読書の記録(2001年 7月)

「黄金の島」 真保 裕一  2001.07.05 (2001.05.25 講談社) お勧め

☆☆☆☆☆

 東京の暴力団に所属する坂口修司は,組内における勢力争いの関係から,海外に一時身を潜める事になった。しかし潜伏先のバンコクで何者かに命を狙われた修司は,身の危険を避ける為ベトナムのホーチミン市へ密かに逃れる。一方ベトナムの田舎から従兄弟のカイを頼ってホーチミン市に出てきた少年のチャウは,カイが率いる人力タクシーのシクロの運転手仲間として働く事になる。彼等の目的は,黄金の島である日本に渡り,ベトナムでは決して得られないであろう豊かな暮しを手に入れる事だった。そしてチャウが警察官から虐められているのを修司が助けた事から,彼等の出会いが始まる。

 「ボーダーライン」以来,真保さんの久し振りの長編です。舞台は現代のベトナムですが,同じベトナムを舞台にした作品に,垣根涼介さんの「午前三時のルースター」があります。そちらではドイ.モイ政策のもと,活気に溢れるベトナムが描かれておりましたが,こちらは社会の歪みによる貧しい人達が生々しく描かれていきます。ベトナムと言うと思い出すのはやはりベトナム戦争です。子供の頃,米軍立川基地の近くに住んでいましたので,どこからともなく飛んでくる輸送機を良く見ました。「あれにはベトナムで戦死した死体が載せられている。」何て言う話をしていて,結構身近に感じていました。戦争も終わり統一を果たしたベトナムですが,南北それぞれの出身の違い,特権階級と一般の人達との違い等を背景とした,国に対する絶望感,日本を始めとする先進国への憧憬などが,チャウらの目を通して鋭く語られます。そして彼等から見ると黄金の島である日本から流れてきたヤクザの修司との不思議な関係。日本帰国を目指す修司の気持ちの動きや,日本における砂田や奈津の話がちょっと中途半端な感じがしないでもありません。でも後半,修司が公安に捕まるあたりから圧倒的な迫力を持って物語りは進行していきます。読み応えがありました。  

 

「一億二千万の闇」 本岡 類  2001.07.08 (1990.04.20 講談社)

☆☆

 東京都練馬区で起こった連続通り魔事件。いずれも子供が刃物で額を切られると言う事件だった。そして3件目に起こった事件では,犯人を捕まえようとした男性が逆に犯人に刺されて死亡してしまう。警視庁刑事の高月は,病気で入院中の刑事に替って,この事件を担当する事になった。一緒にコンビを組むのは,所轄所刑事の島だった。犯行時の現場で目撃されたと言う,アルコール中毒で休職中の男性が捜査線上に浮かんだ。

 先日大阪府の小学校で起こった襲撃事件は,大変悲惨な事件でした。どうも子供が絡む事件と言うものは,特に嫌な気にさせられるものです。ここでも子供が被害者になる事件が起こるのですが,それ以上に嫌な気にさせられる事が描かれていきます。それは土地の値上がりによって家を買えなかった人とか,仕事上のストレスから精神のバランスを崩してしまう人です。そういった事と言うのは誰にでも起こり得る事ですし,それが何等かの犯罪に繋がってしまう怖さなのかも知れません。だけどそれはちょっと極端な話で,過去のトラウマが絡んでいたとしても,普通は犯罪を犯す事は無いですよね。また会社での自分の責任を守る為に,犯罪まがいの事をする人って居るんでしょうか。それらの被害者として子供を選択するのは,ちょっと嫌な気にさせられます。それと自分も家のローンを払っている身の上なのですが,あの保険と言うのは何か納得がいかないですよね。

 

「カカシの夏休み」 重松 清  2001.07.10 (2000.05.10 文藝春秋社)

