読書の記録(2000年 2月)

「青の炎」 貴志 祐介  2000.02.02 (1999.10.31 角川書店) お勧め

☆☆☆☆☆

 高校生の秀一は母親と妹の三人家族。幸せな生活を破ったのは,10年も前に離婚した母の再婚相手の曾根が突然家にやってきた事だった。曾根は2階の一室に居座り,酒とギャンブルの毎日を送っている。ある日秀一は,妹にちょっかいを出しそうになった曾根と一触即発の事態になる。何故か曾根に遠慮しているような母,脅えきっている妹。秀一は家族を守る為に,立ちあがらなくてはならなかった。「曾根の様な人間は生きていく資格など無い。そんな人間を抹殺するのは正義だ。しかしやるからには完全犯罪でなくてはならない。」

 当たり前の事ですが,私は人を殺した事はありません。ですから殺人と言う犯行に至る動機の形成過程や,犯行後の様々な心理など知っているはずもありません。ですけど,凄くリアリティを持って迫ってきました。特に犯行場面の描写なんて,経験者が語っているように思えました。秀一の高校生とは思えない思考や,犯行と高校生活とのギャップなど,不自然に感じる部分もありますが,それすらも作品に現実味を与えている様な気がしました。後味の悪い結末ではあるのですが,こうなるしかないんでしょうか。紀子の最後の一言が救いでした。とにかくうまいですよね,この作者。単なるホラー作家だと思って,ちょっと敬遠していたのですが,他の作品を読むのが楽しみになりました。

 

「勇気凛凛ルリの色」 浅田 次郎  2000.02.04 (1996.07.10 講談社)

☆☆☆

 「週間現代」に連載されたエッセイの第1巻です。たまに読んでいたのですが,当時はまだ読書には興味が無く,もちろん「蒼穹の昴」など読んだ事が無かったのですが,文章のうまい人だなあと思っていました。さてこのタイトルですが,私と同年代以上の人だったら,何の事かすぐに判りますよね。「ぼっ,ぼっ,僕らは少年探偵団」と言う歌詞が,あのメロディとともにすぐ浮かんでくるはずです。浅田次郎さんは小説家になる前,様々な職業に就いていましたが,自衛隊にも居た事は有名です。この中にもその当時の経験談や自衛隊に関する話が出てきます。特にこの連載中に阪神大震災や地下鉄サリン事件が起こっていますので,自衛隊の在り方に関しては考えさせられます。

 日本では第二次世界大戦以前の反動から,かなり偏向した常識がまかり通っている面があります。そんな世界的には通用しない常識の,最たるものが自衛隊ではないでしょうか。当たり前の事ですが,独立した国家を形成する要素とは,国土であり国民であり,そこに存在する主権ですよね。基本的にそれらを守る物理的な組織が自衛隊です。確かに近隣諸国に対するある程度の配慮は必要でしょうが,戦争がいいか悪いか何て議論とは全く次元の違う話です。我々だって,「泥棒は悪い事だから,泥棒何て居てはいけないから,家に鍵を掛けるのは止めましょう。」何て言わないですよね。国防以外にもPKOなどの国際協力,災害派遣など自衛隊に求められる事は多いはずです。結局,自衛隊のあるべき姿に関する議論自体を避けてきた,政治が悪いと言う事に落ち着いてしまうのですが。

 エッセイに関する感想から大きく外れてしまいました。別にこの中で浅田さんが,自衛隊に対する問題提起をしている訳ではありませんので,それはお断りしておきます。ですがオウム真理教など,考えさせられる話題は多いですね。随所に涙あり,笑いありのバラエティに富んだ,面白いエッセイです。続きも早く読みたいですね。

 

「シェエラザード」 浅田 次郎  2000.02.05 (1999.12.06 講談社)

