読書の記録(2005年 6月)

「黒の謎」 アンソロジー  2005.06.01 (2004.06.17 講談社)

☆☆☆

@ 「花男」 鳴海 章 ... 北海道のスーパーで配送の仕事をしている男には,妻と連れ子の男の子の家族があった。
A 「グレーテスト・ロマンス」 桐野 夏生 ... 千葉の刑務所に服役している男に届いた,自分を売ったミロからの手紙。
B 「ひたひたと」 野沢 尚 ... 小学生時代の忌わしい記憶を抱える女性。妻となった今もその時の記憶は消える事が無かった。
C 「声」 三浦 明博 ... 竿を持たずに釣り場の渓流に現れた男は,かつてこの川で死んだ男の知り合いだと言った。
D 「秋の日のヴィオロンの溜息」 赤井 三尋 ... 来日したアインシュタインの愛用のバイオリンが別の物とすり替えられた。

 江戸川乱歩賞受賞者によるアンソロジーで,赤,白,黒,青の順番に出版されましたが,どんな順番で読んでも問題無いでしょう。平成元年度の第35回から,平成15年度の49回までの受賞者19人が全員書いているんですね。こう言う企画だと,一人位書かない人が居そうなものですが,やはり大恩あるであろう講談社の依頼は断れないか。野沢さんの作品は読んだ事ありました。桐野さんは受賞作「顔に降りかかる雨」の後日談。さらに先の事は「ダーク」に書かれていましたが,ちょっとこの話との繋がりが判りませんでした。鳴海さんの作品はちょっとピントがボケた感じで,赤井さんの作品は一番ミステリっぽい。それで一番のお勧めは三浦さんの「声」。亡くなった父の友人だった男と出会う息子の話ですが,しっとりとした綺麗な作品です。

 

「シーセッド・ヒーセッド」 柴田 よしき  2005.06.02 (2005.04.25 実業之日本社)

☆☆☆☆

@ 「ゴールデンフィッシュ・スランバー」 ... 依頼人は何とアイドルタレント。彼女は姿の見えないストーカーに脅えていた。
A 「イエロー・サブウエイ」 ... あの山内練からの依頼は,自分の部屋の前に置いておかれた赤ん坊の母親捜し。
B 「ヒー・ラブズ・ユー」 ... ノーベル賞受賞が有望視されている科学者から,一人の女性の尾行を依頼された。

 「ゴールデン・スランバー」,「イエロー・サブマリン」,「シー・ラブズ・ユー」,そして「シーセッド・シーセッド」とくればビートルズじゃないですか。保育園の園長であり,私立探偵を副業としている花咲慎一郎シリーズ3作目ですが,別にビートルズはあまり関係ありませんでした。今回も保育園で子供の世話を焼きながら,副業の探偵に精を出す花咲慎一郎ですが,前の2作ほど危険な目には遭いません。それに,あの山内練も何となくハナちゃんに優しいし。ですのでちょっと物足りなさを感じるところもありますが,探偵として行動している時の描写が細かくて引き込まれます。元妻の麦子,恋人の理紗,女医の奈美の活躍場面が少ないのは残念ですが,今までとはちょっと違う山内が居たり,初登場のオバチャン探偵も出てきて,次作が楽しみなシリーズです。

 

「風よ,撃て」 三宅 彰  2005.06.03 (1997.04.30 文藝春秋社)

☆☆

 山崩れによって偶然に発見された白骨死体。かつてこの山で起こった,殺人犯による少女拉致事件との関連が考えられた。被害者となった少女は,その時の恐怖から何も喋ってはくれない。被害者の身元も判らず,また現場付近で見かけられた不審な男女の行方も判らなかった。事件を追う刑事の佐竹には,拳銃による射撃のミスを,上司に厳しく叱責された過去を持っていた。