☆☆☆☆

@ 「カカシの夏休み」 ... 交通事故で亡くなった友人の葬式に集まった,かつての同級生達。彼等の故郷はダムの下に眠っていた。
A 「ライオン先生」 ... ライオンのたてがみの様な髪の毛をした教師。実はカツラなのだが,彼のクラスには一人の問題児が。
B 「未来」 ... 弟の同級生が自殺した。残された遺書には弟によるイジメが原因と書かれおり,一家のもとにはマスコミが殺到。

 ダムを作るために山間の村落を他の場所に移すと言うのは,たまに聞く話です。余程山の中にでも作らない限り,犠牲になる人達がいるんでしょう。そしてダムの水が干上がって,かつて存在した村落が姿を現す,と言うのもたまに聞く話です。かつて住んでいた場所が,湖底から現れたらどんな気分なんでしょうか。「カカシの夏休み」の主人公もそんな一人です。子供の頃の友達,学校の教室,いつもの遊び場,好きだった女の子。そしてそんなノスタルジーとは全く逆の現実。それは問題児やその親達と向き合わなくてはならない教師の苦悩であったり,リストラや会社の倒産に脅えるサラリーマンの不安だったりします。そんな彼等が現実から逃げる訳では無く,帰るべき故郷へと向う姿は,甘ったるくもありますが,清々しさを感じさせてくれます。表題作以外も,子供や家族について考えさせられる作品です。ちなみに七夕の短冊に「家族皆が元気で」と書く気持ちって,すごく良く判ります。

 

「唐沢家の四本の百合」 小池 真理子  2001.07.10 (1991.08.28 中央公論社)

☆☆

 妃佐子の結婚相手である慎一の父親慎介は,輸入家具専門店の経営者だった。長男である慎一には慎次と慎三の二人の弟がいるが,彼等の妻である勢津子と夏美とともに暮していた。いわば4つの家族が同居している訳だが,皆仲良く暮していた。ある日,慎介の後妻である寿美江の連れ子,有沙の運転する車の事故で,寿美江と慎一は亡くなってしまう。そんな事があっても,妃佐子も有沙も唐沢家から出ようとはしなかった。ある冬,唐沢家の女性4人で向った別荘に,一通の速達が届けられた。

 資産家の3人の息子とその妻,後妻とその連れ子と言う家族構成。そして雪に閉じ込められた別荘,と言う設定はミステリーそのものなのですが,本格的なミステリーとは全く違う形で展開します。事件が起こってその犯人は誰かと言う事ではなくて,主人公である妃佐子を中心とした4人の女性の心理が話の中心です。勢津子と夏美はとても判り易い性格なのですが,慎介や有沙が理解できなかったですね。ですから妃佐子と有沙の最後の行動が,何か唐突に思えてなりません。宛先が判らない手紙を巡る彼女等の心理面も,ちょっと中途半端な感じでした。

 

「刑務所ものがたり」 小嵐 九八郎  2001.07.12 (1994.10.20 文藝春秋社)

 学生運動にのめり込み,大学を中退した後も活動を続けていた大野芳雄は,3度目の服役を新潟刑務所で迎える事になった。セクト間の争いからの傷害と,凶器準備集合罪だった。刑務所内では叶うはずもない,酒と女への思いに悩まされる毎日だった。

 著者自ら学生運動や懲役刑の経験があるそうですから,刑務所内の生活って,多少の誇張はあるかも知れませんが,こんなものなんでしょうか。一人の懲役囚の,収監から釈放までの日々が描かれていきます。工場での作業,運動会,酒の密造,受刑者同士のやり取り,刑務所の管理官の横暴。何か淡々と進んでいってしまうし,主人公の性格もはっきりしないので,印象薄いですね。最後で無理やり盛り上げているのもちょっと違和感ありました。

 

「赤い闇」 川田 弥一郎  2001.07.13 (1994.11.01 祥伝社)