☆☆☆☆

 弥勒丸は横浜とサンフランシスコ航路に就航する為に,日本の威信をかけて建造された豪華客船だった。しかし戦争によって,客船として使用される事は無く,軍に徴用される。国際赤十字の物資運搬と言う任務を帯びた弥勒丸には,航海中の攻撃も臨検も受けないと言う特権が与えられていたにも拘わらず,アメリカ軍の潜水艦によって,2300人の生命とともに台湾沖で撃沈される。それから50年。暴力団の企業舎弟である金融会社を経営する軽部と日比野のもとに,宗英明と名乗る中国人が接触してくる。弥勒丸の引上げの為に100億円の融資をして欲しいと。軽部は昔の恋人であり新聞記者の律子に弥勒丸の調査を依頼する。

 まず「シェエラザード」とは,ロシアの作曲家であるリムスキー.コルサコフが作曲した交響組曲で,この曲は千夜一夜物語,つまりアラビアン.ナイトをモチーフにしたものです。女性に対する不信感を持つシャリアール王は,妻に迎えた女を初夜のうちに殺すと言う誓いをたてる。しかし賢い妻シェエラザードは,毎夜面白い物語を聞かせて,ついに千一日目の夜にその誓いを捨てさせると言う話です。この浅田さんの作品の中で夜毎に語られる物語は愛。不本意な運命を背負わされた弥勒丸に対する乗組員の愛,軍人の祖国に対する愛,射殺された兄に対する密航者の妹の愛,異国で暮らす混血児に対する愛,遥か遠くまで自分を追いかけてきた許婚への愛,そして軽部と律子の変わらぬ愛。シャリアール王は戦後の日本と日本人。そしてシェエラザードは弥勒丸。構成もさることながら,浅田さんらしい見事な人物描写,50年前の弥勒丸や現在における引上げの行方等などに引っ張られて,一気に読んでしまったのですが,どうも感動がストレートに伝わって来なかった気がしました。どうしたって「日輪の遺産」が思い出されてしまいます。過去と現在の人間関係がどうなっているのか,に気を取られ過ぎましたかね。あのカタルシスに比べると,ちょっと弱いとは思いますが。だけど充分に面白い話です。高松さんの一言が印象的でした。『時代の苦悩はその時代を生きた者だけが背負えばいい。変に申し送ろうとするから,まちがいをくり返す。』

 

「殺人方程式 切断された死体の問題」 綾辻 行人  2000.02.07 (1989.05.30 光文社)

☆☆☆

 東京近郊に本拠を置く新興宗教「御玉神照命会」の教祖である貴伝名光子が,電車に轢かれて亡くなった。彼女は鉄橋そばの線路の上に横たわっていたのだと言う。自殺と言う見方が有力だったが,首には絞められた様な跡も残っていた。教祖の死によって後釜には彼女の夫である,剛三が就く事になったが,彼には経営的手腕こそあれ,光子の様なカリスマ性は無い。母の死は剛三による他殺だと信じる息子の光彦は,教団本部とは川一つ隔てたマンションに一人住まいをしていたが,ここで剛三のバラバラ死体が発見される。そして遺体の一部と,切断に使ったと思われる刃物が光彦の車から発見され,光彦は殺人容疑で逮捕される。

 意外な犯人,伏線がはっきりと提示されていたにも関らず全く予期できなかった動機,複雑なトリック,二転三転する結末。だけど僕には面白くなかったですね。物理的なトリックも,ちゃんと消化されているとは思えないし,大体登場人物が気に入らない。全てにおいて刑事らしくない明日香井叶(あすかい.きょう),その妻で刑事と言う職業を偶像化する妻の深雪,叶の兄で好奇心旺盛な探偵役の響(こっちも,きょう)。人物を描くと言う事は,単にデフォルメする事ではないですよね。本格推理の作家は「人間が描けていない。」と批判(賞賛?)される事が多いですけど,決して綾辻さんはそんな事無いと思うのですが。ここでは「館シリーズ」における展開の冴えも,「囁きシリーズ」における独特な雰囲気も感じられませんでした。「殺人,死体,切断,方程式」ときたら普通,被害者の身元隠しによる時間稼ぎ,または死体運搬上の問題解決ですよね。その方程式の裏をかき,さらにもう一つの方程式を引っ掛けると言うのは面白いと思います。だけど,この犯人って,ありか。

