読書の記録(2002年 5月)

「残光」 東 直己  2002.05.01 (2000.09.08 角川春樹事務所)

☆☆☆

 札幌にある丸高建設の本社ビルで磐元次長を射殺した男は,同社の施設である保育園に園児二人と保母一人を人質に立て篭もった。テレビ中継された保育園の光景,そこに映し出された一人の女性,それは人質になっている高見沢健太君の母親の多恵子だった。彼女に気が付いた男がいた。山に篭り,木彫りのフクロウを造っている榊原健三だった。多恵子の普通の生活を願う榊原は,札幌に向かった。そしてもう一人,榊原の知り合いで橘連合桐原組の桐原満夫も多恵子に気が付いた。

 元組員の榊原,組長の桐原,そして持谷と名乗る便利屋達が登場する,シリーズ作なのでしょう。東さんの作品を読むのは始めてなので,全く知らないで読み始めてしまいました。榊原の過去には若干触れられますが,多恵子に対する榊原の気持ちが良く判らなかったり,桐原と相田や持谷らの関係が見えなかったりします。やっぱりシリーズ物は順番に読むべきなんでしょうね。登場人物に対する思い入れが強くないと,この手の作品はちょっと辛いですね。悪徳警官の存在や,ゼネコンや金融機関の繋がりを背景にしているのですが,話が都合良く進み過ぎる感じがしてしまいます。中でも一番際立っているのは,榊原の異常な強さでしょうか。多恵子達を助けようとする榊原,そして榊原をサポートする桐原達。これらの関係が頭に入っていないので,特にそう感じてしまうんでしょうね。でも物語自体は充分面白いですよ。

 

「光射す海」 鈴木 光司  2002.05.02 (1993.01.25 新潮社)

☆☆☆☆

 静岡県で精神科医をしている望月俊孝の所に,一人の女性が連れてこられた。彼女は近くの海岸で入水自殺をしようとしている所を助けられたが,ショックからかまわりの何事にも一切反応しないと言う。望月の問い掛けに答える事も無く,表情すら変わらない。身元を表す物は何も身に着けておらず,20代半ばの女性であり,妊娠5ヶ月と言う事しか判らなかった。しかし同じ病院に入院していた砂子健史の思い出の曲が元で,彼女は昔アイドル歌手だった浅川ゆかりと判明した。

 記憶喪失に陥った女性の身元を探る話かと思ったのですが,全然違いました。彼女が誰なのかはトントン拍子に判ってしまいます。しかしそこから話は一気に南太平洋のマグロ漁船に飛びます。ゆかりと別れてマグロ漁船に乗り込んだ洋一は,船の上ゆかりの謎の真相を知らされます。死の病の発病に対する恐怖と,一人で戦っていたゆかり。そして洋一は荒れ狂う海の中に投げ出されてしまった事で,彼女の辛さを思い知らされます。「シーズ ザ デイ」でも感じましたが,海の場面での臨場感はさすがです。鮫に襲われる恐怖や,助けが来ない不安に怯えながら,何日も海の上を漂っているのは怖いでしょうね。でも半分の確率で,難病に襲われる事を心配する長い年月よりはいいか。自分の力では如何ともしがたい,偶然によって支配される事への恐怖。ここら辺,彼女の味わったであろう苦しさは直接語られませんが,十分に読者に伝わってきます。それにしても,さゆりの難病問題が,あんなふうに解決してしまうのには,意表を突かれました。

 

「楽園」 鈴木 光司  2002.05.03 (1990.12.01 新潮社)

☆☆☆☆

 中央アジアの狩猟民族タンガーラでは,男は13歳になって初めて猟に出る決りだった。そして最初に射止めた獲物の霊魂が,自分の精霊になると言われていた。今年13歳になったボグドは最強の霊魂を得る為,赤い鹿を追い掛けた。そして見事に赤い鹿を射止め,最愛のファヤウと結婚した。しかし部族の掟を破ってファヤウの絵を描いてしまった事から,タンガーラは北の部族に襲われ全滅してしまう。そしてファヤウは北の部族の族長シャラブに連れ去られてしまった。生き残ったボグドは,北に向かったシャラブ達を追い掛ける為,彼らとは逆の南太平洋から海に筏を漕ぎ出した。

