読書の記録(2003年 5月)

「夏の口紅」 樋口 有介  2003.05.01 (1991.10.31 角川書店)

☆☆☆

 夏休み前のテストも終わった大学3年生の笹生礼司は,母から父の死を知らされた。父と母は15年前に離婚しており,礼司はほとんど父の記憶が無かった。礼司は母からの依頼で,父の残した遺産を受け取りに,父が住んでいた家を訪ねた。父が残した物は,二つのゴクラクトリバネアゲハと言う珍しい蝶の標本だった。一つは自分に,そしてもう一つは姉に,と言う事だった。だけど礼司も母も,姉の存在など全く知らなかった。

 樋口さんの青春小説では,ちょっとニヒルな男性主人公と,エキセントリックなヒロインと言う組み合わせが多いですよね。そして必ず主人公の家庭,特に母親がぶっ飛び気味なのも一つのパターン。そして季節は決まって暑い夏,と言うのもお決まり。さて本作のヒロインは高森季里子と言う高校生。またこれが変わっていて,礼司との初対面では無愛想を飛び越してほとんど口をきかない。学校にも行っていないと言うし,叔母さんからは病気だと思われている。一見男か女か判らない様な格好をしていて,着る物にも髪型にも無頓着。でも礼司と会うたびに,だんだん変わっていく彼女がいいですね。礼司が彼女に惹かれていく部分が,やや弱い気がしますが,女性の描写は相変わらず上手い。亡くなった父親の実像,そして初めて存在を知った姉を探すと言うストーリーと合わせて,楽しめる1作です。

 

「悪夢喰らい」 夢枕 獏  2003.05.02 (1986.02.20 角川書店)

☆☆☆

@ 「鬼走り」 ... 早朝ジョギング中に聴いた「もっとはやく」との声。振り向くとパジャマ姿の子供が後ろから走ってきた。
A 「ことろの首」 ... 山の中で雨に降られ道に迷った末に辿り着いた猟師小屋。彼の後から数人の男女が入ってきた。
B 「中有洞」 ... 気が付くとその小屋にいたのは,私と老人と若い女性だった。いつからここにいるのか判らなかった。
C 「のけもの道」 ... 会社の中でいつも影の薄い男。慰安旅行の宴会でも,誰も彼の存在を気づかう者はいなかった。
D 「骨董屋」 ... 酔っ払って街角で見掛けた骨董屋。売られている物には見覚えがあった。そして店主は語り掛けてきた。
E 「四畳半漂流記」 ... 街中で私を助けてくれた謎の男。憧れの女性とともに不思議な体験をする事に。
F 「八千六百五十三円の女」 ... 思い詰めた様な顔つきで声を掛けてきた男は,一人の女性を買って欲しいと言った。
G 「霧幻彷徨記」 ... 深い霧に包まれた山の道。ふと気が付くと,同じ場所を何度も歩いているようだった。
H 「深山幻想譚」 ... 経営していた会社を潰し,やってきた山の中。一人の男が焚き火の向こうからやってきた。

 山の話がいくつか出てきますが,山好きの私から言わせてもらえば,山って結構怖いんですよ。遭難したりと言う恐さもありますが,私がここで言う怖さとは静けさの怖さとでも言うんでしょうか。日頃,街の喧騒に慣れている体には,静けさと言う音が異質な世界を感じさせます。普通の生活と違って神経が鋭敏になる事もあるんでしょうが,ちょっとした音でも耳に響いてきます。一人で泊まる無人小屋なんて本当に怖いですよ。さてここでは九つの怖い話が繰り広げられますが,皆それほど奇抜な話ではなく,何となく結末が想像できてしまいます。それでも話の流れが自然で,結末に至る流れが丁寧に書かれていて,怖い部分が印象的です。「骨董屋」がお勧めですけど,「ものいふ髑髏」の中の「もののけ街」とは違うんでしたっけ。

 

「正当防衛」 新津 きよみ  2003.05.06 (1999.06.25 日本文芸社)