 

「引金の履歴」 乃南 アサ  2000.02.08 (1998.04.30 文藝春秋社)

☆☆☆

@ 「母の秘密」 ...久し振りの同窓会で飲み過ぎた織江は,気が付くと新宿歌舞伎町の路上で目を覚まし,居合わせた少女から包みを渡される。数日後,バックの中で忘れられていた包みを開けたら拳銃だった。オモチャなのか本物なのか判らない織江は引金に手を掛ける。
A 「野良猫」 ...高崎の家から家出してきた千恵は,新宿の町で俊行と知り合い一緒に暮らすようになる。トルエンの売人である俊行はある日,拳銃の売買に係わってしまった事から二人は追われる身の上に。拳銃の始末に困った千恵は,偶然出会ったオバサンに拳銃を渡す。
B 「なかないで」 ...サラリーマンになったばかりの男。だんだん仕事が嫌になってきた。そんなある日,彼が住むマンションのベランダのカラスが止まって鳴くようになる。それも朝早く。彼はカラスを撃退しようといろいろ試すのだが,カラスもなかなかしぶとい。
C 「塵箒」 ...警察官を退職し農業に第二の人生を求めて挫折した森井勲は,一人でアパート住まい。そのアパートの押し入れには,前の住人が残して行った拳銃が。しかし近所のトラブルに巻き込まれているうちに,拳銃は無くなっていた。
D 「置きみやげ」 ...忌み嫌っていた母親が交通事故で亡くなった。米兵だと聞かされていた父親が残した荷物の中にあった一丁の拳銃。母の元恋人が荷物を返せと迫ってくるのだが,彼女はこの拳銃で自分の身を守るしかないのか。

 先日カバンの中に入れてあった文庫本を紛失しました。どこかで落としたのでしょうか,家に帰ってきて気が付いたら無かったんです。図書館で借りた本だったので焦りましたが,幸いな事に後日落し物として見つかりました。気が付かないうちに無くなるのだから,気が付いたらカバンの中に入っていたと言う物があっても不思議じゃないですよね。でもそれが拳銃だったらどうします。@正直に警察に届ける。Aどこかに捨てる。B試しに撃ってみる。Cお守りとして持っている。D嫌いな奴の殺人計画を立てる。E庭に埋める。とまあ,こんなところでしょうか。いくら最近は拳銃による犯罪が多いと言ったって,我々一般の人間が国内で本物を手にする機会はまずないでしょうね。この作品は,ある事から拳銃を手にしてしまった人達の話です。一つの拳銃が人から人へと渡っていきます。それを過去に遡る形で描いていきます。この書き方っていいですね。「あー,こうやってあの人の所に行くんだ。」ってところが新鮮です。拳銃には縁が無さそうと言う共通項しか無い人達の人生が,一つの拳銃を通して重なり合っていきます。そして拳銃を手にした時の真理描写が面白いですね。ところで最初の問いですが,私だったら落し物として警察に届けますかね。一割貰えるのかなあ。

 

「第4の神話」 篠田 節子  2000.02.10 (1999.12.10 角川書店)

☆☆

 若くして亡くなった美貌の女流作家,夏木袖香の5回忌にあわせて企画されたキャンペーンで,彼女の評伝を書く事になった小山田万智子。袖香は実業家の妻であり,数々のベストセラーを生み出し,女性の憧れの的だった。40歳を目前にした独身女性であるフリーライターの万智子とは正反対の存在だ。袖香の娘が語る母の姿は,献身的な妻であり,理想的な母親。しかし存在感の無い夫,学生時代の友人達との交際,多額の借金の存在。調べれば調べるほど,世の中で喧伝されている神話とかけ離れた実像が浮かんでくる。そして袖香が死ぬ直前に語ったと言う「私の作品は5年で忘れられる。」と言う言葉。出版社の意向により,真実は書けないけれど,袖香の実体に迫ろうとする万智子。