☆☆☆

@ 「血の罠」 ... 中絶手術を終えて出たところを,一緒に付いて来ていた男に襲われた女性。おげんに対する罠だった。
A 「赤い闇」 ... 3人の男に暴行された女性。彼女達の一人が自殺をしてしまった。父親は犯人への復讐を決意する。
B 「瘡の輪」 ... 一組の夫婦がおげんを訪ねてきた。妻が瘡(梅毒)に罹っていると言う。しかし主人の方には感染していない。
C 「根の毒」 ... 中絶手術をした女性の夫から相談を持ちかけられた。彼は糖尿病に罹っているのだと言う。
D 「回生術」 ... 夜間突然訪れた客は,おげんの昔の知り合いだった。臨月の妻を連れて追手から逃げていると言う。

 「女医者おげん謎とき控」と言うサブタイトルが付けられている通り,江戸時代を舞台にした,おげんと言う女の医者の話です。この医者はオタンダ人とのハーフで,今で言う産婦人科のお医者さんです。中絶と言うのはこの時代,非合法だった様で,岡引に睨まれています。またこの角十と言う岡引が悪人で,何かと絡んでくるのですが,どことなく憎めない人物です。作者の川田さんは本来医者で,医療の話を中心にした作品が多いのですが,これと同様に江戸時代を舞台にした「江戸の検屍官」と言う作品を以前読みました。そちらがどちらかと言うと,当時の医療技術を前面に出していたのに対して,こちらはおげんと言う探偵役の活躍が中心の作品となっています。

 

「レフトハンド」 中井 拓志  2001.07.17 (1997.06.30 角川書店)

☆☆☆

 製薬会社テルン.ジャパン社の埼玉総合開発研究所の三号棟で,ウィルス漏洩事故が発生した。このウィルスはレフトハンド.ウィルス(LHV)と呼ばれる未知のウィルスで,事故により70名近くの研究者が死亡した。このウィルスに感染すると,左腕が別の生命体となって体から抜け落ちてしまうと言うものだった。研究所主任の景山智博は自らウィルスに犯されつつも,研究の続行を主張する。受け入れられなければ,ウィルスを外にばら撒くと脅迫してきた。厚生省のバイオハザード調査委員の津川は,LHVの実態を探ろうとする。

 第4回日本ホラー小説大賞の受賞作だそうです。確かに気持ち悪いし,左腕が抜け落ちるシーンなどかなりグロテスクです。でも怖さがストレートに伝わってこないんですよね。例えば映画ですけど「エイリアン」だとか,「遊星からの物体X」何かだと,未知の脅威に対して皆一丸となって対応しようとしますよね。でもその甲斐無く,一人また一人と襲われて行く。次は誰なのか,最後には生き残れるのか,と言った彼らが感じているであろう恐怖が,見ている者にも伝わってきます。でもここではLHVに向き合っている人間に恐怖感は感じられないんです。研究の対象としての興味や,会社や厚生省内部での自分の立場への不安が先になってしまいます。また,そこいら辺の記述がくどいものですから,やたらと物語のテンポを悪くしている様に思えます。景山も,財前も,津川も,里々子,雄次,そして美沙も,「一体何考えているんだ」と思っちゃいました。「パラサイト.イヴ」もそうでしたが,DNA等の話が出てくると,やたらと理屈っぽくなって,読み辛いものがありました。

 

「江戸風狂伝」 北原 亞以子  2001.07.18 (1997.06.20 中央公論社)

☆☆☆

@ 「伊達くらべ」 ... 第5代将軍の綱吉は大変怖い将軍だと言う。皆が恐れるその将軍と伊達くらべをしようとする商家のおかみ。
A 「あやまち」 ... 高名な画家夫妻を京都まで訪ねてきた男。彼は画家にある事を告げようとはるばるやってきた。
B 「憚りながら日本一」 ... 自分は粋な人間だと言う事を知らしめたい為に,財産を使い果たしてしまった材木問屋の主人。
C 「爆発」 ... 学問に精を出そうといわく付きの家を買った平賀源内だったが,友人たちは彼に引越しを勧める。
D 「やがて哀しき」 ... 吉原へ出掛けようとしていたら,義母に呼ばれた。いつまでも無役の養子としては辛いところだ。
E 「臆病者」 ... 幕府の厳しい改革の最中,その改革を皮肉った錦絵を書かないかと頼まれた絵師は,その依頼を断った。
F 「いのちがけ」 ... 文耕は人気の講釈師で,今日も満席だった。講釈の内容が幕府を批判する内容だった。

