方では主人公を完全に食ってしまいましたね。歴史の流れに翻弄される切ない話です。

 

「デュアル・ライフ」 夏樹 静子  2006.08.05 (1994.11.25 毎日新聞社)

☆☆

 名古屋で建設会社を経営する時津逸人は,46歳になって身体の不調を感じていた。癌で亡くなった知り合いと似たような症状に,自分も癌に侵されていると思いこむ時津は,一人の女性の事を思い出していた。大手ゼネコンで働いていた頃の恋人の高坂史(ふみ)。時津は自分の出世の為に,彼女を裏切り捨ててしまっていた。幸いな事に検査の結果,身体の方は大丈夫だったのだが,彼女の事が気になってしょうがなかった。

 もし自分が癌か何かで余命何ヶ月とかだったら,残された人生の中で何をしようとするんでしょうか。縁遠くなってしまった友人や昔の彼女に会いに行く。それとも逆に誰とも会おうとしないでしょうか。時津はかつて裏切ってしまった彼女に対する贖罪の気持ちを強く持つ様になります。その気持ちは判るんですが,やる事が全て自分勝手で場当たり的なんです。まあ悪意がある訳ではないのですが,彼の贖罪の気持ち自体が信じられなくなってしまいます。まあミステリーなんで,どんでん返しはあるのですが,それもほとんど想定の範囲内なんで,時津の愚かさだけしか感じる事が出来ませんでした。

 

「火盗殺し」 小杉 健治  2006.08.07 (2005.01.20 祥伝社)

☆☆☆

 風の強い夜,見回り中だった風烈廻り与力の青柳剣一郎は,火付け道具を隠し持った男を捕らえた。しかしその男は取り調べに何も喋らないどころか,名前も名乗らない。剣一郎はスリで捕まえた男を監視役にしたところ,意味不明な言葉を発した事をつかんだ。そしてその言葉の謎をつかんだものの,江戸の町は火付けに襲われた。

 小杉さんの歴史小説は初めて読みましたが,与力の青柳剣一郎を主人公とするシリーズ作なんですね。火付けの一味を捕まえた事から始まる謎を中心に,それに絡んでくるおゆきと佐太郎の話,さらに剣一郎の家に持ち込まれた陶酔香の謎が,一見何の脈絡も無く進行します。江戸時代における火付けと言うのは,大変な災害をもたらし罪も重いんでしょう。それを考えると火付けの疑いで捕まった男への対応が弱い気がします。厳しい取調べの場面とか,火事から逃げ惑う人達の描写とか,ちょっと迫力不足なのが気になります。でもその分,ストーリーは意外性もあり,最後の場面の温かさもあっていいと思いました。ところで,この中に伝次郎と言う人物が登場するんですよね。あまりカッコいい役では無いのが残念でしたが。

 

「灰色のピーターパン」 石田 衣良  2006.08.08 (2006.06.30 文藝春秋社)

☆☆☆

@ 「灰色のピーターパン」 ... 盗撮映像の売買を行なっていた小学生が恐喝され,マコトに助けを求めてきた。
A 「野獣とリユニオン」 ... 足に障害を負った兄の仇を討ちたいので,兄を襲った犯人に同じ目に合わせてくれとの依頼。
B 「駅前無認可ガーデン」 ... 無認可の保育園で働く一人の男。彼がロリコンでは無いことを証明しなくてはいけない。
C 「池袋フェニックス計画」 ... 池袋の街で一斉に行なわれた警察の大規模な作戦。池袋は生まれ変わるのか。

 IWGPシリーズの6作目ですが,6作とも全て4編からなり,最後の1編がちょっと長いと言う構成は,今回も変わりません。さてこのシリーズは主人公であるマコトの活き活きとした活躍がいいのですが,それとともに彼に問題解決を依頼する人物の面白さもあります。表題作では何と,盗撮映像の売買を行なっている小学生の登場です。ここら辺,現代の子供のやる事と言うか,最新の風俗等,本当かなと思える部分が多い気がしないでもありません。今回はあまりパッとした事件もなく,少々マンネリを感じさせられました。そもそもマコトもタカシも結構いい歳して,Gボーイズでも無いでしょう。そろそろ何か大きな転機がないと,この先苦しい気がします。

 

「あやしうらめしあなかなし」 浅田 次郎  2006.08.10 (2006.07.05 双葉社)