 鈴木光司さんのデビュー作であり,第2回日本ファンタジーノベル大賞の優秀賞受賞作です。3部構成になっていて,第1章の「神話」では上に紹介した,中央アジアの夫婦の別れが描かれます。第2章「楽園」では大航海時代の南太平洋で,ポリネシアン女性ライアと白人男性ジョーンズの新たな旅立ち。そして第3章「砂漠」は現代のアメリカを舞台に,音楽家のレスリーと編集者のフローラが,遥かな時を隔て赤い鹿に導かれる様に,砂漠の中の地底湖で巡り合います。一番印象的だったのは,ライアとジョーンズが,島の石に刻まれた赤い鹿を見つめる場面です。ボグドは妻との再会を果たす事なく,南太平洋の島で一生を終えたのでしょうか。壮大な話ですよね。最近テレビなどで「グレート.ジャーニー」と言う言葉を耳にします。それによりますと,400万年前に東アフリカで誕生したと言われる人類は,ヨーロッパ,アジアを経由し,氷河期にベーリング海峡を越えて,南米大陸最南端のパタゴニアに辿り着き,その距離は5万キロに達すると言われています。人類の意思とは何なのかって,考えさせられてしまいます。

 

「舞姫通信」 重松 清  2002.05.03 (1995.09.20 新潮社)

☆☆

 女子高の古文の教師として赴任した岸田宏海は,教室で「舞姫通信」と題されたプリントを目にした。10年前に校舎から飛び降り自殺をした少女,誰だか判らないが彼女に共感する生徒が作っていると言う。岸田にも5年前に自殺した,双子の兄がいた。当時兄の恋人だった佐智子は,芸能プロダクションの経営者だが,兄の死以降,不幸な生い立ちを抱えたタレントばかり売り出している。今度は女友達との心中に失敗して一人生き残った,城真吾と言う男の子だと言う。

 『♪霧けむるガス燈の灯が,君の目の涙を照らす。ものすべて灰色の街,脱ぎ捨てた靴だけ紅いよ。「死にましょう」ため息まじりの冗談に,「死ねないよ」年月だけがあとずさる。舞姫,舞姫,都会の夜を,今駆け巡る,恋という名の舞踏会。舞姫,君は手足が,舞姫,そう折れるまで,踊りつづけるつもりだね。♪』。吉田拓郎の『舞姫』です(作詞は松本隆)。この曲,好きだったんですよね。まあそれはあまり関係無いのですが,本作は自殺についての話です。若い頃に,死や自殺に興味を持ったり,憧れに似た気持ちを持ったりする事は,何となく理解できます。そりゃあ,身近に居た人が自殺すると言うのは,ショックな事でしょう。でも,この作品の中で自殺した人達には,何等の共感も覚えませんし,自殺した理由さえ理解できません。そして残された者が,死んでいった者に,過剰に翻弄される姿と言うのは,納得できません。

 

「絶叫城殺人事件」 有栖川 有栖  2002.05.08 (2001.10.20 新潮社)

☆☆☆

@ 「黒鳥亭殺人事件」 ... 2年前に妻を殺して自殺したと思われていた男の死体が,井戸の中で見つかった。最近殺された様だ。
A 「壷中庵殺人事件」 ... 壷の形をした地下室で殺されていた男の頭には,壷が被せられていた。部屋は密室になっていた。
B 「月宮殿殺人事件」 ... 川原に建てられた奇妙で巨大な建物が放火された。この建物は,あるホームレスが造った物だった。
C 「雪華楼殺人事件」 ... 建設途中で放置された7階建ての旅館。ここに3人の男女が住み着いていたが,一人が殺された。
D 「紅雨荘殺人事件」 ... 元化粧品販売会社社長の未亡人が,自宅で首を吊って死んでいた。他殺だと言う事は明らかだった。
E 「絶叫城殺人事件」 ... 連続殺人事件の被害者の口の中には,犯人からのメッセージが入れられていた。