 第14回サントリーミステリー大賞の受賞作です。最初は山中で発見された白骨死体を巡る謎なんですが,後半になっていきなりもう一つの犯行が中心になります。この部分がいかにも唐突な感じがしてしまいました。そして過去の経緯から,主人公である佐竹が引き金を引けるのかと言うところも,佐竹の葛藤が上手く描かれているとは思えません。佐竹の家族に対する気持ちも,元恋人との関係も何か納得いかなくて,いろんな事を詰め込み過ぎて,バタバタした感じになってしまった様に思えました。それにしても警官の銃器使用の問題って,もっとキチンとした議論があっていい様に思えます。

 

「青の謎」 アンソロジー  2005.06.07 (2004.08.19 講談社)

☆☆☆

@ 「沈黙の青」 阿部 陽一 ... 高校時代からの友人が,恋人とドライブに行った伊豆で,車の中で心中した。
A 「ダナエ」 藤原 伊織 ... 銀座の老舗画廊で開かれていた個展で,1枚の絵が無残にも傷付けられてしまった。
B 「ターニング・ポイント」 渡辺 容子 ... 久し振りに現場に復帰した女性保安士の八木薔子は,外国人3人組が気になった。
C 「サイバー・ラジオ」 池井戸 潤 ... ある特殊な能力の持ち主である青島には,ある数字と共に一人の名前が聞こえてきた。
D 「盗み湯」 不知火 京介 ... 温泉旅館のお風呂に浮かんだ男の死体。見つけた男にとって,それは迷惑な事だった。

 江戸川乱歩賞受賞者によるアンソロジーで,「白の謎」「黒の謎」に続き読みました。ここまで読んだ限りでは,1作ずつ受賞作に関連する作品が含まれているんですね。本作では渡辺容子さんの「ターニング・ポイント」がそうで,「左手に告げるなかれ」の女性保安士・八木が出てきます。万引き犯を捕まえる保安士の教官をしていたのですが,久し振りに現場に出る事になります。イマイチこの主人公は好きになれないんですけどね。池井戸さんの作品には特殊な能力を持った詐欺師が登場してきて,この様な作品を書くとはちょっと意外でした。不知火さんの作品はちょっと異色です。確か東野圭吾さんの「怪笑小説」に似た様な作品がありました。一番面白かったのは藤原さんの「ダナエ」でしょうか。レンブラントの事件同様の被害に遭った1枚の絵,その裏にある愛憎が静かに語られます。受賞作の後日談と言う事でしたら,「テロリストのパラソル」のを読みたかった気がしました。でもそれは「雪が降る」の中にあったっけ。

 

「アイズ」 鈴木 光司  2005.06.08 (2005.05.20 新潮社)

☆☆

@ 「鍵穴」 ... 誘われて出掛けた友人の新居。この場所にはかつて来た事があったが,友人の妻に話せる事ではなかった。
A 「クライ・アイズ」 ... マンションから見えるホテルの部屋。そこには周りに誇示するような女性の両足が見えた。
B 「夜光虫」 ... マグロを食べに出掛けた三崎港までのクルーズ。食事が終り帰りの船の中,娘の姿が無い事に気が付いた。
C 「しるし」 ... 玄関ドアの向こうに人の気配がして,レンズを覗くと確かに人が居た。そして表札には謎の文字が書かれていた。
D 「桧」 ... 母から聞かされていた子供の頃の自分の生活。しかしそれは自分の記憶とは全く違うものだった。
E 「杭打ち」 ... ゴルフ場で見つけた死体。それは槍で刺し殺されたものだったはずなのに,警察は自殺と判断していた。
F 「タクシー」 ... 携帯電話を掛けた相手の彼は運転中だった。会話の途中に聞こえてきたものは,激しい衝撃音だった。
G 「櫓」 ... 気に入っていた町営住宅での暮らし。ある日,窓ガラスが割れた事から,不思議な事が立て続けに起こっていった。
H 「見えない糸―あとがきにかえて」 ... 仕事部屋のベッドで寝ようとしていて,水にまつわる事件を思い出すことがたまにある。

