読書の記録(2004年 3月)

「渇き」 東 直己  2004.03.01 (1996.12.15 勁文社)

☆☆☆☆

 私立探偵の畝原浩一を訪ねてきた若い女性の依頼は,就職試験に伴うセクハラ加害者への仕返しだった。友人の女子大生を囮に使い,その会社社長との情事の写真を撮る事になった。当日ホテルの一室で畝原が見たのは,囮となった女性の死体だった。そして相手の会社社長はホテルの屋上から投身自殺。女子大生を死なせてしまった事を後悔する畝原は,事件の真相を確かめようとしたが,不審な男達が彼の回りに現れた。

 東さんのシリーズ作には,まず便利屋のシリーズ,榊原のシリーズ,そしてこの畝原のシリーズがありますが,本作は畝原シリーズの第1作目です。卑劣な罠によって新聞社を辞めた畝原は,一人娘の冴香と暮らしながら探偵事務所を営んでいます。便利屋,榊原,畝原と微妙に設定が違いますが,同じ札幌を舞台にしているので印象がかぶる部分があります。ハードボイルドの主人公では,その家族を描く事は少ないと思いますが,冴香との関係がいい。これによって畝原の魅力を引き出している様に思えます。樋口有介さんの柚木草平をちょっと思い出してしまいました。シリーズ1作目のせいか,畝原の周囲を描く部分が多く,話の進展具合からすると冗長な感じもしてしまいますが,畝原の協力者のキャラクターがいい。同業の横山社長とその息子,不思議な関係の姉川明美,個人タクシー運転手の太田など等,この後の作品が楽しみです。でも端野教授はちょっと気持ち悪いし,依頼者の静恵の描写は笑えるもののちょっとやり過ぎ。

 

「ジェシカが駆け抜けた七年間について」 歌野 晶午  2004.03.03 (2004.02.19 原書房)

☆☆☆☆

 陸上長距離のクラブチーム「NMAC」に所属するエチオピア出身のジェシカは,同僚のアユミの不思議な行動に気が付いた。問いただしたジェシカにアユミは,カントクに選手生命を台無しにされたと告げ,クラブを去って行った。そしてアユミはホテルの一室で自殺死体となって見つかった。カントクへの呪いの言葉を残して。

 『過酷な女子マラソンの世界。一人のランナーが挫折して命を絶った。それから七年。死んだ彼女のためにしてやれることは,もうこれしかない――』,と書かれています。帯に書かれた文句に騙される事は少なくないですが,これはちょっとどうでしょうか。まあ歌野晶午さんの作品ですから,一筋縄でいかない事は判っていました。確かに読み終わった時に,「あー,こう言う事だったのか。」と感心してしまいました。でも「葉桜〜」の様な爽快感に欠けるんですよね。それはメインとなっているトリックの元の「ある事」が一般的な常識ではないからでしょう。でも話のストーリーは面白いし,構成もよく出来ていて,楽しめる作品でした。しかしこれって,絶妙なタイトルですね。話は全然違うのですが,アテネ.オリンピックの女子マラソンの代表はどうなるんでしょうか。私は野口,高橋,千葉でいって欲しいんですが,千葉じゃなくて坂本でしょうね。でも千葉のキャラって捨て難いと思うんですが。

 

「極道放浪記2 相棒(バディ)への鎮魂歌」 浅田 次郎  2004.03.05 (1998.12.25 幻冬舎)

☆☆☆

 「極道放浪記1 殺られてたまるか」の続編です。各章に付けられた主なタイトルを列挙してみますと,「ただし,その執行を猶予する」,「メンタンピン,ドラ一,拳銃(チャカ)一発」,「ヤクザとマル暴デカの奇妙な関係」,「ポロリと落ちた手榴弾」,「一触即発!企業舎弟の慰安旅行」,「悪党たちの同窓会場」...書かれている内容が読む前から伝わってくるようです。もし浅田さんの作品を,直木賞を受賞した「鉄道員(ぽっぽや)」とか「蒼穹の昴」「天国までの百マイル」とかしか読んだ事の無い人が,この作品を読んだら驚くでしょうね。自衛隊をはじめ,作家になる前に様々な職業を経験した浅田氏ならではの話だと思いますが,かなり脚色されているんでしょう。そうじゃなかったら危な過ぎ。確かに「プリズンホテル」などに出てくる話しの下敷きになった様な話もありますが,こう言った過去の職業の中での体験が,一連の浅田作品にどう影響しているのかが興味深いです。この作品はエッセイというわけではなく,あくまでも自分を主人公にした短編なんですね。こう言った作品ではとくに,浅田さんの文章の上手さを感じます。ちなみに私は文庫版で読みましたが,解説を書いているのは,あの白川道さんです。