 ミステリー作家の有栖川有栖さんと,臨床犯罪学者の火村英生さんが活躍する短編集です。見て判る通り,各作品には何らかの建物の名前と殺人事件で統一されています。前に読んだ「暗い宿」も同じ登場人物で,建物(宿泊場所)に係わる作品でしたが,あまり関係ないですね。少々変わった建物の中で起こる殺人事件を,大阪府警の依頼で火村とアリスが推理していきます。さて最初に「20の扉」の話が出てきます。ある一人が最初にある物を連想します。それに対して他の者が,「お店に売っているものですか」,とか「食べられるものですか」,等の20の質問をしていき,連想したものを当てる遊びです。有栖川さんは冒頭,これがミステリーに非常に近いと言っているんですが,確かにそうかもしれません。ヒントとか伏線とかは色々あっても,それらにはおのずと濃淡と言うか大小がある訳で,ミステリー作品ではそれらを巧みに利用するんでしょう。いつもとは違ってそんな事を考えながら読んでいたので,2作目以降は,「オッ。これが伏線か?」何て事ばかり気になってしまいました。なかなか凝った作りになっていますが,皆暗い感じの作品です。

 

「こちら駅前探偵局」 ねじめ 正一  2002.05.11 (1995.02.16 読売新聞社)

☆☆☆

 亡くなった婚約者の連れ子と二人暮しの佐倉峡平は,駅前のビルで探偵事務所を開いていた。ひょんな事から,このビルのオーナーのマンションで起こった幽霊騒ぎに巻き込まれてしまう。5年前に服毒自殺した女性の部屋から,女性の泣き声が聞こえると言う。いきがかり上この調査を依頼された峡平は,自殺した女性の実家を訪ねる。そしたら今度は,娘の死は絶対に他殺だと信じる母親から,娘の死の真相を調べる様に頼まれてしまう。そうこうしているうち,このマンションに住む,オーナーの息子が屋上から転落して亡くなってしまった。

 ねじめ正一さんは,「高円寺純情商店街」で第101回直木賞を受賞した作家ですが,もともとは詩人。そんなねじめさんがミステリーを書いていたとは知りませんでした。主人公の峡平は,元スタントウーマンで事故で亡くなってしまった婚約者,波瑠子の連れ子の菜々子と二人暮し。そんな二人を取り巻く駅前商店街の人達の,人情話をベースにしたミステリーかなと思っていたのですが,ちょっと違いました。悪く言えば中途半端なのかも知れませんが,ハードボイルドタッチの主人公と,菜々子や大塚吉造の柔らかなキャラとの対比がいい感じです。さてストーリーの方は,企業合併や遺産相続と言ったドロドロとした背景の中で起こった殺人事件です。でもこの登場人物からすると,もうちょっと推理色の薄い事件を扱った方が,楽しく読める様に思いました。続編がある様ですから,そちらも読んでみたいですね。

 

「プラナリア」 山本 文緒  2002.05.13 (2000.10.30 文藝春秋社)

☆☆

@ 「プラナリア」 ... 今度生まれ変わるのならプラナリアがいい。若くして乳癌の手術をした春香は飲んだ席でそう話した。
A 「ネイキッド」 ... 夫と離婚し仕事も辞めた泉水。暇になったらやりたい事が一杯あったのに,いざ暇になると何も無かった。
B 「どこかではないここ」 ... 夫がリストラにあった。家のローンや子供の教育費のため,スーパーで深夜のアルバイトを始めた。
C 「囚われ人のジレンマ」 ... 大学院で心理学を専攻している彼から,「結婚してもいいよ」と言われた会社員の美都。
D 「あいあるあした」 ... 離婚と脱サラを経て居酒屋を開いた男の元にやってきた,不思議な女性。店の中で占いを始めた。

 第124回直木賞の受賞作です。変わった題名ですが,これは綺麗な川の中に住んでいると言う,ヒルの様な生物で,二つにちぎっても二つに再生してしまうそうです。さてそんな生物に生まれ変わりたいと言う主人公が登場する表題作。私はそんなものになりたいとは思いませんが,生まれ変われるとしても,もう一度自分自身になりたいとは思いませんね。辛い事,嫌な事,上手く行かない事,係わりあいたくない事,そんな事は生きて行く中で一杯あります。何もそれらに真正面から向き合う事ばかりが正しい事だとは思いませんが,一体ここに出てくる主人公達は何がしたいんでしょうか。辛い気持ちは確かに伝わってくるんですが,あまり好きにはなれません。中途半端な終わり方も,読んでいてイライラさせられました。

 

「茉莉子」 夏樹 静子  2002.05.15 (1999.04.07 中央公論社)