☆☆☆

 洋服のリフォームの店に勤める主婦の早坂志歩美は,突然店に入ってきた男に驚いた。男は警察に追われている連続殺人犯だったが,志歩美の説得で男を警察に自首させた。テレビでこのニュースを見た推理作家の庄司桐子は,志歩美が10年前に義理の兄を殺した女だと言う事に気が付いた。この事件では志歩美の正当防衛が認められて不起訴になっていた。義兄の無実を信じる桐子は,10年前の事件の真相を探ろうと,偽名を使って志歩美に接触した。

 正当防衛に見せ掛けて殺人を実行する,と言う設定はありがちだと思いますが,今まで読んだ事ありませんでした。どこまでが正当防衛で,どこからが過剰防衛なのかなんて難しいでしょうね。10年前に正当防衛が認められて無実となった女性,それを殺された側の人間が真実を探る話なんですが,それほど単純な話ではありません。結末はかなり意外でした。二人の女性による作中作が出てくるんですが,ご主人(折原一さん)っぽく,この中にトリックが仕掛けられているのかと思ったのですが,その点ではちょっと期待はずれ。どちらかと言うとトリック云々よりも,二人の女性の心理面で読ませる作品です。それにしては,どちらの女性にも好感が持てないのは如何なものでしょうか。

 

「時よ夜の海に瞑れ」 香納 諒一  2003.05.08 (1992.07.20 祥伝社)

☆☆☆☆

 有楽町にある碇田探偵事務所に,大学時代からの友人である関口から電話が入った。今は病人を専門に移動させる会社を経営しており,ある老人を下関から淡路島まで運ぶ手伝いの依頼だった。ボディガード役だとの事だが危険は無いと言う。碇田と関口は,いわくありげな老人の吉野巧蔵と看護婦の内村弥生をワゴン車に乗せて,淡路島へと向かった。しかし突然,ベンツに乗った謎の男達に襲われた。

 余命幾ばくも無い老人を運ぶ話なのですが,その間に様々な事が起こります。老人の故郷に帰りたいと言う願いは本当なのか,彼を襲う組織は何物で,何が狙いなのか,そしてそもそも吉野と名乗る老人の正体は誰なのか。そんな謎を抱えたまま,主人公は老人を狙う複数のヤクザ組織との戦い,駆け引き,裏切り,騙し合いに巻き込まれていきます。誰が味方で誰が敵なのか。そしてその裏には,老人にとって40年以上前に遡る復讐劇が隠されています。さらには主人公である碇田と関口の間にわだかまる20年前のある出来事が示されます。ワクワクする様なストーリーですし,綿貫や恩田と言った登場人物も魅力に溢れています。でも何かバタバタした感じなんですよね,ちょっと消化不良の様な。本作は香納さんの実質的なデビュー作だそうで,その後大幅に加筆修正して文庫化(題名は「夜の海に瞑れ」)されたそうですが,そちらを読んだ方が良かったかもしれません。

 

「最後の審判」 川田 弥一郎  2003.05.08 (1993.12.05 講談社)

☆☆

 患者の森下文一は47歳の健康的な体に見えたが,G市民病院での検診で胃癌と診断されていた。検査を担当した医師の成岡照代からの紹介により,R大学付属病院で胃の手術が行われた。執刀した三条美和子にとっては慣れた手術であり,無事に摘出手術は成功した。手術の後,摘出した胃は病理検査が行われたが,驚いた事に,そこには癌の形跡は無かった。検査のミスなのか,検体の取り違えなのか,それとも単なるミスではなくて,人為的な行為によるものなのか。

 胃ファイバースコープ,いわゆる胃カメラですね。私は2回経験があります。最初に胃の動きを抑える注射を打たれて,ドロドロした喉の麻酔薬を飲まされます。そしていよいよ飲み込む訳ですが,この時が一番苦しいところです。2回しか経験ありませんが,これだけはキッパリと言います。胃カメラの検査に慣れた医者にしてもらいましょう。大きい病院の方が検査専門の人がいるようなので,いいと思います。さてそんな胃カメラの検査にまつわる謎なのですが,癌でない患者の胃を手術してしまったのは何故か,から密室殺人の謎へと広がっていきます。密室のトリックは面白いんですが,解説がちょっとくど過ぎ。それに病院の中って,そんなに警備が甘いもんなんでしょうか。

 

「白鳥は虚空に叫ぶ」 折原 一  2003.05.09 (1989.07.25 光文社)