 怪奇現象と言うと大袈裟ですが,日常生活の中で味わう不思議な事ってあるように思えます。たまたま偶然が重なっただけなのか,何らかの勘違いなのか,それとも誰かの悪戯なのか。勘違いや悪戯はともかくとして,偶然が重なるって結構怖いかもしれません。一つでも滅多にないから偶然なのであって,それが二つも三つも重なるのは,普通ではなく何等か意思を感じてしまいます。本作は日常の中に秘められた謎の怖さを描いた短編集です。ただその様な題材にしたせいか,どの話もインパクトが弱くて,あまり怖くないんです。鈴木光司さんと言うと,やはり「リング」「らせん」の印象が強いですから,どうしてももっと怖い話を期待してしまうんですけどね。

 

「赤の謎」 アンソロジー  2005.06.10 (2004.04.20 講談社)

☆☆☆☆

@ 「「密室」作ります」 長坂 秀佳 ... 今日もいつものメンバーが集まったいつもの店。2階に住む会長は幾つかの密室を披露した。
A 「黒部の羆」 真保 裕一 ... 冬を迎えた北アルプス剣岳の小屋に一人残った元山岳警備隊員と,山に向かった二人の登山者。
B 「ライフ・サポート」 川田 弥一郎 ... 末期癌に侵された資産家夫人の希望は,行方が判らなくなってしまった娘捜し。
C 「家路」 新野 剛志 ... 師走の町で,いきなり通り魔に刺された男。自分は被害者のはずだったのに,何故か疑われる立場に。
D 「二つの銃口」 高野 和明 ... 誰も居ない夜の学校での清掃業務。その中に飛び込んできたのは散弾銃を持った通り魔だった。

 江戸川乱歩賞50回を記念に企画されたシリーズです。これで全4冊を読み終えたのですが,同じ江戸川乱歩賞受賞者と言っても,様々なタイプの作家がいるんですね。19人の作家による19作品でしたが,どれも質の高い作品でした。あらためて受賞者のレベルの高さと,企画自体の素晴らしさを実感します。一番印象的なのは真保さんの作品ですが,「灰色の北壁」で既に読んでいました。長坂さんの様な作品はあまり好きになれなくて,川田さんのはちょっと淡々とし過ぎた感じ。高野さんは短いながらも緊迫感が充分にあって楽しめましたが,最後をもう少しきちっとまとめてくれた方が良かった。それでイチオシは新野さんで,被害者とその恋人とのやりとりが面白い。

 

「立ちすくむとき」 東 直己  2005.06.13 (2004.09.18 角川春樹事務所)

 「トレイナー・スーツ」,「魔法の言葉」,「社長の真心」,「人情夜桜」,「善意の結晶」,「複雑な夜」,「可愛いシャム猫」,「暗い淵の犬」,「思い出」,「十月の雨」,「容貌魁偉」,「好意と感謝」,「読み間違い」,「雪の夜」,「透明な気持ち」,「逢い引き」,「昼下がり」,「子どもがひとり」,「爪楊枝」,「清涼剤」,「キノコ汁」,「俺の女」,「晩秋の女」,「サンタさん」

 24の短い話の中に込められているものは,何気ない日常生活の中で突然訪れる,ハッとする様な一つの場面。でも何か緊張感が無いと言うか,中途半端な驚きなんですよね。少なくともタイトルにあるような,「立ちすくむ」と言う感じではありません。シニカルな描写が前面に出過ぎていて,素直な驚きが無くなってしまった感じがします。と言うよりも結末にキレのあるオチがある訳でもなく,話自体も平凡で,読んでいて面白さが感じられない。普通の生活の中で,立ちすくむとまではいかなくても,結構驚きを味わう事ってありますよね。そういった事柄をその人の心情を交えてストレートに描いた方が良かった気がします。

 

「メビウス・レター」 北森 鴻  2005.06.15 (1998.01.25 講談社)

☆☆☆☆

 取材旅行を終えて家に帰ってきた作家の阿坂龍一郎の元に,1通の手紙が届いていた。中身はある高校生が,焼身自殺を遂げた同級生に宛てた手紙だった。手紙の中で高校3年生の“ぼく”は,美術室で謎の焼身自殺をした同級生の真相に迫ろうとしていた。そんな中,彼を担当する編集者が何者かに殺された。