 メールで推薦して頂いた北原さんの作品を初めて読みました。時代物が中心の作者の様ですが,実は時代物って苦手なんですよね。結構判らない言葉があったり,時代背景がチンプンカンプンだったりで,情けない思いをしてしまいます。時代物は宮部みゆきさんの作品くらいしか読んだ事ありません。宮部さんの作品は,どちらかと言うと江戸時代と言う社会の底辺で生きる人達の話が多いのですが,この短編集ではもうちょっと上のクラスの人達を描いています。でも彼らは皆,生きる事が下手と言うか,意地や粋を大切にしている人達ばかりです。将軍や幕府に楯突いたり,粋人であり続けようとしたり,拍手したくなるようなあっぱれな主人公たちです。いずれも短い作品ですが,単なる人情話にとどまらない奥行きを感じさせられます。特に「いのちがけ」が良かったですね。

 

「エイジ」 重松 清  2001.07.20 (1999.02.01 朝日新聞社)

☆☆☆☆

 エイジが通う中学校では2年生2学期のクラス委員選挙が行われていた。男女5名ずつが選ばれるのだが,エイジも,またエイジが密かに憧れている相沢志穂も選ばれた。エイジは志穂と同じ福祉委員になる事が決まった。以前長く伸ばしていた髪をショートカットにした志穂だったが,三日前に彼女を見て,瞬間的に好きになってしまったエイジだった。そんな彼等が通う桜ヶ丘の町には最近,通り魔が出没していた。

 小学生を殺して首を切り落とした事件も,注意された事に腹を立てて教師をバタフライナイフで殺した事件も,中学生の犯行と聞いて驚かされたものです。だけど一番驚いたのは,犯人の身近に居た人達だったでしょう。特に彼らのクラスの子供達は,連日報道されるニュースをどのような思いで見ていたんでしょうか。ここでは中学生のエイジのクラスメイトが,通り魔事件の犯人として逮捕されると言う出来事が起こります。特に仲が良かった訳では無いのですが,エイジ達は彼の事をいろいろ考えます。でもエイジ達にとってこの衝撃的な出来事も,関心事の全てではありません。膝の怪我でバスケ部を辞めた事,バスケ部で新しくキャプテンになった友人へのイジメ,片思いの相手の志穂,付き合い始めた下級生の女の子。日常的な出来事も,非日常的な出来事も,いかにも中学生の視点で書かれているところに作者のうまさを感じるのですが,その分,作者の主張がどこにあるのかが不明なのが気になりました。

 

「時の渚」 笹本 稜平  2001.07.24 (2001.05.15 文藝春秋社)

☆☆☆☆

 私立探偵の茜沢圭は,ホスピスに入院中の松浦武三から,35年前に生き別れになった息子を探して欲しいとの依頼を受けた。ヤクザだった松浦は,ある事情により,出産直後の息子を見ず知らずの女性に託したのだと言う。その後事業に成功したものの,癌により後半年の命と知らされた松浦は,自分の遺産を一人息子に渡したいと言う。その女性の名は判らないが,当時池袋の要町で「金龍」と言う居酒屋の女主人をしていた事だけは判っていた。

 第18回サントリーミステリー大賞の受賞作です。松浦老人から依頼された男性の捜索と,茜沢自身の過去に起こった事件の捜査が,重ねて描かれていきます。過去の事件とは,茜沢の刑事時代に起こった事件で,逃亡中の殺人犯の乗った車の事故で,妻と長男を失った事件です。これを契機に茜沢は警察を辞めて私立探偵になるのですが,当時の上司である真田刑事との連携で二つの捜査が進められていきます。35年前に偶然出会った女性を探すと言うのは,かなり難しい事だと思うのですが,何か調子良く行き過ぎな感じがしますし,こんな偶然ってあるとは思えないですよね。それに普通に見たら如何わしい存在である私立探偵に皆協力的過ぎるのも,ちょっとなあ。でもストーリーは面白いし,サブのキャラクターもいいですね。PHSやパソコンを使った追跡劇,戸籍調べ,真田刑事の左遷等など,いろいろ詰って充実した作品です。