☆☆☆

 冬の日本海沿いを走る特急「白鳥」に飛び込んで亡くなった男。彼は大手証券会社に勤める河田光雄と判ったが,彼は仕事上の不正から会社を追われていた。そして河田の上司の絞殺死体が発見された。警察は上司の横山を殺した河田の自殺と判断した。しかし河田からプロポーズを受けていた同僚の石野亜矢子と,河田の兄の次郎は警察の考えを否定し,亡くなるまでの河田の足跡を追う。

 パラパラとめくったら所々に電車の時刻表が出てきます。電車の時刻を利用したアリバイ.トリックって,私は苦手です。じっくりと時刻表を見て推理しようなんて気は全く起こりません。でも時刻表を見なくってもストーリーにはほとんど関係ありませんでした。さてこの時刻表って,人によっては面白いものでしょうね。登山が好きな私にとって地図を見るのが面白いように,旅好き,列車マニア,アリバイ考案好きな人達にとって,実に興味深い一冊なんでしょう。相変わらず折原さんの作品に登場する人物には馴染めません。でも話自体は適度に凝っている割にはスラスラ読めます。ちなみに黒星警部は出てきません。

 

「父と子の旅路」 小杉 健治  2003.05.10 (2003.01.30 双葉社)

☆☆☆☆

 若い頃から自由奔放に生きてきた母も,病気でわずかな命。病院に母を見舞った河村礼菜は,自分に父親の違う兄がいる事を知った。その父親は一家3人惨殺事件の犯人として,死刑を待つ身だが,裁判では無実を訴えていた。礼菜は母の為に,行方が判らない兄を探すのと,兄の父親の無罪を証明する為に,事件当時の関係者を訪ね歩いた。

 とても感動的な話だと思いますし,子供を想う父親の気持ちも痛いほど伝わってきます。でも何かしっくりこないのは,父の取った行動のせいでしょうか。子供を思うあまり,無実の罪まで引き受けるでしょうか。それが頭のどこかに引っかかったままだったので,違和感が残ってしまいました。そしてそれぞれの人物の関係が物語の半分くらいで判ってしまいます。それはとても意外なんですが,その後がちょっと冗長な感じです。祐介が五重の塔を見る場面なんてとても印象的でいいんですけどね。何人かの登場人物の視点が入れ替わっていくのも,作品の印象を弱めてしまっているように思えました。

 

「手紙」 東野 圭吾  2003.05.11 (2003.03.12 毎日新聞社) お勧め

☆☆☆☆☆

 たった一人の肉親である弟を大学に行かせたいために,強盗殺人の罪を犯して警察に捕まった兄。その時から弟の苦悩が始まった。強盗殺人の兄を持ってしまった事で,弟は大学受験を諦め,アルバイトはクビになり,バンドでのデビューの道は閉ざされ,付き合っていた女性は去っていった。兄にとって唯一の希望である弟に宛てた,刑務所からの手紙。しかしその手紙は,さらに弟を苛立たせ,さらに苦しめた。

 「白夜行」を読んだ時に感じた驚き,それ以上の驚きを感じました。犯罪は幾多の悲劇を生みます。被害者はもとより,被害者の家族や関係者。でもここで描かれるのは加害者の家族の悲劇です。犯行当時高校生だった主人公は,兄が犯罪者だと言うだけで様々な差別を味わいます。そしてそれは彼自身にとどまらず,妻や子供にまで及んでいきます。毎日ニュースでは数多くの犯罪が報道されます。それだけの被害者がいて,それだけの加害者がいて,そしてそれだけの苦悩が存在するんでしょう。読んでいる間,直貴が味わう世間の理不尽さに,やり切れない思いを感じさせられます。でももしも私の周りに直貴の様な人間がいたら,たぶん私は彼から遠ざかるでしょう。奇麗事だけではすまされない事って,なんにだってありますよね。途中で直貴が歌を唄う場面があるんですが,そこで唄ったのはジョン.レノンの「Imagine」。この選曲がいいですね。「天国も地獄もなく,国家も宗教も無く,財産も飢えも無い,そんな世界を想像してみよう。」と言った内容の歌詞だったと思いますが,とても効果的に使われています。ただ一つ不満だったのは,由実子の存在。彼女の存在こそが何らかのどんでん返しに繋がると思っていたんですけどね。それにしても東野さんがミステリーとは全く異なる作品を書いたのって,これが初めてでしょうか。