 送られてきた手紙と,それを読む阿坂の行動が交互に描かれていきます。誰が何の為に阿坂にこの手紙を送りつけてきたのか,そして焼身自殺の真相とは何だったのか。それとともに阿坂が何かを隠している様子が浮き彫りにされていきます。山梨県の高速道路工事現場で発見された死体,探偵にある人物の調査を依頼する女性,そして図々しい近所の主婦。それら全てが一つに結び付く後半部分の驚きは格別でした。メビウスの環と言うのは,表だったものがいつのまにか裏になっていると言う不思議な環です。この話も,こうだと思っていた事が何処かで捻られて,全く違った様相になってしまうという,意外性が味わえます。ただこういった作品の性格上仕方のない事かもしれませんが,犯人の動機などに納得いかない部分もありました。

 

「時の過ぎゆくままに」 小泉 喜美子  2005.06.15 (1986.10.20 講談社)

☆☆

@ 「友を選ばば」 ... 学生の時,彼女と私は英語が得意だった事から友達になった。でもそれは友達と呼べるものではなかった。
A 「同業者パーティ」 ... 出席した同業者たちとのパーティ。別れた夫とは同業者だったので,今日のパーティでも彼と会った。
B 「小さな青い海」 ... 昔水泳の選手だった老人が久し振りに海で泳いでいた時,海で溺れた子供を助けた時の事を思い出した。
C 「秋のベッド」 ... 山奥の山荘でひっそりと暮らす女。彼女はドライブ中に道に迷ってやってきた一人の若い男を見ていた。
D 「猫好きの女」 ... 数人の女性の友人がやってきた時も,家庭を持った男が訪ねてきた時も,その部屋には一匹の猫がいた。
E 「週末のメンバー」 ... 週末の夜には麻雀の卓を囲むのが習慣となっていた。今日のメンバーの一人は息子だった。
F 「さらば草原」 ... 一際立派な長老のテントに呼び出された女。彼女に対する一族の審判が,今くだろうとしていた。
G 「洋服箪笥の奥の暗闇」 ... その賃貸住宅の一室には,豪華な作り付けの洋服箪笥が置かれ,人目でその部屋が気に入った。
H 「寒い国から来た芸術家」 ... 北の方の国からやってきた芸術家。彼の東京での案内役を任せられたのは若いOLだった。
I 「騎士よ,夜よ」 ... ホストクラブに勤める男は,今日もいつもの通りに二人の女性の相手を務めていた。
J 「たたり」 ... 代々男性のみが若くして不思議な死に方をしてきた一族。先祖が残した過去を紐解いていくと。
K 「雛人形草子」 ... 由緒ある名家が所蔵する雛人形の取材。雛人形を出して貰ったら,内裏雛が無くなっていた。

 「時の過ぎゆくままに」と言えば,ジュリーこと沢田研二さんの名曲が思い浮かびます。「♪あなたはすっかり疲れてしまい,生きてることさえいやだと泣いた,こわれたピアノで想い出の歌,片手でひいては ため息ついた〜」。1975年の作品なので,もう30年も前の曲なんですね。小泉喜美子さんのこの作品は,1985年に51歳で亡くなった作者の,未発表作品をまとめたものだそうです。彼女の作品を読むのは初めてなのですが,あまりミステリっぽくないミステリですね。まあこの1作だけで言うのもどうかと思いますが,謎とか推理とかが中心ではなくて,何気ない展開から読者を驚かせる事に主眼を置いている様に思えます。その点から言うと,「同業者パーティ」「たたり」何かが意表を突いていました。でも,月や火星はともかく,土星に着陸と言うのは有得ない事だと思うのだが。

 

「その子は目撃者」 夏樹 静子  2005.06.17 (1985.09.15 光文社)