 

「最悪」 奥田 英朗  2004.03.08 (1999.02.18 講談社)

☆☆☆☆

 従業員二人の鉄工所を経営する川合信次郎。不景気の中,不良品を出し,周囲の住人からは騒音の苦情を言われ,新しい機械の購入資金に奔走。都市銀行の支店に勤務する22歳の藤崎みどり。雰囲気の良くない支店で嫌な上司や客に悩み,銀行の旅行で支店長からセクハラを受ける。職も無く,パチンコ暮らしの20歳の野村和也。トルエンを盗みに入った事の失敗から,ヤクザから脅され600万円の金を用意しなくてはならない羽目に。

 何とも印象的なタイトルですが,そのタイトル通りに3人の主人公の最悪の展開が描かれます。そうでなくてもあまり幸福とは言えない3人ですが,さらにどんどん悪い方へ悪い方へと転がって行きます。特に町工場経営の川合信次郎の部分が読ませます。最悪の度合いで言えば,川合>>野村>みどり,と言ったところでしょうか。しつこいくらいに彼等3人の最悪の心情が描かれるので,かなり読んでいて憂鬱になってきます。でもこのくらい書かないと,最後になって自暴自棄になった3人(+1人)の突飛な行動が理解できないでしょうね。一体どんな結末になるのか楽しみだったのですが,うーん何か無難なところに落ち着いてしまったのかなあ,とちょっと拍子抜け。でもこれで良かったんでしょう。自分にとって『最悪』と思えるのは,今その中に自分が居るからこそ感じる物なのかも知れません。冷静に考えれば解決の糸口が少しは考えられるのに,自分を見失ってしまい悪い循環に陥ってしまう。そんな人間の弱さを描いている様に思えました。

 

「鬼頭家の惨劇」 折原 一  2004.03.09 (2003.12.20 祥伝社)

☆☆

 スランプに陥った推理作家の鬼頭武彦は,何とか現状を打開しようと樹海に建てられた家に引越してきた。彼の家族は画家をしている妻の眉子と,シノブとユリの双子の姉妹の4人だった。最初の頃こそ自然に溢れた新しい家が気に入った彼等だったが,住むにつれて陰鬱な樹海の雰囲気に嫌気がさしてきた。そして仲の良かった家族の間にも,亀裂が入り始めてしまった。

 樹海のそばで倒れていた記憶喪失の男が持っていたノートに書かれた「鬼頭家の惨劇」。彼を見つけたペンションの主人が,ここに書かれた内容を客に喋って聞かせる,と言う形で話が進みます。そして間に挟まる謎の男の述懐。鬼頭家での出来事に関してはホラーっぽい感じで進みますが,相変わらずドロドロ,グダグダした展開で好きになれません。最後に明かされる全体の構図については,一体真相は何だったんだ,とかなり不満。緻密さに欠けた,「やっつけ仕事」って感じです。同じ樹海を扱った「異人たちの館」は素晴らしかったのですが,この作品はそれと比べるべくも無いですね。

 

「新宿鮫〈2〉毒猿」 大沢 在昌  2004.03.11 (1991.08.31 光文社)

☆☆☆☆

 台湾人相手の賭博場を監視していた新宿署刑事の鮫島は,一人の男の鋭い目付きが気になった。その男を新宿で偶然見掛けた鮫島は,彼が台湾の刑事の郭である事を知った。郭が言うには,台湾で毒猿と呼ばれる殺し屋が,日本に隠れている台湾マフィアのボスを追って日本に来ていると言う。鮫島は郭から情報を得て,毒猿と毒猿が追う葉威の行方を追った。