 

「海泡」 樋口 有介  2003.05.13 (2001.05.28 中央公論社)

☆☆

 東京で大学生活を送っている木村洋介は,夏休みに実家のある小笠原に2年振りに帰ってきた。民宿の娘の旬子や漁師になった山屋は相変わらずだったが,医学部受験に失敗した藤井は頭が少しおかしくなっていたし,白血病の翔子は今年一杯の命だと言う。そして前村長の娘の和希は,東京での学生生活でストーカー被害に遭い,小笠原に戻ってきていたが,ストーカーの男も彼女を追って島にやってきていた。そんな中,和希が不自然な死体で発見された。

 小笠原諸島は東京から(と言ってもここだってれっきとした東京都ですが)南に約1000kmのところにあり,竹芝桟橋から船で25時間半掛かるそうです。緯度はほとんど沖縄と同じで,亜熱帯に属しています。一度は行ってみたい所ですが,私はまだ行った事がありません。さて本作は同級生が係わる殺人事件と言うといつものパターンなのですが,今回はちょっと雰囲気が違います。小笠原と言う島を舞台にしている事もあるんでしょうが,主人公の犯人探しも最後の方だけだし,これと言って中心となる女性も出てきません。昔から住んでいた人と他所から移ってきた人,観光客と地元住民,空港建設の賛成派と反対派。まあそんな事も出てきますが,小笠原と言う島での同級生達のおおらかな夏が描かれていきます。何か淡々とし過ぎている感じで,ちょっと物足りない気がします。でも島で暮らす人達の描写は好きですね。私も一生の中で一回は海のそば,それも島に住んでみたいと思っているんですが,実際に暮らすとなると大変なんでしょうね。

 

「大いなる聴衆」 永井 するみ  2003.05.16 (2000.08.30 新潮社)

☆☆☆☆

 ロンドンで暮らす世界的なピアニストの安積界を,札幌の音楽祭に呼んだのは,彼の同級生の千堂紫だった。比較的ポピュラーなベートーヴェンのピアノ.ソナタを演奏する事になっていたが,界は突然に曲目の変更を要求した。界が選んだ曲は,彼にとって愛娘の死以来封印していたピアノ.ソナタ第29番だった。しかしその演奏は酷い出来だった。理由を問いただす紫に界は,婚約者が誘拐され,犯人からの要求が,「ハンマークラヴィーアを弾け。しかも完璧に。」だったと告げた。

 農業や林業と言った一風変わった分野のミステリーを書いている永井さんですが,今回描かれるのは音楽の世界。音楽を題材にしたミステリーと言うと篠田節子さんの「カノン」「ハルモニア」が思い浮かびますが,そちらがホラーの面が強いのに較べ,こちらは純粋なミステリーとして面白い作品になっています。さて,このハンマークラヴィーアと言う曲,ベートーヴェンのピアノ.ソナタ第29番変ロ長調作品106ですが,とても長く難解な曲です。演奏時間にして40分以上で,特に第3楽章が長い。聴くのには気合が必要です。さてこの曲同様,本作も長い作品です。でも長さを感じさせないのは,永井さんのうまさでしょう。何故犯人はこんな要求をしてきたのかと言う謎や,界のコンサートはどうなるのか,完璧な演奏とは何の事なのかと言うところに引き付けられます。そして大学時代の界や紫,監禁されている婚約者のミカリ等の話が適度にはさまります。そして界に対する紫の想い,そして何と言っても芸術家達が身を置く世界の厳しさが伝わってきます。最初,紫に対して,「コイツ,絶対嫌な奴だ」と瞬時に思ったのですが,徐々に共感を覚えるのもいいですね。でも登場人物の名前が皆変わっているのが気になります。今度の休日には,バックハウスあたりでハンマークラヴィーアを聴こうっと。

 

「水上音楽堂の冒険」 若竹 七海  2003.05.17 (1992.05.20 東京創元社)