☆☆☆☆

 東京で大学に通いながら芸妓をしている木野茉莉子は,ある日天井裏に隠されていた写真を見つけた。雛人形と美人の女性と小さな女の子が写っていた。女の子が着ている着物は鳩笛が描かれていて,見覚えがあったので,おそらく自分の子供の頃だろう。でもいつどこで写された写真なのかは判らなかった。一方京都で芸妓をしている関谷絹子は,製薬会社を経営している壷内香平の子供を産みたいと思っていた。しかしその思いはなかなか叶わず,体外授精の決心をする。

 東京と京都,茉莉子と絹子の話が交互に描かれて行きます。茉莉子の方は偶然見つけた写真から,自分の生い立ちに疑問を持つ様になっていきます。また絹子の方は不妊治療から,ロンドンでの体外受精の話になって行きます。この二つの話は,出てくる言葉等から時間のズレがある事が判ります。絹子が,当時日本で行われていなかった体外授精で産んだ子供が,茉莉子なんだろうか。だけどそれじゃ単純過ぎるよな,と思っていたのですが,後半話は急展開していきます。体外授精と言うのが大きなテーマになっているんですが,その事の是非よりも,不妊に悩む女性の心情を強く描いた方が良かったんじゃないでしょうか。少なくとも最後の終わり方は違和感がありました。ストーリーが面白かっただけに,ちょっと残念。

 

「黄昏という名の劇場」 太田 忠司  2002.05.19 (2002.02.20 講談社)

☆☆

@ 「人形たちの航海」 ... 海賊に襲われ辛うじて逃げ延びた男。彼を救った船には誰一人乗っておらず,航海日誌が残されていた。
A 「時計譚」 ... 私立探偵を訪ねてきた少女は,古びた時計を渡し,時計の持ち主である父親の行方を探して欲しいと頼んだ。
B 「鎌の館」 ... 侯爵の館に家庭教師として住みこんだ女性。見事な庭に立つ一本のイチイの木には,鎌が刺さっていた。
C 「雄牛の角亭の客」 ... 悪者3人が住む町にやってきた一人の男。町の住民に酒と食事を振舞うその男は絶好の獲物だった。
D 「赤い革装の本」 ... これがおまえさんの本だ。この店の中で唯一,おまえさんに読まれたがっている本だ。
E 「憂い顔の探偵」 ... 探偵の元に届けられた手紙には,これから起こる殺人の予告が書かれ,汽車の切符が添えられていた。
F 「魔犬」 ... 狩猟中トラに襲われて亡くなった夫。未亡人の元に彼の遺品と共に送られて来たのは一匹の大きな犬だった。
G 「黄昏,または物語のはじまり」 ... 使用人として金持ちの家に入り込んだ妹の手引きによって泥棒に入る兄。

 黄昏と言う言葉は,「誰そ彼」からきています。だんだんと暗くなっていき,近づいて来る物の顔が判別しにくい時間,と言う訳ですね。さてそんな昼でもなく夜でもない,黄昏時のようなコワーイお話。幻想怪奇の短編集なのですが,太田さんてこんな話も書くんですね。でも途中々々に挿まれる,藤原ヨウコウさんと言う方の絵は充分怖いんですけれど,話の方はそんなに怖くないんですよね。誰かが誰かに語り掛ける形になっていて,さも読者が話を聴かせられている雰囲気を出そうとしているんでしょうけど,結末もアッと驚く様なものでもないし,ちょっと欲求不満を感じてしまいました。

 

「ヴィラ.マグノリアの殺人」 若竹 七海  2002.05.21 (1999.06.30 光文社)

☆☆☆

 三浦半島にある葉崎市に建てられた「ヴィラ.葉崎マグノリア」は10軒からなる住宅地。現在1軒だけ空家になっている家に,購入希望のお客を案内していた不動産屋の奥さんは,そこでとんでもない物を見つけてしまった。密室状態の空家の中に置かれた男の死体だった。顔と手がつぶされ,被害者が誰か判らなかった。早速捜査に当たった警察は,マグノリアに住む9家族,隣の豪邸に住んでいる作家,そして管理している不動産屋などの聞き込みに当たるのだが,なかなか捜査の進展は無かった。