☆☆☆☆

@ 「赤い絆」 ... 山の上に建てられた宿に夜中にやってきた男女。どう見ても心中しそうな気配のする二人だった。
A 「虫篝」 ... 大阪で会社を潰して東京に家族揃って逃げてきた男。身を隠していた田舎町で自分そっくりの男を見た。
B 「骨の来歴」 ... 大学に合格するまではと,両親から付き合いをやめさせられたカップル。大学には見事合格したのだが。
C 「昔の男」 ... 銀座で4代続いた由緒ある病院の看護婦長が,昔の男とのデートだと言って出掛けていった。
D 「客人」 ... 両親を次々亡くし,今年の新盆では迎え火を焚かなくてはいけなかったが,何をすればいいのか判らなかった。
E 「遠別離」 ... 自分が兵役につく時,家から送ってくれた妻と六本木の交差点で別れた時の事を思い出していた。
F 「お狐様の話」 ... その少女に憑いている狐は手強く,曾祖父の力をもってしても退治する事は出来なかった。

 題名で判る通り怪談話なのですが,怖い話ではありません。と言うよりも,どこかユーモラスで,そして哀愁を感じさせる話です。浅田さんはこの手の話が得意ですよね,まあその代表作が直木賞受賞作でもある「鉄道員(ぽっぽや)」なんでしょう。そちらほどストレートに読者の心を揺さぶってくる作品ではないのですが,「虫篝」「客人」「遠別離」など,しっとりとした味わいがあります。こういう事が実際にあってもおかしくないなと思わせてしまいます。それと最初と最後の作品は,東京の奥多摩にある御岳山が舞台だと思います。確かエッセイ集の「福音について−勇気凛凛ルリの色」の中で,浅田さんと御岳山とのつながりについて書かれていたと思いましたが,詳しい事は忘れました。また「骨の来歴」の不気味さ,「昔の男」の切なさも印象的です。

 

「罠釣師(トラッパーズ)」 三浦 明博  2006.08.11 (2006.06.10 文藝春秋社)

☆☆☆

 仙台で料理屋を営む木之下は,久し振りの休みに大好きな渓流釣りに出掛けた。そこで彼は3人の男女と出会った。氏家伸介と名乗る老人とその孫娘の繭子,そして曰くありげな若い女性の緑川治美。3人は老人を食い物にする詐欺師に対する復讐のため,釣り師としての木之下の腕が必要だと,協力を依頼してきた。係わりあいたくなかった木之下だが,彼の店がヤクザに荒らされた事から,協力をする事になった。

 この人の作品は4作目になるのですが,みんな仙台あたりが舞台で,釣りが絡んでいて,同じ様な雰囲気なんです。そして登場人物も同じ様な感じがしてしまいます。今回も釣り好きの料理屋店主が主人公となりますが,詐欺師と対決する話です。でも単にそれだけではなくて,曰くありげな老人と孫,そしてある女性を探すヤクザが絡んできます。でもトリックもどんでん返しも,それ程いいとは思えなかったし,繭子達の真相も驚きは感じられなかったし,全体的に軽い印象でした。そもそも詐欺師を騙す為に何で釣り師が必要なのかが判りません。渓流釣りに関する部分はさすがだと思うのですが,釣り好きの読者だったらいざ知らず,私のような門外漢には,ちょっとしつこさを感じさせてしまう気がしました。

 

「住宅展示場の魔女」 本岡 類  2006.08.14 (2004.08.25 集英社)

☆☆☆☆

@ 「通販天国」 ... 通販好きの借金取りの家に届けられた健康器具。頼んだ覚えは無かったのだが使って見る事にした。
A 「当日消印有効」 ... 懸賞応募が趣味の妻を持った刑事。殺人の被害者となった女性は,妻の懸賞応募仲間だった。
B 「女子高教師の生活と意見」 ... 輪廻転生を繰り返していると言う女生徒と,未来からやってきたと言張る女生徒。
C 「束の間の,ベルボトム」 ... ベルボトムを履いた女性が気になる刑事。かつての恋人の娘を見た事が原因だった。
D 「メリーに首ったけ」 ... 失業して妻に去られた男が飼っている犬。この犬のせいで住んでいるアパートを出る羽目に。
E 「気持はわかる」 ... 底の高い靴を履いた女性を狙った悪戯が続いていた。そんな中,一人の不良が殺された。
F 「山女の復讐」 ... 自分の為に会社の金を横領した女性を,渓流釣りに連れ出して殺害。全て上手くいったはずだった。
G 「住宅展示場の魔女」 ... 住宅展示場を見学するのが趣味の女性。そこでかつて自分を振った男を偶然に見掛けた。