☆☆

 幼馴染みの中村真魚と共に,同じ大学に合格したラスカルこと荒井冬彦には一つの悩みがあった。それはその前の夏に起きた自転車の追突事故以来,記憶があいまいになっている事だった。実際にした事をすぐに忘れてしまったり,記憶している事が間違っていたり,また不思議な予知能力まで付いてしまっている様だった。そんな中,友人達と合格パーティを開いた翌日,1学年下の女子高校生が学内で殺された事を知った。友人の坂上に容疑が向けられ,その鍵を握っていたのは,冬彦の記憶だった。

 記憶物と言うと北川歩実さんの作品が思い出されますが,こちらはそんなに理屈っぽくなくて読み易い。中村真魚に代表される明るい女生徒に較べて,ちょっと男子生徒がおとなし目かな。でも学園ミステリーらしく,彼らの活き活きとした行動が描かれて行きます。でも後味が悪すぎるんですよね。冬彦の記憶に関する謎も,殺人事件の真相も。何も学園ミステリーだからって,ほろ苦さや甘酸っぱさに溢れた作品じゃなきゃ嫌とは言いませんが,ちょっとこの結末の意図が判りませんでした。純粋にちょっと大きめな密室トリックに挑む高校生達って構図でもいいと思うのですが。

 

「繋がれた明日」 真保 裕一  2003.05.18 (2003.05.30 朝日新聞社)

☆☆☆☆

 自分の彼女にちょっかいを出した相手を刺し殺してしまった中道隆太。唯一の目撃者である被害者の友人の嘘の証言が認められ,隆太は5年から7年の懲役刑が科せられた。そして時は過ぎ仮出所が認められた隆太を待っていたのは,人殺しに対する厳しい現実だった。そして母と姉が住むアパート,保護司の紹介で勤め始めた会社に,隆太の過去を暴くビラが配られた。

 前作の「誘拐の果実」の時は,東野圭吾さんが「ゲームの名は誘拐」で,同じ誘拐の話。今回は東野さんの「手紙」に対して,同じく受刑者をテーマにした本作。何か二人で示し合わせて書いてないか。ところでこれは難しい内容ですね。もし自分の子供なり家族が殺されたら,それが例え交通事故であったとしても,私は相手を絶対に許せないでしょう。それを加害者側から書く訳ですから,被害者側の心情とのバランスをどうするのか。この点ちょっと被害者側の人間を悪く描き過ぎている気がします。そりゃあ殺された方にだってそれなりの理由があったにせよ,相手は死んでしまっている訳です。5〜6年で自由の身になった相手に対して,被害者の家族が複雑で歪んだ感情を持つのは当然でしょう。犯罪者の更生の問題だけを取り上げるんだったらまだしも,被害者を主人公にしてしまうのはかなり厳しいのではないでしょうか。東野さんの作品と比較するのは全くナンセンスなんですが,加害者そのものではなく加害者の弟を主人公にした東野さんの上手さを感じました。ラストもちょっとぼやけた感じなのもちょっとどうでしょうか。でも考えさせられる作品です。

 

「探偵はひとりぼっち」 東 直己  2003.05.21 (1998.04.10 早川書房)

☆☆

 オカマのマサコちゃんがテレビのアマチュア.マジックショーに出演し,人気者の彼女の応援の為にバーに集まった常連客たち。しかしそのマサコちゃんは,翌日札幌に帰ってきた日に,何者かにめった打ちにされて殺された。犯人はなかなか捕まらず,そんな中,ある北海道選出の代議士とマサコちゃんの噂が流れた。みんなが係わり合いを避けろと忠告する中,札幌で便利屋を営む「俺」は独自に捜査を開始した。

 「探偵はバーにいる」に出てくる便利屋の“俺”を主人公とするシリーズなんですが,途中何冊か読み飛ばしているみたいです。知らない話が出てきたり,“俺”に中学校教師の春子と言う恋人が出来たりしています。いつも思うのですがシリーズ物は順番通り読まなくてはいけないですね。さてこの物語,出だしの雰囲気がいいですね。テレビに出演しているマサコちゃんを,オカマバー「トムボーイズ.パーティ」に集まった客達が応援するシーンなのですが,客同士,マスターやホステスの楽しい会話が伝わってきます。そしてマサコちゃんの人気振りがうかがえます。でもそのマサコちゃんが殺された後,誰も彼女の死の真相から目を背けようとするのがちょっと納得できません。孤軍奮闘する“俺”に密かに協力する人達がいいんですが,この結末ってアリなの。全く伏線が無かった様に思えるんですが。