 アパートやマンションと言った住宅地に付けられた横文字の名前って,何であんなに恥ずかしいんでしょうか。名前に似合った建物ならいざ知らず,持ち主は住む人の気持ちをどう考えているんでしょうか。まあそれはいいとして,前に読んだ「古書店アゼリアの死体」の約1年前に書かれた,架空の地名である葉崎市を舞台にした作品です。知っている名前の人がちょこっと出て来たりして,「ウフッ」と思っちゃったりします。殺人事件を扱っているのですが,ほのぼのしていると言うか何と言うか,ミステリーとユーモアがうまく混ざり合った作品です。この住宅に住んでいる人達が面白いんですよ。皆一癖も二癖もある人間ばかりで,いろんな人間関係やら秘密やらがあります。そしてそれらに振り回される警察の一ツ橋と駒持の二人がいいですね。ところで死体と遺体の違いって,身元が判らない時点では死体で,判ったら遺体って,本当なんでしょうか。

 

「お喋り鳥の呪縛」 北川 歩実  2002.05.22 (2002.02.28 徳間書店)

☆☆

 フリーライターの倉橋渡は,嶋野浩子と言うテレビプロデューサーから電話を貰った。ドラマシナリオの新人賞に応募された「愛を運ぶオウム」を映像化したい,と言う依頼だった。この応募作は,倉橋の妹でシナリオライター志望の良美が書いたもので,頼まれて倉橋が文書の手直しを行った作品だ。しかし良美は現在,交通事故に遭って意識不明の重態。妹の夢を実現させる為,倉橋は嶋野と打ち合わせを開始した。この作品は良美がアルバイトをしていた,言語教育研究所での経験を基にした作品で,言葉を上手に喋るオウムが登場している。モデルになったオウムのパルをドラマに出演させようとしたが,研究所の所長が何者かに殺されてしまい,パルは行方不明になってしまう。

 北川さんの作品って,読んでいてついていけない部分多いですよね。あまりにも論理的な面に片寄り過ぎているからでしょうか。こう言った作品が好きな人にはたまらないのかも知れませんが,サラっと読んでしまう私からすると,何が何だか判らなくなってしまいます。まあこれは作者が悪い訳ではないと思うのですが,もうちょっと何とかならないんでしょうか。それと登場人物の区別がつかなくなってしまうんですよ。みんな同じに見えてきてしまい,「アレッ,これ誰だっけ。」と思うところが何度も出てきてしまいます。今回はアクションスターに憧れる高梨や,鳥を異常に愛する修輔が,やたらと特徴ある人物として描かれていますが,逆にその二人だけは浮いてしまっている感じがしてしまいました。さて物語りの方は妹が交通事故に遭う場面から始ります。そしてドラマ化の話,研究所の話などの中で,不可解な事件が次々と起こっていきます。そして研究所で過去に起こった事件が全てのキーになっている事が判ってきます。話は面白いと思うのですが,読み辛さが如何ともしがたいですね。

 

「十三の黒い椅子」 倉阪 鬼一郎  2002.05.23 (2001.11.30 講談社)

 「椅子と駱駝の物語」,「悦楽の椅子」,「密室と嘘のロンド」,「目を瞠れ,鎖はその椅子に」,「イスタンブールの椅子」,「古池」,「密室長い椅子の話」,「座椅子の中の小人」,「チェアー,あるいは永遠の不在」,「椅子には顔」,「椅子の麗人」,「椅子の中の匣」,と言う12編の書き下ろしホラーミステリー.アンソロジーを編集したのは,赤池朗馬と言う詩人だった。

 架空の作者による12編のアンソロジー自体はどうって事の無い作品なのですが,個々の作品の間には,掲示板,メーリングリスト,サイト日記,それに赤池自身の日記等が挿入されて興味を引きます。冒頭にて作者の一人が亡くなった事が述べられ,その後も筆者が一人一人と亡くなって行く。アンソロジー全般に渡る仕掛けがあるんでしょうね。若竹七海さんの「ぼくのミステリな日常」を思い出してしまいましたが,全然違います。やたらとしつこさだけが感じられ,何か読むのが辛かったですね。はっきり言って,私はこういうのって嫌いです。

 

「蚊トンボ白鬚の冒険」 藤原 伊織  2002.05.27 (2002.04.20 講談社)