 もし自分の妻がベストセラー作家だったら,僕は喜んで彼女のマネージャーおよび家事に専念しますね。つまらんプライド何かに拘りません。ヒモ生活って憧れですもん。「お前はそれで幸せか。」って聞かれても,幸せな振りをする事もできるでしょうし,自分にそう思い込ませる事も簡単でしょう。幸せかどうか何て,結局本人にしか判らないものですし,本人にだって判るかどうか知れたものでもないでしょう。少々通俗的な言い方ですが,金も地位も仕事も交友関係も,直接幸せに結びつくものではないですよね。非常にあいまいな本人の価値観によるものでしかないですから。対照的な袖香と万智子。どっちが幸せかなんて判らないですよね。万智子が最後に行き着いた第4の神話だって,それが実体か否か何て本人にしか判りません。自分にとって幸せとは何かと,問いかけてくる作品です。

 

「震える岩 霊験お初捕物控」 宮部 みゆき  2000.02.15 (1993.09.30 新人物往来社)

☆☆☆☆

 岡っ引きの六蔵の妹であるお初には不思議な能力があった。普通の人には見えない物を見たり,聞こえない音を聞いたりできるのだ。この力を使って,兄の捜査に協力する事もある。ある日深川三間町の長屋で,死んだ人が生き返ると言う事件が起こった。悪霊が死んだ人に取り憑いて,様々な悪事を引き起こす死人憑きだと思われたが,生き返った吉次は今まで通りの静かな生活を営んでいる。この事件に興味を持ったお初は,南町奉行から預かった頼りない与力見習の古沢右京之介とともに,現場に向かう。その途中,お初は油樽の中で子供が死んでいる幻影を見る。兄の六蔵が調べると,お初の言う通り小さな子供の死体が見つかった。

 短編集「かまいたち」に登場した,お初の物語です。お初が働く姉妹屋と言う飯屋,兄の六蔵や不思議な関係の南町奉行と言った設定や登場人物はそのままです。今回新たに登場するのは右京之介と言う与力見習の若者。父親が鬼と異名をとるやり手の与力なのですが,息子の方はお初から見ても頼りない存在。ここらへんの登場人物の設定がいいですね。そして,生き返った人間,子供の殺人事件,大名の家の庭にある震える岩。そういった互いに関係の無い様な出来事が徐々に繋がっていく展開。それも100年前に起こった赤穂浪士の討ち入り事件との関わりが提示されていきます。そして「りえ」とは誰か,忠臣蔵の真実の姿とは,と言った謎を残して物語を引っ張っていきます。うまいですねえ。江戸時代におけるオカルト物と言うのに少々違和感はありましたが,時の権力者による不条理,その中での家族愛を感じさせるラストも見事でした。全然関係無いのですが,「りえ」と言えば,日テレの魚住りえさんがいいですねえ。

 

「幻色江戸ごよみ」 宮部 みゆき  2000.02.17 (1994.07.20 新人物往来社)