 

「ビタミンF」 重松 清  2001.07.25 (2000.08.20 新潮社) お勧め

☆☆☆☆☆

@ 「ゲンコツ」 ... 郊外にあるマンションの入り口には,夜になると駅前と同じ様に子供達がたむろする様になった。
A 「はずれくじ」 ... 妻が結石の手術の為に一週間の入院をする事になったので,息子と二人きりの一週間が始まった。
B 「パンドラ」 ... 中学生の娘が万引で捕まった。娘と一緒にいたのは,スケートボードのプロを目指す男だったと言う。
C 「セッちゃん」 ... 娘の中学校にセッちゃんと言う転校生がいる。苛められている彼女の話を娘は毎晩聞かせてくれる。
D 「なぎさホテルにて」 ... なぎさホテルは19歳の時に訪れた時のままだった。あの時,未来に向けて出した手紙が届いた。
E 「かさぶたまぶた」 ... 娘の様子がおかしいのに気付いたのは妻より先だった。いつも冷静であろうとしている父親は。
F 「母帰る」 ... 長男の結婚を機に夫を捨てて行った母親。老いた父親はそんな母とよりを戻そうとしていると聞いた。

 良く使う言葉だけど,あらためて「なにっ?」て聞かれるとうまく説明できない言葉って多いですよね。「ビタミン」何て言う言葉も自分にとってはそうです。辞書で調べると,「人間の体内で合成されず,栄養素の一つとして,食品の形で取り入れなければならない有機化合物。」何て説明がつきますけど,何となく「元気の素」みたいな印象しかないですよね。ビタミンにはAとかBとかありますが,Fと言うのはありません。後書きによると,英語で「F」から始まる単語をベースにして書いたとの事。それは,Family,Father,Friend,Fight,Fragile,Fortune,そしてFiction。ここに出てくる主人公は皆,お父さん。妻がいて子供がいて,郊外の家に住んでいて,都心の会社に通って,と言ったありふれたお父さん達です。そして子供が中学生くらいで,何かと心配事の多いお父さん達です。私も中学生の娘と高校生の息子がいて,郊外のマンションに住んで,毎日都心の会社に通勤しているお父さんです。読んでいて自分と重なる部分が多いので,他人事に思えません。かく言う自分も中学生の頃を体験している訳です。当時家族の事や父親の事をどれだけ考えていたかを自ら問えば,親の苦労や心配を今更ながら実感しているだけなのかも知れません。この7つの「F」は,いつかは必ず真剣に向き合わなくてはならない物なんでしょうか。「パンドラ」「セッちゃん」「かさぶたまぶた」なんか,ズシッときました。この作品は第124回直木賞の受賞作です。

 

「インコは戻ってきたか」 篠田 節子  2001.07.27 (2001.06.30 集英社)

☆☆

 女性誌「サン.クレール」の女性編集者である平林響子は,旅行記事の取材でキプロスを訪れた。同誌が企画した「究極のハイクラス.リゾート 地中海の真珠キプロス 遺跡とワインの旅」と言う記事の取材だった。途中乗り継ぎの為に立ち寄った,ロンドンのヒースロー空港で,檜山正幸と言う中年カメラマンと落ち合い,二人での6日間の取材旅行が始まった。