☆☆☆☆

 水道職人の倉沢達夫に,彼はいきなり語りかけてきた。自分は白鬚と言う名の蚊トンボだと言う。カラスに襲われ逃げ場が無かったので,達夫の頭の中に入ってしまったと言う。白鬚は色々な事を喋り始めた。達夫の喋る言葉が理解できる事,達夫の筋肉をコントロールできる事。翌日,アパートの隣に住む黒木と言う男が,何者かに連れ去られ様としている現場に居合わせた達夫は,白鬚の力を借りて黒木の窮地を救った。そこからデイトレーダーをしている黒木の問題に,達夫は巻き込まれて行く。

 藤原さんのデビュー作「ダックスフントのワープ」は純粋なファンタジー作品でしたが,それ以降の作品を考えると,本作はかなり毛色が変わっております。なにしろ蚊トンボですもん。虫と人間が協力しあって様々な難題に立ち向かうと言う設定と,金融取引や暗号ソフトと言った現実的な物と言うギャップが面白いですよね。でもそれがスンナリと入ってくるのが,藤原さんの描写力の凄さなんでしょう。前作の「てのひらの闇」もそうですが,登場人物がとても魅力的です。主人公の達夫や白鬚はもとより,黒木も真紀も,そして敵役であるはずの瀬川もいいですよね。ファンタジーでありながら,ハードボイルド,社会的でありながら冒険小説。ここら辺のバランスこそが本作の魅力だと思います。藤原さんの新作は貴重ですから,やたらとジックリ読んでしまいました。でもそろそろ「雪が降る」の様な短編も読んでみたいですね。

 

「土壇場でハリー.ライム」 典厩 五郎  2002.05.29 (1987.08.15 文藝春秋社)

☆☆

 東都新聞社に勤める真木光男は,上司である月田文化部長の自殺が信じられなかった。月田は1週間前に新聞社ビルの屋上から,靴を左右逆に履き派手なパラソルを握り締めたまま,飛び降りて亡くなった。月田が会社を辞め,故郷で文房具屋を始める事になっていた事等から,警察は彼の死を自殺と断定した。しかし月田の間近に居て,彼が自殺するような人物でない事を信じている真木は,独自に彼の死の真相を調べ始めた。

 本作は第5回サントリーミステリー大賞の受賞作です。さて上司の死の真相を調べ始めた真木は,月田がゾルゲ事件に関して最近調べていた事を知ります。第二次世界大戦前夜,日本を舞台に暗躍したソ連のスパイ事件ですね。このゾルゲに関する偽の資料が,他の新聞社に持ち込まれた事件がクローズアップされて行きます。中盤はこのゾルゲ事件に関する謎で目一杯引っ張って行くのですが,「じゃこの結末は何なんだよ!」て思わず言いたくなってしまいました。やっぱり納得の出来る犯人って,大事だと思うんですけど。それと1960年代の事件を描いているのですが,その当時の雰囲気が全く出ていないですね。

 

「砦なき者」 野沢 尚  2002.05.31 (2002.01.18 講談社)

☆☆☆☆

@ 「殺されたい女」 ... 名を名乗らない女性からテレビ局に掛かってきた電話。これから自分はある男性から殺されると言う。
A 「独占インタビュー」 ... 行方不明になった少女に対する誘拐及び殺害の容疑者。彼が独占インタビューに応じると言う。
B 「光臨」 ... 報道被害によって自殺してしまった少女。彼女の恋人だった八尋と言う男性がテレビに登場してきた。
C 「Fの戒律」 ... 八尋の罪を暴こうと決意した男は,彼の信奉者によって追い詰められていく。そして最後に選んだ場所は。

 デビュー作である「破線のマリス」で描かれた,首都テレビのニュース番組「ナイン.トゥ.テン」が再び舞台となります。そちらではテレビの映像に隠された悪意(マリス)を描く事によって,いわばテレビ報道のあやふやさをストレートに訴えていました。今度はその逆に,テレビを利用して若者のカリスマになって行く男が登場してきます。確かにテレビと言う砦は強固なものだとは思います。三浦和義(ロス疑惑)だって,永野一男(豊田商事)だって,また麻原彰晃でさえ,一面ではテレビによって造られたスターだったと思います。明確な報道被害と言う訳ではないけれども,テレビに裏切られたと言う思いを抱いている人って,結構いるんじゃないでしょうか。少なくとも間違った方向に世論をミスリードしたとしても,それに対する反省の言葉を聞いた事ってないですよね。本作はそんなテレビ報道に対する皮肉が利いています。でもメインとなっている八尋の話よりも,前段の2作の方が面白かったと思います。