 「新宿鮫」シリーズの第2作目です。冒頭の部分で鮫島がトルエンの密売場面を張り込むシーンが出てきますが,描写がとても細かくリアリティもあって,グッと物語の中に引き込まれます。その後,賭博場の監視や郭との出会いの場面等が少々冗長な感じもしますが,毒猿が登場してからは,圧倒的な迫力で物語りは進みます。まさに大沢さんの筆力の凄みを感じます。でもこの様なシリーズ作では主人公のキャラクターが際立っているのが普通だと思いますが,今回登場する台湾側の人物の存在感が強すぎるのが気になりました。殺し屋の毒猿,刑事の郭,二人とも鮫島に勝るとも劣らぬキャラなんで,ちょっと鮫島が霞んでしまう部分もあります。それと主人公を盛り上げる脇役の存在,恋人の昌と上司の桃井ですが,こちらもちょっと出番が少ないのも寂しいですね。ちなみにEL&Pの話がでてきましたが,昌のイメージってプログレじゃない様に思えるんですが。それにしても外国人による犯罪の増加が言われておりますが,実際日本の警察の対応ってどうなんでしょうか。何かそちらの方も気になってしまいます。

 

「人形はこたつで推理する」 我孫子 武丸  2004.03.14 (1990.08.25 角川書店)

☆☆☆

@ 「人形はこたつで推理する」 ... 幼稚園で飼っているウサギ小屋。餌箱が引っくり返され,死んだウサギのお墓が暴かれた。
A 「人形はテントで推理する」 ... カーニバルに出掛けたおむつは,密室状態のテントで起こった殺人事件に巻き込まれる。
B 「人形は劇場で推理する」 ... ジークフリートに殺されると日記に書いていた男が,その通りに殺された。
C 「人形をなくした腹話術師」 ... テレビ出演した朝永。テレビ局で鞠夫は何者かに盗まれバラバラにされてしまった。

 妹尾睦月(せのおむつき),通称おむつは,めぐみ幼稚園で先生をしている20歳の女の子。この幼稚園で開かれたクリスマス会に,鞠小路鞠夫と言う人形を操る,朝永嘉夫と言う腹話術師が招かれてやってきた。さて探偵役は人形なんですが,そんな馬鹿なとお思いでしょう。でもこの設定が結構面白い。そう言えば本当に人形が探偵役になった,東野圭吾さんの「十字屋敷のピエロ」なんてありましたが,それとは全く違います。推理自体がメインと言うより,二人と一体,特に鞠夫とおむつの会話が,ほのぼのとしていて楽しい。

 

「黄金蝶ひとり」 太田 忠司  2004.03.15 (2004.01.30 講談社)

☆☆

 両親が5回目の新婚旅行にキプロスに行ってしまった為,小学5年生の洸は祖父の家に行く事になった。洸は物心がついてから祖父とは一度も会った事は無く,祖父の白木義明は茶木村と言う田舎の村で一人で住んでいると言う。一人で電車を乗り継いで茶木村に向かった洸だったが,祖父はその村であらゆる事の先生として尊敬されている事を知った。

 「かつて子どもだったあなたと少年少女のための」という惹句のついた,講談社ミステリーランドの中の1作。有栖川有栖さんの「虹果て村の秘密」もそうでしたが,この作品も夏休みを舞台にしています。やはり子供にとって夏休みの体験と言うのは,特別な意味があるんでしょう。私も小学生時代の夏休みに,両親に連れられて行った海水浴や旅行は,いろいろな思い出があります。さて都会育ちの洸君は,一人で新幹線やらを乗り継いで茶木村に着きます。アサギマダラと言う蝶が舞う自然豊かなこの村で,彼は様々な体験をします。ミステリーと言うよりは,少年の冒険物語ですね。こう言う作品をたまに読むと,ホッとした気持ちにさせられます。最初と最後の色が違うページに関しては,ちょっと余計な感じ。何かミステリーランドなのに,全然ミステリーじゃなくなってしまい,ちょっとミステリー入れとくか,って感じに思えました。