☆☆☆☆

@ 「鬼子母火」 ...酒問屋の伊丹屋で小火が起こった。燃えたのは神棚。燃え残った注連縄には,髪の毛をこよりに入れて挟んであった。
A 「紅の玉」 ...豪華な品物が禁止された事もあって,飾り職人の佐吉の生活は苦しかった。そんな時一人の男が佐吉を訪ねてきた。
B 「春花秋燈」 ...古道具屋に行灯を買いに来た男。店には二つの行灯があったが,どちらも曰く付きの品物だった。
C 「器量のぞみ」 ...器量の悪いお信のもとに来た縁談の相手は,深川近辺fr評判の美男子で下駄屋の跡取り息子だった。
D 「庄助の夜着」 ...庄助が古着屋で夜着を買ったとたん,庄助は痩せていった。心配した主人が訊ねると,幽霊が枕元に現れると言う。
E 「まひごのしるべ」 ...藤吉が神社で拾ってきた迷子には,「馬喰町の長次」と言う迷子札がつけられていた。その長屋を訪ねたのだが。
F 「だるま猫」 ...両親のいない文次の夢は火消しになる事だった。しかし火消しになって火事場で火を見ると,恐怖ですくんでしまう。
G 「小袖の手」 ...初めて自分で小袖を買いに行った女の子。お母さんはその小袖をほごしてしまった。そして「つくも神」の話を聞かせる。
H 「首吊り御本尊」 ...奉公のつらさに耐え切れなくて家に逃げ帰った捨松。連れ戻された奉公先の大旦那から若い頃の話を聞かされる。
I 「神無月」 ...毎年の神無月に限って押し込み強盗を働く男。そして彼を追う岡っ引きは,その男の行動の謎を想像する。
J 「侘助の花」 ...風邪で寝込んでいた吾兵衛の元を訊ねてきた碁敵の要助は,自分に隠し子ができてしまったと打ち明ける。
K 「紙吹雪」 ...奉公先の高利貸の屋根に登った娘。彼女は家から持ってきた鋏で証文の紙吹雪をまき始めた。

 江戸の町を舞台に,旧暦の1月から12月までを人情話でつづっていきます。登場人物は皆名も無い人達なのですが,江戸時代の庶民の暮らし振りが伺えます。奉公人の苦労,商売人の裕福さ,貧乏人の暮らし振り,火事や行方不明者の多さ等などが生き生きと描かれていきます。話の半分以上にオカルト的な謎が登場しますが,御伽噺の様な雰囲気でいいですね。お気に入りは「神無月」。別に犯罪を肯定しているのではないでしょうが,「火車」の様に犯罪を犯さざるを得ない状況がうまく描かれています。「紙吹雪」もそうですね。宮部さんの歴史物では一番ではないでしょうか。

 

「農協 月へ行く」 筒井 康隆  2000.02.18 (1973.11.30 角川書店)

☆☆☆☆

@ 「農協 月へ行く」 ...隣の組合が世界一周旅行をしたので,もう月に行くしかない。バイタリティ溢れる農協様ご一行がロケットに乗り込む。
A 「日本以外全部沈没」 ...温暖化現象により日本以外は全て海の底に沈んでしまった。世界各国の有名人だけは日本上陸を許される。
B 「経理課長の放送」 ...組合のストライキによって,ラジオ放送をしなくてはならなくなった放送会社の幹部達。アナウンサーは経理課長。
C 「信仰性遅感症」 ...17時間前に食べた食事の味が,突然味覚として蘇ってきた。欲望を押さえ込む事に病的なまで執着した結果なのだが。
D 「自殺悲願」 ...自殺した作家の作品が突然売れる様になった。売れない作家が編集者に,自殺する事を約束するのだが,なかなか死ねない。
E 「ホルモン」 ...生理学の権威ブロン.セカール博士は,すばらしい若返りの妙薬を発見した。さてそこから様々な事が起こって行く。
F 「デマ」 ...厳重な言論統制下,各種の伝達手段によって情報は乱れ飛んで行く。これはその追跡調査を行ったものである。
G 「村井長庵」 ...人を殺した医者の長庵は,追手から逃れる為離れ小島にやってきた。大人しくしていればいいのだが,そうもいかず。