 本岡類さんには珍しい短編集です。ここに登場してくる人達は,皆何かにハマっています。まあ“ハマる”と言うのも程度問題なのでしょうが,単に熱中していると言うよりも,“依存症”の状態になっているレベルです。そんな人達をユーモラスに,また皮肉っぽく描いています。このハマっている人って,周りから見たら滑稽ですが,本人は気が付かないんでしょう。周りに迷惑を掛けない範囲だったらいいのでしょうが,家族を持っていたりすると困り者です。通販,懸賞,服装,ペット等など,様々な物にハマった人物が登場しますが,何らかの犯罪に結び付いて行きます。表題作に登場してくる女性が,如何にもって感じですね。

 

「銀の犬」 光原 百合  2006.08.16 (2006.07.08 角川春樹事務所)

☆☆☆☆

@ 「声なき楽人」 ... 荒野を彷徨う殺された恋人の霊に会いに行った女性。竪琴を弾く彼の霊は全くの別人の様だった。
A 「恋を歌うもの」 ... その妖精の持っている魔力は歌。彼の歌を聴いた者は,種族を問わず彼の虜になってしまう。
B 「水底の街」 ... 会いたいと思う人に会えると言う水の底から浮かび上がった街。彼は亡くなった妻と再会を果たす。
C 「銀の犬」 ... 結婚して幸せ一杯の妻が,子供の頃から可愛がっていた犬に,喉を噛み切られて亡くなった。
D 「三つの星」 ... 子供の頃から一緒に育った3人。一人は王に,一人は彼の妻に,そして一人は王を守る騎士になった。

 ケルト神話をモチーフにしたファンタジーの世界が繰り広げられます。この世に何らかの想いを残して死んでしまった者の魂を,音楽によって解き放つ,祓いの楽人「オシアン」。そして声を失っているオシアンの相棒の少年「ブラン」が主人公です。まあ彷徨う魂を慰める話ですから,それ程後味のいい話ではありません。そこには嫉妬,欲望,後悔,恨み,そして愛情,様々な気持ちが渦巻いています。そんな中で本当の物語の主人公は亡くなっている訳ですから,切なさばかりが残ってしまいます。読み始めた時は物語の世界に入り辛い感じがしてしまったのですが,読み進めるうちに神話の世界にゆったり浸る感じで読めるのがいいです。途中から獣使いの呪い師のヒューが登場しますが,オシアン達を含めた続編がありそうです。

 

「絆」 小杉 健治  2006.08.17 (1987.06.05 集英社) お勧め

☆☆☆☆☆

 離婚話のもつれから夫を殺害したとして起訴された弓丘奈緒子。刑事の取調べにも,そして裁判の場になっても,彼女は自らの犯行を認めていた。そして裁判に呼ばれた証人の証言も,彼女の犯行を裏付けていた。しかし彼女の弁護人の原島弁護士だけは,彼女の無実を主張した。夫の愛人だとされていた女性との関係を覆し,事件直後に自殺した女性の話を持ち出し,そして彼女が何故罪を被ろうとしているかを明らかにする。

 第41回日本推理作家協会賞の受賞作ですが,一風変わった形で展開します。最初から最後まで舞台は法廷で,裁判官,検事,弁護士,被告人,証人のやり取りが続きます。この法廷を見守る記述者は新聞記者で,子供の頃近くに住んでいた奈緒子に憧れていた男性です。そんな中,検事と弁護人の迫力ある対決の中から,事件の概要が浮かんできます。それとともにこの事件の不自然さも浮かび上がります。事件の真相とはなんだったのか,奈緒子は殺人の罪を負っても守りたかった物は何なのか,原島弁護士はどの様に真相に辿り着いたのか。それらが徐々に明らかになっていくのですが,そのバランスがいい。それと中学生の頃,奈緒子に憧れていて,そして現在,障害児の父親になる事を心配する男の目で描いているのが,効果的だと思います。被告人と弁護人の関係とか,障害児の問題とかも読みどころなのでしょうが,題名の通り奈緒子の家族に対する思いが感動的です。

 

「石の中の蜘蛛」 浅暮 三文  2006.08.18 (2002.06.30 集英社)

☆☆

 楽器の修理を仕事にしている立花誠一は,仕事場として防音設備のしっかりしたマンションへの引越しをしようとしていた。物件も決まりマンションの前にいた立花は,突然ブレーキも掛けずに突っ込んできた車に撥ねられた。車は逃走し,立花は病院に運ばれたが,運良く怪我は大した事は無かった。しかしその時から,聴覚が異常に鋭くなり,さらには音を視覚として捉えられる様になった。