 

「新宿鮫〈3〉屍蘭」 大沢 在昌  2004.03.17 (1993.03.25 光文社)

☆☆☆☆

 鮫島の知り合いで,新宿の高級娼婦の元締めをしている浜倉が亡くなった。死因は体中の血管で血液が固まってしまうと言う「血管内凝固症候群」と言う奇妙な病気だった。何らかの毒物による殺人の疑いもあり,警視庁の機動捜査隊の捜査に鮫島も協力した。鮫島が最後に浜倉に会った時,彼が抱えているコールガールの件で,病院にクレームを付けると言っていた事を思い出し,その女性の行方を追った。

 新宿鮫シリーズの3作目です。前作はやたらと派手なアクション.シーンが多かった気がしますが,今回は打って変って,静かな展開。超人的な活躍をする鮫島ではなく,彼の警察官としての正義感や使命感が前面に押し出されています。その分,相手側の犯罪はとてもオゾマシイものです。知り合いの死の真相を調べる鮫島の動きと並行して,謎の3人の女性の話が進みます。植物人間になったあかね,美容クリニック経営者の綾香,産婦人科で看護婦をしているふみ枝。この3人,特にふみ枝が不気味です。3人の女性の関係が最初は全く判らないのですが,この関係が次第に判ってくる部分の書き方が上手い。一気に判ってしまうんじゃなくって,読む者にいろいろ想像させるのですが,それが全然まだるっこくない。そして謎の産婦人科医に辿り着いた鮫島ですが,彼女らの企みで汚職と殺人の容疑が掛けられてしまいます。これにより後半かなり緊迫感が高まりますが,鮫島の持っている友人からの手紙って,こう言う場合に効力を発揮しないんでしょうか。警察の中の嫌われ者の鮫島ですが,彼の正義感に対する理解者がそこここに出てくるのはうれしいですね。それにしても,このシリーズ,レベルが高いです。ちょっと気になったのですが,最初に綾香があかねの見舞いに山梨の病院に行く場面。新宿から車で1時間半で中央アルプスが見える場所には行けません。と言うか,山梨県内の中央自動車道からは中央アルプスを見る事はできません。南アルプスの間違いだろうと思って読んでいたのですが,最後のページだけは南アルプスになっていました。編集者はちゃんとチェックしてください。

 

「幻夜」 東野 圭吾  2004.03.19 (2004.01.30 集英社) お勧め

☆☆☆☆☆

 自殺した父親の葬儀の翌朝,阪神淡路大震災が起こった。運良く助かった水原雅也は,瓦礫の下から助けを求める叔父を殺害し,彼が持っていた父への借用書を奪い去った。しかしその場面を,近所に住む新海美冬に目撃されてしまった。だが彼女は警察に通報する事は無く,逆に雅也の犯罪を隠匿する手伝いをしてくれた。そして二人は東京に向かい,雅也は町工場へ,そして美冬は有名宝飾店で働き始めた。

 『あたしらは夜の道を行くしかない。たとえ周りは昼のように明るくても,それは偽りの昼。そのことはもう諦めるしかない』。ここに出てくる美冬と言う女性は,「白夜行」の唐沢雪穂なんだろうか。そうじゃないと彼女が何故,この様な人生を選択したのかが判らないし,この言葉の意味も判らない。大震災の最中に殺人を犯した雅也と,それを目撃した美冬。全てを失った二人は,ここから這い上がる為に力を合わせて行きます。亮司と雪穂は子供の頃の幼児虐待と言うトラウマ(ここではこの言葉を使わない方がいいのかも知れませんが)によって,強固な結び付きがあったんでしょう。でも雅也と美冬の関係は,ちょっと異なります。何が何でも這い上がろうとする美冬にとっての,雅也は一つの駒なんでしょうか。それはカリスマ美容師や宝石店社長と同じ様に。だから二人の結び付きの強さ,と言うか,雅也の美冬への想いの強さが,ちょっと不可解に思えました。また「白夜行」では,あくまでも第三者の目を通して語られるいくつものエピソードによって,読む者に二人の内面を想像させる形をとっていました。ここでは二人の心情が,二人の視点で語られる場面もかなり出てきます。その点が逆に二人の人物の印象を弱めてしまった感じもします。それでも充分にインパクトの強い作品で,久し振りに寝る間を惜しんで読んでしまいました。絶対に「白夜行」を読んだ後に読みたい作品です。