 篠田さんが以前キプロスを訪れた時の事は,「交錯する文明」に詳しく書かれています。歴史的に大国の影響を常に受け,現在でも分断国家となっているキプロスの,様々な面を知る事ができます。紀行文と,そこを題材にした小説との関連が興味深いですね。キプロスは地中海の東に浮かぶ島国で,確かに「究極のハイクラス.リゾート...」と言う一面もあるのでしょう。しかし島は南北に分断され,南側はギリシャ系住民,北側はトルコ系住民が住み,内戦も数度あったそうです。さて小説の方では,女性誌の観光案内の記事ですから,そんな側面に触れるつもりもなく,遺跡や海岸線の夕日などを取材して回る響子。結婚して子供もいる身なのですが,仕事から離れる事ができず,苦悩する一面を覗かせます。でも話はだんだんと思いも寄らない方向へと進んで行きます。国境線を誤って越してしまった少年の射殺事件をきっかけに,不穏な空気に包まれるキプロス市街。日本人には計り知れない民族対立の根深さが語られていきます。檜山が語るミャンマー(ビルマ)での出来事が印象的でした。

 

「スクランブル」 若竹 七海  2001.07.29 (1997.12.20 集英社)

☆☆☆

 結婚式に招待された5人の女性。新婦を含めた6人は15年前,新国女子学院と言う女子高で,文芸部に所属していた友人同士。彼女達が思い出すのは,当時学校内で起こった殺人事件だった。日頃使われる事の少なかったシャワー室。その中で17歳の女性が絞殺されていた。何人かの容疑者が浮かんだものの,結局犯人は判らずじまいに終わってしまった。

 6人が女性がそれぞれの立場で,この殺人事件を語っていきます。おのおののタイトルに「スクランブル」,「ボイルド」,「サニーサイド.アップ」,「ココット」,「フライド」,「オムレット」なんて付けられています。さてその6人の女性なんですが,彦坂夏見,五十嵐洋子,宇佐晴美,沢渡静子,飛鳥しのぶ,貝原マナミ。美人のお嬢様で,ちょっとみんなとズレている飛鳥しのぶは別として,みんな同じに見えちゃうんですよ。いろいろな面で溌剌とした彼女達なのですが,ちょっとこれは辛いですよね。でも犯人は誰か,動機は何か,犯行方法は,と言った謎もいいですし,結婚式に出席している参加者が現在と過去を語っていくと言うスタイルも面白いですね。でも一番興味深かったのは,そもそも結婚したのは誰なのかでした。

 

「ジュリエット」 伊島 りすと  2001.07.31 (2001.07.10 角川書店)

☆☆

 妻を突然の病気で失い,自殺した友人の借金の保証人になっていた事から,家も職も失う事になってしまった小泉健次。二人の子供をかかえて新たに選んだ職場は,南の島に作られたゴルフ場。バブル末期に作られたこのゴルフ場は,建設途中で建設中止となったものだった。ここの管理の仕事なのだが,登校拒否の長女ルカと,幼い長男洋一は不思議な体験をする様になった。そしてそれは健次の前にも現れた。浜辺で出会った老人の,「自分の思い出に喰い殺される」と言う一言がどうしても頭に蘇ってくる。

 第8回日本ホラー小説大賞の受賞作ですから,これはホラー作品なのでしょう。この賞の受賞作には,「パラサイト.イヴ(瀬名秀明)」「黒い家(貴志佑介)」「ぼっけえ,きょうてえ(岩井志麻子)」等があります。でも本作はあまりホラーと言う感じがしなかったですね。水字貝の不思議さや,建物を侵略してくるような木の根や昆虫の不気味さはあるんですが,迫ってくる怖さが感じられませんでした。と言うか,前半を読んでいる限り,何が起こっているのかが判らなかったと言うのが正直な所でしょうか。シンちゃん,ココ,クロを始め猫や鳩の話が子供の視点で語られますが,なかなか全体の構図が見えてきません。でも後半になって一気にこの物語の怖さが出てきます。それはフミオ親子がそれぞれ感じていたであろう怖さです。でも主人公が感じている怖さではないので,読んでいる者にストレートに伝わりにくいのかも知れません。思い出があのような形になる,と言う設定は面白いのですが,ちょっと冗長な感じがしました。