 学生の頃この作品を読んでいるのですが,最初の3作は良く覚えていました。農協と月旅行そして異星人とのコンタクトといったミスマッチの極致である「農協月へ行く」。大ベストセラーになった小松左京氏の「日本沈没」のパロディである「日本以外全部沈没」の唐突さ。そして何と言っても「経理課長の放送」におけるドタバタの面白さ。この作品は突然アナウンサーにさせられてしまった,経理課長のしゃべりのみで構成されています。ラジオ放送会社で起こった労組のストライキによって,突然放送の現場に駆り出されてしまった中間管理職者達。掛けようとするレコードがなかなか見つける事ができない人事課長やら,CMのテープを逆にかけてしまう営業課長,そして原稿も何も無い中で必死に喋り続けなくてはならない経理課長。自らの身に降りかかった災難を呪いながらも,真面目にアナウンサーであろうとすればするほど,とんでもない結果になって行く放送内容。とにかく面白い作品です。この際,残りの作品との格差なんかどうでもいいですね。

 

「フリークス」  綾辻 行人  2000.02.21 (1996.04.30 光文社)

☆☆☆

@ 「悪魔の手−313号室の患者」 ...浪人中の神崎忠は久しぶりに母の病室を訪れた。家のピアノの中に隠されていた小箱の事を母に聞きたかったから。母からその小箱の鍵を受け取った忠は,その中にあった昔自分が書いたとされる日記を読み始める。
A 「409号室の患者」 ...気が付いたら病室のベッドの上だった。両足は切断され,全身に包帯が巻かれている。自分が誰だったかも,何でここに居るのかも記憶が無い。医師達の話では自分は芹沢園子で,夫である芹沢俊の運転する車の事故にあったらしい。
B 「フリークス−564号室の患者」 ...「J.Mを殺したのは誰か。」と言う一文で終っている推理小説。これは精神病院に入院している患者が書いた小説だ。その問題に対する答を見つけられない推理小説作家が,友人の探偵に相談する。

 フリークスとは畸形者の事だそうです。この3作品に共通するのは,精神病院を舞台にしている事と,作中作の形を取っていることです。純粋な推理小説に精神異常者を登場させるのは難しいんでしょうね。当然の事ですが推理小説において,地の文で嘘を書くのはルール違反ですから,作中作の形を問ったんでしょう。それがあからさまだと,誰が書いた文章なのか,文章自体の信憑性はどうかと思ってしまいますよね。...と,ここまでは読む前にペラペラめくって考えた事なのです。いやー,裏切ってくれました。いい意味で。ここから先を書くと全てネタバレになってしまいそうなのですが,異常とは何なのかと言う事ですね。一般的に狂っている人は自分の事を狂人だとは思わないですよね。逆に正常な人達を見て狂っているんだと思うのでしょう。そこらへんの妙が大変面白かったですね。

 

「望湖荘の殺人」 折原 一  2000.02.23 (1994.08.30 光文社)

☆☆

 家電量販店の経営者である二宮大蔵の元に,お前を殺すと言う脅迫状が届く。大蔵はかなり悪辣な手で経営する会社を大きくしてきたし,女癖も悪かったので,彼に恨みを持つ人間は多い。脅迫者に対する復讐の為,大蔵は脅迫状を届ける事ができた5人を絞り込み,彼等を信州の別荘に招待する。自分の息子の雄一郎とその妻雪枝,秘書の板倉小百合とその夫浩一,自分の自伝を執筆したフリーライターの片桐千夏。おりしもその日は,大きな台風が本州中部に迫っていた。

 ここで言う湖とは長野県の諏訪湖です。諏訪湖を望む場所で,別荘を建てる所と言えば八ヶ岳でしょうかね。まあそれはともかく,嵐の山荘パターンです。この手の作品はいかにして,閉じられた空間に納得性を持たせるか,が重要だと思うのですが,ここでは少々無理がある様な気がします。と言うより,そんな事はあまり問題にせずに,閉じ込められた被害者と加害者の間で繰り広げられる惨劇を中心に描いたのでしょうか。ですから結末の意外性もあまり感じられませんでした。外部との連絡が絶たれた山荘,電気も消された暗闇の中で,誰が誰を殺そうとしているのか判らない状況。そして今誰が死んでいて誰が生き残っているのかすら判らない描写は,なかなか面白いのですが,一人一人の心理描写やセリフが,ややリアリティを損なっているのではないでしょうか。まあこれは折原さんの作品全て通じて感じる事なのですが。