 

「最終退行」 池井戸 潤  2004.03.23 (2004.02.20 小学館)

☆☆

 大手都市銀行の東京第一銀行は,ゼネコン絡みの巨額不良債権問題に喘いでいた。羽田支店で副支店長をしている蓮沼鶏二も,業績向上への本部からの無理な要求と,不況に苦しむ取引先との板ばさみに遭っていた。多忙な業務,責任を押し付けてくる支店長,リストラされた行員。そんな中蓮沼は,バブル崩壊による経営責任も取らず,今なお強大な権力を握る会長の,不正疑惑の存在を嗅ぎ取った。

 最終退行と言うのはちょっと聞き慣れない言葉ですが,要するに一日の仕事が終わって銀行の支店から最後に帰る事なんですね。不良債権問題に喘ぎ,行内の人員整理のあおりから,毎日の様に最終退行を繰り返す副支店長の蓮沼。支店長との対立から支店内に居場所を無くして行く中で,銀行トップの経営責任や,銀行の仕事のあり方に疑問を持っていきます。そして銀行ぐるみの不正を嗅ぎつけた蓮沼は,銀行の経営者に対して反旗を翻します。行内における人事上の問題や,支店内における力関係,そして銀行が自らの生き残りをかけて取引先に対応する様は,かなり迫力があります。そしてリストラされた行員らによる,銀行会長へのM資金にまつわる詐欺事件が同時に描かれていきます。でもこの騙し騙されと言った部分が単調で,スリルがあまり感じられません。最後もアレヨアレヨと言った感じで収まってしまい不完全燃焼気味。銀行の社会的責任にスポットをあてて,蓮沼の銀行に対する闘いのみの話でも良かった様に思えます。でも池井戸さんは,そんな社会派ミステリーは書かないだろうな。それにしても一時かなり騒がれた,貸し渋りや貸し剥しなんて,最近あまり聞きませんが今はどうなっているんでしょう。さらにM資金って本当はどうなんでしょうか。

 

「アヒルと鴨のコインロッカー」 伊坂 幸太郎  2004.03.25 (2003.11.25 東京創元社)

☆☆☆☆

 仙台の大学に入学して一人暮らしを始める事になった椎名は,引越し先のアパートにやってきた。最初に訪れた客は尻尾の曲がった黒い猫で,次に出合ったのは黒ずくめの格好をした河崎と名乗る青年。河崎はいきなり本屋の襲撃の話を持ち掛けてきた。一方その2年前,ペットショップに勤める琴美はブータン人のドルジとともに,店から逃げた犬を探していた。最近この近所では,ペットを虐殺すると言う事件が頻繁に起こっていた。

 現在と2年前の出来事が交互に綴られて行きます。現在では河崎に誘われた椎名が本屋を襲う話で,2年前はペットショップに勤める琴美の話。そしてその両方に出てくるのが河崎と言う男性なのですが,この2年間の間に何があって,どの様に現在に繋がるかが読みどころなんですね。そしてそこに大きな驚きがある訳です。この手の驚きって,「エッ!」と言うのと,「ヘエー」と言うのがあると思います。当然前者の方が驚きの度合いが強いのですが,だからと言って後者の方がトリックとして劣っている訳ではありません。この作品は後者の「ヘエー」の代表なんじゃないでしょうか。何か綺麗に騙してくれたなあ,と読み終わって感心してしまいました。それは単に読者を騙して驚かせると言うよりは,3人の男女の愛情や友情を中心に描いているからなんでしょう。全ての関係が判った時,それまで随所にちりばめられていた数々の伏線が鮮やかに甦ってきます。「一体どれだけ歩けばいいんだろう,一体何人の人が殺されればいいんだろう,友よ,その答えは,風に吹かれて舞っている...」。ボブ.ディランの「風に吹かれて」がいいですね。