☆☆☆

@ 「狙われて」 ... 訪ねてきた友人は,夫から殺されそうだと告げた。そして彼女は夫と二人で旅行に出掛けた。
A 「メッセージ」 ... 自分が住む団地で見掛けた学生時代の友人。まだ彼女は自分の事を恨んでいるのだろうか。
B 「ガラスの薔薇」 ... 近所に住む男性が子供を連れていた。妻が書置きをして家を出て行ってしまったと言う。
C 「その子は目撃者」 ... 谷川に落ちそうになった子供を助けた若い男。彼は金融業者殺しの犯人と目された。

 派手な謎解きやトリックがある訳ではないが,その分物語がしっかりとしていて読み易い。そして4つの作品とも,意外などんでん返しが決まっている。でもだから面白いかと言うと,そうでもないのは,話自体が地味だからでしょうか。確かに実生活で殺人などと言うのは大変な事ですが,ミステリにおける殺人の動機が,不倫とか過去の恨みと言うのはありきたり。だから何となく印象が薄くなってしまっている感じがしました。まあ夏樹さんの作品にはこの手の話が多いのかも知れませんが,奇抜な事件や謎に走らないのはいいと思いますが,もう少し登場人物の内面描写や社会性に関するインパクトが欲しい気がします。

 

「天切り松闇がたり 第4巻 昭和侠盗伝」 浅田 次郎  2005.06.20 (2005.05.30 集英社)

☆☆☆

@ 「昭和侠盗伝」 ... 仲間の知り合いのところに届いた赤紙。軍のやりかたに松蔵は憤りを感じ,常とある一つの計画を立てた。
A 「日輪の刺客」 ... 鰻屋で知り合った地方の出らしい軍人。彼の態度や言動に松蔵たちは不思議な感じを持った。
B 「惜別の譜」 ... 夫の処刑の直前に上京してきた妻。夫から受け取った遺書には,不思議な言葉が書かれていた。
C 「王妃のワルツ」 ... 政略によって外国人と結婚する事になった女性。彼女は黄不動の栄二に会いたいと言った。
D 「尾張町暮色」 ... 銀座のデパートで出会った挙動不審の女性。彼女は掏りから足を洗い結婚したはずだった。

 天切り松のシリーズも4作目になりました。留置場に勝手にやってきては,警察署長をはじめとする面々に,かつての泥棒時代の話をすると言うスタイルは変わりません。でも何かが変わってきている様に思えます。はっきり言って1作目が一番良くって,だんだん説教臭さが鼻に付いて来る様な感じがします。今回も目細一家の活躍が綴られますが,かつての義賊を通じて現在の社会を批判すると言う面が強くなってしまっているんでしょうか。もっと伝説の怪盗たちの人情話を中心にした方がいいと思うのですが。でも狂信的な軍人とその妻の描き方なんかは,いかにも浅田さんらしくて良かったです。

 

「弥勒の掌」 我孫子 武丸  2005.06.21 (2005.04.25 文藝春秋社)

☆☆☆☆

 高校教師の辻恭一は教え子との不祥事がもとで,妻のひとみとの仲が冷え切ってしまった。そんなある日,ひとみは家を出て行ってしまった。近所の人からの通報で警察にあらぬ疑いを掛けられてしまった辻は,自ら妻の行方を調べようとした。一方ベテラン刑事の蛯原は,外出中に妻の死を知らされた。ラブホテルで何者かに殺されたらしい。妻の仇をとる為に単独で捜査を開始した蛯原だったが,監察から彼の不正が摘発されてしまった。

 「殺戮にいたる病」以来,13年振りの書き下ろし長編だと言う本作は,本格ミステリマスターズの1作。教師の章と刑事の章が交互に描かれますが,二つに共通してくるのは,「救いの御手」と言う新興宗教団体。そして二人は協力してこの怪しげな宗教団体を調べ始めるのですが,とても読み易くてスイスイ読めてしまう。とにかく次がどうなっていくのかと言う興味がずっと続くんです。こういう風にテンポ良く読めるのは,ミスリードを起こさせる上で大切ですね。結末はかなり意外でしたが,新興宗教団体に対するイメージを上手く使っている感じがします。でもこの終わり方はちょっと納得できないですね。特に蛯原の辻に対する気持ちが判りませんでした。