 

「ミステリオーソ」 原 ォ  2000.02.24 (1995.06.30 早川書房)

☆☆☆

 原さんの作品は現在まで,長編が3作と短編集が1作出版されています。その作品全てに登場するのが私立探偵の沢崎と言う人物です。渡辺探偵事務所に所属する唯一の探偵なのですが,所長である渡辺はある事件によって,警察や暴力団から追われる身となっております。この沢崎さんと言う探偵は,ハードボイルド小説の主人公らしいところ,らしくないところをあわせもった人物で,大変気に入っているキャラクターです。どの作品も好きなのですが,最新作である「さらば長き眠り」が出てからもう5年,早く新作が読みたいですね。

 原さんは大学卒業後に勤務した会社を2ヶ月で退職し,ジャズピアニストになります。その後映画関係の仕事をちょっとしたりしながら,小説家になります。2作目の「私が殺した少女」直木賞まで受賞しています。本作は原さんが発表したエッセイを中心にしたものなのですが,渡辺所長や沢崎探偵が登場したりして,沢崎探偵シリーズ(?)を読んでいる人には特に楽しめる部分もあります。エッセイの部分はジャズや映画,小説が中心となっておりますが,ジャズも映画もあまり興味は持っていないので判らない部分が多いですね。セロニアス.モンクやジョン.コルトレーン位は知っておりますが。小説にしてもレイモンド.チャンドラーやロス.マクドナルドと言った海外のハードボイルド作家が中心なので,私にとってあまり馴染みはありません。ですが原さんのジャズや映画や小説に対する思いがビンビン伝わってきました。そして原さんのハードボイルド小説に対する考え方が良く理解できます。でも初対面の女性から「背が高いのね。」といきなり問われて,「僕のせいじゃないよ。」と答えられる様なセンスは私にはないですね。ちなみに私の身長は171cmなので,特に背が高いと言われた事はありません。

 

「団欒」 乃南 アサ  2000.02.25 (1994.01.15 新潮社)

☆☆☆☆

@ 「ママは何でも知っている」 ...学校経営者の一人娘である加奈の婿養子になった優次。逆玉の輿だったはずなのに何か変。下着も歯ブラシも共有する家族。父親と一緒にお風呂に入る加奈。可愛がっていたペットが死んだら生ゴミに出す母親。
A 「ルール」 ...ある日長男の純が突然きれい好きになった。最初はうっとうしがっていた姉も母も同調し,家の中の物は全て新調された。家の中では家族によって様々なルールが決められるのだが,父親だけはそのルールをなかなか守れない。
B 「僕のトンちゃん」 ...谷野修哉は高級輸入家具屋の支店長。年齢は30前だが,落ち着いた物腰が評判だった。家ではポプリ製作が趣味の妻の登与子と二人暮しで子供はいない。何でも子供が嫌いらしい。修哉は家に帰ると,会社とは別の顔になる。
C 「出前家族」 ...2階に住む息子夫婦とは別に1階で一人で暮らす實は,テレビで紹介されていたレンタル家族の話を見ていた。そして何日か経ったある日,實の元に見知らぬ家族が訊ねてきた。これが出前家族と言うものかと思ったのだが。
D 「団欒」 ...浩之が一人の女の子の死体を車に積んで帰ってきた。デートの最中に殺してしまったらしい。居間に運んだ死体を囲む浩之と父と母と妹。一家の無事の為,家族は力を合わせてこの事態を何とか乗り切ろうとする。