 

「スピカ」 高嶋 哲夫  2003.05.23 (1999.12.15 宝島社)

☆☆☆☆

 富山県に建設された世界最大の原子力発電所「コスモス」。その完成式が行われた日に,謎のテロリストに占拠された。出動した富山県警の機動隊は,テロリスト達の圧倒的な武器に全滅。犯人の要求は,ロシアやイスラエルに拘束されている政治犯の釈放と金。受け入れなければ汚染ガスの放出を行うと言う。そしてコスモスは,テロリスト達の手によって動き始めた。

 考えさせられた事が二つあります。まず一つは現実の世界でこの様な事が起きないのか。原子力発電所の警備体制がどの様になっているのか知りませんが,ある程度の武器を持ったグループが実行したら可能かも知れません。東海村で起きたお粗末な事故の事を考えると,そんなに危機管理が高いとも思えないんですが,怖い話ですよね。そしてもう一つは,科学の進歩が本当に人類の幸福に寄与しているのだろうかと言う事。テロに参加した科学者の言葉ですが,「私は科学者の存在を否定する。世界に科学者という愚かな者がいなかったら,人類はもっと幸福になれたのではないか。進歩という名目で,科学者はその知識興味だけを追っていたのではないか」。確かに生活は便利になりましたし豊かになりました。でもそれが直ちに幸福に結びつくわけではないですよね。同じく発電所を乗っ取ったテロリストと言う事で,どうしても真保裕一さんの「ホワイトアウト」と比較してしまいます。元日本原子力研究所の研究員だった専門家の高嶋さんの方が,発電所内部の描写に関して真保さんに負けている感じがしているのが物足りない部分ですが,十分に面白い作品です。

 

「ろくでなし」 樋口 有介  2003.05.26 (1997.02.25 立風書房)

☆☆

 一流新聞社を追われ,今は政治関連の業界紙を発行している田沢の事務所に,一人の美女が訪ねてきた。一軒の家の写真を見せ,ここから出てくる男を1週間尾行して欲しいと言う。報酬は200万円だが詳しい事は何も教えてもらえなかった。取り敢えず翌日から尾行を開始したが,その男は奇妙な行動をとった。朝からビールを飲み,スナック菓子を食べ,キャラメルの包みを投げ捨て,山の手線の線路に沿って歩き続けた。

 樋口さんの書くハードボイルド作品だと,まず柚木さんのシリーズが思い浮かびます。そのシリーズが面白いだけに,彼以外に同じ様な主人公を造る必要性があるのかなあと思ってしまいました。何か無理矢理キャラクターを造っていないか。少なくともハードボイルドの雰囲気作りにはわざとらしさが感じられてしまいます。全部柚木シリーズにしたっていい様な気がするんですが。ここで言う「ろくでなし」と言うのは主人公の事なのですが,部屋はちらかり放題で,パジャマ姿で,お酒ばっかり飲んでいて。一流新聞社をクビになって,業界紙の発行をしていて,政治家の秘書や刑事に曰くつきの知り合いが居て。そんな主人公の元に美女が仕事の依頼に来て,何故か魅力的な女性が傍に居る。何か似た様な話はいくつもありますよね。だからなのかも知れませんが,ロシアの諜報組織を登場させたり,はたまたエイリアンまで持ち出したりしたのかも知れませんが,不自然な感じがぬぐえません。

 

「プラスチック.ラブ」 樋口 有介  2003.05.28 (1997.02.25 実業之日本社)

☆☆

@ 「雪のふる前の日には」 ... 中学生の頃好きだった南生子さんから,同級生の水江さんが家出した事を知らされた。
A 「春はいつも」 ... 糸織さんのお父さんの浮気が原因で,糸織さんはお母さんと新潟に帰る事になりそうだと言う。
B 「川トンボ」 ... 家を出て行った母,そして学校に行かない妹の怜子。家事をしている最中,犬を連れた香さんが訪れた。
C 「ヴォーカル」 ... 雅美達と作ったバンドのヴォーカルの伶子さんは,誰にも何も言わずに突然に姿を消してしまった。
D 「夏色流し」 ... 突然現われた祖父を病院に見舞った時,同じ17歳で叔母にあたる季理子さんと出会った。
E 「団子坂」 ... 中学時代の同級生がオートバイの事故で亡くなった。同じく同級生の真弓さんと彼女の家を訪れた。
F 「プラスチック.ラブ」 ... ホテルで殺された女の子の謎を,ソフトボール部キャプテンの美波さんと探る。
G 「クリスマスの前の日には」 ... 両親の離婚問題に揺れる理菜子さんの家では,妹の智美がアルパカを飼いたいと言う。