 

「真夜中のマーチ」 奥田 英朗  2005.06.22 (2003.10.10 集英社)

☆☆☆☆

 青年実業家を気取るパーティー屋のヨコケンこと横山健司。一流商社勤務だがオチこぼれ社員のミタゾウこと三田総一郎。詐欺師の父親を持つクロチェこと黒川千恵。ひょんな事から知り合った25歳の3人は,クロチェの父親が詐欺で手にするであろう10億円の奪取を目論み手を結んだ。

 全体的に軽い印象はありますが,悪人を主役にして悪事を痛快に描く場合は,この軽さも一つの魅力だと思います。真保裕一さんの「奪取」しかり,黒川博行さんの「迅雷」しかり。そして悪人である主人公のどこか憎めない魅力でしょうね。この点においても,3人のキャラクター設定も,人物描写も巧いです。まあこれだけの事をしようとする割には,計画性も緻密さも無いのですが,あまり気にならない。それぞれの事情を抱えた3人が知り合うまでの最初の部分が,やや間延びしている感じもしますが,そこからは大金を巡る争いがスピーディに描かれていきます。程ほどにスリリングだしコミカルだし,何となく安心して読む事ができます。

 

「第三の容疑者 検事・沢木正夫」 小杉 健治  2005.06.23 (2005.05.25 双葉社)

☆☆☆

 かつての甲子園のヒーロー堂本が,老夫婦殺害の容疑で逮捕された。無罪を主張する彼の冤罪を晴らそうと,新田弁護士に協力を申し出た松永と高木。二人は甲子園時代の彼のファンで,堂本が営む飲み屋の常連だった。そんな時,新田弁護士の事務所の近くの公園で,一人の男が殺された。被害に遭った男が殺される直前に電話しているのを,東京地検検事の沢木が偶然に目撃していた。

 「公訴取消し」に続く,沢木検事のシリーズ2作目。二つの冤罪事件を通して検察,警察,弁護士の動きが中心になって進みます。取調べや裁判の場面などなかなか迫力があって,さすが社会派と言う感じがします。でもそれだけではなくて,前作でもそうでしたが,事件の真相もかなり意外なものとなっています。ただ沢木はともかくとして,事件の真相に辿り着く松永と高木の行動はちょっと納得がいかない。また会話文がやたらと変なのも目に付く。そりゃあ,小説における会話文が実際の会話と違うのは当たり前ですが,それを差し引いても不自然過ぎるのが気になりました。

 

「名探偵水乃紗杜瑠の大冒険」 二階堂 黎人  2005.06.24 (1998.09.25 実業之日本社)

☆☆

@ 「ビールの家の冒険」 ... 警察官をしているサークルの先輩が偶然に見つけた,ビールばかりが置かれた1軒の別荘の謎。
A 「ヘルマフロディトス」 ... 自殺か他殺か不明な男女の死体。亡くなった女子高校生は丸文字で書かれた日記を残していた。
B 「『本陣殺人事件』の殺人」 ... 岡山に造られた横溝正史をモチーフにしたテーマパーク。そこで小説通りの殺人事件が起こった。
C 「空より来たる怪物」 ... サトルの知り合いから会社に掛かってきた電話。山の中で宇宙人に追いかけられていると言う。

 旅行会社に勤務する水乃紗杜瑠(サトル)を探偵役にした連作短編。同僚で新人OLの美並由加理とのコンビなのですが,他にもこの二人が登場する作品があるみたいですね。さて4つの作品とも,何等かのミステリ作品をモチーフにしているそうですが,4作とも読んでいませんでした。作中,「まさか『本陣殺人事件』を読んだ事のないミステリファンなんていませんよね。」等と書かれておりましたが,はっきり言って私は読んでいません。何か動機がユニークそうですね。紗杜瑠と由加理の関係が面白いのですが,この手の作品はどうも苦手です。

 