 少し異常な家族をテーマにした作品です。こんな家族ってあるんだろうか。あっても不思議じゃないなと思えるところが怖いですね。日本における典型的な家族って,サザエさん一家だったと思うのですが,それはあくまでも過去の事。ちびまる子ちゃんとか,クレヨンしんちゃんとかも出て来ましたが,サザエさんの様に根付かないのは,それだけ家族も多様化しているって事でしょうか。家族と言うものは社会における最小の単位である事は間違い無いですが,その家族が一同に顔を合わせる場面が少なくなればなるほど,家族と言う意識は薄れていくのでしょうか。それは社会の変化,特に住宅事情に寄る事が大きいのでしょうね。私の家でも,私の帰りが遅いですから,平日は一緒にご飯を食べると言う事はありません。だいたいお茶の間と言う物なんてありませんもん。まあそれはともかく,この作品は場面の設定もさる事ながら,結末のつけ方のうまさもあって,面白く仕上がっております。お勧めです。

 

「福音について 勇気凛凛ルリの色」 浅田 次郎  2000.02.28 (1998.02.25 講談社) お勧め

☆☆☆☆☆

 週間現代に連載されていたエッセイ集の第3作です。2作目を飛ばしてしまいましたが,「蒼穹の昴」が出版され,「鉄道員(ぽっぽや)」直木賞を受賞するあたりに連載された物です。一番印象深かったのは「ヒロシの死について」。これ連載中に週間現代で読んだ事あるのですが,その時は電車の中で泣いてしまいました。浅田氏の従兄であるヒロシと彼の次女の死を扱ったものなのですが,話の内容もさる事ながら,その描き方のうまさに舌を巻きます。子供の頃の一つのエピソードによって,ヒロシと言う人物の印象を読者に植え付けます。そして重度の身体障害者の父親になってしまったヒロシの苦労については,一言も書かない事によって読み手に考えさせてしまいます。ヒロシの死の前日の娘との会話は,誰にも真相は判らない事でありながら,これしかないだろうなと思わせてしまいます。週刊誌ではわずか2ページ,この本ではたったの5ページです。ドラマ何て言う薄っぺらい言葉しか思い浮かばないのですが,たったそれだけでこのドラマは完結します。改めて浅田次郎って凄いなと思い知らされました。こんなつまらん感想しか書けない自分が嫌になってしまいました。

 

「幸せになりたい」 乃南 アサ  2000.02.29 (1996.09.05 祥伝社)

☆☆☆☆

@ 「キャンドル.サービス」 ... 玉の輿の女性。嫌だった派手な結婚式の当日,結婚式に招待した会社の同僚男性の視線が気になった。
A 「背中」 ...離婚暦のある男性との結婚。結婚前には頼もしく見えた背中を作っていたのは前の奥さんだった事を知る。
B 「お引っ越し」 ...ベテランのOLをいじめる係長。念願かなって彼女を会社から追い出す事ができたのだが,とんでもない仕返しが。
C 「たのしいわが家」 ...母と二人でラブホテルに住み込みで働く若い女性。そんな彼女等の元に,一人の若い男性が現れた。
D 「口封じ」 ...病院で働く若い女性介護士。年も押し迫ったある日,彼女の元に一人の老人が入院してきた。
E 「挨拶状」 ...動物専門の写真家の元に,かつて同じ先生に弟子入りしていた女性から,写真展の挨拶状が届いた。
F 「二人の思いで」 ...結婚式の前夜,それまで付き合っていた女性とホテルで過ごす。明日からは愛人になるはずだった。

 短編集の題名って,その中に収められている一つの短編の題名をそのまま使う事が多いじゃないですか。ここでは違って「幸せになりたい」となっています。題名の通りこの中の短編では,幸せになりたいと願う女性が登場してきます。そう願う女性と,その女性に係わる者の視点で,その願いが叶うのかどうかが,サスペンスタッチで描かれていきます。どれも怖い話です。特に「お引っ越し」「二人の思いで」が。自分が描く幸せとは何かと言う物があって,何らかの障害が現れます。その障害を乗り越えられれば幸せになれるのでしょうが,なかなかうまい具合にいきません。そこから生まれる復讐心。それが見事に描かれているのが,先程の2作だと思います。まさかこの人がこんな事をするなんて,と言う驚きに溢れています。