 事故で怪我をした事から,匂いを視覚で捉えられる様になったと言うのは,井上夢人さんの「オルファクトグラム」です。こちらは音を視覚で捉え,さらには過去の事柄さえも残された音から,ある程度判るようになります。自分が遭遇した交通事故は,自分を狙った事件だったのではないのか。そしてこのマンションに前に住んでいて,行方が判らなくなった女性と,何等かの関係があるのか。そんな思いから,自分が得た能力を使って,真相を探ろうとする立花。まあこう言った状況をいかに読者に納得させるか,主人公が視覚で捉えている状況をどの様に描写するかがポイントでしょう。その点「オルファクトグラム」は良く出来ていたと思います。でもそれと比べると,本作は成功しているとはいい難い。まず何で立花は彼女を追おうとするのかが弱いし,彼が体験している事の描写がくど過ぎて鬱陶しく感じられてしまいました。ちなみに本作は,第56回日本推理作家協会賞の受賞作です。

 

「ひとがた流し」  北村  薫  2006.08.21 (2006.07.30 朝日新聞社)

☆☆

 テレビ局でアナウンサーをしている千波,作家の牧子,もと編集者で写真家の妻となった美々。3人は高校時代からの幼馴染で,40歳を過ぎた今も仲の良い友達だった。牧子と美々は離婚を経験していて,それぞれ一人娘をもっている。千波は独身でペットの猫と暮らしていたが,そんな彼女に,朝のニュース番組のメインキャスターの話しが舞い込む。しかしたまたま受診した健康診断で,不治の病を宣告されてしまった。

 3人の友人同士の女性の話なのですが,話の中心は千波の病でしょうか。でも彼女を襲った不幸を直接的に描くのではなく,彼女の周りの人の日常を淡々と描いています。それは牧子や美々であったり彼女の夫や娘であったりします。それによって過度に情緒的に流れる事無く,それぞれの小さな物語達が浮かび上がって見えてきます。綺麗で暖かくて切ない話なんでしょうが,好きかと問われると,私はどうも苦手です,としか答えられません。

 

「冬の砦」 香納 諒一  2006.08.23 (2006.07.11 祥伝社)

☆☆☆☆

 横浜郊外の名門高校・村主学園高校敷地内の雑木林で,女子生徒が全裸死体となって発見された。発見したのはその学校で用務員をしながら柔道を教えている桜木だった。警察を不当な理由で解雇され,知り合いだった高校の有力者からの紹介で高校に勤めていた桜木は,密かに事件の謎を調べる様依頼される。高校では用地売却を巡り理事会で軋轢がある事や,被害者となった女子高生に関する怪文書があった事などが判ってきた。

 「贄の夜会」に続いて発刊された香納さんの今年2作目。そちらの方は惨殺事件の犯人を追う警察だけではなく,それを取り巻く組織や人物の間の物語でした。それに比べると本作は,事件の真相を追う桜木と言うシンプルな構成ですが,その裏には様々な事情が存在します。無実の罪を背負って警察を追われた主人公の桜木,学校の理事会に渦巻く軋轢,家庭内暴力から逃れた親子を襲った悲劇。桜木か調べれば調べるほど,そう言った背景が見えてくると同時に,謎も深まって行きます。土地の売買の裏に潜む暴力団との関連,シェルター出身者達の人間関係,そして被害者である佳奈の行動。ちょっと暗い部分が全面に出過ぎている感じもしますが,桜木の正義溢れる取り組み方がいい。茉莉との関係がやや消化不良に感じたのと,最後の遊園地の場面が急ぎ過ぎた気がします。

 

「悪人海岸探偵局」 大沢 在昌  2006.08.25 (1990.07.25 集英社)

☆☆☆

@ 「和製探偵地位向上委員」 ... 4人の女子大生の依頼は,行方不明になっている彼女達のアイドル探しだった。
A 「身・代・り」 ... ラジオ出演していたシローの元に掛かってきた電話。彼に助けを求める女性からのものだった。
B 「闘士の血」 ... 日本を離れ南米で成功を収めた男が帰ってきた。日本を離れる時に別れた息子と会うために。
C 「幽霊」 ... 岬の突端に建てられた洋館は住む人も無く幽霊が出ると噂されていた。その噂の真偽を確かめる依頼。
D 「黒猫」 ... 猫好きの老婆の依頼で猫の置物を探していた探偵が殺された。彼はシローの知り合いだった。
E 「人形の涙」 ... 殉職した警察官の娘は生まれつき身体が弱く今も入院中。彼女の依頼は盗まれた人形探しだった。