「マドンナ」 奥田 英朗  2005.06.27 (2002.10.25 講談社)

☆☆☆☆

@ 「マドンナ」 ... 定期人事異動で課にやってきた一人の女性。課長は彼女の事が気になってしょうがなかった。
A 「ダンス」 ... ダンサーになりたいと言う高校生の息子。会社では同期入社の他の課長の態度が悩みのタネに。
B 「総務は女房」 ... 営業の一線から総務部にやってきた課長。今までとは勝手が違う総務の慣習に苛立ちが隠せなかった。
C 「ボス」 ... 長く海外勤務をしていた女性が部長に。今までの慣習をことごとく打ち破る彼女のやり方に戸惑う課長。
D 「パティオ」 ... オフィスから望まれるパティオはいつも閑散としていた。そこに毎日やってきて読書をする一人の老人が居た。

 どの話も40歳代の課長が主人公。私も40代で課長をしていた事がありましたが,会社でも家庭でもなにかと責任が重くなり,様々な重圧と向き合わなくてはいけない時期ですよね。それとともに会社や社会の不条理に対して,ある程度寛容になれるというか,諦めが付くと言うか。確かに全てに満足して会社勤めをしている人は少ないでしょうし,それぞれに様々な悩みを抱えていることでしょう。そういう部分がとても上手く表現されていて,リアルです。でも部下と殴りあうをする課長っていないか。ここに登場する課長たちって,みんな憎めない人達で,それぞれの奥さんの描写もなかなかいいですね。「総務は女房」に出てくる様な妻じゃ嫌ですけど。

 

「白行」 連城 三紀彦  2005.06.28 (2002.03.01 朝日新聞社)

☆☆

 カルチャースクールに行くと言う妹から,4歳の少女を預かった姉の聡子。自分の子供を歯医者に連れて行くために,少しの間祖父に彼女の世話を頼んだ。ボケてしまって戦争時代の記憶の中に生きている様な祖父だったが,大人しい子供なので問題は無い思った。しかし帰ってみると子供は居なくなっており,捜したら庭で殺されていた。祖父に疑いが掛けられたが,祖父が見たと言う若い男の目撃証言が複数得られた。

 ごく普通の家庭で起こった殺人事件。でもそこには,複雑な人間関係が潜んでいます。性格が対照的で仲の悪い聡子と幸子の姉妹。浮気を繰り返す幸子と,それを黙認している夫の武彦。夫に浮気の疑いを持つ聡子。物語は彼らが一人一人独白する形で進みます。ですので読者は彼らの言い分を聞きながら,事件の全体像を知る事になります。それと共に彼らの相手に対する憎悪や悪意を味わいます。これが効果的なのですが,それゆえに不快な気にもさせられます。誰が少女を殺したのかと言う謎よりも,平穏のはずの家族における,お互いの感情が判っていく過程こそ,この作品の読みどころなのでしょうか。それにしても救いのない話ですね。

 

「黄昏の百合の骨」 恩田 陸  2005.06.29 (2004.03.10 講談社)

☆☆

 「自分が死んでも,半年以上ここに住まない限り家は処分してはならない」。こんな奇妙な祖母の遺言に従って,留学先のイギリスから日本に戻ってきて,古い洋館に暮らす事になった水野理瀬。同居しているのは,梨南子と梨耶子の従姉妹の姉妹。この洋館の階段から転落死した祖母の法要のため,亘と稔の従兄弟の兄弟もやってきた。

 古い洋館に住む美しい少女と曰くありげな姉妹。ホラーっぽい雰囲気で始まりますが,超常現象が出て来ることもなく推移していきます。祖母の遺言は何だったのか,館に隠されているのは何なのか。姉妹,兄弟,同級生達との関係が描かれますが,誰が味方で誰が敵なのか,信じられる物は何なのか。そこらへんの微妙な進め方が上手くて一気に読めてしまうのですが,それだけにラストがちょっと拍子抜け。理瀬とヨハンの関係が何か良く判りませんでした。それにしても百合の花って結構不気味ですよね。