 

「世界の終わり,あるいは始まり」 歌野 晶午  2004.03.26 (2002.02.25 角川書店)

☆☆☆

 小学生が誘拐され,父親の勤務先に身代金の要求がメールで届けられた。身代金はわずか200万円。指定された場所に犯人は現れず,誘拐された小学生は射殺死体で見つかった。同様の事件が続発する中,40歳のサラリーマン富樫修は,同じ町内で起こったこの事件を,遠い世界の出来事の様に感じていた。しかし小学6年生の息子の雄介の部屋から,被害に遭った父親の名刺を見つけた事から,恐ろしい想像が膨らんで行った。

 世の中には様々なニュースが溢れています。テレビで見て,新聞で読んで,さらに週刊誌やワイドショーなどで,それはいろいろな角度から取り上げられます。殺人,強盗,誘拐,それも少年が絡んだ事件となると,その報道は苛烈を極めます。でもそれを見ている我々は,一体どれだけその事件を身近な事として意識しているでしょうか。車や列車,航空機の事故,さらには火事などだったら,自分がいつ巻き込まれるか判りませんが,殺人や誘拐なんて遠い世界,もしくは別世界の出来事と捉えているのではないでしょうか。この作品の主人公も,近所で起こった誘拐殺人に対して,自分の子供が被害者でなくて良かった,何て最初はちょっと幸福感さえ感じたりもします。でも,ふとした事から息子への疑惑を持ちます。4人の子供を誘拐して殺したのは自分の息子ではないのかと。中盤あたりまでは,息苦しくなる展開にいたたまれなさを感じてしまいます。が,しかし,後半に関してはネタバレになってしまうので詳しく書けませんが,これは読む人にとって好き嫌いがはっきりするでしょうね。私は肩透かしをくった感じがしてしまいましたが,なかなかリアリティある話だとは思います。

 

「流れる砂」 東 直己  2004.03.30 (1999.11.08 角川春樹事務所)

☆☆☆☆

 札幌で私立探偵をしている畝原のもとに,あるマンションの管理人から調査の依頼がきた。なんでもこのマンションの住人の部屋に,複数の女性が頻繁に出入りしていて,いかがわしい事に利用されていると困るので,追い出すための証拠をつかんで欲しいと言う。調査は簡単に終わった。しかし同じ男を調べていると言う一人の探偵が畝原に接近してきた。そしてある取引を畝原に持ち掛けてきた。

 私立探偵の畝原を主人公とするシリーズの2作目。冒頭に描かれるマンションの一室を使った売春,元校長による無理心中,探偵の不可思議な死,行方不明になっている娘の母親のおかしな態度,テレビ局プロデューサーの失踪と,様々出来事が続けて起こります。そして社会保険の不正受給,保険金殺人,さらに怪しげな新興宗教団体の問題が絡んできます。これだけ多くの話が同時に進行すると,読んでいてかなり混乱すると思います。でもスンナリと読めてしまうのは,作者の力量でしょうか。とにかく登場人物の描写が上手い。畝原をはじめ彼に協力する側に関しては,前作の「渇き」に書いた通りなので省きますが,探偵の柾越,不審人物の本村康子,そして謎の新興宗教団体のメンバー,と言った敵役の人物描写が見事。本当に嫌な奴らだと思いながら読み進みます。キャラが立っていますよねえ,特に本村康子。そしてこの上手さと言うのは,登場人物の会話に特に顕著に表れています。この手のハードボイルド作品だと,とかく主人公の無意味で陳腐なセリフや,主人公の不死身さに辟易させられる事が多いのですが,等身大の人物として畝原が描かれているのもいい。でも娘の冴香と二人暮らしと言った,畝原にとっての弱点を強調しているのは,前作と同じでワンパターンな気もします。また最後の部分がちょっと急ぎ過ぎで,もう少し読ませて欲しい感じです。原ォさんの新作が読めない現状では,ハードボイルド作品では東直己さんが一番か。