 「気に入った女の子には熱いオンリップのキッスを,気に入らねえ野郎には固いオングラウンドのキッスを」。キッスのシローこと木須志郎が,架空の街シティの悪人海岸に2年前に開いた私立探偵事務所。もっとも探偵はシロー一人。主人公のシローも,彼の一人称による文体もやたらと軽いんですが,内容は結構ハード。いくつもの策略,裏切りが連続します。彼自身も何度も苦境に陥りますが,こういう作品なので安心して読めます。少し緊張感が無さ過ぎる気もしますが,ライトなハードボイルドが堪能できます。いかにもシリーズ化されそうな作品ですが,これ1作だけなんですね。アルバイト探偵シリーズとちょっと被る感じだからでしょうか。

 

「亡国のイージス」 福井 晴敏  2006.08.30 (1999.08.25 講談社) お勧め

☆☆☆☆☆

 暴力団と手を組んで祖父を殺し財産を奪った実の父親を,如月行は許す事が出来なかった。海上自衛艦の艦長で人望の厚い宮津弘隆は,突然一人息子を交通事故で失った。その艦で先任警衛海曹を務める仙石恒史は,妻から離婚の申し出に戸惑いながら,艦上の勤務に就いていた。宮津が艦長を務める「いそかぜ」は,日米の様々な思惑を受けて,ミニ・イージス艦に改造され,現在は乗組員の教育が行なわれていた。そんな中,アメリカ軍が保有する秘密兵器が強奪される事件が発生した。

 福井さんの作品は2作しか読んでいないのですが,面白いけど軽いなと言う印象を持っていました。でもこの作品は重い。まず戦後の日本が真剣に取り組んでこなかった,国のありかたとか国防とかに深く踏み込んでいる点が挙げられます。日本に於ける外交や国防の現状への作者の怒りが感じられます。それとともにイージス艦と言う最新鋭の軍艦に乗務する,海上自衛隊員達の心意気も良く伝わってきます。そして前半部分は,ややくどい位に登場人物達の様々な描写が続きます。それとともにイージス艦内部の様子やら装備が描かれますが,ここら辺臨場感があります。ちょっと飽きてきたかなと思う第3章で物語りは一気に動きます。艦長の宮津,スパイだと思われた如月,艦に乗り込んできた溝口。彼らが何を考えて「いそかぜ」に乗務していたのかが判り,緊張感は急速に高まります。ここからは怒涛の展開です。荒唐無稽と言い切ってしまうのは簡単ですが,この様な事が実際起こらないと誰が言い切れるでしょうか。アメリカを襲ったテロにしたって,誰が事前に予想していたでしょうか。「戦争反対」と呪文の様に叫んでいれば戦争は起きないと信じている人は,さすがに最近は居ないでしょう。でも本当に国を守る,つまり日本の領土を守る,日本の国民を守る,日本の主権を守る,と言う事に関して,一体どれだけ真剣に議論され,そして対策が講じられているのか,不安になってきます。

 

「赤い指」 東野 圭吾  2006.08.31 (2006.07.25 講談社)

☆☆☆☆

 妻から早く帰ってきてと言う電話を貰った前原昭夫は,自宅の庭に女の子の死体がある事を知らされた。小さな女の子に異常な興味を持つ,中学生の長男・直巳が殺したらしい。母親に甘やかされて育った直巳に反省の色は無く,妻の八重子は息子に同情的。妻に押し切られた昭夫は,真夜中になるのを待って,近くの公園に少女の死体を捨てに行った。翌日,捜査に当たった練馬署の加賀刑事が,前原家を訪ねてきた。

 「嘘をもうひとつだけ」以来6年振りの,練馬署の刑事・加賀恭一郎シリーズです。そして「容疑者Xの献身」直木賞を受賞した後の第一作となります。本作は倒叙形式のミステリーとなっており,女の子の死体の始末をする場面から始まります。この昭夫に加賀刑事が如何にして辿り着くか,昭夫は死体処理で何をミスったのか。でもそうしたミステリー的な興味よりも,様々な親子の関係の方が印象強いです。直巳と昭夫,直巳と八重子,昭夫と政恵,春美と政恵,そして松宮と隆正,加賀刑事と隆正。子育ての問題だとか,高齢化の問題と言った家族の問題が突きつけられます。そう言った社会性の面もさる事ながら,推理小説としても見事で,両者がバランス良く一体化している気がします。それに,とにかく読み易いし面白いので,アッと言う間に読めてしまい,ちょっと勿体無い気もしました。ところで本作は以前短編として発表した作品を長編に書き直したとの事ですが,昭夫の気持ちを表現するのに短編では苦しいでしょうね。