 一人の男子高校生,木村時郎くんが1年間で付き合った8人の女性との話がつづられます。話に連続性が無く,住んでいる場所やそれぞれの彼女との関連が不明な部分がありますが,たぶんそういう事なんでしょう。高校生の頃って,同級生の女の子がやたらと大人っぽく見える気がします。でも樋口さんの描く男子高校生って,どこかニヒルと言うか,悟りきっていると言うか,あまり若さが感じられないんですよね。そして描かれる女性は,やたらと表情が豊かで魅力的なんですが,ここでは何か8人とも同じ様な感じがしてしまいました。やたらといろんな事に首を突っ込みたがり,ちょっと怒ると鼻の穴がプクッと膨らんだり,唇がとんがったり。でもいきなり「あの人」が出てきたのには驚きました。木村くんが大人になったら,たぶんあの人の様な感じになるんでしょうね。

 

「感染夢 Carrier」 明野 照葉  2003.05.29 (2003.02.25 実業之日本社)

☆☆☆

 阿波隼人の従兄の渓輔が妻と二人の子供を道連れにして一家無理心中をはかった。仕事も健康も何の問題も無く,心中の原因は判らなかった。葬儀に訪れた一人の女性を見て,隼人は以前どこかで彼女に会った気がした。それ以来,隼人は不思議な夢を見る様になった。そして渓輔が書き残したメモには,最近隼人が体験しているのと同じ内容の事が記されていた。

 ホラーの怖さって,主人公が味わう怖さを実感できるかどうかがポイントだと思うんですが,あまり怖さが伝わってこないんですよね。もう少し追い詰められていく主人公達の内面を描いた方がいいと思うのですが。毎晩の様に見る不気味な夢,どこかで会っている気がする女性,そしてそれは自分だけではなくて,恋人も死んだ従兄も同じだった。共通するのは祖父達が同じ山奥の村の出身者だったと言う事。今では廃村になってしまった村で,100年近く前に何が起こったのか。うーん,ストーリーもあまりにヒネリがないですね。まあそれはいいとして,最後にアレが出てきてアーなってしまうのは頂けない。この前に読んだ乃南アサさんの「あなた」もそうですが,ホラーの結末でこれはないよな。

 

「桜宵」 北森 鴻  2003.05.30 (2003.04.15 講談社)

☆☆

@ 「十五周年」 ... 東京でタクシー運転手をしている男に手渡された封書。故郷の花巻の料理屋の15周年パーティの案内だった。
A 「桜宵」 ... 亡くなった妻が用意した最後のプレゼント。それがこの店にきて名前を告げる事によって明らかになる。
B 「犬のお告げ」 ... リストラされる相手を決めるのは,人事部長が催すホームパーティでの犬のお告げだと言う噂。
C 「旅人の真実」 ... いきなり店に入ってきた男は金色のカクテルを注文した。彼は他の店でもそうしているらしい。
D 「約束」 ... 花巻の料理屋で10年前に約束した通りに再会した男女。10年の間,二人には幸せも不幸もあった。

 東京世田谷区三軒茶屋の裏路地にひっそりと佇むビアバー「香菜里屋(かなりや)」。そこに持ち込まれる色々な謎を,謎好きの常連客達やバーテンダーの工藤が解いていくと言う趣向。まあいわゆる日常の謎なのですが,そんな事よりもここの客になりたくなります。別にマスターと一緒になって謎解きがしたいんじゃなくって,マスターの作る料理が食べたくなります。マスターの工藤が客に振る舞う料理の数々。いかにもビールに合いそうなものばかりで,そちらの方が感心してしまいました。店の雰囲気もいいですし,こう言う店に行きたいですね。